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■蝶の慟哭〜鼓動の山〜■

霜月玲守
【5698】【梧・北斗】【退魔師兼高校生】
 秋滋野高校という、極々ありふれた高校がぽつりと郊外にある。校則は厳しくなく、それでもある程度の節度を持っている。至極普通の高校である。
 しかしながら、この高校には特殊なものが多数存在していた。その中でも、通常黄色のイチョウの葉がこの高校にある一本は薄紅色をしている事や、山からの湧き水を一部の飲料水として用いている事は、それなりに有名である。
 そんな折、秋滋野高校の生徒たちは、度々不思議な音を耳にするようになっていた。否、生徒たちだけではない。教員や近くに住む地域住人の耳にも聞こえてきていたのだ。
 山から、ドゥン、という空気を震わす音が。
 教師達は「今、調査をするように求めているから、なるべく山には近付かないように」と生徒たちに指導をした。何が起こるか分からないため、危険の原因を少しでも孕んだものには触れさせないようにした方が良い、という見解である。卑しい話だが、学校の責任だと追及されると大変に困るからだ。
 しかし、その原因を突き止めようと何人かの生徒が面白半分に足を踏み入れた。好奇心旺盛な高校生というものは、何処にでもいるものである。
 そして、彼らは帰ってこなかった。たった一人を除いて。
「……ははは……はは」
 唯一の帰還者である彼は、ただただ笑っていた。目を虚ろにし、口元をだらしなく開き、何度も何度も笑いを繰り返す。
 まるで狂人のように。
 警察や彼と一緒に山に入って帰ってこなかった者の親たちは、必死になって彼に何度も尋ねた。
 他の生徒の所在と、山で何があったのかを。
 すると、彼は何度も繰り返すだけなのだ。虚ろな目をした笑いだけを。他の者の生死も分からず、山での出来事も何一つ分からない。
 警察は彼に問いただすのをやめ、すぐに山の中へと入っていった。他の者の救出と、山の中での出来事を知るために。
 そうして、誰も帰って来ることは無かった。
蝶の慟哭〜鼓動の山〜


●序

 聴こえる鼓動は、見に秘めたる躍動か。それとも隠したる慟哭か。


 秋滋野高校という、極々ありふれた高校がぽつりと郊外にある。校則は厳しくなく、それでもある程度の節度を持っている。至極普通の高校である。
 しかしながら、この高校には特殊なものが多数存在していた。その中でも、通常黄色のイチョウの葉がこの高校にある一本は薄紅色をしている事や、山からの湧き水を一部の飲料水として用いている事は、それなりに有名である。
 そんな折、秋滋野高校の生徒たちは、度々不思議な音を耳にするようになっていた。否、生徒たちだけではない。教員や近くに住む地域住人の耳にも聞こえてきていたのだ。
 山から、ドゥン、という空気を震わす音が。
 教師達は「今、調査をするように求めているから、なるべく山には近付かないように」と生徒たちに指導をした。何が起こるか分からないため、危険の原因を少しでも孕んだものには触れさせないようにした方が良い、という見解である。卑しい話だが、学校の責任だと追及されると大変に困るからだ。
 しかし、その原因を突き止めようと何人かの生徒が面白半分に足を踏み入れた。好奇心旺盛な高校生というものは、何処にでもいるものである。
 そして、彼らは帰ってこなかった。たった一人を除いて。
「……ははは……はは」
 唯一の帰還者である彼は、ただただ笑っていた。目を虚ろにし、口元をだらしなく開き、何度も何度も笑いを繰り返す。
 まるで狂人のように。
 警察や彼と一緒に山に入って帰ってこなかった者の親たちは、必死になって彼に何度も尋ねた。
 他の生徒の所在と、山で何があったのかを。
 すると、彼は何度も繰り返すだけなのだ。虚ろな目をした笑いだけを。他の者の生死も分からず、山での出来事も何一つ分からない。
 警察は彼に問いただすのをやめ、すぐに山の中へと入っていった。他の者の救出と、山の中での出来事を知るために。
 そうして、誰も帰って来ることは無かった。


