■お友達になりたくて〜第2章〜■
笠城夢斗 |
【4958】【浅海・紅珠】【小学生/海の魔女見習】 |
葛織家は代々『剣舞』と呼ばれる「魔寄せ」の舞を受け継ぐ一族である。
現在、次代当主と目されている少女は弱冠十三歳。その歴代の当主たちの中でも、あまりにも高すぎる『魔寄せ』の能力のために、彼女は生まれてすぐ別荘へと、半ば閉じ込められるように移された。
今、十三歳となった少女は、ひとりの世話役たる青年と、数名のメイドとだけ接して暮らしている――
**********
先日、葛織紫鶴(くずおり・しづる)は近所の薔薇庭園に住む「ロザ・ノワール」という少女と「友達になる!」と決心した。
それも、生まれてからずっと世話役として傍にいたため依存してきた竜矢の手を借りずに。
ただ、紫鶴はその能力の高さゆえに生まれてこの方別荘敷地から出ることができなかった。そのため、親戚以外の人間とはろくに会ったことがなく、友達づきあいというものも難しい。
先だって、紫鶴はある六名の人々にアドバイスをもらい、ほんの少しだけ自信をつけて、ノワールとその保護者の紫音(しおん)・ラルハイネを別荘へ招待することにした。名目はお茶会――
そしてその場で、紫鶴は六人にアドバイスされたことを実行しようと気合を入れていたのだ――
**********
「さて……久しぶりに次代当主殿の顔でも見に行くか」
ふとそんなことを言い出したのは、紫鶴の伯父である葛織京神(けいしん)だった。
紫鶴のたったひとりの従姉、葛織紅華の父親でもある。
「紅華。ともにゆくか?」
「紫鶴のところへですの? お父様」
紅華はなぜかいつも持っている扇をはらりと広げながら、その奥で笑った。
「いいですわ。久しぶりに紫鶴のアホ面を見るのもよろしいでしょう」
「当主殿にそんな言葉を使うでないわ」
京神は、そう言いながらも咎めるような声ではなかった。
――紫鶴の伯父、そして従姉。ともに、紫鶴にはよい感情を持っていない。
「あんな世間知らず。思う存分遊んでやればよろしいのよ、お父様」
そう言って、紅華は扇の奥で笑った。
|
お友達になりたくて〜第2章〜
葛織(くずおり)家は退魔の一族として有名である。
ただし、その退魔法は少々変わっていた。当主の一族は『剣舞』を舞い、魔を「寄せる」力に長ける。その周辺に退魔の能力者たちが集まり、「寄せられて」来た魔を祓うのだ。
現当主の娘であり、次代当主と目されている葛織紫鶴(しづる)は、あまりにも「魔寄せ」の力が強すぎた。そのため、生まれてまもなく薄く結界を張った別荘へと、文字通り閉じ込められて育てられている。
現在、彼女の傍にいるのは世話役の如月竜矢(きさらぎ・りゅうし)と、数人のメイドのみ――
**********
その日、紫鶴は張り切っていた。
「ノワール殿たちがいらっしゃるのは、今日だな……っ」
――別荘の近くにある薔薇庭園。そこの住人である紫音(しおん)・ラルハイネとロザ・ノワールの二人を、紫鶴はつたない手書きで書いた招待状でこの別荘へ招いた。
紫音たちは、以前にもこの別荘に来たことがある。その際に、歳が近いノワールを見た紫鶴は『友達になりたい』と願うようになったのだ。
しかし自分は生まれてこの方、別荘から出たことがない。
歳の近い女の子とどう接していいか分からない。友達の作り方が分からない。
そんなわけで、先だって六人の人々から、友達の作り方のアドバイスをもらった。
――今回ばかりは竜矢の手は借りない――
そう決心した紫鶴は、今日この日に竜矢には出かけていてもらうことにした。
いれば、依存する。それを避けるために。
竜矢は言われるままに出かけていった。
**********
竜矢はいなかったが、代わりに先日紫鶴にアドバイスをくれた六人が来てくれていた。
浅海紅珠(あさなみ・こうじゅ)。
空木崎辰一(うつぎざき・しんいち)。
伊吹夜闇(いぶき・よやみ)。
天薙撫子(あまなぎ・なでしこ)。
