■消えない痕■
織人文 |
【0086】【シュライン・エマ】【翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】 |
「これを見て下さい」
村上月子(むらかみ つきこ)と名乗った女は、草間の目の前で、いきなり自分の胸元を広げてみせた。その唐突な行為に驚いた草間だったが、その白い胸に刻まれた痛ましい傷痕に、それ以上に驚き、目を見張る。
月子の胸、レースの下着に隠された二つの谷間のそのちょうど真上、それこそ少し襟ぐりの深い服を着れば見えてしまうだろう個所に、その傷はあった。赤黒く引き吊れたそれは、巨大なバラの花のようにも見える。
彼女は、改めて衣類を整えると、草間の向かいに座り直し、言った。
「この傷は、十年前――私が十五の時に、夢の中でつけられたものです。人に話しても、誰にも信じてもらえませんが、本当のことです」
そして彼女は、夢の内容を草間に語った。
彼女がその夢を見たのは、十五歳の夏のことだったという。しかし、夢の中の季節は冬で、彼女は白く雪が降り積もった停留所で、バスを待っていた。そこへ、突然現われた見知らぬ男が、彼女を持っていたナイフで刺したのだ。そのナイフは高温の熱を帯びており、彼女の胸には、たった今草間が目にした、あの醜い引き吊れが残ったのだという。
「――以来私は、大勢の医者にこの傷を見せました。名医だという噂を聞いて、海外まで行ったこともあります。そうして、何度も整形や移殖の手術を受けましたが、結局、傷は消えませんでした。それが先日、街角で出会った占い師に、奇妙なことを言われたのです。この傷は、呪いだと」
「呪い?」
草間は、思わず問い返した。
「はい」
うなずいて彼女は、今度は占い師に言われたことを告げる。
占い師は言った。これは、前世の呪いだと。月子とその夢に出て来た男は、前世で敵対しており、決着がつかないままに、互いに死を迎えたのだという。ただ、月子にも男にも、当然ながら前世の記憶はない。だからおそらく、相手の男もまた、過去に自分が夢でした行いに苦しんでいるはずだというのだ。
「その男を探し出し、この呪いを解く手助けをしてはいただけませんか。どうか、お願いします」
話し終え、月子は深々と頭を下げた。
■事件の解決には、二人一組で当たっていただきます。
■組合せはこちらで決めさせていただきますが、相手を指定したい場合は、プレイングにお書き下さい(相手PC様が参加している場合に限ります)。NPCとの組合せもOKです。
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消えない痕
【1】
昼食時を過ぎた時間帯だからか、月子の通勤途中にあるというその駅の通りは、幾分閑散としていた。
シュライン・エマは、反対側に位置する歩道の端に、小さな台と椅子を置いて座っている女をさっきからじっと観察していた。五十代から七十代のどれとも見える女性は、セミロングの黒髪で、紺色のスーツを着ていた。言われなければ、彼女が占い師だとは思わないかもしれない。それほど、「占い師」という言葉の怪しげな雰囲気からは、かけはなれた印象のある女性だ。だが、彼女こそが、村上月子に「呪い」の存在を教えた人物なのである。
月子が草間興信所に持ち込んだ依頼は、夢で胸に傷をつけた男を探し出し、前世からの呪いを解く手助けをしてほしいというものだった。
月子が帰った後、それについてシュラインと草間が話していたところへ、たまたまやって来た碇麗香がそれを聞き、興味を持って調べるのを手伝おうと言い出した。そこでこの依頼は、シュラインと彼女とで調査することになったのである。
月子の話を聞いて、シュラインが最初に気になったのは、占い師の言動だった。普段は手相を見ているというのに、顔を見ただけでそこまで詳しくわかるものだろうか。たしかに、そういう能力を持つ人間もいるだろうけれど、もし彼女自身が初対面の相手からそんなことを言われたら、まずは霊感商法などの詐欺行為の方を疑うだろう。
「もちろん、たまたま客の中に月子さんの夢に現われた男がいて、手相からそれを感じ取れたって可能性もないとは言えないかもしれないけど……」
草間の事務所でその疑いについて話した後、彼女がそう告げると、麗香もうなずいた。
「そうね。占い師っていうのは、資格を得たり、雇われたりしてなるものじゃないから、ピンキリだしね。実際にはなんの知識もないのに、はったりだけで占い師をきどっているのも、けっこういるわよ」
