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■お友達になりたくて〜最終章〜■

笠城夢斗
【5973】【阿佐人・悠輔】【高校生】
「私が動かなくてはだめなんだ」
 葛織紫鶴[くずおり・しづる]はそうくりかえした。
「私自身で動かなくてはだめなんだ」
 少女の手には、一枚の手紙がある。
 友達になりたいと切実に思った少女、ロザ・ノワールからの初めてきた手紙――
「薔薇狩り……に襲われて、でも私は何もできなかった……」
「仕方ありませんよ。姫はこの別荘地から出られないんですから」
 なだめるように、紫鶴の世話役如月竜矢[きさらぎ・りゅうし]が紫鶴の背中をさする。
「出られない……」
 その言葉を聞いたとき、紫鶴の顔に苦渋の色が見えた。
 しかし次の瞬間には、決然とした色へと変わり。
「それなら」
 少女は決めた――

     **********

 葛織家の力は月に影響される。
 満月には力はみなぎり、新月には――ベッドにふせるほどに力は奪われる。
 それは、昼も夜も同じことで。
「姫! その状態でどうなさるおつもりです!」
 新月の昼間。本当なら動くこともままならないはずの紫鶴がベッドから身を起こし、身支度を始めた。
 ぜい、ぜいと荒い息をつく。それでも少女は、竜矢の心配する手を振り払った。
「私……が、この別荘地に、閉じ込められたのは、魔寄せの能力ゆえ……ならば、その力の失われている新月の日なら外に出られるはずだ」
「姫!」
「会いたいんだ!」
 悲痛な声で、少女は叫んだ。
「直接会って話をしたいんだ……! 来てもらうだけでは、何も進まない……!」
「姫……」
 竜矢にはとめるすべはなかった。少女の言うことがたしかだと知っていたから。
(ならば、どうかせめて一緒に姫に付き添ってくれる人々だけでも――)
 誰かが一緒にいてくれれば心強い。
 竜矢は祈るような気持ちで、知り合いたちに連絡を取った――
お友達になりたくて〜最終章〜

 少女を突き動かしたのは、一通の手紙だった。

『薔薇狩り、と呼ばれる者たちと私たちは戦っています。
 先日、薔薇狩りにまた襲われました。
 あなたのお友達たちが助けてくれました。
 感謝しています。                 』

「襲わ……れ……」
 葛織紫鶴[くずおり・しづる]は、ロザ・ノワールからの手紙を今にもくしゃくしゃにせんばかりに力をこめて読んでいた。
 体が震えていた。信じられない、信じたくないと思った。
 友と思いたい人が襲われていたときに、自分は助けにゆけない――

 感謝しています。

 その一言が、余計に悲しくて。
「―――っ」
 傍に行きたいと、思った。
 来てくれるのを待つのではなく。
 自分から行きたいと思った。

 ――どうすればいい?

「私が別荘に拘束されるのは……この魔寄せの体質があるからだ……」
 ――ならば、どうすればいい?
「その体質が……能力がないときにゆけばいい……」
 ――それはいつ?

 新月。

「姫!」
 世話役の如月竜矢[きさらぎ・りゅうし]が新月にベッドから体を起こした紫鶴を押し留めようとした。
 紫鶴はそれを力なく押しのけ、ベッドからおりた。おぼつかない足取りでクローゼットまで歩いていく。
 新月の一日は、能力が封印される代わりに体力もすべて奪われる。それを分かっていても、やりたかった。
「今日しかないんだ……」
 紫鶴は服をあさりながら何度も繰り返した。
「今日行くしかないんだ……」
「姫」
 竜矢がふらついた紫鶴を支える。
 その手をすぐに振り払い。
「待ってるだけじゃ……だめだ。会いに……自分から会いに……行かなきゃ……」
「姫……」
 竜矢は口をつぐんだ。彼女の主たる少女の覚悟がひしひしと伝わってきていたから。
 紫鶴は何度も倒れそうになりながら服を着替える。
 その乱れた髪をくしでといてやりながら、
「ひとつだけ約束してください」
 竜矢は言った。
「何だ……?」
「ひとりでは行かないこと」
 皆さんを呼びますからね――と。
 紫鶴は不安そうな顔をした。
「皆……来てくれるだろうか」
 ――バカなことを、と怒られやしないだろうか。
 いや――
 怒られてでも、行くつもりだけれど。
「来てくれますよ」
 竜矢は優しく囁いた。

 だって――……だから。

「ん……? 今何か言ったか? 竜矢」
 聞き取れなくて、紫鶴は問い返す。
 いいえ、と竜矢は微笑んだまま首を振った。
「では俺が皆さんに連絡しておきますからね。姫、出発までもう少しお待ちください」
「ああ……」
 紫鶴は微笑んで、それに従った。


