■深き谷に住まう賢者■ |
緒方 智 |
【2919】【アレスディア・ヴォルフリート】【ルーンアームナイト】 |
銀の光が石造りの一室を照らし、瞬時に消え失せる。
空中に浮かんできた一振りの剣が白い大理石の台の上に舞い降りる。
蒼い宝玉を抱いた竜をあしらった柄。
油が零れ落ちそうな光沢を放つ刃。光の当たり具合によって、そこには不可思議な文様が浮かび上がる。
その出来を確かめ、レディ・レムは小さく安堵の息をこぼす。
が、すぐに険しいものへと変わる。
確かに剣は完成はした。けれど、これでは不完全な代物のまま。
ただの武器としては充分なものだが、それだけではいけないのだ。
この剣を完全なものにするために、決定的に足りないもの。
それを手に入れなくてはならないが、自分が動くわけにいかない。
ぎりっ、と唇を噛むとレディ・レムは地下室を後にした。
「ミーミルの谷はご存知かしらね?そこに知り合いが住んでる。彼からある霊薬をもらってきて欲しい。」
いつになく険しい表情のレディ・レムに言い知れぬ不安を覚える。
ミーミルの谷。
エルザードの東にあると言われる幻の場所であり、聖域とも呼ばれる谷。
名前だけは聞いたことがあるが、そこは谷に住む賢者達に認められた者しか入ることができないと言われていた。
「谷に入る方法は教える。できるだけ急いで欲しい。」
真剣なレムの眼差しが事態を告げていた。
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深き谷に住まう賢者〜霧に蠢く人形使い
霧深い静かな森に不釣合いな喧騒が響く。
閃く炎と雷と魔物の咆哮に鮮やかな朱が重なる。
すでに何体もの魔物が倒れ伏し、荒く肩で息をつきながら三人は背中合わせに隙なく辺りを見渡した。
今までの出来事が嘘のようにしんと静まり返り、禍々しいまでの気配は感じられず、ほっと息をついた瞬間。
バサバサッと何かが木々の枝を揺らし、淡い乳白色に染め上げられた空へと舞い上がっていく。
一瞬、びくりと彼らは身体を震わせるが、それがここに住む野生の鳥だと分かるとようやく人心地つけた。
執拗だった敵意の眼差しはもう感じられない。
だが、油断はできなかった。
目的地・ミーミルの谷にたどり着くまでは決して気を抜くな、と彼女・レディ・レムに念を押されていた。
穏やかな昼下がりの白山羊亭。
昼食ということも手伝って、いつも以上の繁盛ぶりを見せていた店内はその客の登場で静まり返る。
人目を忍ぶように白いフードをかぶった見慣れない客に常連客のみならず店員達も緊張を走らせた。
が、その下から現れた顔を見て霧散する。
エルザードから程近い森に住むレディ・レム。最近、この店の常連客に名を連ねた魔道彫金師。
流れるような銀髪と深い緑の瞳を持つ知的な女性だが、顔に見合わずけっこう過激なところがあり、人を驚かしたりもする。
なので、今回もそのパターンだろうと受け取られ、皆それぞれの会話を再開させ始めていた。
相変わらずの常連客を無視して、レムはカウンターに座る店主の下に急ぐ。
「よう、レムじゃねーか!」
「レディ・レム様?」
「レム殿か?久しいですな!」
とにかく時間がないと焦るレムを聞きなれた声が呼び止める。
振り向くと、見知った3人の顔があった。
「オーマ、ノエミ、アレスディア……」
予想もしなかったのか驚愕に彩られるレム。
珍しい彼女の表情にオーマは面白そうに笑うが、ノエミとアレスディアは不信そうに眉を寄せたが、気を取り直してノエミはレムに微笑みかけた。
「お久しぶりです、お元気でしたか?」
「ああ……ノエミも元気そうで何よりね。」
「何かあったのか?レム殿。」
何時になく歯切れの悪いレムにアレスディアは一層不信なものを抱く。
常に動ぜず、冷静な彼女に何か焦りを感じる。
オーマもそれに気付いたのか、黙ったままじっと彼女を見据えていた。
4人の間に一瞬の沈黙が流れる。
が、ふいにレムが鋭い光を瞳に走らせ―やがて諦めたように小さく肩を落とした。
「急ぎの依頼がある……引き受けてくれるかな?」
紡ぎだされた言葉の重さに3人は思わず息を飲んだ。
ミーミルの谷に住む知り合いから霊薬を持ってくる。
単純な依頼にオーマはどっかりと椅子に背を預け、レムを見た。
「彫金して作ったのか?なら、それで良いんじゃねーか。」
作り出した剣に魔力を入れる為、と言われたが、納得がいかなかった。
名うての魔道彫金師であるレムが彫金を施したなら、並みの剣は足元にも及ばない魔法剣になる。
わざわざ霊薬を使う必要なんてないはず。
オーマの疑問はもっともだっただが、そうはいかない事情があったから頼んでいるのだ。
