■狙われた召鬼と四越デパートの悪夢■
飛乃剣弥 |
【5980】【ラッテ・リ・ソッチラ】【存在しない73柱目の悪魔】 |
四越デパートの最上階。そこは政治家や社長クラスの人間が頻繁に利用する最高級レストラン。三六〇度ガラス張りになった円形の店内は、最高の夜景を約束してくれる。
「……で、なーんでお前と一緒に、こんなところで飯食わなきゃなんねーんだよ」
目の前に出されたオードブルを不機嫌そうに銀製のフォークでつつきながら、荒神冬摩(こうじん・とうま)は半眼になってボヤいた。黒いクセ毛に、悪い目つき。いい素材ののタキシードを着ているが、どこかヤンチャな雰囲気とまるであっていない。高校生くらいの外見の彼は、荘厳な空気の満ちたこの場に似つかわしくない存在であることは間違いなかった。
「ウチかてアンタとなんか来たなかったわ」
その正面に据わり、紅のイブニングドレスで着飾った女性――嶋比良久里子(しまひら・くりこ)は愛用のサングラスの位置を直しながら、冬摩に返す。背中まである軽くウェイブのかかった黒髪。サングラスのため顔全体は見えないが、通った鼻筋と形の良い唇からかなりの美人であることがうかがえる。さらにドレスの下から大きく押し上げる豊満なバストは万人の注目を集めることは間違いない。
「ここはカップルでしか入られへんねんから、しゃーないやろ」
特徴的な喋り方で苦言を呈しながら、久里子はナイフとフォークを器用に使って生ハムを小さく切り分け、口に運ぶ。
「ったく、玲寺(れいじ)のヤツがいればよー。俺は嫌いなんだよ、こんな面倒なやり方。金が有り余ってるのは分かるけど使い方間違えてるぜ、土御門財閥はよー」
グラスに入ったワインを一気に飲み干し、冬摩は視線を久里子の後ろに向けた。
ブロンドのロングヘアー。光沢のあるストレートをうなじの辺りで纏めている。服装は白と水色のグラデーションが美しいサテンのドレス。冬摩の位置からは後ろ姿だけしか見えないが、スレンダーな体つきをした女性だ。彼女の前には髭をたくわえた人の良さそうな中年男性が座っている。
「アイツが今回のターゲットだな」
「そうや」
手を休めること無く、久里子は冬摩の言葉に首肯した。
「召鬼であることは本当に間違いないんだろーな」
「当たり前や。ウチの『眸(め)』は狂いはない」
召鬼とは魔人によって生み出された闇に棲む者。主に魔人の肉体の一部を人間に植え付けることで創り出される。能力はベースとなった人間や、魔人の力によって左右され、人間と敵対する存在となることが多い。
「早く殺っちまおーぜ」
「アホか。今暴れたら、どんだけ被害出るお思ーてんねん。何のために、こんな堅っ苦しい格好してここにおんのか分かっとるんか」
冬摩と久里子は退魔師。人間と敵対する者を狩ることを生業としている。
今回、久里子の保持する式神『天空』の能力の一つ『千里眼』で召鬼を見つけ、退魔する必要があるのかどうかを見極めに来たのだ。
「アイツは邪悪だ。間違いねーって」
「ウチに言わせたらアンタの方がよっぽど邪悪や。とにかく、もーちょっと様子見るで」
久里子の慎重な言葉に、冬摩は大袈裟に溜息をつく。
その時だった。店内に切羽詰まった放送が流れる。
『たったいま十階の家具売り場で火事が発生したとの知らせが有りました! 店内に残っているお客様は係員の誘導に従い、速やかに非難して下さい!』
とたんに店内が慌ただしくなる。悲鳴と怒号が交錯し、誰もが我先にと出口に殺到した。ウェイターやウェイトレスの声に耳を貸す人は殆どおらず、各人がバラバラに走り回る。
思わぬ事態に遭遇した事への動揺と、炎への恐怖で完全に混乱していた。
「おーおー、嫌だねー。すぐに慌てちまってよー。コレだから人間は……」
一方、冬摩は落ち着き払い、グラスになみなみとワインを注ぎ直す。肩肘を付き、夜景を一瞥した後、我関せずといった表情でターゲットに視線を向けた。
ターゲットまた、あたふたと動き回り人の波にもまれていた。一般人の行動とまるで変わらない。
