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■藤里色紙和歌■

エム・リー
【5430】【早津田・玄】【呪医(じゅい)】

 
 街中を外れ、電車とバスとで揺られる事、数時間。
 そこには見事な藤棚が咲く事で知られる場所があるのです。

 この度、その藤を愛でつつ茶会でも開こうじゃないかという運びとなりました。
 しかし、ただの茶会では些かつまらないものもございましょう。
 そこで、この度の茶会では、皆様に平安朝の貴族方の装束を纏っていただき、雅やかに百人一首でも楽しもうという運びとなったのです。




ゆく年くる年2005-2006


「ふぅむ」
 
 物々しい唸り声をひとつあげて、早津田玄はあごひげをさわりと一撫でした。
 玄が今いる場所は、早津田家が所有する蔵の中だ。様々な書物の類を納めた蔵の中は、年月を経た書に特有の、カビ臭いような、それでいて決して不快ではない空気が充ち広がっている。
 彼が今手にしている品といえば、むろん、この蔵から発掘された代物なのだが。
 どうしたモンかねェ
 そうごちて面倒くさげに白髪まじりの頭を掻きむしると、やがて玄はゆらりと腰を持ち上げて蔵の外へと足を伸べた。
「まァ、どうもこうもねえやな」
 そう続け、肩に積もった埃を軽く叩き落とす。そして、蔵とはわずかに離れた場所にある本宅へと立ち寄り、奥で何やら作業をしているらしい細君に声をかけた。
「ちいとばかし出掛けてくらァ」


 新年早々、城ヶ崎由代の姿は神田の街中にあった。
 年明けとは云え、取り立てて予定らしいものも無い。持て余した退屈な時間は、由代の足を、必然的に神田の街へと連れ出したのだった。
 神田は、しかし、思っていたよりも人混みで満ちていた。
 由代はその中を馴れた足取りで歩き進み、馴染みの古書店を、挨拶がてら周っていた。
 ――そう、それは、いつもの由代の生活と、何ら変わり映えのない風景である。そう、ただ、一箇所を覗いて。
 
「おう、由代」
 そう声を掛けられて、由代はそろりと肩越しに振り向いた。そうして、からりころりと下駄を鳴らしつつ歩み寄って来るその男を確かめて、やんわりとした笑みを浮かべて片手をあげる。
「早津田君じゃないか。あけましておめでとう」
「ふん。年明け早々テメエに逢うようじゃあ、今年の運もさい先悪ィや」
 頬を緩めてそう返した玄に、由代は軽い笑みをもって目を細ませる。
 玄の口の悪いのは、今に始まったものでもない。むしろこの威勢を取り上げてしまえば、それは玄という存在の半分を削り取ってしまうようなものでもあるだろう――そんな風にも思える。
「早津田君も古書店に行くのかい」
 二人は並び、路地を行く。
 そう訊ねた由代に、玄は面倒くさげに、色気のひとつもないビニール袋を差し伸べた。
 その中を覗き込み、由代はかすかに首を傾げる。
「福笑いかい、これ。君の家にこんなものがあるなんて、少しばかり意外だね。……しかし、君、スーパーの袋に入れてくるってのもどうかな。色気のへったくれもないじゃないか」
 小さなため息をこぼした由代のその言葉に、玄は「へん」と鼻を鳴らし、持ち上げていた腕をおろした。
「入れ物に色気もくそもあるかってんだ。――そういやあ、おまえが黒スーツを着込むなんざ、珍しいこともあるもんだなあ」
「……おや、そうかい?」
 由代の、いつも浮かべている微笑がわずかに強張った。
 意識してか、あるいは知らぬ間にか。由代の手が、胸元を飾るネクタイとタイピンとを撫ぜる。
 そして、玄はそれを見逃さなかった。
「ははぁん」
 にまりと緩む玄の目尻に、由代の表情がさらに強張った。
「なんでえ、テメエ。あれか。色っぽい事でもありやがったんか」
 玄の顔に、由代をからかう悪戯めいた色が浮かんだ。だが、しかし。
「まあ、僕もいい年だしねえ。……それはそうと、福笑いなんか、買い取ってもらえるもんなのかなあ」
 由代の表情は、既にいつもと同じ、ゆったりとした余裕めいた微笑みへと立ち戻っていたのだった。
「まあ、こいつァただの福笑いじゃあねえしなあ。曰くつきな代モンだし、あの店主だったら買い取ってくれるだろうさ」
 あいつァ節操ねェからなあ。そう続けてカカカと笑う玄の横顔を、由代は目を輝かせて確かめていた。
「曰くつきな品なのかい?! それはどんな由来のあるものなのかな。早津田君、よかったら僕にも聞かせてくれないか」
「ハン。気に入ったらテメエが買うってのかよ」
 鼻先で笑んでそう返し、カラコロと下駄を鳴らして古書店へ向かう道の角を折れる。
 由代は玄が告げる『曰く』話に興味津々といった面持ちであったが、角を折れた次の時には、新たな現象への興味で益々その表情を緩めていた。


