■商物「影法師」■
北斗玻璃 |
【0322】【高遠・弓弦】【高校生】 |
傍から見れば他愛なくとも、自分にしてみればその困惑は図りがたい。
「はぁ……、まぁ……」
奇妙な品を扱う事にかけては噂に名高い陰陽堂、その店主は客を前にしても台場に寝そべった姿勢を変えないまま、話が終わるのを待って気のない声を煙管を銜えた口元から洩らした。
「影を無くしたので、新しいのを誂えたい、と……」
こちらの意を得た返答にそうだと頷けば、店主は上体の体重を支えていた肘を身体の下に敷くようにしてその場に突っ伏した。
謎の反応を訝しむ、間に店主の肩が震えて、両足がバタバタと畳を打った。
「それは……、それは随分とうっかりな……ッ」
どうやら笑い転げている、店主にむっとすればその空気の変化を敏感に読み取って、店主は起きあがって胡座をかいた。
「あぁ、こいつぁ失礼を」
くつくつと喉を振わせて額を抑える、店主はしつこい笑いに肩を揺らせながら形ばかりに弁明する。
「いやはや、最近は影を無くしたなど聞いた試しがなかったモンで……しかもうっかり……」
再びの笑いの発作の予兆を見て、台場から腰を上げれば両手で宥めるように制す。
「それは確かにお困りでしょうとも。よございます、お出ししましょう。楽しませて……いやさ、笑ってしまったお詫びに勉強させても貰いましょ」
言いながら立ち上がり、奥から引き出してきたのは行李。
「まぁ昔から。影の病というだけあって浮かれて一人歩きする影は結構いるモンで……ホラ、これなんか如何で。ドイツの文豪の若い頃のモノでさ」
行李の中に両手を入れ、掬うように……衣のような、影を引き出す。
「西洋のが肌に合わないってぇなら、明治の作家先生のもありますよ。あぁ、勿論歴史に残る有名所じゃなくともホラ、コレなんかはフランス料理が得意でね。フル・コースなぞお茶の子さいさいでさ」
畳の上に広げる仕草に、遮るものは何もないというのに突如として影が生じる不思議に眩暈がする。
「m単位でお分けしておりますよ、値もそれぞれで御座いますが……どれになさいます?」
果たして何を基準とすればよいのかすら解らぬ自分を急かすように、古びた柱時計が二つ打つ。
「おや、悩んでる暇はありそにない。もしお客様がご自分の影に愛着がおありなら今日の陽が、暮れる前に見つけ出さないとちと難儀がありますよ……影は生まれてから絶えず添うモノ、魂の半身。まぁこのまま他人の影をひっつけて、歩く人生というのもオツかも知れませんがねェ」
他愛の良い言にそんなワケに行かないと慌てれば、店主は丸い煙をぷかりと吐いてにこにこ笑う。
「よろしければアドヴァイス致しましょう……こちらはサービス、お代は無用。そうですねぇ……もしほんの少しでも想う方がいらっしゃるのならば。その方の元に行ってみるのがよろしいかと」
そしてウチの影は上手に使えば助けになりましょうとも、とさり気なく商売っ気を向けられて、蟠る影から慌てて目的に添いそうな代物を選び出した。
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商物「影法師」
「今日もとてもいいお天気……」
高遠弓弦は天から降り注ぐ眩い陽を、目を細めて見上げた。
色素に欠ける瞳に近付きつつある夏の日差しは強く、視界に残る緑の残光に弓弦は目を瞬かせながら、地下鉄に下りる階段に急ぎ足に向かう。
自然、下に向く目線に、黒々と落ちる影を見て弓弦は足を止めた。
「……影」
陽光に濃く、誰もの足下に影は存在するが、それに気をかけているのは弓弦だけのようだ。
弓弦とて、ほんの今朝までは影に特別気を払うような事などなかったのだが、それが災いしたのか、ひょっこりと、自分の影を見失ってしまったのだ。