「ウチ、ちょっと十階行ってくるわ。手助けできると思うし!」
口早に言うと、久里子は荒っぽく立ち上がる。
「お、おい。仕事はどーすんだよ!」
「目の前で苦しんでる人の救助が先や! 召鬼はあんたに任すから! くれぐれも無茶するんやないで!」
そう言い残すと久里子は厨房へと向かう。恐らく関係者用の裏出口があそこにあるのだろう。何でも見通す久里子の能力があってこその判断だ。
「無茶、ねぇ……」
くっく、声を押し殺して笑い、お目付役から解放された冬摩はゆっくりと席を立った。
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『狙われた召鬼と四越デパートの悪夢』
◆プロローグ◆
四越デパートの最上階。そこは政治家や社長クラスの人間が頻繁に利用する最高級レストラン。三六〇度ガラス張りになった円形の店内は、最高の夜景を約束してくれる。
「……で、なーんでお前と一緒に、こんなところで飯食わなきゃなんねーんだよ」
目の前に出されたオードブルを不機嫌そうに銀製のフォークでつつきながら、荒神冬摩(こうじん・とうま)は半眼になってボヤいた。黒いクセ毛に、悪い目つき。いい素材ののタキシードを着ているが、どこかヤンチャな雰囲気とまるであっていない。高校生くらいの外見の彼は、荘厳な空気の満ちたこの場に似つかわしくない存在であることは間違いなかった。
「ウチかてアンタとなんか来たなかったわ」
その正面に据わり、紅のイブニングドレスで着飾った女性――嶋比良久里子(しまひら・くりこ)は愛用のサングラスの位置を直しながら冬摩に返す。背中まである軽くウェイブのかかった黒髪。サングラスのため顔全体は見えないが、通った鼻筋と形の良い唇からかなりの美人であることがうかがえる。さらにドレスの下から大きく押し上げる豊満なバストは万人の注目を集めることは間違いない。
「ここはカップルでしか入られへんねんから、しゃーないやろ」
特徴的な喋り方で苦言を呈しながら、久里子はナイフとフォークを器用に使って生ハムを小さく切り分け、口に運ぶ。
「ったく、玲寺(れいじ)のヤツがいればよー。俺は嫌いなんだよ、こんな面倒なやり方。金が有り余ってるのは分かるけど使い方間違えてるぜ、土御門財閥はよー」
グラスに入ったワインを一気に飲み干し、冬摩は視線を久里子の後ろに向けた。
ブロンドのロングヘアー。光沢のあるストレートをうなじの辺りで纏めている。服装は白と水色のグラデーションが美しいサテンのドレス。冬摩の位置からは後ろ姿だけしか見えないが、スレンダーな体つきをした女性だ。彼女の前には髭をたくわえた人の良さそうな中年男性が座っている。
「アイツが今回のターゲットだな」
「そうや」
手を休めること無く、久里子は冬摩の言葉に首肯する。
「召鬼であることは本当に間違いないんだろーな」
「当たり前や。ウチの『眸(め)』に狂いはない」
召鬼とは魔人によって生み出された闇に棲む者。主に魔人の肉体の一部を人間に植え付けることで創り出される。能力はベースとなった人間や、魔人の力によって左右され、人間と敵対する存在となることが多い。
「早く殺っちまおーぜ」
「アホか。今暴れたら、どんだけ被害出る思ーてんねん。何のために、こんな堅っ苦しい格好してここにおんのか分かっとるんか」
冬摩と久里子は退魔師。人間と敵対する者を狩ることを生業としている。
今回、久里子の保持する式神『天空』の能力の一つ『千里眼』で召鬼を見つけ、退魔する必要があるのかどうかを見極めに来たのだ。
「アイツは邪悪だ。間違いねーって」
「ウチに言わせたらアンタの方がよっぽど邪悪や。とにかく、もーちょっと様子見るで」
久里子の慎重な言葉に、冬摩は大袈裟に溜息をつく。
その時だった。店内に切羽詰まった放送が流れる。
『たったいま十階の家具売り場で火事が発生したとの知らせが有りました! 店内に残っているお客様は係員の誘導に従い、速やかに非難して下さい!』