 大晦日の夜遅くから降りだした雪は、降雪量こそ多くはなかったものの、尾神家の庭の緑を埋め尽くす程には降り積もっていたらしい。
 尾神七重は、しばらくぼんやりと庭を見やっていたが、やがて思い立ったように立ち上がり、下駄を履いて雪の上へと降り立った。
 溶けかけた雪の上を過ぎる風は、しかし充分すぎる程の冷気をもって七重の頬を撫ぜていく。
 七重はしばし体を震わせて、梅の木の下に積もっていた雪をすくいあげて丸め始めた。
 雪の塊は、段々と雪兎へと変わっていく。
 完成した小さな雪兎に南天の赤い実で目をいれて両手で抱えもち、七重はしばしその兎と視線を交わした。
 物言わぬ雪兎ではあったが、しかし、耳をすませば小さなささやき声が聞こえてきそうな気がする。
 七重は白い息を吐いてふわりと微笑み、雪兎を平らな雪の上へと置いて、再び新しい雪をすくいあげた。
「今、きみの仲間と逢わせてあげるからね」
 そう述べて、こちらを見上げている兎の赤い目に頬を緩める。
 手袋をつけていない手はひどく冷えていたが、構うことなく、兎の数はどんどん増えていくのだった。
 
 風が、さわさわと七重の耳をくすぐった。
 その音が兎達のものであるような気がして、七重はふと目を細めて微笑みを浮かべる。
 さわさわと、風が耳を撫ぜて過ぎる。
 次の時には、七重の姿は尾神家の庭先ではなく、通い慣れた場所――薄闇に包まれた、妖怪達の世界の内にあったのだった。
 七重はしばし驚愕した後に、その視線をゆっくりと下げて、手の中の小さな――いくつも作ってきた雪兎の中でも、今しがた出来たばかりのそれは一際小さなものだった――兎の、赤い目を覗き見る。
「……四つ辻に来ちゃったみたいだ」
 そうささやいて、耳をくすぐる風の、夜の色濃いその感触に意識を寄せる。
 遠く近く、鈴の音がした。
「立藤さんがいる」
 ふわりと言い残すと、七重はその足をゆっくりと進めた。
 

「ああ、見たまえ、早津田君! あれは百々目鬼ではないだろうか?! ああ、そうだとも。ほら、腕に鳥目がいくつもあるだろう?!」
 興奮気味に顔を紅潮させた由代が、隣を歩く玄の和装の袖をぐいと引いた。
 玄はといえば、和装の襟から片腕を出し、それであごひげをボサボサと撫でまわしながら不機嫌も露わに下駄を鳴らしている。
「俺ァ神田の古本屋を目指していたのよ。それが、ンなワケのわかんねえ場所に出くわすたァ……」
 そうぼやいて由代を一瞥するが、由代は一向に耳を貸そうとしない。それどころか、辺りを包む薄闇の中に、今にも消え入っていきそうな勢いだ。
「あの老人はぬらりひょんではなかろうか?! 知っているかい、早津田君! ぬらりひょんは妖怪の総大将だとも言われているのだよ!」
「知るかってんだ。あぁー、やっぱりあれだ。年明け早々テメエなんざに出くわしちまったのが俺の運の尽きよ。ゲンが悪ぃったらありゃしねえ」
「ああ、ほら、見たまえ、早津田君。向こう側からまた」
 必要以上にはしゃいでいる由代の耳には、玄のボヤキなど届きそうにはない。
 玄は大袈裟なため息をひとつ吐いた。


