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■月残るねざめの空の■

エム・リー
【4958】【浅海・紅珠】【小学生/海の魔女見習】
 薄闇と夜の静寂。道すがら擦れ違うのは身形の定まらぬ夜行の姿。
 気付けば其処は見知った現世東京の地ではない、まるで見知らぬ大路の上でした。
 薄闇をぼうやりと照らす灯を元に、貴方はこの見知らぬ大路を進みます。
 擦れ違う妖共は、其の何れもが気の善い者達ばかり。
 彼等が陽気に口ずさむ都都逸が、この見知らぬ大路に迷いこんだ貴方の心をさわりと撫でて宥めます。
 路の脇に見える家屋を横目に歩み進めば、大路はやがて大きな辻へと繋がります。
 その辻を挟み、大路は合わせて四つ。四つ方向へと伸びるその路上には、花魁姿の女が一人、佇んでいます。

 艶やかな衣装を身に纏い、結い上げた黒髪には小さな鈴のついた簪をさしています。
表情にあるのは艶然たる微笑。悪戯を思いついた童のように貴方を見上げる眼差しは、常に真っ直ぐであり、そして飄々としたその言は、貴方の問いかけをひょいと交わしてしまうでしょう。
 女の名前は立藤。
 大路の何れかの何処かに存在していると云われる廓に在する花魁である彼女は、客人が迷いこんできた際には何故か何時も大路に立ち、戯れのように、小さな依頼を口にするのです。貴方はその依頼を、結局は引き受けてしまう事になります。
 そうして貴方は、この四つ辻の大路の薄闇を、散策することとなるのです。

 彼女は一体何者なのか。
 客人を呼び招いているのは、彼女であるのか否か。

 その答は、何れは貴方の知る処となるのか、否か。
月残るねざめの空の  弐


 所属している声楽部の顧問が洋楽好きな大人であったということも、大きな要因のひとつであっただろうか。
 今練習している合唱曲は「Sing」という曲名の、洋楽を知らない身であっても妙に馴染みのある曲だった。
 明るく前向きな歌詞であるそれを日本語訳の歌詞ではなく、原曲のままで小学生に歌わせようという教師の意気込みは、ものの見事に成功したといえよう。
 紅珠は、西の空が橙色で染め上げられている中、いつものように通学路を辿り、帰路についていた。
 通学路を途中まで同じくしている友人は、じりじりと流行り続けている風邪のために学校を休んでいた。そのため、紅珠は、学校を後にしてから比較的早い内にひとりきりになっていたのだった。
 陽の沈みも大分遅くなり、公園の桜はその蕾をじわじわと膨らませつつある。
 春はもうすぐそこまで来ているのだ。
 紅珠は、しかし、巡り来る新しい季節への期待もそこそこに、もごもごと「Sing」を口ずさみながら、ぼんやりと歩き進めている。
 夕焼けを映したような双眸は、いつもであればあらゆる喜びや望みといった感情で満ち溢れているのだ。だが、今日ばかりはその光もわずかな翳りを帯びている。
 深く長いため息をひとつ吐いて、紅珠はひたりと歩みを止めた。
 半ば押しかけるようにして住み着いている家の屋根は、もうすぐそこに見えている。
 「Sing」を歌いながらその屋根を見つめ、再び、今度は短いため息を漏らした。
 
 紅珠の頭の中は、最近、のっそりとした泥で覆われている。それは、気持ちよく晴れ渡った空の色とは真逆の位置にある、曇天のそれにひどく似ている。日差しを見せようと試みても、広がる雲がたちどころにその陽光を塞いでいってしまうのだ。
「……はぁ」
 もはや、ため息は自分の意思に関わらずに口をついて吐き出される。紅珠は小さなかぶりを振って、ランドセルを背負いなおした。
 歌を口ずさむも、その明るく前向きな歌詞とは裏腹に、気持ちはどんどん沈んでいくばかり。
 足元に目を落として歩みを進める。本来ならば一刻も早く家のドアを開けたいのに、歩む足は妙にのろのろとしている。――紅珠の心を曇らせている原因は、きっともう家に帰宅を済ませているだろう。
 ランドセルががしょがしょと揺れる。
 夕暮れていく空の下、梅の香をはらんだ風が通り過ぎていく。
 紅珠はしばし足を止め、目線を足元へと向けて、何度目のものになるのか知れないため息を吐いた。
 
