■とまるべき宿をば月にあくがれて■
エム・リー |
【0086】【シュライン・エマ】【翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】 |
薄闇と夜の静寂。道すがら擦れ違うのは身形の定まらぬ夜行の姿。
気付けば其処は見知った現世東京の地ではない、まるで見知らぬ大路の上でした。
薄闇をぼうやりと照らす灯を元に、貴方はこの見知らぬ大路を進みます。
擦れ違う妖共は、其の何れもが気の善い者達ばかり。
彼等が陽気に口ずさむ都都逸が、この見知らぬ大路に迷いこんだ貴方の心をさわりと撫でて宥めます。
路の脇に見える家屋を横目に歩み進めば、大路はやがて大きな辻へと繋がります。
大路は、其の辻を中央に挟み、合わせて四つ。一つは今しがた貴方が佇んでいた大路であり、振り向けば、路の果てに架かる橋の姿が目に映るでしょう。残る三つの大路の其々も、果てまで進めば橋が姿を現すのです。
さて、貴方が先程横目に見遣ってきた家屋。その一棟の内、殊更鄙びたものが在ったのをご記憶でしょうか。どうにかすれば呆気なく吹き飛んでしまいそうな、半壊した家屋です。その棟は、実はこの四つ辻に在る唯一の茶屋なのです。
その前に立ち、聞き耳を寄せれば、確かに洩れ聞こえてくるでしょう。茶屋に寄った妖怪共の噺し声やら笑い声が。
この茶屋の主は、名を侘助と名乗るでしょう。
一見何ともさえないこの男は、実は人間と妖怪の合いの子であり、この四つ辻全体を守る者でもあるのです。そして何より、現世との自由な往来を可能とする存在です。
彼が何者であるのか。何故彼はこの四つ辻に居るのか。
そういった疑念をも、彼はのらりくらりと笑って交わすでしょう。
侘助が何者であり、果たして何を思うのか。其れは、何れ彼自身の口から語られるかもしれません。
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とまるべき宿をば月にあくがれて 参
空になった湯呑の中に二杯目の茶が注がれる。たちのぼる香しい湯気に両目を細め、シュラインは添えられた上生菓子を一口、口に運んだ。
「どうですかね? 新作なんですが」
急須を手にしたままの侘助が横から口を開いてそう問い掛ける。
シュラインは口にした菓子を飲み下し、侘助の顔を見上げて首を傾げた。
「とても美味しいわ。うん。ねりきりもこし餡も上品な甘さですごく良い感じ。このくらいの甘さだったら、抹茶でなくても合いそうだわ」
「ありがとうございます」
シュラインの賛辞に対し素直な礼を告げて、侘助は茶屋の奥へと消えていった。
シュラインは去っていった侘助の背中をしばしの間見守って、残っている菓子に楊枝をさしいれる。
四つ辻に足を運ぶのは今回で3度目のこととなる。
シュラインの意思とは何の因果関係ももたずに門を開くこの場所には、人間と称する見目をした存在は茶屋の主でもある侘助のただひとりきりしかいない。否、正しく述べるならば侘助の他にも同じように人間の見目をもった存在が数人ばかりいるのだが、シュラインはこの四つ辻では侘助と黒衣のパティシエの姿しか目にしていないのだ。
薄紅色の花びらを模した菓子を食し終えたシュラインは、茶屋の椅子を埋めている妖怪達に目を向けた。
四つ辻で目にすることが出来るのは、その大半が彼らのような妖怪達なのだ。あたかも鳥山石燕の画図の中に踏み入ってしまったかのような感覚を覚える風景だが、しかし彼らは訪れる人間達に対し悪意といった物騒な対応をみせることをしないのだ。人懐こく朗らかな妖怪達は、シュラインの見るところ、酒や唄を楽しみ、あるいは小噺に興じているばかりの存在に過ぎないように思える。
この日も、菓子を食し終えたシュラインに向けて声をかけてきた妖怪がいた。妖怪は一見すれば人間の女と見紛う見目をしているが、しかし頬づえをついているその腕を見れば、その腕にびっしりと現れている鳥の目があるのを知ることが出来る。
「ねェ。あンたも半妖かなんか?」
頬づえをつきながら小さな杯を揺らしている百々目鬼は、なんの前触れもなく、不意にそう訊ねてきた。
シュラインは冷めかけたお茶の残りを一息に飲み干して、向かいの椅子に座っている百々目鬼の顔に視線を向ける。
「いいえ。多分、普通の人間だと思うけど」
「多分?」
返した言葉に、百々目鬼はわずかに眉根を寄せて目を細ませた。
シュラインは彼女の反応を確かめながら小さく肩を竦め、言葉を続ける。
「先祖の中には、私が知らないだけで、もしかしたら妖怪と縁をもった人がいたかもしれないでしょう?」