 鈴の音に惹かれて歩いて行くと、ふわりと花の香が鼻先をくすぐった。
 薄闇の中に現れた花魁姿の女を見つけ、七重はしばし小走り気味に足を進める。
「立藤さん」
 そう声をかけると、花魁はゆっくりと振り向き、その目に七重を映すとすぐに、花が開くような笑みを浮かべてうなずいた。
「坊」
 振り向き、藤色の裾をはらりと舞わせてからりころりと下駄を鳴らす。
「それ、雪兎でありんしょう? ああ、手がこなに冷えて」
 七重の前で足をとめた立藤は、そう述べると雪兎を持ったままの七重の手を覆って目を細ませた。
 立藤の、細く白い指が自分の手をゆったりと撫ぜるのを見やり、七重の耳が真紅に染まった。
「雪が降ったんです」
 慌てて返した七重に、立藤は緩やかな笑みをのせてうなずいた。
「僕の家の庭に、思いがけず結構積もったんです。それで、僕、雪兎を」
「坊の髪のように綺麗で愛らしい毛艶でありんすねえ」
 小さな笑みを浮かべてそう述べると、立藤は留めていた足を再びゆったりと動かして、七重を手招いた。
「兎の愛らしいのは結構でありんすが、坊が身体を崩しても難でありんしょう。あたたかな甘酒でも飲みに行きんしょう」
「甘酒、ですか……? あの、どこで」
 訊ねると、立藤は答える代わりについと指を持ち上げて、薄闇の向こうを示してみせた。
「少ぉしばかり、歩きんす」


 妖怪達に気をとられ、その後を追うようにして歩みを進めてみれば、目の前に現れたのは四つの大路がぶつかる辻の、そのすぐ傍らに建つあばら家だった。
 薄闇を照らすためだろうか。妖怪達はそのほとんどが提灯を手に持ち、陽気に唄など歌いつつ、そのあばら家の中へと入り、あるいは出てきたりしているらしい。
「四つ辻か」
 吐き捨てるように述べた玄の言葉を、由代が深くうなずいて受け止める。
「辻は彼岸と此岸を結ぶ場であるとされている。だから地蔵などは辻の要所に置かれ、その場が崩れないよう、護っているのだとされるね」
「ンな御託ァどうでもいい。して、どうすんだ、由代。このボロ屋に入ってみんのか、みねえのか」
 そう訊ねながら隣に立つ由代へと目を送る。
 由代の目は、まるで宝物を前にした子供のように、文字通り光り輝いていた。
 玄は小さくかぶりを振って、やれやれとため息をこぼす。
「俺ぁ知らねぇぞ。面倒事になったらテメエがどうにかすんだろうな」
「大丈夫だよ、早津田君。ここまで逢ってきたどの妖怪も、皆が人懐こい、気の善い連中ばかりだったじゃないか。恐らく、この場所は厄介な存在はいないという事だと思」
 穏やかな笑みを浮かべてあばら家の引き戸に手をかけた由代だったが、その時、ふと、玄の後方に視線を向けてはたりと口を閉ざした。
「なんでェ、面倒なヤツでもいたかよ」
 そう返して肩越しに振り向いた玄の目に、花魁を伴った少年の姿が映りこむ。
「――――ガキだァ?」
「いや、彼は尾神君というんだよ、早津田君」
 訝しげに眉根を寄せる玄の言葉にかぶりを振って、由代は引き戸にかけた手を離して軽く持ち上げた。
「おーい、尾神君! キミもこの世界に迷い込んでいたのかね?」
 
 名を呼ばれた七重は、立藤から唄を習っていたところだった。
「今年より千度迎ふる春ごとにぃ」
 からりころりと下駄を鳴らしつつ、立藤は鈴の音のような声で唄を歌う。
 七重はそれに合わせて手を打ちながら、ふと、自分の名を呼ぶ聞き慣れた声に気がついた。
「……由代さん?」
 そう呟くと、横で唄っていた立藤がはたりと足を留めて七重の視線の先を追った。
「お知り合いでありんすか?」
「たびたびお世話していただいてます。……でも、もう一人のあの方は」
 七重の紅い目が真っ直ぐに玄を捉える。
「なんでえ、ガキのくせにえらい別嬪を連れてやがる。オメエのコレとどっちが別嬪なんだ? ああん?」
 襟から出した手で小指を立てて薄ら笑む玄を尻目に、由代は小走り気味に七重の傍へと近寄った。
「尾神君、すごい偶然だね。キミもこの場所にいるとは、さすがに思いもしなかったよ」
「ええ、僕も、お会い出来るとは……あの、あちらの方は、もしかしたら」
「ああ、彼は早津田君。僕の古い友人だ」
「早津田さん……あの、もしかしたらあの”早津田”さんですか?」
 玄の苗字を聞き、しばし目を見開いた七重に、由代はゆったりとしたうなずきを返して玄を手招いた。
「尾神君は『呪医』である早津田君の名を耳にした事があるのかな? まあ、その筋では名の知られた人間だしね……ああ、早津田君、こちらは尾神七重君。僕の友人だ」
 目の前に現れた玄に向け、七重はぺこりと頭を下げる。その慣れた所作に、玄はふと目を細めて軽い会釈を返した。
「ボウズ、オメエ、またえらい別嬪さんと一緒だなァ。知り合いかよ?」
 七重の隣の立藤に目を向けて、玄はあごひげをさわりと撫でる。
「立藤と申しんす」
 玄の視線を受け、立藤はしゃなりと首を傾げた。
「立ち話も結構でありんすが、坊、早ぅ茶屋の中へ入りなんし」
「あ、はい。……あの、でも、」
 立藤に促されて目の前のあばら家を確かめる。それから、七重は自分の手の中の雪兎へと目を落とした。
「雪兎かい?」
 由代もまた雪兎を確かめる。
 立藤がふわりと微笑んだ。
「坊が望めば、雪兎は今ひととき息づく事も覚えましょう。茶屋の中へとお持ちになりなんし」
「面倒くせェ、開けるぞ」
 玄が、何の前触れもなしに引き戸を開けた。


