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■闇之庵■

【5566】【菊坂・静】【高校生、「気狂い屋」】
 幽艶堂の住人らが暮らす三軒の家から少し離れた竹林の奥に、ぽつんと一軒。

「――では、今宵はあちらでお過ごし下さい。何かありましたら工房の方にいますので、お呼び下さい」

そう言って翡翠は工房に戻っていった。



幽艶堂に用向きがある客ばかりではない。

訳ありらしき者こそ、この幽境に訪れる。

今宵も、また――…



闇の庵に独り


闇の庵



  幽艶堂の住人らが暮らす三軒の家から少し離れた竹林の奥に、ぽつんと一軒。

「――では、今宵はあちらでお過ごし下さい。何かありましたら工房の方にいますので、お呼び下さい」

 そう言って翡翠は工房に戻っていった。



 幽艶堂に用向きがある客ばかりではない。

 訳ありらしき者こそ、この幽境に訪れる。

 今宵も、また――…



 闇の庵に独り


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  幽艶堂に来る客は人形ばかりが目的ではない。
 中には呪詛依頼にくるという勘違いもはなはだしい者もいる。
 だが、そんな不届き者共とは別に、ただ泊めて欲しいと何処からともなくやってくる客人もいるのだ。
 そんな客人は瞳の奥に暗い光を宿していることが実に多い。
 そして、そんな客人を迎えるのは何故かいつも翡翠がふらりと外へ出た時。
 …今宵も、また―――…

「いらっしゃいませ、幽艶堂へようこそ。私は着付師の翡翠と申します。どのような御用向きでしょうか?」
 このような逢魔ヶ刻に幽艶堂目当ての客など来るはずもない。
 いつものように訳ありな客だ。
「――僕は…噂を聞いてこちらの庵に…」
 年の頃は十四、五歳だろうか。
 やや長めの前髪の隙間からチラチラと見える深紅の瞳。
 その黒い髪にいっそう映えてみえ、一瞬ぞくりとする。
「…庵…はて、いったいどのような噂を耳になされたのでしょうか?」
 巷にどのような噂であの庵の事が知れているのか翡翠は知らない。知りたくもない。
 しかし現にこうしてあの庵の存在を知っている少年が今、目の前にいる。
 多感な年頃があの庵を必要とする理由はなんだろうか?
 不必要な好奇心など見せる年でもないのだが、聞かずにいられなかった。
 少年は翡翠の問いにぽつりと呟く。
「僕の、内側にいる奴と対峙する為に…」
 少年の言葉は翡翠の問いの答えではなかった。
 だがその内容からも十分、あの庵がどういう代物なのかを理解した上でやってきていると解る。
「…貴方のようなお若い方が…あそこで過ごしたい…と?お止めになった方が宜しいですよ」
「それでも」
 少年は歩みを進める。
「今以上どうにかなる事はないですよ」
「―――…わかりました…そこまでおっしゃるならどうぞお使い下さい。しかし…時過ぎて夜が明けるまで…あそこに入ったが最後、ご自分から出てはなりませんよ?」
 自分の内面が、能力が具現化するあの庵の効力は夜通し続く。
 途中で戸を開け飛び出せば、具現化した悪夢のような現実が外へと溢れ出すからだ。
 夜の陰気を手に入れたそれは、夜が明けようとも失せることなく毎夜枕元に現れるようになるだろう。
 そうなればたとえここの住人であっても、庵を管理する翡翠が出たとしても、具現化したそれをとめる事など出来ない。
 だが不思議な事に、外から翡翠が開けた時には、具現化していたであろうそれの姿は掻き消えてしまう。
 何故なのか翡翠にも解らない。
「庵の中に工房の私の部屋と繋がる電話があります。もし……状況に耐えられなくなった時には迷わずご連絡下さいね」
「ありがとう」