●動

 葉から生まれし思いの力を、気付く事があるのならば。


 梧・北斗(あおぎり ほくと)は草間興信所にいた。新聞記事を机に置き、その隣には資料が積み重なってあった。それを真ん中に据え、北斗と草間は対面で据わっていた。
 二人とも、神妙な顔つきをしていた。
「……これで、三度目ってか」
 北斗は呟き、沈黙を破った。それを境に、草間も口を開く。
「そうなるな。秋滋野高校に関わる事件は、これで三度目だ」
「一度目は、イチョウの葉だったよな?」
「二度目は湧き水だ。三度目にして、ついに山が現れたな」
 草間はそう言って、苦笑した。北斗は草間のようには笑えなかった。
 山に、人が消えている。
 そんな記事を見て、苦笑すらこぼれない。あるのは「何故」という思いと、それを止めてやりたいという衝動だけだ。
「……また、依頼があったんだな?」
「ああ。過去二回の業績を認められたみたいな形だな。……はっきり言えば、そんな業績を残したくも無かったが」
「もっと言えばさ、そんな業績を作らせるような事を起こさないで欲しいよな」
 そういう北斗に、草間は「そう言うな」と言って苦笑した。目は笑ってはいない。言葉でいうほど、北斗を諌めようとしている訳でもない。
 心の奥底で、北斗に同意している事は明白だった。
「山から、変な音がするんだったよな。で、それを確かめようと山に行った高校生達がいなくなった……と」
「ついでに言うなら、その高校生達を探しに行った警察たちもいなくなったんだ」
「物騒だな」
 北斗はそう言い、じっと新聞を見つめる。「消えた?人々の行方、未だに不明」という見出しがついている。
「気をつけろよ」
 じっと新聞を見つめる北斗に、草間は言った。北斗は顔を上げず、頷いた。
「気をつけるって。……気をつけないと、やばそうだしさ」
「あの高校には、何かがあるとしか思えん。しかも、今回は人が行方不明になってると着ている。尋常じゃないぞ」
「ああ。……尋常じゃないってのは、嫌でも分かる」
 北斗はそう言い、ゆっくりと顔を上げる。意志を秘めた、強い目が草間をじっと見つめていた。
「ともかく、行ってみるよ。俺、考えるのは性に合わないしさ」
「用心するに越した事は無いからな」
「分かってるって」
 心配そうな草間に、北斗はそう言って答えた。興信所のドアに手をかけ、突如「あ」と声を出す。
「そういえばさ、無事に戻ったら……」
「何だ?」
 北斗は振り返り、にかっと笑う。草間が心配そうに、じっと見守る中。
「焼肉!俺さ、焼肉食べたいな」
「……はぁ?」
 呆れる草間に、北斗は続ける。
「じゃ、武彦のおごりって事で。よろしく!」
「よろしくって……おい!」
 草間の突っ込みを最後まで聞く事なく、北斗は草間興信所を後にした。
「三度目の正直ってね。……必ず俺が止めてやる」
 北斗は小さく呟き、ぐっと拳を握った。
 今回の事件が今までよりも複雑である事は、疑いようもなかった。そんな不安を拭い去ろうとするかのように、北斗はより一層拳を強く握り締めるのだった。