「どうかしたのですか? 紫鶴さんが薔薇庭園に自分で行きたいと言い出したんですか。でも、新月の日は……それでも行きたいとおっしゃってるんですね」
「やれやれ、馬鹿者っぽいとは思ってはいたが、筋金入りのバカじゃな紫鶴は」
「受ける条件は二つ。紫鶴には、誰の手も借りずに行くこと」
「紫鶴とは約束した。もう負けないと」
「……どうしても行きたいのかよ?」
「必ずついて行くのですぅ。見守ってるのです」


 新月の日の紫鶴を見舞いに来た人物が二人いた。
 ひとりは黒榊魅月姫[くろさかき・みづき]。
 もうひとりは天薙撫子[あまなぎ・なでしこ]。
 二人は紫鶴が体を起こし、服まで着替えていることに驚いた。
「紫鶴」
「紫鶴様……!」
 二人がおのおのに紫鶴の名を呼ぶ。
「二人とも……」
 紫鶴は微笑んだ。
「今日は、これからノワール殿の庭園に行くつもりなんだ……」
「あそこへ? わざわざこの日に……」
 撫子が見舞いの花束を抱えたまま口元をおさえる。
 紫鶴は遠くを見た。
「直接……会いたい。会いたいんだ。待つだけはもう……嫌だ」
 魅月姫は竜矢を見る。
 竜矢は止める気配がない。
 ――ならば、認めてのことなのだろう。
「本当にその体でいけると思っているの?」
 魅月姫は問う。少しだけ強い口調で。
 紫鶴は魅月姫を、まっすぐに見つめた。
「私は、負けない」
「………」
 魅月姫の赤い瞳が、ほんの少しだけやわらいだ。
「そう」
 ならば私もついていきましょう――
 囁いた言葉に、紫鶴が嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう……魅月姫殿」
「わたくしもご一緒しますわ、紫鶴様」
 撫子が微笑んだ。「決して、他の無粋な輩には邪魔はさせません」
「ありがとう、撫子殿……」
 紫鶴は二人の手を取ってうつむいた。
 握る手に、力がこもっていた。弱々しいながらも……たしかな力。
 二人は手を握り返した。
 うつむいたままの紫鶴が、穏やかな笑みを浮かべた。

 撫子は、おそらくお茶会は薔薇庭園のほうでやることになるだろう――と手土産を持っていくために一度家を出て行った。
「先方には連絡したの」
 魅月姫が竜矢に問う。
「ええ」
 竜矢はうなずいた。魅月姫はうなずき返した。
 ちょうどそこへ――
 たくさんの来客が、次々と紫鶴の別荘を訪れ始めた。

 浅海紅珠[あさなみ・こうじゅ]。
 黒冥月[ヘイ・ミンユェ]。
 空木崎辰一[うつぎざき・しんいち]。
 蒼雪蛍華[そうせつ・けいか]
 阿佐人悠輔[あざと・ゆうすけ]
 エルナ・バウムガルト
 F[えふ]――

