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■Le stagioni −往く満ち−■ |
珠洲 |
【2872】【キング=オセロット】【コマンドー】 |
はらはらと硝子森の葉が揺れないのに頁だけが踊ります。
小さな子供ならば身体一杯に抱えてなお落としそうな大きな書物。
ときに瞬く光の糸で綴られた題字。
Le stagioni
卓の上でぱたりと硬い表紙を開いたのは先程のこと。
マスタが眺める前でしきりと訴えて踊る一頁にある文章を読んでみましょうか。
* * *
凍える中を熱で満たした後の灰は、暖炉の中から幾らか掴み取られていた。
ちらりとそちらを見遣ってインヴェルノは視線を巡らせる。
暖炉から床に、小さめの柔らかな絨毯を通って愛想のないテーブルの下つまりはインヴェルノの足元へ。
そこで点々と落ちる灰と運び主である犯人が、意味のない言葉を唇から零して相手はインヴェルノを見る。
ぷくりと張った柔らかな肌の小さな生物は、しばらく彼と無言の交流を図るとあぷと笑った。
「笑うのはいいが、そろそろ行った方が」
いいだろう、と言いたかったインヴェルノは口を噤んで首を振る。
彼がそんな風にしたのは目の前の幼子が、見る間に顔を歪めてしわくちゃになってしまったからだ。明らかに泣き出す前段階で、予想出来る展開に何度目かの沈黙を選択したのである。
参ったなと多少は思いながら長続きしない思考を放り出してインヴェルノは暖炉へと視線を戻した。
淡くすれば彼自身の髪色に似るだろうか、そんな熱の名残は生命を包み込んだ最後の姿だ。嫌いではないし、幼子が気に入るのも頷けなくはない。そういった包み込む優しさはきっと柔らかな布なのだろうから。
けれど幼子はずっとここにはいられない。
稀に、こういった駄々っ子がいるものだけれども。
どうしたものか、灰を一握り持たせて放り出そうか、けれど一人で出歩くことは不可能だし連れて出るにも少し、と様々に、放り出したばかりの思考を拾い上げてはまた考えて。
「もう、知るか」
ぐるりと回る思考と記憶にインヴェルノは再びそれらを放り出した。
けれど次の瞬間にはまた拾い上げてしまう訳で。
目を伏せて足元の幼子を見るともなく見て彼はぽつりと呟くのだ。
「早く行かないと、駄目なんだけどな」
* * *
彼等がこうして書を開くということは、手助けが欲しいと心の何処かで思っているということ。
ささやかな出来事ですけれど断ったりはいたしませんよ。
ただ、マスタは御客様に押し付けるということを彼等への協力としているものですから。
おいでになった早々、申し訳ありませんけれど。
宜しくお願いいたしますね。
――それは書を介して出逢う、いつか、どこかの出来事のひとつ。
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■Le stagioni −往く満ち−■
いきてかえる。
生きて、往きて、逝きて。
それは器。満たす器。
これより往きて満ちる、それは。
** *** *
風が吹くたびに、それが意志を持つかの如く腕の中の子をくすぐっていく。
その都度腕を動かしては動物の、そう、口を閉ざしたまま猫が鳴くような、そんな様子で柔らかな頬の内側から声を子が洩らす。
んん、と動く小さな指を握る手の中で微かに緩む子の力。
「それ以上開けば、その灰が落ちてしまうぞ」
大人の手が包み込んでいるのだからそんなことはまず有り得ないのだけれど、冗談めかした声音を普段よりいくらか柔らかくと心掛けて話しかける。
子をむずがらせたのと同じ風に乱れた金髪もそのままに、まず赤子に囁く姿は道を辿り始めた頃に比べて随分と慣れた余裕を見せていた。
ぴしりとした皺の見当たらぬ軍装の長身の女性――キング=オセロットは今、その腕の中にひとつの命を抱いている。
彼女は異界人と称される、つまるところの来訪者だ。