●進

 水の奥深くに在りし蓋を、開こうと思うのならば。


 再び訪れた秋滋野高校には、たくさんの報道陣が集まっていた。学校は必然的に休校になっており、あたりが騒然としていた。
(凄いな)
 北斗は遠くからそれを見、苦笑する。大きな事件が起これば、報道関係が騒ぎ出すのは当然の事だ。だが、それが時として様々な弊害を巻き起こす事になることもあると、彼らは気付かぬのだろうか。
 いや、恐らく彼らは口を揃えていうのだ。自分達がやっている事は、皆が望んでいる事なのだと。
 ドゥン、という音が突如響いてきた。北斗は眉間に皺を寄せながら、持って来ている退魔弓『氷月』に手をかけるが、それ以上の変化は何も起こらなかった。報道関係者達は既にその音に慣れてしまっているらしく、動じる様子すら見せない。
(つまり、こんな音に慣れてしまうくらいここにいるって事か)
 北斗は苦笑交じりに溜息をつき、正門を避けて裏門に行った。こちらには報道関係者が殆どおらず、ぽつりぽつりといる彼らも「そろそろ正門にいくか」といったような会話をしている。
(チャンスか)
 北斗はにやりと笑い、裏門近くの壁から学校内に侵入する。一人だけ生還した男子生徒が、学校の保健室にいると草間から聞かされていたのだ。
(確か……学校から離れたところに連れて行こうとすると、嫌がるんだったよな?)
 虚ろな目をしたまま、笑い続けるという男子生徒。何も反応を示さない彼が唯一動じるのは、学校から外に連れ出そうとする時だけらしい。
 だからこそ、報道陣は学校を取り囲んでいるのだ。いつ、そんな男子生徒に動きがあってもいいように。
 北斗は校内にそっと入り、保健室を探す。今まで二回訪れているものの、校内に入ったのは初めてだった。
「……あそこか」
 一階の一番端に、保健室をようやく見つけた。北斗はそっとノックをし、ドアを開けた。
「ええと……ちょっと話を聞きたいんだけど」
 保険室内にいたのは、ベッドの上で虚ろな笑みを浮かべたままの男子生徒だけだった。付き添っている筈の親や教師は、たまたま席を外しているのかもしれない。
「……話、聞けるか?」
「はは……ははは……」
 北斗の問いには答えず、男子生徒はただ笑いつづけた。楽しそうに、ではない。声に出して、虚ろな目をし、笑うという行為だけをしているのだ。
 可笑しい訳でもないのに、笑っている。
「お前、あの山に行ったんだろ?友達と一緒にさ」
 男子生徒は答えない。反応すら示さない。
「そこで何があったんだよ?」
 北斗の問いには答えない。北斗は大きな溜息をつく。がし、という音をさせて、ベッド近くに置いてあるパイプ椅子に腰掛ける。
(秋滋野高校で起きた、不可思議な事件の数々)
 薄紅色のイチョウの葉、湧き水を巡っての暴動騒ぎ。
(今度は生徒が行方不明になって。山の方から不思議な緒とが聞こえてくるって?)
 北斗は窓の外から見える山をじっと見つめた。耳を澄ませば、時折あのドゥンという空気を震わせる音が響いてきた。
「……蓋が開きかけているとか?」
 北斗はぽつりと呟く。
『いつしか開くという事を、肝に銘じておくがいい』
 あの時であった、少年の言葉が頭に浮かんでくる。ここに来るまでに、ずっとぐるぐると頭の中で繰り返されてきた言葉だ。
「水の深き所にある蓋……地下か?」
 少年の言葉一つ一つを思い返しつつ、北斗は考える。
「蓋は何を意味しているんだ?……蓋は、何かが出てこないように封じてある、とか?」
 北斗は「うーん」と唸りながら考える。少年の言っていた蓋が、何かが出てこないように封じている為のものならば、その蓋が開きかけている証拠がこの音という事になるのだろうか。
 北斗はそこまで考え、ふと気付く。
「でも……何を?」
 一番大事なのは、その部分だった。何かを封じている、それを出てこないように蓋をしている、というところまではいいかもしれない。だが、結局その「封じている」「出てきて欲しくない」何かとは一体なんなのか、という事になるのだ。
「……うう」
 呻き声に北斗ははっと顔を上げる。見ると、男子生徒が頭を抱えて蹲っていたのだ。北斗の呟いていた言葉に反応したのかもしれない。
「お、おい。大丈夫か?」
「人間……が……」
「え?」
 北斗は男子生徒が呟く言葉に、はっとして口を噤む。次の言葉を、心待ちにするように。
「山……が。人間の……おこがましさ……」
「おこがましさって……一体、どういう事だよ?お前は一体何を見たんだよ?」
 北斗の問い掛けに、男子生徒は突如大声で笑い出した。はははははは、と大きな声を出して。
「くそっ!」
 これ以上な何も情報は引き出せないと北斗は判断する。蓋、という言葉に男子生徒が反応した事だけでも知ることが出来たことを、喜ばなければならないのかもしれない。
(ま、考えるのは性に合わないってのは分かりきっているからな)
「分からなければ、調べて突き止めてやるのみだ!」
 北斗はそう言うと、保健室の窓に手をかける。今ここに誰か来たら、説明が面倒になると判断したのだ。
「……人は自立するに適わず」
「え?」
 ふと、男子生徒がきっぱりと言葉を発した。北斗が振り返ると、再び男子生徒は笑い始めた。虚ろな表情のまま。
(蓋……やっぱり開きかけてるのかよ?)
 北斗はぶるりと身震いをし、窓から外へと出た。保健室のドアがガラリと開き、大声で笑い続ける男子生徒にやってきた人たちが必死に問い掛けている。
「……よし」
 北斗は氷月をぎゅっと握り締め、山へと向かった。不意に訪れた震えを、跳ね除けてしまうかのようにぐっと拳に力を込めながら。


