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■合わせ鏡の迷宮楼■

蒼木裕
【1522】【門屋・将太郎】【臨床心理士】
『こんにちは、初めまして。さて、君はどうして此処にいるのかな?』
『こんにちは、初めましてだな。で、お前はどうして此処にいるんだ?』


 それが彼らからの最初の一言だった。


 夢の中で貴方は何を思うのか。
 目を閉じて暗闇の中に身を投じて、息を吐き、瞼を開くでしょう。
 心の中で何かが生じた時、貴方はこの世界でまた生まれる。
 漂っているばかりの人、歩くだけの人、夢の中でも惰眠を貪る人。


 そして、迷ってしまった貴方がこの世界で出逢うのは……。


―――― さあ、今日も貴方は夢を見る。


 この空間の住人は面立ちそっくりの少年二人。彼らを分けているのは口調と髪の分け目、そしてまるで合わせ鏡のような黒と蒼のヘテロクロミア。


 彼らは兄弟でしょうか。
 それとも双子でしょうか?


 いいえ、そうではない。彼らの関係を決めるのは貴方のお心次第。彼らが映し出されるのは貴方の心の鏡、そのものだと言っても良いのです。
+ 合わせ鏡の迷宮楼 +



■■■■



 此処においで。
 ゆっくりと落ちておいで。
 貴方の迷いがこの場所から出て行くように……――――。


 最初の印象は黒。
 それから自分の身体を見てその空間は全くの黒色ではないことを知った。何故なら見下げればきちんと持ち上げた手が見えるし、服も確認出来る。ただ前を向いても何も見えない。表現するなら自身しか確認出来ない……そう言った方が正しく、同時に何もなく誰も居ない世界。


「ああ、これは夢か」


 ぽむっと手を打つ。
 夢と言う言葉はとても便利だ。それ一つだけで何が起こっても説明できる気がする。俺は頭をぽりぽりと掻く。髪の毛が指先を擦り抜けてざりざり音を立てた。


「しっかし……何もない夢、ね。夢診断だったらこういうのは何を表していたっけな。起きたら調べてみるか」


 んーっと腕を持ち上げて背を伸ばす。
 やけにリアルに身体の重さを感じて、苦笑が零れた。取り合えず辺りを探索してみようと足を動かす。だが、数歩進んだところで動きは止まってしまった。先程まで何もなかった世界。自分以外の気配も何もかも……だ。


 しかし今目の前に二人、少年が存在していた。
 年の頃は十二、三歳だろうか。彼らは互いに同じような姿見を持って俺を見つめている。同じ、と表現出来ないのは彼らの両目の色からだ。二人は互いに黒と蒼の瞳を持っているが、その埋め込み方が全く逆なのだ。顔立ちは良く似ているので一卵性双生児だろうか。
 ……だが、一卵性でも瞳の色が反転するなど有り得るのだろうか。


「生憎、双子じゃ有りません」
「生憎、双子じゃねーよ」
「かと言って無関係でもない」
「かと言って無関係じゃねーな」


「「迷い人にはどうでもいいことだけど」」


 同じ声。
 同じトーン。
 だが口調の違いから性格が読み取れる。彼らの片手は相手の手に絡められ、繋いだ場所から区切って見やれば何もかも合わせ鏡。
 今声に出していたのだろうかと口に手を当てる。その動作に返事をするように彼らは同時に首を振る。


 くすくすくす。
 響く声は重なっていた。


「さあ、貴方の迷いを教えて」
「さあ、お前の迷いを見せて」


「「すでに迷い人の中に結論は存在しているから」」


 彼らは空いている手を俺の方に向ける。
 しばしの間その意味が分からなくてぼんやりと見つめていた。俺よりも一回りほど小さな手の平が二つ。触れるかどうか迷う。だが、くいくいっと指が折り曲げられて導かれていることを知るとはっと顔をあげた。