  外観こそぼろい印象を受けるが、庵の中は割と小奇麗にしてあった。
 年季の入った囲炉裏傍。
 部屋の隅には年季の入った、ヒンジ金具が施された小さな食器棚。
 小引き戸を開けると中には急須と湯のみと茶碗が一組置いてある。
「――結構、頻繁に使われてるんだね」
 お茶葉や簡単な夜食を持ってきた翡翠は苦笑交じりに答える。
「貴方のように、闇を見つめている方ばかりが…何処で聞いたのやらここの話をしましてね。一泊して行きたがるのですよ」
 だからいつ誰が来ても良い様に、簡単ではあるが一晩に必要なモノだけを置いてあるのだという。
「今宵はグッと冷え込むようですから…もう一枚毛布をどうぞ。あと、厠は奥の戸を開けてすぐの所に…なに、それも庵の敷地内ですのでご安心を」
 安心するような場でない事は翡翠がよくわかっているのだが、それでも少しぐらいこの張り詰めた空気を緩和したいと、彼なりに考慮した結果だった。
 その気持ちを酌んだのだろう、少年は微笑し、ありがとうと一言。
「…あ、そういえばまだ名乗ってなかったね。僕は菊坂・静 (きっさか・しずか)今夜はお世話になります」
「菊坂さんですね。何のお構いもできませんが…では、お休みなさいませ」
 深々と頭を下げ、カラカラと引き戸を閉める。
 そして…
「!」
 翡翠が完全に戸を閉めた途端、とてつもない違和感が全身を支配する。
 扉一枚でこれほどまでに違うのかと、静は苦笑した。
 そして妙な事に、時間の感覚がなくなっていく。
「だから、自ら戸を開けるなと…」
 まるで有名な某怪談のような気分にさせられる。
 だが、これから合間見える相手は恋慕の情を抱いて、情念から月明かりを朝日と思わせ、封印を解かせるなどという生易しい相手ではない。
 少なくとも静にとっては、情念の怨霊よりも質が悪い存在だ。
 いつ、静の「それ」が出現してもおかしくないあの雰囲気。
 しかしいつ出るか今出るかと神経を張り詰めていても、すぐに気疲れしてしまうのは明らかだ。
「……どうせいつかは出てくるんだろうし」
 囲炉裏傍に腰掛け、慣れない手つきで湯が沸く鉄瓶をとり、茶を注ぐ。
 これが単なる昔体験なら、趣き合って好い物だと思えるのだが…と苦笑する静。
 茶をすすりながらボーッと囲炉裏の火を見つめ、赤々と燃える木炭とヒラヒラと舞い上がる灰を、ただ見つめていた。
 時間の感覚がなくなっている今、一体どれほど長く火を見つめていたのか知れない。
 途中、喉の渇きにもう一杯お茶を入れ、また囲炉裏の火に見入っていると…

<――綺麗だね、まるで血が光っているみたいだ>

「!!」
 紅い…
 否、赤黒いそれが点々と囲炉裏傍に落ちる。
 血だ。
 そして今まで誰もいなかった筈の真向かいに、誰かが座っている。
 床に投げ出された右手の手首からは、おびただしい量の血が流れ、『彼』の周りを赤黒く染めていく。

<―また…人を好きになったんだね、静…>

 そう言って柔らかに微笑む、真向かいに座る『静』
 同じ声色。
 同じ顔。
 虚ろな、けれど享楽的な態度。
 常に微笑むその瞳には狂気が宿っている。
 けれど『彼』は僕じゃない。
 僕の中に住まう死神…
 忘れえぬ十二年前の、過ち。
 
「そうだよ、僕も人間だからね…」
 手に力を込めれば、湯のみの感触と、まだ冷めやらぬお茶の熱さを感じ、ふと、その香りが鼻をかすめる。
 来ると解っていても波立って揺れてしまった心が、たかだか一杯のお茶で少しだけ平静を取り戻せた。
 静は残りをグッと飲み干し、脇に用意してあったお盆に湯飲みを置き、もう一人の『静』に向き直る。

<何度も好きになって…その度に君は傷つく>

「今度はそうならないよ…」

<そう?>

 『静』は懲りないんだね、と軽口をたたきケラケラ笑っている。
 その態度に心はまた少し揺れた。
 誰のせいだと、赫怒して声を荒げたかった。
 だが、それではもう一人の思う壺だと、静は深く呼吸をする。
 普段でこそ、感情より理性が勝る静だが、ことこの場においてはそれも容易ではない様子。
 俄かに自分の右手首に痛みを覚える。
 もう一人がおびただしい血を流しているように静にも、同じ場所に傷がある。
 十二年前の、契約の証とも取れる傷跡。
 包帯の下に隠してあっても、この場では嫌というほどその傷の形が目に見える。
 まるで罪の象徴だと言わんばかりに。
「十二年前、君は事故を起こした…僕の家族の命を奪う為に」
 もう一人の『静』はその言葉にそれがどうしたとばかりに鼻で笑って言う。

