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■きわの森の姫桜■

むささび
【0086】【シュライン・エマ】【翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
 季節外れの花びらが舞い込んだのは、5月も半ばを過ぎた頃の事だった。
「一体、どこから…?」
 指先に乗っている薄い桃色の花びらは、間違いなく桜のそれだ。だが…。最北端の桜すら、今はもう咲いては居ない。不可思議な花びらは瑞々しく、柔らかく、初夏と言っても良い陽射しの下でしっとりと輝いていた。


■■ライターより■■
受付人数は1人〜。何名様でも、一週間で執筆に入ります。選択によってノベルの構成が随分変ってきますので、ご発注の際はお気をつけ下さいませ。

ライター むささび
きわの森の姫桜

 季節外れの花びらが舞い込んだのは、5月も半ばを過ぎた頃の事だった。
「一体、どこから…?」
 指先に乗っている薄い桃色の花びらは、間違いなく桜のそれだ。だが…。最北端の桜すら、今はもう咲いては居ない。季節は既に紫陽花のそれに移っている。美しく咲いた紫の花は、この部屋からも見えていた。一瞬、花見に行った時に紛れ込んだものかとも思ったが、不可思議な花びらはあまりに瑞々しく、柔らかく、初夏と言っても良い陽射しの下でしっとりと輝いていた。
「うーん…。花びらって言えばやっぱり寿天苑だけど」
 指先にちょんと乗せた花びらを見て、シュライン・エマが真っ先に思い出したのは、桃の花咲き乱れる常春の苑のことだ。以前、遊びに行った時にも、桃の花びらを一枚持ってきてしまった事があった。だが、この場合花が違う。あそこには桜は無かった筈だ。それなら一体どこで。不思議に思いつつ眺めていると、ふいに花びらが浮き上がった。
「え…」
 何?と声を上げる間も無く、花びらを中心とした目の前の空間がぐにゃりと歪み、次の瞬間シュラインは見知らぬ街角に立っていた。ビルの立ち並ぶ様は新宿の街並みに似ているが、どこか違うのは多分、歩道沿いに植え込まれた紫陽花と、車通りどころか人一人見当たらない静けさのせいだ。
 呟いたシュラインの耳に、しゃらり、と言う微かな音が聞えた。
「何…?」
振り向いた視界の隅に、ちらりと白い何かが踊った。何かいるのだ。
「ねえ、ちょっと…!」
 声をかけた途端に、それは角の向こうに姿を消し、シュラインは慌てて駆け出した。だが、角を曲がってもやはり人影はなく、白い影はまた更に遠くの交差点に居る。
「何なのよ、一体」
 しゃらり、しゃらり、と微かに聞える音は、多分、衣擦れの音だ。静まり返っているとは言え、常人ならば聞き取る事すら難しいであろうかすかな音を追ってシュラインは走った。人間…ではなさそうだが、他に頼りになりそうな物は無い。見失わぬよう追っていくうちに、白く見えていた影は実は全くの白ではなく、うっすらとしたピンク色である事に気づいた。きっちりとした人影には見えないが、あの色には覚えがある。桜の、花びらだ。前後の事情からして、あの影は花びらが変化したものと考えて良さそうだ。
「ったく、どういうつもりか知らないけど。とにかく、付いて行くしかないわね」
 しっとりとした静けさの中を、衣擦れの音を頼りに花びらを追う。何度か迷いそうになったが、向こうも心得たもので、その都度待っていてくれるように見えた。人気の無い紫陽花通りは、どこまでも続いている。普通の道を走っているのではない事は、霊感など無くても分かる。見慣れた街に似ているのは、おそらくはシュライン自身の心にある風景を投影しているからだ。紫陽花の花は、よく見ると部屋から見えていた公園のものに似ている。
「私の中のイメージって事か…」
 呟くと、
「その通り!」
と言う声がどこからか響いた。どこかで聞いたような声だが、辺りを見回しても誰も居ない。どこに居るのと問おうとするより早く、声が先を続けた。
「ここは朧の道。おぬしの想いを映すは景色だけではないぞ?気をつけてな」
「だけではない?」