蒼雪蛍華(そうせつ・けいか)。
エルナ・バウムガルト。
そして、たまたま辰一や撫子から話を聞いた阿佐人悠輔(あざと・ゆうすけ)も今回は加わり、紫音とノワールが来るのを楽しみにしていた。
紫鶴がつたない手で七人の前に茶器を置いていく。
「ノワールさんと紫音さんをお茶会にご招待ですか。いい案ですね――」
辰一が微笑んでそう言った。「僕もできるだけの協力をしますよ。頑張りましょうね、紫鶴さん」
「それにしても、あんたが来るとは思わなかった」
紅珠が蛍華を見る。蛍華は、メンバーの中で唯一お酒を飲みながら、
「何故来たか?……気になったから来てみた。友達じゃからな」
「蛍華殿……!」
紫鶴が感激したように蛍華の名前を呼ぶ。
「お、お友達でしたら、私もですぅ……」
今日はダンボール箱に入っていない夜闇が、おずおずとそう言う。
「ここにいるみんな、キミの友達だよ!」
エルナが紫鶴の肩をぱんぱんと叩いた。「だから、安心してね!」
「夜闇殿……エルナ殿……」
「……俺もまあ、友達かって訊かれるならそう答えるかもしれないな」
悠輔がつぶやいた。
「うふふ。今日は楽しみですわね。――ああ紫鶴様、ティーカップに絵柄がある場合、それがお客様に見えるように置くのが礼儀ですわ」
「そ、そうなのか?」
撫子に茶器の礼儀作法を習いながら、紫鶴は必死でお茶の淹れ方をマスターしようとしていた。
「紫鶴さん」
辰一がそんな紫鶴に真剣に言った。
「以前僕たちがアドバイスしたことはあくまでも例にすぎません。どのように会話し、どのように相手に合わせるのかは君次第ですよ」
「――わ、分かった……」
とたんにしゅんとしおれる紫鶴に、
「大丈夫だよっ」
エルナがぽんともう一度肩を叩いた。
「気持ちは一緒! あたしたちとは友達になれたんだし、絶対なれるよ!」
「わ、私も、紫鶴さんなら大丈夫だと、思います……」
前回紫鶴に真正面から『友達になってくれ』と言われた夜闇が、こくこくとうなずいた。
「辰一様のおっしゃることも真実ですけれど。大丈夫ですわ、紫鶴様」
撫子が笑った。その続きを、蛍華が面倒くさそうに続けた。
「警戒心を解かせるのは天下一品じゃからの、おぬしは……」
「あははっ! 天然だもんなあ、紫鶴は!」
紅珠が大笑いして、場が一気に明るくなった。
メイドが来客を伝えにやってくる。
――紫鶴の挑戦の時間が始まる。
「こんにちは。お招きありがとう、紫鶴」
門のところで、にっこりと紫音・ラルハイネが笑う。
長い黒髪に紫の瞳。赤縁の眼鏡と、紅色のルージュがよく似合う、知的な美女である。
その傍らに――
ロザ・ノワールはいた。
横だけ長く伸ばした金髪に、黒い薔薇を挿している。
赤い瞳が、落ち着いた光を見せていた。
「こ、こんにちは。紫音殿、ノワール殿」
紫鶴は深呼吸をしながらにっこりと笑顔を見せて、挨拶をする。
「……こんにちは」
ノワールが小さくつぶやいた。
反応があったことにほっとして、紫鶴は二人を庭園へと招待する。
「きょ、今日はたくさん人がいる。お二人にも紹介したい――」
「あら、楽しみですわ」
七人が待っているあずまやが見えてくる。
紫音とノワールの姿を見て、七人はそれぞれの反応を見せた。
辰一や夜闇、撫子に悠輔はすでに二人と面識がある。お互いに「お久しぶり」というような挨拶を笑顔で交わし、それですんだ。ただし――挨拶をするのは紫音だけだ。
ノワールは、少し頭をさげるのみで終わってしまう。
「へえ、あんたがノワールっていう人なのか?」
紅珠がしげしげと金髪の少女を見つめる。
ノワールは顔を少しふせ、顔をあげなかった。
「あなたは?」
紫音がにこにこと尋ねてきて、紅珠は「俺は浅海紅珠だ」と答えた。
「蛍華は蒼雪蛍華という。……言っておくが、小娘とあなどるな」
実は人外であるため、200歳でありながら身長は十歳ほどしかない蛍華があらかじめそう言うと、
「ええ、あなたからは特別な力を感じますもの」
と紫音はにっこりうなずいた。