今、弓弦の足下に蟠る濃い黒は、当座凌ぎに購入した他人の影……言わば借り物である。
影の不在に気付いて慌てて心当たりを探してみたものの、あって当然の代物だけあってかそう簡単に見つからず、知人の伝手でなんとか、代りの影を扱っているという店の場所を聞き出して、急場を凌いだ次第だ。
店での会話を思い出して、弓弦は胸に手をあてて息を吐いた。
初対面の人と話すのは、昔から苦手な感がある。
緊張を思い出すだけで早まる鼓動を掌で受け止め、弓弦は落ち着きを取り戻そうと深い呼吸を繰り返す。
自分の言葉が、相手にどう受け止められたか……思いもよらない含みを持って相手を傷つけていないか、思い返して後悔するより先に口を噤んでしまう、癖。
「治ったと思っていたんですけれど」
やはり、影を失って自分で思うより余程、動揺していたのだろうか。
「でも、もう大丈夫です!」
己を鼓舞して、軽く握った手を胸元に引き寄せる。それに応じて影が動くのに安堵し、弓弦は足下に向かって大きく頭を下げた。
「今日一日、宜しくお願いしますね!」
その瞬間に前を横切ってしまった通行人を無駄に驚かせ、弓弦は平身低頭謝り倒した。
午前中一杯を影の捜索にあて、午後になって漸く聞きつけた影を取り扱っているという店を探すに難儀して。
弓弦は地下鉄の車内に腰を落ち着けると、不意に覚えた軽い疲労に目を閉じた。
休日の昼過ぎ、車内にそこそこ人の姿はあるが、遠慮する事なく座る事が出来る。手荷物を膝の上に置き、弓弦は目的地までの駅数を胸の内に数えながら、何気なく店での会話を思い出す。
人伝に、まさしく求めるそれがあるという店舗は、瞼の裏に薄く透かした日光に似た灯りを軒に点して弓弦を出迎えた。
「もしお客様がご自分の影に愛着がおありなら今日の陽が、暮れる前に見つけ出さないとちぃと難儀がありますよ」
影を求めて来た旨を告げると、無精髭の浮いた顎を片掌でざりと擦り、藍染めの着物を着流しにした……店主、と身分のみを名乗った男は言ってごほんと軽い咳を吐き出す。
その口元が微妙に歪んでいるのに気付かぬまま、案じる表情でお風邪ですか、と問う弓弦に店主はひらと空いた方の手を振った。
「あぁ、こいつぁ失礼を。いやはや、最近は影を無くしたなど聞いた試しがなかったモンで……しかもうっかり……」
ごほごほと、軽い咳払いを繰り返して店主は姿勢を正す。
「まぁ昔から。影の病というだけあって浮かれて一人歩きする影は結構いるモンで……うちもそんな辺りで商いさせて頂いておりますよ」
お譲りしましょうと気易く請け負って、店主は奥から行李を抱えて戻った。
さして重量も感じさせず、音も立てずに台場の畳に置かれた行李に弓弦が気を引かれる間、もう一度奥へ戻った店主は江戸切り子のグラスに注いだ冷たい麦茶と水羊羹を手に戻り、弓弦の前に据える。
「あの、どうぞお気遣いなく……」
「いえいえ。コレはあたしの趣味みたいなモンでね。こんな辺鄙な店に足運び頂いたお客様を、労う位はさせて頂かないと」
笑顔で勧められ、弓弦はここで固辞するも礼を欠くかと、おずおずと露を結ぶグラスに手を付ける。その間に店主は行李を開き、掬うように……衣のような、影を引き出した。
「ホラ、これなんか如何で。ドイツの文豪の若い頃のモノでさ」
畳の上に広げる仕草に、遮るものは何もないというのに突如として影が生じる不思議に弓弦は目を見張った。
「西洋のが肌に合わないってぇなら、明治の作家先生のもありますよ。あぁ、勿論歴史に残る有名所じゃなくともホラ、コレなんかはフランス料理が得意でね。フル・コースなぞお茶の子さいさいでさ」
思わぬ量の影を引き出され、見張った目を丸くした弓弦に店主はお好きな影を、と薦める。