 見えぬ相手に問い返すと、『彼女』はかかかと笑って、すぐに分かる、とだけ言った。
「想いを映す、ねえ…」
 以前、恋人である草間武彦と一緒に迷い込んだ卵でも、奇妙な迷路を通らされたのを思いだした。そう言えばこんな時、彼は一番頼りになる人ではあるのだが…。何とはなしにポケットの携帯に手を伸ばし、ダメ元で発信する。
「まさかね」
 と溜息をついたその時、真横で着信音が鳴り、シュラインはひゃっと悲鳴を上げて飛びのいた。振り向いたそこに居たのは紛れも無く、今朝方仕事に出かけた筈の彼、草間武彦だったからだ。
「たっ…武彦さんっ?!」
 どうしてここに、と言いかけてあれ、と首を傾げた。紫陽花の道は何時の間にか消えており、代わりに豪勢な応接間と、ぽかんと口を開いたままこちらを見ている知らない中年男が居る。
「ここどこ。何であなたが」
「ここは依頼主の家。俺は仕事。打ち合わせ中にいきなり携帯が鳴ったと思ったらかけてきた本人が出てきて物凄く驚いてるとこなんだが」
 言葉とは裏腹にごく冷静に言い返されて、シュラインはうーん、と眉間に指を当てた。説明のしようが無い。だが唖然とする彼の背後に、またあの衣擦れの音が聞えた。
「ごめん、また後で!」
 おい、と呼び止めようとする彼を押しのけて、応接間を飛び出す。ちょっと!と叫んだ声は多分依頼人だろう。だが、足を止める訳には行かなかった。
「待って!」
 長くて暗い廊下の端にひらりと見えた影を追って、シュラインは再びあの道に飛び込んでいた。
「ったく、厄介な道ねえ…」
 紫陽花の道…声の言うところによれば『朧の道』は、さっき見た依頼人の廊下のイメージと混ざり合って、更に奇妙な具合になっている。声が『想いを映す』と言った意味も、今ならよく分かる。この道は、通る者の持つ記憶や心象風景を映し出すのみならず、心に想う場所に通じてしまうのだ。
「要するに、ただただ無心で追いかければいいってことよね」
 と言ってはみたものの。高い所に登るとつい飛び降りてみたいと言う誘惑にかられるように、考えてはいけないと思えば思うほど、雑多な思念が渦巻くのが人間と言うものだ。おかげで次は図書館、また戻って事務所、更には仕事先の出版社まで、あらゆる場所に寄り道してしまい、その都度そこに居た人々を驚かした。
「こりゃ明日は説明して歩かなきゃならないかもね…」
やれやれと溜息を吐きつつ、より一層奇妙な風景になった『朧の道』を見渡し、シュラインは肩をすくめた。暗い廊下の両脇には紫陽花がやはり咲いているのだが、それは何故か小さな本から出来ている。空を覆う薄汚れた天井は、明らかに事務所のものだ。紫陽花の向こうに時折見える扉は、事務所のものだったり仕事先のものだったりとまちまちだ。
「見てると頭痛がしてくるわね」
 どこでも良いから、とにかくこの道から逃れたいと、シュラインは全神経を聴覚に集中させた。衣擦れの音が導く先にゴールがあるに違いないのだ。
「それにしても、さっきの声って多分…」
 走りながら呟いたその時。見えていた筈の白い影がふっと消えた。慌てて衣擦れの音を探ったがそれも無い。置いて行かれたのかと一瞬ぞっとしたシュラインの耳に聞えてきたのは、琴の音だった。
「ゴールはすぐそこって事かしら」
 シュラインは目を閉じるとそのまま琴の音を辿って走り出した。琴の音はどうやら二種類。一つは和琴で、もう一つは竪琴のようだ。メロディには馴染みがないが、おそらくはとても古いものだと思った。そこにまた衣擦れの音が重なった。薄くて軽い布地がふわりふわりと舞う、そんな音だ。
「誰かが、舞っているんだわ」
 呟いた途端に、ふっと空気が変ったのに気づいて目を開くと、視界がいきなり薄いピンクに染まった。限りなく白に近いピンク色。さっきの花びらと同じ色だ。それが大きな枝垂桜だと気づくまで、そう時間はかからなかった。
「無事着いたようじゃのう、シュライン殿」
 朧の道で聞いたのと同じ声が、すぐ傍から言った。既に琴の音は止んでおり、振り向いたシュラインは、
「結構、大変だったわよ、鈴さん。もしかして、とは思ったけど、やっぱり関係あったのねえ、あの花びら」
