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■偽の恋人募集中■

織人文
【0086】【シュライン・エマ】【翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
 いきなり送りつけられたパーティの招待状に困惑し、妹尾静流は考えた末に、長兄の元へと電話した。
 実家を離れて一人ぐらしを満喫している彼は、めったに家族に連絡を取ることはない。特別仲が悪いわけではないが、実家へ電話などしようものなら、両親と祖父の三人から「結婚はまだか」「相手がいるなら連れて来い」などと責め立てられるのがオチだからである。
 静流としては、すでに上に二人も兄がいて、彼らがそれぞれ家庭を持って子供もいるのだから、それでいいではないかと思うのだが、両親や祖父にしてみればそうではないらしい。
 ましてや、届いた招待状は祖父の誕生祝いのパーティのものだ。うかつに電話など、できるはずがない。
 電話に出た長兄は、彼が招待状のことを告げると案の定、苦笑して言ったものだ。
「ああ、それはおまえを友人・知人の娘さんと引き合わせようという魂胆だよ。毎年は、親交のある親類縁者だけを集めて祝うのに、不思議だと思ったから父さんに訊いたら、そう言っていたよ。おまえに言うなと口止めはされたんだけどな」
(やっぱり……)
 思わず溜息をついて、静流は胸に呟く。電話ごしにもその様子が伝わったのだろうか。兄は更に笑いながら言った。
「おまえも、彼女ぐらい作ればいいんだ。そういう相手がいるとアピールすれば、うるさくはしなくなるよ」
「それはそうかもしれませんが……」
 再度溜息をついて、静流は言いかけ口ごもる。
 けしてもてないわけではない。学生時代はつきあっていた相手もいた。ただ今は、そういうつきあいを誰かとするよりも、一緒にいるのが心地いい相手がいるから、そんなことを考えられないだけだ。
 口ごもる彼に、兄は言う。
「嘘でもいいから、パーティには恋人を連れて行けばいい」
「嘘……ですか?」
「ああ。恋人のふりをしてくれそうな人間ぐらい、心当たりないのか?」
「それはまあ……」
 静流の脳裏に、何人かの友人が浮かぶ。
「なんなら、同性の『恋人』というのも、面白いかもな。それなら、父さんたちも今後おまえに縁談を持ち込むのは、考えるかもしれないぞ」
 兄は幾分からかう口調で言った。
「はあ……」
 静流はどう答えていいかわからず、曖昧な声を出す。たしかにそれはそうかもしれないが、祖父はかえって面白がるような嫌な予感もした。
 ともあれ、電話を切った静流は兄の提案にしたがって、恋人のふりをしてパーティに出席してくれそうな友人に、男女問わず連絡を取り始めた。
偽の恋人募集中

【プロローグ】
 シュライン・エマの携帯電話に、妹尾静流から連絡があったのは、春先のうららかなある日のことだった。
 祖父の誕生パーティーに、自分の恋人として一緒に出席してもらえないかというのだ。
「どういうこと?」
 さすがに驚いて問い返す彼女に静流が語ったのは、こんな事情だった。
 実家を離れて一人ぐらしをしている彼の元に先日、祖父の誕生パーティーの招待状が送られて来たのだという。毎年は、こんな大袈裟なことはしないので、不審に思って二人いる兄のうちの一人に連絡を取ってみると、友人・知人の娘や孫を静流に引き合わせるためのものだということがわかったのだそうだ。
「……つまり、体のいいお見合いってわけ?」
『ええ、まあ……。普段から、祖父や両親には、顔を合わせるたびに、結婚をせっつかれていまして。だから、なるべく実家へは近づかないようにしていたんです。でも、今回のこれは、そういうわけにもいかなくて……』
 静流は電話の向こうで言って、溜息をつきつつ、兄に「嘘でもいいから恋人を連れて行けばいい」と入れ知恵されたことをも話す。