「あたしはエルナ・バウムガルト!」
エルナが元気に手をあげた。「紫音さんにノワールちゃん! 会えて嬉しいな!」
「ありがとう、エルナさん」
紫音がにこにこと返事をする。
――まるでまったく反応しないノワールの分を補うかのように。
「い、今お茶を用意するからな――」
あらかじめ自分で茶器を用意していた紫鶴が、紫音とノワールに席をすすめ、そして二人の分のお茶を淹れる。
「ほら、紫鶴」
紅珠がひょいと手に持っていたものを持ち上げた。
「お茶会だっていうから差し入れ。近所のケーキ屋から焼き菓子買ってきた」
「ああ、あ、ありがとう」
紫鶴がおぼつかない手つきでそれを受け取った。
「落とさないでくれよ」
紅珠がむっつりと言う。
――高級品では決してない菓子だが、その分肩もこらないだろうという配慮だった。
辰一が「紫音さん、ちょっと」とそっと紫音を呼んで、席をはずし、
「実は……こういうわけで、紫鶴さんがノワールさんと友達になろうと頑張ってるんですよ」
「まあ」
紫音は口元に手を当てて、くすくすと笑った。
「紫鶴はかわいいわね。分かったわ、私も下手なことはしないようにします」
「お願いします」
二人が席に戻ると、紫鶴のつたない手によるお茶淹れと焼き菓子配りは終了していた。
計十人。大きなお茶会である。
紫鶴はあえてノワールとは離れた席を取っていた。会話が他のみんなにも聞こえるようにするためだ。
ノワールの両隣は、紫音とエルナが取っている。エルナの隣に、紫鶴はいた。
「ノ、ノワール殿」
紫鶴は笑顔を作りながら、少し離れたところにいるノワールに声をかける。
「今日も黒薔薇がお似合いだな。薔薇庭園の調子はどうだろう?」
「……いつも通り」
ノワールはぼそりとつぶやくようにそう言った。
「そそ、そうか」
エルナがぺしぺしとひそかに紫鶴の背中を叩き、
「落ち着いて。落ち着いて!」
と囁きかける。
「あ、ああ、落ち着く……」
紫鶴は深呼吸をして、また笑顔になった。
「黒薔薇も美しいが、ノワール殿ご自身がやっぱり美しいと思う」
ずざざっ
他のメンバーが思わずすべって転びそうになる。
「……口説き文句か?」
悠輔がぽつりとつぶやいた。
紫鶴は必死だった。
「ノワール殿はお化粧はなさるか? 私はしたことがないのだが、もしよかったら――」
「お化粧……しない」
ノワールはぽつりと言った。
ぎくりと紫鶴がこわばる。紫音が慌てて、
「ごめんなさいね、この子色々忙しいものだからお化粧する余裕がないの」
「お化粧してなくてそんなに美しいのか? すごいな、ノワール殿は――」
ずるぅっ
再び他のメンバーがすべりそうになった。
「……間違いなく天然だ……」
紅珠がつぶやいた。
「じゃあ、その、お化粧ごっこなどどうだろう。楽しいと聞いた――」
「……そう」
「……手ほどきなら俺がしてやるぞ」
あまりのノワールの反応のなさに、見かねて紅珠が手を出す。
「ノワール、遊んでらっしゃいな」
「………」
紫音にうながされ、無言で立ち上がったノワールに、エルナが声をかけた。
「友達って、作りたいときに作れるとは限らないよ。せっかく紫鶴ちゃんが作ってくれた機会、逃すのはもったいないと思うな」
「………」
「ノワール、ほら、待ってるわよ」
紫音がノワールを紫鶴たちのところへ送り出してから、
「ごめんなさいね」
とエルナに言う。
「ううん。――あたし、紫音さんとも友達になりたいな!」
「それは大歓迎よ」
紫音がにっこり笑った。
――ノワール、紫鶴、紅珠が席をはずし、近くでお化粧ごっこを始めた。
「それにしても……紫鶴にはお友達が多いのね」
その間に、紫音がお茶会のメンバーを見渡して言う。
「あの娘は天然じゃからの」
蛍華がワインを飲みながら言った。「誰もが知らんうちに引き込まれる」
「分かるような気がしますわ――よろしければ皆さん、ノワールとも友達になってやってくださいね」
「あたし、最初からそのつもり!」
エルナが元気に手をあげた。