「今日は夜闇さんは?」
 辰一がいつものメンバーの中から、ひとりだけ足りない人物の名を出した。
「夜闇さんなら、外から見守っているそうですよ」
 竜矢はそう答えた。
 伊吹夜闇[いぶき・よやみ]――
 竜矢と彼女が交わした会話はこうだ。
『新月ですから、大人の姿で行くのです……』
「姫には会われませんか」
『夢は、夢のままでいいのです』
 ――今まで新月の日には、泡沫の夢として大人の姿で紫鶴とひそかに会っていた夜闇。
 今回は、子供のままでは自分がおろおろしたりと紫鶴にかえって気をつかわせるのではと考え、大人の姿で空から見守っていることにする――と。
「そうですか……」
 辰一はうなずき、それからいつの間にか仲間に入っている冥月を見た。
「あなたは……紫鶴さんとは……」
「ちょっと縁があってな」
 黒髪の美女はすたすたとベッドに腰かけている紫鶴の元へ行き、その髪をくしゃりと撫でた。
「いいか紫鶴。誰の手も借りずに行くこと、それがお前の“わがまま”に付き合う条件だ。弱音ひとつ吐いたら即連れ帰る」
「だ、大丈夫だ……!」
 紫鶴はまっすぐ冥月の目を見た。
 冥月は微笑んだ。
「なんじゃ」
 蛍華が片眉をつりあげる。「それだけ弱っておれば、車か車椅子で行かせようと思っておったのに」
「それじゃ紫鶴の修業にならん」
「お友達に会いに行くのは、修業じゃないよ!」
 エルナが声をあげた。
 エルナの隣で、魅月姫が口元に手をやった。
「紫鶴のわがまま……それなら自らの足で薔薇庭園におもむかないと。誰かに連れていってもらうのではなく」
 しかし、
「新月の影響を受ける体で、ノワールさんに会いに行きたいのですね。そこまでして彼女に会いたい気持ち、よく分かりました」
 辰一が進み出た。少しだけ冥月のほうを見て、
「――肩を貸すくらいいいでしょう?」
「ふん……甘やかしてばかりだな」
 冥月は鼻を鳴らす。「勝手にしろ」
 辰一は微笑んで、
「では紫鶴さん。僕の肩をお貸しします」
 励ますように、辰一の連れていた二匹の式神猫が、にゃあと鳴いた。
「――ひとりでできないこともあります。そのときは遠慮なく手を借りればいいわ」
 魅月姫も進み出て、「私は反対側の肩を貸しましょう」
 冥月が苦笑した。
 そして、紫鶴の頭を撫でながら、優しい口調で言った。
「他のことは、決して無理をするな」
 紫鶴が戸惑って辰一と魅月姫を見やる。
「なぜ……そこまでしてくれるのだ? みんな」
「なぜ貴女に尽くすのか、ですか?」
 辰一が微笑んだ。「貴女は放っておけない存在だからですよ。他の皆さんもそう思っているのでは?……でなければ、最後までお付き合いしないはずですよ」
「紫鶴の行動など、身近で見張っておかねばはらはらして落ち着かぬわ」
 蛍華が面倒くさそうに言った。
「ふん……甘やかされ姫さんだな」
 Fがつぶやく。
「甘やかされてばかりじゃないさ」
 悠輔が満足そうに、辰一と魅月姫の肩を借りて立ち上がる紫鶴を見て、
 そして肩を借りても震えている紫鶴の足を見て、
「――負けないと約束した。紫鶴は負けない」
 なあ、紫鶴――と悠輔は呼びかける。
 紫鶴は悠輔のほうを見て、
「ああ」
 と笑った。
 笑顔は大輪の華――
 誰もが惹かれたその笑顔――
「……逆らえないな」
 Fがぼそりとつぶやいた。
「逆らう必要もない」
 悠輔が笑った。

 撫子が帰ってきた。手に荷物をたずさえている。
「では全員揃いましたし……行きましょうか」
 竜矢が部屋の扉を開けた。
「……気持ちは分かったけどさ」
 辰一と魅月姫の肩を借りて歩く紫鶴に、背後からぼそっと紅珠が声をかけた。
「無理だけはすんなよ!……友達がつらい目に遭ったら苦しくなるのは当然のことなんだから」
 紫鶴は振り向いて、紅珠の顔をまじまじと見た。
「な、何だよ」
「友達……」
「――友達だよ、決まってるだろ!」
 紅珠はぽんと紫鶴の背中を叩いた。
 そしておもむろに小さな声で歌をハミングし始めた。
 優しい優しい音色――
 それは、回復の呪歌。
「何だか……少し楽になったみたいだ」
 紫鶴は紅珠のおかげと気づかず、ただ微笑みを深くする。
 それを見た紅珠の顔にかすかな笑みが浮かぶ。
 部屋の外へ出る。
 紫鶴は必死で足を前に出す。
 額から汗が流れる。
 それでも足を止めない。
「……ずいぶんと弱っているようだな」
 Fが竜矢の隣でぼそりとつぶやいた。
「ええ、まあ。新月の日ですから、今日は」
「……紫鶴の魔寄せが強すぎるなら、なぜ自分で対処できるように教育していない」
 紫鶴に聞こえないよう、Fはぼそぼそとつぶやく。
「本気で当主にするつもりがあるのか。これは飼い殺しと言うんじゃないのか」
「………」
 竜矢は苦笑いを返した。
「……そう、だろうな」
 世話役の口からぽつりとそんな言葉が出たとき――
「おい、へたれ鎖縛師」
 冥月が竜矢を呼んだ。
 竜矢は振り返る。冥月は片手を腰に当て、
「薔薇狩りの……カノだったか。奴が来たら一対一でやらせろ。借りがある」
「………? いつの間に薔薇狩りのことまで……」
「詮索するな。とにかく借りがある」
「彼のことについては紫音[しおん]さんに聞かなくては――」
「もちろん尋ねるつもりだ。このことが、今回紫鶴についていってやる条件のひとつだ。いいな」
「―――」
 竜矢の返事を待たずに、すたすたと冥月は歩いていった。