●辿

 震える、空気が。跳ねる、鼓動が。踏みしめているその地に沿って。


 山の中は、以前湧き水を調べる為に訪れた時とは雰囲気が変わっていた。何が変わっている、というはっきりとした判断ができるというわけではない。ただ漠然と何かが変わっていると思われるだけなのだ。
 気のせい、とは言い難いものがあった。劇的に変わっているわけではないにしろ。
(何かが、違う)
 北斗の額に、汗が出てくる。何が違うのか、北斗自身に分かる訳ではない。詳しく説明する事すら出来ぬ。ただ感じる、違う空気。
 時折聴こえるドゥンという音が、そうさせているのかもしれない。それだけではないのかもしれない。全てが漠然としており、そしてまた夢幻のような心地でもあった。
「こんな所に、入ったのか」
 北斗はぽつりと呟く。音の正体を突き止めようと入ったという、秋滋野高校の生徒達。たった一人しか、そしてまた正気を無くしてしか帰れなかった、という理由がなんとなく分かる気がした。
(ここは、尋常じゃない)
 何もかも漠然としか分からぬ中で、それだけははっきりとしていた。尋常とはいえぬ空間が、山全体に広がっているのである。
 この山は、ただの山ではない。否、そんな言葉で片付けられぬ。
 一歩一歩踏みしめるだけで、何らかの力を感じるのだ。はっきりとは分からない。正体不明の不可思議な力が、錘のように北斗に襲い掛かってくる。
(人間が)
 足を踏み入れてはならないというのだろうか。
(山が)
 何かの力を孕んだままなのだろうか。
(人間のおこがましさが)
 今現在の状況を、作ってしまったのだろうか。
(だとすれば、おこがましさとは何処から生まれたんだ?)
 あの男子生徒の言葉が、頭の中で繰り返される。なにがどうなっているのかは分からないものの、男子生徒が言っていた言葉は確かに北斗の耳に届いたのだから。
 考えずに突き進もうとしても、頭の奥に残っている。
「おこがましさ……」
 北斗は呟き、はっとした。
 負の感情を孕んだ願いをかなえる、イチョウの葉。薄紅の葉、負の感情の色。
「あれが、あの色が……人間のおこがましさを表していたとはいえないか?」
 もしもそうならば、あのイチョウの葉を使って人間は知らしめてしまったのだ。負の感情を孕む、おこがましい存在であるという事を。
 湧き水だって、そうだ。湧き水の役割は、負の感情を増幅するだけだった。それなのに、それを飲んで暴動を起こしたのは人間のおこがましさとも言えよう。他者を思いやるという口実を元に、おこがましさを主張するいい機会になったことだろう。
「ちょ……ちょっと、待ってくれよ」
 北斗は呟く。頭の中でぐるぐると渦巻く考えが、ハイスピードで駆け抜けていくような感覚を覚えたのだ。
「それじゃあ、最後のあいつの言葉って……」
『人は自立するに適わず』
 その事が、男子生徒をあのようにした根本の理由ならば。その理由を元に、あのようになってしまったのだとしたら。
 それはつまり、男子生徒をおああした原因となるものが発した言葉とはならないだろうか。
「……やはり、来たな」
 その言葉と同時に、ドゥン、という音が空気を震わせた。北斗はゆっくりと声のする方を向く。
 そこにいたのは、少女と少年だった。過去二回の調査の時に出会った、二人。
 彼らは手を繋ぎ、赤い目をして北斗を見つめていた。同時に口を開いているのに、聞こえている声は一つだった。
「別個のものでありつつも、根本は一つ……だったっけ?別個体だけど、元となるのはやっぱり同じって事か」
「お前が来るだろうという事は、分かっていた。だが、来てどうする?お前が来て、一体何が変わるのだ?」
 そう言う彼らに向かい、北斗は何も言わずに氷月の包みを取った。ひらり、と布から現れたのは、美しいフォルムをした弓。北斗はそれをゆっくりと構えた。
「……少なくとも、俺は満足するかな?」
 北斗の言葉に、彼らはくすくすと笑った。ドゥン、という音と共に。
「この音、何だと思っている?」
「さあ?俺は分からない事だらけだから、実際に赴いてきたんだ。……あんたが開こうとしていた蓋が、開きかけているから音がしているんだと思っていたけど?」
「なるほど。……中々に鋭い」
 少年の方がそう言い、そっと微笑んだ。
「でも、負の力は俺が祓った筈だ。なのに、何で蓋が開こうとしているかは分からないんだけどな」
「……負の力とは、つまり負の感情のこと」
 少女の方が、口を開く。
「無ければ、調達すればよいだけの事。……イチョウを使っては、間に合わぬから」
 北斗は「あ」と声を上げた。
 負の力、負の感情。それを持っているのは、どんどん根源を遡れば、一つのものに到達する。
 つまりは、人に。
「お前ら……この山を訪れた奴らの」
「音とは、不可思議なものよ。数度無理にでも鳴らすだけで、おびき寄せる力を発揮した」
 北斗は一瞬眩暈がした。ぐるぐるといろいろな思いが駆け巡るのだ。どう表現したらいいのか分からない感情が、体中を走り回っているかのような気がした。
「蓋……開いたのかよ?」
「いま少し、というところか」
 少年が答える。
「開いて、どうする気だよ?」
「神が、生まれるのだ」
 少女が答える。
「神だって?……そんな負の感情を孕んだ力を使って出てくる神なんて、ろくなもんじゃないだろうが!」
 北斗が叫ぶ。すると、少女と少年はぎゅっと手を繋いだまま、まっすぐに北斗を見つめた。
 そして、同時に口を開く。
「人は自立するに適わず」
「……おい、それ」
 男子生徒の言った言葉と、全く同じだった。違うのは、彼らがその言葉に付け加えたという点だ。
「よって、我らが呼び覚まし神を以って支配と為す」
 氷月を持つ北斗の手が、震えた。


