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■特攻姫〜寂しい夜には〜■

笠城夢斗
【2029】【空木崎・辰一】【溜息坂神社宮司】
 月は夜だけのもの? そんなわけがない。
 昼間は見えないだけ。本当は、ちゃんとそこにある。
「……せめて夜だけだったなら、こんなにも長い時間こんな思いをせずに済むのに……」
 ベッドにふせって、窓から見上げる空。
 たまに昼間にも見える月だが――今日は見えない。

 新月。

 その日が来るたび、葛織紫鶴[くずおり・しづる]は力を奪われる。
 月がない日は舞うことができない。剣舞士一族の不思議な体質だった。
 全身から力を吸い取られたかのような脱力感で一日、ベッドの中にいる……

「……寂しいんだ」
 苦しい、ではなく――ただ、寂しい。
 ただでさえ人の少ないこの別荘で、部屋にこもるということ。メイドたちは、新月の日の「姫」に近づくことが「姫」にとって迷惑だと一族に教え込まれている。
 分かってくれない。本当は、誰かにそばにいて欲しいのに。
「竜矢[りゅうし]……?」
 たったひとりだけ、彼女の気持ちを知っていて新月でもそばにいてくれる世話役の名をつぶやく。
 なぜ、今この場にいてくれないのだろう?
 そう思っていたら――ふいに、ドアがノックされた。
「姫。入りますよ」
 竜矢の声だ。安堵するより先に紫鶴は不思議に思った。
 ドアの向こうに感じる気配が、竜矢ひとりのものではない。
 ――ドアがそっと開かれて、竜矢がやわらかな笑みとともに顔をのぞかせる。
「姫」
「竜矢……どこに行って」
「それよりも、嬉しいお客様ですよ。姫とお話をしてくれるそうです」
 ぼんやりと疑問符を浮かべる紫鶴の様子にはお構いなしに、竜矢は『客』を招きいれた――
特攻姫〜寂しい夜には〜

