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■空白の時■

雨音響希
【5566】【菊坂・静】【高校生、「気狂い屋」】
 その日、夢宮 麗夜は襲い来る頭痛に必死に耐えていた。
 ズキン、ズキンと、等間隔に襲ってくる痛みはあまりにも強く、手放しそうになる意識を保つのに必死だった。
 この痛みが、どう言う意味をもつものなのか・・・麗夜はイヤと言うほど知っていた。
 麗夜の意識が闇に引きずり込まれれば“アイツ”が・・・来る・・・!
 この身体を乗っ取る存在は麗夜にとっても、そして夢幻館に住まう者達にとっても脅威だった。
 イケナイ・・・今は、時期が悪い・・・。
 奥歯をギリっと音を立てながら噛み締める。
 嫌な汗が額を滑り、全身が氷水に浸かっているかのように冷たい。
 今は駄目だ。今は・・・まだ・・・
「往生際が悪いですね」
 不意に聞こえた冷たい台詞に振り返る。
 言葉と同様にどこか冷めた瞳をグっと真正面から睨みつけ、何かを言い返そうと唇を薄く開け、痛みのためにギュっと閉じる。
「素直に明け渡したら如何です?」
「・・・ルッセ・・・」
「あぁ、仕方のない人ですね。俺は手荒な真似は苦手なのですが」
 困ったように苦笑する顔に、嘘だろと心の中で叫ぶ。
 手荒な真似は得意中の得意じゃなかったか・・・?
 そう皮肉ろうとした途端、頭に鈍痛が走った。
 意識が霞み、目の前が真っ白になる―――――
「まったく、強情ですね」
 唇を少し舐め、湿らすとニヤリと口の端を上げた・・・。


 急遽集められた面々は、巨大なホールで何事かとそれぞれが顔を見合わせあっていた。
 テーブルに着いたのは5人。
 沖坂 奏都と片桐 もな、神埼 魅琴と梶原 冬弥、そして夢宮 美麗だ。
 この場に麗夜が居ないのを不審に思った美麗がキっと鋭い視線を奏都に向け、すぐに思い直すと膝の上に視線を落とした。
「それで、奏都ちゃん。重要なコトってなぁにぃ??」
「実は、麗夜さんの身体に現の支配者である“あのお方”が乗り移ったのです」
 奏都の声は凛と響き、ホールの中を冷たく重い空気が圧し掛かった。
「現の世界から出てきたのか?」
「麗夜さんの体調が優れないようなので、出て来てしまったのでしょう」
「で?アイツは何を求めてるわけ?観光か?東京見物の案内役なんて、死んでも御免だぞ」
「魅琴さん。口を慎んでください」
「ヤだね。俺はアイツが大嫌いだからな」
「・・・それは偶然だね。僕もお前が大嫌いだ」
 ホールと玄関を繋ぐ1つの扉の前に、見慣れた姿が立ちはだかった。
「麗夜ちゃんは、そんな服装は好まないよ」
「だって麗夜じゃねーもん」
 もなの指摘に肩を竦めると、麗夜の姿をした“あのお方”は大きく開けられたYシャツの胸元に揺れるシルバーネックレスを指で弄った。
「お前は露出狂か?」
「お前に関係あるか?服装をどうしようと、僕の勝手だろ?」
 そう言って、もなの隣にすっと立つと恭しく頭を下げた。
 その小さな手を取り、そっと口付けをし・・・
「お久しぶりだね、僕の可憐な守護者」
「クサっ!お前、何年前のヤローだよ!」
「本当に紳士的じゃないよね、魅琴は。だから嫌われるんだよ」
「それで、どうして出てきたの?」
「もなも相変わらず冷たいね。折角の再会だって言うのに。・・・あぁ、それにしてももなは変わらないね。その貧相な・・・失礼、慎ましい胸は今も昔もちっとも変わっていなくて酷く落ち着くよ」
「・・・貴方は私を馬鹿にしに来たの?」
「とんでもない。僕が来たのはただ1つの理由だよ」
 そう言うと、もなの了承も取らずに隣に座り、もながあからさまに嫌な顔をして顔を背ける。
「随分見ない間にこの館には複数の人間が出入りするようになったみたいだね」
「・・・それがどうした?」
「気に食わないんだよ。僕の知らない人達と君達が親しいなんて、なぁんかのけ者みたいじゃない?」
「お前は最初からのけ者だろ?“シュウ”」
 魅琴の言葉に冷たい笑顔を向けると、シュウと呼ばれた現の支配者は奏都の瞳を真っ直ぐに見詰めた。
「僕もたまには知らない人と遊んでみたいんだ。奏都、呼び出してくれない?」
「わかりました」
「・・・遊んだら、帰るの?」
「あぁ。君達の友人とやらを見てみたいだけだしね。そうだな・・・隠れんぼなんて楽しそうじゃないか?勿論、僕が鬼で・・・ね」
「私達のお友達は、そんな子供っぽい遊びはしないよ」
「いや、やらせるさ。絶対に・・・ね。そう、脅してでも・・・」
 シュウの笑顔に、もなが凍りつき、怯えるように席を立つと冬弥の隣に立った。
 キュっと冬弥の背後に隠れ・・・
「君達は逃げ切れるかな?」
 クスクスと神経を逆なでするような笑い声に、魅琴と美麗があからさまな嫌悪感を顔に出し、冬弥が心配そうにもなを見詰める。
 もなが冬弥の視線に応えるように、冬弥の服の裾を握っていた手にキュっと力を込めた。