「なるほど、それで私に連絡して来たというわけね」
 事情を理解して、シュラインはうなずきつつも、眉間に軽くしわを寄せる。恋人のフリをするだけなのだから、彼女の方は、草間にだけ事情を話しておけば、後はどうとでもなる気もする。が、静流の実家はかなりの資産家だというから、下手をすると身元調査で住居や仕事などを突き止められてしまう危険も感じた。偽の恋人だとバレるのも問題がありそうだが、本当に恋人だと思われて、結婚をせっつかれたりしても困る。
 彼女が逡巡していると、電話の向こうで、静流の恐縮したような声がした。
『すみません……。シュラインさんだって、こんなこと頼まれても、困りますよね。その……草間さんっていう、想い人もいらっしゃるのに』
 その、どこか困り果てた口調に、シュラインは思わず溜息をついた。
「……わかった。協力するわ」
『え? いいんですか?』
 静流の、驚いたような声が電話の向こうから返る。それへうなずいて、シュラインは言った。
「ええ。……ただね、集められた娘さんたち傷つけずに断るためにも、今回はこれで乗り切るにしても、やっぱり時間がかかってもいいから、独り身でいたいこと納得させた方が、ご家族にも失礼じゃないと思うの」
『それは……』
 静流は一瞬、言葉に詰まり、それから小さく吐息をついて問い返す。
『逃げていては、やはりだめでしょうか』
「そう思うけれど。それに、想う相手がいないわけではないんでしょ?」
『べ、別にそんな人は……』
 静流の声が、急に慌てた調子になった。
『と、ともかくそれじゃ、お願いします。……パーティーの日時は……』
 まるで、話題を変えようとするかのように、パーティーの日取りと落ち合う場所について話し始める静流に、シュラインは小さく苦笑する。が、とりあえず話題の変更に乗ってやって、落ち合う場所と時間を決めると、彼女は電話を切った。
(引き受けたのはいいけど……改めて考えると、三月うさぎさんに悪いような気もするわね……)
 携帯電話をバッグの中に戻しながら、彼女はふと胸に呟く。
 ちなみに、彼女が今いるのは、例によって草間興信所である。
 再び眉間にしわを寄せて考え込んでいる彼女に、自分のデスクでパソコンをいじっていた草間が、声をかけて来た。
「誰かから、何か相談事か?」
「え? ああ……。妹尾さんからよ」
 我に返って言うとシュラインは、自分のデスクから立ち上がり、草間の方へと歩み寄る。今の電話の内容を説明し、苦笑して言った。
「――電話の向こうの声が、あんまり困り果てているから、つい引き受けちゃったのよ。でも、言っておくけれど、フリだけよ」
「ふうん。……それで、案外、向こうの家族に気に入られちまったりしてな」
 草間は、いかにも関心がなさそうな顔をして返す。が、シュラインを見やる目は、本気で心配そうだった。
 それに気づいて彼女は笑う。
「大丈夫。そこは気をつけるわよ。私だって、三月うさぎさんに恨まれたくないし」
「なんでそこで、三月うさぎが出て来るんだ?」
 草間は、きょとんとした顔で問い返した。
「わからなければ、いいわよ」
 シュラインは笑って言うと、胸の中で改めて、パーティー当日は三月うさぎの代理な心意気で臨もう決意するのだった。

【1】
 そして当日。
 パーティ会場は、都内にある有名ホテルの広間だということで、シュラインと静流は、そのホテルのロビーを待ち合わせ場所に選んだ。
 シュラインは、約束の時間である六時半きっかりに、ロビーの中央に配置された人魚の彫像のある噴水の傍に到着した。
 静流の方は、すでに来て待っている。春らしい、やわらかなベージュのスーツはそれほど派手なものではなかった。が、彼の長身によく映えて、同じように人待ち顔で噴水の傍に立つ人々の中から、彼の姿を浮き立たせて見せる。
(こうして見ると、彼も目立つ存在ではあったんだわ)
 シュラインは、小さく苦笑して胸に呟きながら、そちらへ歩み寄った。