オカルト雑誌の編集長だけに、そういう人間にも多く当たっているのか、彼女は言って肩をすくめる。
だが、そうはいっても、手掛かりになりそうなのは、月子の夢の内容とその前世の話ぐらいなのだ。そこでシュラインと麗香は、手分けしてそれぞれ、それらについて調べることになった。
とりあえず、月子の夢の内容について情報を集めるのは、ある意味専門家である麗香に任せて、シュラインは件(くだん)の占い師に会ってみることにした。
月子から場所を教えてもらい、携帯で撮った占い師の写真を送ってもらって、今、シュラインはここにいるというわけである。
通りが閑散としているせいか、女の前で立ち止まる客もまばらだ。十分ほど前に主婦らしい女性客が立ち去ってからは、誰もそこで足を止める者はいない。それを見計らって、シュラインはそちらへ向かった。
女の前に足を止め、声をかける。
「こんにちわ。……今、少しお時間いいですか?」
「なんのご用?」
穏やかに問い返す女は、それで彼女を客ではないと判断したようだ。
「私は、シュライン・エマといいます。ある方の依頼で、人を探しているんですが、最近、若い女性に『胸にある傷は、前世の呪いだ』とかいうようなことを、言いませんでしたか?」
シュラインは、適度に依頼人についてぼかしつつ、尋ねた。
「言ったかもしれないけれど、あなたには教えられないわね。あなたが今、その依頼人について私に話せないのと同じように、私も自分の客について、他人には話せないの」
女は、穏やかな口調で返す。それへシュラインは、食い下がるように尋ねた。
「それはそうかもしれませんけど……。では、どうして顔を見ただけで、その人の前世についてのことがわかったのかだけでも、教えてもらえませんか? だって、普段は手相を見てらっしゃるんでしょ? なのに、顔を見ただけでどうしてそこまでわかったのか、少し不思議なんです、私」
「言っても信じてはもらえないかもしれないけれど、私には多少、霊感のようなものがあるようでね。ほんの時たま、相手の顔を見ただけで、その人のことがわかることがあるの。そういう時には、それを相手に教えてあげるようにはしているわね」
女は、少し考えた後、そんなふうに答える。
「じゃあ、たとえば夢で見た相手の居場所を探す、なんてことはできますか?」
「それは無理ね」
シュラインが問うなり、女は言った。
「手相は基本的には、その手の持ち主当人のことしか見ることができないし、さっき言った霊感は、使おうと思って使えるものではないもの。ましてや、夢で見た相手というのは、とても漠然としているでしょう?」
「それは……そうですね」
言われてシュラインも、うなずく。女は小さく笑った。
「夢には、いろんな人が現われるわ。実在する自分の身内や恋人や友人、後輩や先輩、上司、時には死んでいる人も出て来るでしょうし、タレントや歌手などの有名人も出て来るでしょう? そして時には、まったく見覚えのない人も現われる。でしょう?」
「あ……。はい」
同意を求められて、シュラインは思わずうなずく。たしかに、夢には時に、どういうわけだかまったく見覚えのない見知らぬ人物が現われる時があるものだ。
女は笑って言った。
「それを、守護霊が夢に現われたのだ、なんて言う人もいるけれど……どちらにしても、もしその夢に出て来た見知らぬ人物を、現実で探してくれと言われたら、誰もが困ってしまうと思うわよ」
「はあ……」
シュラインは、曖昧にうなずく。それはそうかもしれないが、月子の依頼は、それとは少し違うような気もした。
彼女が考え込んでいると、こちらの様子を伺いながら近づいて来る男性がいる。どうやら客らしいと気づいて、シュラインは女に言った。
「あの、お仕事が終わってからでも、もう少し詳しくお話を伺わせていただけませんか」
が、女はかぶりをふる。
「悪いけれど、私があなたに話せることは、きっとこれ以上ないと思うわ」
そんなふうに言われては、シュラインもそれ以上食い下がれない。男性は、二人の話が終わるのを待っているようでもあるし、彼女はしかたなく礼を言って、その場を離れた。
少し行ったところでそちらをふり返り、女の方を見やる。女はすでに、待っていた男性の手を取って、手相を見ているようだ。シュラインは、小さく溜息をついた。
(一人で来たのは、失敗だったかも。月子さんに一緒に来てもらえばよかったわね。それなら、当人の了承を得ているわけだから、プライバシーに関わる部分も、話してもらえたかもしれない)