しかし紫鶴と違って、ノワールは手ごわそうだ――
「――ど、どうだろうっ」
紫鶴の声がした。
みんなが紫鶴のほうを見た。
そして、ふきだしそうになるのを必死でこらえた。
おそらく紅珠の仕業だろう――
紫鶴の目の周りは口紅で、大きく丸が描かれていた。
――ウケ狙い。それは間違いないのだが。
「………」
ノワールは静かに、「紫鶴……口紅の使い方が間違ってる」
「―――」
反応がなかった。ノワールは紅珠から口紅を受け取ると、紫鶴の唇にそっと塗った。
「……これでいい」
「ノワール殿……」
笑ってくれることを期待していた紫鶴と紅珠がつまる。
「っていうか、あんた口紅の塗り方うまいな」
紅珠はうまく口紅ののった紫鶴の唇を見て、感心したようにノワールに言った。
「……いつも紫音がしているのを見てる」
「ああ……」
紫鶴と紅珠の視線が、美しくルージュを引いた紫音を見る。
「ノワールにも、綺麗にルージュを引いてやってくださいな」
紫音が苦笑するように言った。
「で、では、ええと紅珠殿――」
「俺が塗ってやってどうするんだよ。あんたがやれ」
紅珠はノワールが返してきた口紅を、紫鶴に押し付ける。
「の、ノワール殿……よいだろうか?」
「……どうぞ」
紫鶴はおそるおそるノワールの唇に口紅を塗っていく――
「で、できたっ」
震える手を押さえて、紫鶴が声をあげる。
「初めてにしては上等」
紅珠がひゅうと口笛を吹き、
「ああ、本当ですね紫鶴さん。ノワールさんも綺麗に口紅が塗れてますよ」
辰一が褒めた。ありがとう、と紫音が言った。
「……ありがとう」
ノワールは抑揚なくそうつぶやく。
紫鶴はしょぼんとした。しかし気を取り直し、
「そそ、そうだ。最近お手玉やおはじきという遊びを知ったんだ。一緒に遊ばないか、ノワール殿――」
目の周りに口紅で円を描かれた状態のまま、すっくと紫鶴が立ち上がった、そのとき。
辰一のところに、彼の連れの猫二匹がやってきた。
「甚五郎、定吉。どうしたんですか?」
猫二匹がにゃあにゃあと泣く。辰一にはそれが人の言葉に聞こえるらしい。
「え?……新しい客人?」
小さくつぶやき、辰一は猫たちにうなずいて見せた。
「分かりました、そちらは僕がどうにかします」
そう、新しい客人――
メイドが慌ててやってきた。
「姫――京神様と紅華様がおいでです」
「な……っ」
紫鶴は体を震わせた。
――それは一族の中でもとりわけ口うるさい、叔父と従姉の名だった。
場は騒然となった。もともとこの別荘は、一族の人間以外立ち入り禁止なのだ。
それを竜矢の手腕で無理やり解いて、そして何人もの一族外の人間が入るようになった――
しかしそれは、要するに竜矢がうまく言いくるめているだけの話であって。
――竜矢がいないときに来れば当然、一族の人間はここぞとばかりに紫鶴を責めるのだ。
どうしようどうしようと慌てている間に、
「何をしておる、次代当主殿」
嫌味たらしい声で、葛織京神がずかずかと庭園のあずまやにやってきた。
「あらまあ」
京神の傍らで、京神の娘の紅華が、扇を開いてくすくすと笑っていた。
「次代当主様ともあろう方が――目の周りに落書きなんて、美しいお顔だこと」
場が、一気に険悪になった。
京神はあずまやに集まっている面々を見渡して、
「おやおや。私の知らないうちに一族が増えたようだ」
皮肉気に言った。「それで、私たちにはお茶は頂けんのかね、次代当主殿?」
「……今、茶器を用意させる――」
撫子が慌てて紫鶴の目の周りを拭う。子供が使う簡易な口紅で助かった。
「席がいっぱいのようですわお父様。どういたしましょう」
紅華が大仰に天を仰ぎながら言った。
「あちらのあずまやに席を用意させる」
紫鶴は凍ったように冷たい表情で、別のあずまやを指した。
「まあ……わたくしたちだけ除け者に?」
「礼儀だ。……一族外の者とは同じ席にいたくないのではなかったか?」
「おやおや次代当主殿。認められるわけだ、その者たちが一族外の者たちだと」