「m単位でお分けしておりますよ、値もそれぞれで御座いますが……どれになさいます?」
そう問われても、何をどう選べば良いのか皆目見当がつかない。
「こんなに沢山……影を無くした方がいらっしゃるんですか?」
思わず問う弓弦に、店主は気軽に答える。
「いえいえ、こちらの影は商いで取り扱わせて頂いておりますので、出所は確かで御座いますよ」
どういった所から仕入れれば確かなのか……悩む弓弦を余所に、古びた柱時計が二つ打つ。
「おや、悩んでる暇はありそにない。よろしければアドヴァイス致しましょうか。こちらはサービス、お代は無用。そうですねぇ……もしほんの少しでも想う方がいらっしゃるのならば。その方の元に行ってみるのがよろしいかと」
急かすような言とは裏腹にのんびりとした店主の口調に、弓弦は一口大に切った羊羹を口元に運びかけて止めていた手を進めた。
品の良い甘さを堪能し、ほぅと息を吐く。
「きっとジェイドさんと絶えず一緒にいたいと思ってしまったのでしょうね……困った、影さんです」
心当たりを告げる弓弦に、店主は軽く眉を上げた。
「おやおや。こんな可愛い娘さんにそんな風に想われるとは、そのお方も男冥利に尽きるってもんで。お客様のイイ方ですか?」
どことなく下世話な物言いだが悪意はなく、それどころか何処か嬉しげな様子に弓弦は頬を染めて小さく頷いた。
「とはいえ、影は生まれてから絶えず添うモノ、魂の半身。まぁこのまま他人の影をひっつけて、歩く人生というのもオツかも知れませんがねェ」
不安を煽る言質を吐いて、店主はウチの影は上手に使えば助けになりましょうとも、とさり気なく商売っ気を向ける。
「それはちょっと困ります……」
弓弦は思案に首を傾け、畳の上、人の形をせず、水溜りのように思い思いの形で畳の上に蟠る影を見遣った。
「説得の得意な影はありますか?」
弓弦の求めに問うように目を向けてくる店主に、おずと理由を告げる。
「その、あまり強く言うことが出来ないので……私の影が戻って来ても良いと思うくらいに、弁が立つ方を2m程、頂けますでしょうか」
弓弦の要望を二つ返事で請け負って、店主は如何なる要素で判別しているのかは知れないが、影の一つを掬い上げた。
停車の制動に軽く車体が揺れ、どこからか空気の吹き出す音を立てて電車が止まり、弓弦は閉じていた眼をふ、と開く。
扉が開くと同時、流れ込む空気と駅名を告げる声が、弓弦に目的地の近さを教えた。
夕刻の近さに、アルコールの摂取を求める人々の群の流れについて行けば目的の場所には迷う事なく辿り着けた。
が、お勤め帰りの社会人が多くはグループで向かう催場は、弓弦が……未成年者が一人で赴くには少々勇気の要る雰囲気が漂っていた。
酒場の持つ独特の空気に気圧され、会場に足を踏み入れる事が出来ない弓弦は、おろと視線を迷わせて俯き、影の存在に気付く。
店主の太鼓判を信じて買った弁達者、の筈である影に、弓弦は小さく囁きかける。
「お願いしますね、力を貸して下さいね」
祈るように胸の前に手を組み、こんな場合は自分でない影が一緒に居てくれるのが心強い、と心の支えを見出した弓弦はゆっくりと会場に向かった。
イタリア料理のスペースからはパスタの茹で上がる良い匂いとピザの香ばしさが漂い、フランス料理のブースからはワイングラスが触れ合う音が心地よい。他にデザートの類も豊富らしくチョコレートやキャラメルの甘い香りが鼻腔を擽って、弓弦は活気に満ちた場内を感心の面持ちで見回した。
疲れるけど楽しいよ。俺の休みに一緒に行こうよ、色々ご馳走するよ、とジェイドが誘ってくれていたのを思い出し、弓弦は肩にかけたショルダーバックの紐を掌の内に握り込んだ。