 屋敷の外に出た。次は門だ。
「まぶしい……太陽が」
 紫鶴が目を細める。「今日は……よい天気だな」
「外はいいところだ。むしろ新月の日以外に外に出てみたらどうだ」
 Fがそそのかす。
 紫鶴があたふたして、
「そ、それは、無理だっ」
「子供なんだから周りの人間に気をつかう必要はない」
「そそそそんな」
「……F様、無茶をおっしゃらないでください」
 撫子がたしなめる。
「大人に振り回されて閉じ込められているのだからな……」
 Fは無愛想にそう言った。「なら子供の筋を通してもいいだろう」
「………」
「F殿」
 紫鶴は力ない声でFを呼び、力なく微笑んだ。
「被害が周囲に及ぶ……そんなことを、私は望みたくない」
「……ふん」
 Fはそっぽを向いた。
 その唇の端が、かすかにつりあがっていた。

 薔薇庭園に行く途中の道、すべてが紫鶴には新鮮だった。
 実は以前冥月に、ヴィジョンとして見せてもらったことがあったのだが――本物はやはり違う。
「世界は、こんなに広いのだな……」
「この程度でそんな感想を抱くな。世界はもっともっと広いものじゃ」
 蛍華が紫鶴をつついた。
「あのね、紫鶴ちゃん……」
 エルナが、ぴったり紫鶴の後ろにひっつくようにしながら小さな声でぽつりと言った。
「あたしね、天上の妖精の国シュテルンで生まれて……育った。シュテルンでは、この地球……エルデを汚すものとして人間を嫌う人が多いの」
 でも――
「あたしは、ヒトが好き。今はまだ理想論だけど……いつか障害となる壁を取り除いて、ヒトをつなぐ存在になりたい」
「エルナ殿……」
「頑張りたいの」
 ――“破壊”を司るデストロイヤー。それがエルナ。
 けれど本当にやりたいことは、“破壊”なんかじゃない。
「紫鶴ちゃん。この世界は……いいところよね?」
 問われて、紫鶴は周りを見渡した。
 景色ではない。自分を囲ってくれている人々を見て――
 微笑んだ。
「ああ。とても……素敵なところ……だ」
 薔薇庭園が見えてくる――

 以前、紫音・ラルハイネとロザ・ノワールの住む屋敷の前庭は『薔薇狩り』と呼ばれる人々によって散らされた。
 それが不思議なことに、もう庭園は復活しているようだ。
 優しくたちこめる薔薇の香り。……紫鶴は門からも見える前庭にうっとりと見とれた。
「いらっしゃい」
 あらかじめ竜矢から連絡を受けていた紫音が門を開ける。
 紫鶴は頭をさげた。
 その拍子に、支えてくれていた辰一と魅月姫の肩からすべり落ちて、ふらりとよろけた。
 慌てて辰一が抱きかかえる。
「……紫鶴は、本当に弱っているようね……」
 紫音が頬に手を当てて、困ったように言った。
「ノワールさんは?」
 竜矢が尋ねた。
「前庭で待っているわ」
 紫音はそう言って、全員を前庭へと招待した。

 エルナの左肩のリボンが、赤い蝶々となって薔薇園を舞い始める。
「相変わらず、薔薇には似合うの。あの蝶は」
 蛍華がまんざらでもなさそうな声でそう言った。
 ふと――
 エラト、という名の赤い蝶が一箇所で止まる。
 そこに、
「……いらっしゃいませ」
 金髪に黒薔薇を挿した美少女が、立っていた。

「さ、紫鶴――行きなさい」
 魅月姫が紫鶴の背を軽く押した。
 紫鶴は足をもたつかせ、ふらふらしながらノワールの元まで歩いていく。
「………」
 ノワールは無言で、ふらつく紫鶴の姿を見ていた。
 辰一が見かねて、
「ノワールさん」
 と呼んだ。
「今日は新月の日です。だから紫鶴さんは力がでない――」
「……聞いています。話には」
「ならばどうか、話を聞いてあげてください」
「………」
 紫鶴が、また一歩ノワールに近づく。
「お互いに思うことをはっきり伝えなさい」
 魅月姫が言った。
「今の紫鶴さんならできるはずだ」
 悠輔がつぶやく。
「ここまできて、できないはずがあるまい」
 蛍華が腰に手を当てて見守る。
「ノワール、何かおっしゃいなさいな――」
「大人は口を出すな」
 ノワールに口を出そうとした紫音に、Fが低い声で言った。
「そうだ、紫音とやら。私はお前に話がある」
 冥月が紫音を紫鶴たちの場から離れさせた。
「え?」
「――カノ、と言ったか。奴はなんだ? 私の力が弾かれた」
「カノは――」
 同じ頃、
「ノ、ノワール殿……!」
 紫鶴が弱々しい、しかしはっきりした口調でノワールを呼び――

