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■東京湾に浮かぶ幽霊船■

九流 翔
【2512】【真行寺・恭介】【会社員】
「なに? 用って」
 歌舞伎町の片隅にある骨董屋を訪れた葉明は、カウンターに座って新聞を読む老人へ向けていった。老人はチラリと彼女を見上げ、そして新聞を折りたたんだ。
「去年の夏に、東京湾で台湾船籍の貨物船が沈没したのを覚えておるかね?」
「ええ、覚えているわ」
 葉明はうなずき、懐から煙草を取り出して火をつけた。
 それは約1年前の初夏。台湾を出航した大型貨物船が、横浜港へ向かう途中、東京湾沖で日本船籍の貨物船と衝突し、沈没したという事故だった。
 運悪く乗組員の何人かが逃げ送れ、船と最後を共にした。
 日本側の貨物船は損害が酷かったが、沈没することはなく、目的地の横浜港までたどり着いた。2隻とも同じ港を目指していたのだった。
「1週間ほど前、東京湾へ霧がかかった晩、その船が現れたようなのだ」
「幽霊船、ということ?」
「そのようだ」
 事故が起きた当日も濃い霧が立ち込める日だった。ニュースでは、霧による視界不良とレーダーの不具合が原因だと言っていたことを葉明は思い出した。
「あの事故では、1人だけ行方がわかっていない者がおる。台湾からの依頼でな。もし、その幽霊船が去年の事故と関係しているのなら、どうか浮かばれない魂を成仏させてほしいとのことだ」
「その幽霊船とやらは、また現れるのかしら?」
「1週間前に初めて目撃され、3日前にも現れたという情報がある。どうやら、霧が発生すると現れるようだ」
「わかったわ」
「では、頼んだ。人選は任せる」
 小さくうなずき、彼女は煙を吐き出した。


東京湾に浮かぶ幽霊船

「なに? 用って」
 歌舞伎町の片隅にある骨董屋を訪れた葉明は、カウンターに座って新聞を読む老人へ向けていった。老人はチラリと彼女を見上げ、そして新聞を折りたたんだ。
「去年の夏に、東京湾で台湾船籍の貨物船が沈没したのを覚えておるかね?」
「ええ、覚えているわ」
 葉明はうなずき、懐から煙草を取り出して火をつけた。
 それは約1年前の初夏。台湾を出航した大型貨物船が、横浜港へ向かう途中、東京湾沖で日本船籍の貨物船と衝突し、沈没したという事故だった。
 運悪く乗組員の何人かが逃げ送れ、船と最後を共にした。
 日本側の貨物船は損害が酷かったが、沈没することはなく、目的地の横浜港までたどり着いた。2隻とも同じ港を目指していたのだった。
「1週間ほど前、東京湾へ霧がかかった晩、その船が現れたようなのだ」
「幽霊船、ということ?」
「そのようだ」
 事故が起きた当日も濃い霧が立ち込める日だった。ニュースでは、霧による視界不良とレーダーの不具合が原因だと言っていたことを葉明は思い出した。
「あの事故では、1人だけ行方がわかっていない者がおる。台湾からの依頼でな。もし、その幽霊船が去年の事故と関係しているのなら、どうか浮かばれない魂を成仏させてほしいとのことだ」
「その幽霊船とやらは、また現れるのかしら?」
「1週間前に初めて目撃され、3日前にも現れたという情報がある。どうやら、霧が発生すると現れるようだ」
「わかったわ」
「では、頼んだ。人選は任せる」
 小さくうなずき、彼女は煙を吐き出した。