湯呑を置き、小さな笑みを浮かべてみせるシュラインに、百々目鬼の頬がゆらりと緩められた。
「なるほど、確かにその通りだァね」
ニマリと笑う百々目鬼の手には徳利が揺れている。女妖はシュラインの顔に笑みをもって一瞥しつつ、自らの手で杯に酒を注ぎいれた。
シュラインもまた百々目鬼の笑みを一瞥し、ふわりとやわらかな笑みを滲ませる。
「ところで、さっき、”あんたも”って言いましたよね。ということはどなたかそういった方がおいでなんですか?」
シュラインの問いかけを受けて、百々目鬼はじわりと頬を緩ませた。
「ここンとこの大将が半妖さね。まァ妖怪の血は幾分か薄めのようだけれどもねェ」
「大将? 侘助さんのこと?」
首を傾げてそう訊ね返し、百々目鬼を見遣っていた視線をそのまま侘助へと向ける。
侘助は店の奥で小噺に興じている妖怪達と談笑していたが、シュラインの視線に気がつくと横目に視線を送り、穏やかな笑みを乗せたのだった。
「侘助さんが半妖?」
呟き、次いで「ふぅん」とかすかにうなずく。
侘助の見目は人間そのものといった風体だが、しかし、言われてみれば確かにうなずける部分も確と在る。そもそもこの四つ辻に有る存在ならば、少なからず妖の脈を持ち得ているはずなのだから。
「あンた、大将とは縁深いのかイ?」
酒を飲み干した百々目鬼がさらに訊ねくる。
「うーん、そうねえ」
唸るようにそう返し、百々目鬼の顔がほんのりと薄紅を帯びているのを確かめる。
「現世の方でもお会いしているけど、縁深いのかって訊かれると考えちゃうわね」
「現し世かィ。……ああ、懐かしいモンだねエ」
空になった徳利を置き、女妖はそう小さく呟いた。
「やっぱり昔は皆さん現世に出入りなさってたんですか?」
女妖の呟きを聞きとめたシュラインがそう問うと、百々目鬼は侘助に新しい徳利を持ってくるように声をかけた後にうなずいた。
「まァ、あちきの場合はもう大分前の話さね」
「いつ頃のお話なんですか?」
訊ねたその時、横手から顔を覗かせた侘助が口を挟んできた。
「おや、なんの話です?」
「侘助さん。今、こちらの方とお話させていただいてたんですよ」
「へえ、百々目鬼と?」
シュラインの言葉に促されたように百々目鬼に向けて視線を移した侘助につられ、シュライン自身も百々目鬼の姿を映しとる。
百々目鬼は艶やかな黒髪を緩やかな編み方でひとつにまとめ、艶然とした笑みを満面に浮かべてシュラインと侘助の顔を順に眺めやった。
「あちきが現し世に出入ってた時期ってェのは、世が元禄って呼ばれてた頃のことさ。……今はなんて暦なんだィ?」
「今は平成っていう暦よ。元禄だと、ざっとみて300年は昔になるかしら」
侘助が運びもってきた徳利は二本ばかりあった。百々目鬼はそのひとつを自分用に引き寄せ、残った一本をシュラインに向けて差し伸べた。
「300年かィ。それじゃアあちきが見知ってる江戸じゃあなくなってンだろうねエ」
差し出された徳利を受け取ったはいいが、それを注ぐ杯が無いのにきがついて、シュラインはしばし周りを確かめる。が、それを察したのか、侘助が杯をひとつテーブルの上へと置いた。
杯も徳利も、侘助が手がけたものであるらしい。いびつな形ながら、しかしどことなく温もりを感じる作り具合になっていた。
「そうですね。……さすがに江戸の名残っていうと、もうそんなにはないかしら。……ああ、でも、今でも当時の有り様を好む人もいるし、完全に無くなったっていうわけでもないかもしれないわ」
杯に酒が注がれる。蜂蜜色のそれを口にすれば、なんとも言えない香りが口の中を満たした。
「おいしい……。これって、まさか詫助さんが仕込んでるお酒なわけじゃないわよね」
「ハハハ。さすがに酒は造れません。ちょっとした知己に頼んであるんですよ」
シュラインの言葉に、侘助は軽くかぶりを振って笑った。
シュラインは侘助の反応を見てからしばしの間沈黙し、杯の中の酒を一息に飲み干した。
「そういえば、この間はバレンタイン、ありがとうございました」
思い出したように会釈をすると、それをうけた侘助はやんわりとした笑みを浮かべてうなずいた。
「いや、俺はシュラインクンのお役には立ってませんし。……それで、美味く作れましたか」
「ええ、おかげさまで。結局、ダミエの他にガナッシュとかも作ったんだけど、あれってどうも多めに作っちゃうのが難よね」
「おや、難点ですか?」
「……そう訊かれたら、困っちゃうけど」
返事に詰まってしまったシュラインを、侘助はやんわりとした笑みと共に見遣る。
「ばれんたいん? それはどんなモンなんだィ?」