 と溜息を吐いた。天鈴は、桜の花びらを見たシュラインがすぐに思い出した、桃の苑の住人だ。見ると、傍らには彼女の弟である玲一郎と、シュラインの知己でもある黒榊魅月姫(くろさかき・みづき)も居る。いつもの通り黒いドレスに身を包んだ魅月姫の手には見慣れぬ竪琴があり、先刻の琴の音の一つは彼女であったかと、シュラインは改めて思った。
「あの花びら、この桜のものだったのね」
 眩しいばかりに咲き誇る桜を見て言うと、鈴はうむ、と頷いた。
「姫桜、と言うてな。古の舞姫が姿を変えた桜じゃよ。普段は眠って居るのが、時折目を覚ましてはこうして人を呼び寄せる。ほれ、このようにな」
 舞い降りてきた桜の花びらを指に乗せて、鈴がふうっと息をかける。花びらはまた宙にまい、消えた。
「もっとも、花びらを受け取った者がシュライン殿のように、無事朧の道を通り抜けられるかどうかは別の問題じゃがな」
「通り抜けられない人も居るって事?」
 少しぞっとしながら言うと、横から玲一郎が
「滅多に無い事ですよ。大体は、元の世界に戻ってしまうだけですから、心配は要りません」
 と言った。魅月姫が勧めてくれた茶を受け取って、改めて桜を見上げる。幻想的な光景だ。花びらはどこまでも白に近く輝いており、何故か黄昏の色をした空によく映えている。
「ここには朝も昼も無い。あるのは永遠に続く『狭間の時』だけじゃ。この世とあの世の狭間、境にある森なのじゃよ。ゆえに、『きわの森』と呼ばれておる」
「きわの森の姫桜…か。きれいね。とってもきれい」
 心から言うと、桜が嬉しそうに揺れて、ざっと花びらが舞った。わあ、と声を上げたシュラインを見て、鈴がふむ、と頷く。
「新たな客人に、舞姫が楽を所望しておる。シュライン殿、すまぬが何か聞かせてやってはもらえぬか」
「って言われても…楽器も無いし、歌くらいしかないけど」
 それで充分、と言われてもなお、しばしの間逡巡したのは、この場にふさわしい曲がすぐには思いつかなかったからだ。不思議な道を抜けて辿りついた森は暗く、ぽっかりと空いた空間に咲き誇る美しい枝垂桜。ちらちらと舞う花びらは、闇と群青の空に映えて輝き、深い森の向こうには永遠の黄昏が広がっている。天に輝くのは…。
「そうだわ」
 空を見上げたシュラインは、あるメロディを思い出した。すっと息を一つ吸い、歌いだす。それは以前、とある社で聞いた不思議な旋律だ。星々の世界のものだと、その時教えてくれたのは玲一郎だった。歌詞の無い旋律に、琴の音が一つ、加わる。音の主は、鈴だ。絡み合う旋律に、今度は竪琴の音が加わった。黒榊魅月姫だ。三つの旋律は重なり、高まりに合わせるように巻き起こった風が止んだその時、また衣擦れの音が聞えて目線を上げたシュラインは、思わず歌を止めそうになった。舞姫が姿を現したのだ。
「興が乗ったようじゃ」
 鈴が小さく呟く。古の舞姫は、紺碧の空を背にひらりと舞い降りると、琴を奏でる鈴と魅月姫をかすめ、一人聞いていた玲一郎の横をすり抜け、シュラインのまわりで一しきり舞った。その舞がシュラインの心に新たな旋律を与え、歌は続き、舞は更に続く。桜色の衣を翻しつつ舞う歌姫は美しく、この上も無く楽しげに見えた。いつしか重なる旋律は増え、気づいた時には和洋様々のなりをした人々やら生き物やらが集まって、歌に合わせてそれぞれの楽器を奏でていた。美しかった。この光景を武彦たちにも見せてやることが出来ないのが、残念でならない。いつしか曲は終焉を迎え、歌い終えたシュラインの前に舞姫が静かに降り立った。
「お招きありがとうございました。…とても素敵な舞だったわ」
 シュラインが言うと、舞姫はたおやかに微笑んで一つ、お辞儀をして見せた。周囲の人々がどっと沸き、次の楽が始まるまでにはそれ程時間はかからなかった。舞姫が最後の舞を舞うまで宴は続き、そして…。
「これにて」
 と細い声がしたかと思うと、それまでちらほらと舞っていた花びらが、ばっと空へ舞い上がった。思わず目を閉じる寸前、薄いピンク色の向こうで、細面の美女がにっこりと微笑んだのが見えたような気がした。不思議な花見は、それでおひらきとなったようだ。帰りは鈴たちと共に戻ったお陰で、迷う事なく元の部屋に辿りついた。