「ははぁ、なるほど。それで皆さんお揃いで」
 
 茶屋と称されるあばら家の中に入った四人を出迎えたのは、客人と思しき妖怪達と、それを歓待しているひとりの和装の男であった。
 和装の男は四人をひとつのテーブルへと案内すると、茶の入った湯呑を四つ、それぞれの前へと置いた。
「立藤がここへ来るとは、珍しいこともあるもんですねえ」
 立藤を見やり、男はやわらかな微笑みを浮かべる。
「お久しゅう」
 しゃなりとした笑みを返すと、立藤は七重に、兎をテーブルの上にのせるようにと促した。
「こちらの方は立藤と顔見知りらしいですが、あとのお二方は恐らく四つ辻に来るのも初めてでしょうね」
 茶請けに羊羹を差し出して、和装の男は眼鏡の奥の目を緩ませる。
「全く、俺ぁこいつを古本屋に持っていく途中だったのよ。正月早々こいつとはち逢ったのが運の尽きよ」
 そう毒づいて、玄は羊羹をひとつ口に運んだ。
「ご縁があったって事でしょう。で、その袋の中には何が入ってるんで?」
 腕組みの姿勢で微笑みながら、男は玄の言葉にうなずいた。
「ああ、そうだ。僕も見てみたかったんだよ」
 興味深げに茶屋の中を一望していた由代が、玄と男のやり取りを耳にして姿勢を正す。
 七重は兎をテーブルの上に置いて、やはり同様に玄の手元を確かめた。
「こいつァ、福笑いだ」
「福笑いですか」
 スーパーの袋から出されたのは、見れば、確かに福笑いの一式だった。ただし、かなり年季の入ったものであるらしいことが一目で分かる。
「キミの家の蔵にあったものなのかい」
「暮れの大掃除ん時に出てきやがったのよ」
「曰くつきのものなのかい?」
 由代の目に光が宿る。それは、好奇心ゆえの輝きだ。
「いつ頃の事かは知らねェが、昔、悪さを重ねた鬼をこいつに封じこめたんだとよ。そんで、こいつでガキなんかに遊ばれて、ヘンなツラだと指差されて笑われる。それが鬼が背負った懲らしめなんだと」
「鬼、ですか……」 
 玄の説明を聞いて、七重がしげしげと福笑いを見つめる。
「そんなモンもあるんですねえ」
 男がやんわりとした笑みを浮かべた。
「そうだ。せっかくですし、試してみたらどうです? 現世じゃあ、今日は元日でしょうし」
「現世? それじゃあここはやはり東京とは異なる位置にあるのだね」
 男の言葉に再び由代の目が輝いた。
「んな事ァ、今さら確かめるまでもねェだろう。由代、おめえちょっとやってみろ」
「はあ? 僕が?」
 光を帯びた由代の目が、ふと、思案の色を浮かべた。が、次の時には、
「うん、面白そうだね。やってみよう」
 微笑みを浮かべて快諾したのだった。

 目隠しには、男――侘助と名乗った――が袖を捲り上げるための、幅の広い布紐が使われた。
 由代が福笑いを始めると、茶屋の中にいた妖怪達がその周りを取り囲み、やいのやいのと野次やらゲキを飛ばしはじめた。
「おめえに目隠しの意味はねえだろうがなあ」
 あごを撫でながら笑う玄に、由代はふとかぶりを振る。
「いや、これがなかなか……紙が特殊なのかな……勘が働かないんだよ」
 そう述べつつ、最後のパーツである口を置く。
 由代が目隠しから解放されたのと同時、笑いがどっと巻き起こる。
 完成した福笑いの顔を確かめて、由代は穏やかな笑みを浮かべて頭を掻いた。
 鼻はどうにか真ん中ほどに置かれてあるが、口は顔からはみ出ているし、左目にいたっては縦置きになっている。
「ああ、やっぱり変な顔になってしまったね」
 やんわりとした口調でそう述べた瞬間、どこからか、小さな地鳴りのような音が響き渡った。
 ごうごうと鳴るその音を聞き、しかし、由代は穏やかな笑みを崩すことなく言葉を続ける。
「せっかくかび臭い場所から出てこれたのに、気の毒だね」
 妖怪達から笑いが起きた。
 玄は福笑いを回収すると、今度は七重の前へと突き出した。
「おい、小僧。今度はおまえがやってみろ」
 にやりと笑う玄の言葉に、七重はしばしの躊躇を見せてから手を伸べる。
「分かりました、やってみます」