 旧家葛織(くずおり)家。
 代々、剣舞を伝える伝統ある家。
 その次代の担い手として生まれた少女紫鶴(しづる)は、葛織家でも類を見ないほどの能力者だった。

 葛織の剣舞は「魔寄せ」の能力あり――
 また、詳細は不明だがなぜか「月」と密接な関係がある。
 満月の夜には奉納の舞を。
 新月の夜には――

「また……新月、か……」
 ベッドにふせったまま、葛織紫鶴はつぶやいていた。
「なぜかな……新月になると力が吸い取られるように……だるい……」
 それは強い能力者になればなるほどの反作用。
 紫鶴は月が好きだ。
 だから、好きな月が自分にこんな寂しい思いをさせる事実が悲しい。
「新月は……月も、寂しいだろうに、な……」
 こんこん、と紫鶴の部屋がノックされた。
 紫鶴の世話役、如月竜矢(きさらぎりゅうし)だろうと、紫鶴は分かっていた。新月の日は、彼以外に紫鶴に近づこうとする家人がいないからだ。
 新月の日には『姫』のお体に障る。だからやすやすと近づいてはならぬ――と、愚かな命をくだしたのは、いったい親戚の誰だったのか……
「姫。入りますよ」
 唯一、『姫』に軽々しく近づくことを許されている竜矢の声がする。
 彼の声が聞こえるだけで、紫鶴はほっとした。
 扉が、開く――
「………?」
 紫鶴は眉をひそめる。
 新月の日は目も少々悪くなる。遠いドアで、よく覚えのある竜矢の他に、誰かそこにいるような気がしたのだ。
「どうぞお入りください」
 と、竜矢が誰かを導いている。
 ひょっとして、と紫鶴の心が弾んだ。
 以前、新月の日に、竜矢は紫鶴の話し相手にと人を呼んできてくれたことがある。もしかすると、今日も――?
「こんばんは、紫鶴さん」
 聞き覚えのある声が聞こえた。
 紫鶴はだるい体を必死に動かして、体勢を整え、相手を見つめた。
 二人、いた。竜矢の他に二人――
「お久しぶりです」
 とにっこりと笑う、女性とも見まごうほどに綺麗な顔立ちの青年がいる。
「あ……た、たしか以前に」
「はい。以前、満月の頃にあなたに一度お会いしたのですが、紫鶴さんは舞に集中されていたので自己紹介もあまりできませんでしたね。改めまして」
 空木崎辰一(うつぎざきしんいち)と申します――
 青年は丁寧に礼をしてくれた。
 紫鶴は微笑んだ。
「……改めて。葛織紫鶴と申します……」
 ちょこん、と頭をさげるような仕種をする。
 すると、辰一の隣にいた青年がぽんぽんと紫鶴の手を軽く叩いて、
「お嬢ちゃんが紫鶴ちゃんか。俺は辰一の幼馴染で門屋将太郎(かどやしょうたろう)って言うんだ、よろしくな」
「あ、は、初めまして……」
 親戚やら家の付き合いやら、肩のこるような付き合い以外で一度に二人も相手にするのは初めてで、紫鶴は緊張した声を出した。
 将太郎は軽く笑った。
「そんな緊張しなさんな。大丈夫だ、俺ら噛みつきゃしないからな」
「ちょっと将ちゃん、まだこっち紹介終わってないんだよ」
 辰一が横から口を出す。
 そして彼は、
「ええと、僕が今抱いているブチ猫は甚五郎、左肩に乗っている茶虎の子猫が定吉という名前です。よろしくお願いします」
「猫……ああ、一匹は満月の日にも……いたな」
 紫鶴は手を少し動かす。だるくてそれ以上動かなかったのだが、辰一は察してくれたらしい、抱いていた甚五郎という猫のほうをそっと紫鶴に近づけてくれた。
 紫鶴は思い切り手を伸ばした。