 姫桜について詳しく聞くことが出来たのは、後日、コンビニでバイト中の玲一郎に会った時だ。姫桜のいわれをたずねたシュラインに、彼は僕もよくは知らないのですが、と前置きして、
「元は主を失った舞姫で、主亡き後山へ引きこもってしまったまま、時折旅人などを引き込んでは宴を催していたらしいです。多分、人としての生を終えた後でしょうけれど、いつしか桜に姿を変えて、やがてきわの森に落ち着いたのだそうです。いつ目覚めるかわからないから、中々宴に出会う事は出来ないらしいですよ」
 と教えてくれた。
「そうなんだ。じゃあ、次はいつかは分からないのね」
 幾分かがっかりしながら言うと、玲一郎はぽんぽんと手際よく雑誌をそろえながら、
「でも、そう気落ちする事もないでしょう。いつかは分からないと言う事は、明日かも知れないって事でもありますからね。草間さんたちを招待出来る日も、あるかも知れませんよ」
 と微笑んだ。シュラインの気持ちは既にお見通しだったようだ。
「…そうなるといいんだけど」
 黄昏色の空に輝いていた、幽玄の枝垂桜。彼に見せたら何と言うだろうと思いながら見上げた空の青さは、既に夏の色に近付いていた。

終り。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086/ シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【4682 / 黒榊 魅月姫(くろさかき・みづき) / 女性 / 999歳 / 吸血鬼(真祖)・深淵の魔女】

<登場NPC>
天 玲一郎(あまね・れいいちろう)
天 鈴(あまね・れいいちろう)

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■         ライター通信          ■
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シュライン・エマ様
ご参加、ありがとうございました!ライターのむささびです。今回は、朧の道の道中をメインに、宴では歌をご披露いただきました。ありがとうございました。お楽しみいただけたなら嬉しいのですが…。都合上、姫桜との挨拶と歌が前後してしまいましたが、ご了承いただければと思います。作中、シュライン嬢が歌ってくださったのは、以前、まほろの社のお祭で聞いた星々の旋律です。人並み外れた聴覚と記憶力をお持ちのシュライン嬢は、不可思議なメロディをよく覚えていらしたようです。
それでは、またお会い出来る事を願いつつ。
むささび。