 ふわ……

 黒い羽根が大量に降ってきた。
 紫鶴は足を止めた。この羽根は――
「夜闇殿……?」

 ――逃げて――

 めきり

 どこかで、鉄が折れるような音がした。
 ノワールがさっとまなざしを鋭くした。
「門――」
 ざざざざざっ
 一気に走りこんでくるのはフードを深くかぶって顔を隠したマントの人間たち。
 薔薇狩り――
「来たかっ!」
 冥月が歓喜の声をあげた。
 薔薇狩りのひとりが前庭の薔薇に向かって剣を振りかざす。
 はっと悠輔と辰一、蛍華が身構える。
「出ておいきなさい!」
 撫子が凛とした声を放ち、妖斬鋼糸をくもの巣のように広げる。
 薔薇狩りたちの動きがからめとられた。
 中央に――
 紫音とそっくりな、黒髪に紫の瞳をした青年が静かにたたずんでいた。
「今日もまた……たくさんの助っ人ですね」
 青年――カノ・ラルハイネはつぶやく。余裕をたたえた顔で。
「立ち去りなさい」
 魅月姫が冷淡な気を放ちながら冷たく言い切った。
「私は他の人には優しくありません。覚悟がないなら――立ち去りなさい」
「―――」
 カノは無言で、手を軽く振る。
 それだけで、薔薇狩りたちを拘束していた撫子の妖斬鋼糸がすべてちぎれた。
 薔薇狩りたちは問答無用で薔薇を散らそうとする。
「薔薇を狩る? させると思うか」
 冥月が――
 薔薇のある敷地すべてを影に沈めた。
 これでは薔薇を狩ることは不可能だ――
 カノが、少しだけ不愉快そうに鼻にしわを寄せながら冥月を見る。
 薔薇を失い――
 手持ち無沙汰になった薔薇狩りたちが紫音とノワールを襲った。
「ノワール殿……っ!」
 紫鶴は必死で駆けた。
 そして、ノワールをかばった。
 紫鶴の服が鎌で切り裂かれる。幸い血は飛ばなかった。
「どきなさい! 私は戦える!」
 ノワールは自分を抱きしめて地面にうずくまる紫鶴に怒声を放つ。
 紫鶴はどかなかった。その紫鶴に振り上げられる鎌――
「させんわ」
 蛍華が氷刀で弾いた。すかさず悠輔が、額に巻いていたバンダナを取り鎌を巻き取って、瞬間的にバンダナを鋼鉄に変えると無理やり鎌を奪い取る。
 薔薇狩りは武器さえ奪ってしまえばただの人間だ――
「何をやっている竜矢」
 冥月が竜矢を蹴りやった。「お前は弱いのだから紫鶴の護りに徹しろ」
「そうも――いかないんですよ!」
「アンチ・リカバー!」
 エルナが紫音を狙った男たちを結界に閉じ込める。
 竜矢がつと針を放ち、薔薇狩りたちに影縫いをかける。
 紅珠が慌てて麻痺呪歌を歌い、数人の小さな――おそらく中身は子供だろう――の薔薇狩りたちの動きを止めた。
 Fは紅珠の傍で成り行きを見守っている。
「まさかこんなことになるとは……」
 辰一は正式な呪符を持ってきていないことを悔やみ、とにかく結界だけでもと戦うすべを持たない紅珠とFの周りに結界を張った。
 上空では夜闇が、胸の前で手を組んで泣きそうな顔で見守っている。
「お前たち、邪魔だ!」
 冥月の高らかな声が響き、彼女の影からいくつもの影の線が伸びた。
 そしてそれらは動きを止められた何人もの薔薇狩りたちから武器を軽々と奪い取った。