 ――柔らかい毛並みの感触がする。
 竜矢が椅子を持ってきた。二人分。
 辰一と将太郎にそれぞれすすめて、自分は元々紫鶴のベッドの横に置いているいつもの椅子に座る。
「それにしても、広いお部屋……あ、こら、甚五郎、定吉!」
 ぱっと辰一の腕や肩からおりて、二匹の猫が走り回り始めた。
 紫鶴の部屋は十三歳の少女がひとりで使うには――否、下手をしたら一家族暮らせそうなほど広い。猫たちは絨毯の上を思う存分走り回って楽しそうだ。
「駄目だよ、紫鶴さんの部屋を走り回っちゃ!」
 飼い主の言葉もどこ吹く風。
 紫鶴はとてとてと聞こえる気がする猫の足音に、くすくすと笑った。
「すみません、あなたの部屋が広いのではしゃぎ甲斐があるようで……」
「気にすることはありませんよ」
 と答えたのは竜矢だった。「どうぞどうぞ。普段無意味な広さを誇っておりますから。遠慮なく遊び場に」
 すみません、ともう一度謝る辰一の傍で、将太郎が「満月か」と感慨深そうにつぶやいた。
「剣舞が上手いってのは、辰一から聞いた。俺も見てみたかったなぁ。新月の時は動けないんだって? 世話役さんから聞いたけどよ。残念だな」
「……すまない……」
 紫鶴は肩を落としたような口調でつぶやく。
 将太郎はにっと笑った。
「綺麗な満月の夜にでも見せてもらいたいな、紫鶴ちゃんの剣舞」
「――満月の夜は――」
「満月の夜は、魔寄せが一番強くなるときなんだよ、将ちゃん」
 辰一が補足した。
 満月の夜の奉納舞い。それはそのまま、大量の『魔』を寄せる儀式である。
 先だって満月の日に辰一に手伝ってもらったのは、その寄ってきた『魔』を滅することだった。
「将ちゃんには退魔の力がないだろう。満月は危険だよ」
「う……」
 将太郎が眉根を思い切り寄せて、むむっとうなった。
「し、しかしきっと一番綺麗に舞ってるのも満月だと思うんだよな……違うか?」
「そう思いますよ」
 竜矢がそっと微笑んだ。「特にこの間は初めて、親戚ではない助っ人……辰一さんたちが来てくださったおかげで、姫も思う存分舞っておりました。ひょっとするとこの十三年で一番美しかったかもしれない」
 ねえ姫、と世話役は話をふってくる。
 紫鶴は、「ああ」と唇の端に笑みを浮かべた。
「初めて……だった。満月の奉納舞が怖くなかったのは……」
「うーん、それを聞いちゃあますます見たいじゃねえか」
「見るだけならできますよ」
 と竜矢が言った。「俺には結界を張る力がありますので、その結界内にいてくだされば。動かないことを前提ですけれどね」
「ならそのときは、僕が将ちゃんに聖水たっぷりふりかけておきますね」
「……辰一、そりゃ風邪引くんじゃないのか?」
「いっそ聖水風呂に浸かってもいいくらいだよ」
 おいそりゃどういう扱いだ――と辰一に言う将太郎の足元を、定吉が駆け抜けていく。
「おいこら、そこの二匹、あまりはしゃぐなよ。紫鶴ちゃんがゆっくり休めないだろう」
「仕方ないよ、将ちゃん。僕が注意しても聞かないんだから……」
 辰一が苦笑した。
「……気にしなくていい……」
 紫鶴は、微笑んだ。「動物が元気なことは、いいことだ……それにこの部屋が役に立ったことなど……今までにないから……」
「――……」
 二人の男性は、いったん顔を見合わせた。
 やがて辰一が、「ええと」と口を開いた。
「僕はまだ、あなたのことを知らないので、自己紹介を兼ねたお話でもしませんか?」
「話……」
