■そうだ、お花見へ行こう■
伊吹護 |
【1252】【海原・みなも】【女学生】 |
「いい陽気ねえ」
誰にとはなしにそう呟きながら、レティシアが現われた。
そこは、久々津館の中庭。
いつも薄暗いこの館の中でも珍しく、暖かい陽射しが降り注ぐ場所。
「お店、は、いい、のですか?」
洗濯物を干していた炬が手を休め、そう受け答えする。
風もほどほどで、頬を撫でる程度。確かにこの天気、陽気は洗濯日和でもある。
「お客来ないからねえ。ちょっと遅めの昼休みってことにしたわ。炬こそ、博物館の受付はいいの? ……って、水菜か」
言いながら思い出したのか、一人で納得する。
水菜。
それは、レティシアの父であるハロルドが知人の研究所から購入してきた意志を持つ人形である。その定義からすると炬と同じものであり、当初はハロルドが研究対象として使う予定だったが――成長させていくという観点、アプローチが彼の方向性とは違ったらしく、今では炬と一緒に館の雑事や博物館の受付をしている。
ただ今は、基本的な知識がある以外は赤子のようなもの。まだまだ日々学習させることがほとんどらしい。
「そっかそっか。余裕が出来てよかったわね、炬。もっとも……貴方に『良かった』なんて思える感情はないか」
レティシアの顔が、ほんの少しだけ。翳りを帯びる。憂いとともに。
炬は、ハロルドによって作られた人形だ。魂も人工的に精製されて吹き込まれているのだが、魂が不完全で感情というものを一切持っていない。その自分の状態を悲しいとも思えないのだから本人には関係ないのかもしれないが、やはり不憫だ。
「……そうだ。どこかで一日、うちのお店も、博物館もお休みしちゃって、花見にでも行こうか。うん……水菜の教育にもなるし、炬、貴方にもいい影響があるかもしれない。鴉に灯も運んでもらえばいいし――決まり!」
全部独り言で決めてしまった。
とは言え。
鴉はともかく、久々津館の面々は反論することなどないだろう。殆ど人前に顔を出さないハロルドは元々数に入っていないようであるし。
「花見……花を、見て、それで、どうするのでしょう」
目の前にいる炬からしてこんな反応である。ただ、だからこそ一度連れて行ってみたいと、そう思うのだ。
「どうせなら、人は多いほうがいいかもね。貼り紙でもしておきましょうか。知り合いでも、偶然見たお客さんでもいいし。その方が面白いわ、きっと」
そんなこんなで。
数時間後にはさっそく、アンティークドールショップ『パンドラ』および人形博物館には、こんな貼り紙がされたのだった。
『お花見、行きます! 出発はX月●日。花が散ってたら単にピクニック! 来るもの拒まず! パンドラ店主か人形博物館まで連絡を!』
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そうだ、お花見へ行こう 〜桜花謳歌〜
それは、少し前のこと。
四月の半ば、穏やかな日曜のこと。
ちょっと不思議で、ちょっと日常から外れた。
でも、とてもとても心に残る、暖かい日のこと。
「あれ。こんなところに、なにこれ?」
久々津館の玄関ホール。各種おつまみに大量の飲み物(大半がアルコールであったりする)、その他もろもろ。ほぼ出かける準備が終わったころ。それらの物たちの端に、レティシアは大きな黒いダンボールを見つけた。そんな物は出してきた覚えどころか、今まで館の中で見た覚えもない。
ほとんど真っ黒に塗られた箱。ただ、大きく白抜きの文字が書き連ねてある。
『ひろわないでください』
角の丸い、特徴のある可愛らしい字体。
はた、と思い出す。
少し前に、炬から聞いた話を。いつもどおりの淡々とした喋りのせいか忘れかけていたけど、風変わりなその内容。出会った少女。
その名前は。
「夜闇ちゃん、だっけ?」
ダンボールの蓋を開けて、声を掛ける。伊吹夜闇。それがきっと、彼女の名前だ。
深い色の黒髪と、同じ色をした右目。そして銀色をした左目のオッドアイが見上げている。
「こんにちはです」
