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■人形博物館、見学■

伊吹護
【5655】【伊吹・夜闇】【闇の子】
 ぺこり。
 そんな音が聞こえたかと思うくらいに深く、目の前の少女は深く頭を下げた。
 いや、少女というのは少々失礼かもしれない。
 幼く見えるが、おそらく二十歳は越えていると思われる。
 染めていない艶のあるまっすぐな黒髪は額で切りそろえられて。
 切れ長の瞳に、よく言えば落ち着いた雰囲気を、悪く言えば地味な顔立ち。
 典型的な和風な面差し――だが、美人ではある。

「いらっしゃい、ませ――」
 顔を上げた彼女はか細い声でそう言うと、そのまま止まった。
 動き、どころか――表情さえも、そのまま時間が止まってしまったかのように身動ぎもしない。
 どれだけの時間だったろうか。
 数分間にも感じたが、実際は十数秒だったのかもしれない。
 薄暗い、しかも静寂に満ちたこの館では、過ぎる時間が妙に長く感じる。
 場が持たなくなる。
「ご見学、です……か?」
 唐突に。
 彼女は再び言葉を発した。
 無機的に唇を動かすと、またぴたりと静止する。
「五百円、です」
 どうも、会話がしづらい。
 こちらからも反応すればいいのだが、どうもテンポがつかめない。言葉が彼女の沈黙に吸い込まれてしまうような、そんな感覚。
 だけど、ここで物怖じして帰るわけにはいかない。
 今日の目的は、この『人形博物館』。
 怪しげな洋館『久々津館』内に設けられた小さな博物館だ。
 展覧してあるものは、からくり人形を中心とした、多種多様な人形。
 でも、それだけではない。
 この博物館、奇妙な噂が耐えない。
 それは、管理人をしているらしいこの炬と言う女性もしかり。
 展示物も、曰く付きのものばかりだという。
 入ったきり、戻ってこない者がいる、だとか。
 突然動き出した人形に襲われたとか。
 人間になりたがっている人形たちが、心の弱い人間を見つけて、入れ替わろうとしているだとか。
 その噂が根も葉もないものかどうか。
 それを調べるために来たのだから、こんなところで帰るわけにはいかないのだ。
 女性に硬貨を一枚手渡すと。
 薄暗い館の中、尚闇が濃く見えるその奥へ、一歩、足を踏み出す。

人形博物館、見学 〜笑顔〜

 とてとてとて。
 そんな擬音が聞こえてくるかのような足取りで、雑踏の中を進んでいく。
 それは、周囲の注目を一身に受けていた。
 当然である。
 道を歩いていて、向かいから歩いてきたものが。
 足の生えた、大きな黒いダンボールだったら。
 当然、気にならないわけがない。
 大きな、そして真っ黒なダンボール。そこから、ほっそりとした脚が足取りもおぼつかなく、ただ一生懸命に前に進んでいる。
 ダンボールの側面には白字で大きく、『ひろわないでください』と書いてある。可愛らしい字体で。ただそれは、見つめる衆目の視線をより一層浴びることにしかなってはいない。拾わないで、と書かれていたら逆に気になるのが人間だ。
 だけれど、その奇妙な生物に声をかけようとする者はいない。
 あまりにも想像の範疇外過ぎて、どうしたらいいのか、一瞬硬直してしまうから。
 まあ、そのダンボールの中の少女――伊吹夜闇がそこまで考えているかというと、もちろんそんなわけはなかった。じっとしていたら、本当に拾われてしまうことだってよくあるのだから。
 夜闇はそんな周囲の様子など目に入らずに――実際にほとんど見えていないのだが――一心不乱に歩く。本人は必死に走ってるつもりだけれど、それが精一杯。
 大通りを抜け、路地を右手に入ろうとする。
 あっ。
 転んだ。
 曲がり角を曲がりきれずに、足がもつれて。左足に右足をひっかけてしまって。
 今度は、ずでん、という音がぴったりだった。
 ダンボールの中からその色と同じ黒い豊かな髪が、続いて華奢な身体が飛び出して、道路に突っ込む。
 雑踏が、ぴたりと止まった。
 そのうちの一人が声をかけようとしたところで、さっと夜闇は立ち上がり、ダンボールを丁寧に被りなおす。声をかけようとした男を置いて、彼女は裏通りに消えていった。
 そんな夜闇にとってはある意味日常な出来事があって。
 それから十数分後。
 夜闇はなんとか目的地にたどり着いていた。
 ダンボールの中で夜闇は手に持った紙の切れ端と、見上げる位置にある表札とを比べる。
 『久々津館』
 どちらにも、そう書いてある。
 間違いない。
 小さく頷くと、もう転ばないように、ゆっくりと門をくぐる夜闇だった。