 ごうごうと鳴る地鳴りの音は、遠く近くなりながらもまだ続いている。
 その音に耳を傾けながら、七重はすうと深呼吸をひとつ。
「坊、しっかり」
 脇で立藤の声がして、七重は小さくうなずいた。
 意識を福笑いへと寄せる。と、茫洋とではあるが、今自分が向き合っている福笑いのそれぞれの位置が見えたような気がした。
 両目、鼻、口。次々と、迷い無く置かれていくそれを、周りの妖怪達までもが固唾を呑んで見守っている。
 そして程なく完成された福笑いを前に、七重は目隠しから解放された。
 ごうごうという音は茶屋の中いっぱいに広がり、やがてそれは大きな泣き声へと変わっていった。そして、次の瞬間にはその声の主がどうと大きな音を響かせて姿を現した。
「……鬼」
 七重はぼうやりと呟いて、目の前に立った鬼の姿を確かめる。それは決して赤だの青だのな姿をしているわけではなかったが、大きな体躯と迫力のある顔で、充分たる威圧感を漂わせていた。
「泣いていんすね」
 七重の背中に隠れるように身をひそめ、立藤がゆらりとそう述べる。
 鬼は、ごうごうと泣くばかり。
「……この鬼、自分の罪をもう思い知ったのでは」
「そのようだね。……さて、どうしようか」
 由代がゆったりとうなずき、玄は言葉もなく事態を見守っている。
 七重はしばし思案顔で鬼を見やり、その後にテーブルの上の雪兎へと目を向けた。
 兎は溶けることもなくその場で七重を見上げている。
 鬼は、ごうごうと泣いてばかり。
「……分かりました。昨年末に見つかり、今こうして僕があなたを解放したのも何かの縁でしょう。自分の罪を悔いていらっしゃる様子ですし、もう放免という事ではどうでしょう」
 
 七重の言葉もあり、鬼はその後福笑いに戻されることもなく四つ辻の薄闇の中へと消えていった。
 七重は玄と由代、立藤と共に彼の姿を見送って、そして小さな息を吐いた。
「戻りましょう、立藤さん。……僕、温かい飲み物がほしいです」
「そうだな。まあ、せっかくだしな。燗でもひとつ貰うことにしようや」
「そうだ。僕、彼らに話を聞かせてもらわないと! こんな機会、滅多に訪れるものでもないだろうしね」
 身体をさすりながら茶屋の中へと戻っていった玄と、うきうきと微笑みながらその後を追う由代に、七重はふと一瞥を送る。
「坊、甘酒でも貰いんしょう」
 立藤が七重の手をとって首を傾げた。
 七重は、今しがた鬼が消えていったその場所をもう一度確かめてから、小さく、しかししっかりとうなずいた。

 一風変わった出だしのこの年明けは、まだまだ賑やかな時間で包まれる事になりそうだ。 
 



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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【2557 / 尾神・七重 / 男性 / 14歳 / 中学生】
【2839 / 城ヶ崎・由代 / 男性 / 42歳 / 魔術師】
【5430 / 早津田・玄 / 男性 / 43歳 / 呪医(じゅい)】

NPC:立藤、侘助

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         ライター通信          
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お待たせいたしました。このたびはゲームノベルへのご参加、ありがとうございます。
お三方ともこれまで何度も書かせていただいた方なので、今回も非常に書きやすく、そして楽しく書かせていただけました。

福笑いに封じられていた鬼の解放という、とても楽しいシチュエーション。皆さんのプレイングを拝見して、思わずうなってしまいました。
ご期待にそえたものになっていればと思います。

玄さま、由代さまにとっては初の四つ辻となりましたが、お楽しみいただけましたでしょうか。
また機会がありましたら、お足を向けていただけましたら幸いです。
七重さま、いつも立藤を構ってくださり、ありがとうございます。またよろしければ遊びにいらしてください。

それでは、少しでもお楽しみいただけていればと願いつつ。