とたんに店内が慌ただしくなる。悲鳴と怒号が交錯し、誰もが我先にと出口に殺到した。ウェイターやウェイトレスの声に耳を貸す人は殆どおらず、各人がバラバラに走り回る。
思わぬ事態に遭遇した事への動揺と、炎への恐怖で完全に混乱していた。
「おーおー、嫌だねー。すぐに慌てちまってよー。コレだから人間は……」
一方の冬摩は落ち着き払い、グラスになみなみとワインを注ぎ直す。頬杖を付き、夜景を一瞥した後、我関せずといった表情でターゲットに視線を向けた。
ターゲットもまた、あたふたと動き回り人の波にもまれていた。一般人の行動とまるで変わらない。
「ウチ、ちょっと十階行ってくるわ。手助けできると思うし!」
口早に言うと、久里子は荒っぽく立ち上がる。
「お、おい。仕事はどーすんだよ!」
「目の前で苦しんでる人の救助が先や! 召鬼はあんたに任すから! くれぐれも無茶するんやないで!」
そう言い残すと久里子は厨房へと向かう。恐らく関係者用の裏出口があそこにあるのだろう。何でも見通す久里子の能力があってこその判断だ。
「無茶、ねぇ……」
くっく、と声を押し殺して笑い、お目付役から解放された冬摩はゆっくりと席を立った。
◆魔人の血を引く者◆
ラッテ・リ・ソッチラが感じたのは悪寒にも似た戦慄だった。
人の流れに従い、デパートから非難しようとしていた足が縫いつけられたように突然止まる。
(この……感じは……)
押し寄せる人の波に呑まれないよう通路の脇に避け、真上を見上げた。肌色の天井に取り付けられた無数の照明が煌々と光を放っている。ソレを突き抜けて遙か上。恐らくは最上階に二つの気配を感じた。
自分と同じ匂いが一つ。そして邪悪な気配が一つ。
(同族?)
直感で仲間だと感じた気配のすぐ側に、これだけ離れていても寒気がするほどの大きな力を感じる。恐らくまともに戦ったら自分では勝てないだろう。
(助けないと)
しかしラッテは躊躇うこと無く、屋上に続く階段へと向かった。
その同族と面識があるわけではない。間違いなく初対面だ。しかし気付いてしまった以上見過ごすわけには行かない。今ここに存在する、数少ない同胞を。
最上階にある高級レストラン。紅い絨毯の敷かれた大ホールに二人は立っていた。丸いホールを取り囲む様に鎮座している巨大な窓ガラスが、ハーフミラーとなって様々な角度から二人を映し出している。異常なまでの静けさの中、男と女が何も言わずに対峙していた。
一人はブロンドの女性。白と水色で塗り分けられた美しいドレスの胸元をぎゅっと握りしめ、心細そうな視線を目の前に男に向けている。
(あの男は、まさか……)
その女性を不敵な笑みを浮かべて見据え、タキシードのポケットに手を入れている男性の気配には覚えがあった。
(魔人……)
古来日本で鬼と呼ばれていた存在の別称。八百年ほど前、ラッテが日本に来た時に何度か見かけたことがあった。しかし退魔師によって次々と駆逐され、滅びてしまった種族と聞いている。
「なんだぁ? テメーは」
こちらに気付いたのか、男は不機嫌そうな視線を向けた。黒い短髪を乱暴にかきむしり、目に剣呑な光を宿してラッテを射抜く。
「ラッテ・リ・ソッチラと申します」
気を抜けばそれだけで喪失しそうになる戦意を何とか奮い立たせ、ラッテは男に一歩近づいた。
「とっとと逃げた方がいいんじゃねーか?」
口の端をつり上げ、男は嘲るような笑みを浮かべて見せる。
「私は一般人ではありません」
「どっちでも同じだよ」
目の前の女性からは目を外すことなく、男は短く言い放った。
「お前悪魔、だろ? なら召鬼と似たようなもんさ。コイツを助けに来たんならヤメといた方がいい。死にたくなきゃあな」
自信に満ちあふれた声。一目で見抜かれている。自分の正体も、そして力も。
「一つお聞きしてよろしいですか? 彼女は何か悪いことをしたのでしょうか」
震える女性に目をやり、ラッテは静かな口調で言う。外見だけではなく、中身からも邪悪な気配は感じられない。さっき男は召鬼と呼んだか。ラッテの記憶が正しければ魔人とは仲間のはずだ。それが何故、魔人に狙われている?
