■覚醒前夜祭 二の宴■
観空ハツキ |
【0086】【シュライン・エマ】【翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】 |
それは大人がほんの幼い子供だったくらい昔の物語。
「何故、アレは生きている」
いつ生まれたのかなんて覚えていない。まして誰から生まれたかなんて知るはずもなく。
座した世界は白。人の手で造り出された無垢。まるで混沌の闇から生れ落ちた怪物から、その邪なる部分を清めようとするかのように。
朝もなく夕もなく、ましてや夜もなく。ただただ続く無限の真昼。与えられるはずの安らぎは――小さな手では届くはずもない地平の彼方。
恨み言はない。
何故なら、それが彼にとって唯一だったから。比べようがないから、己の意思が動くはずもなく。
「いっそ……してしまえばいいのに」
「それが出来れば何の労も要らぬものを。しかしアレしか血を継いだ者がいないのもまた事実」
「……者? 物の間違いではないのか? 父は人であろうと母は……」
光しかない座敷の向こう側、漏れ聞こえる言葉の意味はわからなかった。何故なら誰一人、子供に教えようとする者がいなかったから。
持て余されて宙ぶらりん。
焦点を合わせることさえ知らぬ紫の瞳は、ただ白く塗り込められた広くて狭い世界を映し続ける。
『愛しい我が子、お前には禁忌がない。それこそ解放。絶対になりえる唯一の器』
*** ***
「で、『夕』の覚醒は完了している状態なのよね」
すっかり体調を回復させた火月(かつき)が、舞台の端に腰を下ろし目を細める。
火月。
正しくは東斎院・火月(とうざいいん・かつき)。未だ昏々と眠り続ける京師・紫(けいし・ゆかり)の所謂『伴侶』である。その持てる力を極限まで使用することで、紫の目覚めへの布石を打ったのは先日のこと。
紫の精神に結び付けられた朝・昼・夕・夜、4つの御霊の欠片たち。それらの全ての覚醒が成った時こそ、彼は完全な状態で現世(うつしよ)へと舞い戻る。
「残りは3つ。現状は最良な状態を維持していると言っても過言じゃないと思うけど――だけどここで安心するわけにもいかないわね」
御霊と紫の精神の関係。
呼び覚ます御霊の順序次第では、紫の精神はあっという間に疲弊し――その先にあるものは不完全な目覚め。
「詳細は皆さんにお任せするわ。私の成すべきことはもう終わっているから」
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覚醒前夜祭 二の宴
●理由
空は果てしなくどこまでも澄んでいる。
春霞――なんて言葉を聞いたのは、まるで遠い昔のよう。海の色に近くなったその青は、じめじめとした季節の合間に、偶然のタイミングで飛来した奇跡。
「武彦さん、渋滞は避けてね」
「避けられるもんならとっくに避けてるに決まってる」
東京は気が付いたら案外近いところに海が広がっているという街だ。
日頃は矢鱈と乱立するビル郡にばかり目を奪われがちだが、ほんの僅かばかりの距離を電車で走れば、あっという間に水面が広がる――決して「美しい」と形容するわけにはいかないけれど。
ちょっと広めのワンボックスカー、座席は三列タイプ。
運転席に座すのは草間・武彦。助手席に座るのはシュライン・エマ。今日巡ろうと思っている場所場所を地図上の点に置き換えながら、二人は「うーん」と短い唸りを上げていた。
キーワードは「青」。それから司るもの。
推察の域は出ないものの、シュラインの頭に浮かんだのは『海』だった。だからそれに関係する箇所を「夕」の導きで回ってみよう、というのが本日の発端。
曖昧ながら、どうやら針が『東』方向を指しているのには気付いていたので、間違っても山間部に探しに行こうという気が起きなかったのは一つの救い。
その上で東京近郊の港や市場、それから水族館などを目標に定めてはみたのだが――狭いながら、車での移動だと案外時間がかかってしまうのが東京という都市でもあって。
「ずばりカーナビ付き、しかもオペレーターサービスがセットになった車を借りればよかっただけの話ですよね」
にこりと微笑。言葉にふわりと艶やかな花が咲き、苦悩の声を一蹴する。
しかし優雅さの中に潜んでいるのは紛れもない氷の刃。二列目のシートを一人で陣取っている某財閥の総帥――つまりはセレスティ・カーニンガムの台詞に、前列二人の背中がぐぅっと丸まる。
「だって、もったいないじゃない。経費は節約するためにあるのよっ」
「そうだそうだー! というかアンタが車を貸してくれれば一番手っ取り早かったと思うぞっ」
「それはそうと、お二人とも前を見てくださいね。多分、このままだったら数秒後には中央分離帯に激突しますよ」
「!!!」
「武彦さん、前っ、前っ!!」
まったく、長年連れ添っているとどうして人というのは変な所で似てくるのだろう?