 それらを冷めた目で見つめるはカノ・ラルハイネ。
「今回はずいぶんと強力な助っ人のようだ。シオン」
「カノ、何度言ったら分かるの。ここの薔薇は渡しません――」
「シオン、貴女こそおろかだ。力ある薔薇などこの世に存在してはいけない――」
 カノはパチンと指を鳴らした。
 とたん、
「ああああああっ!!!」
 紫鶴の悲鳴があがった。
 紫鶴の背中が燃え上がった――
「紫鶴!」
 ノワールが声をあげる。
「ちっ!」
 冥月がノワールと紫鶴を影の中に沈めた。影の中でなら、いくらでも炎を消せるし手を出させることもない。
 カノはうるさそうに冥月を見る。
「貴女……さきほどからうるさいですよ」
「ようやく私を見たな」
 冥月はちろりと舌なめずりをした。
「お前には貸しがある。ここで返させてもらうぞ」
 影の中から複数の縄が飛び出し、空を切ってカノに伸びた。
 カノはそれを、指を鳴らすだけで消滅させた。
「僕には生半可な力は効きませんよ――」
「―――っ」
 冥月は激昂した。影から大量の針が飛び、カノを襲う。
 カノはまたもや指を鳴らすだけで、針をすべて地面に落とした。
「無駄です、あなた――」
 紫音が冥月の後ろから大声をあげた。
「カノには効かない! カノは――薔薇狩りを行うためにたくさんの魔術を自らの身に刻んだ」
「な、にっ」
「不老不死と言っても過言ではないの。カノには、どんな力も通用しない……!」
「――そんな戯言で諦めてたまるか!」
 魅月姫が闇の魔力をためる。撫子は御神刀『神斬』をすらりと引き抜く。
「手を出すな」
 冥月は魅月姫と撫子に言った。「やつは私の獲物だ」
「そんな勝手が通ると思っているのですか」
 魅月姫が冥月に問うた。
「それを条件に紫鶴についてくることを了解してやったのだからな……!」
 カノがぱちんと指を鳴らす。
 武器を奪われ、地に伏せていた薔薇狩りたちの手に再び武器が現れた。
「ちっ。こちらも相手にせねばならぬではないか」
 蛍華が氷刀を振りかざす。悠輔はバンダナを剣状にして持ち直す。
 辰一が蛍華と悠輔の周辺にも薄い結界を張る。
 紅珠が喉を枯らさんばかりに麻痺呪歌を歌い、エルナはひたすら「アンチ・リカバー」で動きを止め続けた。
 動きが止まった者の武器を、魅月姫と撫子が壊していく。
 時々ひらりと黒い羽根が上空から降ってきては、薔薇狩りたちの視線をさえぎる。夜闇は戦いのために、自らの黒い翼をむしっていた。
 Fはひそかに悠輔やエルナ、撫子が持っていた荷物を抱え、バトルフィールドを避けていた。
 カノが指を鳴らすたびにそれは繰り返された。
「貴様……っ」
 冥月はぎりりと歯をきしらせて、影から最大量の針を生み出しカノに時間差で放っていく。
 カノが指を鳴らし針が落とされた瞬間を狙い、カノの影から縄を生み出して、青年の足にからませた。
 ぱちん
 縄がはちきれる。
 すかさず針が飛ぶ。
 カノが面倒くさそうに手を一振りすると、針がすべて地に落ちた。
 冥月はカノの影から針を生み出し、真下から突き刺すように攻撃する――
 カノが体の向きを変え、指を鳴らそうとしたその瞬間――