「約束を……破ったことにはなりませんよね?」
一緒に、という言葉が何より嬉しくて、ジェイドのシフトと弓弦の休日が漸く合う一週間先の約束を思い出して弓弦は不意に不安を覚える。
「私の影を迎えに来ただけですし……ジェイドさんと、帰り道が偶然同じになるだけですもの」
些か苦しい理由を自分の中で付け、弓弦はソーセージが焼ける匂いを濃厚に漂わせる、ドイツ料理のブースへと足を向けた。
本来は広いばかりの空間を調度や簡易な壁で仕切り、各国の個性を出して臨時に店が設営されている塩梅に、各スペースの出入り口もまた凝っている。
開いたままで客を迎え入れる形に大きな樫の扉は、奥に白いテーブルクロスを掛けられたテーブルが整然と並び、空席のある場所が稀である……そして当然のことながら、ビアジョッキを手に手に、料理に舌鼓を打つ客層に年若い者の姿はなく、場違いな自分を自覚して、弓弦はジェイドの姿が見えるまでここで待とうか、と思いかけるが西に傾く陽が、あまり時間の余裕がない事を告げる。
ジェイドの所在を聞くだけだ、と弓弦は意を決して店内に足を踏み入れた。
「herzlich Willkommen!」
途端、各所から同時に上がる声に、弓弦はびくりと飛び上がる。
「いらっしゃいませ、お一人ですか?」
入り口で控えていたウェイターの呼びかけに、弓弦は違うのだと説明しようとするが、ぱくぱくと口が動くばかりで声が出ない。
その窮状に業を煮やしたか、それらしい動きを見せなかった影が、弓弦の足下に丸く纏まった。
「ちょいとお尋ねしたいんだけどね」
唐突に口から飛び出した言葉……声は確かに弓弦の、自分のモノだが常とは違う口調に他ならぬ本人が一番驚いている。
「ここにジェイド……ってぇ若い衆がお世話になってると思うんだけど」
問い掛けられたウェイターは、清楚な外見から予想も付かない語調で話しかけられ、あまりのギャップに目を白黒させながら、ジェイドが裏方仕事に終始している旨を伝えた。
「もうすぐ上がりなんだけど……キミ、もしかしてジェイドがとっっても可愛いって力説してた、大家のお嬢さん……?」
「そうともさ。何だいアイツも見る目があるじゃないか」
勿論、事実をいぶかしんでの問いであるが、可愛い、と職場で評してくれている事を素直に喜ぶ弓弦の気持ちに対し、斜に構えた口調で感想が飛び出すのに顔ばかりが青くなる。
「ジェイドに用なら呼んで来るから、掛けて待っててよ」
その場の離れる口実に、ややこしげな相手はご指名の人間に任せてしまえとばかり、そそくさと退くウェイターに「手間ぁかけるね」と一声かけて、弓弦は気疲れに近くのテーブルに着かせて貰う事にした。
「影さん……ちょっと頑張りすぎです……」
テーブルに突っ伏すようにして下を向き、苦情を述べるも、影はテーブルの影に紛れて見えず、反応の無さに聞いているかどうかも定かでない。
そして弓弦は不意に近付く人の気配に、ジェイドかと顔を上げた。
が、其処に立つのはいい具合にアルコールの入った大学生風の二人組で、嫌な笑いを浮かべながら弓弦を見下ろしている。
「ねー、今ひーとりー?」
しゃっくりと一緒に吐き出された言は、弓弦に向けてのもののようだが酔いに濁った眼差しに目的が判ぜられずに弓弦は固まった。
「じゃーさー、お兄さん達と飲も? 一緒しよー、一人はだーめだよ寂しーよー」
へろへろと手を振って、断りもなく弓弦の両脇の椅子についてしまう。
「あ、あの……」
ショルダーバックを胸に抱き、アルコール臭い息の近さと動揺に、弓弦は泣きそうになる……と、その片手が頭の上へと動き、パチンと高く鳴らした指に、気遣わしそうにこちらを見ているウェイターの一人を呼付けた。