胸に呟き、少し考えてから彼女は、もう一度、今度は月子を連れて女を訪ねてみようと考える。
その時、バッグの中の携帯電話が鳴り出した。
出てみると、相手は麗香だった。
『ネットの方、さっそく反応があったわよ。月子さんと似たような夢を十年前に見たことがあるってメールをくれた人がいて、会うことになったわ』
彼女は電話の向こうで、やや興奮した口調で言う。
麗香は興信所を出た後、本来の取材業務のために移動する間、携帯電話からアトラスの公式サイトや、ゴーストネットをはじめとする、オカルト系の有名掲示板のいくつかへ、月子が十年前に見た夢の内容と共に、それに対する情報を求める書き込みをしたのだった。
書き込みは、「月刊アトラス編集長 碇麗香」の名前で行ったこともあってか、短時間で掲示板には多くのレスがつき、また公式サイトにあるメールアドレス宛てにも、同じくレスのメールがいくつも送られて来た。
その中に、月子と立場が逆の夢を見たという内容のメールがあったのだった。
『名前は、松岡陽子。十年前の夏に、バス停で自分と同い年ぐらいの少女をナイフで傷つける夢を見たのだそうよ。夢の中では雪が積もっていて、そのバス停は彼女の知らない場所だったらしいわ。そして夢の中の彼女は、男性だったって』
電話の向こうで、麗香が告げる。
『メールに電話番号も書いてあったから、こっちから連絡してみたら、今日は出かける用があるから、ついでに編集部まで寄ってくれることになったのよ』
「わかったわ。じゃあ、私も今からそっちへ行くわね」
シュラインは言って、電話を切った。
【2】
アトラスの編集部は、皆出払っているのか、閑散として人気がなかった。中にいるのは麗香と、部屋の隅でダンボール箱を囲んで手紙か何かの仕分け作業をしている、アルバイトらしい若い男性が二人ほどだけだった。
「いらっしゃい。松岡さんが来たら、下の喫茶室へでも行きましょう」
シュラインを笑顔で迎えた麗香は言って、「適当に座ってて」と付け加える。
シュラインは、麗香の隣のデスクの椅子を勝手に引っ張って来て座ると、訊いた。
「情報収集の早さはさすがだけど……信憑性の方はどうなの? その松岡さんって人」
「メールの内容を見た限りでは、嘘とも思えないわね。どちらにしろ、ただの騙りなら、会って話せばボロが出るしね」
麗香は笑って言うと、印刷した紙の束を彼女に差し出す。
「こっちは、夢の中の情景で検索してみた結果をプリントアウトしたものよ。ちょっと面白いのが、これかな。恐ろしい体験をする夢を見て、それを目覚めた後も鮮明に覚えているのは、それが実際に体験したことだからだ、というの」
「どういうこと?」
それを受け取りながら、シュラインは思わず問い返す。
「いいから、読んでみて」
言われて彼女は、その紙の束の一番上にあるものを読み始めた。
それは、夢を心理学的に分析した文章のようで、「恐ろしい体験をする夢を見て、鮮明に覚えている場合」に言及したものだった。そこには、往々にしてそうした体験は実際にその人が過去に遭遇した事実であると書かれていた。恐ろしい体験――たとえば、事故や事件、災害、あるいは幼少期の虐待やレイプなどを体験した場合、時に人はその恐怖の記憶から逃れるために、その体験を「忘れてしまう」のだ。しかし、経験した事実がなくなるわけではないので、何かの拍子に思い出し、夢の形で現われることになるのだという。
シュラインはそれを読み終え、麗香を見やった。
「つまり、月子さんは夢ではなく実際に誰かにナイフで傷つけられた経験があるってこと?」
「その可能性もないとはいえないってことよ。彼女の場合は、実際に胸に傷まで残っているわけだしね。……むしろ私は、夢と現実がごっちゃになってるんじゃないかって気もするわ」
麗香は言って、小さく肩をすくめる。
「そうね……。でも、だとしたら占い師の言ったことや、そのメールの女性はなんなの?」
シュラインは、うなずきつつも尋ねた。
「さあね。……そういえば、占い師には会えたの?」
麗香は幾分無責任に、再び肩をすくめると、ふいに思い出したように問い返す。
「まあね」
曖昧に答えてシュラインは、彼女に占い師とのやりとりを語った。
話を聞いて、麗香は小さく笑う。
「さすがに、伊達に占い師なんて商売してないわね、その人」
「笑わないでよ。私も、せめて月子さんに一緒に行ってもらうんだったって、反省しているんだから」