 カノの影から手が伸びた。

「あっ……!?」
 冥月はしまったと自分の不覚を呪った。カノを攻撃することに集中しすぎて、影の中に沈めた紫鶴とノワールのことを忘れていた――
 カノの影から伸びた手はがっしりとカノの足にしがみつく。
 ずるずると影から出てきたのは――赤と白の入り混じった不思議な長い髪。緑と青のフェアリーアイズ。
 新月の日。
 背中を焼かれてなお。
 紫鶴は、ノワールのために戦う気だった。
 カノは邪魔くさそうに足にしがみついてくる紫鶴を蹴飛ばす。
「紫鶴!」
 誰ともなく声をあげた。その場の全員が一瞬、カノに殺意を覚えた。
 紫鶴は完全に影から蹴りだされ、地面にはいつくばった。
「姫!」
 竜矢が走る。その前に冥月が再び紫鶴を影に沈めようとする。
「よし……てくれ、冥月、殿……」
 切れ切れの声で、紫鶴は言った。
「ノワール殿を……、私も、護り、たい」
「今のお前じゃ足手まといだ」
 冥月は遠慮容赦なく事実をつきつける。しかし、
「この……人は、紫音殿、の、ご兄弟、と聞いた……乱暴は……したく、ない」
 紫鶴はがくがくと震える体を起こす。
 カノが眉をひそめて紫鶴を見ていた。
「また不思議な娘を連れてきたものですね……そんなことで僕が揺らぐとでも?」
「ノワール殿と紫音殿には、手を出させない」
 紫鶴は、気力のみで立ち上がった。
 竜矢がそれを支えようとする、その手を振り払って。
「立ち去れ。薔薇狩りのリーダー」
 紫鶴はカノにまっすぐ向き直った。
 オーラが――
 立ちのぼっていた。
 生きるか死ぬかの状態になってなお輝く、美しい色のオーラ……
「ここの薔薇には手出しはさせん。立ち去れ」
「紫鶴……」
 紫音が唇を噛む。
 カノが値踏みするように紫鶴を見ていた、その瞬間に。
 冥月がカノの影から、何本もの縄を生み出し、カノの体を拘束した。指を鳴らせないよう、手はがっしりと縛りつけ。
「ようやく、捕まったな……」
 冥月はにやりと微笑んだ。
「紫鶴のおかげというのが少しばかり問題だが……まあ、いい」
 さあ――、と冥月は紫音にカノを示した。
「煮るなり焼くなり好きにするがいい。薔薇を狙われなくて済むようになるぞ」
「カノ……」
「や、やめてっ」
 唐突に声をあげたのは、エルナだった。
「――薔薇を襲うのは問題があるけれど、考え方の違いで相手を――殺さないでっ!」
 エルナは今にも泣きそうだった。
「………」
 紫音はカノを見つめる。
 冥月の影から解放されたノワールがすっと進み出て――
「……あなたがどれだけ狙おうとも、私たちの薔薇が傷つくことはない」
 静かに言った。
 紫音は目を閉じた。
 そして、開いた。
「……カノを開放してください」
「……いいのか?」
「ええ」
 紫音は凛とした姿勢で、冥月を見た。
「あれとは考え方の違いでのいざこざ……暴力で解決することはないわ。解放してください」
 冥月は大きくため息をつき、
「……分かった」
 するり、とカノを拘束していた縄がすべって消える。
 カノはぱんぱんと服をはたいて、
「やれやれ……困ったお嬢さん方だ」
 何事もなかったかのように周囲を見た。
 薔薇狩りたちはすでに、武器をすべて壊されている。
「仕方ない。今日は帰ることにいたしますよ――シオン」
 そこでカノは、くっと笑った。
「僕が諦めることは、ありませんがね」
 すう……と彼の姿が薄らいでいく。
 やがて、カノはその場から姿を消した。

 ふっ――
 気が抜けたように、紫鶴がその場に崩れ落ちる。
 竜矢がそれを支えた。ゆっくりと地面に寝かせる。頭は竜矢の膝に乗せ。
「姫……」
「どうして、あそこまで無茶をしたの」
 ノワールが紫鶴の顔をのぞきこむ。
 紫鶴は弱々しく微笑んだ。
「友達に……なりたかったから」
「………」
「友達なら……護りたいと思うのは当然だ。そうだろう?」
「えらい! 紫鶴」
 回復の呪歌をハミングしていた紅珠が手を叩いた。
「まったく……無謀にもほどがあるわ」
 蛍華は呆れたように、けれどまんざらでもなさそうに笑った。
「紫鶴ちゃんは素敵だね」
 エルナが顔をのぞきこんでくる。
 ノワールがエルナを見て、
「……あなたは、友達が多そうに見える」
「えっ……あ、あたし?」
「違う?」
 エルナは――首を横に振った。
「今は……人間を嫌う妖精の仲間が多くて……あたしは、みんなに、もう一度ヒトを見つめなおして、ほし……」
 言葉に嗚咽が混じってきた。
 紫鶴がそっと、震える手を伸ばしてエルナの頬に触れた。
「……できる。エルナ殿が願うならきっとできる……。私にも、願って、頑張ったら、たくさんの友達ができた……」
 ひらり
 ふと、空から黒い羽根が降ってきた。
 ちょうど紫鶴の顔にかかり、紫鶴はその羽根で新月の夜の泡沫の夢を思い出した。
 勇気を――
 くれた人がいたことを、思い出した。
 紫鶴は胸元に手をやり、服の中から何かを取り出した。
 それは、薔薇の種が入った小さな袋――
 そして視線をノワールに移し、
「ノワール殿」
 薔薇の種を差し出しながら、ふわりと微笑んだ。
「私の……友達になってくれないか」
 その言葉を聞いて、誰もが安堵した。一番大切な言葉を、紫鶴は無事に言うことができた――
「あたしやエラトとも友達になって!」
 エルナが左肩にとまっていた赤い蝶々を指しながらノワールに言う。
 ノワールは――
 まず、紫鶴を見た。エルナを見た。蛍華を見た。撫子を見た。魅月姫を見た。辰一を見た。紅珠を見た。悠輔を見た。冥月を見た。Fを見た。
 空を仰いで、そこにいる夜闇を見た。
 そして、ぽつりとつぶやいた。
「とっくの昔に、みんな友達なんだと思っていた……」
 ――……
 ノワールは紫鶴の手から、薔薇の種を受け取る。
 滅多に動かないその表情が、微笑んでいた。
 紫鶴の色違いの目に涙が浮かぶ。
 それは喜びの涙だ。
 空から黒い羽根が降ってくる。
「あ……」
 紫鶴がそれをつかもうと手を伸ばすと、
 ちょうどノワールも手を伸ばそうとするところで、
 二人の指が触れ合った。
「………」
 二人の手は自然と――
 お互いの手を握り合っていた。
「よかったですね、二人とも」
 辰一が二人の頭を撫でた。
「さあ、お茶会だ!」
 紅珠が目を赤くはらして大声をあげた。
「みんなのためにお茶会だ!」