夜闇は、はにかみながら小声で挨拶をした。
と同時に。
ひょこん、とその後頭部から何かが飛び出してきた。小さな人形。その姿は、夜闇をそのままさらに小さくしたような姿だ。
夜闇の頭の上で、人形は旗を振る。
『お花見』
と目一杯に書かれた旗を。
「夜闇ちゃんも来てくれるのね。炬が喜ぶわ、きっと――と、噂をすれば、当人がきたわよ」
レティシアの声に弾かれるように、夜闇は箱に手をかけ乗り出すようにした。
その先には、両手にお弁当と思われる重箱を提げた炬がいた。こちらへ向かって歩いてくる。
「夜闇、さん。おはよう、ございます」
いつもと同じ、その顔に表情は浮かんでいない。けれども、覚えていてくれた。それは嬉しいことだった。
「おはようございます〜」
そこに。
明るい声が響いた。
夜闇の声とは明らかに違う、元気な声。
聴きなれぬ声に、夜闇がまた箱の中に引っ込む。
正面玄関を開けて、人影がホールへ入ってくる。全部で、三人。
真ん中の一人が、すっと前に出る。レティシアに負けず劣らずの鮮やかなブロンドをリボンでツインテールにしていた。その声も、表情も、元気が一番似合いそうな少女。アリス・ルシファールだった。
「今日はお誘いいただいて、ありがとうございます。いい天気になりましたね〜、あ、こっちは私の姉です」
そう言って、隣の女性を紹介する。アンジェラと紹介された彼女はぺこり、と丁寧にお辞儀をした。無口な姉である。
だが、それも当たり前。実は彼女は、アリスの操作するサーヴァント――魔法で操作し制御する駆動体だった。
周囲の荷物を見てさっそく手伝うことはないかとレティシアに聞く。
アリスはここ最近、彼女の経営するアンティークドールショップ『パンドラ』の常連になっていた。そこで今回声をかけられ、花見そのもの、そして久々津館の人々に興味もあり、楽しそうだからと参加することにしたのだった。
「あれ、どうしたの? みなもさんだっけ、お花見一緒にいくんだよね?」
レティシアが、残る最後の一人を振り返る。彼女はまだ玄関のところで立ち止まっていた。
「おひさしぶり、です。みなもさん」
レティシアを飛び越えるようにして、炬からも声が飛んだ。
「お久しぶりです」
そう言いながら、みなもと呼ばれた少女が歩み寄ってくる。アリスと同じくらいの歳だろうか。ただ、持つ雰囲気は好対照だった。大人しそうな、静かな雰囲気。
海原みなもは最初に人形博物館を訪れた後、久々津館には近寄っていなかった。
正直言って、以前にこの館で体験したことが怖かったのだ。とはいっても、みなもの事を思ってしてくれたことであり、言ってくれたことは正論である。それを怖がっていては相手に失礼だと、館に来て、入ろうかどうか様子を窺っていたところをアリスに見つかったのだった。
「みなもちゃん、お久しぶり。今日はこれから皆でお花見に行くんだけれど、どう? せっかくだし」
お花見。
なんとなく雰囲気から察してはいたけれど。身構えていた心が、正直、少しだけ拍子抜けする。
けれど。
ほっとした。
「もう出るんですか? もう少し後、ですね? じゃあ、急いでお弁当作ってきます!」
みなもはそう言うと、さっと身を翻して駆け出した。
意外と行動派だ。呆気に取られるその場の一同。炬は微動だにしてはいないが。
「じゃあ、みなもちゃんが帰ってくるまでゆっくりしてましょうか。夜闇ちゃんも引っ込んじゃったし」
と、箱のあった方を振り向くと。
例の黒いダンボールが消えていた。
「いい匂いがするです」
いつの間にか。
夜闇はダンボールごと、アリスの前に移動している。
くんくん、と鼻を鳴らす。
その先には、アリスが手に提げた袋があった。
「あ、これ? これは後でみんなで食べようね。ここのフルーツタルトは美味しいんだから、期待しててね〜さあ、あなたも準備手伝って?」
夜闇と目線が合うようにかがんで、にっこりと微笑むアリス。見知らぬ子が現われても、全く物怖じしない。それどころか、自分より小さい子の扱いには長けているようだった。まあ実際のところの年齢だけで言うならば、夜闇のが遥かに高いのではあるが。