シュラインが言った時だ。編集部の入り口のドアが開いて、女性が顔を出した。その姿に、軽く目を見張ったのは、シュラインの方だ。
「月子さん。どうしてここに?」
思わず尋ねた彼女を、女性はきょとんとした顔で見やる。それを見返し、シュラインも気づいた。女性は月子そっくりの顔をしていたが、彼女ではない。彼女の長く伸ばした髪は黒かったが、女性は毛先を脱色していた。それに、よく見れば髪形そのものも違う。
「あの……。私、お電話いただいた松岡陽子ですが」
女性は、シュラインと麗香を見比べながら、幾分おずおずと言った。
シュラインが、更に目を見張る。麗香が立ち上がった。
「わざわざすみません。私がお電話を差し上げた、碇麗香です」
言って彼女は軽く会釈すると、名刺を差し出す。
「松岡です」
女性も名刺を受け取ると、改めて名乗り、会釈した。
麗香はそれへシュラインを紹介し、ビルの一階にある喫茶室へと誘う。
やがて、喫茶室の一画におちついて、シュラインと麗香は、陽子から彼女が昔見た夢の内容を詳しく聞いた。それはまさに、月子の夢とは逆というか、月子と男の視点を入れ替えたような内容だった。
陽子は、話し終えて言った。
「私、その夢を見てから今まで、ずっと怖かったんです。もしかしたら、自分は本当に誰かを傷つけてしまったんじゃないかって。だから、あの書き込みを見た時には、心の底からぞっとしました。でも、これはどうしても、この夢の主にも会わなければいけないとも思いました。会って、自分のしてしまったことを、謝りたいと」
そうして彼女は、探るようにシュラインと麗香を見やる。
「あの……あの夢を見たのは、お二人のどちらかではありませんよね?」
「ええ。……実は、私たちは夢の主から頼まれて、夢で出会った男性を探していたんです。もちろん、その人に打診してみないとわかりませんが、もしかしたらあちらも、あなたに会いたいと言われるかもしれません」
うなずいて、麗香が言った。そして、日を改めて連絡する旨を告げる。陽子はそれで納得したのか、立ち上がった。
「わかりました。それじゃ、連絡をお待ちしています」
言って頭を下げると、彼女はそこを立ち去った。
それを見送り、シュラインは麗香をふり返る。
「話の内容もだけど……彼女が月子さんにそっくりなのは、どういうわけ?」
「さあね。……そんなに似てるの?」
直接、月子に会っていない麗香は、幾分信じられない口調で尋ねた。
「そっくりよ。それに、名前も……」
「ああ……。月子と陽子、なんだか双子みたいね」
うなずいて言うシュラインに、麗香もふいに真剣な顔になって言う。そして、この先のことを尋ねるように、彼女を見やった。
「そうね、夢の話は作り話ではなさそうだし……月子さんに連絡を取ってみるわ」
彼女は、少し考えてから言う。そして、すっかり冷めてしまったコーヒーを飲み干すと、立ち上がった。
「とにかく、私は一度、事務所へ帰るわ。また連絡するから」
「ええ」
うなずく麗香に軽く手をふって、彼女はそこを後にした。
【3】
数日後。
シュラインと麗香は、草間興信所にいた。
月子に事の次第を報告したところ、彼女も陽子に会って話してみたいと言い出したのだ。そこで陽子とも連絡を取り、この日、興信所で二人を引き合わせることになったのだった。
事務所の中は、シュラインと麗香、それに月子の三人だけだ。草間は他の依頼で出かけており、零も買い物に行って留守だった。
約束の時間の少し前に、事務所のドアがノックされる。
「どうぞ」
シュラインが答えると、ドアが開いて、陽子が入って来た。その姿に、月子が軽く目を見張って、思わずといったように立ち上がる。無理もない。先日陽子に会っているはずのシュラインの目から見ても、こうして並ぶと彼女は月子に瓜二つだ。
陽子の方も、月子の姿に驚いたのか、目を見張る。が、すぐに気づいて彼女たちに会釈した。
「こちらへどうぞ。楽にして、座って下さい」
シュラインは声をかけ、コーヒーを出すために、台所へ引っ込む。もちろん、陽子が来たらすぐに出せるように、カップなどは全てあらかじめ用意してあった。
手早くコーヒーを入れ、四つのカップを並べた盆を手に、彼女は事務所へ戻る。
応接用のテーブルを囲んで、麗香と月子がソファに隣り合って座り、月子の向かいに陽子が座していた。
盆を手にしたシュラインが、そちらへ歩み寄ろうとした時だ。ふいに陽子が立ち上がった。手にしていたバッグの中から、包丁をつかみ出すと、テーブルをまたぎ越えるようにして、月子に突進する。
「陽子さん、何するの!」
