■藤里色紙和歌■
エム・リー |
【4584】【高峯・燎】【銀職人・ショップオーナー】 |
街中を外れ、電車とバスとで揺られる事、数時間。
そこには見事な藤棚が咲く事で知られる場所があるのです。
この度、その藤を愛でつつ茶会でも開こうじゃないかという運びとなりました。
しかし、ただの茶会では些かつまらないものもございましょう。
そこで、この度の茶会では、皆様に平安朝の貴族方の装束を纏っていただき、雅やかに百人一首でも楽しもうという運びとなったのです。
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ゆく年くる年2005-2006
「これをわっちにでありんすか?」
「ええ。もちろん、お気に召していただけましたらで結構なのですが」
弧呂丸は目の前にいる花魁姿の女――立藤を見つめて微笑みを浮かべた。
それは、一目で上等なものだと分かる、花魁の押絵のなされた羽子板だった。
立藤は弧呂丸が差し出した羽子板を受け取ると、物珍しげに目を輝かせ、しげしげと見入っている。
「見立て物、でありんすか?」
「私の祖父が職人から頂いたものらしく、相応に年季の入ったものですので、私も詳しくは分からないのですが……絵の特長から判別するに、立藤さんの仰る通り”見立て物”であると思われます」
弧呂丸の返答に満足げにうなずくと、立藤は嬉しそうに頬を緩めて弧呂丸の顔を覗きこむ。弧呂丸は立藤の視線を受けて微笑むと、手近にあった木製の長椅子の上に腰掛けた。
「家の蔵に眠っていたものを、昨年末の大掃除の際、偶然見つけ出したのです。貴方のような美しい方にお持ち頂き、飾っていただけた方が、蔵の中で眠っているだけよりも、羽子板も喜んでくれるような気がしますし。ご迷惑でなければ貰っていただけませんか?」
「わっちは羽子板はやりんせんが、こなに素敵なものならば、ぜひに頂きたいと思いんす」
弧呂丸の笑みに応じるように、立藤もまたふわりと微笑みを浮かべる。
年もあけた元日の朝。
大晦日の夜から降りだした雪は高峯の屋敷の周りをぼうやりと白く染める程度でおさまった。
立藤は、現代の風景の中では珍しい存在として数えられる花魁の姿をした女だ。彼女が日頃どこに住み、どのような暮らしをしているのか、弧呂丸は何ひとつとして詳しくを知らない。ただ、彼女の本性が人間とは異なる存在であろう事だけは、揺るぎない事実であると理解出来ていた。
積もった雪を楽しもうと外に踏み出した弧呂丸の前に、なんの前触れもなく、立藤が立っていた。
弧呂丸は、しかしさほど驚きもせず、彼女にくだんの羽子板を差し伸べたのだった。
美しい花魁の押絵のなされた、見事に艶やかな羽子板を。
そしてその美しい羽子板と共に現れた、もう一対の羽子板を、弧呂丸は丁寧に風呂敷の中に包み込んでいた。
「して、ぬし様が抱えておられるその包みは何でありんすか?」
羽子板の細工を喜色満面で確かめていた立藤が、興味津々といった面持ちで弧呂丸が抱え持っている風呂敷包みを指差した。
弧呂丸は立藤の言葉にしばしの戸惑いを見せた後、かたく縛ってあった風呂敷の結び目を静かにゆっくりと解き始める。
「これは、その羽子板と一緒に見つかったものなのですが」
「それも羽子板でありんすか?」
「ええ。……ただし、こちらは」
うなずき、風呂敷を開く。
中におさまっていた一対の羽子板を確かめた立藤が小さな悲鳴にも似た声を漏らしたのは、そのすぐ後だった。
弧呂丸は立藤を気遣うようにして羽子板を再び風呂敷で覆い隠し、ついと両目を細め、どこか儚げに――申し訳なさげに微笑んだ。
「驚かせてしまって申し訳ありません。……こちらの羽子板もとても珍しいものでしたので、ぜひ立藤さんにもお見せしたく思いまして……」
弱々しく笑ってそう述べる弧呂丸に、立藤はしばしの後にかぶりを振る。
「曰くつきの品でありんすか?」
「ええ」
うなずき、再びさらりと覆いを外す。
現れたのは、先ほどの花魁の羽子板とはまるで違う、恐ろしい形相の鬼や化生の押絵がなされた羽子板だった。それもひとつの羽子板に複数の姿が押されてあり、どの顔も今にも恨み言や彷徨を吠え出しそうな、そんな表情を浮かべているのだ。
「これは、高峯家の先代の呪禁師たちが倒した異形たちが封じ込められた、とても特殊な羽子板なのです」