「関係ねーよ。龍閃(りゅうせん)の情報を知らない召鬼を生かしておく意味はない。だから殺す」
龍閃――最強の力を持った魔人の名前だ。まだ生きているならば、ラッテ達悪魔にとっても驚異となる存在。可能な限り敵には回したくない。
「あまりに思考が短絡的ではありませんか?」
「難しいこと考えるのは苦手でね」
もう一度、女性の方を見る。やはり何の悪意も感じない。そして自分と同じ匂いがする。きっと召鬼と悪魔は生まれた国が違うだけで、性質的には近い存在なのだ。
だが底冷えするような薄ら笑いを浮かべるの男からは、明確な殺意と甚大な攻撃衝動しか感じない。他人を傷つけることに、僅かな躊躇や呵責も示さない。気に入らないモノは力でねじ伏せる。そんな気配が痛いほどに伝わってきた。
「貴方をこのまま頬って置くのは危険です。私は彼女を助け、貴方を倒す」
「なかなか面白い冗談を言うじゃないか。ちっとも笑えないけどな」
言葉が終わると同時に、男の黒い殺気が一気に膨れあがる。双眸に狂気的な輝きを孕ませ、カッと大きく目を見開いた。
「せめて貴方の名前を聞いておきましょうか」
「荒神冬摩。あの世でも忘れるな。お前を殺した魔人の名前だ!」
◆ラッテの隠蔽◆
ソレはまさに一瞬の出来事だった。
冬摩の足下の紅い絨毯に皺が寄ったかと思った直後、彼の拳がラッテの目の前まで迫っていた。
「くっ!」
体を捻り、紙一重で何とかかわす。鼻先を凄まじい拳圧が過ぎ去っていった。こんな物をまともに喰らったら、いくら悪魔の体であってもタダではすまない。
「おらぁ!」
叫び声と共に冬摩の膝が、ラッテの腹部に横から肉薄する。それを後ろに跳んで空振りさせ、ラッテはそのまま勢いを殺すことなく冬摩と距離を取った。
が、それも一呼吸のうちにゼロとなる。肘をうち下ろしてきた冬摩の懐に入り込み、そのまま突き抜けてラッテは彼の背中に回り込んだ。
「っ!」
右腕に激痛が走る。冬摩の回し蹴りがラッテの二の腕を捕らえていた。無理な体勢で放たれたため力は乗り切れていないが、それでも十分に効く。
(何て身体能力……やっぱりまともにやったら確実に負ける)
それは最初から分かっていたことだ。元々ラッテは戦闘タイプの悪魔ではない。正攻法ではどう逆立ちしても勝てない。しかし、それでも戦い方がないわけではなかった。
(けど、まずはあの娘を逃がさないと)
ラッテは立ちつくしている召鬼に思念を送る。
――私が注意を引き付けている間に、早く逃げなさい。
連続で迫る冬摩の蹴撃を辛うじてかわしながら、ラッテは召鬼に目配せした。彼女は我に返ったようにハッとなり、ラッテの方を申し訳なそうな表情で見た後、ドレスを翻して出口へと走る。
「逃がすか!」
それに気付いた冬摩はラッテへの攻撃をやめ、両手で複雑な印を組み始めた。そして右手を床に押しつけて叫ぶ。
「使役神鬼『鬼蜘蛛』召来!」
冬摩が手を置いた紅い絨毯が突然強風に煽られたように捲れ上がり、黒い光の柱が立ち上った。光は収束しながら丸みを帯びた物体を形取り、徐々にその正体を露わにしていく。
大小二つの黒い玉を繋ぎ合わせたような巨躯。玉からは八本の脚が触手のように伸び、しっかりと床を捕らえている。
中から現れたのは巨大な黒い蜘蛛だった。だが、蜘蛛と唯一にして最大に違うのは頭部。ワニのように大きく裂けた口から覗くのは無数の棘。まるで割れたガラスの破片を肉に埋め込んだかのように、大きさがバラバラの巨大な牙は獲物を求めて唾液を滴(したた)らせていた。
「まだ殺すなよ。隠していることがあるかもしれんからな」
蜘蛛は「グゥゥ」と低い声で呻り、召鬼の退路を断つ形で回り込む。兇悪な顎に睨みを利かされ、召鬼は短い悲鳴を上げてその場に硬直した。
「さて」
冬摩は腕組みし、余裕の笑みを浮かべてラッテの方に向き直った。
「アイツを助けるんだろ? そんなんじゃお話にならないぜ?」
「そう、ですね。力の出し惜しみをしている場合ではないようです」
別にするつもりはなかった。だが冬摩の動きが早すぎて力を使う無かったのだ。しかし、召鬼の方に注意がそれたおかげで力を使う準備をすることが出来た。それに冬摩も体に宿していた十鬼神『鬼蜘蛛』を解放して、さっきよりは力が落ちいてるはず。
