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■とまるべき宿をば月にあくがれて■

エム・リー
【2320】【鈴森・鎮】【鎌鼬参番手】
 薄闇と夜の静寂。道すがら擦れ違うのは身形の定まらぬ夜行の姿。
 気付けば其処は見知った現世東京の地ではない、まるで見知らぬ大路の上でした。
 薄闇をぼうやりと照らす灯を元に、貴方はこの見知らぬ大路を進みます。
 擦れ違う妖共は、其の何れもが気の善い者達ばかり。
 彼等が陽気に口ずさむ都都逸が、この見知らぬ大路に迷いこんだ貴方の心をさわりと撫でて宥めます。
 路の脇に見える家屋を横目に歩み進めば、大路はやがて大きな辻へと繋がります。
 大路は、其の辻を中央に挟み、合わせて四つ。一つは今しがた貴方が佇んでいた大路であり、振り向けば、路の果てに架かる橋の姿が目に映るでしょう。残る三つの大路の其々も、果てまで進めば橋が姿を現すのです。
 
 さて、貴方が先程横目に見遣ってきた家屋。その一棟の内、殊更鄙びたものが在ったのをご記憶でしょうか。どうにかすれば呆気なく吹き飛んでしまいそうな、半壊した家屋です。その棟は、実はこの四つ辻に在る唯一の茶屋なのです。
 その前に立ち、聞き耳を寄せれば、確かに洩れ聞こえてくるでしょう。茶屋に寄った妖怪共の噺し声やら笑い声が。
 この茶屋の主は、名を侘助と名乗るでしょう。
 一見何ともさえないこの男は、実は人間と妖怪の合いの子であり、この四つ辻全体を守る者でもあるのです。そして何より、現世との自由な往来を可能とする存在です。

 彼が何者であるのか。何故彼はこの四つ辻に居るのか。
 そういった疑念をも、彼はのらりくらりと笑って交わすでしょう。
 
 侘助が何者であり、果たして何を思うのか。其れは、何れ彼自身の口から語られるかもしれません。

とまるべき宿をば月にあくがれて  伍


 背負ったリュックの中には、お弁当(卵焼きとウィンナーは欠かさなかった)、おやつ(自分ルールで金額の上限を設定した)。それに鎮特製のあれやこれやといった薬と絆創膏などをしまった救急箱。そういった物を詰めてきた。
「まるで遠足にでも行くような荷物ですね」
 そう言って笑った侘助には、にやりと頬を緩めてみせる。

 前々からじわりじわりと積み上げてきた『帝都びっくり大作戦』は、今夜ようやくその幕開けを迎える事となったのだ!
 昨日の夜から、鎮はそわそわと落ち着かずにいた。落ち着けようはずもない。何しろ、
「今の若いのなんかは俺らみたいなのの事とか知らないで、それで調子こいてイキがってやがんだ。だから、イキがってる若いののドギモ抜いたろーぜ!」
 声も高らかに、鎮は拳を大きく振り上げて四つ辻の空へと突き上げた。
 
 多くの怪たる存在は、口々に言葉を揃えて言う。
 曰く、最近の世の中では、自分達の如き存在は息吹いてゆくのも一苦労だと。
 怪異は怖れられて然るべき。怖れられ、戦きの声を聞き、そうして怪異は巨大になり、力をつけ、同胞を生み出していけるようになるのだ。
 闇は闇にあってこそのもの。
 だが、最近の――特に、ある面では怪異が持つ恐怖すらをも凌駕してしまいかねない程の『闇』を抱えた若者達には、古来怖れられていた妖怪だの魍魎だのといった存在は、既に過去に消え失せた空想の産物でしか在り得ないようだ。
 今時、空想の産物に過ぎない魍魎だの霊魂だのといった存在よりも、むしろ、イキがり、すぐに刃物等を振り回したりする――そんな人間の方が余程怖れられているというものだ。