 撫子が中心となり、辰一と悠輔とエルナが手伝ってお茶会の場が用意される。紅珠も手伝いに混じっていたが、ものをひっくり返さないようにするのに精一杯で手伝いになっていなかった。
 撫子がカステラとシフォンケーキ、紅茶葉数種を持ち寄り、
 悠輔は戦闘中Fに預けていた大きなケーキを差し出した。
 色とりどりのクリームの薔薇でデコレーションされたケーキ――
 どこを切り分けても全員に薔薇が行き渡る配置、それはまさに芸術品的な美しさだった。いっそ切るのがもったいないほどだ。
「綺麗ですぅ……」
 ちゃっかり子供姿に戻ってお茶会に参加している夜闇が、うっとりとケーキを見た。
「はい、これも!」
 エルナが――こちらもFに預けていたかごを持ってきて――差し出した。
 桃、西瓜、梨。どれも旬の甘そうなフルーツだ。
「紫鶴ちゃんの分、別にしといたからね」
 疲れてるだろうから――とエルナは紫鶴の前にあらかじめ切り分けてあった分を置く。
 撫子が紅茶を淹れる。こぽこぽと平和な音がする。
「は〜♪ お茶がとっても美味しいのです〜♪」
 夜闇が一口飲んでふうと息をついた。
「薔薇尽くしで、飽きたな」
 軽口を叩きながらも紅茶をまっさきにおかわりしたのはFだ。
「なあノワール。これやる」
 紅珠がノワールに細長い包みをプレゼントする。
「開けていいぜ」
 言われるままにノワールが包みを解くと、そこにおさまっていたのは小さな薔薇のついたガラス製のペンだった。
「文通に使えよな」
「………」
 ノワールは口元に笑みを浮かべて、
「綺麗」
 とつぶやいた。
 ごほん、と紅珠が頬を赤らめて咳払いをする。
「紫鶴。水じゃ」
 ほれ、と蛍華に透明な液体を差し出され、「?」マークを出しながらも紫鶴がそれを飲むと――
 げほごほげほっ
「――こ、これは何だろうか、蛍華殿!?」
 熱い体が熱い! と騒ぎ出す紫鶴の傍で、竜矢が紫鶴の飲み残したそれを一口飲んだ。
 そして仰天した。
「お酒じゃないですか!」
「いや。面白いかと思っての」
「姫は未成年ですよ!」
「面白ければ何でもOKじゃ」
 蛍華はぐっと親指を立てる。
 場が笑いに包まれた。
 紫音が笑っていた。ノワールも笑っていた。
 誰もが笑っていた。
 笑い声が薔薇庭園に広がり、そして――
 優しく、薔薇たちを揺らしていった。


 ―Fin―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0328/天薙・撫子/女性/18歳/大学生(巫女):天位覚醒者】
【2029/空木崎・辰一/男性/28歳/溜息坂神社宮司】
【2778/黒・冥月/女性/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
【4682/黒榊・魅月姫/女性/999歳/吸血鬼(真祖)/深淵の魔女】
【4958/浅海・紅珠/女性/12歳/小学生/海の魔女見習】
【5655/伊吹・夜闇/女性/467歳/闇の子】
【5795/エルナ・バウムガルト/女性/405歳/デストロイヤー】
【5799/F・―/男性/5歳/???】
【5973/阿佐人・悠輔/男性/17歳/高校生】
【6036/蒼雪・蛍華/女性/200歳/仙具・何でも屋(怪奇事件系)】

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■         ライター通信          ■
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阿佐人悠輔様
いつもありがとうございます、笠城夢斗です。
今回もゲームノベルへのご参加ありがとうございました。途中からのご参加でしたが、最後までご一緒してくださりとても嬉しいです。
悠輔さんの差し入れはいつもおいしそうですねv私も食べてみたいです(笑
よろしければまたお会いできますよう……