「――私の個人の友人だ」
紅華が高らかに笑った。
「紫鶴に本当に友人など、できるはずがありませんのに!」
紫鶴が悔しそうに唇を噛んだ。
メイドたちが別のあずまやに、京神たちを案内する。
京神と紅華はそのとおりに別のあずまやに足を向けながら、
「おや。次代当主殿御自ら私たちの相手をしては頂けないのかな?」
「――今、行く――」
紫鶴が諦めて歩き出そうとした、そのとき。
「あのぉ……」
夜闇が声をかけてきた。
「はぅぅ……あの……お姿借りてもいいでしょうか……?」
おずおずと言われた言葉に、紫鶴が首をかしげた。
「そのぅ……私の技に、そっくりに変身する技があります……私が、代わりにあちらのお相手をしてこようかなって……」
「夜闇殿……」
紫鶴はぎゅっと夜闇に抱きついた。
「はうっ!?」
夜闇が驚いたように身を縮める。
「ありがとう。……ありがとう」
「なんじゃあのお嬢様縦ロールな小娘とオヤジは」
蛍華がいつの間にかジンを手に、別のあずまやに向かう京神と紅華を見る。
「オヤジのほうはいつだったかパーティで見た気がするの。……なるほど、紫鶴の親戚か」
「紅華さん……」
悠輔が頭を抱えていた。
――今日はたしか、悠輔の叔父のやっている家庭教師の日のはずなのに。なぜその生徒である紅華がここにいるのだ。
「竜矢様がいないようでは……お引取り願えそうにありませんわね」
撫子がため息をついた。「紫鶴様。大丈夫ですわ。あちらはわたくしたちにお任せを」
「え……い、いいのか?」
「僕もあちらに行きますよ」
辰一が立ち上がった。「邪魔はさせません。紫鶴さんは紫音さんとノワールさんと、お茶会を楽しんでいてください」
「そ、そんなわけには」
「ダメだよ紫鶴ちゃん! ここで紫鶴ちゃんが席をはずしたら、ノワールちゃんに悪いよ!」
エルナにたしなめられ、紫鶴は夜闇を見る。
夜闇は、えへへと笑った。
『泡沫の夢』――
夜闇の左目の銀色が光る。
まわりの人間の記憶から映し取った姿――
夜闇の姿は、見る間に紫鶴とまったく同じとなった。
「では、接待してくるのです」
幸いなことに、今の変身の瞬間を京神も紅華も見ていない。
紫鶴の姿となった夜闇を先頭に、撫子、辰一、エルナが京神たちの元へと向かった。
夜闇はにっこりと京神に笑いかけた。
「叔父殿。紅華殿。今日はよくいらっしゃった――」
「僕は紫鶴さんの友達で空木崎辰一と申します。よろしくお願いします」
辰一が辞儀をする。
「空木崎……か。どこかで聞いた覚えもあるが……」
京神が考えるようにあごに手をやる。
辰一の家も退魔の一族として有名だから、名は売れているのだ。
しかし京神は、そんなことを気にするような人間ではなかった。
「まあよいわ。紫鶴に友人などできるはずはないし、できてはならんのだ。お分かりか?」
じろりと撫子やエルナを見る。
「本当に。この家にいなくてはこの子は迷惑な存在だというのに、何を考えているのかしら」
扇の奥でほほほと紅華が笑った。
夜闇はあまりの言われように、固まってしまった。
「じゃあ、紅華ちゃんがお友達になればいいじゃない!」
エルナが努めて明るく紅華に言う。とたんに紅華がいやそうな顔になって、
「冗談ではないわ。紫鶴と血がつながっていると思うだけで怖気がしてよ」
「なんで? 紫鶴ちゃんはいい子だよ!」
「ただの阿呆というのよ、こういうのは」
「紫鶴さんはとても頭のいい子ですよ。次代当主として誇れると思います」
辰一が堂々と言う。
京神が苦々しい顔になった。
「……こんな小娘に当主になられたら、葛織はお終いだ」
「本当に。お父様」
紅華が扇をたたんで、「こんな、接客もろくにできない娘。葛織の恥ですわね」
言葉をなくしていた夜闇を見やる。
エルナが――
ついに、爆発した。
「キミは今のままじゃ、いつか独りぼっちになっちゃうよ!」
紅華はエルナをねめつけた。
「友達を作ってはならぬのに作っている紫鶴よりはマシですわ……!」