「しかあし! だからこそ、今、俺らが起つべき時なんじゃないのか!」
 四つ辻の薄闇の中に、鎮の声が朗々と響き渡る。その声に入り混じり、鎮の肩に乗るイズナのくーちゃんまでもが腕を振り上げているのだ。
「いいぞ、鎌鼬の!」「やったろうじゃないか!」
 やいのやいのと続く決起は、四つ辻の大路を埋める多くの妖怪達によるもの。
 一行が向かう先にあるものは、四つ辻から現世へと繋がる大きな橋。その橋のたもとには四つ辻の主である侘助が微笑みながら立っていた。
「なかなかに勇壮ですねえ」
 両腕を和服の袖口に突っ込んで、侘助は感心したように口を開いて頷いた。
「気合充分だからなっ」
 大きくガッツポーズなど作って侘助の言葉に応じる。
 侘助は頬を緩めて微笑み、それから片手をゆるりと持ち上げて宙に中に円を描いた。その所作に合わせ、薄闇がはらりと揺らめいた。同時、風がごうと音をたてて吹き、鎮達が居る方角へ向けて流れていく。
 次の時、現世へと渡る橋の両端に、ぽうぽう、ぽつりぽつりとと小さな篝火が点いていくのを、鎮は見た。篝火の仄かな灯に照らされ、侘助の顔がぼうやりと赤味を帯びている。
「これで、この橋は、ひととき、鎮クンの意思の通りに現し世と此方とを結ぶものとなりました。――さ、くれぐれも気をつけて」
 そう告げ終えると、侘助は両手をゆらりと持ち上げて橋の片側へと寄り、恭しい所作で深々と腰を折り曲げた。
 鎮の表情は、次第に大きく笑みを浮かべていく。
「よっしゃ! そしたら出発する前に、もう一回列の確認するぞー!」
 拳を振り上げて後ろを確かめる。

 列を成している魑魅魍魎共の数、ざっと二十弱。否、正しく言うならばざっと三十は下らないのだろうが、いわゆる付喪神――琵琶などといった弦楽器が百年を跨ぎ生命を宿した怪異たる存在が十数人ばかり混じっているのだ。そういった楽器共は鳴らせばベィンベォンと怪奇たる音色を響かせる。人心を惑わし、或いは畏怖させる音を放つのだ。
 列には実に様々な魑魅共が並んでいる。
 大きな編み傘を被った童子の姿をもった豆腐小僧。人の背中におぶさろうと狙いすましているうばりよん。美しい顔立ちながら、下半身は蛇という情念の女、清姫。
 可愛らしい、或いは美しい見目をもった魑魅の傍らには、がしゃ髑髏や朧車、泥田坊といった、こわもての魑魅共があてがわれている。これは、
「可愛いのだと、うっかり攫われたりとか、イヤな思いとかするかもしんないしさ」
 という、鎮のアドバイスによるものだった。
 
 篝火がぼうと風に揺らぎ、向こう側を照らし出す。
 鎮は頬を僅かに上気させると、足取りも軽やかに、隊の先頭をきって歩き出した。



 ――同日、夜。
 駅前の時計が二十二時を間近に刻んでいる頃、東京・池袋の西口近辺には、未だ学生と思しき少年少女の姿が多く見受けられていた。
 車の往来も未だ多く、煌々と照った街灯や店舗、駅近辺の賑わいをみせる明かりは、夜であってもなお、夜の静寂とはかけ離れた喧騒を照らし出している。
 しかし、その大通りから十数分も歩けば、やがて、夜の色は徐々にその色を濃いものへと変えていく。それは大通りを外れ、曲がり角などへ折れればなおの事。
 うっそりと広がる闇で覆われた夜の街。
 風が吹く。
 チカチカと点滅を始めた街灯の下を、少しばかり酔いの回った学生が一人、携帯電話などを弄りながら歩いて行く。
 風が幾分かその勢いを強め、青年の、茶に染めた髪を撫でて過ぎていった。
 と、風に紛れ、何所からか幽かに弦の音がさわりと流れ、耳を撫でた。
 青年はつと指と足の動きを止めて、風と音とが流れてくる方角――前方へと視線を向けて目を細ませる。
 そして。

 闇が、青年の目の前で、ぐうにゃりと大きく歪んだのだ。これはものの喩えというものではなく、文字通り、確かに、ぐうにゃりと歪み、よじれたのだ。
 まるで柔らかなスポンジか何かを両手でぐにゃりと歪ませたように捩れていく闇を、青年は、自らが発した恐怖と共に、食い入るように見つめている。

 真白な手が、闇の向こう側からすらりと生えるように伸びている。次いで現れたのは、その手の持ち主と思しき、和服を纏った美しい女の顔だった。
 女の顔が艶然とした笑みを浮かべ、青年を見る。――が、ずるりと滑り現れた女の下半身は、人のそれとは明らかに異なる、蛇のそれを呈していた。
 ちりちりと動く先の割れた舌が、噴き上げる血流を彷彿とさせるような真紅色をしている。
「安珍様は何処ぞえェ」
 女の口がどろりと言葉を吐き出した。
 同時、青年は叫喚を口に、這いずるようにして道を舞い戻っていった。
 それを追うようにして、次から次へと魍魎共が闇の中から吐き出されていく。
 べぃん、べぉんと響く琵琶の音。風を切るような笛の音。そしてそれに合わせて唄われる、いつのものとも知れない長唄。
 闇が大きく震えた。
 青年の横を往くのは大きな骸骨――がしゃ髑髏だ。その向こうには皿に乗せた豆腐を持ち歩いている、見目の愛らしい魍魎――豆腐小僧もいるのだが、未知なる夜行を目の当たりにした青年には、その愛らしさもまた恐怖の対象でしかないのだ。
 