 霧が立ち込めている。
 深夜の城南島海浜公園の海辺に3人の男女がいた。公園の南側には羽田空港の光が見える。いつもならば、深夜でも絶え間なく飛行機の離着陸が行われているが、霧による視界不良の影響か今夜は飛行機の音は聞こえない。
 飛行場や埠頭の光が霧の中に乱反射し、幻想的な雰囲気を創り上げていた。こんな日でも船の航行は行われている。霧の彼方に、誘導灯をつけた貨物船が行き来しているのが、どうにか見て取れることができた。
「あの中に問題の幽霊船がいるのでしょうかね?」
 霧の中へ双眼鏡を向けながらジェームズ・ブラックマンが呟いた。
「東京湾に霧がかかると現れるという話だけど、どうかしらね」
 葉明が肩をすくめながら言って双眼鏡を放り投げた。古い商業用のワンボックスの前で装備の準備をしていた男が慌てて双眼鏡を受け取った。
「幽霊船が現れたとして、どう対処する?」
 男と一緒に装備の確認をしていた真行寺恭介が訊ねた。その手には葉が用意した拳銃が握られている。中国北方工業公司製のトカレフ。通称「黒星」と呼ばれている銃だ。
「乗り込むわ」
 当然だとでも言わんばかりに答え、葉は台湾語で男になにかを告げた。すると、男はワンボックスの荷台から巨大なゴムボートを引きずり出した。それは軍隊の上陸作戦などでも使われている物で、10人くらいは楽に乗れそうな大きさであった。
 男は電動ポンプを取り出し、車のバッテリーにつないでボートを膨らませ始めた。モーターのうなる音が霧の中に響き、ゴムボートが徐々に形を整えて行く。
「乗り込めるのですか?」
「さあ。どうかしら」
 ジェームズの言葉に、やはり肩をすくめて葉は答えた。やってみなければわからない、彼女は暗にそう言っているのだとジェームズは理解した。
「その、遺体が見つかっていない乗組員というのは、どんな人物だったんだ?」
 動作確認を済ませ、銃弾をこめたトカレフを腋の下に吊るしたホルスターに収めながら恭介が訊いた。
「こちらが調べた限りでは、普通の乗組員よ」
「犯罪組織や、その他とのつながりはなかったと?」
「現段階ではね」
 そう答えて葉はトカレフを腰のベルトに挟んだ。
「積荷は?」
 予備弾倉やコンバットナイフなどを装備しながら恭介が言った。
「積荷? 幽霊船の?」
「そうだ」
「主に台湾製のコンピュータ製品だと聞いているわ」
 台湾はアジア屈指のコンピュータ大国でもある。演算装置などはアメリカ製が主流だが、基盤などは安価な台湾製品が日本でも売れている。最近は安価なだけでなく、その安定性でも高い評価を得ているということを恭介は思い出した。
「出ましたよ」
 突然、ジェームズが言った。
 葉と恭介は双眼鏡を手に駆け寄り、柵から身を乗り出すようにして海を見た。
「4時の方向。川崎人工島の東側です」
 ジェームズの言葉に従って、アクアラインの海底トンネル上の浮かぶ風の塔と呼ばれる人工島の方向に双眼鏡を向けると、その東側にぼんやりと1隻の貨物船が航行しているのが見えた。船体の横には沈没した貨物船と同じ船名が描かれていた。
 双眼鏡は光量増幅装置を内蔵しているため、単色ではあるが視界は明るい。また、彼らのいる位置から人工島まで直線距離で10キロ近くあったが、双眼鏡の性能ゆえか貨物船が目の前にいるかのように見えた。霧の合間に見え隠れし、朧げに進んでいる。
 時刻は午前2時を指していた。そうこうしているうちに霧はさらに濃くなり、幽霊船とおぼしき船は霧の中に消え去った。
「行くわよ」
 葉の言葉に応えるように男がエンジンを取りつけたボートを海に浮かべた。葉、ジェームズ、恭介の3人がボートに乗り込み、男は陸に残った。エンジンのうなりを響かせながら闇と霧に覆われた東京湾をボートが進み出した。

 その船は間近で見ると巨大さを実感させられる大きさであった。濃霧を切り裂くかのように、ゆっくりと東京湾を南下して横浜方面へ向かっている。
 航路を走っているといえばそうなるのだろうが、沈没位置と出現場所が異なっていることが恭介には気になった。
 恭介はバックパックから水中銃に似た物を取り出すと、ゴムボート不安定な足場の上に片膝をつき、幽霊船の甲板へ向けて引金を絞った。圧縮空気の抜ける音が響き、発射された銛が幽霊船の甲板近くに突き刺さった。
 銛から伸びたロープを何度が引っ張り、銛が簡単に抜けそうもないことを確認して恭介はロープをゴムボートに固定した。
「先に行く」
 そう言って真っ先にロープを登ろうとする恭介をジェームズが制した。
「なにがあるかわかりません。私が先に行きましょう」
「しかし……」
「私なら大丈夫ですよ」
 微笑を浮かべ、ジェームズは身軽な動きでロープを上がる。恭介と葉が拳銃を抜き、甲板へ銃口を向けた。
 甲板へ上がったジェームズは周囲を見回した。暗闇と霧に覆われているが、闇を見通せる彼にはたいした問題ではない。大量のコンテナが積まれた甲板は当然ながら無人だった。
 ゴムボートで待機している2人に合図を送る。葉、恭介の順で甲板へ上がってきた。
「本当に幽霊船なのか?」
 本物としか思えない船の質感に眉をひそめ、恭介が言い捨てた。
「さあ、どうかしら。幽霊船でないとしたら、この船はなんなのかしら?」
「調べてみれば、わかりますよ」
 葉とジェームズが答えた。
「3人で固まっていても効率が悪いから、ここで別れるわよ」
 その提案に異論はなかった。