「やめなさい!」
シュラインと麗香の叫びが交錯した。シュラインは、とっさにデスクの上に盆を置いて、そちらへ駆け寄る。麗香は月子をかばうかのように、彼女を抱きしめていた。一方シュラインは、陽子の後ろへ回って、彼女をなんとか押し留めようとする。
幸い、シュラインの方が彼女より背が高かった。それに、日ごろから家事で鍛えているおかげで、腕力も彼女よりはあったようだ。どうにか彼女を取り押さえ、その手から包丁を奪う。
途端、陽子は力尽きたようにその場に崩れ折れ、そのまま泣き伏した。
「いったい、なんのつもりなの? あんた、月子さんに危害を加えるつもりで、ここへ来たの?」
尋ねるシュラインの口調は、思わず厳しいものになる。
「申し訳ありません。でも……でも、こうしないと、私たちの間の呪いは、解けないんです。私たちの間に築かれた因縁は、消えてくれないんです……」
泣きながら顔を上げ、陽子は途切れ途切れに言った。それを聞いて、シュラインは思わず麗香と顔を見合わせる。が、やがて小さく吐息をついて、身を屈めると、陽子の肩に手をやった。
「とにかく、おちついて下さい。座って話しましょう」
言われて陽子は、すすり泣きながら、立ち上がる。そしてシュラインに促されるままに、再び椅子に腰を下ろした。
それを見やってシュラインは、月子をふり返った。こちらは、青ざめたまま、立ち尽くしている。
「大丈夫ですか?」
麗香が声をかけ、こちらもおちつくよう言って、ソファにかけさせた。
その様子に、もう大丈夫だとシュラインは、デスクの上に置いた盆を改めて取り上げ、コーヒーを運ぶ。そうしてようやく自分も月子の隣に腰を下ろした。
「どうぞ。きっと、おちつきますから」
シュラインが勧めると、陽子はまだ幾分鼻をすすり上げながら、コーヒーのカップに手を伸ばした。月子も、黙って同じようにカップを取る。
ややあって、ようやくおちついたようにコーヒーをテーブルに戻して、陽子はぽつぽつと、自分の行動の理由を話し始めた。
あの占い師の言葉どおり、陽子と月子は前世で互いに敵対しあっていた仲だったのだという。前世といっても、二人が前の生を終えたのは、ほんの三十年前のことだ。当時は二人とも男性で、陽子は満、月子は朔也といった。腹違いで同い年の兄弟だったのだ。そして兄弟で、父の愛と財産と一人の女を争い、だがついに決着がつかないまま、二人は共に崖から転落し、その命を散らしたのだという。
「……その時に、私たちの愛した女が、呪いをかけたのです。私たちは、決着がつくまで何度でも生まれ変わり、血で血を洗う争いを繰り広げなければならないのだと」
「そんなこと……。だいたい、どうして? どうしてその女は私たちに呪いをかけたりしたの?」
呟くような陽子の言葉に、月子が呆然と尋ねた。
「私たちは、どちらもその人を、愛していたのでしょう?」
「ええそうよ。でも……私たちは、どちらもその人を愛するあまり、その人からたくさんのものを奪ったわ。その人の家族や恋人、友人……。そうしてただ、どちらか一人のものにしようとしたの。私たちはどちらもその人を愛していたけれど、彼女は私たちを憎んでいたのよ。だから、呪いをかけたの」
陽子は言って、月子に笑いかける。
「あなたは、何も覚えていないの?」
問われて、彼女は黙ってかぶりをふった。
そのやりとりに、シュラインが尋ねる。
「陽子さんには、以前からその前世の記憶があったの?」
「はい。……ほんの二、三歳のころから」
うなずいて、陽子は言った。
「だから私は、そのころから何かというと、月子を殺そうとしていました。それで、引き離されたんです。私だけ、松岡の家に養女に出されました」
「え?」
これにはシュラインだけではなく、麗香もそして月子も目を丸くして声を上げる。
「ちょっと待って。じゃあ、あなたたちは、姉妹なの?」
尋ねたのは、麗香だ。
「そうです。それも、双子です」
「ああ……それで……」
シュラインは、思わずうなずいた。これだけそっくりで、アカの他人という方がおかしいとは思っていたが、やはりそうだったのだ。
しかし、当事者である月子は、呆然と信じられない顔つきで、陽子を見詰めている。
「私に、双子……?」
ようやく口から漏れたのは、そんな呟きだった。
その彼女を見やって、陽子は肩をすくめる。
「あなたは、本当に何もかも忘れてしまっているのね。私たち、三歳ぐらいまで一緒にいたのよ?」
そう言われても思い出せないらしく、月子は小さくかぶりをふる。