百々目鬼が首を突っ込んできたのを見て、シュラインは詫助にあてていた視線をそちらへと移動させた。
「バレンタイン。元々は西洋のほうのイベント……お祭りです。心を寄せる者同士で贈り物を交換したりするの。でも、最近じゃそれもちょっと変わってきちゃってて、今は女性から、意中の男性にチョコレートを贈るっていうのが主流になってますけれどもね」
「へェ。好いた男へ贈り物をする祭りかィ。で、なんだい、そのちょこれえとってのは」
「西洋の菓子ですよ。ほら、たまに田辺クンが持ってくるじゃないですか」
「田辺? ……あア、あの男か。するってとェと、ちょこれえとってのもあれかい。砂糖の塊みたいなモンかいね」
「砂糖の塊」
百々目鬼の言葉に、シュラインの肩ががっくりと落ちる。
「百々目鬼さんも一度美味しいチョコを食べてみるべきだわ」
ため息がてらそう述べた言葉に、侘助が弱々しい笑みを浮かべてかぶりを振った。
「いやいや、シュラインクン。四つ辻の連中は、田辺クンの菓子を食ってるんですよ」
告げられた侘助の言葉に、シュラインの目が光を帯びた。
「それを砂糖の塊って称するの!?」
「あちきは酒さえありゃあいいのさ」
杯をあけ、女妖がまったりとした笑みをこぼした。
「しかし、なんだねェ。いい時代になったもんじゃないか。好いた男に心を明かすなんざ、あちきが現し世にあった時分にゃあんまりお目にかかれなかった事さ」
「時代が時代でしたからねえ」
百々目鬼の言葉に侘助がうなずく。シュラインはその言葉に興味を示して身を乗り出した。
「妖怪さん方にはバレンタインみたいなイベントって無いのかしら」
「ええー、あー、そうですねえ。今んとこはないですかねえ」
やんわりとした笑みで詫助が告げると、百々目鬼がしばしの後に口を開けた。
「そういう祭りがあっても愉しいかもしれないねェ。なにしろここの連中は祭り好きだからねェ。大将が作ったねりきりでも贈りあったらいいのさ」
「ああ、そういうのも楽しいかもしれないわ」
大きくうなずいたシュラインに、侘助がふむと小さくうなずいた。
「なるほど。洋菓子でなしに、和菓子を贈りあう、ですか。……それはそれでいいかもしれませんねえ」
「ね。試してみたらどうかしら。手伝えることがあったらお手伝いするし」
微笑みを浮かべて首を傾げたシュラインに、侘助と百々目鬼の視線が寄せられる。三人はしばしの間視線を重ね、その後に誰からともなしにうなずき合った。
「それじゃあ、今度試してみましょうか」
「あちきは酒のほうがいいんだけれどもねェ」
「そしたら贈るものはお菓子に限らずってことにしたらいいじゃない」
「いやしかし、四つ辻にある酒は大抵皆嗜んじまってますしねえ」
「私が買って持ってきたらいいんじゃない? 侘助さんだって現世には出入りしてるんだし」
「おや、西洋の酒が呑めるのかィ?」
百々目鬼がほくほく顔で笑う。気付けばいつの間にか他の妖怪達も集っていて、周りにはちょっとした黒だかりが出来ていた。
「……なんか、趣旨が違ってきてるような気がするんだけど」
ため息を落とすようにして笑みを浮かべ、シュラインはかすかに首を竦める。
「まあ、いいわ。今度来るときは洋酒を持ってくるから、なるべくならそういう時に招いてね。いつ招かれるのか判らないんじゃ、いつ買っておいたらいいのかもわからないもの」
そう述べて両目を細めたシュラインに、侘助がやんわりとした笑みを浮かべてうなずくのだった。
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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
NPC:侘助
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ライター通信
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いつもお世話様です。このたびはご発注、まことにありがとうございました!
四つ辻は9割が和で出来ていますから、そこにバレンタインという欧米文化が流れ込むとは想像もしていませんでした。
どうやらその文化は四つ辻ではさらによじれたものとして広まりそうな気配ですが(笑)、よろしければ今後もまた伝道師(?)として、顔をだしにいらしてください。
このノベルが少しでもお気に召しますように。
それでは、またご縁をいただけますことを祈りつつ。
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