■月残るねざめの空の■
エム・リー |
【4958】【浅海・紅珠】【小学生/海の魔女見習】 |
薄闇と夜の静寂。道すがら擦れ違うのは身形の定まらぬ夜行の姿。
気付けば其処は見知った現世東京の地ではない、まるで見知らぬ大路の上でした。
薄闇をぼうやりと照らす灯を元に、貴方はこの見知らぬ大路を進みます。
擦れ違う妖共は、其の何れもが気の善い者達ばかり。
彼等が陽気に口ずさむ都都逸が、この見知らぬ大路に迷いこんだ貴方の心をさわりと撫でて宥めます。
路の脇に見える家屋を横目に歩み進めば、大路はやがて大きな辻へと繋がります。
その辻を挟み、大路は合わせて四つ。四つ方向へと伸びるその路上には、花魁姿の女が一人、佇んでいます。
艶やかな衣装を身に纏い、結い上げた黒髪には小さな鈴のついた簪をさしています。
表情にあるのは艶然たる微笑。悪戯を思いついた童のように貴方を見上げる眼差しは、常に真っ直ぐであり、そして飄々としたその言は、貴方の問いかけをひょいと交わしてしまうでしょう。
女の名前は立藤。
大路の何れかの何処かに存在していると云われる廓に在する花魁である彼女は、客人が迷いこんできた際には何故か何時も大路に立ち、戯れのように、小さな依頼を口にするのです。貴方はその依頼を、結局は引き受けてしまう事になります。
そうして貴方は、この四つ辻の大路の薄闇を、散策することとなるのです。
彼女は一体何者なのか。
客人を呼び招いているのは、彼女であるのか否か。
その答は、何れは貴方の知る処となるのか、否か。
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月残るねざめの空の 参
八月後半まで続く夏休みが始まった。
今年の梅雨明けは例年よりも遅れ気味であるというが、それもどうやら終わりを告げるようだ。――抜けるような青空が、東京という街の上に広がっている。
紅珠は公園からの帰途にいた。朝の早い時間から始まるラジオ体操に参加して、そのまま友人達と遊びふけり、一時の休憩を兼ねて昼食をとりに帰るのだ。
空には燦々と陽を発している太陽がある。気温は見る間にあがり、日なたでは立っているだけでも汗が噴き出してくるような天候だ。
「お昼はなんにしようかなあ」
独りごちながら、自宅へと続く道の角にさしかかる。
そして、棚の中に素麺が数袋しまいこまれていたのを思い出す。
「お素麺にしようっと」
大きくうなずいて目を輝かせる。
「揚げナスとかいれてみるのもイイかもっ」
思い立てば、友達との楽しい時間の内に忘れていた空腹がゆっくりと目を覚まし始める。
紅珠は歩んでいた足を駆け足に変えて、視界に映りこみだした自宅の屋根を真っ直ぐに見据えた。
が、
道の角を折れたところで、見据えていたはずの屋根は忽然と姿を消したのだった。
否。正しくは、屋根だけに限らず、紅珠を取り巻く辺り一面が、たった今までのそれに比べ、まるで違った風景へと変わっていたのだ。
広がってあるのは夜の薄闇。
紅珠の髪をくすぐり、頬を撫ぜていく風は、僅かに湿った夜のもの。
どこからともなく聴こえてくるのは、遠く近くさわさわと響く都都逸やら長唄やらといった歌声。
「あ」
知らず声をあげて数歩ばかり歩みだす。
「四つ辻だ」
汗で頬に張り付いていた髪を指で払い、紅珠は大きく周りを見渡した。
そう、紅珠は四つ辻へと招かれたのだ。
なんの前触れもなしに四つ辻の中へと迷い込むのも、今回で三度目のこととなる。さすがに、もう驚いたりといったことはしないが、代わり、紅珠には会って話しておきたい相手がいた。
三度目の訪問となる四つ辻の大路を、慣れた調子で小走り気味に歩み進む。
さわさわと流れる夜風に紛れ、そこかしこから人ならざる魑魅共の気配が漂っているのを感じる。そういった声なき声を横目に見遣りつつ、紅珠はやがて大路の上に一人の女の姿を見つけた。
「立藤さーん!」
大きく手を振りながら声をかけると、名を呼ばれたその女はゆっくりとした所作で紅珠の方を振り向いた。
「お久し振りでありんすねぇ」
にこりと微笑みながら返された言葉に、紅珠は頬を紅潮させながら頷いた。
「うん、やっと来れたよー。自分の意思で来れればいいのにねぇーって思うんだけどさあ」
立藤の前で足を止め、久し振りの対面に、声を弾ませて立藤の顔を見上げる。
眼前にいる花魁は四つ辻に住む――おそらくは妖の内のひとりなのだろう。が、怖ろしさなどといったものを少しも纏わず、どこか安穏とした、穏やかな空気を漂わせている女なのだ。
紅珠は少しの間そうして立藤を見つめていたが、やがて思い出したように瞬きをして、
「あのさ、俺、立藤さんに報告したいことがあってさ」
少しばかり照れたように頭を掻く。
「わっちに報告でありんすか?」
ゆるりと首を傾げて紅珠の顔を覗きこむ立藤に、紅珠は思いきったように顔を上げた。
「前にここに来た時、俺、立藤さんに相談したじゃん。覚えてる?」
訊ねる。が、立藤は紅珠の問いかけに頷くでもなく、ただ目を細ませてゆったりと歩き始めたのだった。
「覚えてないかなー。俺、好きなひとの事で立藤さんに相談したんだけどさ。立藤さん、ねこやなぎとか見せに連れてってくれたりしてさ」
応えがないのを気に留める事もせずに、紅珠は立藤の横に並んで歩みを進める。