「お客様、大丈夫ですか?!」
どう見ても酔漢に絡まれる美少女の図に一大事と、なみなみと黒ビールを注いだジョッキを両手に掴んだまま、ウェイターは給仕より急時、と大急ぎで駆け付けて来る。
「なーにー、俺達この娘とたーのしく呑もうとしているだけよー」
ウェイターの勢いに難癖をつけられると思ってか、目角を強めて牽制する男二人を余所に、弓弦は立ち上がってウェイターの手から中ジョッキを二つ、片手ずつに受け取る。
と、それを左右に掲げたジョッキの上下を反転させてそのまま、中身を重力に任せて二人組の頭上から振らせた。
「うわーッ?!」
あまりの出来事に声を上げたのはウェイターである。
「アタシの奢りだよ……たんと呑みな」
対する弓弦は冷静そのもの、椅子を引いてテーブルから離れると、凄味を増す片笑みに思考が停止したか動けずに居る無礼な男達を見下ろした。
「酔いに任せなきゃ女に声もかけられないのかい。アタシャ酔った勢いってヤツが一番嫌いでね、酒の力を借りなきゃなんないもの程、素面の時におやりな」
諭す口調でありながら、明らかな蔑みの視線に漸く正気に戻った男達がいきり立つ。
弓弦はその怒気をしたりと受け止めて、さり気ない臨戦体勢に片足を引いて半身を取った。
「弓弦ちゃん?!」
酔漢二人と向かい合い、傍目に一触即発を見て取るのが可能な緊迫した空気を打つように、遠くから呼びかけられた名に、弓弦はそちらを振り向いた。
「ジェイドさん……ッ」
感極まって声を震わせる、それは外見通りの可憐さで、事の次第を知らない人間が見れば弓弦が被害者だとしか思えない。
テーブルと騒ぎに集まる人の間を掻き分けて、ジェイドは弓弦の盾になる位置に割り込んだ。
「なんだてめぇ!」
少女を相手に拳で訴えるのは流石に気が引けていたのか、手を出しかねていた男達の内一人が、鬱憤をぶつける対象の出現に俄然、元気を出す。
「そこどけよ、女に虚仮にされて黙ってられるかよ!」
唾を飛ばして怒鳴る言葉は虚勢もいい所だが、傷つけられた自尊心を立て直そうとする涙ぐましさは却って周囲の失笑を買う……それが却って彼等の退路を断った。
「その女寄越せ! 身の程を思い知らせてやる……ッ」
ギリギリと歯噛みする男達にジェイドは一つ息を吐き、眼光鋭く二人を睨め付けた。
「Kommen Sie, und guten Tag!」(いらっしゃいませこんにちは)
低音で吐き出される、言葉に男達があからさまにたじろぐ。
その機を逃さず、ジェイドは弓弦を背後に庇ったまま……そして前に出ないよう、片手で制して一歩を踏み出した。
「Ist eine Reihenfolge ublich?」(ご注文はお決まりですか)
低い語調は重々しく、男達を追い詰める。
「な、何言ってんだよ日本語で喋れよ!」
低音に怒りを滲ませたジェイドの言に怖じ、相手はすっかり及び腰だ。
「Wie geht es zusammen einer Kartoffel?」(ご一緒にポテトは如何ですか)
言葉はわからない迄も、自分達が責められている……もしくは脅されているという事実を肌で感じ取り、紛う方なき西洋人であるジェイドの外見にも威圧され、緊張に冷めた酔いは拙い相手に喧嘩を売ったことを理解させるが、逃げ出す事も出来ずに相棒の出方を見ようとちらちらと視線を交わす。
それに大仰に息を吐き、肩まで上げた掌を天に向けたジェイドはやれやれと首を振る。ありがちなオーバーアクションで一旦場の空気を緩めたジェイドは、その好きを突いて腹の底から吐き出す声に、大喝の響きを持たせた。
「Ich werde jetzt mit einem Satz preisgunstig!!」(只今セットでお安くなっております)