 思いのほか、幽霊船は巨大であった。事前に恭介が調べた情報によると、沈没した船は全長230メートル、載貨重量150000トンというものであった。コンピュータ関連の製品を運ぶにしては、いささか船が巨大すぎるようにも感じられた。
 トカレフを構えながら甲板を移動して操舵室へ向かう。積まれたコンテナによって築かれた迷路の中を進んでいると、ふと恭介は気になるものを発見した。
 いくつかのコンテナに穴が開いている。直径10ミリから15ミリほどの大きさだ。それも1つではない。ざっと見ただけで20個近い穴が見える。
(これは銃弾の痕か?)
 穴を見ながら恭介は思った。ちょうど、マシンガンかなにかを乱射すれば、このような傷跡ができるだろう。
 犯罪組織と密接な関わりを持つ葉明が絡んできた時点で、まともな調査になるとは思っていなかったが、やはりキナ臭い雰囲気が漂ってくるのを恭介は感じていた。
 そもそも、今回の件は本当に事故なのか、それとも何者かが故意に引き起こした事件なのかもわかっていない。海上保安庁や警察の調べでは事故と断定されているが、情報が少なすぎるため、状況的にそう判断したと思いたくもなる。
 実際、1年前の事故について恭介も調べてみたが、ほとんどなにもわからなかった、というのが現実である。
 沈没した貨物船の生き残った乗組員は、すべて台湾に引き上げているし、日本船籍の貨物船の乗組員も、1年前の事故以降、行方不明となっていることが判明しただけだ。時間があれば台湾まで飛んで乗組員の足取りを追うこともできただろうが、上層部から命令されている期限まで残り少ないため、台湾まで行っている余裕がない。
 操舵室にたどり着いた恭介は、誰もいない部屋を調べ始めた。だが、特にこれといった物は発見できず、航海日誌にもありきたりのことしか書かれていなかった。
(さて、どうしたものか……)
 操舵室の窓から甲板を眺めながら恭介は考えた。
 この船が現実の存在ではないと思うようにしていても、そのリアルな質感から本物であるように感じられてしまう。
 しかし、本物の貨物船は東京湾沖の海底に今も沈んでいる。その巨大さと、他の船の航行などから、引き上げは困難とされていた。また、同時に沈んだ1000個を超えるコンテナを回収するだけでも、莫大な費用が必要であることは容易に想像できた。
(コンテナの中身を調べるか)
 船が幻のようなものであり、沈んだ貨物船をどこまで忠実に再現しているのかはわからないが、コンテナを開けばなにかがわかるような気がしていた。
 恭介は操舵室を出て甲板へと戻った。

 葉、恭介と別れて甲板を歩いていたジェームズは、コンテナによって区切られた通路の真ん中に、1人の女性が立っているのを見つけた。女性は20代半ばくらいで、薄汚れた衣服を身に着け、両腕に赤ん坊を抱きかかえている。
 それが人間でないことは明らかだった。雰囲気が人間とは大きく異なる。なによりも、ジェームズには人外の存在を感知できる能力が備わっていた。
「どうかしましたか?」
 ジェームズは女性に話しかけた。だが、女性はなにも答えようとはせず、ただ黙ってジェームズを見つめているだけだった。近づこうとすると、不意に女性の姿は消えた。
 違和感があった。葉の話では、沈没に巻き込まれて死んだのは乗組員が1人だけということであった。では、今の女性は何者なのだろうか。つい数秒前まで女性が立っていた場所をジェームズは調べてみたが、特に変わった様子は見られない。周囲のコンテナにもおかしなところはないように思える。
(とすれば、あとは船倉でしょうか)
 甲板の下には船倉がある。女性が立っていた辺りの下がどうなっているのか、ジェームズは確認してみる必要があると感じた。