シュラインや武彦からは想像だにできない悠久の年月を駆けてきたセレスティは、心の内側だけでほくそ笑む。それから思い出したように武彦の言葉を反芻してみた。
確かに彼の弁には一理ある。想定外の人数になったからと言って急遽レンタカーを借りる事になった段階で、自分名義で所有する車――いっそヘリコプターでも良かった気がするが――を持ち出した方が何かと楽だったかもしれない。
ここは草間興信所の流儀で、と「郷に入っては郷に従え」を実行してしまった自分をほんの少し呪いながら――残りの大半は事態を楽しんでいる――セレスティは最後尾席に座る二人の気配に意識を切り替えた。
途端、目があったわけでもないのに、二人のうちの片割れが人差し指を自身の唇に当てて「しー」と静寂を促すジェスチャーをしてみせた。
「……朝からお忙しかったようで――大丈夫ですか?」
「んー、俺は平気。でも暁はこっち目覚めさせるのにちょっとばかし疲労しちゃったかな?」
声を極限まで潜めての会話は、セレスティの気遣いを表したもの。そのことに頬を緩めながら、天城・鉄太は隣のシートで安らかな寝息をたてている桐生・暁の胸元を指差した。
きらりと輝くのはエメラルドによく似た涙型の小さなペンダントトップ。『朝』の化身であるそれを暁が手に入れたのは、ほんの数時間前。
偶然被ってしまった日程は、暁と鉄太にとっては酷だったかもしれない――が、セレスティの呼び出しに二人は揃って応じた。正確には、セレスティと暁が微妙な時間差で鉄太に同行を求めた結果が、全員集合に繋がった、というわけなのだが。
「でも彼が朝を目覚めさせてくれていた、というのは我々にとっては非常な幸運でしたね」
彼らが現在進行形で目指しているのは昼の御霊の欠片。
シュラインの手には夕の欠片が姿を転じた方位磁石が既にある。互いに呼応するという御霊たち――だから、おそらく。きっと昼の御霊はそう遠からず存在を仄めかすことになるに違いない。
「そうだな――なぁ、俺そっち行ってもいいか?」
ひたひたと満ち行く確信の帳をつくように、鉄太がセレスティの隣を指差す。
「えぇ、どうぞ。大したおもてなしもここではできませんが」
車中では「おもてなし」も何もあったものではないのだが。洒落て嘯くセレスティの言葉に、鉄太が詰めていた息を吐き出す。
『幸運』という言葉が発せられた瞬間、鉄太の身に緊張が走ったのは分った。そして彼の座席移動が、それの種明かしになるだろうということも。
こんな彼は珍しい――きっと。
「なぁ、アンタたちはどうしてアイツを目覚めさせたいんだ? 火月が望むからか?」
長身の体を器用に丸め移動を終えた鉄太は、「あら、いつの間に?」とシュラインが振り返ろうとした瞬間には、そう切り出していた。
不意に緊迫する車内。
そう、本来の役割を担う彼の姿をあまり目にしないので忘れてしまいがちだが。
天城・鉄太。
彼は『並相転移世界』に干渉しようとするモノを排除すべく存在する者。つまりはGKの敵。つきつめていけば、彼と紫は決して相容れないという結論に容易に到達することができる。
それほどに、根は深い。
「もう、知っているんだろ。アイツはけっして『人』ではない。異形と人の間に生まれた禁忌そのものだ。確かに、アイツの不在で綻びかけているものがあるのも事実だが、それでも――」
「もうやめて。それ以上はあまり言葉にして聞いていたいものじゃないわね――京師さんにとっても、鉄太さんにとっても」
紡ぎ続けられるはずだった言葉は、シュラインの声で断ち切られる。我を取り戻し、隣を見やれば、セレスティも同じように静かに視線を膝へと落とすのみ。
「まー……何だ。事情ってのは山のようにあるって事なんだろうけど。そういうのなんざ大小多少の差はあれ、生きてる以上誰だって抱えてるわけだ」
低い、声。
それはハンドルを握り、まっすぐ前をみつめたままの武彦の口から零れたものだった。
