■嵐の前の大除霊■
海月 里奈 |
【5615】【アンネリーゼ・ネーフェ】【リヴァイア】 |
「金曜日の夜も、土日も混んでいますからね。そういうわけで、木曜日の夜に、こっそりと決行することになりまして。……あ、花火大会の二週間ちょっと前ですよね、要するに」
――東京の、とあるカトリック教会の聖堂にて。
一応ここが神の居ます場所であるということは意識して、それでも、どことなく楽しそうな雰囲気は押さえきれずに説明を始めていたのは、金髪碧眼の青年、ユリウス・アレッサンドロであった。
この教会に所属する司祭、つまりは神父でありながらも、実の所はローマ・カトリック教会公認の祓魔師(エクソシスト)であり、枢機卿――つまりは高位聖職者としての地位を持つ彼は、相も変わらずそのようなことは人に感じさせない愛想の良さと責任感の甘さで、得意気に手に持つ色彩豊かな光沢紙を指差した。
「いいでしょう? まさしくビップ席と言わんばかりの場所ですよ。まさしく番組中継席のような、審査員席のような、そんな場所ですよ、ここは。で、今年は私達が、この場所に座って花火を眺めていられると」
そこに描かれていたのは、今年度の隅田川花火大会のプログラムと、その地図とであった。日本で一番有名な、かつ、規模の大きな花火大会。東京都民であれば、誰もがその存在をしっていてしかるべきものであった。
「でも、そのためには、一つ仕事をしなくちゃあならないんですよね」
付け加えたのは、聖堂の拭き掃除をしていた女性――この教会に住むシスター・星月 麗花(ほしづく れいか)であった。
「花火大会が幽霊達に邪魔されないように、一度関係区域を除霊しなくちゃあならないんです」
ほら、危ないですから。花火なんて、打ち上げている最中に邪魔されると、死人が出ちゃいます。
更に付け加え、再び雑巾を握る手に力を込める。
ユリウスは麗花からの無言の圧力に負けて座っていた椅子から立ち上がると、
「しかしまあ、その前に除霊ですよ、除霊。皆さんも存知でしょう? 水際には、霊が多いんです。そこで、木曜日の夜に水上バスが出ますから、それで除霊するんですよ」
やれやれ、と、肩まで手を挙げ、心の底から面倒くささを吐き出した。
「都会はこれだから嫌なんですよねえ。働かざるもの食うべからずというか、何というか、もうちょっとこう、仮にも税金を納めているんです。教会には、優しくしてくれたってバチはあたらないと思うんですけれどもねえ」
バターたっぷりのショートケーキの上にメープルシロップをかけ、更に砂糖をまぶしたかのような台詞を平気で言い放つ。
ユリウスは、周りの人々が飽きれているのには気づかないふりで、長テーブルの上にそっと手をついた。その手の平の下に、花火会場の地図を置いて。
「まあ、それでも、折角の一年に一度の楽しみですものね。折角めぐってきた機会です。ここは皆さんにお任せ致しますので、私に特等席を宜しくお願い致します」
「もちろん猊下も行くんですからね」
麗花の一言は、恐ろしいほど冷ややかであった。
一瞬にして聖堂の中にだけ冬が訪れる。ただ一人、逆半球に住んでいるかのようなユリウスを除いては。
「えー……私、その日はきっと青年会の天体観測会の準備が……」
「猊下は青年会のせの字にも関わっていらっしゃらないでしょう」
「でもほら、その日は二本先の通りに新しいイタリアンジェラートのお店がオープンするって、麗花さんもご存知ですよね?」
「言い訳は無用です。じゃないと、猊下の席は無しですよ」
「私、ラテン語聖書の購読会の指導で疲れてますのに……」
「い・い・で・す・ね?!」
「――はい」
ようやく駄々っ子を黙らせると、麗花はユリウスの代わりに、ぐるりと周囲と、自分の記憶を見渡した。
「とりあえず、お付き合いいただける方って、ここにはいらっしゃります?」