空白の時






 沖坂 奏都からの呼び出しに、菊坂 静は快く応じると夢幻館の両開きの扉を押し開けた。
 深紅の絨毯が目に痛いほどにその存在を主張している。階上へと続く階段の上では片桐 もながしゃがみ込み、その隣には心配そうな顔の梶原 冬弥が立っていた。
「おう、静・・・」
「静ちゃん・・・」
 ついこの間会ったばかりのはずなのに、酷く懐かしい感じがする。
 しゃがみ込んでいたもなが、覚束ない足取りで階段を下りて来て、静に抱きつく。
「今日は、奏都ちゃんが無理矢理呼び出したのに、来てくれて、ありがとぉ〜」
 元気良く言っているつもりなのだろうが、その声には力がない。
「もなさん、元気だった?」
「あたしはいつだって、元気だよ〜☆」
 抱きついたままで顔を上げ、ふにゃんと・・・力のない笑みを浮かべる。
 いつも元気で明るいもなから、それらを奪った・・・その原因を知っている。
 知っているけれども、静には如何することも出来なかった。
「やっと来たんだ?」
 右手のホールに続く扉が開き・・・
 そちらに視線を向ける前に、声だけで誰だか分かる。
「麗夜さ・・・」
 視線がそちらを向き、ふっと言いかけた言葉を飲み込んだ。
 確かに、そこに立っているのは夢宮 麗夜だった。
 人形のように美しく整った顔、すらりとした体型・・・けれど、服装からして麗夜ではなかった。
 大きく開いた胸元に視線が行く。そこには、シルバーの重そうなネックレスがいくつも揺れていた。
「あなたは、誰ですか?」
 警戒心を含んだ声に、麗夜が・・・いや、麗夜の姿をした何者かが肩を竦める。
「静ちゃん、あの人は、シュウ。現の支配者」
「そ。今は麗夜の体を借りているだけに過ぎない」
「シュウさん・・・」
「お前が、菊坂静だな?」
「はい」
 問いかけに素直に頷き、少し考えた後で質問を返す。
「あの、麗夜さんは大丈夫なんですか?」
「麗夜は俺の司だ。俺が麗夜をダメにするわけないだろ?」
「・・・嘘吐き」
 もなが静の胸元でポツリと呟く。
 しかしそれは、静以外には聞こえていないようだった。
 シュウの背後から、夢宮 美麗と神埼 魅琴、そして奏都が姿を現す。
「菊坂様、ようこそお越しくださいました」
 美麗が丁寧に頭を下げる。
 華奢な肩から髪が滑り落ち、毛先は今にも床につきそうだった。
「静、早かったな」
 魅琴がそう言って苦々しい表情を作り―――――
 静は瞬時に状況を理解した。
 奏都以外のこの場にいる全員は、シュウを嫌っているようだった。
 どうして嫌うのか、それは分からない。何しろ、静はシュウに初めて会ったのだ。
 ・・・どんな人なのか分からないのだから、嫌いようがないのは当たり前だが・・・
 それにしても、これほど露骨に顔に出して嫌がるなんて、らしくない。
 もなと魅琴は自分の気持ちに正直な分、あり得なくはないだろうが・・・美麗と冬弥まで顔に出して嫌がっているなんて・・・
「あの、それで・・・僕はどうして呼ばれたんですか?」
 沈黙に耐えられなくなった静がそう切り出し、その言葉に奏都がにこやかな笑みを浮かべる。
「隠れんぼをして遊びたいんだそうです」
「・・・え?」
 その主語が、住人でない事だけは分かった。
 もなならば隠れんぼをして遊ぼうと言い出しかねないが、言いだしっぺにしては憂鬱そうな表情を浮かべている。
 となれば、残るはシュウのみだ・・・
「どうして、隠れんぼなんです?」
「俺がやりたいからさ。それ以外にあるか?」
 そう聞き返されては如何することも出来ない。
 なんだか俺様な人だと言うのが、最初の印象だった。
「俺が鬼で、お前らが逃げる。俺に捕まったらお終い。OK?」
 シュウが靴の踵で絨毯を蹴り、30秒だけ隠れる時間を与えてやると、いかにも偉そうな口調で言うと目を閉じた。
 もなが静の腰に回していた手を放し、階上へと走って行く。
「なにボサっとしてんだ静!行くぞ!」
 皆が散り散りに逃げて行く様を呆然と見ていた静の手を取り、魅琴が階上へと続く階段を駆け上がった。
 そのスピードに、静は足を縺れされながらついていき・・・・・・・・





