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■Night Bird -蒼月亭奇譚-■

水月小織
【5566】【菊坂・静】【高校生、「気狂い屋」】
街を歩いていて、ふと見上げて見えた看板。
相当年季の入った看板に蒼い月が書かれている。
『蒼月亭』
いつものように、または名前に惹かれたようにそのドアを開けると、ジャズの音楽と共に声が掛けられた。

「いらっしゃい、蒼月亭へようこそ」
Night Bird -蒼月亭奇譚-

 それは偶然の出来事だったのかも知れない。
 『東京』にいるとそんな事がたまにある。
 その偶然の一瞬で人の命が助かったり、それを止められなかったり…。
 だからこそ、この街で暮らしていくのは楽しくて、時に悲しい。

「あー、やっとテストが終わった」
 憂鬱なテスト期間も終わり、菊坂 静(きっさか しずか)は多少の開放感を感じながら学校からの帰り道を歩いていた。
 今日は午前中ですべての科目が終わり、学食も開いていない。このまま家に帰って何か作ってもいいし、何処かで弁当を買うのもいいのだが、何となく家に帰るのもつまらなく感じ、静はいつもと違う道を歩いていた。
 一本違う小路に入るだけで景色が急に変わる。
 いつもと違う街並み、見慣れない看板。庭先に咲いている花や、玄関先でのんびり眠っている犬などを見ると、それだけで何だか別の街に来たような気分になった。今日は天気もいいし、風も爽やかだ。こんな日はいつもと同じ道をたどるのではなく、ちょっとした冒険気分で知らない道を歩くのも面白い。
「何処かで何か食べようかな」
 テストで頭を使ったせいか、何だかお腹が空いた。そう思ってふと顔を上げたときだった。
 ツタの絡まる建物に『蒼月亭』という看板が掛かっている。その前を通ると、中から美味しそうなコーヒーの匂いがした。
「ここにしよう」
 静はドアベルを鳴らして店の中に入った。すると、中にいた色黒で長身のマスターらしき男が顔を上げる。
「いらっしゃい、蒼月亭へようこそ」
「………?」
 ここは初めて入った店のはずだ。
 だが、そこにいたマスターの顔を、静は何処かで見たことがあるような気がした。カウンターの椅子に座りながら、静はマスターの顔を見る。
「…ん?どうかしたか?」
「いえ…僕は近くの高校に通ってる菊坂静って言うんですけど、失礼ですがお名前を聞いてもいいですか?」
「ああ、ナイトホークで通ってる。皆そう呼ぶよ」
 そう言いながらナイトホークは静の前にレモンの香りがする水を置いた。ランチタイムにはまだ少し早いのか、店には静以外の客がいない。
「えーっと『マスターの気まぐれランチ』をお願いします」
 ナイトホーク…という名前を心の中で反芻しながら、静はランチを注文した。
 何処かで会ったような気がするのだが、なにぶん子供の頃なので記憶が怪しい。雰囲気などはよく似ているのだが、五歳頃の話だから目の前にいるナイトホークとは年齢が合わない。
 そんな事を思っているうちに、静の目の前にサラダが出される。
「はい、アスパラとレタスのグリーンサラダをオーロラソースで。アスパラが駄目なら別のサラダもあるけど」
「いえ、いただきます」

 奥のキッチンでパスタを茹でながら、ナイトホークはそっと静の様子を見ていた。
「もしかして、あの時の子供か?」
 十年ほど前に殺されそうになっていた子供を助けたことがある。もしかしたら単なる偶然かも知れないが、あの赤い瞳には覚えがあるし、長いこと客商売をやっていたせいで人の顔を間違えることはない。
 それは別に何か目的があって助けたわけではなかった。
 たまたまその日は月がとても綺麗な夜だったので、夜中に月見がてら散歩をしていた時に偶然その事件の現場に出くわしただけだ。
 命からがら逃げてきた子供と、正気でもない様子で刃物を持ちそれを追いかける女…その姿が何故か昔の自分と重なり、いつもなら人に深く関わらない所をつい立ち入ってしまった。
『来い!』
 あの時自分は一言だけそう叫んだ。それに気づき、直感で「自分を助けてくれる」と思ったのだろう。赤い瞳の子供はナイトホークの方に向かって安心したような表情をしながら一生懸命に走ってくる。それを自分の真後ろに庇い……。
「…悪い癖だな」
 ナイトホークはタイマーを見ながら、フライパンの中にオリーブオイルを入れた。