それから、この場所で足りなかったら、後は誰に連絡を回そうかしらね。
★
この時聖堂にいらっしゃったか、もしくは麗花からの連絡を受けて、或いは、知人・友人・そのほかの人からの口コミによって、皆様はこの事実を知ることとなります。
参加者様には、花火大会の鑑賞席がプレゼントされるようです。
除霊の方法等をお書きください。なお、除霊対象は隅田川周辺の川の霊です。花火当日ににぎやかさに惹かれてやってくるとよろしくありませんので。
水上バスを利用します。除霊業のために一時的に停船させることは可能です。
花火大会当日(なおついでに付け加えておきますと、大竹誠司なるユリウスの友人と、その友達以上恋人未満の清水色羽も来ます)の行動については、簡単にであれば書いていただいてかまいません。メインはあくまでも除霊大会になると思われます。
宜しくお願いいたします。
※NPC情報等
http://omc.terranetz.jp/creators_room/room_view.cgi?ROOMID=585
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嵐の前の大除霊
「金曜日の夜も、土日も混んでいますからね。そういうわけで、木曜日の夜に、こっそりと決行することになりまして。……あ、花火大会の二週間ちょっと前ですよね、要するに」
――東京の、とあるカトリック教会の聖堂にて。
一応ここが神の居ます場所であるということは意識して、それでも、どことなく楽しそうな雰囲気は押さえきれずに説明を始めていたのは、金髪碧眼の青年、ユリウス・アレッサンドロであった。
この教会に所属する司祭、つまりは神父でありながらも、実の所はローマ・カトリック教会公認の祓魔師(エクソシスト)であり、枢機卿――つまりは高位聖職者としての地位を持つ彼は、相も変わらずそのようなことは人に感じさせない愛想の良さと責任感の甘さで、得意気に手に持つ色彩豊かな光沢紙を指差した。
「いいでしょう? まさしくビップ席と言わんばかりの場所ですよ。まさしく番組中継席のような、審査員席のような、そんな場所ですよ、ここは。で、今年は私達が、この場所に座って花火を眺めていられると」
そこに描かれていたのは、今年度の隅田川花火大会のプログラムと、その地図とであった。日本で一番有名な、かつ、規模の大きな花火大会。東京都民であれば、誰もがその存在を知っていてしかるべきものであった。
「でも、そのためには、一つ仕事をしなくちゃあならないんですよね」
付け加えたのは、聖堂の拭き掃除をしていた女性――この教会に住むシスター・星月 麗花(ほしづく れいか)であった。
「花火大会が幽霊達に邪魔されないように、一度関係区域を除霊しなくちゃあならないんです」
ほら、危ないですから。花火なんて、打ち上げている最中に邪魔されると、死人が出ちゃいます。
更に付け加え、再び雑巾を握る手に力を込める。
ユリウスは麗花からの無言の圧力に負けて座っていた椅子から立ち上がると、
「しかしまあ、その前に除霊ですよ、除霊。皆さんも存知でしょう? 水際には、霊が多いんです。そこで、木曜日の夜に水上バスが出ますから、それで除霊するんですよ」
やれやれ、と、肩まで手を挙げ、心の底から面倒くささを吐き出した。
「都会はこれだから嫌なんですよねえ。働かざるもの食うべからずというか、何というか、もうちょっとこう、仮にも税金を納めているんです。教会には、優しくしてくれたってバチはあたらないと思うんですけれどもねえ」
バターたっぷりのショートケーキの上にメープルシロップをかけ、更に砂糖をまぶしたかのような台詞を平気で言い放つ。
ユリウスは、周りの人々が飽きれているのには気づかないふりで、長テーブルの上にそっと手をついた。その手の平の下に、花火会場の地図を置いて。