「妹尾さん」
「ああ、シュラインさん。無理を言って……!」
 顔を上げ、言いかけた静流がそのまま絶句する。
「シュラインさん? なんで、そんな恰好なんですか?」
 ややあって、彼はようやく尋ねた。
 それも無理はない。本日のシュラインは、どこからどう見ても、やや線の細い男性としか思えないものだったのだ。
 身に着けているのは、渋いワインレッドの男物のパーティー用スーツである。まだ寒さの残る春先だからこその、やや厚めの生地は、うまく本来は女性である彼女の体の線を隠してくれていた。それに、実は胸にはきつくさらしを巻いている。
 長い髪は、前の部分だけを顎の線を隠してしまうように残し、あとはいつものように後ろで束ねている。が、化粧はもちろんしておらず、男だと言われれば、充分通ってしまうだろういで立ちだった。
「なんでって、もちろん今夜のあなたのパートナーだからですよ、静流」
 シュラインが答えた。が、その声と口調に、静流はまたもや絶句する。
 彼女の口から流れ出した声は、ほかでもない三月うさぎのものだったのだ。声だけではなく、その話し方もそっくりで、まるで三月うさぎがそこにいるかのようだった。
 シュラインには、音ならなんでも模写してしまう、特殊な声帯模写の能力がある。それを使っているのだ。
 三月うさぎの代理のつもりで、今夜のパーティーに出席しようと決めた時、シュラインは姿はともかく、声だけでも借りようと考えた。
 性別を偽る異装をする場合、一番ネックになるのが「声」だ。どれほど見事に異装することができても、たいていの場合、声を出せば即座に本来の性別が周囲にわかってしまう。が、シュラインは以前からそれを、この特異な能力によってカバーして来た。「声」が男ならば、やや線が細くても、たいていの人間はこちらを「男」だと信じ込んでしまうのだ。
 そこで、どうせ「男の声」を模写するのならば、三月うさぎの声を借りようと考えた。一応、出かける前に、本棚に向って「声をお借りします」と手を合わせることも、忘れなかった。
 絶句していた静流は、ようやく立ち直ったのか、さすがに顔をしかめて口を開く。
「シュラインさん、悪ふざけはやめて下さい。なんで、男装の上に管理人の声なんですか」
「あら。同性の恋人も面白いかもって、お兄さんに言われたんじゃなかったの?」
 自分の声に戻って、シュラインは問い返した。もちろん、からかい半分だ。
「それはそうですけれど……だからといって、何もそんな恰好で来ることないでしょう? しかも、管理人の声だなんて」
「今夜の私は、三月うさぎさんの代理ですからね」
 困惑したように言う静流に、シュラインは宣言した。
「なんですか……それ……」
 静流は、更に困惑したように、目をしばたたく。それへシュラインは尋ねた。
「三月うさぎさんて、あそこから出て来ることはできないんでしょ? だからいつも、私たちの方を招待する……よね?」
「ええ、そうです。でも、それとこれとどういう関係が……」
 うなずいて言いかける静流を遮って、シュラインは続ける。
「だ・か・ら。どうせ偽の恋人役をやるのなら、来ることのできない三月うさぎさんの代理のつもりでやろうって考えたのよ」
 いい考えでしょ? と言外に含ませて、首をかしげて見やると静流は、しばし彼女を見返した後、深い溜息をついた。
「何か、誤解があるようですが……わかりました。とりあえず、パーティーに一人で参加するよりは、心強いと思うことにします。それで、名前はどうしましょう? シュライン・エマを名乗るのは、変じゃないですか?」
「そう思って、名前も考えてあるわ。『三月うさぎ』よ」
 シュラインは、笑顔で答える。
「却下です」
 さすがに静流も、それはにべもなく切り捨てた。怒気を含んだ目で睨まれて、少しからかいすぎたかと、シュラインは改めて言う。
「じゃあ、『草間うづき』はどう?」