「つまり、我々を紫鶴さんの友達と認めてくれるんですね」
辰一がにっこり笑った。
「では、我々は、紫鶴様の『お友達』として、同席させて頂きます」
辰一の言葉に続いて撫子が、しずしずと礼をしながらそう言った。
「お邪魔だったかしら……」
紫音がちょこんと首をかしげる。
「いや! 紫音殿とノワール殿は、私が招いたのだから」
紫鶴は必死で言った。
紅珠が京神たちのほうをしばらく眺めてから、
「んじゃま、ひとつだけ聞きたいんだけどもさ」
と、唐突に小さな声になり、「あいつら嫌い? だったら俺『それなり』のことするけど?」
「―――」
紫鶴が言葉に詰まった。
「嫌いじゃないだろう」
悠輔が焼き菓子を口にしながらつぶやいた。「前に、たったひとりの従姉だと言っていた。紅華さんのことは少なくとも大切なんだろう?」
「……ああ。叔父殿も、たったひとりの……父の兄弟だ」
「人が好いの、紫鶴は」
蛍華がふうとため息をつく。
「そうか……嫌いじゃねえのか……」
紅珠はじいっと遠目の京神たちを見て、
「……でもなーんか、腹立つよなあ……」
「紅珠さんは若いわね」
紫音がにこりと笑った。「あの程度で腹を立てていたら、この先困るわよ?」
「むー」
「何でもよいわ。せっかく他の連中が機会をくれたんじゃ、ノワールと遊ばぬか」
「あ――そうだった!」
ええと、ノワール殿、と紫鶴はポケットからいくつかのおもちゃを取り出した。
「お手玉と、おはじきと、あやとりと……どれがよいだろうか?」
「あ、おい紫鶴。お前おはじきまた石でやるつもりか? ほらガラスのやつ持ってきてやったから」
「あ、ありがとう紅珠殿」
焦りまくっている紫鶴は、呆れている紅珠からちゃんとしたおはじきを受け取り、
「で、ではノワール殿――」
「……どれでもいい」
ノワールがぽつりとつぶやいた。
「………」
紫鶴がつまった。そして、
「で、ではお手玉をちょっと――」
前回撫子に教わったお手玉を一生懸命披露する。
素人のくせに三つまとめてである。
「どれくらい練習したのじゃ、おぬし」
蛍華が頬杖をつきながら問う。
「毎日ずっと……」
紫鶴は三つのお手玉を危なっかしく操りながらそう答えた。
「……相変わらず生真面目だなあ、あんた」
紅珠が苦笑した。
「………」
空中をぽんぽんと行き交うお手玉を、ノワールは黙って見つめている。
紫音がぱちぱちと拍手をした。
「お見事だわ、紫鶴」
「ノ、ノワール殿もいかがだろうか?」
「………」
お手玉を二つ手渡されて、ノワールの繊細な手がぽんぽんとお手玉を操り始める。
二つのお手玉を、ノワールは簡単に操った。
紫鶴は呆然となって、
「け、経験がおありなのか? ノワール殿……!」
「……初めて」
「この子、器用なのよ。紫鶴」
紫音がくすくすと笑った。
すごいすごいと紫鶴がはしゃぎ始めた。
「き、器用ならおはじきとかもきっとすぐにできるな。ええとおはじきをご存知か?」
「……聞いたことはある」
「今、やり方を説明する――」
ざらざらとテーブルに紅珠が持ってきてくれたガラス製のおはじきを散らばせ、
「こうやって、はじいて――」
紫鶴はあまり器用ではない手で説明を始めた。
案の定、ノワールのほうが簡単にマスターした。
間単にマスターし、淡々とゲームを進めるため、普通なら沈黙が多くなってくるところだが――
「すごい……! ノワール殿……!」
紫鶴は感激したことを素直に口に出すことが得意なタイプだった。
すごいすごいと、逆にうるさいほど場が騒がしい。
「で、ではあやとりをしよう……! これはなかなか奥が深くて――」
紫鶴が毛糸で作ったわっかを用意した、そのとき。
「およしなさい……!」
撫子の声が聞こえてきた。
「偽者の次代当主殿に接待されるとは、我々もなめられたものだ」
京神は笑っていた。どす黒い笑いだった。
――夜闇の変身に問題があったわけではない。
別のあずまやで、あまりに本物の紫鶴が「すごい!」を大声で連発しているから、バレたのである。
