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■低迷と混迷■
有馬秋人
【0707】【ユリコ・カトウ】【オールサイバー】
照明を抑えた店内で、黒髪の人間がグラスを傾けている。カラリとなるのは中の氷だろう。
物憂げな顔で一枚の写真を眺めている。映っているのは幼い顔立ちの少年と、苦笑顔の青年だ。
けして、持ち主が映っているわけではない写真に視線を落とし、滲むのは寂しげな笑みばかり。
「―――、彼は元気だ。早く来てあげるといい」
私では代わりにならないぞ、と少しだけ茶化した口調で付け足すと、一気にグラスを呷った。

低迷と混迷


ライター:有馬秋人







照明を抑えた店内で、黒髪の人間がグラスを傾けている。カラリとなるのは中の氷だろう。
物憂げな顔で一枚の写真を眺めている。映っているのは幼い顔立ちの少年と、苦笑顔の青年だ。
けして、持ち主が映っているわけではない写真に視線を落とし、滲むのは寂しげな笑みばかり。

「―――、彼は元気だ。早く来てあげるといい」

私では代わりにならないぞ、と少しだけ茶化した口調で付け足すと、一気にグラスを呷った。






   * * *






過去を憂えることは無意味だろうか。セフィロトの塔に来てからは時おり思うことだった。この場所は華やぎと騒乱に満ちている。その裏側に明確に存在している暗闇を隠すように、人々は前向きに生き、戦い、日々を過ごしている。それが悪いというわけではない。けれど、たまにはそう、過去に思いを馳せて浸りたい気分のときもある。そしてそんな気分でいたくない時だってあるのだ。
身につけている銃を気付かれないほど密やかな動きで撫ぜて、衣服の上から見えないことを確認する。
照明を落としたバーは下降していく気分を止められるような空気を生み出しはしなかった。明るくなりたいなら他にいけといわんばかりの光量に、ユリコは口元を歪ませる。

「でも、ね」

飲みたい気分だってことだ。静かに浸るのと、仲間と騒ぐのとのギリギリの合間を縫うような曖昧な状態だった。飲みたいけれど、沈みたくはない。かといってバカ騒ぎしたいわけでもなくて。尋ねればもろ手を挙げて歓迎してくれると分かっていても、彼らの傍に行こうとは思わなかった。
人の多いカウンターに張り付いて、気配だけ拾うようにしていたユリコに声をかけてくる者もいたが気の乗らない様子に気付くとすぐに離れていく。まるで幕を一枚張り巡らせたかのように周りとは無縁の顔つきで。知り合いが見たら位相が違うのかとでも言いたくなるだろう。
フィードバックだ。過去の時間が肌に纏わり付くような気がしてならない。たかが夢をみたぐらいでこうもぐらつくのかと苦笑ばかりが零れていた。

「どうしようかな」

空になったグラスを置いて、もう一杯頼もうかそれとも諦めて塒に帰るか逡巡していたユリコがそのテーブルに気付いたのは単に偶然だ。それ以上でもそれ以下でもない。本人の纏う色彩と選ぶ服の色合いが作用して見事に暗く沈んでいるのは見知った顔の人間だった。相手が誰なのかをきっちり認識したあとの思考速度は少し前までは比べ物にならないほど速かった。アルコールをもう一杯注文して、手元に届くや否や立ち上がる。

「夏野?」

傾いでいた顔を覗くようにそっと声をかければ、特徴のない顔の人間が面を上げた。テーブルに放り出されているのは写真だ。その上に愚痴るような体勢でグラスを傾けていたらしい。らしいのからしくないのか判断できるほど接点はないものの、楽しい気分でいことは確からしい。そう判断を下すと無遠慮に向かい側に座った。咎める声はない。

「ああ、久しぶり」
「そうね、元気だった? 元気といっても少し無理な顔色しているけど」

カツンとグラスを触れ合わせると、目が覚めたというような顔になる。

「元気がないように見えた、か」
「まぁ」

それなりに、そう言葉を濁したユリコに夏野は困った顔でグラスを傾けた。透明な色合いだが度数が低いということないだろう。強い酒精特有の香りがしている。自覚がなかったのか自覚があっても見抜かれるのが嫌だったのか、判断に迷ったユリコに視線を戻すと薄く笑った。