「草間……うづき?」
「三月うさぎの『う』『月(づき)』よ」
 顔をしかめる静流に、シュラインが教えると、彼は更に顔をしかめた。が、小さく吐息をついてうなずく。
「わかりました。じゃあ、『友人の草間うづき』として紹介しますから」
 恋人じゃなかったのかと言ってやろうかと考え、シュラインはその言葉を飲み込んだ。
「じゃあ、そろそろ会場へ行きましょう」
 静流がそれへ、声をかけて来る。うなずいてシュラインは、彼と共に噴水の傍を離れて、歩き出した。

【2】
 パーティー会場は、そのホテルの最上階にある一番大きな広間だった。四方を囲む巨大な窓からは、見事な夜景が臨まれた。天井からは大きなシャンデリアが下がり、床は完全に足音を吸い取ってしまうじゅうたんに包まれている。訪れている客は、紳士淑女ばかりなのか、立ち居振舞いも洗練されており、すでにずいぶん人が集まっているが、大声で笑ったり話したりしているような者はいない。
 パーティーは立食形式で、広間のあちこちに置かれたテーブルの上に、さまざまな料理や飲み物が並び、それらを自由に取って食べたり飲んだりできるようになっていた。また、広間の一画には楽器を携えた面々がいて、室内にやわらかな音楽を提供している。
 シュラインは、そんな中を静流に連れられて、歩いて行く。客の多くは、静流のことも知っているのか、あるいは単に目立つだけなのか、彼女たちに目を止めては、何事か囁き合っている。
 やがて静流が足を止めたのは、広間の奥の一画だった。そこには小さなテーブルと椅子が用意されており、スーツ姿の老人が座していた。また、その周囲を取り巻くように、同じくスーツ姿の男女が思い思いに椅子にかけたり、立って話していたりする。
「おじいさん。誕生日、おめでとうございます」
 静流が、スーツ姿の老人に歩み寄り、声をかけた。
「おお、静流。来てくれたのか。……おまえときたら、めったに家へも寄り付かんからな。顔を見るのは、なんだか久しぶりだぞ」
 相好を崩して言う老人は、七十代ぐらいだろうか。大柄な上に長身で、白い髪をぴったりと撫でつけ、口と顎に髭を生やしたその姿は、スーツよりも軍服か何かを着せればもっと似合いそうだ。背筋をピンと伸ばして座っている姿は、いかにもかくしゃくとしている。
「それほど久しぶりじゃありません。正月に、お会いしています」
 やんわりと返す静流に、老人は大袈裟に肩をすくめた。
「正月だと? 二月以上も前の話ではないか。もうちょっと頻繁に顔を見せろ。でないと、寂しくてかなわん」
「……すみません」
 静流は、苦笑しつつも素直に答え、用意して来たプレゼントを渡した後、シュラインを老人と、その周囲の人々に紹介した。もちろん、ロビーで打ち合わせたとおり、「友人の草間うづき」として。
 対して老人は、静流の祖父の妹尾大(せのお まさる)と名乗った。また、周囲にいるのは、静流の両親と二人の兄だという。
 シュラインは彼らとそれぞれ挨拶を交わした後、一応用意して来た大へのプレゼントを渡した。
「これはこれは。気を遣わせてすまんの」
 笑顔でそれを受け取り、傍のテーブルに置いた後、大は静流をふり返る。
「それにしても静流。今夜はもしかしたら、わしに恋人を紹介してくれるかもしれんと、楽しみにしておったのだが……そういう相手はおらんのか?」
「すみません」
 幾分固い顔になって返す静流に、大は小さく肩をすくめた。
「しようのない奴だ。だが、つきあっている相手がいないのならば、ちょうどいい。今夜は、わしの友人や知人の孫や娘が大勢来ておる。その中から、選んでみてはどうだ?」
「いえ……それは……」
 静流が、困ったように言いかける。が、気の利いた返答が思い浮ばないようだ。シュラインは、すぐにフォローに回る。
「失礼ですが……人間の婚姻は、犬猫のようなわけにはいきませんからね。大勢の娘さんの中から、どれでも好きなのを選べと言われても、静流も困るでしょう。ましてや、一緒にいて心地良い相手、安心できる相手は、当人でなければわからないわけですからね」