<だけど、傷ついた君は生きる為に…僕と混ざって家族の魂を「喰らった」…>

 君だって共犯だろう?と、『静』は腹を抱えて笑い出だす。
 拳に力が入り、身体が戦慄きだす。

<美味しかったね、甘くて…柔らかくて…まるで生クリームみたいで>

「――黙れ」
 静の表情が消える。
 それでももう一人の『静』は口を噤むことなく続けた。狂気に満ちた笑顔で。

<ふふっ…今でも食べられない?思い出しそうで>

「…ッ」
 右手を強く握りこんだ。
 本当なら痛くもない筈の手首の痛みもズキンズキンと痛みの感覚が狭まっていく。
 何でもいいから言葉をぶつけたい。
 だけどぶつけられない。
 彼のしたことの半分は、自分がしたことなのだから。

<あはははははははははははッ!可哀想な静、可愛い静。どれほど怒りを覚えても、どれほど慟哭に打ちひしがれても>

 もう一人の『静』が笑い声と共に目の前から掻き消え、一瞬何の音もしなくなったかと思いきや。

<やったのは君なんだもの>

「!!」
 背後から耳元ではっきりと。
 実体を伴った声で。
 その狂気は囁かれた。

<あははははははははははッ!!>

 両肩に触れるその手の感触は全身に怖気を走らせ、咄嗟に右手で振り払おうとするが、背後には誰もおらず腕は行き場を失う。
「何処だ!?出て来い!!」
 しかし聞こえるのは室内に木霊する笑い声ばかり。

<あははははっ!!だって君は僕なんだもの。君の半分は僕、僕の半分は君…これからもそれは変わらない>

 そしてまた。
 耳元で囁かれる言葉。

<運命共同体だ。仲良くやっていこうぜ、気狂い屋?>

 狂気に満ちた笑い声が室内に木霊する。
 四方から響く笑い声は、静の周りに何人も『静』が立ち、あざ笑っているかのように思える。


 その時だ。

 入口の扉ががたりと揺れる。
 しかし声はまだ室内に反響している。
「…お目覚めですか?菊坂さん」
 扉が開き、逆光で顔が見えにくくなっていたが、それが翡翠だとわかるのに時間はかからなかった。
 そしてふと気づくと、あれだけ反響していた笑い声がぴたりと、まるで何事もなかったかのように消えているのだ。
「その様子では、全くお休みにならなかったようですね。食欲などないかもしれませんが…向こうで皆と朝餉をいただきませんか」
 ガタガタと立てつけの悪い扉を全開にして、暗闇の世界に光を入れる。
「……僕は…」
「ですから―――…お止めになった方が宜しいと、言いましたでしょう?」
 長い白髪をした青年は、困惑する静に微笑み、先ほどまで静が座っていた囲炉裏傍の掃除を始める。
 囲炉裏の火はとうに消え、その灰には僅かに熱が残っているだけであった。
 いったい何処にどれほどの時間を費やしたのか、静には全くわからない。
 あれは全部夢だったのだろうかと思うほど、何も残っていない。そう思っていた。
「…!」
 右手に僅かだが鈍痛があるのに気づいた。
 手のひらに。
 どれほど強く握りこんだのか、自分の爪痕に赤い線が走り、一番深かったであろう中指辺りの傷からは、軽く推しただけでもまだ鮮血がにじむ。
 この痛みだけで、昨夜の出来事が夢ではないと確信した。
 たとえこの庵の中だけでしか合間見えることのない幻なのだとしても。
 あの場にいた自分にとっては、紛れもなく現実のもの。
 この右手の痛みも。
 自分の中に巣食う死神も。
 すべて消しようのない現実。
 無論、十二年前に起こった事故での出来事も…


「では参りましょう、朝餉が冷めてしまいますよ」
 庵を見つめる静に、掃除を終えて幽艶堂へ戻ろうとする翡翠が声をかける。
「はい、今行きます」
 返事をしてからホンの少し、間が空く。
 そして静は踵を返し、一度も振り向くことなく翡翠の後について行った。
 二人が去った後、竹林の奥に佇む庵は朝日に晒され、ただ古いだけの庵となっていた。
 外観からしても逢魔ヶ刻のような不気味さは欠片もない。
 だがそれも…



 再び夜の闇が訪れるまでの話――…



― 了 ―

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【5566 / 菊坂・静 / 男性 / 15歳 / 高校生、「気狂い屋」】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、鴉です。
この度は幽艶堂ゲームノベル【闇の庵】にご参加下さいましてまことに有難う御座います。
菊坂さんの内面の闇をこのノベルで表現しきれたかどうかドキドキですが、お気に召しましたなら幸いです。

ともあれ、このノベルに際し何かご意見等ありましたら遠慮なくお報せいただけますと幸いです。
この度は当方に発注して頂きました事、重ねてお礼申し上げます。