 そして。
 久々津館、人形博物館入り口。
 いつも通りにお客は来ない午後の昼下がり。
 炬はこれもいつも通りに、受付前から掃除を始める。
 すると。
 『ひろわないでください』
 いきなり、目の前に文字が飛び込んでくる。
 それは、足元にあった。
 真っ黒なダンボール。
 その正面に、そう書いてある。
 炬は綺麗好きだ。本人には好きという感覚はないものの、習慣として片付けること、掃除することが身についている。
 だからこんな入り口の目の前に、邪魔になるようなところに箱など置く訳がない。それにこんな真っ黒なダンボール箱など見たことがない。
 なんだろうか。
 どうしたらいいものか判断がつかず、くるりと箱を回ってみる。先ほどの書き文字以外、特に変わったところはなかった。
 じーっと見てみる。どうしたらいいだろうか。主人か、それとも他の住人の判断を仰ぐべきか。
 そんな思考を巡らせながら、箱の脇でかがみこむ。中に何が入っているのか確認しようと、覗き込もうとする。
 と。
 それを待っていたかのように。
 ダンボールの蓋が開いた。
 中から何かが飛び出してくる。
 普通だったら慌てて避けるか、ひっくり返ってしまうタイミング。でも炬は微動だにせず、柔らかくそれを受け止めた。
 腰より長い、豊かな、そして炬と同じ漆黒の髪の――小さな人形。それは、ダンボールの中に隠れたままの夜闇とそっくり同じ姿をしていた。違うのは、サイズだけだ。
 現われた夜闇人形は、その身の丈からすれば大きな旗を振っていた。
 そこには『ふたりぶん』と書かれている。
 よくよく見ると、背中に何かくくりつけていて、旗を振りながらもそれを見せようとしている。
 五百円玉だった。二枚、重ねられている。
 ふたりぶん。
 思考が繋がる。
「おふたり、ですか?」
 炬は、夜闇人形に声をかけた。
 うんうんと、大きく頷く夜闇人形。右手で自分の顔を指差し、次いで左手でダンボールの中を指差す。
 指に誘われるように炬が顔を動かすと。
 ダンボールの中から、夜闇が人形そっくりの顔をちょこんと出していた。
「こんにちはです」
 軽く頭を下げ、挨拶する。つられるようにして炬も頭を下げる。
 二人の挨拶が終わるのを見計らって夜闇人形は背中の五百円玉を外し、二枚あわせて渡す。
 だけれど炬は、受け取った硬貨のうち一枚をそっと夜闇人形に返した。
「おひとりさま、ぶんで、だいじょうぶです」
 そんな言葉に、夜闇が反応する。
「この子の分も、ちゃんと払いますです。この子もちゃんと生きてる子だもの」
 珍しく、ちょっと強い口調になっていた。彼女にとって人形は動く動かないに関わらず一人の命あるものだ。それをそう扱ってもらえなかったから、少しだけ不機嫌になる。
「ちがう、んです」
 夜闇の様子に慌てることもなく、炬は冷静に、いつものたどたどしい口調で説明した。曰く、ここは、人形博物館。展示されているものでなくとも、人形が入場するのにお金は取らないと。だから、夜闇本人の分だけ。お一人様、五百円。
「それなら、それは……いいことだって思います」
 夜闇人形から硬貨を受け取り、それを懐にしまう。
 では、と炬は先導となって歩いて、そして入り口の前で立ち止まった。
 こちらが、入り口です。
 そう告げる。
 しかし促された夜闇の反応はない。炬が立ち止まると同時にこちらも立ち止まり、ダンボールの中で座り込んで、じっと見上げる。
 じーっ。
 ただただ炬を見つめる。
 実は夜闇。
 この五百円を人形博物館の見学料ではなく、炬を見学する為の値段と勘違いしているのだった。
 そのままの体勢で。
 ちょこまかと周りを走り回る夜闇人形も気にもかけずに。
 じーっと見つめ続ける夜闇。
 でも、鈍いことにかけては炬も負けてはいない。
 特に疑問にも思わず、ただただ夜闇と見つめあう。
 それは、とてもとてもおかしな光景。
 奇妙な奇妙な空間。
 やがて、どれだけの時間が経っただろうか。
 一つ、大きく頷くと。
 夜闇は、両の手を前に突き出す。そこに何かがあるように、丸めるかのように手を動かし始める。もちろんそこには、何もない。ただ周りとおなじく、薄ぼんやりとした闇があるだけである。
 だが。