その一喝に、男達は背を見せて脱兎の如く逃げ出す。お定まりの捨て台詞を肩越しになりと吐こうとするが、それは出口で伝票を持って待ちかまえていたチーフに阻まれ、会計を終えるまでの間衆目に晒される恥辱に封じられてほうほうの呈でスペースを後にした。
「Auserdem, gehen Sie bitte〜♪」(またお越し下さい)
こればかりはいつもの明るさで、手を振って見送ったジェイドは、何とか納まった事態に肩の力を抜く。
「弓弦ちゃん、大丈夫? 怖かったでしょ、ゴメンね」
改めて弓弦に向き直ったジェイドは気遣いに優しく声をかけ、震える肩にかけようとした手が……すかっと宙を掴んだ。
ジェイドに空振りを食わせ、その場にしゃがみ込んだ弓弦はぺちぺちとその足下の地面を叩く。
「あ、そういえば弓弦ちゃんの影、朝から一緒だったみたいでさー。仕事終わったら直ぐに帰るつもりだったんだけど。大丈夫だった? 困ったりしなかった?」
弓弦と目線を合わせる為か、ジェイドもその場にしゃがみ込んでその顔を覗き込んだ。
「ジェイドさんにご迷惑をおかけして……っ、私こそ申し訳ありません……ッ」
どうにか影を引き剥がそうとするが、地面に貼り付いたそれは掴む手がかりもなく弓弦の努力を無にする。
「取り敢えず、家に帰ってから考えようよ。なんで俺について来たかわかんないけどさ、落ち着いたら弓弦ちゃんの気も変わるだろうし」
頬に朱を昇らせて懸命な弓弦も可愛いな、と呑気なジェイドと裏腹、落陽が自らの影を取り戻す刻限と知る弓弦は必死である。
弓弦の足下の影はその場凌ぎに購入したモノ、影を扱う不思議の店の主が薦めの通り、気弱な弓弦を補って弁の立つ……姐さん、と呼びかけたいような気の強い影と終生沿うのは頂けない、と酔漢に絡まれてから一連の出来事に骨身に沁みていた。
しかし、弓弦には自分の影を取り戻す為の、最後の助力を影に乞う。
「影さん……お願いします、私の影を説得してください」
元より、恋しい人と共にという、弓弦の願いのままジェイドと共に在る影を説得する目的だ購入した影だ。
その本分を発揮して貰おうと、弓弦は影に身体の自由を明け渡そうと目を閉じた。
「弓弦ちゃん?」
目を閉じ、動かない弓弦に、次の行動をしばし待っていたジェイドが、訝しく呼びかける……それに対し、ぽっかりと目を開いた弓弦は正面のジェイドをきっと睨みつけた。
「ど、どうしたの?」
先に酔漢と対峙した迫力は何処へやら、たじたじとなるジェイドに弓弦の眼にじわりと涙が浮かび上がる。
「どうしてちゃんと言ってくれないんですか〜……」
しくしくと泣きだしてしまった弓弦に、ジェイドが「え? え?」と答えを求めて周囲を見回すが、相変わらず二人を見守る人の壁には、彼女を守った男気のある彼氏、からはっきりしない態度で女の子を泣かす男、に認識を変えたらしく、冷ややかな視線が集中する。
「ちょ、弓弦ちゃん? 言ってくんなきゃわかんないのは俺の方だよ? どうしたの泣かないで〜」
自分の方が泣きたい気持ちで宥めようとするジェイドの足下、光源と裏腹に動く弓弦の影が重なった。
「私、影だけじゃなくてジェイドさんと一緒に居たいです」
ぽつり、と呟くように弓弦は言葉を落とす。
「影でなく、自分自身でちゃんと……寄り添って居たいんです」
揺れる声に、涙がぽつりと影に落ちる。
「ずっと一緒に居てくれた、私の影があってこその、私ですから、失くしたくないんです、お別れ、したくありません……っ」
声を詰まらせる弓弦の言葉は、どう聞いても別れ話だ。
「え、弓弦ちゃん俺とお別れするの?!」
対して、衝撃を隠せないのはジェイドである……突然宣言される別れに硬直にする、彼に不意に影が差した。