「よし、こんなもんかな」
「・・・こんなことして良いの?」
「いーんだよ。ま、麗夜の体が傷つくのだけはダメだけど、あいつの運動神経なら大丈夫だろう」
 魅琴がこれまで見たことのないほどに晴れ晴れとした笑顔を見せる。
 ・・・その笑顔は、それまでにいたる工程をすべて排除した上で見たのならば、とても素敵な笑顔に映るだろう。
 無邪気と言うか、なんと言うか・・・
 しかし、その笑顔にいたるまでにしたことは、無邪気と言う一単語で済ませてはならないようなものだった。
 廊下には濡れ雑巾が点々と置かれ、静と魅琴が隠れている部屋の中にも雑巾をポツポツと、見え難いところに置いておく。
 さらには扉が開くと水の入ったバケツが落ちる仕組みになっており・・・
 確かに、子供が嬉々としてこんな罠を仕掛けたのならば可愛らしいと思う。
 少しやりすぎだと感じるが、それでも・・・子供のしたことだからと言う一言で許されるのがお子様階級のメリットなのだ。お子様は、お子様と言う職権を乱用してこそ真のお子様階級のエリートになれるのだ。
 しかしながら、神崎魅琴はお子様階級からははみ出している存在だった。
 精神年齢ならばお子様枠に入れられる可能性が無きにしも非ずだが、それでも彼は実年齢19歳だ。
 そろそろ二十歳になろうと言う大人のすべきことではないように思う。
 100歩譲って、これが隠れんぼという戦場下の出来事なのだからと大目に見ることにしよう。それにしたって、なにかをやり遂げたと言うあの清々しい笑顔は子供以外の何者でもない。
 8月31日の夜遅く、夏休みの宿題を全て終わらせて誇らしい気分に浸っている小学生となんら大差はない。
「魅琴さん、嬉しそう・・・だね・・・」
 魅琴よりも若い、それでいて精神年齢は確かに大人の階段を上っている静がポツリとそう呟く。
「まぁな、アイツは嫌いだからな」
 そう言って、静が隠れている隣に腰を下ろす。
 真剣に隠れようとは最初から思っていないらしい。
 ベッドと壁の隙間にしゃがみ込み、身を縮める。
「魅琴さんが、誰かを嫌いなんて言うの・・・珍しいね」
「あんま人を嫌わないようにしてるからな」
 その言葉の本当の意味を知る前に、魅琴が言葉を紡ぐ。
「シュウは、もなの支配者だからな」
 ポツリ・・・呟かれた言葉に、静は口を閉ざした。
 もなの兄が魅琴であり、魅琴はもなの最愛の兄と母親を殺した・・・
「麗夜の支配者でもあるし・・・」
 その一言は、まるで付け足したようだった。
 魅琴が一番気にしているのはもななのだろう。・・・兄と言う、自覚があるからなのだろうか?
 けれど―――――
「シュウさんって、どんな人なの?」
「どんなっつわれても、説明のしようがなぁ・・・」
「皆・・・嫌っているように見えたけど・・・」
「まぁな。そりゃそうだろ」
「どうして・・・なの?」
「あいつはな、自分の我が儘を何が何でも通すタイプなんだ。手段も場所も選ばない。巻き込まれる人の気持ちなんて考えてない」
「そう・・・なんだ・・・」
「自分が起こした行動によって、誰がどんな体験をし、どんな辛い思いや悲しい思いを背負って生きていかなくてはならないのか、あいつは分かってない」
 自分が起こした行動・・・
 それによって、もなは肉親を喪った。最愛の母親を、兄を、雨の中・・・
 そして、辛い思いをし、悲しい思いを背負って今生きている。
 悲しみは悲しみを呼ぶ。身を切るような運命の連鎖によって、もなは再び母親と兄に出会い・・・別れた。