●蝶

 生まれる、全てが。生み出される、無が。そうして始まる、世界が。


 北斗は、ぎりぎりという音をさせながら、弦を引いていた。手に力が集中し、矢が生じる。
「我らを射るというのか」
「我らを射て、それで何が変わるというのか」
 口々にいう少女と少年に、北斗は「さあ」と口にする。
「俺はさ、考えるよりも動く方が性にあってるから。難しい事は分からないけど」
 北斗はそう言いながら、真っ直ぐに目を見据える。赤い目の少女と少年も、手を繋いだまま北斗を見ている。
「だけど、お前らがやろうとしている支配なんてものが、間違っているってのは分かる。負の力によって出てきた神とやらに支配されるなんて、ごめんだ!」
「だが、負の力を出したのもまた人間だ」
「そんなのは百も承知だよ!でもさ、だからと言って支配されたいと思うわけもないじゃん」
「人は自立するに適わぬ」
「そうかもしれないけど、だからといって……!」
 北斗の言葉に、少女と少年は顔を見合わせる。
「絶対的な力は、真っ直ぐな道を築く。その道を歩かせる事が、何が悪いのだ?」
「そういう風な考え方ができる自体、おかしいじゃん」
 北斗はそう言い、ぐっと奥歯を噛み締める。感情だけはたくさん溢れてきているのに、それが上手く言葉にならないもどかしさ。そんなもどかしさを、少女と少年に伝えたいのに、中々上手く行かない。
(俺にできること、は)
 回らない頭に、言葉に、北斗は考える。
(俺にできる事は……)
「……じゃあ、俺と力比べしようぜ」
 北斗の申し出に、二人はきょとんと呆気に取られる。
「お前らは、力で支配しようとしてるんだろ?なら、俺と力比べしようって言ってるんだよ」
 突然の言葉に、二人はくつくつと笑った。
「なるほど、やはり今まで我らを追ってきただけはある」
「ここで断る理由は、我らには無い」
 北斗は頷き、改めて氷月を構えた。ぎりぎりと弦を引き、生み出した力の矢に意識を全て集中させる。
 自立するに適わないなんて、決めてもらう必要なんて無い。
 だから支配するなんて事を言われても、それに従いたくなんて無い。
 絶対的な力は、道を作ったとしても綻びをも作るはずだ……!
「うおおおおおぉぉぉぉ!」
 北斗は叫び、ぴん、と弦を弾く。北斗の力を集結した矢が、少女と少年の丁度中心に向かっていく。
「……綺麗だ」
「……綺麗な力だ」
 二人は交互に呟き、目を閉じた。
 赤く光っていた、目を。
 その瞬間、ぱぁん、という音と共にあたりが真っ白に光った。北斗はその眩いばかりの光に、思わず目を細める。
「俺は……俺は、もっと人というものを信じたいんだ……!」
 北斗は少女と少年に向かい、叫ぶ。光の中にいるであろう、彼らに向かい。
「いいだろう」
「少しの間、待ってやろう」
「……え?」
 光がだんだん収まっていく。北斗の耳に届いた、彼らの声と共に。
 そうして光が綺麗になくなった時には、少女と少年の姿は何処にもいなくなっていた。
「あいつら……どこに」
 北斗はそこまでいい、空を見上げた。そして目を大きく見開く。
 そこにいたのは、巨大な蝶だった。羽を金色に光らせ、きらきらとリンプンを撒き散らしながらどこかに飛んでいっている。そして、その蝶からドゥンという音が響いていた。
「あれが、音の正体だったのか」
 つまりは、あの蝶が少女と少年の言っていた「蓋から出てくる神」だ。それも、絶対的な力を持っている。
「綺麗だな……」
 北斗は飛び去っていく蝶を見つめ、何故だか目頭が熱くなってきた。何故だかは分からない。ただ、妙に熱くてたまらなかった。
 蝶の美しさに、その巨大な音に、光に。心が震えたのかもしれなかった。