「お待たせしました。アサリのボンゴレになります」
 静の目の前にはアサリがたくさん入ったパスタが出されていた。ガーリックとオリーブオイルのいい香りが鼻先をくすぐる。
 いつもの癖でフォークを持ったまま「いただきます」と両手を合わせ、静はパスタを口にした。ナイトホークはそれを確認すると、食事の邪魔にならない位置まで移動し、シガレットケースから煙草を出す。
「静…って呼び捨てにしてもいいのかな、煙草吸っても大丈夫か?一応ここ、全席喫煙可なんだけど、ダメだったら裏で吸うから」
「いえ、構いません。ナイトホークさん…でいいんですよね」
「マスターでもナイトホークでも、好きに呼んでいいよ」
 吸ってもいいと言われたので、ナイトホークは少し静の方に寄って煙草に火を付けた。静が自分を覚えているかどうかが、やはり少し気になる。
 静からするとそれは恐ろしくも忌まわしい記憶なのだから、すべて忘れていた方がいいに決まっているのだが。
「………」
 パスタを食べながら、静もナイトホークのことを考えていた。
 煙草の香りに誘われて、忘れていた記憶の扉が少しずつ開く。
 あの時…自分が殺されそうになったときに助けてくれた人によく似ている。
 でも、その時に会った者がナイトホーク本人だとすると、あの時から全く年を取っていないことになる。それはやはりおかしいのでよく似た別人だとは思うのだが、雰囲気や気配が似ているので、どうしても姿を重ねてしまう。
 静がじっと顔を見ているのに気付いたのか、ナイトホークは灰皿を持って静の前に移動してきた。
「何?アサリが砂でも噛んでたか?」
「あっいえ、何と無く小さい頃に出会った人と似てるなって…」
 静はあの時のことを覚えている。
 だが、さほど動揺もせずにナイトホークはコーヒー豆の入った缶を開け、それをコーヒーミルに入れた。その仕草を見ながら、静はフォークを置き水を飲む。
「俺に似てる奴?そりゃ一度会ってみたいな」
「でも僕が小学校に行く前だったので、ナイトホークさんよりもずっと年上ですよ」
「じゃあ、いいオッサンだ」
 ナイトホークがそう言うと、静はふっと微笑んだ。
 確かにナイトホークの言う通りだ。小学校に行く前に今のナイトホークの歳ぐらいだったら、今ならそれなりの年齢だろう。そう思いながらも、静は話し続ける。
「名前も知らないし顔も殆ど覚えてないんですけど…でも、黒い人だった事は良く覚えてるんです…会ったのは夜だったのに、不思議と怖くなくて…」
 静が覚えてるのはそれぐらいだった。
 自分を後ろに庇い助けてくれたこと。その服からほのかに煙草の香りがしたこと。
 養母になるはずだった女性に殺されそうになった時の出来事は、あやふやにしか覚えてないし、その後その女性がどうなったかの記憶は抜け落ちている。無論今まで思い出したこともなかった。
 なのに、偶然この店に入りナイトホークの顔を見た瞬間、記憶の扉が開いたのだ。
 忌まわしい記憶のはずなのに、一番最初に思い出したのは恐ろしさではなく、あの時の背中の頼もしさで…。
「………」
 ナイトホークはコーヒー豆を挽きながら、黙ってその話を聞いていた。
 もっと怯えながら話すのかと思っていたが、静が自分について話す表情は穏やかだった。
 あの後のことはよく覚えている。正気を失ったままものすごい力で刃物を振り回す女の手からそれを叩き落とし、当て身で無理矢理気絶させてから静を抱き上げ逃げたのだ。リミットが外れている時の人間は、見た目からは考えられないほどの力が出る。あの女もそうだった。
 そのまま刃物を拾い上げて殺すことも出来ただろう。だが、自分も臑に傷を持つ身で大きな事件には巻き込まれたくなかったし、人を殺す所を子供には見せたくなかった。忌まわしい記憶を、忌まわしい記憶で上書きする必要はない。
 そしてナイトホークは静に自分が着ていた上着を着せ、電話ボックスから警察に電話をかけた。『ここにお巡りさんが来るまでじっと待ってろよ。お兄さんは警察に行ってくるから』と言い残し、そのまま静をそこに置いていったのだ。
 本当はその場にずっといてやれれば良かったのだが、警察に身元を知られたくはなかった。警察が来るまで遠くから静を見守り、無事に保護されたのを確認してその場を立ち去った。それがその後どんな事件として処理されたのかは、興味がなかった。ただ静が助かったことと、電話ボックスの中で安心したように微笑んだ顔を見ただけで充分だ。
「そういう偶然もあるだろうな」
 ナイトホークは煙草を消し、少し笑いながら惹いたばかりのコーヒーをネルに入れ、沸かしたてのお湯をそっと回し入れた。少し豆を蒸らすと、コーヒーの香りが店の中に漂い、煙草の香りと合わさる。
「そうですね…でも、いい偶然だと思います。ずっと忘れていたのに、今日ナイトホークさんに会ったことで僕はその人のことを思い出せました」
 そう呟き、静は皿に残っているパスタをまた食べ始めた。せっかく美味しい物を作ってもらったのに、冷めてしまったら勿体ない。
「………」
 「ずっと年上ですよ」とは言ったが、何となく静はあの時の人物がナイトホーク本人なのではないかと思い始めていた。確信があるわけではない。もしかしたら本当に別人なのかも知れない。だけどあの夜に見た背中と、カウンターの中で見せた背中は同じように見えるし、自分を助けてくれたときに『待ってろよ』と言った笑顔と、自分の話を聞いている笑顔も同じように思える。
 でも、自分が人に言えない事があるように、ナイトホークにも人に言えないことがあるのだろう。だったら気付かないふりをしていればいい。
 そのうちまた話をすることがあるかも知れないから…。
「食後は飲み物かデザートが選べるけど、どっちがいい?」
「飲み物を…今入れてるコーヒーが美味しそうなので、出来ればコーヒーをお願いします」
「かしこまりました」

