コミュニティトップへ



■怪の牢■

エム・リー
【3626】【冷泉院・蓮生】【少年】
 気付けばそこは見知らぬ山村だった。
 人の手を離れて久しいと思しき田畑は、今や荒れ放題となっている。
 遠くに見える山並みの上には、妖しく光る半月が横たわっている。
 そぞろ歩けば、山間のものとは思えないような、生温い風が頬を撫ぜる。

 あなたは、この山村の中に迷い込んでしまったのだ。

 人の住む気配の感じられない廃墟を横目に、あなたはしばらく暗がりの中を歩いて行く。――と、視界が突然大きく開き、その向こうに佇む立派な屋敷が姿を見せた。
 門戸に掛けられた表札に彫られた苗字は、どうにも読み取れそうにない。

「――おや、お客人かね」

 不意に、何の前触れも無くかけられた声に振り向けば、あなたの目に、いつ現れたものかも知れぬ、白髪の老婆が飛び込んだ。
 ひん曲がった腰に、手入れなど考えも及んでいないであろうと思しき白髪。真白な装束が、漆黒ばかりの闇の中で、奇妙な程に際立っている。
「あんた、この屋敷がどんな場所かを知ってて立ち入ろうというのかい?」
 訊ねられ、あなたは静かにかぶりを振った。すると老婆はキシキシと嗤い、枯れ落ちそうな指で門戸の向こう――つまりは屋敷に向けて言葉を継げた。
「この中にはね、気の触れちまった妖が一人ばかり住んでんのさ。その昔、ここの当主につけられちまった楔のせいで、かわいそうに、正気を失っちまったのさ。キシシシ、だからねえ、この屋敷は呪われていやがんのさ。立ち入れば最後、呪いに喰われちまうか、気が触れちまうかしかないのさ」
 そう言って、老婆はキシキシと枯れ木が軋みをあげるような声で嗤い続ける。
 呪いを断ち切れば良いのでは?
 訊ねたあなたに、老婆はぬらぬらと光る眼差しを持ち上げ、あなたの顔を覗きこむように首を傾けた。
「ああ、ああ、それもまた可能さね。ただしね、この屋敷は呪いのせいであちこちひん曲がって迷路になっちまってる。それをすり抜けて、妖のいる座敷牢まで辿り着ければ、あるいはそれも可能かもしれないねえ」

 
怪の牢


 気付けばそこは見知らぬ山村だった。
 人の手を離れて久しいと思しき田畑は、今や荒れ放題となっている。
 遠くに見える山並みの上には、妖しく光る半月が横たわっている。
 そぞろ歩けば、山間のものとは思えないような、生温い風が頬を撫ぜる。

 冷泉院蓮生は、知らず、この山村の中に迷い込んでしまったのだ。

 人の住む気配の感じられない廃墟を横目に、蓮生はしばらく暗がりの中を歩いて行く。――と、視界が突然大きく開き、その向こうに佇む立派な屋敷が姿を見せた。
 門戸に掛けられた表札に彫られた苗字は、どうにも読み取れそうにない。

「――おや、お客人かね」

 不意に、何の前触れも無くかけられた声に振り向いた蓮生の目に、いつ現れたものかも知れぬ、白髪の老婆が飛び込んだ。
 ひん曲がった腰に、手入れなど考えも及んでいないであろうと思しき白髪。真白な装束が、漆黒ばかりの闇の中で、奇妙な程に際立っている。
「あんた、この屋敷がどんな場所かを知ってて立ち入ろうというのかい?」
 訊ねられ、蓮生は静かにかぶりを振った。すると老婆はキシキシと嗤い、枯れ落ちそうな指で門戸の向こう――つまりは屋敷に向けて言葉を継げた。
「この中にはね、気の触れちまった妖が一人ばかり住んでんのさ。その昔、ここの当主につけられちまった楔のせいで、かわいそうに、正気を失っちまったのさ。キシシシ、だからねえ、この屋敷は呪われていやがんのさ。立ち入れば最後、呪いに喰われちまうか、気が触れちまうかしかないのさ」
 そう言って、老婆はキシキシと枯れ木が軋みをあげるような声で嗤い続ける。
 蓮生はゆらりと眼差しを細め、老婆の顔を真っ直ぐに見据えて口を開けた。
「ならば、その呪いを断ち切ってやれば良い話だろう」
 訊ねた蓮生に、老婆はぬらぬらと光る眼差しを持ち上げ、皺がれた顔をぐいと寄せて蓮生を覗きこむように首を傾けた。
「ああ、ああ、それもまた可能さね。ただしね、この屋敷は呪いのせいであちこちひん曲がって迷路になっちまってる。それをすり抜けて、妖のいる座敷牢まで辿り着ければ、あるいはそれも可能かもしれないねえ」
 