「まあ、それでも、折角の一年に一度の楽しみですものね。折角めぐってきた機会です。ここは皆さんにお任せ致しますので、私に特等席を宜しくお願い致します」
「もちろん猊下も行くんですからね」
麗花の一言は、恐ろしいほど冷ややかであった。
一瞬にして聖堂の中にだけ冬が訪れる。ただ一人、逆半球に住んでいるかのようなユリウスを除いては。
「えー……私、その日はきっと青年会の天体観測会の準備が……」
「猊下は青年会のせの字にも関わっていらっしゃらないでしょう」
「でもほら、その日は二本先の通りに新しいイタリアンジェラートのお店がオープンするって、麗花さんもご存知ですよね?」
「言い訳は無用です。じゃないと、猊下の席は無しですよ」
「私、ラテン語聖書の購読会の指導で疲れてますのに……」
「い・い・で・す・ね?!」
「――はい」
ようやく駄々っ子を黙らせると、麗花はユリウスの代わりに、ぐるりと周囲と、自分の記憶を見渡した。
「とりあえず、お付き合いいただける方って、ここにはいらっしゃります?」
それから、この場所で足りなかったら、後は誰に連絡を回そうかしらね。
I
浅草。
雷門、で有名な東京の観光地も、この時間ともなればそこそこ静まり返っていた。
夜風のまだ生暖かい中、水上バス浅草駅の水辺から、白一色の古風な船に、次々と人が乗り込んで行く。日付も変わり、人々もまだ夢の中であろうこの時間帯に、不似合いな賑わいが周囲を支配していた。
そうしてしばらく、船はゆっくりと水を引きずって東京湾を目指して出発する。
操縦席に座るのは、無口な職人肌の壮年男性。水上バスの運転手としての経歴も長く、かつ、毎年行われる除霊の際の運転を担当している人物――であるらしかった。ユリウスや麗花も、挨拶くらいしか交わしていないため、その辺りの事実がどうなのかはよくわからないのだが。
その操縦席の上に、風の流れる屋上デッキがあった。早速動き始めた船に揺られながら、七人の男女が思い思いに言葉を交わす。
「どうしてする気も無い仕事なんかお受けになったんですか……猊下」
いつもはあまり揺らぐことの無い微笑を苦く濁し、黒髪の青年、紅月 双葉(こうづき ふたば)は早速溜息を吐かざるを得なかった。
カトリックの司祭の証でもある首元のローマンカラーに人差し指をやりながら、昔馴染みの困った枢機卿を見据える。
「まあまあ、そんなことは仰らずに。いいではありませんか、私はたまには双葉神父と一緒に花火が見たいですねぇ、なんて思いましてね、」
「そんなこと言って、自分は戦力外になる気満々なのでしょう?」
「おや、誰も双葉神父を私の代わりの穴埋めにするなんて言っていませんでしょう?」
「今言いましたね? 猊下。やっぱりそういうおつもりだったんですか」
「いやあ」
ユリウスは双葉の肩を両手で後ろから叩くと、
「そんな、あれこれと深く色々お考えになってはいけませんよ、双葉神父。ちゃんと聖書にも書いてありますでしょう、明日のことは、明日自らが考えるって」
「猊下の場合それを都合よく解釈なさっているのが問題だと思いますけれどもね」
「相変わらずつれなくていらっしゃりますねえ。ほら、私達もあんな風ににぎやかに、楽しくいきましょう? ね?」
ユリウスの視線の先には、あれこれと楽しそうにはしゃいでいる女性達の姿があった。
「わぁ、嬉しい! じゃあ今度はアンネリーゼさんのケーキ、いただけるんですねっ?」
「ええ、勿論です。麗花さんのケーキには及ばないかも知れませんが……」
すらり、と繊細な羽が夜の光に反射する。青く長い髪を風から手元に戻しながら穏やかに微笑んだのは、アンネリーゼ・ネーフェ――再生、を司る、光の妖精であった。
その視線がふとデッキの床の一点に止まる。
そこには、情けない姿で突っ伏している、黒髪の長い、本来であれば立ち振る舞いもしっかりとしているはずの青年、田中 裕介(たなか ゆうすけ)の姿があった。