それを見やってシュラインは、どうしたらいいものかと思案した。ここで二人に殺し合いを始められても困るし、月子の依頼の残り半分は、呪いを解くことだ。
(そう。呪いが解けてしまいさえすれば、今の二人はそれぞれ、村上月子、松岡陽子として、別々の人生を歩んで行くことができるかもしれない。でも……殺し合う以外に呪いを解く方法って、あるのかしら)
胸に呟き、シュラインは必死に考えを巡らせる。その脳裏にふと閃いたのは、あの占い師の顔だった。結局あの後、月子を連れて会いに行くこともないままだった占い師。彼女ならば、何か呪いを解く手掛かりを与えてくれそうな気がした。そもそも、最初に月子に呪いのことを告げたのは、彼女なのだ。
「月子さん、陽子さんも一緒に、あんたに呪いのことを教えてくれたという占い師の所へ、行ってみませんか?」
「え?」
突然思いがけないことを言われて、月子はとまどったようだ。陽子の方も、怪訝な顔でシュラインを見やる。そこで彼女は、陽子にも件の占い師のことを話した。そして続ける。
「前世は前世として、せっかくこうして生まれ変わったんだし、私は二人とも、ちゃんと村上月子さんと松岡陽子さんとして、今生を生きる方がいいと思うんです。月子さんからの依頼も、最終的には呪いを解くことですし。そして、あの占い師なら、何かその手段を知っているかもしれない――そう思います」
言われて、月子と陽子はどちらからともなく、顔を見合わせた。が、やがて月子がうなずく。
「そうですね。私も、もう一度あの占い師に会って、話を聞きたいと思います」
「私も行くわ」
陽子も、うなずいた。
「私も、こんな恐ろしいことには、今度こそ決着をつけてしまいたい。その人の所へ行きます」
「そうと決まったら、さっそく移動ね」
麗香がホッとしたように言って、立ち上がる。シュラインもそれへ、小さくうなずいた。
【4】
そして。
四人そろってやって来たのは、件の占い師が店を出している通りである。
彼女は、以前シュラインが見た時と同じように、小さな台と椅子だけの店を出し、スーツ姿だった。幸い、客の姿は見えない。通りもあの時と同じく、人もまばらだった。
四人は、占い師の前に立った。
「こんにちわ。先日はどうも」
シュラインが代表して口を開く。
「おや。……いつだったか、面白いことをいろいろと訊いて行ったお嬢さんね。よく覚えているわよ」
彼女は笑って言うと、他の三人を見やり、月子と陽子の姿に軽く目を見張った。
「こちらが以前、あんたに前世の呪いの話を聞かされた人よ。……この間教えてくれた、霊感の話が本当なら、どうすればその呪いを解けるのか、わからないかしら」
シュラインは彼女に、月子を紹介してから尋ねる。
「それは、前にこの人にも言ったはずよ。呪いは、決着がつかなければ解けないと」
艶やかに微笑んで言うと、占い師は月子を見やった。
「あなたは、私を思い出してはくれないのね。私の人生を、あんなにめちゃくちゃにしておいて。生まれ変わったら、忘れてしまうのね」
「あなた……」
大きく目を見張って呟いたのは、陽子の方だった。占い師は、そちらをふり返って、もう一度微笑む。
「あなたも、私が誰かはわからなかったようね。ひどい人たちだわ。私はいまだに死ぬこともできず、苦しみもがきながら、生き続けているっていうのに」
「桜子……。あなたは、桜子なの?」
張り裂けんばかりに目を見張り、小さくかぶりをふって呟いたのは、月子だった。
「ようやく、思い出してくれたのね」
桜子と呼ばれた占い師は、花のような笑いを浮かべると、立ち上がる。そして、ひどく無防備に両手を広げた。
「呪いを解く方法なんて、簡単よ。かけたのは私ですもの。私を殺せばいいのよ。……私が自然死を迎えれば、呪いを構成する輪は閉じて、あなたたちにはどうすることもできなくなる。あなたたちのどちらかがどちらかの命を奪い、争いに決着をつけるほかはね。でも今は、まだ私は生きている。だから私を、殺しなさい。それで、全ては終わるわ」
朗らかにさえ聞こえるその言葉に、月子と陽子は弾かれたように顔を上げ、そちらを見詰める。だが、どちらも動こうとはしなかった。
それを見やってシュラインは思う。そんなこと、できるはずがないだろうと。前世の記憶が戻った二人にとっては、桜子は争ってまでその心を手にしたいほど大切な相手なのだ。
(それにしても……桜子さんは、本気で二人を憎んでいるの? たしかに酷い呪いだけれど、ただ二人を争わせ、呪い殺したいだけだったのなら、わざわざそれについて月子さんに教えたり、今もこんなことを言ったり、しないようにも思うわ)