「・・・シュウさんが現の支配者ってことは、夢の支配者もいるの?」
 沈黙に耐え切れなくなった静が発した言葉は、既にシュウのことではなかった。
 あのまま魅琴の口からシュウの事を聞くのは耐え難かった。
 どうしたってダブってしまう、言葉の奥に潜む闇。
「あぁ。美麗の方についてるヤツな。でも、こっちはいたって無害だ。シュンって言うんだけど、女で・・・ま、無害っつっても、むやみやたらにこっちに来ないし俺らに危害を加えないってだけで、性格はいたってクールだけどな」
「クール?」
「ツーンとしてんだよ。もなには甘々なのに、俺とか冬弥には厳しいんだ」
「良い人そうだね」
「そうか!?だいたいなぁ、あいつは俺らの事小間使い程度にしか思ってねぇんだよ!もなはお姫様扱いなのに、なんで俺らだけ・・・」
「もなさんだもん、仕方ないよ」
 静は苦笑しながらそう呟くと、ふっと魅琴の瞳を正面から見つめた。
「・・・何のアイコンタクトだ?」
「それじゃぁ、次は魅琴さんのこと・・・聞かせてくれない?」
「俺の事つっても、別に・・・大してなにもないけど・・・?」
「好きなものとか、嫌いなものとか・・・何でもいい。・・・知りたいんだ」
 微笑する静の顔から視線をそらす魅琴。
 困ったように視線が宙を漂い・・・
「そうだな、好きな食べ物は・・・特にないな。それなりに美味しくて食えりゃなんでも良い。嫌いな食べ物も特にこれと言ってないな。まぁ、甘いものはそれほど好きじゃねぇけど、嫌いってわけでもねぇしな」
「そうなんだ?」
「だいたい、甘いもの嫌いじゃ生きていけないだろ、この館で」
「確かにそうかも・・・」
 お茶の度に出される甘いお菓子の数々。
 そう言えば、魅琴はお菓子作りが上手いと言う事を以前聞いた。
 それは全てもなのためであって・・・
「あと、俺の好きなタイプは・・・」
 静はそこまで言われてすぐに続きの台詞を心の中で紡ぐ。
 “綺麗な人、可愛い人”が続くのだろう。魅琴は記憶の中で、同じ台詞を何度も言っていた。
 しかし今日、続いた言葉はそんな浮ついた単語ではなかった。
 酷く真剣な眼差しが、ソレこそが魅琴の真実なのだと告げる。
「絶対に人を裏切らない人、人を見捨てない人、人を・・・救うことが出来る人」
「魅琴さん・・・?」
「嫌いなタイプはその反対。人を裏切るヤツ、見捨てるヤツ、人を陥れるヤツ」
 直ぐ前の廊下に人の気配を感じる。
 きっとシュウのものだろうと直感した瞬間、魅琴が立ち上がった。
 どうして立ち上がったのか、その理由を問う間もなく魅琴が悲痛な表情を浮かべた。
「人の大切なものを奪ってのうのうと生きているヤツは、特に・・・死んだ方が良い」
「魅琴さん・・・?」
 ガチャリと扉が開き、水の入ったバケツが床に叩きつけられる音がする。
「ったく、こんな罠まで張って」
 苦々しい口調でシュウがそう言い、静は立ち上がってそちらに視線を向けた。
 切り傷1つつけず、水のシミ1つもつけていないシュウが明らかな不機嫌顔でその場に立っていた。
「菊坂静も魅琴も、ここにいたんだね。他の面々はもう見つけてホールで待機してるよ。奏都がお茶の準備をしているから、さっさと行こう」
「はいはい、わぁったよ」
 魅琴がそう言い、シュウの後に続いていく。
 その顔は既に普通の表情に戻っており、どこか白々しいそれは・・・静の胸の中、ズシリと重く響いた。