「有るんならとっとと見せた方がいいぜ? 地獄じゃ使い道無いからな!」
叫んで冬摩はラッテに向かって跳ぶ。
先程までと殆ど変わらないスピード。どうやら『鬼蜘蛛』によって強化されていた能力は速さではないらしい。しかし――
「深淵の鍵を持って開け、妖牢の扉!」
喚び声に応えるようにして、ラッテと冬摩の間の空間が歪んでいく。直線は曲線に、曲線は波となって湾曲し、空間の連続性を排除していった。そして限界まで歪められた空間に黒い筋が入る。ソレはどんどん占有率を上げ、まるで卵が割れたように中身をぶちまけた。そして黄身の変わりに出てきたのは異形の者達。
「っな!」
冬摩が驚愕の声を上げ、大きく横に跳ぶ。さっきまで冬摩のいた位置を刀が通り過ぎていった。刀の柄部に繋がっているのは白骨化した手。武者鎧を纏った髑髏が、ケタケタと顎を振るわせながら十数体姿を現した。
「そうか……ラッテ・リ・ソッチラ。どっかで聞いた名前だと思ったぜ」
ゆっくりとした動きで自分との間を詰めていく髑髏兵からは目を離すこと無く、冬摩は押し殺したような声で低く笑った。
「本来ならば存在し得ないはずの七三番目の悪魔。時空を操る術を持つ。確か能力は『隠蔽』だったか」
「よくご存じですね」
ラッテの声に冬摩はおどけたように肩をすくめて見せる。
「せっかく退魔師が苦労して封印した悪霊どもを解放しやがって。どうやらキツイお仕置きが必要みたいだな」
「その言葉、そっくり返して差し上げます」
言いながらラッテは第二、第三の『隠蔽』を解放した。双頭獣や一つ目、液体生物等の魑魅魍魎が強い邪気――すなわち冬摩の力に反応し、一斉に攻撃を始める。
(今のウチに……)
ラッテは『鬼蜘蛛』に見張られている召鬼に向かって疾駆した。恐らくこんな事では時間稼ぎくらいにしかならないだろう。倒すことが出来れば一番良いのだが、ソレはあまりにも希望的な観測だ。
「コッチです!」
召鬼の細く白い手を強引に引っ張り、ラッテは出口へと向かう。しかし、『鬼蜘蛛』がソレを阻んだ。鋭い牙をこれでもかと見せつけて威嚇し、低い唸り声を上げている。
「くっ!」
冬摩の命令があるためだからだろうか。向こうから襲ってくる気配はない。しかしラッテにしてみればコレは予想外のことだった。
十鬼神である『鬼蜘蛛』は今のように具現体として自律的に行動させることも出来るが、その使い方はあくまでも補助的な物だ。十鬼神の真価は体に宿し、自身の身体能力の一部を飛躍的に向上させることにある。
(あんなザコ相手なら、戻す必要もないと言うこと……)
無数の魑魅魍魎に囲まれ、ラッテの居る位置から冬摩の姿は見えない。彼の声も異形の立てる咆吼にかき消され、聞き取ることは出来なかった。
(しょうがない。とりあえずこの子だけでも助けないと)
自分の腕の中でガタガタと恐怖に震えている召鬼の額に優しく手を当て、ラッテは口の中で小さく何かを呟き始めた。
『鬼蜘蛛』だけが相手なら何とかなるかもしれない。しかしソレは一人の場合だ。召鬼を守りながらというハンデを背負うとなると、ラッテには自信が無かった。
「あ、あの……どうして私を助けて……?」
大きく丸い無垢な瞳でラッテを見上げながら、召鬼は不思議そうに訊ねる。
「いいからじっとしてて下さい。今、一時的に貴女を『隠蔽』します」
召鬼を『隠蔽』してしまえば、その『解放』はラッテにしかできない。自分一人となれば逃げ切るだけの自信はあった。そしてほとぼりが冷めたころに彼女を外に出してやればいい。だが、『解放』と違い『隠蔽』には時間とエネルギーがかかる。無害とはいえ、有る程度の力を持っている召鬼であればなおさらだ。
(お願い、間に合って)
後は異形の者達がどれだけ時間稼ぎをしてくれるか。
召鬼の体が徐々に薄くなっていく。彼女の体を通して紅い絨毯が見え始めた。『隠蔽』が完了しつつある。
――その時だった。ラッテの背後から爆風が吹き荒れたのは。
「ガアアアァァァァァァァァ!」
まるで獣のような冬摩の咆吼が聞こえる。
『隠蔽』への集中力を切らす事無く、ラッテ肩越しに後ろを見た。窓やテーブル、カーテンにシャンデリア。レストラン内の有りとあらゆるインテリアに血肉がこびり付いている。あれだけ居た魑魅魍魎は、影もなく細切れの肉片と化していた。
(もぅ、少し……!)
