■記録採集者■
千秋志庵 |
|
【6113】【犬神・譲一郎】【探偵】 |
新宿のと或る一角にて――。
少女は“記録”を売っていた。
歳不相応の笑みを浮かべながら、暗い彩を持つ繁華街に少女はいた。服装の黒は独特の空気の中に取り込まれてしまいそうな錯覚も憶えたが、それも所詮錯覚に過ぎない。ちきちきと手の中の安物のカッターをいじりながら、物憂げな目で人々を眺めやっていた。
“記録”の売人
記録――それも思い出や記憶、知識といった、他者に分け与えることが殆ど困難と思われる存在に対して、少女は異常なまでに干渉することが出来た。異能力者、或いはバケモノと呼ばれる類の存在だ。
その能力を商売に生かす、とは或る人間から与えられた知識であったが、既にその行為は少女にひどく染み付いたものとなっていた。
赤い色のカッターは、誰かを傷付けるために存在する。“記録”を奪うためには、恐喝や強請といった手段は常套手段だった。
「さて、と。……カモ発見」
くるりとカッターを手の中で回して、その日も目当ての人間の後ろ姿に付いて行った。自発的に動くだけでなく、時折、依頼もある。極小規模な数しか相手に出来ないのが残念だが、まあ無理な数を受けるのも余計な恨みを買う必要がある。
記録を奪うことに理由はあるが、誰にも語る必要も機会もない。
それがとても、寂しかった。
月下に歩き、刃物を振るう。
欲しい“記録”がある。
そのために、“記録”を集め続ける。
ただ、その行為が全て。
それが少女に関するデータの全てだ。
|
記録採集者
取り敢えずのスタイルなのか、口元に僅かに微笑を携えた笑みを少女は向け、軽く頭を下げた。
「初めまして？」
そして自然な動作で、犬神譲一郎へとカッターの刃を向ける。少し刃零れのし始めているそれは切れ味が悪そうにしか見えなかったし、薄利多売で大手スーパーに売られている安物からして、事実それは正しいと言えるだろう。
「それで、名前は何て言うの？」
「名乗るなら、自分からだろうが普通」
「普通って枠に当てはめるのが、愚考、かな。まあそれも私の言葉じゃないけど。人様の経験値より拝借っと」
助走なしで飛び込む少女は刹那の間に譲一郎の懐へと接近する。喉元を明らかに狙ったカッターを手の平に収めていた折り畳み式ナイフで迎え撃とうと構えるが、
「ありゃ」
呆気ない声と共にカッターは折れてしまった。
「……名前をどうこう訊く前に、それ手入れした方がいいぞ。或いは、もっと頑丈で良い奴を買うかとかさ」
「でも血のせいですぐに使えなくなっちゃうんだよね。だから、安いので妥協策」
「金くらい、どうにでも工面出来そうじゃないのか？」
譲一郎は一歩だけ後退し、間合いを少しだけ開けた。一歩の跳躍でかなりの間を縮められる能力を持っているのだから、少しくらいの迎撃体勢は取って当然とも言える。
少女は折れたカッターを道端に捨てる。環境破壊云々を言っていられる場所でないから良いとして、下手に踏めば痛いだろうなと下らないことを思う。
「それで何の用事だっけ」
きょとんとした言葉に、譲一郎は苦笑した。
「俺も言っていない。だから知らなくて当然だ」
「そうよね。だったら問題なし、と。でも、おおよその予想は付くけどね」
「それなら話が早い。……それで、結論は如何に？」
「言ったでしょ？ 私はこれでも商売人――代価をお支払いただければ、いつだって記憶も記録もお返しする準備は出来ていますよ」
親指と中指で音を鳴らすと、周囲には定義のし難い色をした光がぼうと現れる。横着に触れようとして他人の記憶が逆流してしまったことに、譲一郎は思わず息を呑んだ。記憶と言っても、生半可な記録ではない。死や苦痛、悲哀。少女が敢えて好んで記憶を採集する身を落としたのならば、自ずとこれらの全てにも耐えてきたのだろう。
「さて、どれをご所望で」
イチイチ触れて確かめないといけないのは厭だな、と滅入る気持ちを抑えつつ、譲一郎は依頼人の幾つかの特徴を口にした。既に失った記憶であるが故、その内容がどのようなものかは言うことが出来ないが、少女は軽く思案した後に一つの光を指差した。
「……で、どうやって持ち帰る気？ 手に持って、だと大変だよ。意識を乗っ取られないように注意してね」
「他に持ち帰り方法は？」
「本人を連れてきてくれれば、直接記憶をぶち込むよ？」
「それが出来るんなら、元よりそうしている」
「じゃあ、時空転送装置を使う、とか？」
「そんなハイテクなものがここにはあるのか？」
驚く譲一郎に、少女はないよと即答した。
「なら自然療法。時間は掛かるけど、思い出は元ある場所へと帰っていただきましょう」
ふよふよと上空に舞い始めた光は闇の中に消え、譲一郎らの視界から消えた。さてと帰るか、と腰に手をやって伸びを始めた譲一郎に対して、少女はどこからか取り出した新しいカッターを再び構えた。
「代わりに、あなたの＜記録＞をいただきます」
言い終わらない内に、少女は舞った。なるほど、無駄に新宿で場数を踏んでいるだけはある。突きと同時に繰り出す蹴りには、微量であるが先程の光と同じように何かが逆流してくる感じがする。一度でも受けたら終わりかなと思いつつ、サバイバルナイフではじき、かわす。
「ここで俺が逃げても文句はないな？」
答えを口にする前に、譲一郎は突きを流して、少女の勢いを殺さぬままに路上へと倒した。一瞬の間の後に起き上がるも、視界に写るのは誰もない。隠れているものかと迎撃体勢を怠らないものの、いつまでたってもその気配は皆無としか言いようがない。
「……嘘。逃げられたぁ」
少女自身は気紛れな性格ではあるけれども逃げられるのは久々らしく、カッターを弄りながら口惜しそうに呟く。
今度はこちらから出向こうかな、と一人心地で呟いて、少女は闇へと消えた。
記録を採集する少女は新宿の夜に度々現れては、気紛れに奪い、与え、返す。
しかし毎夜現れていた姿は近頃は時折消え、何かを求めるように別の場所へと姿を現すことが多くなったのである。
【ＥＮＤ】
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 ／ ＰＣ名 ／ 性別 ／ 年齢 ／ 職業】
【６１１３／犬神譲一郎／男性／２８歳／探偵】
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ ライター通信 ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
初めまして、千秋志庵と申します。
依頼、有難うございます。
記録を知識と記憶と分類した場合、これらを蒐集している少女は一体どちらを欲しているのか。
知識であれば書物やネットでも充分であることが多いし、記憶であれば主観的立場から見ているが故に真実であるとは限らない。
それでも少女は記録を採集する、それこそ貪欲なまでに。
自身の記憶よりも他者の記憶を重視する理由はまだ明かされていませんが、いつかどこかで、ほんのちょこっとでも出せたら良いなと思っています。
兎にも角にも、少しでも愉しんでいただけたら幸いです。
それでは、またどこかで会えることを祈りつつ。
千秋志庵 拝
|
|