 顔色の悪いもなを目の前に、静は黙々と出されたクッキーを食べていた。
 右隣にはシュウが座っており、時折もなとその隣でもなを守るように座っている冬弥に鋭い視線を向けるほかは、ずっと静の上で視線を固定している。
「菊坂静って、女みたいな名前だね」
「そうですね・・・よく言われます」
「でも、別に変ではないね。魅琴とか、もなのがよっぽど変な名前だ」
「シュウ」
 冬弥が諌めるような視線を向けるものの、シュウはいっこうに気にする気配はない。
「そう言えば知ってるか?もなの漢字」
「もなさんは平仮名だよ?」
「いいや、違うね。本当は漢字があるんだ」
「私の名前は平仮名だよ。静ちゃんに変な事吹き込まないで」
 もながキっとシュウを睨みつける。
「そんな顔するなって。折角可愛いんだから・・・ねぇ?」
「ねぇって、俺に話を振るな」
 苦々しい顔をした魅琴が片手を上げ、もなが付き合っていられないと言うように席を立つ。
「冬弥、もなのこと頼めるか?」
「あぁ。具合悪そうだったしな・・・」
 魅琴の言葉を受けて冬弥が腰を上げ、もなが去って行った方に歩き出す。
 クスクスと、神経を逆なでするかのような笑い声を上げるシュウ。
「いい子ぶりっ子の魅琴と、王子様の冬弥。我が儘な姫。どんだけふざけた館なんだここは」
「ふざけてんのはテメェだろ!?」
 ガンと、机に拳を叩きつける魅琴。
「冬弥はただ優しいだけだ。もなは我が儘なんかじゃねぇ!」
「自分のいい子ぶりっ子は否定しないんだ?素直だね」
「・・・ルセー」
 唇を噛み締め、苦々しい表情を浮かべた後で魅琴は席を後にした。
 テーブルの中央に置かれていたポットの中、熱かったはずの紅茶は既に冷めていた。
「紅茶の替えをお持ちしますね」
 奏都がそう言って席を立つ。
 ・・・広いホールの中、静はシュウと2人だけになってしまった。
 まだ静に危害は及んでいないが、シュウが館の人に見せる態度は眉を顰めたくなるようなものばかりだった。
 痛いところの核心を突くわけではない。じわりじわりと、痛めつけながら言葉を選んでいく。
 そのやり方が静は嫌いだった。
 しかし、館の住人がシュウに辛く当たれない理由も勿論分かっていた。
 今目の前にいるシュウは、麗夜の姿をしている。それは、現の支配者だからであって・・・つまるところ、現に属する人間は彼の力の下に束ねられているのだ。
 もなも麗夜も、シュウを怒らせてしまったならば何か被害を受けるかもしれない。
 そう考えると、厳しい言葉も喉で支えた。
「皆いなくなったね」
「そうですね」
「それにしても、どうして2人は本当の事を言われると逃げちゃうんだろうね」
「本当の事?」
「漢字だよ。確かに2人には本当の漢字があるんだ。魅琴も、『魅琴』って漢字じゃない」
「・・・それじゃぁ、どう言う字を書くんですか?」
「命と喪名」
「え・・・?」
「魅琴は『命』もなは『喪名』って書くんだ。どちらも、祝福されない子供につける名前だよね」
 随分な冗談だと思った。
 悪意が篭っているとしか思えない。
 魅琴の命は良い意味にもとれる・・・でも、喪名はない・・・
 そんな酷い名前をつけられたなんて、冗談でも言ってはいけない。
「そんなの・・・!」
 珍しく声を荒げようとして、その口をシュウが塞ぐ。
「本当の事だって、言っただろ?名前は父親がつけたんだ。だからこそ、2人は意味のある名前を与えられた。それは、2人とも生まれながらにして使命を持って生まれてきたからだ」
 シュウの瞳がギラつく。
 血に飢えた猛獣のような瞳の輝きに、刹那的に身の危険を感じる。
 体を後ろに引き・・・シュウの手が静を放す。
 ドサリと倒れこんだ静を見下ろす瞳は、酷く優しいものだった。
「驚かしちゃったかな?ごめんね?」
 ・・・しかし、その口調になんの心も篭っていないように思えた・・・。