 一生懸命その空間をこねていると、少しずつ闇が深く、濃くなって――質感を持ち始める。濃い闇がまるで粘土のようになっていき、だんだんと形作られていく。
 隣で『がんばれ夜闇』と書かれた旗を振って、夜闇人形が応援する。
 炬は相変わらずじっとその夜闇を見つめるばかり。
 こねこね。ぐねぐね。
 炬の顔をちらり、ちらりと見ながら、夜闇は一心不乱に作業を進める。
 そして、できあがったものは。
 小さな、そう、夜闇人形とちょうど同じくらいの人形だった。
 ただ、夜闇人形とは少々造形が違う。
 黒くて長いが、真っ直ぐな髪。おとなしめの日本的な顔。細身の体。
 それは見てわかるほど、炬によく似ていた。
 ただ一点――表情を除いて。炬は常に、今も無表情のままである。一方、炬人形のほうは、静かに微笑みを浮かべていた。
 できあがりを確認すると、夜闇はダンボールから乗り出すようにして、炬を手招きする。
 意を汲んだ炬が膝を折り、屈むと。
 目線があったところで、炬人形をその手に握らせた。
「これは、わたし、ですか?」
 受け取った人形を眼前に掲げ、炬が疑問を発する。
 うんうん、と頷く夜闇に合わせるようにして、炬は首をふるふると横に振った。
「わたしは、こんな、顔は、つくれません」
 それに対して、夜闇は控えめに微笑む。ちょうど、炬人形のように。
「お名前、教えてです」
 構わずそう聞くと、ただ一言「かがり、ともうします」と返ってきた。
「かがりさんは、きっと、こんな顔で笑うんです」
 そう続けても、炬は首を振るばかり。自分はそういうことができないようになってしまっていると、淡々と答えるだけ。
 ちょっと考え込むように俯いて、そして顔をあげると、夜闇は再び話し出した。
「じゃあ、いつか、こんな笑顔で笑えるように。私のは少し小さいお人形さんになってしまいますけど……貰ってほしいのです。炬さんは、きれいな方なのです。笑ったらもっともっときれいです」
 そうやって言葉を紡ぎだしながら、炬人形を握っている炬のその手を包みこむように両手で覆う。そして、そのままそれを相手の胸に押し出すようにする。
 向き合った二人の視線が、柔らかく絡まる。
「では、ありがとう、ございます。いただきます。代わりに、これを」
 炬は、どこからか小さなマリオネットを取り出すと、夜闇に渡した。
 プレゼントの交換。
 頭に浮かんだそんな響きに、夜闇は少し嬉しくなる。
 お礼を言って、ありがとう、また来るのです、と言って。
 背を向け、帰ろうとする。
 そんな夜闇を、炬は呼び止める。待ってください、と。
「見学は、こちらになります」
 そう言う炬に、夜闇は夜闇人形と同時に首をかしげ、不思議な表情をする。
 ここで改めて、ようやく。
 炬はここが人形博物館であること、そして五百円はその見学代であることを説明した。
 それを聞いて、夜闇はもう一度目を輝かせる。
「もちろん、見ていくです」
 そう言って、夜闇は――喋る人形たちとの幸せなひと時を過ごしに、なぜだか少し暖かく感じる薄暗闇の中、ようやく人形博物館の入り口をくぐるのだった。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

【5655/伊吹・夜闇/女性/467歳/闇の子】

【NPC/炬(カガリ)/女性/23歳/人形博物館管理人】

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■         ライター通信          ■
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 初めまして。伊吹護と申します。
 発注ありがとうございました。
 キャラクター名、苗字が同じなので妙な親近感を覚えてしまいました。
 ホラー的な部分は抑えまして、ほんわかしたお話を目指したつもりでしたが、いかがでしたでしょうか。
 今回のお話で、炬とは知人レベルになりました。また発行されたアイテムにより、今後の人形博物館の見学はフリーパスになります。
 依頼系もそろそろ始めたいとは思っていますので、もし機会がありましたらまたよろしくお願いいたします。