 三月うさぎの声と口調を借りて言う彼女に、大は面白そうに笑った。
「それはまあ、そのとおりだろうな。しかし、大勢の人間の中から、これはと思う相手を捜し当てるのは、石の中から宝石を見分けるようなものだ。まずは、ごっそりとすくい取って、ふるいにかけてみなければ、何事も始まらん。そうではないかね? それを必要ないと退けるのは、わしの経験から言えば、すでに自分だけの宝石を見つけてしまった人間だよ」
「なかなか、うまいたとえ方をしますね」
 応じながらもシュラインは、この老人は一筋縄では行きそうにないと気づく。
(妙な小細工なんかをすると、それを逆手に取って、こっちが遊ばれてしまうようなタイプね。でも、こういう人はかえってちゃんと筋を通して話せば、納得してくれる率も高そうに思うけれど)
 シュラインは胸に呟きつつも、この先、どう話せばフォローになるだろうかと考える。
 その時だ。
「静流! 来てたんだ〜!」
 鼻にかかった甘ったるい声が響いて、小柄な女性が静流の方に駆け寄って来た。そのまま、困惑顔の彼に、激突するかのような勢いで飛びつく。
「ゆ、唯ちゃん?」
 わずかにたたらを踏みつつも、なんとか女性を抱き止めたものの、静流の顔は強張っていた。
「静流ったら、電話は留守録になってばっかりだし、メールは返事くれないしで、唯ずうっと寂しかったんだよ? 唯、静流にい〜〜っぱい話したいことがあるのに」
 唯というらしい女性は、静流に答える暇も与えずまくし立てると、ふいに笑顔で大の方をふり返った。
「おじいさま、静流とのお話は終わったの?」
「ああ、終わったよ」
 静流が目顔で助けを求めるのを無視して、大はうなずく。
「そう」
 うなずき返して、唯は静流に再び顔を向けた。
「じゃあ静流、あちらへ行きましょう。そして、今夜はずうっと唯の傍にいてね」
 言うなり彼女は、静流の腕に無理矢理自分の腕をからませ、引きずるようにして彼を連れ去る。
 シュラインも、あまりのことにただあっけに取られて見送るばかりだった。

【3】
 唯と静流が立ち去ると、他の者たちもそれぞれ、料理や飲み物を取りに立ったり、友人や知人らが挨拶に来たりして立ち去って行き、気づくとシュラインはそこに、大と二人で取り残されていた。
 生バンドの演奏はムーディな曲に変わり、広間の中央では何組かのカップルが、手を取り合ってダンスを始めた。静流も唯と共にその中にいる。それを見るともなしに眺めていたシュラインに、大が声をかけた。
「さぞや驚かれただろうな。座りませんかな? お嬢さん」
「あ、はい」
 思わず答えてシュラインは、息を飲む。
「あ、あの……?」
 声は、三月うさぎのままだ。この男装が、そう簡単にバレるとは思えない。
 そんな彼女を見やって、大は笑う。
「これは勘のようなものだが……わしは昔から相手が性別を偽っておっても、けして惑わされないのだよ。それに、わしはその声で話す人物を知っておるが、その人物は姿も名前も、あなたとはまったく違う。また、ここへは絶対に来られん」
「あ……」
 シュラインは、更に目を見張った。
「おじいさんは、三月うさぎさんを、ご存知なんですか?」
 ややあって、シュラインは訊いた。
「ああ、知っておるよ。古い友人だ」
 うなずいて、大は再び彼女に椅子を勧める。シュラインは、思わず息をついて、彼の隣の椅子に腰を下ろした。
「静流の茶番につきあわせて、すまなかったな。さて……お嬢さんの本当の名前を教えていただけるかな?」
 大は、一言謝った後、尋ねる。
「シュライン・エマです」
「ほう? あなたがあのシュライン女史とは。長生きはしてみるものだな」
 名乗った途端に、驚いたように言われて、シュラインは思わず目をしばたたく。
「私のことを……?」