シュラインもセレスティも、そして武彦も。もちろん眠っている暁だって。命という輝きを奇しくもこの星に授かってからの年月に差はあれど、経験してきたことは深く重い。
彼らだけが『特別』というわけではない。無論、声を大にして叫ぶ事が叶わぬ能力を有してしまった段階で、確かにある種の異端なのかもしれないけれど。
だから、そう。誰もが――
「理由とか、訳とか。そういうのは後からついてくる、でいいじゃないか。お前にはお前の理由があってそんな事を言うんだろうが、今んとこ俺らにそれが関係あるわけじゃないんだ。もしも間違っていたのなら、その時に考えればいい――友人を助けてやりたいってのはそういう気持ちだろ?」
カーオーディオなどかけていない車内に、どこか苛立たしげにハンドルを弾く音が響く。
その様子を横目で見ながら、シュラインは深く笑んだ。
「そうね。ちょっと傍迷惑なところもあるけど。京師さんは友人だし、奥さんの火月さんだって友達だし。そんな人たちが困ってたら助けてあげたくなるのが『心』ってものでしょ?」
「そうそう、それにあんな面白い人をこのまま眠ったままなんかにさせてたら、つまらないじゃないですか」
夢の中で出会ったことのあるGKより一回り大人な彼の姿を脳裏に描き出しつつ、セレスティもくつくつと喉を鳴らして笑う。
じんわりと広がる優しい空気――それこそが、理由なのだろうか。
『敵』と等しく教え込まれて育ったようなものである鉄太には、溶けない氷のようにわだかまるものが確かにあるのだけれど。けれど武彦たち三人が醸し出す気配が、『彼』が自分の知る限りの彼ではないことを悟る。
「だってねぇ、鉄太さんの初恋って火月さんだったんだもんねぇ。その人の旦那さんってのは複雑だよね」
予想していなかった声が、最後部座席から上がった。同時に、『複雑な事情』とやらが盛大に瓦解する。
「え? えぇっ!? そうなのっ!? そうだったのっ!?」
「はぁっ!? 暁、何を唐突にっ!!!」
気色ばむ大人たちをよそに、ようやく目覚めた暁は、のんきに大きな欠伸をしながら、しなやかな猫のように背を伸ばす。
「そりゃー興味深い話じゃないか。おい坊主、もっと詳しくだな……」
「だ・か・らっ!」
「えー、違ったの? なんとなーくそんな雰囲気かなぁって思ったのに。もちろん今じゃ俺にめろめろんだけどねー♪」
どこまで本気か冗談なのか捕まえきれない暁に、セレスティの隣に座る鉄太の肩ががっくりと落ちる。
どこから見てもおもちゃにされてしまっている鉄太に、セレスティが目線だけで憐憫の情を送ったが――それはそれで、何だか物悲しい。
気がつけば、先程までの空気はどこへやら。一人だけ浮きかけていた鉄太が、しっくりと周囲に馴染んでいる。
それが作戦だったか否かは当人しか知らぬことだが、続けて暁は一撃必殺な爆弾を投下した。
「ところで、ねぇ。なんかコレが反応してるんだけど……いいの?」
指差されたのは胸元の緑色。
●都会の青
「大学の……キャンパス?」
「そのようですね」
鼻腔を擽るのは潮の香り――都心から程近いだけあって、決して爽やかなものではないけれど。
先程から微塵もぶれることなく大学構内の奥を指し続ける方位磁石の針を眺めながら、シュラインは肩をすがめた。倣うわけではないが、ふむっとセレスティも首を傾げる。
暁のペンダントの反応を頼りに周囲を車で走ってみたのだが、どうやら目的地はこの学校の内部にあるらしい。
少し離れた所で「大学のキャンパスって広いー!」と感動の叫びを上げている暁の胸元では、特殊加工されたかのようにペンダントトップが相変わらず淡い光を放ち続けているようだ。奇異の目を向けられずに済んでいるのは、すれ違う人々がそれを玩具と勘違いしているからだろう。
時に便利な、人の勝手な思い違い。他人に無関心であることと表裏一体ではあるけれど。