シュラインは、眉をひそめて考えを巡らせる。
(もしこれが、桜子さんが二人のうちのどちらかを、それとも二人ともを愛していた結果なのだとしたら……)
人の心は複雑で、時には思いがけない動きをする。自分から全てを奪い、憎んでも憎みきれない相手であっても、愛してしまうこともあれば、ただ一人と心に決めたはずなのに別の人間に惑うこともある。ましてや、同じ時期に同じだけ愛されたら、二人のどちらにも心をかけてしまうことも、あるに違いない。
シュラインは、小さく唇を引き結ぶと、口を開いた。
「さしでがましいかもしれないけど、一番いいのは、過去は過去と気持ちに区切りをつけることではないかしら」
「シュライン?」
麗香が、何を言い出すのかと訝るように、彼女を見やる。月子と陽子、それに桜子も驚いたように、こちらをふり返った。それへシュラインは、続ける。
「桜子さんにとっては、満さん朔也さんとのことは、今生の出来事で、苦い過去かもしれない。けれど、月子さんと陽子さんにとっては、前世とはいえ、満さん朔也さんのことは、まったく別人の人生にすぎないわ。性別だって今は女性なわけだし、その責任を取れと言われても、困ると思うのよ。だったら、過去は過去、今は今と区別して考える方が、ずっと建設的じゃないかしら。もちろん、全てを忘れるのは難しいかもしれない。でも、前世の過ちを贖う方法って、きっともっと、別なものがあると思うのよ」
シュラインは、言葉を切って、桜子を見やった。
「桜子さんは、さっき人生をめちゃめちゃにされたって言ったけれど、でもあんたは、まだここに生きているじゃない。自分の力で自分を支えて生きて、占いって方法で、他人を助けることまでできているじゃないですか。まだ、桜子さんの人生は終わっていないんです。めちゃめちゃになったと決めつけるのは、早すぎる――私は、そう思います」
「なかなか言うじゃないの、お嬢さん」
小さく声を立てて笑いながら、桜子がそれへ返す。そして、ちらりと月子と陽子を見やった。
「たしかに私は、この三十年で図太くもなったわね。人間は、どん底まで落ちても、どうにかなるものだって、知ってしまったものね。……でも、そこの二人はどうかしら。思い出してしまった前世に目をつぶって、生きて行くことができるの?」
「私……やってみます」
言ったのは、陽子の方だった。彼女は、シュラインと麗香を見やって続ける。
「白王社で、シュラインさんと碇さんにお話したことは、本当です。私は、十年前のあの夢を見て以来、ずっと苦しんで来ました。その苦しみを終わらせられるならと、今日ははやまったことをしそうになりました。でも……本当に月子を殺してしまったら、私はもっと苦しまなければならなくなるんです。それぐらいなら、前世の記憶に苦しむ方が、まだマシかもしれません」
「陽子さん……」
シュラインは、思わず彼女を見やった。それはおそらく、口で言うほど容易いことではないはずだ。
だが、彼女の言葉に、月子も小さく唇を噛みしめ、顔を上げた。
「私も、やってみるわ。私……ずっと、この胸の傷を消すことだけを考えて、生きて来た。これを消すためだったら、なんでもできる、そんなふうに思い詰めていたこともあったわ。だから、桜子から前世の呪いだって聞かされた時、藁にもすがる気持ちで、草間さんの事務所を訪ねたの。でも……この傷は、前世の自分の犯した罪を示すもの。それなら、体に刻んで、私もまた前世の記憶に苦しみ続けて生きていくわ。それが、かつて私の犯した罪を贖うことになるのかどうかは、わからないけれど」
そちらをふり返ったシュラインは、きっぱりと告げる彼女を、陽子を見詰めたのと同じ目で見やる。
「月子さん、それじゃあ……」
「ええ。呪いを解く手伝いをしてほしいという依頼の方は、撤回します。ありがとうございました」
月子は、彼女と麗香に深々と頭を下げると、踵を返した。
立ち去ろうとする彼女を、シュラインは、思わず呼び止める。
「待って。……あの、余計なお世話かもしれないけど、私の知人に、前世を見たり、書き換えたりする能力のある人がいるの。本業はセラピストだし、その人なら、月子さんと陽子さんの記憶を、なんとかできるかもしれないわ。だから――」
妹尾静流の能力のことを思い出し、告げるシュラインに、月子は足を止め、ふり返ると小さく微笑んでかぶりをふった。
「ありがとうございます。でも、いいんです。きっとこれは、消してはならない記憶であり、傷なんだと思います」