 瞳が自分の姿を写している。
 俺は無意識にひゅっと息を飲み、心の声を読み取ろうとしてしまった。だが、何も流れ込んでこない。いつもなら騒がしいまでに脳の中に飛び込んでくる音が何もなかった。


「だって夢だもの」
「だって夢だしな」
「貴方の考えは僕達には伝わるし、何を求めているかも知っています」
「お前の考えは俺達には伝わるし、何を求めてこんな場所に来たのか知ってる」
「だけど僕達が強制的に心を開くことは貴方には苦痛だから」
「だけど開かないとお前は苦しくていつまでも悩んでしまうから」


「「基本中の基本を貴方に教えてあげようかと」」


 そう良いながら彼らの手は俺に触れる。
 子供特有の高めの体温が感じられ、本当に夢なのか疑ってしまう。まるで三人で輪を作るように繋ぎあった手。いつものような雑音がないお陰か妙に心が落ち着いていくのが感じられた。


 見透かすようなオッドアイの瞳が二人分。
 こいつらは何なんだろうか。互いのことは何でも知っているような……通じ合っているようなそんな感じ。自分の夢の中にこんな面白い設定の子供達は今まで出てきたことない。俺の中にも何か物語性のある感覚があったんだろうか。
 ふぅーっと息を吐き、繋がれたそれに力を込める。
 セルフチェックの意味は、心理学を学んでいるものならば本当に基本中の基本。


「……子供のお前さん達に言っても分かるかなー」
「分かるよ」
「無駄にね」
「へー、そうかい。じゃあちょいとだけ話を聞いてもらおうかな」


 地面に腰を下ろす。
 いや、下も真っ黒なので其処が『地面』と表現していいものなのかは分からない。土もないし、建造物の上でもない。だけど立っているからには其れは空間としてきちんと存在しているんだろう。
 少年二人も俺に倣う様に座り込んだ。ここでも性格が現れているようで、敬語を使っていた少年は足を抱えた格好で、もう一人は両足を伸ばしたポーズを取っていた。


 俺も自分が楽なように胡坐をかく。
 膝の上に肘を置いて手の甲を顎に当てて支える。正面を見遣れば彼らの視線はやはり真っ直ぐだった。


「……実は俺な、仕事が上手くいってないんだよ。いや、自分ではそれなりのことしてるつもりだけど、どうも周りからはそう見られてなくてさ……。そういう状態だったらお前さん達はどうする?」


 何の仕事かはあえて濁す。
 臨床心理学、なーんて分野がこんな子供に分かるわけがないと思ったからだ。カウンセラーと言っても実にその形式は様々だ。子供達に身近に感じられるといったらスクールカウンセラーという所謂『子供達の相談役』辺りかもしれないが、それ以外は胡散臭い商売だとか頭のヤバイ人を診てる医者くらいしか思ってくれないだろう。


 だから最低限の言葉だけを吐き出したのだが、少年達は俺の言葉に何も反応を示さなかった。


「すまない、子供のお前さん達にはわからな――――」
「それからどうしたんですか」
「それからどうしたんだよ」
「……は?」


 言葉を止め、彼らは俺に問い返す。
 俺は思わず変な声で返事をしてしまった。


「仕事が上手くいってないから自信がなくなった」
「自信がなくなったから、迷ってんだろ。それは分かった」
「だけどその先はなんですか? 貴方が求めているのは何?」
「求めているのは何だ? 迷いの根源は何だ?」


「「迷いを全てを話しきってない内はただの甘えでしかないくせに」」


 正直圧倒された。


 濁した言葉を出せと要求されていることに驚愕する。
 淡々と、そして代わる代わるに話し掛けてくる声は本当に二人分なのだろうか。繋がった言葉はまるで一人分に凝縮されているようにも思える。彼らは相変わらず俺を真っ直ぐ見る。その視線が痛くてこちらが顔を背けてしまった。
 それから降参、と両手を持ち上げる。
 俺は言葉を続けた。