 幾分か湿り気を帯びた風が紅珠の髪を梳いていく。その風が梅の香をはらんだものでないことに気付き、紅珠はゆっくりと顔を持ち上げて周りの景色を確かめた。
「――あ」
 眼前に広がっていた風景を見やり、目をしばたかせる。
 そこには夕暮れの空ではなく、しっとりとした夜の薄闇があった。風は紅珠の頬をさわりと撫ぜて過ぎていき、仰ぎ見る上空には月はおろか星の瞬きのひとつさえも見当たらない。
 紅珠には、自分が立っているその場所に覚えがあった。
「四つ辻だ」
 見覚えのある大路の名を口にしたのと同時に、
「あれ、紅珠さんではないの」
 薄闇を揺らす鈴の音が響き、その涼やかな音色によく似た声音が紅珠の名を呼んだ。
「……立藤、さん?」
 その声音にはやはり覚えがあった。紅珠は肩越しに後ろを見やり、声の主を確かめる。
 薄闇の中にあったのは花魁姿の女性だった。
 艶然とした笑みを満面に浮かべ、その女――名を立藤という――は紅珠の声にしゃなりと小首を傾げる。
「あぁ……俺、またここに来たんだ」
 ぼうやりとした口調でそう呟いて、のろのろとした動きでランドセルを背負いなおす。
 新しく買ったばかりのスカートは白を基調にしたデザインの、春物だ。風が吹けば少しばかり肌寒くもなるが、『オシャレ』のためには我慢もするのだ。
 スカートの裾が膝の位置でひらひらと揺れ動くのを、紅珠は俯いた姿勢で見つめてため息を漏らす。
「お心を痛めるような弱り事でもありんしたか?」
 気付けば紅珠のすぐ目の前まで歩みを寄せていた立藤が、紅珠の顔を覗きこむようにして身を屈めていた。
「弱り事……? ……ああ、悩み事っていうこと?」
 立藤の言葉に問いを返すと、立藤はゆったりとうなずいて目を細ませた。
「……わかる?」
 続けてそう訊ね、立藤の表情を窺うような目線を投げる。
 立藤は紅珠の視線を受けて再びうなずき、やわらかな微笑を浮かべて半歩ほど歩みを進めた。
「おなごというものは心をいたぶられるような事があれば、知らず、顔に滲み出てくるものでありんすえ」
 半歩進めた足をひたりと止めて、立藤は止まったままの紅珠を振り向いた。
「ねこやなぎが咲いたんでありんすよ。こなたの先にありんすから、一緒に見に行きんしょう」
「ねこやなぎ?」
 訊ね、口を閉ざす。紅珠の頭の中に、銀白色の花が浮かんだ。
「あ、でも、俺、……出来れば立藤さんに相談にのってほしいなーなんて思うんだけど……」
 再び歩き出した立藤の歩みを追いながら、ごもごもとした口調でそう告げる。が、立藤の足は止まる素振りも見せないまま、どんどんと大路を進んでいくのだ。
 紅珠は短い息をひとつ吐き、気乗りしないままに立藤を追いかけた。
「あ、あのさ。俺、好きなひとがいてさ。今、その、一緒に住んでるんだけどね」
 立藤の歩調に合わせて歩き、紅珠はやはりごもごもとした口ぶりで話しかける。
 立藤は紅珠の顔をちらりと一瞥しただけで、なんら言葉を返そうとはしてこなかった。
「そのひとがさ。その……最近、ちょっと様子がおかしくて」
 なんら言葉が返されないのを気にとめながらも、開いた口は止まらない。――年の離れた男性との恋話など、さすがに同じクラスの友人達には相談出来ずにいたのだ。紅珠の心の中には吐き出す場所を見つけることが出来ないまま、後からあとから降り積もっていくばかりのモヤモヤが重なるばかりだったから。今、それをようやく解放することが出来て、紅珠の気持ちは少しづつ呼吸を整えることが出来ていた。
 立藤は一言でさえも発しない。うんとも否とも言わないその横顔を眺め、紅珠はさらに言葉を続ける。
「この間ね、一緒に動物園に行ったんだ。……その日から、ちょっとおかしいんだよね」