「僕は話下手ですが、話を聞くことはできます。お疲れのようでしたら、何も話さなくても構いませんよ。無理に、とは言いません」
「おう。俺も紫鶴ちゃんの話、聞きたいな。辰一と一緒に聞かせてもらうよ。体調が悪いんだから、無理して話すな。ゆっくりでいい――って、辰一、お前、何してんだよ」
「僕の友人が持ってきてくれた大福餅を持ってきました。差し入れです。竜矢さんをまじえて、お茶会を開きましょう」
 辰一は照れたように笑った。
「不器用な僕なりの、もてなしです」
「お茶会? いいねえ」
 将太郎がにやりと笑った。「世話役のにいちゃん、あんたもどうだい。お茶会は人数多いほうが楽しいぜ。そうだろう?」
「そうですね」
 竜矢が笑った。
 そして、世話役は立ち上がった。「今、茶器を持ってきますよ」と。
「あ、すみませんお気を遣わせてしまって――」
「差し入れくださった方が何を言ってらっしゃるんですか」
 姫と話をしてくださるなら、こちらこそ喜んで――と竜矢は笑みとともに言い置いて、部屋を出て行った。
「……いい世話役さんじゃないか」
 将太郎が竜矢を見送って言った。「紫鶴ちゃんの世話役ってのは、あのにいちゃんひとりなのかい?」
 紫鶴は「ああ」とつぶやいた。
「竜矢は……私が生まれたときから、ずっと……傍にいる」
「乳兄弟、とかそう言った感じでしょうか?」
「……いや……」
 紫鶴は軽く苦笑した。「……ヤツは、鎖縛師と呼ばれる能力者だ」
「あ、ええ……それは先日拝見しました」
 辰一がうなずく。
「何だそりゃ?」
 と将太郎が首をかしげた。「サバクシ? どんな字を書くんだ?」
「……『鎖』で……『縛す』……と書く……」
 一瞬、ぎくりと二人の男性が硬直する。
 聞いてはいけないことだったのでは、と緊張した気配が二人から伝わってきて、紫鶴はくすくすと笑った。
「ふふ。……お二人の考えていることは、……おそらく大方当たっている……」
 世話役が消えたドアを見つめて、紫鶴はぼんやりと続ける。
「竜矢は……結界と、文字通り相手を『縛す』ことに長けているんだ……だから」
 私の傍に置かれた――と、紫鶴は囁くような声で言う。
「……それは親父さんとかが決めたのかい」
 将太郎が真顔で聞いた。
「さあ……そういう細かいことは、私は知らない。ただ……事実として……私は生まれつき力を持ちすぎていて……そして竜矢が鎖縛師だった……それだけ……」
「………」
 辰一の足元を、甚五郎がすりぬけていく。
「……でも、竜矢さんは、嫌がっているようにまったく見えませんけれど」
「なあ。イヤイヤ姫さんのお付きやってるようにゃ、見えねえな」
 それを聞いて、紫鶴の頬が緩んだ。
「……そう、思うか……?」
「ええ、思いますよ」
「よかった……」
 その瞬間の少女は、今にも泣きそうな顔をしていた。
「竜矢は……子供の頃からそばにいた。だから……力をうまく使えない私の犠牲に……よくなった」
 あいつの体を見るとな――と、紫鶴はぽつぽつとつぶやく。
「小さい頃私がつけてしまった剣の傷がたくさんある……」
「紫鶴さん――」
「だから……私は必死で、力の制御を……学んだ……んだ」
「あのにいちゃんを傷つけるのが嫌だったんだな」
 ぽんぽんと、その大きな手で紫鶴の頭を軽く叩きながら、将太郎が優しく言う。
 紫鶴はこくんとうなずいた。そして、
「それに……聞いてしまった。一族の者どもが話しているのを……」