『隠蔽』と『解放』を同時には出来ない。新たな異形を喚ぶにはいったん召鬼への『隠蔽』を放棄する必要がある。しかし今と同じだけの時間を再び作れるとは思えなかった。
「『鬼蜘蛛』! そいつらをブチ殺せ!」
冬摩の声に応え、目の前で『おあずけ』を食らっていた巨大蜘蛛が嬉しそうに顎を広げる。口腔から腐臭を吐き出しながら、『鬼蜘蛛』はラッテ達を丸飲みしようと八本の脚で床を蹴った。
(よし!)
直後にラッテの『隠蔽』が完了する。召鬼の姿は空気に溶け込んだかのように跡形も無く消え去っていた。
「はあぁぁぁぁぁ!」
裂帛の気合いと共に、ラッテは両手を前に突き出す。そして自分の身の丈ほどに広げられた『鬼蜘蛛』の顎を素手で受け止めた。
「暗黒呪殺『死炎』!」
ラッテの掌が甚大な熱量を帯びる。ソレは『鬼蜘蛛』の体内へと侵入し、内側から肉を灼いて行った。ビクン、と大きく体を震わせて『鬼蜘蛛』はラッテから距離を取る。汚物の焦げた匂いが辺りに立ちこめた。
「へぇ。ちゃんと戦えるじゃないか」
後ろから愉悦に満ちた冬摩の声。ラッテは迷うことなく彼の方に体を向けた。『鬼蜘蛛』よりも冬摩に背中を見せていた方がずっと危険だ。
「で、例の茶番はまだ続くのか?」
冬摩の体はボロボロだった。タキシードは原形をとどめないまでに引き裂かれ、冬摩の流した血で赤黒く染まっている。腕と言わず、脚と言わず、全身に無数の裂傷を負いながらも冬摩は余裕の笑みでラッテを見ていた。
(どう、して……)
そしてラッテにもその理由が分かった。コレだけのダメージを負っているにも関わらず、邪悪な力は衰えるどころか何倍にもなったように感じるのだ。先程の魑魅魍魎を『解放』したとしても一分として持たないだろう。
「クッククク……」
喉を震わせ、冬摩は静かに笑った。
「いいねぇ、この『痛み』。コイツだけが俺に悦楽を運んでくれる。コイツだけが俺に生きる実感を与えてくれる……」
冬摩は恍惚とした表情で、特に傷の深い左腕を舐め取る。そしてまるで血に酔ったかのように哄笑を上げた。
(これが……魔人の力)
体の奥底から沸き上がる恐怖。ラッテは震えそうになる体を無理矢理の押さえつけるのがやっとだった。
聞いたことがある。十鬼神や十二神将といった強力な使い魔を体に宿す者には『力の発生点』が有る、と。恐らくさっきの口振りからして、冬摩の場合は『痛み』がその発生点なのだろう。すなわち、ダメージを負えば負うほど力が増していく。『鬼蜘蛛』をいつまで立っても戻さない理由がようやく理解できてきた。
邪魔なのだ。恐らくは傷の回復を早めるのだろう。だから具現化させたまま放置し、戦いが終われば戻す。コレが冬摩の戦闘スタイルなのだろう。
「さぁて……」
ひとしきり笑った後、冬摩は凄絶な笑みを浮かべてラッテに胡乱(うろん)げな視線を向けた。
「紅月でもない日に、こんなにハイになったのは久しぶりだ。召鬼を逃がしてくれた礼も含めて……」
言葉を残し、冬摩の姿が消える。
頭上に感じる悪寒。殆ど本当的にラッテは身を引いた。直後、高速で冬摩の体が床に突き刺さる。余剰エネルギーが奔流となってラッテの体を吹き飛ばした。
空中で姿勢を立て直し、ラッテは綺麗に着地する。すぐに顔を上げて冬摩の位置を確認しようとするが、さっきの場所に彼の姿は無かった。
「アンタにしないとなぁ」
耳の裏から聞こえる死神の声。速い、なんてモノではない。今の冬摩から見ればラッテの動きなど止まって見えるのだろう。
「さぁ――」
急速に転げ落ちる死への傾斜。
間に合うかどうかは分からない。だが、賭けるしかない。この事象の『隠蔽』に――
そして自分の腹から冬摩の右腕が生えた。
◆エピローグ◆