だから、切羽詰まっているのか、とアレスディアは思ったがあえて口にはしなかった。
なんとなく憚られた。
「それだけじゃ不完全だから、霊薬が必要になるのよ。」
「えっ、剣を完全なものにするため、霊薬が必要と? 」
氷を思わせる微笑を張り付かせるレムの言葉にノエミは驚いたように問いかける。
小さくうなずくレムから発せられた次の台詞に3人の表情が一様に険しくなった。
「そう……けど、それを快く思わない輩がいるみたいでね。ここに来るだけでかなりの妨害を受けた。」
「ということは……」
「間違いなく妨害してくるわね。」
あっさりと断言するレムにオーマは思いっきり顔をしかめる。
レムに剣を作り出されると困るようなことをしているのだ。
かなり悪質な連中に間違いはない。
「谷に向かえばいいのですね。レム様。」
「……かなり危険な仕事だ。それでもいいのか?」
考え込むオーマに代わって尋ねてくるノエミにレムは念を押す。
奴の目論見を阻止するためにも、剣の完成を急がせなくてはならないが、そのために彼らを危険にさらすのは本意ではない。
全てを承知の上で引き受けてくれるのか、と問いかける。
「事情があるのだろう?私は構わない。」
「俺もだ。早いとこ剣を完成させねーとな。」
「私もです。」
うなずく彼らにレムは心から感謝した。
「まずはひと段落ってことだな……あとは何事もなく行けばいいな。」
「うむ。だが、レム殿の様子、ただ事ではないようだったが……」
「しかし…妨害を受けるのは避けられないでしょう。皆様との連携を大事にしなければ…」
楽観的な希望を口にするオーマにアレスディアは同意しながらも、重いモノがぬぐえない。
何事もなく進めばいいが、実際エルザードを旅立った直後から執拗な魔物の攻撃を受けたのだ。
殿を務めているアレスディア、ミニ獅子で上空から敵の動きを探っているオーマ、幾多の魔法を駆使して案内盤を守るノエミ。
それぞれに疲労の色が見える。
これ以上の妨害がないことを願いたいがそういう訳にいかないのも分かっている。
「分かってるって、騎士様。」
気が緩まないよう、あえて警戒を口にするノエミにオーマはおどけるように肩を竦めた。
「そうだな。まずは霊薬を持ち帰ることが先決だ。気を引き締めていこう。」
「ええ。」
口元に微笑を浮かべるアレスディアに疲れも見せずにノエミはうなずいた。
と、ざわりと木々の間で何かが蠢く。
瞬時に顔を上げ、皆、武器を構えたと同時に耳元でごうっと風が鳴り、薄いベールのような細かい水が
駆け抜ける。
つい先刻まではっきりとしていた視界が乳白色の霧に奪われ、隣にいたはずの仲間の気配すら感じられない。
突き刺すような殺意と敵意が身体を射抜く。
気配をたどりながら、攻撃に備えた。
金色に染め上げられた何かがノエミに襲い掛かり、思わず叫ぶが、霧の中から数体の魔物が飛び出し、それをかわすので手一杯になる。
乳白色の深い霧があっという間に二人の姿を覆い隠し、分断されたことに気付く。
小さく低いうなり声を立てながら、周りを取り囲む死霊犬・ガルムたち。
ぐるぐると円を書きながら、アレスディアに牙を向けてくる。
その攻撃をかわし、剣で応戦しながらもアレスディアは敵である魔物に自我がないことに気付いていた。
自らの意思ではなく戦いに挑まされる姿が哀れに思えた。
その牙と爪をかわすと、アレスディアは剣を振るって追い払う。
「……私は、不殺を誓えるほどに強くも、優しくもない。故に、どうしてもというのならば仕方ない。すまぬが、倒させていただく」
払われてもなお攻撃してくるガルムに哀れみの眼差しを向け、一礼し、剣を振るった。
剣舞とも言えそうなアレスディアの華麗な動きにその様子を窺っていた黒フードの男はぎりっと歯軋りした。
奴らから案内盤を奪い、谷に行かせるな、という依頼。
法外な報酬に惹かれて引き受けたが、予想以上に奴らが手ごわく、手駒としてもらった魔物の大半が既にやられている。
最後の手段として、霧を使い、分断したが、それぞれ個々の能力もずば抜けていたようだ。
この様子だと鞭使いの男やキマイラもやられているはずだ。
逃げた方が得だ、と判断した男は気付かれぬように逃げ出そうとした。
喉元に冷たく輝く刃が突きつけられ、動けなくなる。
「……他を使役し、自身は安全なところで高みの見物、か。……どこへ行く気だ?」
穏やかだが殺気を押し殺した声に男は悲鳴を上げる。
慌ててガルムを呼ぶが、現れない。
混乱する男にアレスディアは冷ややかに事実を突きつけた。
「悪いが、全て倒させてもらった。」
頼りとするものを失ったことに男は恐怖で顔を引き攣らせ、転がっている石や枝を投げつける。