●結

 全ては終わり、また始まる。漠然と、だが確実に。


 草間興信所で、北斗は新聞を見ていた。狂人と化していた秋滋野高校の生徒が、はっきりとした意識を取り戻したと報じている記事が載っていた。
 だが、依然として行方不明者は見つかっていなかった。
(蓋を開けるのに、力を使われたんだもんな)
 上手く行けば、見つかるかもしれないとも思っていた。力を使ったと少女と少年が言っていたが、ほんの小さな可能性として無い話ではないだろう。
 勿論、最悪の結末だって存在している訳だが。
(支配だなんて……どうして考えちゃったんだろうな)
 負の感情は、彼らをそう思わせるのに充分な力を発揮したのかもしれぬ。蓋を開く力をも齎すその力は、彼らを支配しようとする意識に向かわせる効果をも持ち合わせていたのかもしれない。
 今となっては、分からないことだが。
「お疲れさん」
 草間は机の上にホットプレートを置きながらそう言った。北斗は「ああ」と答え、溜息をつく。
「俺、止められたのかな?」
 北斗の問いに、草間はホットプレートの電源を入れながら「さあな」と答えた。
「お前が止められたと思えば、そうなんじゃないか?」
「なんだよ、冷たいなぁ」
「そうか?」
 草間はそう答えつつ、熱くなってきたホットプレートに油を引いた。北斗は「そうだよ」と言いながら苦笑する。
「だってさ、そういう時って嘘でも『止められた』とかいうもんじゃない?」
「嘘を言ってどうする。だが……そうだな。少なくとも、支配されるって事は起こらなかったじゃないか」
「支配、か」
「そ、支配。それが起こっていたら、今こうやって自由に存在する事すら許されなかったわけだから」
 じゅう、という音が響く。北斗はホットプレートからゆらゆらと湯気が立ち昇るのをぼんやりと眺めながら、そっと微笑む。
(支配、されてないもんな)
 待ってやる、と彼らは答えたのだ。北斗の思いを聞き入れてくれたと、言えなくも無いではないか。
「ところで……何してるんだ?武彦」
「お前、無事に戻ったら焼肉とか言っていただろう?」
「焼肉って……ここでするのかよ?」
「当然だ!お前、俺の財布がどれだけ悲しい目に遭っているか教えてやろうか?」
「遠慮しとく」
 北斗の言葉に草間はこっくりと頷き、肉をホットプレートに置いた。
(あの音は、もう聞こえない)
 空気を震わせるような、ドゥンという音はもう響いては来ない。どれだけ耳を澄ましたとしても。
 代わりに聞こえてきたかのような、じゅう、という肉の焼ける音に、北斗はそっと微笑むのだった。

<もう聞こえぬ山の鼓動を思いつつ・了>

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 5698 / 梧・北斗 / 男 / 17 / 退魔師兼高校生 】

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■         ライター通信          ■
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 お待たせしました、コニチハ。霜月玲守です。この度はゲームノベル「蝶の慟哭〜鼓動の山〜」にご参加いただき、有難う御座いました。
 前回の「水深の蓋」でのヒント、分かりましたでしょうか?正解は、科学部の女の子がしきりに繰り返していた「廃止」です。「はいし」という言葉を並び替えると「支配」となります。如何でしたでしょうか。
 「蝶の慟哭」全三話、最後までお付き合いくださいまして本当に有難うございました。少しでも楽しんでいただけましたら、嬉しいです。
 ご意見・ご感想等、心よりお待ちしております。それではまたお会いできるその時迄。