 突如として現れた百鬼夜行が奏でる音色と、青年が発した叫喚の声とは、夜の静寂を布のように切り裂き、そこかしこにいる未成年達の足を寄せ集めるに足るものとなった。
 程なくして、静かであったはずの小路の上には恐怖を振り撒く夜行と、その主を確かめようと足を寄せる若者達と、その主を確かめて腰を抜かす若者達とで溢れていった。

 がしゃ髑髏は初めに会った青年を脅し、清姫は女をナンパしていたらしい男を脅し、朧車はその顔をもってゲッゲと嗤って辺り一面を脅かす。
 反面、豆腐小僧やうばりよんといった、一見すれば可愛らしい見目をもつ者共は、やけに愛想よく振る舞っては丁寧なお辞儀をしていたりもする。
 この、現代においては空想の産物でしか在り得ないものであったはずの百鬼夜行は、周りに集まった十名超の若者達の目に、そら恐ろしい印象を与えながらも悠然とした速度で過ぎていく。
 その間をちょろちょろと飛び回る鎌鼬とイズナの姿が、踊るように跳ね上がっていた。

 ピィィィィィ

 笛の、一際高い音が鳴り響く。音は闇をつんざいて宙に溶け、そしてはたりと消えていった。
 それを合図にしたかのように、闇が、再びぐにゃりと大きく歪んだ。
 夜行が姿を現した位置から、実に百メートル程離れた辺りであっただろうか。
 現れた時と同じく、夜行はその闇の向こうへと姿を消していったのだった。
 琵琶と笛の音が徐々に小さくなっていく。
 最後に、提灯の姿をした怪異が、べろりと大きな舌を出してゲタゲタと嗤い、消えていった。


 ところ変わり、再び四つ辻。
 現世へと通じる橋のたもとに、久し振りの夜行を終えた魑魅共がごろりと転がっていた。
「見たかよ、あの若造の驚いた顔!」
「ワシの脅かしてやった小童のあの顔を、お主等にも見せてやりたかったわ!」
「いやいやいや、アタシが脅してやったあの小僧の、あの声ときたら!」
 ヒヤヒヤヒヤと笑いながら、魑魅共は互い互いに己の見てきたものを自慢し合っている。
 
 橋の両端に点いていた篝火がぽつりぽつりと消えていく。

「愉しんでこれましたか」
 橋のたもとで一行の戻りを待っていた侘助が、穏やかな声でそう述べた。
 ぴょんと跳ね上がったのは、鎌鼬の姿の鎮だった。
「すっげ面白かった! 侘助も来りゃ良かったのによ!」
「ハ、ハハ。いや、俺はこれでも一応現世に出入りしてる身ですしねェ」
 鎮の言葉に、侘助はぱりぽりと頭を掻いてゆるゆると笑う。
「そっか。ま、気が向いたらまた行こうな!」
「そうですね」
 頷く侘助に、鎮はくーちゃんと並び、大きなガッツポーズをとった。
「みんなもさ、またやろうぜ、場所変えてさー!」
 告げる鎮の言葉に、魑魅共が一斉に歓喜したのは言うまでもない。


 翌朝の新聞やニュースでは池袋の街中であった怪異に関する記事が寄せられ、現世はしばらくその話題でもちきりとなった。
 それに連動されたのか、オカルトブームが再来するところとなったのだが――
 これはまた別のお話。 




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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【2320 / 鈴森・鎮 / 男性 / 497歳 / 鎌鼬参番手】



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         ライター通信          
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いつもお世話さまです。
今回のこのノベルで、ついに第五話を迎えるところとなりました。
ご発注、ありがとうございます。

今回はついにあの作戦が実行されるということで、ノベル中、一部分のみ、カメラの置き場所を変えてみたりしました。
転換ですとかが分かりにくかったら申し訳ありません;

夜行というものは、元来、おどろおどろしいものとして伝わっているのでしょうが、それは人間側から見たイメージであろうと、わたしは勝手に妄想しています。
徒党を組み列を成す側とすれば、さんざっぱらに人間達を脅かしていくというのは、もしかしたら退屈しのぎの遊びであったのではなかろうかと。
なので、あまり怪談めいた感じではなく、どこかユーモラスな感じで見ていただければと願いつつ、書かせていただきました。
お気に召していただけましたら幸いです。

それでは、またご縁をいただけますようにと祈りつつ。