「おい、見学許可おりたぞ――つっても、今日は公開なんとかがある日で、一般人も普通に入れるそうだが」
守衛に話をつけに行っていた武彦が、シュラインたちの元に戻る。手には入校許可証らしきタグが五枚。
「自由に出入りするにはこっちがあったほうが良さそうだったからな、念のため」
「何を口実に使ったの?」
「来年ここを受験する子供と、その保護者複数。もちろん話術は必須」
ニカっと自分の成果に満足気な笑いを頬に刻んだ武彦に、シュラインが『過保護な集団ね』とさらに小さな笑いを添える。
この面子だから用意できた嘘だが、その不自然さをするっと誤魔化してしまえたのは武彦の技量に他ならない。
「ところでその『何とか』って何です?」
夏まではまだ間があるとは言え、この季節の陽光は一年を通して一番の毒を孕んでいる。タグを受け取ると、すいっと日陰へ身を泳がせたセレスティは、考え込むように華奢な手を唇に寄せた。
形容しがたい違和がここにはある。強靭な生命力に抱かれたかのような、それ。静謐でありながら凛とし、軽やかに舞い踊るような。
「えーっと、文化講習とかで何とかって言う……えーっと、何だったっけな」
「日本舞踊かしら? あっちから笛の音が聞こえてくるのよ」
一般的な「大学」というイメージからは連想されにくい和の響き。耳ざとく聞きつけたシュラインのフォローに、武彦が我が意を得たりと手を打ち鳴らす。
「そうそう、それそれ。大学の研究室の発表会を兼ねているらしいんだが、毎年ちゃんとした人を呼んで――」
「なるほど。では、行きましょうか。ほら、鉄太さんに桐生くんも」
守衛の受け売り話に繋がりそうだったところを、すかさず遮りセレスティは暁たちに声をかける。
「そういえば、日本では人生を最も謳歌する頃合を青き春と書くのでしたね」
純粋な日本人であったのならば、恥ずかしくて口にできないような台詞。けれど、それは揺るがぬ確信となってセレスティの推測の中に根付いていた。
間違いない、ここに『彼女』はいる。
天に広がるのは無限の青。
近くに広がるのは、水の青。
そしてここには人の内面に宿る青が溢れている。
そして最後の決め手がもう一つ。それらを固く結びつけて形に成すだけの方向性を持ったエネルギーが、この瞬間、この場所には息衝いているのだ。
●葵
「見事なものね」
零れた溜息は、言葉にならない感動に引き出されたもの。
おそらく日頃は変哲のない講堂なのだろうそこには、即席とは思えない立派な能舞台が設えられていた。
魅入られる、魂を。
泥眼の面を被り紅入唐織を纏ったシテが、舞台正先に折りたたまれて置いてある小袖でに向かって舞う姿は、胸の奥をかきむしられるような感情を呼び覚ます。
「……葵上、だな」
講堂内は溢れかえらんばかりの人で満ちているのに、余計な雑音は一切混ざってこない。
「葵の上って、源氏物語の?」
武彦の呟きに現役高校生の暁が小さく反応する。どうやらそれが今、目の前で繰り広げられている演目らしい。
「あおい?」
「――っ!?」
それは予兆など全くなかった。
否、ここまで辿り着く道筋が全てそうだったのかもしれないが。
つくづく「青」に縁がある日だと、青い瞳と銀の髪の持ち主が口の中でその名を反芻した瞬間、シュラインの手の中の夕の欠片と、暁の胸の上の朝の欠片がまばゆい光を発したのだ。
有無を言わさぬまま、光の本流が辺り一帯を飲み込んでいく。
「ちょっと、何よこれ」
視神経を焼き尽くさんばかりの烈光は、シュラインはもちろんのこと視力の弱いセレスティの視力さえ封じ込んでしまう。
だがしかし渦を巻いた輝きは、やがて終息の時を迎える。
『焦る必要はない』
鼓膜を揺らしたのは、落ち着きを伴った少女の声。
『二人、目を開けてみれば良い』
どこか傲慢さを帯びたその声は、二人にむかってそう促した――そう、二人に。