 ――竜矢が死んだときのために、代わりの鎖縛師をさがしておかねばならんな――

「絶対に……絶対にさせるものかと……」
 紫鶴は悔しさを思い出し、きりりと唇を噛む。それさえも力が入らず、もどかしくて悲しい。
「紫鶴さん……」
 辰一が優しく名を呼ぶ。
「きっと、だからだな」
 将太郎が言った。
 紫鶴が視線をあげる。
 二人の男性の、微笑が見えた。
「そんなお嬢ちゃんの心が分かっているから……」
「竜矢さんは、今でも紫鶴さんを、大切に大切に思ってらっしゃるんですよ」
「――……」
 紫鶴は頬を染めた。
「そ、そうだろう……か……」
「ええ、それはもう」
 と辰一は笑った。「今日は、僕は自分から来ることを了承したんですが――それでも、竜矢さんは何度も何度も頭を下げていらした」
「俺はたまたまその場に居合わせただけだったんだけどよ。――真剣に、『姫の寂しさを紛らわせてやってください』ってなあ」
 幼馴染の二人は顔を見合わせて笑う。
 紫鶴はますます赤くなった。
「りゅ、竜矢のやつ……」
「お? 嬢ちゃんそんなに嬉しいかい」
 将太郎がからかった。
「ちちち、違う……っ」
「ああ紫鶴さん、お体に悪いですから落ち着いて」
 体を起こそうとした紫鶴を辰一が慌てて押しとどめた。
 将太郎が、満足そうにあごをなでて、
「何と言っても男ってのは、大切な女のためには何でもできるからなあ。なあ辰一?」
「そこでどうして僕にふるんだい!」
「ふ……同い歳として、幼馴染として、ただのねたみだよ」
 将太郎は遠い目で、ものすごく正直なことを白状した。
「……辰一殿には、大切な方がいらっしゃるのだな……」
 紫鶴が微笑む。今度は辰一のほうが赤くなる番だった。
「……いい、な……。それは、どんな心地なんだろう……」
 十三歳。そろそろそういうことにも興味が出てくるお年頃。
「あの世話役のにいちゃんはもう二十代半ばってところか……うーん……」
「そういう風に考えるのはお節介だよ、将ちゃん」
 辰一がたしなめた。
「あ? 大切なことだろうが」
「お節介だよ」
 二人の問題だろう――と二人が言い合い始めたとき。
「失礼します」
 と茶器を持ってきた竜矢が、ドアを開けた。
 辰一と将太郎は、慌てて話をやめた。
「? どうかしましたか」
 二人のおかしなごまかし笑いに小首をかしげながら、竜矢がこちらへやってくる。
 白い陶器のティーポットと、渋い緑の湯のみ。
「和菓子には緑茶だろうと思いまして」
 薫り高い緑茶の葉を取り出して、竜矢は三人分淹れた。
 そして、「失礼しますよ」と二人を少し押しのけるようにして紫鶴の顔の位置までやってきて、
「姫。大福餅も食べますね?」
 紫鶴は即座にこくんとうなずいた。
「辰一さん。失礼して、頂かせて頂きます」
 竜矢が辰一に笑みを向ける。
「はい、ぜひどうぞ」
 辰一は自ら大福餅の入った入れ物を差し出した。
 竜矢はそれをひとつ取り、紫鶴の口元に布巾を置いて、そして大福餅を少しずつ食べさせ始めた。
 その様子を見ながら、辰一と将太郎も笑みを浮かべて緑茶を頂く。
「家業を継ぐ、かあ」
 将太郎が大福餅を頬張りながら天井を見上げた。
「そういや辰一もそうだもんなあ。生まれながらに仕事が決まってるってのぁ、大変そうだなあ」
「僕はそれほど不満に思ってもいないけれどね」
 辰一は緑茶をゆっくり飲みながら言った。「式神はかわいいし、四守護獣もかわいいし」
「……式神はともかくとして、守護獣をかわいいと言うか、お前……」
「かわいいじゃないか」
「……それは、あの満月の夜にも呼び出していた……あの式神たちか……?」
 紫鶴が大福餅を食べるのを中断して、口を挟む。
「あ、ええ。あの四獣に関しては、少し式神とは違いますが……」
「とても力強い獣たちだったな……初めて見た……」
 噂には聞いていたんだ、と紫鶴はつぶやいた。その紫鶴の口元に、竜矢はそっと緑茶を淹れた湯のみを持っていく。
 紫鶴がこくん、と喉を鳴らした。
「辰一殿は……ご家業は……?」
「ああ、それも説明していませんでしたね。僕は宮司です。神社の」
「そうか……」
 どうりで退魔に秀でているわけだな、と紫鶴は笑う。
「ちなみに俺は臨床心理士な」
「りんしょう……?」
「まあ、カウンセラーみたいなもんか?」
 正しく言うと違うんだがなあ、と言いながら、将太郎は次々と小さ目の大福餅を食べていく。
「……ちょっと将ちゃん、君が食べちゃったら差し入れの意味がないだろ」
 辰一が「甚五郎! 将ちゃんにお仕置き!」と自分の猫をけしかけた。
 走り回っていた甚五郎がぱっとこちらにかけてきて、将太郎に襲いかかった。
「ってっ! おいこら待て、ひでえぞこれは!」
「マナーをわきまえてね、将ちゃん」
 すまし顔で辰一は緑茶を一口飲んだ。
 紫鶴と竜矢がくくくと笑いをこらえていた。
 これはこれで楽しいお茶会。誰もがそう思った。
「これで月さえありゃあな」
 紫鶴の部屋にある大きな窓から、夜空を見上げて将太郎が言った。
「新月だからなあ……」
「……新月でも……月は、存在している……」
 紫鶴は微笑んだ。「月は、自分で輝くことのできない星だ……でも、たしかに存在している」
「そうですね。新月だろうと満月だろうと……太陽の光で左右されてしまっても」
 辰一が神妙にうなずく。
「葛織の者に生まれたからなのかな……月が、いとおしいんだ……」
 紫鶴は、精一杯の力を出して手を伸ばした。
 上へ。窓へ向けて。
 夜空へ向けて。
「月が見えない日は……だから、寂しい……」
「―――」
「紫鶴ちゃん」
 将太郎が優しく言った。「自分の血筋とか関係ないぜそれは。それも含めて――それが紫鶴ちゃんなんだ」
「………」
「光はなくとも月の下だ! こんなお茶会もオツじゃないか?」
 にっと将太郎が笑う。
「そうだね、いい今夜はいい夜だ」
 夜空を見上げて、辰一が目を細めた。
「月は今、何を思っているかな」
「早く俺を照らせーーー!って太陽に怒ってやがるぜ、きっと」
「そうかなあ。案外『月に一度のお休みお休み』ってのんびりしてるかもしれないよ」
「昼間にいつも休んでるじゃねえか……」
「何を馬鹿なことを言ってるんだよ。月は昼間にだってちゃんと存在してるんだから」
 ねえ、紫鶴さん――と辰一は微笑んで紫鶴を見た。
 紫鶴は笑顔でもって、それに応えた。