恐ろしい形相の押絵に見入る立藤にささやくように、弧呂丸はぽつりと一言そう漏らした。
「恐ろしいものでありんすね」
弧呂丸の呟きに、立藤の眼がゆらりと弓月の形を描き出す。
弧呂丸は立藤の顔にじわりと滲むその笑みを横目に確かめて、しばし、小さな息を吐いた。そして
「この羽子板で羽根突きをし、負けた方がどうなるか……興味はありませんか?」
いつものように穏やかな笑みを浮かべ、首を傾げてそう問いた。
立藤は、先ほど見せた驚きなどすっかり忘れてしまったかのように、再び興味津々といった面持ちでうなずいた。
「どうなるのでありんすか?」
「――ご覧になってみたいですか?」
弧呂丸の微笑みが、心なしか悪戯めいたものへと変わる。
立藤がうなずくと、弧呂丸はすぐさま携帯電話を取り出した。
「――そんで? なんで俺がここに呼び出されたのか、いまいち理解できねえんだが」
さほどに時間をかける事なく姿を見せたのは、弧呂丸の兄である燎だった。燎は面倒くさげに頭を掻きまわすと、初めて目の当たりにする花魁の姿に視線を向けた。
「……おまえにこんな知り合いがいるとは知らなかったな」
そうごちて、立藤の頭からつま先までを確かめる。
立藤はしゃなりとした所作で燎に笑みを向けると、先ほどまで弧呂丸が座っていた長椅子の上に腰を下ろした。
「花魁は、確か初会では話もしてくれねえとかなんとか聞いたが……ありゃあ本当の事だったのか」
感心したようにうなずく燎に、立藤が鈴の鳴るような音色で言葉を返す。
「ここは廓ではありんせん」
そう答え、ふわりと頬を緩める。
「え、ああ、そうだよな」
頬を掻きつつ目をしばたかせている燎の名を、その時不意に弧呂丸の声が呼び招いた。
「燎、おまえは私が何度同じことを口にしたところで一向に守ろうとしない」
冷ややかな口調でそう述べる弟を、燎は片眉を跳ね上げて睨みつけた。
「ハア? 知ったことじゃねえっつの。だいいち、コロ助、てめえ、正月早々こんなとこに呼び出しやがって。俺だって予定のひとつやふた」
不機嫌を露わにしている燎に、しかし弧呂丸は微塵も動じる事なく、鬼の押絵の羽子板を放りやった。
「去年の雪辱を晴らしたいだろう? 私に勝てたら今月の店の売り上げを競馬に全て注ぎ込んでもいい」
ぴしゃりと断じるようにそう告げた弧呂丸に、燎はしばしの間眉根を寄せた訝しげな視線を寄せる。
そして
「羽子板勝負ってわけだな。ああ、いいぜ、コロ助。運動神経の無ぇテメエを見る影もなく叩き潰してやらあ。別嬪の前で大恥かくがいいさ」
羽子板を持ち替えた燎の表情は、いつしか薄ら笑んだものへと変わっていたのだった。
「ああ、そうだ、断っておくが。燎、おまえは自分が今手にしているその板が持つ曰くを知っているか?」
「ああ? 知るか、ンなもん」
羽を持ち、アンダーハンドサーブの型をとりながら、弧呂丸はやけに神妙な面持ちで燎の顔を見捉えた。
「やはりそうか……」
返された言葉に大きなため息を吐く弧呂丸の横で、立藤がふわりと首を傾げる。
「どんな事情がおありなのでありんしょう?」
訊ねた立藤に、弧呂丸は穏やかな微笑みを向けて羽を突く。羽は空高くあがり、雪を降らせた名残を思わせる曇り空に溶け込むようにして色を失った。
「この羽が地面につくと、落とした方が手にしている板の封印が解かれ、封じられていた妖が襲い掛かってくるのですよ」
羽の行く先を眺めて目を細めてしみじみと告げた弧呂丸の言葉に、燎が驚愕の表情を満面に浮かべる。
「おま、ちょ、そういうのは始める前に言えっつの!」
乱雑に、雪の残りを踏みつける。
羽は灰色の空から、思いがけず燎の顔の真上へと現れた。燎は、しかしさほど慌てる事もなくそれを弧呂丸へとつき返す。
「そんじゃあ、あれだな。俺がおまえを負かせば、金は好きに使えるわ、おまえの泣きっ面が見れるわで、俺にとっては万々歳ってわけだよな」
腕を回しながらにやりと笑う燎に、弧呂丸は事もなげに頬を緩めた。
「私を負かせばの話だがな」
さらりとそう述べて、戻ってきた羽を再び空へと押し戻す。
雪は大分溶けかけているとはいえ、その上を吹き流れる風は見事なまでに冷え切っている。
しかし、小一時間、互いの意地とプライドとを賭けた羽根突きは、一度の失敗もなく続いた。
見様によっては「素晴らしく息の合った」ものだと思えなくもないこの試合を前に、立藤は飽きもせずに目を輝かせている。