 ノックもなしに部屋のドアが開き、魅琴は溜息混じりに視線を上げた。
 そうやって入ってくるのは、知っている限り1人しか居ない。
「俺に用か?シュウ?」
「用もないのにお前の部屋になんて来るかよ」
 不敵な笑顔が、シュウがまた良からぬ事を考えているのだと告げている。
 これが他の人であったならばまだ救われるだろうに、よりにもよってシュウが憑いているのは麗夜だ。
 美しく整った顔立ち、冷たい瞳、どれをとってもシュウの笑顔に妙なリアルさを持たせる。
「用ってなんだ?」
「依頼したいんだよ、お前に」
「・・・依頼?」
「そ。お前の本職にね」
「ボディーガードするほどヤワじゃないだろ?お前は」
「そっちじゃない」
 シュウは魅琴の胸倉を掴むと思い切り引き寄せた。
 麗夜では出ない力に、思わず顔を顰める。
「お前の本職は、ボディーガードなんかじゃないだろう?」
「何のことだ?」
「とぼけるのもいい加減にしろよ。お前の本職は、殺し屋だ。依頼があれば条件次第でどんなヤツでも殺してみせる。それが例え実の母親と兄貴だろうとな」
 唇噛み締め、なにも言葉を返さない。
 ・・・言葉を返さないのではなく、言葉を返すことが出来ないのだ。
 なぜならば、それが・・・事実だからだ。
「依頼だ、魅琴」
 魅琴の胸倉から手を放す。
 まるで汚いものにでも触ったかのように手を叩き・・・・・・
「今日来たヤツいただろ?菊坂静・・・だっけ?」
「おい、シュウ・・・」
「そいつを殺せ」
「無理だ!」
「殺すんだ」
「断る!」
「断るなら、こっちにも考えがある」
 残酷は表情は、その先に続く言葉が容易に想像できた。
 取引は簡単。魅琴の一番大切なものを奪うと言えば良い。
「お前があいつを殺さないなら、僕がもなを殺す」
「やめろ・・・」
「だって仕方ないだろ?依頼を断るんだ。それくらいのリスクを負わないとな」
「・・・っ・・・わかった・・・」
「交渉成立だな」
「もなには絶対に手を出すなよ」
「当たり前だろ?契約を違えることはしない。それに、僕はもなが大好きだ」
 勝ち誇った笑みを浮かべながら、魅琴の部屋を後にするシュウ。
 扉を開けて廊下に出て・・・最後に一言、魅琴に声をかける。
「あの時も、もなを優先したからそうなったんだよな?全てを失っても、もなだけは大切にしている。そんな事もなは知らないのに、健気なヤツだよな」
 大きな音を立てて扉が閉まる。
 魅琴はその場に膝をつくと、自分の無力さに唇を噛み締めた。



               ≪ E N D ≫


 
 ◇★◇★◇★  登場人物  ★◇★◇★◇

 【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


  5566 / 菊坂 静  / 男性 / 15歳 / 高校生、「気狂い屋」


  NPC / 神崎 魅琴


 ◆☆◆☆◆☆  ライター通信  ☆◆☆◆☆◆

 この度は『空白の時』にご参加いただきましてまことに有難う御座いました。
 そして、いつもいつもお世話になっております。(ペコリ)
 さて、とんでもないことになって来ました・・・
 このお話は魅琴の章のプロローグ的なお話になります。
 次にどんなお話が待ち受けているのか、なんとなく予想いただけると思います。
 シュウがすごーく嫌な性格に描けていればと思います(苦笑
 最近、魅琴とセットの時の静君が凄く女の子ちっくになってしまっているなぁと感じるのですが、如何でしょうか?
 カッコ良い静君もキチンと描ければと思います。


  それでは、またどこかでお逢いいたしました時はよろしくお願いいたします。