「わたくし、腹が立ってまいりましたわ」
紅華が突然精神力でレイピアを生み出した。――それは葛織家の者たちの能力である。
「紫鶴の、あの色気づいた顔に傷をつけてこようかしら」
「およしください!」
撫子は改めて、「遅れましたがわたくしの名は天薙撫子と申します。天薙の名に聞き覚えはございませんか?」
「………っ!」
京神の顔が引きつった。
退魔の一族として名高く、撫子の祖父は人望厚く、退魔の能力者でその名を知らぬものはない。
「天薙……天薙だと……っ」
京神が呪うようにぶつぶつとつぶやく。
しかし、紅華は引かなかった。
「関係ありませんわ。だってわたくしたちが何をやっても、結果的には葛織家の責任――それはつまり伯父様、そして紫鶴の責任。そうでしょうお父様?」
「―――!」
京神がにやりと笑って紅華を見た。
「そうだな、紅華――その通りだ」
行ってこい、と――
葛織京神は、信じられない言葉を娘に贈った。
紅華が優雅に微笑んだ。
「お任せくださいな」
撫子が信じられないと言いたげに目を見張る。
辰一が、
「今はいけません! 他のお客様もいらしている……!」
「それはいい! あのすました兄と紫鶴の顔に泥を塗るというのなら、いくらでも塗ってやろう!」
「およしなさい……!」
そしてその声は、紫鶴たちに届いて――
「!」
紅珠と蛍華、悠輔が立ち上がった。
「紅華がレイピアを出しただと……! 何を考えておる!」
紫鶴が驚愕の声を出す。
「戦う気なんだろう。あの子は血気盛んだからな」
悠輔がため息をついた。悠輔は一度、紅華と戦ったことがある。
「何という物騒な小娘じゃ」
蛍華がいやそうにつぶやき、「まあ、穏便にすますかの」
と、こちらへ向かってこようとする紅華の前に立った。
手に大きな――透き通るように美しい氷の剣を持って仁王立ちになり。
「この先は通行禁止じゃ。通りたかったら蛍華を倒してから行け」
「なんですの、この小娘は!」
「小娘ではない。そなたより二十倍近く長く生きておるわ」
紅珠が歌いだす。
――麻痺呪歌。
「っ!」
紅華の体が何かにしばられたように麻痺した。
「な……ん、で、す、の……っ」
そんな紅華の前に、悠輔が進み出る。
「紅華さん。たまには真剣に紫鶴さんのことを見てみたらどうだ?」
「そ、ん、な、こ――」
「風評にばかりとらわれていると、いつか肝心なことを見逃すぞ」
紫鶴のところにまで転移で戻ってきたエルナが、紅華を悲しそうに見てつぶやいた。
「あの子には……本当の意味で信じあえる人が周りにいないんだと思う」
「……私も、歩み寄らねば……」
紫鶴がつぶやいた。そのとき――
気配がして、はっと紫鶴たちは顔をあげた。
「エルナさん、危ない!」
紫音が声をあげた。その次の瞬間には、エルナは何か硬いもので打ち飛ばされた。
――大刀。
「エルナ殿!」
悲鳴のように紫鶴が彼女の名を呼ぶ。そして、
「何をする……! 叔父殿!」
いつの間にか――
紫鶴たちの目の前にいた、京神に向かって叫んだ。
誰もが、京神がいつの間に紫鶴たちの近くにまで行ったのか分からずにいた。
――京神も葛織家の能力者であることを、分かっているのは紫鶴だけだった。
「叔父殿――叔父殿は退魔のほうの能力者――」
紫鶴はぶつぶつと誰に言うでもなくつぶやいた。
京神は、そう、剣舞ではなく魔を滅する方面の能力者――
それも、葛織家では最強の。
「転移など、私の十八番のひとつだ。知っておるだろう? 次代当主殿」
「ああ……」
「……そちらの小娘は――また不思議な力を持っているようだな」
「!」
京神の視線がノワールを見ている。それに気づいて、紫鶴はとっさにノワールをかばった。
しかし、それが裏目に出た。
京神はノワールと見せかけて、その手に持つ大刀を紫音に振り下ろした。
「紫音……!」
ノワールが紫鶴の加護から脱け出す。
京神がにやりと笑った。
大刀が閃いた。――紫音の方角ではなく、ノワールの方角へと。