 夜も深くなり……
「そろそろ帰るか」
 と、将太郎が腰を上げる。
「そうだね。神社をあまりあけておくわけにもいかないから……」
 ごめんなさい、紫鶴さん――と、辰一は申し訳なさそうに紫鶴に頭をさげた。
 紫鶴は笑みを浮かべて、かすかに首を振る。
「……楽しかった……充分……」
「そうならよかったです。――甚五郎、定吉!」
 辰一は二匹の猫を呼んだ。
 猫たちはよほどここを気に入ったのか、なかなか呼びかけに応じてくれなかった。仕方なく、辰一と将太郎がそれぞれ捕まえに行く。
 しかし猫はすばしっこい。飼い主たちが追いかけてくるのを、遊びと勘違いしたかのように、ててててと逃げ回る。
「こらっ甚五郎、定吉! もう家に帰るんだよ――」
 ようやく二匹を捕まえて、辰一は大きくため息をついた。
「――この二匹がこんなに言うことをきかないなんて珍しいです。きっとよほどこの部屋が気に入ったんですね」
 苦笑して紫鶴を見やる。
「そうか……気に入ってくれたか……」
 紫鶴は手を伸ばそうとする。辰一が再び察して、腕に抱いた甚五郎を差し出してきた。
 甚五郎の毛並みをゆっくりと、力の入らない手でなでながら、紫鶴はぽつりとつぶやいた。
「……動物は、魔の影響を受けやすい。だから、この屋敷では飼わないようにしている」
 だから――、
「連れてきてくれて、ありがとう……こんなに身近に動物がいるのは初めてだ……嬉しい……」
 将太郎が、彼の捕まえた定吉をつれてくる。
 紫鶴の目の前に差し出され、紫鶴は今度は子猫をなで始めた。
「かわいい、な……動物は……」
「……また、来ますよ。この子たちを連れて」
 辰一は言った。
「ついでに俺もな」
 将太郎がにやりと笑う。
「ああ、じゃあ将ちゃんは犬にでも変装して来ますから」
「なんでだっ!?」
「え? 気に入らない? クマがいい?」
「違うだろ!」
 紫鶴がぷっと吹き出した。
 そして辰一に、「辰一殿の大切な方も……お会いしてみたい、な……」と言った。
 辰一が赤くなって頬を引きつらせ、
「いや、それはその……まずいかもしれません」
「あーそーだ。辰一、お前次来るときはお得意のメイド服に着替えて女装して来いよ。どれだけ似合うことか」
「うわーーー! メイド服はいやだーーーーっていうか僕は男だーーーー!」
 仕返しだ、とぺろと将太郎が舌を出す。
 ぶぶっと竜矢がふきだし、紫鶴がくすくすと笑った。
「何てこと言うんだよ将ちゃん!」
「先に言い出したのはお前だ!」
 つかみあいを始める幼馴染。なにやってんだか、な顔で紫鶴のベッドの上に乗り、洗顔を始める猫二匹。
 最後にようやく残っていた大福餅を頬張り、幼馴染のケンカを止めない竜矢。
 幼馴染の言い合いを微笑ましくベッドで見つめる紫鶴……

 それは月のない夜の出来事。
 なんともなんとも、平和な一夜の出来事……


 ―Fin―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1522/門屋・将太郎/男/28歳/臨床心理士】
【2029/空木崎・辰一/男性/28歳/溜息坂神社宮司】

【NPC/葛織紫鶴/女性/13歳/剣舞士】
【NPC/如月竜矢/男性/25歳/紫鶴の世話役】

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■         ライター通信          ■
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空木崎辰一様
こんにちは、いつもありがとうございます。笠城夢斗です。
今回は幼馴染二人組みでのご参加、ありがとうございました!
紫鶴の話がメインになりましたが、お二人のかけあいを書くのも大変楽しかったです。よろしければまたお二人でおいでになってくださいv
またお会いできる日を願って……