 先ほど発見した銃弾と思われる穴の開いたコンテナの前に立った恭介は、ワイヤーカッターを使って扉になされていた封印を切ると、取っ手を握って扉を引いた。錆びかけた蝶番が鈍い音を周囲に響かせる。
 コンテナの中身は段ボール箱の山であった。台湾の有名な基盤メーカーの社名が記された段ボール箱が、ぎっちりと積み上げられている。恭介はその中の1つを取り出し、蓋を開いた。やはり、中身は基盤であった。
 その後、いくつかランダムにコンテナを選び、扉を開けて中を確認する。基盤や半導体、液晶画面などのコンピュータ機材に混じり、雑貨類や食料品が収められたコンテナもあった。そのすべてが台湾製で、おかしな点は見られなかった。
 沈んだ貨物船が忠実に再現されていることは理解できたが、だからといって1000個以上にもなるコンテナをすべて開けることはできない。
 すでに20個以上ものコンテナを開けている。さらに開けたところで、なにも発見できないのではないかという思いもあった。
(次で最後だ)
 そう考え、恭介は封印を切って扉を開けた。その瞬間、コンテナの内部から漂ってきた湿気臭い空気に混じり、かすかな異臭が恭介の鼻を突いた。
 嗅ぎ慣れた、というほどではないが、その臭いがなんであるか恭介は知っていた。
 臭いの元を探るべく、恭介はうずたかく積まれた段ボール箱を開け、中身を確認しながら放り投げて行く。そのコンテナの中身は薬品ばかりであった。消毒薬などの臭いが内部に充満しているが、彼が感じたのはその臭いではない。
 コンテナに収められていた段ボール箱を半分ほどまで開けたところで、ようやく恭介が探していた物が現れた。それは半透明の石ころほどの大きさをした物体だった。ガンコロ――覚醒剤の結晶である。
 覚醒剤の混ぜ物として昔から使用されているのは外見が良く似た樟脳である。樟脳とは楠から採取される無色透明の結晶状の固体物のことで昇華性を持ち、特異な臭いと味があって一般的には防虫剤や医療品などに利用されている。
 その覚醒剤に混入された樟脳の臭いを、恭介は感じ取ったのだった。常人であれば、消毒薬などの臭いに惑わされてしまっただろう。
(なるほど。密輸入か)
 なんとなく事件の裏が読めてきたような気がした。同時に葉明が今回の幽霊船騒動に出張ってきた理由も、この辺りにあるのかもしれないと恭介は思った。
 医療品の収められたコンテナに隠せば、発覚する確率が低いと考えたのかもしれない。港湾ではすべてのコンテナを調べるわけではない。基本的には書類審査だけで通し、書類に不備があったコンテナや、検査のためにランダムに選び出された物だけ、封印を解いて中身を確認する。
 空港のように麻薬探知犬がいるわけではない。警備が厳重な空港とは異なり、港湾はいまだにアバウトな部分が多い。だからこそ日本に麻薬や覚醒剤が流入するのだ。
 ガンコロの入ったビニール袋をスーツのポケットに突っ込み、恭介は歩き出した。