「……ここ、は?」
『ここは、ここ。同じ場であり、本質を同じくする場。汝ら二人が私を強く欲したから、舞台が成った』
一時的に奪われていた視力が、ゆっくりと彼らの中に戻ってくる。それと同時にシュラインとセレスティは、互いの置かれた立場を感覚で悟った。
武彦や暁、そして鉄太の姿はない。けれど彼らが何処かへ消えたわけではないはずだ、少女の言葉通りなら。
落ち着いたとはいえ、それでもまだ強烈な白光の世界に軽い頭痛を覚えながら、シュラインはそれらを跳ね抜けるように頭を振った。
『では、問う。汝ら、私を如何に思う』
聞こえるのは声、だけ。視線で姿を探そうとも、それは叶わぬらしい。ただ気配の揺れる音がシュラインに、強く溢れる生命力がセレスティに、この場に自分たち以外の何かが存在する事を教えていた。
彼女こそが昼の御霊。
夕とは異なる威圧的にも感じられる出現の仕方は、おそらくそれが本質だから。
信念と裁き――心弱いものではみる間に挫かれ、決して手の届かぬもの。
「あなたをどう思うかってのとは……ちょっと違うかもだけど」
シュラインがゆっくりと口火を切った。固く拳を握り、負けぬ瞳でじっと前だけを見据える。どこからか吹き込んだ風が、漆黒の髪を微かに揺らす。
「思い込みかもだけど京師さんが憧れてるっていうか……惹かれるものってこんな感じなのかな――と思うの」
飄々とした青年の姿を心の中に描き出し、思い起こす。
そして昼への呼びかけだったはずの言葉は、やがてその奥で繋がっているはずの彼へと向けられていく。
「私自身いつも迷ってるし結果を恐れてもいるけれど。でも、それでも半歩ずつだっていいから自分が決めた方向へ進んで行きたいと思ってる。そうして結論から目をそらさず、バネにしてまた進んで行きたいって」
一度、言葉を区切る。シュラインの胸に満ちるのは、自分のものだけではない勇気。きっとこの場にいない皆が、何かを祈るように願い信じている。
様々に交錯する心。
決して誰も、何にも負けない強さなど持ち合わせてはいないけれど。
「京師さんも色々と不安定な頃があったけど、でも心ではちゃんとした指針があるように感じてたわ。彼の中にも確かに貴方がいる――だから、京師さんが今よりほんの少しだけでいいから強くなれるよう貴方の迷いのない強さ、厳しさを貸して欲しいの」
蘇る、現実世界から消える直前の紫の姿。
幼い自分をシュラインに預け、悲しげな表情で瞳を揺らした。きっと彼自身が迷っていたのだ、自分自身の過去だから。全てが手に取るように分ってしまえるから。
たまらずこみ上げてきた熱い涙を、ぐいっと手の甲でシュラインが拭い去る。その様子に昼が仄かに笑った気がした。
『……汝は?』
それまで黙ってシュラインの言葉を聞いていたセレスティに矛先が向けられる。その声に滲むのは、明らかな興味の色。
さきほどより強さを増す命の波動に、セレスティは昼の気持ちが半分以上固まりかけていることを感じていた。ならば、自分はその背中を押せば良い。
柔らかな意思に抱かれ、セレスティは己の銀の髪に指を絡めた。しかし、するりと逃げたそれは水のように穏やかに波打つ。
「私は、皆さんが頑張って起こそうとしている愉快な方とゆっくりお話がしてみたいんです」
にこやかに笑む。その言葉に嘘がないことを示すように。
「GK君でありながら、まったくの別人の様な京師さんが何を持って信念を持ち、導くのか。何をどう、生きていきたいのか」
全てが晒される昼の光の中、自分を表現するのは想いが強くなくてはいけない。彼がそれを成せるのか、またその先には何があるのか見てみたい。長い命の中でも、そう簡単にはお目にかかれない事の果てにあるものを。
「あなたは謂わば『強さ』の象徴のようなものでしょう。道を誤らずまっすぐに生きて行くための――しかし、それだけでは生きていけない。いいえ、それでは本当に生きているとはいえないと思いますから」