「俺は心の医者をやっている。まあ、カウンセラーってやつだな。だが、経営が上手くいってないと言うか……ぶっちゃけた話、患者が少ない、それが悩みだな」
「来訪者が少ないと困る?」
「来訪者が少ないとお金が入らない?」
「違う。俺がそんなに頼りないかってこと。当たり前のことだけど俺はこの世界じゃまだまだ若造だ。カウンセラーってのは十年二十年人に関わってやっと一人前だと呼ばれる世界だ。厳しい世界ってことは最初から知っていたがこうも流れが悪いと正直凹む」
「未熟だから悩んでる? 厳しい世界だから挫けちゃった?」
「頼りないって思い込んで? だから苦痛だって言い出した?」
「んー、それに近いかな。クライエント……ああ、俺達の世界じゃ患者の事をクライエントつーんだ。まあ、そのクライエントにとってやっぱ経験がないのはめっちゃ不安要素なわけ。でも俺はカウンセラーで、色んな奴を救ってやりたい。悩んでいるならそれから解放してやりたい。心が晴れ晴れしてくれれば本当、嬉しい」


 瞼を下ろして思い描くのは今まで交流したクライエント達。
 スクールカウンセラー先の学園の生徒、カウンセリングを受けにやってきた人達。数年ではあったが子供から大人まで様々な病状を見てきた。その中にはその時の俺にはどうしても手に負えなくて、他の信頼出来るカウンセラーを紹介するという結果にもぶち当たってきたことも有る。


 その筋の古株の人達から見れば俺はまだまだ若造レベル。
 悩んでも仕方がないと自分では思う。


 ふぅ……。


 ため息が零れる。
 だが其れは俺ではなく少年達のものだった。


「貴方は何様のつもりですか」
「お前はそんなに偉いのか」
「人を救いたい? 悩んでるなら解決してやりたい? そして心が晴れ晴れすれば嬉しいですって……馬鹿らしい」
「医者はそんなに偉いものじゃない。カウンセラーってのはあくまで補助であり補佐だろ。結局問題解決をすんのはそいつ自身」
「ストレスを抱えているならストレッサーを探し、良い方向にコーピングする。これが基本。でもストレス対処行動が上手に出来なくて苦しんでいるのは貴方じゃなくて他人」
「臨床心理士の資格を得たくらいなんだからストレスマネジメントの世界くらいあんただって知ってるだろ。人はストレスを感じた時には『fight or flight』、つまりその原因に対して戦うか逃げるかの選択をするってことくらい」
「でも今の貴方は」
「でも今のあんたは」


「「迷いから逃げているだけ」」


 唇が動かなくて二の句が繋げない。
 少年達はまるで専門知識を得た者の様な言葉を俺にぶつけてくる。本人達が言うように心理学の分野ではこれら全て基本知識に成り下がるが、こんな子供達には到底縁のない知識だ。


 目の前にいるのは何だ。
 此処に居るのは子供じゃないのか。
 今話している彼らは一体何者なのかという問いが今更ながら浮いてくる。夢の住人だと定義すればそれで済んだかもしれない。しかしそれだけではない感覚が襲ってくる。


 そうしてしばし無言で考えていた俺だが、ふとある事に到達する。
 彼らの言葉の返し方はミラーリングと呼ばれるものに似ていたのだ。クライエントの話す言葉をカウンセラーが繰り返し、互いの気持ちを確認していく一つの手法。実際それによってクライエントとの間に信頼感が生まれやすくなる。
 無意識だろうと心の中で思う。
 だが同時にそれだけではない気がして仕方が無い。


「思い出しなさい。彼らの言葉を」
「思い出せよ。そいつらの不安を」


「「鏡になって写してあげるから」」


 少年達を繋いでいた手が離れ、こちらに伸びてくる。
 そして……先は、消えた。



■■■■



『先生、俺もう辛くて辛くてたまんねーんすよ。このままじゃ本当どうしていいのか……』
『あのね、先生。私凄く不安なの。親も友達も皆私のこと分かってくれない……ううん、分かってくれようともしないの』
『僕、本当に泣いて暮らしてるんです。この気持ち分かって貰えますか?』