それは、弓弦の足下に沈黙を守っていた影だ。
ジェイドの前身を黒く染め、立ち上がった影は、ジェイドを操って弓弦に手を伸ばす。
「あれ? ちょっと?!」
突然勝手に動き出した身体に驚くジェイドを無視して、影はそって弓弦の髪に触れ、優しく撫でた。
「よくお言いだね。大事なコトはそうやって、他人に頼らず自分の口で、自分からお告げ?」
そして穏やかな、初めて聞く女性の声がジェイドの口から出る。
それが人生を後悔しないコツだよ、と微笑んで……影はするりと落ちるようにしてジェイドから離れ、止める間もなくテーブルの影に紛れてしまう。
「……何、今の」
自分の顔、特に口の周辺を恐る恐ると触り、ジェイドは何気なく足下に視線を落としてその視線の先を指差した。
「弓弦ちゃん!」
突然呼ばれる名に、弓弦が「はいッ」と短く返じ、つられて指が示す先、自らの足下を見る。
「影、戻ってる!」
喜色を示して告げられる声に、確かに馴染んだ影の形が自分に繋がっている様に弓弦は安堵の息を吐いた。
「よかったね弓弦ちゃん!」
事態の把握はしきれないまでも、変事が納まった事に対して我が事のように喜色を示し、ジェイドは弓弦の頬の涙を袖口でそっと拭う。
「……お騒がせしました」
よく解らないが事態は収拾したらしい、と判断した周囲から拍手が起こる。
それによって半ば以上、二人の世界に居たジェイドと弓弦は現実に置かれている状況に慌てふためいて立ち上がろうとした。
「弓弦ちゃん」
す、とジェイドが弓弦の目の前に手を差し出した。
「俺も、弓弦ちゃんと居たいな。ずっと一緒に」
真っ直ぐな言葉は、重ねる手の迷いを消す。
こくりと小さく、しかし確かに了承の意に頷いて、弓弦は強くジェイドの手を握り締め、ジェイドは相好を崩して弓弦の細い身体を優しく抱き締めた。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【0322/高遠・弓弦/女性/21歳/高校生】
【5324/ジェイド・グリーン/男性/21歳/フリーター…っぽい(笑)】
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■ ライター通信 ■
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初めましてにお世話になります、闇に蠢く駄文書き、北斗玻璃に御座います。
大変お待たせしてしまい申し訳ありません……ッ<m(__)m>平伏
所詮は底の見えた真面目さよな、と鼻でせせら笑って欲しい、そんな卑屈な気持ちにてお届けさせて頂きますが、笑い所だけは是非に笑って欲しい、そんな素朴な願いもこもっております。
カトリックー! と何か訳の分らないツボを突かれて悶えたそんな裏話はよしとして。頂きましたプレイングをこねこねとしておりましたら、結果的にこんなカンジに落ち着きました。お買い上げになった影はきっと何処かの組の姐サンね、と義侠心に充ちた言動にこっそりと納得しております。酔っぱらいに絡まれる程イヤな事はない、と思いながらそんな目に遭わせた上、泣かせてしまってスミマセン……しかし王子様(笑)がすぐ傍に控えていたと言うことで、ご納得頂けたらなと思います……。
大変にご迷惑をおかけしてしまいましたが、魅力的な関係を築いたお二方をお預け頂け、機会が許せば、というより不心得者をお許し頂ければ是非まか書かせて頂きたいとお詫びと共に厚かましくもお願い申し上げる次第に御座います。
それではまた、時が遇う事を祈りつつ。
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