「おかしいですね」
 船倉に下りたジェームズは、鋼鉄製の隔壁を前にして呟いた。先に進みたいのだが、隔壁が邪魔をしているといった状況であった。
 構造的に見ても、ここに隔壁があっても意味はない。まるでなにかを隠すかのごとく壁が立ちはだかっているように感じられた。
「どうかした?」
 その時、不意に背後から声が聞こえてジェームズは振り返った。一瞬、ライトで顔を照らされて目を細める。だが、すぐに目が慣れてジェームズは自分にライトを向けている人物の顔を見た。そこには拳銃とライトをそれぞれの手に持った葉がいた。
「この先に行きたいのですが、壁が邪魔をして進めないのです」
「この先になにかがあるのかしら?」
「さあ。なにかあるかもしれませんし、なにもないかもしれません。ただ、甲板で気になることがありまして」
 ジェームズは甲板で見かけた女性の話をした。そして、女性の立っていた辺りにはなにもなかったことから、船倉を調べに来たということも。
「位置的には、もう少し先なのですが」
「それは調べてみる価値がありそうね」
 隔壁を見つめながら葉はジェームズの言葉に同意した。だが、先へ進もうにも隔壁には扉もなにも存在していない。進むためには壁を破壊するより他に方法はない。
「C‐4でも持ってくれば良かったかしら?」
 C‐4――コンポジション爆薬。通称プラスチック爆薬と呼ばれる物だ。粘土のように柔軟な可塑性があり、結合剤や可塑剤の配合調整で硬いものにもできる。
 爆薬自体は非常に安定しており、温度や引火、振動などで爆発することはほとんどないとされている。火をつけると緩やかに燃焼するが爆発はしない。爆発させるためには信管による起爆装置が必要不可欠となる。爆発の際には青い閃光を発する。
「今の装備で、この壁を破壊できるものはありませんか?」
「残念ながら、ないわね」
 葉は肩をすくめた。
「だけど、方法がないわけではないわ」
「どういうことです?」
「こういうことよ」
 次の瞬間、大きな音が辺りに反響して、まるで巨大な爪に引き裂かれたかのように隔壁へ亀裂が生じた。それも1度だけではない。2度、3度と耳をつんざく音が響き、鋼鉄製の壁には人間が通れるくらいの穴が開いた。
「なにをしたんですか?」
「秘密よ」
 口許に微笑を浮かべながら言って葉は壁に開いた穴を潜った。ジェームズも葉に続いて穴を抜け、隔壁の反対側へと出た。
 直後、そこに広がっていた光景を目の当たりにして大きく顔を歪めた。
 広さにして20畳ほどの部屋だろう。そこに無数の人間が折り重なるようにして倒れていた。老人、子供、男、女。母親に抱きかかえられた乳児もいる。全員が生きていないことは明らかであった。
 船倉に転がっているのは死体の山であった。異常なまでに肌が膨れ上がり、長い時間、水に浸かっていたとわかるほどのものであった。思わず目を背けたくなるような惨たらしさであったが、葉もジェームズも目を背けることはなかった。
「どういうことでしょうね?」
 目の前に広がる死体の群れを眺めながらジェームズが言った。
「密入国ね。きっと」
 思い当たる節でもあるのか、葉が断言した。
 貨物船ということを隠れ蓑にして、この船は人間も運んでいたということだ。密入出国斡旋として有名なのは大陸系犯罪組織の蛇頭である。この貨物船が蛇頭から委託を受けていた可能性はないとは言い切れない。
 台湾人の密入国者というのは一時と比べて格段に減った。それは台湾国内の景気が回復し、台湾にいても日本と同等の所得を得られるからだ。
 だが、逆に大陸からの密入国者は増えた。それは中国政府の国内政策などにも問題があり、農村部では酷い有様であるからだ。しかし、中国からの渡航は目をつけられているため、最近では台湾経由で日本へ密入国する人間が多いとも言われている。
「船が沈んだとき、彼らも船と運命をともにしたというわけですね」
 そう考えた時、ジェームズには幽霊船が現れた理由がわかったような気がした。これだけの人間が無念の死を遂げれば、その強い想いが幽霊船を形作ったとしても、なんら不思議ではない。
 時として人間の念は信じられないほど強力なものとなる。恨みや憎しみに囚われた怨霊がその最たるものだ。数十人もの念で形成された船。それが、この幽霊船なのだ。
「しかし、どうしてこの船に?」
「通常、密入国は沖縄や九州で上陸が行われるわ。でも、それだと警察なんかに目をつけられているし、密入国した人間たちを東京まで運ぶ手間もあるから、大型貨物船を使って直接、東京近郊に上陸する手段を取ったのよ」
 そう言い、葉は背負ったバックパックから線香の束を取り出した。ライターで線香に火をつけ、それを船倉の所々に置いて行く。
「成仏させるべきだったのは、死んだ乗組員ではなく、死んだことすら公表されなかった、この方々ということですね」
「そうね」
 小さく答えて葉は手を合わせた。
 それを眺めていたジェームズは、葉は船倉にいた密入国者たちのことを知っていたのだろうか、と考えた。いや、知らなかったはずだ。知っていれば、真っ先に船倉に来ていただろう。これは彼女にとってもイレギュラーな出来事だったに違いない。
「これは……?」
 その時、不意に背後で声がした。ジェームズが振り返ると、引き裂かれた隔壁のところに驚いた表情をした恭介が立っていた。