だがかつて生きていた世界で人の生まれ方が違った訳でもない。
赤ん坊だとて存在したし、親しいな者の家人の出産だとてあった。
けれど、と思う。
見て触れて柔らかさに胸を温めるのと、受け止めて胸に抱き鼓動を聞くのと、そこにある情動の差。その小さな生命を抱き込むことがどれだけ心を揺らすことか。
思い出すのはインヴェルノと名乗る男が赤子を抱き上げて、オセロットが受け取った瞬間の――。
風がまた通り抜ける。
あるいはそれは子をからかうような、そんな。
「……大丈夫だ」
母の鼓動を与えることは出来ないが、それでも抱く子の頬を胸元に寄せる。
血も肉も熱さえも繋がらずとも何か感じ取ることはあるのだろうか。
囁くオセロットの腕の中で赤子は歪みかけた表情の中の白い、白さえも透る眼の中の澄んだ瞳を瞬かせてから僅かに腕を揺らめかせた。少女が持つような人形よりなお作り物めいた小さな爪のついた指が伸びてそれから。
** *** *
「不安になるほど、やわらかく、小さい、な」
呟きに、らしくもない、と彼女を知る者であれば言うだろう。
それほどに赤子を抱き取ったときのオセロットの動きは戸惑いがあらわだったのだ。
くたりと頼りない関節の生物をインヴェルノから渡された彼女は、常の冷静さを僅かながら退かせて子供を預かりぎこちなく抱く。こればかりは慣れがなければ滑らかさなど期待してはならなかった。
「これから形を作る子だ。心身とも柔らかい」
「……これから、か」
「これから、だ」
自分では連れて行けないという男の言葉に「そうか」と呟いて預かったばかりの子を見る。おさまりが悪いのだろうか、しきりと身体を捩っては不服そうに額から目元から力を入れているのがはっきりと知れた。
灰は、ぎゅうと握りこまれた片方の手の中にあるのだろう。
軍服に触れて見えるか見えないかといった微妙な粒が生地に着く。
「黒だと目立つか」
「いや、構わないさ。握っていこう」
産着と同種の肌触りの良い、更に言うならばいささか厚手の一枚布を持ってきたインヴェルノがオセロットと協力して赤子を包む。ついでのように言われたことには軽く応じておいた。たいして目立つものでもないのだ。
知らず目を細めて赤子を覗き込むオセロットの返答に「そうか」とだけ頷くとインヴェルノは戸口へ向かう。
扉に手をかけたところで振り返り彼が見たのはきっと、オセロットの微笑み。
当人には知れぬ、意識の外の気持ちから浮かぶ笑み。
僅かに切なげに、届かぬものをそれでも愛おしむ、そんな。
インヴェルノが視線を戻して扉を細く押し開く。
蝶番がこすれる音がして入り込む空気の流れは鋭かった。
ざわと屋内を揺らしてついでとばかりにオセロットと赤子に触れていけば、未だ形を成さぬ子供はむずがって泣き出してしまう。
ああ、とオセロットのものかインヴェルノのものか、当人も気付く前に洩れた声は見る間にけたたましい声に押し隠されていき、柔らかな布に包まれた柔らかな命が顔といわず身体といわず赤く照らして訴える。言葉になる以前の、未分化の感情を声に乗せて。
「驚いたか?大丈夫だから泣き止んでくれるか。泣いてばかりでは息も苦しいだろう、ほら」
遠い過去に見た誰かの妻の姿を思い浮かべつつ、ゆるゆると腕を揺らし身体を撫でる。声をかける合間に抱き直して呼びかける。泣き声は煩くはない。ただその身体の未熟さに似合わぬ程の勢いに、生命力を覗く気持ちになるだけ。
「……ほら、風が吹いただけだろう?」
どれだけの時間をかけたのか、サイボーグである身なれば正確に知ることも可能だけれど。
意識して思考からそれを外して見下ろす赤子。
声の嵐は静まり、あやす間に抱く腕も丁度良くおさまったと見えて眉間から額からきゅうと入っていた力は抜けている。僅かに開いた唇がぷくりと息をひとつ零してしまえば引き込まれる風にして赤子は瞼を下ろしてしまった。
「上手いものだ」
「光栄だな――それで、眠ってしまったようだが」