「――ああ、ほら、あれでありんす」
 不意に、立藤の足が止まった。持ち上げられた手は路の脇にある一本の木を示していた。
「ねこやなぎは、見た目こそ地味なものでありんすが、よぅく見ればなんとも愛らしいものでありんすえ」
 しゃなりと首を傾げて艶然と微笑む立藤の横顔を見やり、紅珠はふと口をつぐむ。
「……俺、立藤さんに相談にのってほしいんだけど」
 ねこやなぎを見ていた視線をゆるゆるとおろし、紅珠は半ばふてくされたようにそう言い捨てた。それを受けて、
「人の恋路に口を出すんは、無粋というものでありんしょう」
 立藤は、今度は間を置かずにそう述べた。
「ぬしとその殿方と、ふたりきりより他にありんせん。片方が折れたなら片方が支えてやらねばなりんせん」
 そう告げて、立藤はゆっくりと紅珠に目を向ける。
 紅珠は俯いていた視線を持ち上げて立藤を見やり、言葉を返すこともせずに目をしばたかせていた。
 立藤は紅珠の視線を見据え、ゆったりと両目を細ませる。
「山の際(ま)に雪は降りつつ、しかすがにこの河楊(かはやぎ)は萌えにけるかも」
「……え?」
 不意に立藤が唄うようにそう告げて、紅珠は再び目をしばたかせる。
「春を唄ったものでありんす。……雪はぬしの心を冷やしていくかもしれんせんが、春はきっと巡ってきんす」
「……」
 ふうわりと微笑む立藤の表情がとても穏やかなものであるように思えて、紅珠は知らず息を吐いた。
「……うん、そうだよね」
 うなずきを返すと、立藤もまたゆったりとした所作でうなずいた。
「ねこやなぎって、でも、花っぽくないよね」
 紅珠の言葉に、立藤は静かに首を竦める。
 手を伸ばしてふうわりとした花に指を這わせると銀白色のそれはゆらゆらと静かに揺らぎ、薄闇をぼうやりと照らし出した。
「……でも、俺、嫌いじゃないな」
 そう続けた紅珠に、立藤は言葉を返すでもなく、ただやんわりと頬を緩めてみせるだけ。

 しっとりとした風が流れて薄闇を揺らす。

「……うん、俺、がんばってみる」
 小さなガッツポーズをとった紅珠を真似て、立藤もまた小さなガッツポーズをとった。
「がんばりんしょう」

 





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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【4958 / 浅海・紅珠 / 女性 / 12歳 / 小学生/海の魔女見習】


NPC:立藤

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          ライター通信          
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いつもお世話様です。続けてのご発注、まことにありがとうございました(礼)。
本来ならばもっと早くにお届けするべきなのでしょうが、その、個人的な事情と重なり、結局は期日をめいっぱい使わせていただくことになりました。
お待たせしてしまい、申し訳ありませ……うう

前回いただいたシチュノベを引き継いでのプレイングということで、今回はその部分に重点を置かせていただきました。
立藤はなんだかうやむやに流してしまっているような感もありますが、じつは、彼女の行動には、ねこやなぎの花言葉が根底に働いていたりします。
「自由・率直・努力が報われる」
今後ともがんばりましょう、紅珠さま。

それでは、このノベルが少しでもお気に召しますように。
そして、またご縁をいただけますようにと祈りつつ。