「噂には聞いておるよ。わしは趣味でオカルト話の蒐集をしておってな。草間武彦の名は、わしが蒐集した話の中にも頻繁に現われる。その事務所を切り盛りしておる才媛の名も、一緒にな」
 笑って言う大の言葉に、シュラインも納得した。たしかに、草間の名はオカルト関係者や、それに興味を持つ者たちの間では有名だ。それと共に、自分の名前が噂になっているのも、しかたがないだろう。
「それにしても、なかなか面白い技だ。男装ぶりも見事だし、わしでなければ、簡単に騙されただろうな」
 そんな彼女に、大は含み笑いをしながら言った。
「すみません。でも……」
 言いかけるシュラインを、大は軽く手をふって制する。
「何、気にすることはない。あなたは、静流に頼まれて協力しただけなのだろう? しかし、なぜ男装して、三月うさぎの声や話し方を真似た? いっそ普段の姿のまま、恋人のフリをしたなら、わしも騙されたかもしれんぞ?」
「それは……」
 問われてシュラインは、どう答えようかと迷った。相手は三月うさぎを知っているようだし、いっそ彼と静流の関係について、話してしまおうかとも思う。が、それはいくばくかは彼女の憶測にすぎず、またそれが当たっていたとしても、本来は静流が話すべきことだという気がした。
 そんな彼女を見やって、大は笑い出した。シュラインは、驚いて顔を上げる。それへ彼は、いたずらっぽい顔になって言った。
「静流は、いい友達を持って、幸せだな。……その友達甲斐に免じて、教えてしんぜよう。わしも息子ら夫婦も、何も静流に結婚を無理強いしようと思っているわけではない。殊にわしはの、静流が本当の気持ちを話してくれるのを待っておるのだよ。人間はさまざまだ。異性のパートナーを持ち、子を生み育てることを幸せと思う者もいれば、同性をしかパートナーにできない者もおる。芸術や研究に心を奪われ、パートナーを必要としない者もおろうし、中には人ではない者と心を通わせ、互いをパートナーにと望む者もおる。『幸せ』は人の数だけある。……わしは、静流には静流の望む『幸せ』が訪れればいいと思っておるよ」
 シュラインは、大の言葉を黙って聞いていた。が、聞くうちに、その目が静かに見張られて行く。温かなものが胸の中に、小波のように広がって行きつつあった。同時に、静流に頼まれてとはいえ、男装までして彼を騙そうとしたことが、恥ずかしくなった。そして、思う。
(やっぱり、自分が結婚についてどう考えているのか、妹尾さんはちゃんとご家族にお話しすべきだわ。……集められた娘さんたち傷つけないためにも、と思って引き受けたけど、そうじゃなく、私も最初からご家族を説得する方を、勧めればよかったわ)
 その思いのままに、彼女は再度謝る。が、大は本当に何も気にしてはいないようだった。
「いやいや。本当に気にする必要はない。わしも、久方ぶりに三月うさぎの声を聞けて、懐かしかったよ」
 笑って言うと彼は続けて、三月うさぎとはもう長らく会っていないのだと告げる。その口調には、本当に懐かしげな響きがあって、シュラインは思わず言った。
「時々、うちの事務所へ招待状が舞い込みますから、今度来た時には、お声をかけましょうか?」
「気持ちはうれしいが……こんなじじいになってしもうた姿を、彼に見せたくはないでな。あなたの気持ちだけ、受け取っておこう」
 答える大のやわらかな笑みの中に、どこか寂しげなものを見て取って、シュラインはなぜか一瞬、胸をつかれた。なんとなく、触れてはいけないことを口にしてしまったような気がして、彼女は次に何を言うべきか、言葉を見失ってしまう。
 そこへ、ようやく唯に開放されたらしい静流が、戻って来た。
「……ほったらかしにしてしまって、すみません」
 かなり疲れた様子だったが、それでも律儀にシュラインにそう謝り、隣の椅子にぐったりと腰を下ろす。
「うづき君には、わしの相手をしてもらっておったからな。退屈はしなかっただろうよ」