「たまに、ここにいるのが怖くなる」

それだけなんだ、そう囁く姿は静か過ぎて、聞いたユリコは物悲しい気持ちになった。

「どうして」
「ここが束縛のない場所だからだよ」

けして自由という意味ではなく、けれど自分の意志次第で幾らでも状況を打開できる場所だと言う。それは賛同できれ意見だったがどうして怖いという感情に繋がるかが分からないとユリコは顔を顰めた。

「それが怖いってのは……納得できないわ」
「…そうかもしれないな」

諦めた口調の夏野にむっとしてユリコは前傾姿勢になる。先まで鬱々としていたのが嘘のように。

「打開できないより打開できた方がいいでしょう、夏野の言い方だと不自由の方がいいみたいよ」

それとも束縛されるのが趣味なのそれは大層な趣味ね確かに私には納得できない。
普段の冷静さをかなぐり捨てたような些か荒い口調に、夏野はじっとユリコを見つめた。その視線に我に帰ると取り繕うようにグラスに唇をつけた。
むきになっていたのだと自分を判断して冷静さを呼び戻そうとする。過去夢のせいなのだ。感情が不安定になってしまって中々折り合いが付かない。
自分の中で自分と戦い始めたユリコを夏野は見守るようにしていたが、不意に口元を綻ばせた。それは僅かな変化ではあるけれど。確かな違いだ。

「花鶏が…私をいらないと言ったら困るんだ」
「は?」

唐突な科白にユリコの思考が止まった。自分に対する攻撃反撃を脳裏で繰り広げていたのが綺麗に停止している。もう一度と言うより先に、夏野は繰り返す。

「ここは自由だ。彼がその意味に気付いたら私なぞお払い箱だ……所詮代理だしな」

カラカラと氷を揺らす様子は先ほどよりもよほど明るいが、自棄のように見えないこともない。けれどそれよりそんなことよりも、ユリコは反射で首を振っていた。

「それは無理」
「無理?」
「それは無いわ、あの子が夏野をいらないって言うのは、かなり、無理のある想像なんじゃないかしら」

何を考えてそういう結論に至ったのかよく分からない、と完全否定してのせたユリコに夏野は驚愕する。それこそ分からないという顔をしている相手に嘆息して、ユリコは冷やっこいグラスを頬にあてた。

「私は、あの子と夏野の関係は分からない。けれどわかることもある」

一呼吸おいて真っ直ぐに見あげる。手元のグラスをテーブルに置いて、薄い水の輪が机上に付くのを指先で知って、それでも相手から目を離さない。

「花鶏が夏野を切り捨てるなんてことはない」

いらないから捨てるなんてことはない。そう言い切ったユリコに夏野は目を眇めて、痛みを堪えるような顔をして。漸うと笑みを浮かべた。
切り捨てられる痛みを知っているかのような顔だった。ユリコ自身が一つの過ちが故に切り捨てられそうになったことを知っているかのような。同情ではない、ただ、似た痛みを知るものを向けられる視線は一瞬で失せ、ただ穏やかな色が目の中に残る。

「そうか」
「そう」
「だったら、ここで呑んだくれているわけには行かないか」

何を思い浮かべているのか、別人のように温かい空気を作り出した夏野だ。ユリコはよく分からないままにグラスを空にする。

「花鶏の夕飯まだならお相伴に預かってもいいわ?」

茶目っ気のある口調で、そう言ってのけたユリコに夏野は浅く顎を引いた。

「歓迎する」

もっとも、急ぐから手早く作れるものしか出せないが。
そう一言添えるが相手の力量を知っているユリコは気にせず立ち上がった。






2006/07/..




■参加人物一覧

0707 / ユリコ・カトウ / 女性 / オールサイバー


■登場NPC一覧

0204 / 花鶏
0207 / 佐々木夏野


■ライター雑記


お久しぶりです。ご注文有難う御座いました。
今回は多少舞台にあわせた形で話を変えて書かせていただきました。あー…すみません。
クールなユリコ嬢のイメージを崩さないよう試行錯誤な感じで、上手く伝わっているとよいのですけれど。

この話が少しでも楽しんでいただければ嬉しく思います。