「問題ないだろう?」
確かに何も問題はない。
それでも問う声音でオセロットが言うのは彼女の世界の中に赤子は遠く在るばかりの、実際の接点には乏しい相手だったから。
揺り籠を揺らすように腕を、身体をゆるやかに動かしてみる。
すうと寝息が軍服にぶつかって溶ける様さえ見えそうな深い呼吸。腹の上下するリズムさえオセロットの精密な聴覚は拾い上げていたけれど、あるいは彼女の肌に吐息が届いたのだと。
細く開いた扉から、今は遠慮がちに入り込む微かな大気に身を晒しながら無言で赤子を見る。揺らした身体を戻すのを待ってインヴェルノが改めてオセロットの青い、湖水の眸を捕らえた。
「それで」
僅かに首を傾げてみせる。
問うではなく、促すような。
「任せても?」
扉が触れた手に押されて更に開く。
極端な寒さも温かさもなく、けれど遠く見える巡る色彩。
白から緑に、種々の彩に、はるか先には豊穣の色。
「無論だ」
腕の中で眠る赤子の手を包み込む。
ほろりと綻ぶ風に灰を握った手が、オセロットのそれの内で力を僅かに緩めるのは安堵のようだ。
靴音が控えめに響く。
開いた扉。抜けた先の道。
「さて、少し私と遠出といこう」
包んだ手の中の熱を感じ取りながら、赤子に触れる何かはあるだろうかと。
心音に安らぐというのであればオセロットの鼓動は。
――言葉は全て胸の内。
青年の視線が刺さるのに気付きながら、オセロットはすれ違いざまに頷いてみせてそれだけだった。
歩く間に幾度か赤子は目を覚まし、そのたびに風だとか落ちる葉だとか、些細なものに瞳を煌かせてはじきにぐずりだす。オセロットもまたそのたびに足を止めては普段は芯でも入っているかのように伸びた背中をこころなしゆるく曲げて赤子に話しかけてはあやしてから歩を戻す。
甘えるような仕草がときに混ざり知らず瞳は笑みの色に溶けて頬の力も抜ける。
ひどく穏やかな、幻に似た道行。
――けれど。
けれどいつかそれも終わるのだ。
** *** *
ぷ、と何が楽しいのか唇から空気を洩らしながらオセロットの束ねた金髪を握って遊ぶ赤子。涎がいつ絡まることか、咥えたら止めなくては長さからしても危ない、そんなことを考えながらも好きにさせていたオセロットの足が止まり、僅かな鋭さを閃かせた彼女の蒼眸が見据える先。
まだ遠くはあるけれど手を振る姿。
光を映すその髪色は銀で、それは、それはオセロットに赤子を預けた青年と奇妙な程に似た印象を。
ほんの一瞬だけ双眸を赤子の眸に据える。
言葉の遣り取りなぞ無論のことあるはずもなく、短いのか長いのか判じかねる道行きの間にあったことといえば時折の風にむずがる赤子と宥めるオセロットとの微かな触れ合いだけ。
けれどそれだけであるのに赤子は今、己の腕の中で握られた手を拒むでもなく笑う風にさえ顔を動かして金糸をいじる。
つと瞼を下ろす。開く。
視線を戻す先から影は動く様子を見せていない。
表情も気配も解らないけれど「待っている」とまず思った。
待っている。
自分が腕に抱く柔らかな命を。
形を与える相手に渡すべく、待っている。
自分は、そう、運んできただけの。
「……迎えのようだ。もうじきだな」
胸中で波打った感覚はどういった感情であったのか。
寂寥があることは確かだと認めながら遠くを見遣りつつ話しかける。
むずがる程ではない強さの風がオセロットの髪を揺らして赤子はそれに、笑った。
出迎えた相手の少女はプリマヴェーラ。
おそらくはインヴェルノと同じ何者かであるのだろう彼女が若い腕を伸ばして赤子の髪をひと撫でするのを、抱いたままのオセロットは静かに見る。
二度と、腕に抱くことの叶わない生命。
「お疲れ様。頑張ったねぇ」
少しだけ背伸びして――気付いて身を屈めてやれば嬉しそうに視線を投げてきた――赤子に話しかけるとプリマヴェーラはその小さな手を、オセロットの手から取り出しにかかる。
役目は終わりだと、そう示されているように。
「もういいよ」