言って彼女は、再び会釈すると、そのまま立ち去って行く。しかしその背は、どこか颯爽としていて、強い何かを孕んでいるように見えた。
【エピローグ】
一ヶ月後。
草間の事務所の自分のデスクで、ネットを使って調査費用の振込み確認を行っていたシュラインは、画面に表示された「ムラカミツキコ」の名前に、思わず小さく溜息をついた。
もちろん、自分と麗香が動いた分の費用はきっちりと請求したし、それが支払われたことに、文句はない。ただ、なんとなくやりきれない気持ちだった。
たいていの人間は、「前世の記憶」などとは無縁に生きて行く。能力者たちに言わせれば、実際には前世で関わった人間たちと今生でも関わって生きているのだそうだが、それを普通は記憶していないし、だから特別意識もしない。なのに、彼女たち二人は、この先ずっと、たとえ桜子が寿命を迎えて死んだとしても、自分たちが生きている限りは、前世の記憶を持ち続けるのだ。
(辛い選択よね。それが、桜子さんへの誠意といえば、そうだろうけど……)
シュラインは胸に呟き、もう一度吐息をついて、画面に映る月子の名前を見詰めた。
その時、軽いノックの音が響いて、ドアが開いた。入って来たのは当の月子だ。
「月子さん……!」
シュラインは、思わず目を見張る。彼女はそれへ会釈して、あたりを見回した。
「あの……お一人ですか?」
「ええ。草間は生憎、仕事で外出していて……」
シュラインは問われて、慌ててうなずく。今は零も出かけていて、事務所には彼女一人しかいないのだ。
「何か、彼にご用でしたら……」
言いかける彼女に、月子は慌ててかぶりをふった。
「いえ。ただ、お礼に伺っただけですから」
そうして、改めてシュラインを見やると、頭を下げた。
「シュラインさんにも、お世話になりました」
「いえ……」
彼女は、少しだけ困って、言葉に詰まる。それへ月子は言った。
「私、結婚することにしました。実は、こちらに依頼にあがる前から、プロポーズされていたんです。その矢先に、桜子から呪いのことを教えられたので、私、焦ってしまって、それでこちらへ……。全てがわかった後も、悩みました。私なんかが、結婚して幸せになってしまっていいのかと。でも結局、前世の記憶を背負って、現実から逃げずに生きて行くことが、一番の贖罪かもしれないとそう思えて……」
「そうですか。おめでとうございます。……相手は、どんな方ですか?」
シュラインは、少しだけ興味を覚えて、問うた。
「あ……。心療内科の医師です。私が高校を卒業したころから、いろいろ相談に乗ってくれていた人で、心身共に私をこれまで支えて来てくれた人でもあります」
幾分はにかんで答える彼女に、シュラインは思わず微笑む。
「ああ……。どうぞ、お幸せに」
「ありがとうございます」
答えて一礼すると、彼女は草間にもよろしくと告げて、立ち去って行った。
それを見送り、シュラインは少しだけ明るい気持ちになる。たとえ、どんな辛い記憶に苛まれようとも、きっと彼女は大丈夫だとそんな気がしたのだ。
(月子さんだけじゃないわ。陽子さんも、桜子さんも、きっと……)
胸に呟き、シュラインは小さく微笑んでうなずくと、再びパソコンの画面に目を向ける。彼女には、そこに映し出された「ムラカミツキコ」の名が、少しだけ輝いて見えた。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086 /シュライン・エマ /女性 /26歳 /翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
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■ ライター通信 ■
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●シュライン・エマさま
いつもありがとうございます。
そして、お待たせしました。
ライターの織人文です。
今回は、なかなか他のお客様からのご注文がなく、
碇麗香と組んでいただく形となりました。
内容的にも、微妙にせつない系になりましたが……
いかがだったでしょうか。
少しでも楽しんでいただければ、幸いです。
それでは、またの機会がありましたら、よろしくお願いします。
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