 食後に出てきたのはさっきナイトホークが入れていたコーヒーだった。それは二つのカップに入れられ、ナイトホークと静の前に置かれる。
「これから忙しくなるから、今のうちに休憩」
 そう言いながらナイトホークが笑い、それを見た静も思わずつられて笑う。
 ナイトホークはコーヒーを一口飲み、少しだけ溜息をついてから静の方を見た。
「あのさ、他人のそら似って事で一つ聞いていいか?」
「なんですか?」
「もし今、そいつに出会えたらどうする?」
 二人の間に沈黙が流れる。
 ナイトホークは暗に「それは自分かもしれない」と言っているようなものだし、静も心の中ではナイトホークではないかと思っている。だが、静は持っていたカップを置いてから顔を上げこう言った。
「え?その人にもしも会えたらですか?あの時、僕を助けてくれてありがとうございますって言いたいですね…」
 そう言いながら微笑む静に、ナイトホークもふっと笑う。
「そっか。多分俺によく似たオッサンも、それ聞いたら喜ぶだろ」
「…だったらいいですね」
 それでいい。二人ともそう思っていた。
 偶然の出会いで助けられ、また偶然の出会いでそれを思い出す。だったら今日の出来事も「偶然」似た人に出会い、「偶然」そんな身の上話をする…そういう事にしておこう。
 そして、偶然はやがて必然になる…。
 二人はコーヒーを飲みながら、そんなひとときを楽しんでいた。
 
 それは偶然の出来事だったのかも知れない。
 『東京』にいるとそんな事がたまにある。
 その偶然の一瞬で人が出会ったり、別れることを止められなかったり…。
 だからこそ、この街で暮らしていくのは切なくて、時に楽しい。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
5566/菊坂 静/男性/15歳/高校生、「気狂い屋」

◆ライター通信◆
初めまして、水月小織です。
今回は『Night Bird -蒼月亭奇譚-』へのご参加ありがとうございました。
「偶然」がテーマと言うことでしたので、プレイングに書いてあるとおり「過去に偶然出会ったことがある二人」という話にしました。設定に「養母になる筈だった女性に殺されかける」とありましたので、そこをナイトホークが助けたという感じになっています。
今はお互いとぼけてますが、偶然の出会いがやがて必然になっていけばいいなと思いました。
リテイクなどがあれば遠慮なくお願いいたします。
では、また機会がありましたら蒼月亭に来てくださいませ。