形を取らない少女へ向けて、セレスティは舞うように右手を差し伸べた。それからもう一つ、全くの興味で付け加えてみる。
「ところで、ちょっと思ったんですけど。貴方たち御霊はまるでご兄弟かご家族ようですね。司るもの一つ一つが綿密に関連して、でもそれで一つの玉になるような」
『まさにそれが我らの真』
再びの激変の刻。
耳ならぬ音をたて、大気が一点に向けて凝集していく。小波が大いなるうねりへと姿を変えていくように。
そしてセレスティは感じていた。自分の指先に熱い何かが口付けたのを。
そしてシュラインは見た。セレスティの前に一人の少女の形が成っていくのを。
「全ては混沌である黄昏より生まれ落ち、闇夜に抱かれ育まれ、やがて眩しき朝に目を覚まし、輝く昼に真の己となる――……名を」
長い長い純白の髪、それを翼のようにはためかせ。空のように海のように深い青の双眸がセレスティをみつめ微笑んだ。
「葵」
とっさに口にしたのは、先ほど見ていた舞の演目から。
それでも、何故だかその名が彼女にはしっくり行くような気がした。
高貴な身であるがために、なかなか素直になれなかった、気の強い――けれど根は優しい女性だった葵の上。むろん、昼の本質が全く重なるものだとは思わないけれど。
「諾。私は汝らの望みを受け入れよう――兄と姉に倣い」
●日差しの影
「もー、めっちゃ心配したんだぞ。二人そろってぴくりとも動かなくなるからさっ!」
陽はすでに大きく傾きかけている。
茜色に染まる空の下、長く伸びる大人たちの影をひょいひょいっと避けながら、暁はシュラインとセレスティの顔を交互に眺めた。
夕と朝の欠片の強い発光――あれは、昼に招かれた二人だけが視たものだったらしい。
「私の気配を察し、朝と夕が汝らを私の元へと送り込んだのだろう。ならば影響を受けるのは対象者のみだ」
まるで糸の切れた人形のように動かなくなった二人を、残った三人で抱えるように講堂から出たらしい。時間にしてほんの数分のことだったそうだが。
そして動いたと思ったら、新たな人員が増えていた。
事態の説明らしきものをしてくれるのは葵。しかし朝の欠片の所有者だと挨拶した暁には、拗ねたように頬を膨らませた。
「朝にも姿を与えてやればよかったものを」
ほぼ八つ当たりと言って間違いないそれは、単純に同族を傍らに置きたかったという願いからか――案外、子供のような性格のようだ。
「そーだなぁ、きっと朝だったらもっと優しげなかわいー娘だったろうに」
密かな棘を含ませあった会話は、二人の間にぴりぴりとした空気を生み出していた。が、周囲の目には微笑ましく映るようだ。なぜなら葵の外見は、暁の目からも十分に子供に見えるほど幼いものだったから。
まるで兄妹のような年頃の少年少女が、少々仲を抉らせている風情というのは、どこか心を和ませる。そこに邪気がまったく含まれていないなら、なおのこと。
「さて、これで残るは夜の御霊だけになりましたね」
「そうね、あと一息ってところかしら」
今日の成果に満足気に笑むセレスティとシュラインに、武彦が、また騒がしくなるのかー、と嘯く。もちろん、それも新たな笑いを誘う一つの種。
「ところで、彼女はこれからどうするんだ?」
少し離れた所を歩きながら、鉄太は葵を視線だけで追いかけた。
名を与えた人物に似せようとした意識があったのか、セレスティとよく似たスーツのような服を着た彼女は、外見のせいもあるがひどく目立つ。
「そうね……やっぱり火月さんの所に行ってるのが一番いいんじゃないかしら?」
「そうでしょうね。京師さんの魂と連結されているそうですし、お互い何かとそのほうが好影響でしょう」
「私はあの男のことはあまり好きじゃないぞ――無論、嫌いではないが」