「ご覧の通りですよ。彼らが幽霊船を作っていたのでしょう」
「密入国者、か?」
「そうだと思います」
 勘の良い恭介の言葉にジェームズはうなずいた。
「こっちも、こんな物を発見した」
 ポケットからビニール袋を取り出し、恭介は葉に向けて放り投げた。それを空中で掴み、ライトで照らした葉が眉をひそめたのをジェームズは見逃さなかった。
「これを、どこで?」
「甲板にあるコンテナの中だ。医療品で偽装されていた」
「そう」
 驚いた様子もなく答えて葉はビニール袋を足元に放り捨てた。床に転がった透明な袋を見たジェームズは、その中に入っている物がガンコロと呼ばれる覚醒剤の結晶であることを理解した。樟脳の独特な臭いがかすかにジェームズの鼻を突いた。
 沈んだ貨物船は人間だけでなく、覚醒剤も運んでいたようだ。さらに詳しく調査すれば、別の違法な品物も出てくるかもしれない、とジェームズは思った。
「この船には、あなたも関与していたのか?」
「いいえ」
 恭介の問いに葉は首を振った。だが、その返答は到底、信じられるものではなかった。
 葉明という人物は、決して性根まで腐った人間ではないようだが、それでも職業的犯罪者であることに変わりはない。違法行為に従事し、他人を陥れることに対して、一切の感情を動かさないように恭介には見えた。つまり、油断禁物というわけである。
 沈んだ貨物船に関しても、どこまで葉が関わっていたのかは不透明だ。彼女自身が関わっていなかったにせよ、今回の調査を葉に命令した人物は、覚醒剤の密輸や船倉でも密航に関与していた可能性は否めない。
 甲板のコンテナに銃撃を受けたような形跡が見られたことから、人為的に船が沈められた可能性も恭介は考慮していた。だが、それを確かめる術は残念ながらない。
 恐らく、沈んだ貨物船は台湾の犯罪組織が所有していた物で、一般の荷に紛れ込ませて麻薬や人間を運んでいたのだろう。それを快く思わない勢力が、事故に見せかける形で貨物船を沈没させた。貨物船を沈没させた連中にとって誤算があったとすれば、密航者たちの念が強く、幽霊船として目撃されるようになったことだ、と恭介は思った。
「それで、これからどうするんですか?」
 ジェームズが葉の顔を見て訊いた。
「とりあえず、略式で供養を行って終わりよ。彼らの信仰がわからないから、本式では行わないことにするわ」
 線香の煙に包まれた遺体を眺めながら葉が言った。
 東アジアには様々な宗教が存在する。主には仏教、儒教、道教などだが、それぞれに供養の方法は異なる。
 日本では信仰というものが重要視されていないが、東アジアには生活と宗教が密接に関係している国が多い。そのため、各々の信仰をないがしろにするわけにはいかない。
 葉はバックパックから道具を取り出して死者の供養を始めた。その方法は道教のようではあるが、微妙に違うところもあった。
 それは葉が台湾出身者であることと関係しているだろう。台湾では特に仏教、道教、儒教の信仰が盛んであるが、その区別は曖昧で、相互に強く影響を受け合っている。そうしたことから、台湾各地にある廟では各宗教の神々が合祀されていることが珍しくない。そのため、台湾人の信仰には各宗教が混合されており、各宗教に忠実というわけではない。
 しばらくして供養が終わった。祭壇などを片づけて葉が立ち去る準備を始める。船倉には線香の臭いが充満していた。
「これで、よろしいのですか?」
「さあ。どうかしら? でも、これでダメだとしたら、あとは沈没した船から遺体を引き上げるしかないわね」
 だが、それは不可能であるとジェームズも恭介も思っていた。費用などの問題もあるが、沈没船に数十人の遺体があることを誰も信じないだろう。
「幽霊船が出なくなることを祈るとしよう」
 恭介の声が暗い船倉に反響した。

 その後、東京湾に幽霊船が出るという噂はまったく耳にすることがなくなった。
 調査に協力したジェームズと恭介の許には後日、東京湾に沈んだ貨物船を引き上げるという話がもたらされた。その費用は沈没船を所有していた台湾の企業と、それに衝突した日本の海運会社が折半することになった、とニュースなどで報じられていた。
 その話を聞いた2人は、葉明が影で動いたのだろうと推測した。だが、その理由は定かではない。コンテナに覚醒剤よりも重要な品物が隠されていたのか、それとも船倉に放置されたままの遺体を引き上げようと考えたのか。
 恐らくは後者なのだろうと信じたかった。

 完


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
 2512/真行寺恭介/男性/25歳/会社員
 5128/ジェームズ・ブラックマン/男性/666歳/交渉人&??

 NPC/葉明/女性/25歳/犯罪組織のボス

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■         ライター通信          ■
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 今回もご依頼いただきありがとうございます。
 遅くなりまして申し訳ありません。
 リテイクなどございましたら、遠慮なく申し付けください。
 では、またの機会によろしくお願いいたします。