路の脇では柳や合歓の木が吹く風にそよぎ揺れている。
「憶えていんすよ」
木立ちに目を奪われていた紅珠の傍らで、立藤が不意にそう告げた。
「え?」
驚き、立藤に目を向ける。
立藤は艶然とした微笑みを浮かべながら、横目に紅珠を見つめている。
「解決したんでありんすか?」
「うん! えへへ、なんとかなったよ」
満面の笑みを浮かべて頷き、立藤を見上げた。
立藤は紅珠の視線をうけてゆったりと笑い、「それはようござんす」と小さく頷いた。
四つ辻の大路は、どこか、夏の宵を思わせるような匂いで充ちていた。耳をすませば蛙や虫の鳴く声といったものが聴こえてきそうな、そんな風情をもっているのだ。
道すがら、時折遠くにちらちらと揺れる行灯の火が見える。が、それはふたりの側へと寄ってくる事のないままに、途中、どこかしらへと消えていくのだ。
「そういえばさ、立藤さん」
「?」
「四つ辻って、俺たちが住んでるとこ――ええと、現世っていうの?」
「わっちどもは現し世だのと呼びんす」
「現し世っていうのか。あっちとこっちって、季節とかそういうのって共通してあるのかな?」
紅珠の問いかけに、立藤はわずかに首を傾げて頷いた。
「この四つ辻の大将――侘助という殿方がありんすが、その殿方の、そうでありんすねえ、気が向くんでありんしょう。ともかく、四つ辻にも四季はありんすえ」
「ふぅん。でもあまり暑くないね」
「ふふ、そうでありんすねえ」
手にしていた扇で口許を隠し、立藤は静かに笑みを零す。
「花火のひとつもあれば良いのかもしれんせんが」
「花火かあ」
頷き、月も星も無い、暗いばかりの空を仰ぐ。
東京と違い、四つ辻にはビルだのといった無粋がない。
「花火とかやったらいいのに。みんなでスイカとか食べてさ」
「楽しいものでありんしょう」
「うん」
言葉を交わし、互いの顔を見遣る。
立藤が微笑んでいるので、紅珠もつられて笑った。
「まあ、花火の事は大将にかけおうてみんすよ」
「ホントに!? うわ、楽しみー! あ、でも、その時にはちゃんとここに来れんのかな」
「きっと来れんす。――さ、花火とはいきんせんが、今日はこれを楽しんでいくといいでありんすえ」
立ち止まり、すいと持ち上げられた立藤の指が示す方に目を向ける。
そこには色とりどりの桔梗が誇らしげに咲いていた。
桔梗の群生は、いつか見た桜やねこやなぎといったものと同じく、ひどく唐突にその姿を見せたのだが、紅珠は不思議に訝しむよりも、驚きに目を輝かせた。
「きれい!」
駆け寄って、花のひとつに指を伸ばす。
花は風を受けて静かにそよぎ、紅珠の手に触れて頭をもたげるようにして揺れる。
「四つ辻ってさ、いろんな花が咲いてんだね。いいなー、俺ん家にも飾りたい」
花の香を楽しみつつ、独り言のように呟いた。
「ならば、数本ばかり持って行くといいでありんす」
「え、いいの?」
振り向き、立藤の顔を見遣る。
立藤は紅珠の顔を見つめて静かに頷き、
「わっちからの贈り物でありんす。花をひとつ、栞にでもして持ち歩けば、それでこれより先、ぬしの好きな時に四つ辻へと来れるようになりんすえ」
そう言って微笑んだ。
「ホントに!? うわ、じゃ、家に帰って押し花にするね。あとはテーブルに飾って……」
告げかけた時、不意に、紅珠の腹が空腹を思い出して訴えた。
「ふぅふ。さ、今日はもうそろそろ帰りなんし。ぬしの想う御方も、ぬしの帰りを待っていんすえ」
立藤が微笑み、紅珠は桔梗の花を数本持った手で腹を押さえ、頷いた。
「また来るね、立藤さん。花火、楽しみにしてる!」
返したのと同時、立藤の姿がふうと闇の中へと溶けていった。
その手が小さく振られているのを見て、紅珠もまた手を振り返す。
風が吹き、足元の花々を大きく揺らす。
紅珠は立藤の姿が失せたのを見届けて、再び小走り気味に、帰途へと向かい走り出した。
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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【4958 / 浅海・紅珠 / 女性 / 12歳 / 小学生/海の魔女見習】
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ライター通信
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いつもお世話様です。
四つ辻でのノベルも今回で3話目となりましたが、お楽しみいただけましたでしょうか。
今回のノベル中、紅珠様には「四つ辻への通行証」代わりのものをお渡しさせていただきました。
いえ、四つ辻へはパスなどなくても出入り出来るのですが、これは紅珠様の意思で、好きな時に好きなように出入りできるようになる、という感じでしょうか。
ともかくも、よろしければまたいつでも遊びにいらしてくださいませ。
また、花火に関してですが。
これは、まあ、夏の風物詩ですし、という事で。
それでは、またよろしければご縁をいただけますようにと祈りつつ。
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