ちょっとだけ残念そうな顔はしたが、夜闇は小さく頷く。
夜闇人形が辺りを走りまわる中。一時間も過ぎたころだろうか。
「お待たせしましたっ」
バスケットを腕に掛けて、息せき切ってみなもが戻ってきた。
と、合わせるようにして。
「こちらも、準備ができましたよ」
車椅子を押して、鴉が奥から出てきた。その車椅子の上には、炬と同じ顔の女性――灯が。そして、その後ろからは水菜がついてきている。
「よし、そろったわね。じゃあ、出発!」
意気も揚々と、レティシアが玄関の扉を開ける。
眩しい光が全員を出迎える。
そうして、一行はレティシアの先導で、歩き始めた。
「いいところを見つけておいたのよ。期待しといてね」
そんなに遠くない、とレティシア。入り組んだ路地を抜け、やがて街の外れへ。なだらかだった道は登り坂になり、コンクリートのビルは住宅に、そして木々に変わってくる。
「こんな近くに、自然が残ってるんですね、穴場ですね」
先頭を歩くレティシア、水菜の二人に並び掛けるようにして、アリスは話しかけた。彼女はまだこちらに赴任してきてそれほど日を重ねていない。こうして出歩くだけでも新鮮だった。
「自然……穴場……とは、何でしょう?」
そんな中、水菜が、ふと疑問をこぼす。
「まだ、あまり学習が進んでないんですね、こちらの水菜は」
アリスのその台詞が、レティシアの興味を引いたようだった。
「あ、他の水菜見たことあるんだっけ?」
そう返ってきた言葉に、頷く。水菜は意志を持つ人形である。同じく人工魂を吹き込まれた人形である炬や灯と似たような存在ではあるが、他から買い付けてきたものだ。最初から人格を焼き付けようとした炬や灯と違い、一つずつ学習させていく、人工知能のようなものだった。
水菜はまだこちらに来て数か月しかたっていない。しかもあまり外に出しているわけでもないから、かなり知識も判断も拙い。アリスは、別のところ――この水菜を販売している研究所で以前に何度か会ったことがあるということだった。
偶然とは言え不思議な縁。水菜に言葉の意味を説明しながら、木々の間を通り抜ける。
後には、炬の手をしっかりと握って、でもダンボールを被るのだけはそれでも忘れずに、夜闇がついてきていた。
それは心暖まる光景のはずなのに、炬の無表情ともあいまって、なんだか奇妙で、二重の意味で笑みがこぼれてくる。
さらに最後方には、灯の乗った車椅子を押す鴉と、それに寄り添うようにしてみなもが隣を歩いていた。こちらはこちらで、静かな雰囲気が絵になっている。
(あなたちょっと、それ……どうしちゃったの……服も着替えてきたと思ったら、その、なんていうの、派手な格好)
車椅子の上の表情は変わらず、口以外、身体もぴくりとは動かない。だが、みなもの耳には灯の声が響いていた。人形に縛られたもう一つの人工魂、灯の声が。
「これ……そんなにおかしいですか?」
そう、みなもはお弁当を作ってきただけではなく、着替えて、化粧までしてきていた。フリフリの、真っ白なワンピース。白いドーランを、かなり濃い目にまぶしている。深窓のお嬢様、といった風情だが――正直、浮いている。
本人としては、お人形さん=アンティークドールのファッションを意識して、少しでも溶け込もうとして。わざわざ姉から借りてきたのだが。
ちょっと、いや、かなりずれていた。別に花見に行くのにそんな格好をするわけじゃない。
それに気づいて、真っ赤になる。
「でも、みなもさんはお美しいから、似合ってますよ」
すかさず鴉がフォローを入れる。いまだ坂道の途中だが、片手でバランスも崩さずに車椅子を押しながら、もう一方の手でみなもの髪に触れる。その動作が、実にさりげない。
「あっ、あのっ……」
染まった頬が、さらに紅潮する。全身が真っ赤になっているのじゃないかというほどに。
(騙されちゃだめよ、この男こう見えて節操なしなんだから。取り扱い注意!)