大人たちの一方的な取り決めを聞きつけた葵が、軽く眉根を寄せて抗議の声を上げた。どうやらそれも我侭の領域を出ない事らしい。くるくると変わる表情からは、彼女が人でないことを忘れてしまいそうなほど、簡単に感情が読み取れる。
「いつでも遊びに行ってあげるし。あそこには小さいお子さんもいるから楽しいわよ?」
「そうです。よかったらお好きなものをお送りしましょう」
シュラインとセレスティは、葵のことをすっかり小さい子供扱いである。しかしそれも仕方のないことだろう。あれほどまでに圧倒的だった彼女の存在感が、人智の及ぶ範囲内にまで落ち着いてしまうと、その落差から生み出されるのは『可愛らしさ』でしかない。
「……汝ら、私を人の子だと思うてはいまいか?」
葵の瞳が剣呑な光を帯びる――が、青い瞳の大人二人は全く動じない。
「そうだ、火月さんに早めに連絡いれとかなきゃ」
「では私も夕飯の手配をしましょう。せっかくだから今日は皆でいかがですか? それから葵は何か好物とかありますか?」
「だから! 人の子ではないと申しておるのにっ!」
夜の闇が静かに降りてくる。
昼の輝きが鮮烈であればあるほど、その漆黒は深さを増して。
「光と影は表裏一帯……って、ね」
「あれ? 鉄太さん、どうしたのー? ほらほら、早く行かないと晩御飯食いっぱぐれちゃうよ」
「いや、何でもない――暁も今日はお疲れ様」
夜が来る。
全てを飲み込む長い永い時間が。
闇は在る――どこにでも、誰の胸の内にも。
安らぎが訪れるのを願えば、願うほど。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名】
≫≫性別 / 年齢 / 職業
≫≫≫【関係者相関度 / 構成レベル】
【0086 / シュライン・エマ】
≫≫女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
≫≫≫【鉄太+1 緑子+2 アッシュ+2 GK+4 紫胤+2/ S】
【1883 / セレスティ・カーニンガム】
≫≫男 / 725 / 財閥総帥・占い師・水霊使い
≫≫≫【アッシュ+1 GK+3 / B】
【4782 / 桐生・暁 (きりゅう・あき)】
≫≫男 / 17 / 学生アルバイト・トランスメンバー・劇団員
≫≫≫【 鉄太+4 / D】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは。毎度お世話になっておりますライターの観空ハツキです。
この度は『覚醒前夜祭 二の宴』にご参加下さいましてありがとうございました(礼)。
覚醒前夜祭、その2ということで。今回はどれか一つの覚醒と、もういっちょ半覚醒くらいいけばいいかな〜と目論んでいたのですが、蓋を開けたら二つ丸っと覚醒してしまいました。
皆さまの感性に感謝しつつ……そして毎度の遅筆っぷりで申し訳ございませんっ(平謝)
シュライン・エマ様
いつも紫のことを連想させる行動をありがとうございます!
場所的にはちょいとズレてしまったのですが、シュラインさんの言葉はずばっと紫の心に響いたことと思います。
最初、シュラインさんの目の前で姿を消してから、気がつけば随分と時間が経った気がしますが(それは私が遅筆なせい…)、その不在もきっともうすぐ終わり――だと思います。
手のかかる息子ではございますが、びしっとばしっと引き続き渇を入れて頂けると嬉しいです。
誤字脱字等には注意はしておりますが、お目汚しの部分残っておりましたら申し訳ございません。
ご意見、ご要望などございましたらクリエーターズルームやテラコンからお気軽にお送り頂けますと幸いです。
それでは今回は本当にありがとうございました。
そして宜しければ、三の宴もお付き合い頂けますと幸いです。
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