「ノワール!」
紫音が叫ぶ。
黒い花びらが散った。
「その華が気になっておったのでな」
京神はそう言い、そして哄笑をあげた。
ノワールの金髪から――
黒い薔薇が、消えていた。
「………」
地に散った黒薔薇。それを呆然と見下ろし、ノワールがたちすくむ。
「の、ノワール殿……っ」
呼んだ紫鶴に、振り向く様子もなく。
――小さな、つぶやきだけがその場に響く。
「……よくも……私の薔薇を……」
「ノワール殿……!」
京神は一瞬の憎悪を感じた。
「薔薇を……侮辱する者は……許さない……」
抑揚なく。
しかしあふれる心は抑えようもなく。
――メイドたちから連絡がいったのだろうか。
「京神様! 紅華様!」
如月竜矢が飛び込んできた。
「竜矢か……遅かったな。世話役ともあろう者が」
「京神様、まさか……」
竜矢はノワールの髪に黒薔薇がないことに気づいた。
同時に、地に散った黒薔薇も。
「ノワール殿……」
紫鶴がノワールの腕に触れようと、手を伸ばした。
ノワールは、それをよけた。
「……帰ろう、紫音」
「ノワール……」
紫音は――
「……ごめんなさいね、紫鶴。また来るから――」
ノワールの腕をそっと取った。
「待ってくれ! すまない、ノワール殿……!」
紫鶴がどれだけ叫んでも、
ノワールは姿を消すまで、一度も紫鶴の――他の人間のほうを、見ることはなかった。
竜矢の登場により、ようやく京神と紅華が帰る気になったようだ。
「ははは! 紫鶴と付き合えば必ずこういう目に遭う……! 他の連中も覚えておくことだ!」
京神はそう言い置いて、去って行った。
「なんてこと……っ」
撫子が地に散った黒薔薇の花びらを拾いあげながら、声を震わせた。
「信じられない……」
辰一が呆然と京神たちの姿が消えるまで見送る。
「ひでえ! 何てやつらだよ……!」
紅珠が地面を蹴って吐き捨てた。
「……どうりで娘の根性がねじまがるはずだ」
悠輔が悔しそうにつぶやいた。
「うう……お役に、立てなかったですぅ……」
夜闇が泣きそうになる。手の剣を消しながら、蛍華が紫鶴を見た。
「まさかあの男のほうが強敵とはな――紫鶴?」
「姫!」
竜矢が声をあげて紫鶴に手を伸ばす。
紫鶴は――
そのまま、竜矢の腕の中に倒れこんだ。
「……っ……っ」
「姫、泣かないで下さい。姫」
「わ、私は、……っ、護れなか……っ、護れ……っ」
「姫……」
竜矢が紫鶴を抱きしめて、背中をなでさする。
その場にいる誰にも、紫鶴にかける言葉はなかった。
何をしていいのか……
この先、どうしたらいいのか……
雨が、ぽつり、ぽつりと降り出した。
涙雨――
庭園にいた者たちはみな冷たいそれに濡れ、静かにたたずんでいた。
―続く―
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0328/天薙・撫子/女性/18歳/大学生(巫女):天位覚醒者】
【2029/空木崎・辰一/男性/28歳/溜息坂神社宮司】
【4958/浅海・紅珠/女性/12歳/小学生/海の魔女見習】
【5655/伊吹・夜闇/女性/467歳/闇の子】
【5795/エルナ・バウムガルト/女性/405歳/デストロイヤー】
【5973/阿佐人・悠輔/17歳/男性/高校生】
【6036/蒼雪・蛍華/女性/200歳/仙具・何でも屋(怪奇事件系)】
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ ライター通信 ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
浅海紅珠様
こんにちは、笠城夢斗です。シリーズ2作目にご参加いただき、ありがとうございました!
続き物の宿命で今回は少し後味の悪い話になってしまいましたが、いかがでしたでしょうか。お菓子やおはじきなどお気遣いありがとうございます。
よろしければまたお会いできますよう……
|