「酷いですね、灯さん。私は紳士です。そんな、まだまだこれからという蕾をむしりとってしまおうなんて、そんなこと思うわけがないじゃないですか」
まるで仲の良い恋人たちのようなやり取り。鴉はともかく、明らかに灯は機嫌が良かった。確かに途中、街中ではこの奇妙な集団は奇異の視線にさらされていて、ちょっとだけ恥ずかしかったけれど。それでも、そんな灯の様子を見れただけでも、一緒に来てよかったなと思う。あのまま久々津館に近寄ったりしていなければ、自分の心の中にもしこりは残ったままだっただろう。そう思う。
そんなやり取りもあって、やがて。
坂道に入ってから、数十分。休み休みでとはいえ、かなりの時間。
陽も高くなってきて。
みなもなどは、ちょっと不安になってきた、そんな頃。
突然、視界が開ける。
坂は終わりを告げ、今まで通ってきた町並みが広がる。
そこは、小さなスペースになっていた。広場というほどではない、ほんの少しの場所。でも、見下ろす風景はとても、綺麗。
「お花見、って、でも……桜はどこですか?」
風景に思わず顔を出した夜闇が、口にする。
確かに、そうだった。散り染めの花見には絶好の日和だというのに、ここには自分たち以外誰もいない。
桜が、ないから。
アリスとみなもも、レティシアを見る。
彼女はにっこりと微笑むと、指差した。
広場の端、木々の間に、獣道とおぼしきむき出しの土が続いていた。
「あっちよ。あとちょっと。鴉、車椅子はそこでいいから、灯を背負ってきてくれるかしら?」
またもすたすたと歩いていってしまうレティシアを、何も文句など言わず、灯を背負ってついていく鴉。水菜、炬が何か言うわけもなく、こちらも言われるままについていく。
みなもとアリスは、お互い顔を見合わせて、汗を拭いて。
しかたないか、といった風で。
夜闇の手を引いて、ついていく。
これまでの舗装された道とは違い、湿った土の上を歩く。緑の濃い匂いが、息を吸い込むたびに身体一杯に満ちていく。
そんな、木々のトンネルをくぐっていくと。
アリスの肌に、何か、感触がある。
頬に、花びらが。
見上げると。
目の前一杯に。
真っ白な、花の絨毯。
街の風景を見下ろすようにして。
空に向かって、桜の木が立っていた。
ところどころに若葉を交えながら。
緩やかな風が吹くたびに、ほのかな香りとともに、広がる、花吹雪。
「ふわぁ……」
思わず、言葉にならないため息がみなもの口を衝いた。
箱の中に顔を隠したままの夜闇に、慌てて声を掛ける。
黒いダンボールが開かれて、そして、夜闇の顔も一瞬、静止する。
「お花さんの命、輝いてます……私は、命を生み出すことが出来ないので、羨ましく思います。でも、ほんとう、お花さん、おめでとうございます、なのです」
呟く夜闇。
まさに、桜の生命が、溢れだしている様な。。
咲き誇る、というのは、きっと、こういうことを言うのだろう。
「すごいでしょ。偶然見つけたのよ。染井吉野じゃなくって、野桜の一種みたいね。ここにこの一本だけ。真っ白な花を咲かせるのよ――ほら、敷き物引くわよ、眺めるなら、じっくり座って、風景と一緒に眺めましょ」
レティシアが、少しだけ自慢げに語る。その気持ちも分かる。
こんな良いものを見つけたのなら、それはやっぱり、分け合いたいだろう。
自分が感じたのと同じ思いを、感じて欲しかったのだろう。
そしてそれは多分、水菜や、炬にも。
「すごい、ですね……」
ふと、呟いた。
それは、炬の口から出た言葉だった。
確かに、炬の言葉だった。
「炬さん……その気持ち、そう思ったこと、大切にするといいです」
夜闇が、いつもと違う、どこか大人びた調子で言った。
それは、確かに今までの炬にはなかったこと。自分の気持ちが口を衝いて出た言葉。
感情の、芽生えだったのかもしれない。
やがて、用意されたたくさんの飲み物とおつまみ。そして何より、みなもお手製のお弁当。定番の、おにぎりと、タコさんウインナーと卵焼き。アリスの買ってきたフルーツタルト。それらを皆で美味しく食べて。
時に騒いで色んな話をして。
ちょっと疲れたころ。
アリスが、姉と共に、お礼と言って歌を披露する。
散る桜の欠片が舞う中で。その花吹雪に乗せて。
カンツォーネにも似た、幻想的な響きが、空に消えていく。
心地よく、耳を打つ謳。
身体全体に染み入るようなその旋律に浸りながら。
「ほんとうに、きて、よかった」
そう言ったレティシアの言葉は、きっと、その場にいる全員の気持ちの代弁だっただろう。
水菜や、炬にとっても。
それは、四月の半ば、穏やかな陽気の日曜のこと。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】
【1252/海原・みなも/女性/13歳/中学生】
【5655/伊吹・夜闇/女性/467歳/闇の子】
【6047/アリス・ルシファール/女性/13歳/時空管理維持局特殊執務官/魔操の奏者】
【NPC/炬(カガリ)/女性/23歳/人形博物館管理人】
【NPC/灯(アカリ)/女性/60歳/無職?】
【NPC/レティシア・リュプリケ/女性/24歳/アンティークドールショップ経営】
【NPC/水菜/女性/1歳/雑用兼研究対象】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、そして、初めましての方には初めまして。
ちょっと書いた内容の時期からは外れてしまいましたけども、桜のシチュエーションをお送りします。イメージが伝わっていただければ幸いです。
今回、不手際でポイントを0にしたまま気づかず放置してしまい、申し訳ありませんでした。ほんと気づいてよかったです。
この後、次はもう少しストーリーっぽいものをやってみたいなと考えていますので、もし機会がありましたらよろしくお願いします。
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