 シュラインが答えるより先に、大が言って笑った。そして彼女に軽く片目をつぶってよこしながら、唯が何者かを教えてくれた。
「静流をかっさらって行ったのは、夏目唯というてな、わしの孫の一人……静流の従妹じゃよ。あれでもう二十歳になるが、なんと中学のころから静流の嫁になるのが夢だとのたもうておる」
「それそれは。なかなかの猛者ですね」
 大は、自分が彼女の正体を見破ったことを、静流に告げる気はないのだ。それを察してシュラインは、再び三月うさぎの声と口調で答えるのだった。

【エピローグ】
 シュラインが静流と共にパーティー会場を後にしたのは、始まって二時間ほどが過ぎたころだった。会場内に設置された小さなステージでは、マジックや歌、寸劇などが行われて、宴たけなわといった雰囲気である。が、静流は唯をはじめとする女性たちに、入れ替わり立ち替わりダンスやおしゃべりの相手をさせられて、すっかり疲労困憊しているようだった。
 どうやら静流は、あまりこういう席が得意ではないようだ。一見、誰の相手もそつなくこなしているようだが、一人二人ならまだしも、それ以上の人数に取り囲まれると、微妙に顔が強張っているのが見て取れる。
 結局シュラインは見かねて、自分の都合を口実に、大にだけ挨拶して強引に会場を出て来てしまったのだ。
「……連れ出してくれて、助かりました」
 ホテルのロビーで、静流は心底ホッとした顔でシュラインに礼を言う。最初に待ち合わせた、噴水の傍だ。
「いいわよ、気にしないで。……私も、そろそろ帰りたかったのは本当だし」
 言ってシュラインは、改めて静流を見やった。
「それよりも……結婚についてあんたがどう思っているか、やっぱりちゃんとご家族に話した方が、いいと思うの。案外、本当の気持ちを話してくれるのを、待っているかもしれないわよ?」
「シュラインさん……」
 言われて静流は、軽く目を見張って、彼女を見返す。
「祖父と、何を話したんですか?」
「何も。ただ世間話をしただけよ」
「本当に?」
「ええ」
 シュラインは、そらとぼけてうなずいた。静流は、彼女が大から何か自分について、依頼されたとでも思っているようだ。まだまじまじと彼女を見詰めていたが、やがて溜息をつく。
「そうですよね。逃げていても、しかたがないんだ」
 半ば呟くように言って、彼はシュラインをふり返る。
「……近いうちに、祖父を訪ねて、二人だけで話してみます」
「それがいいわ。がんばってね」
「はい。今日は、ありがとうございました」
 うなずいてエールを送るシュラインに、静流が頭を下げた。
「いいのよ。じゃ、お疲れ様」
 それへ言って、彼女は踵を返す。
 ホテルの外に出て、彼女は大きく伸びをした。それなりに楽しんでいたつもりでも、やはり男装は窮屈だったとみえる。
(これで、雨降って地固まるになればいいけど)
 ふとそんなことを思いながら彼女は、ゆっくりとネオンに照らされた通りへと歩き出した。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086 /シュライン・エマ /女性 /26歳 /翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】

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■         ライター通信          ■
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●シュライン・エマ様
いつも参加いただき、ありがとうございます。
ライターの織人文です。
プレイング、とても楽しかったです。
声帯模写能力は、なるほどこういう時に便利なのかと、
感心したり。
ともあれ、シュライン様にも楽しんでいただければ、幸いです。

それでは、またの機会がありましたら、よろしくお願いします。