ラッテは四越デパートの外から、さっきまでいた最上階のレストランを見上げた。未だに禍々しい強い邪気が肌にビリビリと伝わってくる。悔しそうに叫び続けている冬摩の声が、風に乗って微かにラッテの耳に届いた。
「ふぅ……」
冷や汗を拭い、ラッテは人混みに紛れて息をつく。
外は消防車の放つ赤い回転灯のせいで昼間のような明るさだ。この火事が偶発的なモノなのか、それとも人為的なモノなのか。それは分からないが、ラッテにとってはどうでもいい事だった。
そんなことよりも今は奇跡的に『隠蔽』できた事への安堵に浸りたい。そして、冬摩から少しでも遠くに離れたい。二度と出会うことがない事を心から祈って。
四越デパートからは百キロ以上離れた場所。人気のない公園でラッテは召鬼を『解放』した。彼女は綺麗なブロンドを何度も縦に揺らしながら、ラッテに謝辞を述べる。
「本当に有り難うございました!」
一際深々と頭を下げ、召鬼はようやく顔を上げた。
「別に良いんですよ。同族を助けるのは当たり前のことですから」
柔和な笑みを浮かべ、ラッテはどこか居心地悪そうに返す。
「あの、一つ聞いて良いですか?」
上目遣いに問う召鬼の言葉にラッテは「どうぞ」と勧めた。
「どうやって、あの人に勝ったんですか?」
やはり気になるのだろう。それだけ冬摩と自分の力には開きがあった。
ラッテは首を横に振って返答する。
「私は勝ったわけではありません。ただ負けなかっただけです」
まるで謎掛けのような言葉に、召鬼はハテナマークを顔に浮かべた。
「彼の――『荒神冬摩の勝利』を『隠蔽』したのですよ」
疑問が氷解したのか、「あ」という短い声と共に手を鳴らす。
冬摩の勝利を『隠蔽』する。それを続ける限り、冬摩は決してラッテに勝つことは出来ない。ソレを知った時の苦虫を噛み潰したような冬摩の顔が鮮明に浮かんだ。
「それでは、私はコレで」
ラッテは軽く一礼した後、召鬼に背を向けた。
「あ、あの! 住所、教えてくれませんか? 今度、改めてお礼に行きたいんですけど」
慌てた召鬼の声が掛かる。ラッテは少し思案した後、顔を半分だけ後ろに向けた。
「貴女、お酒は好きですか?」
「え? は、はぃ。それなりに、は……」
唐突な質問に、召鬼は困惑して返す。
「でしたら、これからも美味しくお酒を召し上がっていてください。それが自然と私へのお礼に繋がりますから」
ラッテ・リ・ソッチラ――『継母の乳房』という意味を持つイタリアのリキュール。
慈愛に満ちた微笑をたたえ、ラッテは優しく頷いたのだった。
【終】
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号:5980 / PC名:ラッテ・リ・ソッチラ (ラッテ・リ・ソッチラ) / 性別:女性 / 年齢:999歳 / 職業:存在しない73柱目の悪魔】
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■ ライター通信 ■
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初めましてラッテ様。飛乃剣弥(ひの けんや)と申します。ご発注、どうも有り難うございました。
さて、冬摩との戦いいかがでしたでしょうか。プレイングに「勝率ゼロ」と書かれていたので、こんな形で終わらせてみました。『隠蔽』という能力はヘタをすれば万能型の何でも有りになってしまうので、能力の制限に知恵を絞りました。
また別の物語でお会いできれば幸甚です。では。
飛乃剣弥 2006年2月5日
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