 纏わりつくような、じっとりと湿った風が蓮生の耳元で囁き声にも似た笑みを残し、過ぎていった。

 老婆の姿は風が過ぎていくのと同時に闇に吸い込まれ、消えていった。まるで夜風が彼女を絡め攫っていったかのように。
 蓮生は老婆が残していった気配を感じながら踵を返し、改めて屋敷の側へと目を向ける。
 道すがら確かめてきた他の廃墟と同じく、目の前にある屋敷にも人気はまるで感じられない。そもそもこの平成という世にあって、蓮生が歩き進んで来た道には街灯といったものが一つでさえも見当たらなかった。
 門戸のこちら側から屋敷内を見遣り、明かりのないのを確かめる。
 大きな屋敷だ。相応の富を得てきた家であったのだろうか。
 人気のないのに反し、屋敷は手入れの届いた庭に囲まれていた。そっと目を伏せれば、その庭の中にあるのであろう池の気配が感じられる。
 その池の水の中に、ふつりふつりと浮かぶ清浄なる気配があるのに気付いて、蓮生は漆黒に包まれている門戸の中へと踏み入った。

 そこには文字通りの闇があった。進む先どころか、足元ですらも杳としない。目はどうにか闇に馴染んできたようではあるが、それにしても、月の光の一筋すらもない完全たる闇の中にあってはどうにもならない。
 蓮生はふと天空を仰ぎ眺める。
 星の一つですらもない、漆黒色の空がそこにある。
 蓮生は、しかし、構う事なく片手を持ち上げ、それを天にかざして、ゆっくりとその名を呼んだ。――それは彼にしか口にする事の許されていない名前だ。
 ちり、と、闇ばかりの天空に光が爆ぜる。光は眩い輝きを放ちながら闇の中に一筋の軌跡を描き、ゆっくりと、蓮生の手の内へと降ったのだ。
 見る者が見れば、それは何ら前触れもなく降って来た流星か何かだとでも思うだろうか。
 が、程なくして蓮生の手に咲いたそれは、仄かな白光を放つ、蓮華ほどの大きさをした花だった。
 蓮生が花に小さな口付けを落とすと、花は一層の光を宿し、漆黒ばかりだった闇をぼうやりと照らしはじめたのだった。
「……頼むぞ」
 小さな声で語りかけ、蓮生は再び歩みを進める。
 門戸を過ぎ、敷石の上を数分ばかり歩き進む。
 屋敷は全体が白壁で出来ており、屋根は瓦が敷かれ、そして手入れの届いた庭でぐるりと囲まれているようだ。
 庭の中には石灯籠なども置かれ、竹林がざわざわと低い呟きを零している。
 
 戸口を前にして、蓮生はしばし眉を寄せた。
 引き戸になっているそれは、まるで人気の感じられない屋敷であるにも関わらず、何者かが出入りでもしているかのような気配を漂わせているのだ。
 花で照らし出された闇の向こう、見れば、庭に面して続いている長廊下があるのが知れた。
 流れる夜風は、先ほど感じた池の気配を巻き込んで運びやってくる。
 蓮生が戸口に手を伸ばしかけると、まるでそれを留めようとでもしているかのように、風が蓮生の手を絡め取る。
 さわさわと流れる風に顔を向けて、蓮生はしばしの間、その黄金色に輝く絹糸のような髪を風に舞わせていたが――。
 やがて踝を返して歩みを変え、戸口ではなく、横手から続く庭の中へと向かっていった。

 庭には様々な草木が揺れていた。
 かつては、屋敷の者達が四季折々に咲く花々や果実を愛ででいたのかもしれない。そんな想像を抱きながら、蓮生は真っ直ぐに池の傍へと歩み寄る。
 一面の闇を写し取ったような、真黒な水が湛えられた水底に、時折、ぼうやりと光る魂魄のようなものが揺らめいている。
 池には数輪の睡蓮が咲いていた。
 風が吹き、恨み言のような、あるいは救いを請うような囁き声を運んでくる。
 顔を上げ、闇の中へと目を向ける。と、池の底にもあるような魂魄が、静かに飛び交っているのが見えた。
「――ここは」
 閉じていた口を開き、誰にともなしに問い掛ける。
「ここには一体いくつの魂魄が閉じ込められている?」
 応えたのは睡蓮だった。
 ――おそれながら、神子様
 ――こちらは数多の憎悪と苦しみ、哀しみ、様々な負気を持った魂魄達で満ちています
 ――お逢い出来ました事、至極光栄に存じます、が、私共に触れては、御身が穢れてしまいます。
 ――どうぞ、一刻も早く、こちらをお発ちくださいませ
 応えたのは睡蓮の精霊であり、あるいは池の精霊であり、庭に揺れる竹や桜、梅といった草木の精霊だった。彼女達は一様に痩せ細り、今にも消え入りそうな姿で、それでも蓮生を気遣い、静々と腰を折り曲げている。
 蓮生は彼女達の姿に目を見張り、「この場で何があったのか」と訊ねかけた。