が、アレスディアに効くはずもなく、弾き飛ばされる。
「ゆ……許してくれ!!た、頼まれたんだよ。あんた達から案内盤を奪えって……」
だから、と下卑た笑みを浮かべ許しを請う男にアレスディアは嫌悪を覚え、怒りが心を満たしていく。
「……何かを使役する、それがあなたの戦い方だとは思う。」
本意ではなく操られ倒された魔物が哀れでならない。だからこそ許せなかった。
声音に変わりはなく、それが一層怒りの深さを示す。
「しかし、あなたが使役せねばこの魔物たちは自ら私達を襲うこともなかったかもしれぬ。
私達を襲わねば、傷つくこともなかったかもしれぬ。……何かを率いて戦う以上、覚悟あってのことだろうな。」
腰を抜かし、地べたを這いずって逃げようとする男にアレスディアは最後通告とばかりに言い放った。
「殺しはせぬ。だが、相応の裁きは受けてもらうぞ。」
情けない叫びを上げて、むちゃくちゃに魔法を放ってくる男の攻撃をかわし、アレスディアは剣を振り下ろした。
子供のよう手を振り回し暴れた男はその鋭い一撃を受け、数メートル先の大木まで吹っ飛び、だらしなくも気絶する。
いつの間にか霧は晴れ、すぐそばにオーマとアレスディアの姿があった。
安堵の息が自然とこぼれ落ちる。
案内盤から溢れ出した柔らかな光が彼らを包んだのはその直後であった。
「皆、ご無事で何よりだ。」
人のよさそうな笑顔で語る女性に3人はどう応じればよいのか、少しばかり戸惑う。
光が消え、いきなり目の前に現れたの濃紺に染め上がったローブを纏った―様々な年齢の―数人の男女。
困惑する3人に訳知り顔で声を掛けたのが、今話をしている栗色の髪をした女性だった。
「ようこそ、ミーミルの谷へ。話はレム様から聞いています。こちらへどうぞ。」
軽いが優雅な会釈をする女性に習い、集まっていた谷の住人たちも一斉に頭を垂れる。
丁寧極まりない出迎えに恐縮しつつ、3人は谷の中央に座するオークの大木へと導かれた。
「良くぞ参られた。客人方。」
物語に出てくる賢者そのものともいうべき長く白い髭を生やした老人がにこりと笑うと、左手を軽く振る。
シャボンの玉が弾けるような音とともに虹色に輝く液体を詰めた小瓶が空中に浮かび―音もなく、オーマの手のひらに落ちる。
不思議そうに覗き込む3人に賢者は愉快そうに笑い、右手をかざす。
ぶぅん、と背後で低い音が鳴る。
振り向くと、小瓶の薬と同じ輝きを放つ光の渦が出現していた。
「レムの屋敷に通じておる門じゃ。早いところ霊薬を持って行ってやってくだされ。あやつも気になって仕方がないじゃろう。」
からからと笑う賢者に3人は礼を述べると光の渦に飛び込んだ。
光の渦に飛び込みかけて、アレスディアはふと足を止め、賢者たちを見返した。
「ん?何かおありかな?」
暖かな賢者の言葉にアレスディアの口元が自然と緩む。
深く暖かなこの谷は真に聖域と呼ぶにふさわしく、悪意に満ちた者に踏み込まれたくはないと思った。
「賢者殿、谷の…外の森に我々を襲った無頼の輩がおります。できることなら官憲に引き渡したいのですが……」
「ご心配されるな。森の結界で今頃は官憲に捕まっている頃じゃ。この谷に踏み込みたがる者は多いからの。」
悪さした者は自動的に谷に近い町の詰め所に飛ばされるようになっている、と言われ、アレスディアは安堵の笑みを浮かべた。
この美しい聖域を争いの場にはしたくはない。
賢者に深々と頭を下げると、アレスディアは光の渦に飛び込んだ。
FIN
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【1953:オーマ・シュヴァルツ:男性:39歳:医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】
【2829:ノエミ・ファレール:女性:16歳:異界職】
【2919:アレスディア・ヴォルフリート:女性:18歳:ルーンアームナイト】
【NPC:レディ・レム】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、緒方智です。
大変お待たせしましたが『深き谷に住まう賢者』をお送りいたします。
今回はいかがでしたでしょうか?
聖域なのでなるべく流血はさけました。
殿という大変な役目を引き受けられたため、当初から大変だったと思いますが無事でなによりです。
お楽しみいただければ幸いです。
それでは機会がありましたら、よろしくお願いします。
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