無言のままのオセロットの腕の中にまだおさまる赤子。
その握りこまれた手がゆるみ綻んでいく。
甘い菓子に似た手の中からはらりと零れ落ちるのは、灰。はらはらと風に乗り舞って行く先にはいつ現れたのか何処かの街。雑踏の中の会話さえ届きそうな活気に溢れた街の姿。
「あれは」
「この子の行く先」
小声だったがプリマヴェーラは言葉を拾うとオセロットに視線を移した。
気付いて同様に、こちらは灰の行方から少女へと。
瞳の色はあの青年と違うのだと正面から改めて見る。プリマヴェーラは重なった視線ににっこりと笑うと「ありがとう」と朗らかに告げた。
「ずっと抱っこ、お疲れでしょ」
「そうでもなかったさ」
「ふぅん……そうやって胸の音、ずっと聞かせてくれてたからかなぁ」
こんなに寛いでるの。
いまや両手でオセロットの髪と遊ぶ赤子を眺めて少女が言ったそれに、瞬間言葉を探し、けれど結局はそのまま返す。
「生憎と聞こえなかったはずだ」
「そうかな――っと、ごめんなさい。受け取ります」
繋がった、と呟くのは灰のことだろうか。
離れていく重みと熱に言い難い何かの情動を冷静さの隅に感じ取り、それでも素直にオセロットは赤子を渡す。髪は最後に一度だけ強く引かれてから離れた。
「さ、行って」
プリマヴェーラの声が深みを帯びる。
応じたのだろう、赤子は淡く薄く滲んだかと思えば溶けていく。終いには星を思わせる形になり、滑るように街へと向かった。それは灰の舞った筋そのままで。
「心臓じゃなくて、胸」
名残のような星の尾を見送ったオセロットにプリマヴェーラが言う。
表情は変えず、ただ問う意を乗せて視線だけを少女へと。
少女は真摯な緑の瞳でオセロットを見ていた。静かに唇を開く。
「優しい音を、あげたでしょう」
「心当たりはないが」
「抱っこして胸に寄せてたから」
「気付いているとは思うが、私はこの通りの身体でね」
やれやれと苦笑してみるのにもプリマヴェーラは頷いてそれきりだった。
うん、と応えてから。
「あの子、きっと優しい子になると思います。優しい気持ち、たくさん貰ったもの」
唐突に話を赤子に変える。
けれど動じずにオセロットは「そうだといいな」と返して街を再度見て。
プリマヴェーラが言っているのは、音とは、それは感情であるのか。
それが伝わるのか。形作られるあの子供に繋がるのか。
遠く、街から産声。
そうか無事に辿り着いたのかと唇の端を引いて笑む。
腕に抱いていた稚い生命の、その重みと熱と柔らかさ。
そして名残を惜しむかのように引かれた髪の感覚と。
確かに在った赤子の感触を手に留めながら産声を聞いて。
自身は無論見えずともプリマヴェーラには見えていた彼女の笑み。
――それはさながら、子を包み込み守る母を思わせるものとも。
** *** *
これより往きて満ちる、それ。
芽吹き育まれる生命の息吹は聞こえるでしょうか。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【2872/キング=オセロット/女性/23歳(実年齢23歳)/コマンドー】
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■ ライター通信 ■
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考えておられた道行になっただろうかと不安を抱きつつご挨拶のライター珠洲です。こんにちは。ご参加ありがとうございます。
末尾辺りが曖昧にぼかし気味な気もしますが、さて感情はぼかした方向でおられたでしょうか。冷静な方の胸の裡は想像すると止まらず、断定してしまいそうだったのでどきどきしております。
赤子との触れ合いが癒しになればいいなぁと思いつつ。
よろしければまた書棚においでくださいませ。
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