 声が聞こえる。
 同時に俺は目の前に診療所のイスに座っていること自分が居ることに気が付いた。まるで映画か何かの世界に入り込んだ心地。前に居る俺はいつものようにクライエントの話を聞き、目を見て心の声を聞く。伝わってくる彼らの『声』は実に様々だ。同じ不安なんてなく、その量も一般人より肥大している。
 彼らは自分に悩みを打ち明け、それをどうしたら良いのか求める。解決方法を知らないのは当たり前。
 次々と入れ替わり立ち代り場面が交代していく。クライエントは老若男女、俺に言葉を落としていった。


 いつも声を聞いていた。
 いつも心を聞いていた。
 いつも負を聞いていた。


 彼らは医者に縋る。
 胸が締め付けられる感覚がして服を掴む。白衣の背中越しに患者の姿が目に入った。今度は俺と同じ位の男性で、彼はずっと俯いていた。ぼそぼそと何やら症状を説明しているのは見て取れる。だが何を言ってるのかは聞こえない。だがもう一人の俺は何やらうんうんっと頷き返して男の言葉を聞き取っているのが分かった。


 無意識に顔を伏せる。
 視線は下に下がったので自然、診察室の床が見えた。


『大丈夫ですよ。きっと良くなりますからご安心下さい』


 それは俺の声。


 そしてもう一人の俺はクライエントに手を伸ばす。
 緊張のために握りこまれていた手の上にそっと手を置く。温かい体温が心地良くてほっとする。全身から力が抜ける感覚がして、涙が何故だか滲みそうになった。何故かその言葉が身に染みる。乗せられた手を見て笑顔まではいかないが凝り固まっていたものが解けていく。


 その時確かに自分は安心していた。


 だが次の瞬間、はっと我にかえる。
 そして顔を持ち上げれば、いつの間に移動したのか丸いイスに腰を掛けていたことに気付いた。此処は診療所。悩みを持った人達が俺と言うカウンセラーを求めてやってくる場所。
 そうやって見上げれば、その時見えたのは背中じゃなくて……。


『大丈夫。分かるでしょう?』


 医者である『俺』の顔、だった。



■■■■



「別に悩むことは馬鹿じゃないんだよね」
「悩みを甘えに変えてしまったら馬鹿だけど」
「でも彼は気が付いた。その立場になったお陰で」
「その立場になったお陰で彼は自分の価値に気が付いた」


「「セルフ・カウンセリングとはよく言ったもの」」


 くすくすくす、彼らは笑う。
 向かい合って両手を組み合わせ、唇を動かす。


「目が覚めればきっとすっきりしてる」
「そして俺達のことなんて忘れてる」
「クライエントはちゃんとあの人を頼りにしているもんね」
「だからこれから段々あいつを頼りにする人が増える」
「だからこれで僕達の役目は終わり」
「案内は『自分』に戻って御終いだ」


「「要はリフレイムすればよかっただけの話」」


 二人は瞼を開き、今まで見ていた映像を消すために頭を一度振る。
 彼はもう同じことでは悩まないだろう。万が一悩んだとしても其れを乗り越えるスキルを身に着けた。人が来ないと悩むことよりも、来てくれた人がどれだけ心を救われたのかを考えることが大事。
 そうすればおのずと人が集まってくることは条理。


 くすくすくす。
 笑う声は二人分。
 開かれた空間が萎縮する気配。消化された迷いがなくなって、また新たに生み出すのは別の不安、迷い人。
 そして最後には彼らが空間に溶ければ――――本日の物語は御終い。



……Fin





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1522 / 門屋・将太郎 (かどや・しょうたろう) / 男 / 28歳 / 臨床心理士】


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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、初めまして青木裕です。
 今回は発注有難う御座いましたv臨床心理士の設定を出来るだけ活かしたくて頑張ってみたのですが……如何でしょうか? ご希望に近いものであればこちらも嬉しく思いますっ。