「どちらかが落とせば、妖が現れるのでありんすよねえ。……恐ろしいことでありんす」
そう云いつつも、浮かべるその微笑は余裕めいて艶然としている。
吐き出す息は白く、流れる風は灰色の雲を押し流して過ぎていく。
やがて、雪雲がその名残の全てを押し流された頃、息があがっていたのは、威勢よく羽を突いていた燎の方だった。
相手は、自分よりも体も小さい。どう見ても運動神経も鈍そうに見える(はずだ)。さらに、これに勝てば――そう、ただ一度、巧い具合に羽をどうにか落とさせれば、それだけで勝利は決するというのだ。
燎は小さな舌打ちをつき、最後の勝負といわんばかりに、全身の力をこめて羽を突いた。
「――――っあ……!」
案の定、それを受けた弧呂丸は、ゆらりと体勢を崩した後に、よろよろと、弱々しい手つきで羽を突き返してきた。
「っは! これで終わりだなぁ!」
燎の顔に勝利を確信した笑みが浮かんだ。
高く笑い、羽子板を大きく振りかぶる。
恐らくは、これが最後の突きとなるだろう。燎は突き返すべき羽の行方を目で追いかけた。
だが、その時。
笑んだのは、無様に転げ、羽を地面に落としてしまっているはずの弧呂丸の方だった。
「そうだな、燎。――確かにこれで終わりだ」
羽は、高峯家の外壁にかつんとぶつかった。
「あ」
呟いたのは、燎であったのか、あるいは立藤であったのか。
次の時には、燎の体は壁に激突し、大きな振動を響かせていた。
雪解けの上を撫でる風が燎の青く染められた頭髪を掻き撫でる。
羽は、ふよふよと、ゆっくりと、地面に落ちていった。
ごうごうと風が唸りをあげる。
去ったはずの厚い雲に代わり空を埋め尽くすのは渦を巻く暗黒色の雲。
その雲が、燎の前に漆黒色の影をぬらりと放つ。
ごうごうと唸り声をあげたのは、風でなく、恐ろしい形相で牙を剥く鬼であった。
「あ――――あぁ! この、クソ、コロ助、てめえ、ハメやがったな!」
燎の怒声が鬼の叫びにあいまってとどろく。
しかし、それを受ける弧呂丸は、少しも揺らぐ事なく悠然たる微笑みで立藤に向かうのだった。
「さあ、家の中へどうぞ。温かい飲み物でもご用意いたしましょう」
「あちらの方は?」
「え? ああ、燎はひとりでもどうにか出来るでしょう。そこまで落ちぶれてはいないはずですから」
微笑み、燎を一瞥する。
「くそォォ! コロ助、てめえ、覚えてやがれ!」
燎の怒声を背中に、弧呂丸は立藤を家の中へと招き入れた。
「そうですね、縁側からでもここをご覧いただけますし……新年の余興としては、いささかつまらないものでしたでしょうか?」
「ふぅふ。ではぬし様の言葉に甘えることにいたしんしょう」
のんびりと、穏やかに言葉を交わすふたりを、燎は怒声と共に見送るのだった。
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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【4583 / 高峯・弧呂丸 / 男性 / 23歳 / 呪禁師】
【4584 / 高峯・燎 / 男性 / 23歳 / 銀職人・ショップオーナー】
NPC:立藤
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ライター通信
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お世話様です。そしてお待たせいたしました。
このたびはお正月ゲーノベへのご参加、まことにありがとうございましたv
羽子板から解放された妖と戦うというシチュエーション。書き手としましても、とても楽しませていただきました。
自分では思いつかないようなものをこのように書かせていただけるのは、やはり勉強にもなりますね。
ノベルには反映させていませんが、羽根突きに公式試合があるというのも初めて知りました。ちょっと驚きました(笑)。
今回のこのノベルが、おふたりに少しでもお楽しみいただけていれば幸いです。
それでは、また機会がありましたらお声などいただければと願いつつ。
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