 しばしの後、蓮生は庭を後にして長廊下の上を歩き進んでいた。
 足元に続く草花は、やはり、手入れの届いた処理がなされている。芝もきちんと刈られ、長廊下に平行して続いていたであろうはずの雨戸はことごとく開かれたままになっている。

 蓮生は精霊達に向けて誓約を述べてきた。
 精霊達が曰く、この屋敷は、かつて富と名声とを手にした男が住んでいたのだという。善い家族に恵まれ、屋敷を囲む村は全体がよく統べられ、とても良い場所であったのだという。
 が、ある時を境に、これは見事に一変した。
「何があったのだ?」
 そう訊ねた蓮生に、精霊達は顔を曇らせて応えた。
 この家に繁栄をもたらしていた妖が、男の手によって、この家の中より外界に出る事の出来ないようにされてしまったのだ、と。
 
 右手に続く障子を横目にしながら、蓮生は果てなく続く長廊下の上を黙々と進む。進むごとに、廊下の上に発光する花が咲く。それは蓮生の足跡を辿るように、ぽつぽつと開き、蓮生が道を失わないようにと、仄かな光を放っているのだ。
 廊下はひたすらに真っ直ぐに続く。時折障子の向こうで人ならぬ者の息吹を覚えもしたが、それは蓮生が手をかざしてやると、たちどころに光を取り戻して浄土へと帰していくのだった。

 ――ならば、神子様
 ――私共がその花に息吹を宿し、御身を呪いの許までお連れいたしましょう

 そう述べていた精霊達の言葉通り、蓮生はさほど道に迷う事もなく、あるいは厄介な邪気に触れる事もなく、やがて奥まった部屋の前へと歩み出たのだった。

 一対の障子はきちりと閉ざされ、その向こうに、ぼうやりと光る行灯の明かりが揺れている。
 見上げれば、障子の上には数多の札があり、壁に貼られ、あるいは細い糸によって繋がれて、暗い宙の中をふらふらと揺らいでいるのが見えた。
「……これが楔か」
 そうごちて、その札の前に手をかざす。
 
 ――その札は、妖を封じた術者が残していったもの
 ――しかし、術者は、屋敷の主によって謀殺されてしまったのです

 精霊達の言葉を思い出しながら、蓮生は、つと目を伏せて言葉を告げた。
「この奥に封じられてある妖の者よ。――今、おまえの楔を解いてやろう」
 そう述べると、蓮生はゆっくりと目を開き、札に寄せられていた呪詛を”清浄”したのだ。

 ちり、と、火花にも似た光が弾け、飛んだ。
 数知れずあった札は見る間に焼け、消えていった。
 屋敷の中を風が呻りをあげて流れ、柱や壁が、みしみしと甲高い軋みをあげる。

「さあ、楔は解いたぞ。どこへなりと、帰していくがいい」

 蓮生の言葉を合図にしたか、障子がすたりと音をたてて開き、その奥から、和服を纏った少女が突風と共に現れた。
 少女は蓮生の顔の真ん前に顔を寄せてニヤリと笑い、そしてそのまま風と共に姿を消した。

 ――神子様!

 精霊達の声がする。
 蓮生は踵を返し、庭の中で心配そうにこちらを見遣っている彼女達の顔に一瞥を向けた。
 そして、大丈夫だと告げようとした、その瞬間に。

 
 気付けば、そこは、蓮生が身を寄せている家の近くにある公園の中だった。
 焦げ付くような陽射しが世界を照らし、暑気を巻き込んだ風が髪を梳いて流れていく。

 蓮生は、この日、天気の良さに心を惹かれてちょっとした散歩に出向いて来たのだった。が、あまりの暑気にうんざりして、公園の中の、木陰にあるベンチに腰を据えて休憩をとっていたのだ。
 ならば、今見てきたのは夢の中での話であったのだろうかと考えて、蓮生は小さな息を吐いた。

 暑気をこめた風が蓮生の耳を撫でていく。

 小さな少女の声が、小さな声で、アリガトウと囁いていったような気がした。

 
  

□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【3626 / 冷泉院・蓮生 / 男性 / 13歳 / 少年】



□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
          ライター通信          
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

このたびはご参加いただき、まことにありがとうございました。

このシナリオでは参加者様ごとに違ったノベルとなっていますが、蓮生様のノベルは、ビジュアル的にとても美しいものとなったように思えます。
辿った軌跡に咲く花、という部分。個人的にはこの部分がとても楽しく書かせていただけました。
PL様にもお気に召していただければと思います。

それでは、またいつかご縁をいただけますようにと祈りつつ。