「ところで、いいんですか? 彼のこと、放っておいて」
「……あぁ、いいのよ。そうそう、当日はアンネリーゼさん、当然花火大会にはいらっしゃるんですよね? 私と一緒に見ましょ? あんな駄目男ほっといて」
「裕介さん云々はともあれ、花火はでしたら、ぜひ麗花さんと一緒に」
「ひ、ひどひ……」
うつ伏せになったまま力の抜けるがままに任せていた裕介の背を、ネコ耳フードの愛らしい幼子、月見里 煌(やまなし きら)が、ぱぁぱ、ぱぁぱぁと叩き続ける。
一度目の誕生日を迎えているのかいないのか、まだまだ無邪気な様子の男の子は、小さな手で裕介の髪を握り、更にぱぁぱ、ぱぁぱと呼びかけを続けていた。
いつものことではあるが、この赤子は、いつの間にかこの船に現れていたのだ。いつもどこからとも無く現れ、どこかへと消えてしまう赤ちゃん。まぁま、はこの世に一人しかいなくとも、ぱぁぱ、はまだ決まってはいないのか、その日の気まぐれでぱぁぱ、を決めて笑いかける。
この日のぱぁぱ――こと裕介は、そのせいで麗花から殴る蹴るの制裁を受けざるを得なかった。不潔よ! の一言から爆発した怒りは、裕介が言い訳をやめるまで治まることは無かった。
「裕介は相変わらずなんだねー。でも、麗花のこと泣かせたら、みあおが許さないよ? わかってんの?」
そんな彼の頭を煌と共に叩いていたのは、銀髪のやわらかな小さな少女、海原(うなばら) みあおであった。
彼女はにっこりと笑い、立ち上がると、浴衣の袖を押さえて麗花の方を振り返る。
「ねー、そういえばこーやって会うの、結構久しぶりだったよね、麗花! 暑さに負けてなかった? あ、相変わらず枯れ木にもならなさそーなユリウスも久しぶりだね! どーせ少数精鋭神職者してるんでしょ?」
「なんですかその少数精鋭なんとかって……」
「さっきから思ってたんですけれど、なんて可愛いのよみあおちゃんっ! さすが、海原家のセンスは最高ねっ」
ユリウスを押しのけるなり、しつこいほどにみあおのおはしょりを整えはじめる麗花の顔には、自然と笑みが浮かび上がる。
何かとファッショナブルな一家だものね。
みあおの姉は、或いは両親は、今日のために、みあおのためだけにみあおのためだけの浴衣を新調してくれたに違いないのだ。
「うんっ、みあおもこれ、とっても気に入ったんだー。でもこのお花は、みあおがお小遣いで買ったんだよっ!」
帯に留められた一輪のひまわりを指先に遊ばせ、みあおがウィンクを一つ咲かせる。
「あぁんもう可愛いんだからっ! もうやだっ、私にもこんな娘がいたらいいのにっ!」
「うわっ、れーか、苦しいってば……!」
まるで飛びつくかのごとくにみあおを腕に抱え込んだ麗花の背を見つめながら、それを見つめていた裕介が溜息を漏らす。
「女の子がいいんだ……」
わぁ、と悪戯に笑う煌を軽くゆすってあやしつつ、男の子も可愛いんだけどなぁ、と、ぽつり、と付け加える。
んにゅ? と振り返った煌の右手が頬に当る。
「いたっ……」
何気なく母親譲りの力強さを感じたような気がしたが、帽子の猫耳を揺らして笑いかけられ、裕介は口元の力を抜いた。
「まあ、元気な子ならそれでいいか……」
「娘とは、ムスメのことですか?」
ふと。
裕介の横で凛、と呟いたのは、アンネリーゼであった。
「はい?」
「愛の結晶……」
「えーと、」
やんややんやと笑う煌と、自分の真意を掴みかねているのであろう裕介とを交互に見つめた後、みあおと戯れる麗花の方へと視線を投げた。
「家族……」
人間は恋愛をし、結婚をし、そうして新しい家族と家庭とをつくるのだという。
ふと、まだよく知らないこの地上の常識、を思い返す。
そうしてそれは、私達妖精には、縁の無い話、なんですよね。
しかしそれでも、家族、というものの大切さがわからないわけではない。アンネリーゼにも故郷である天上の楽園に、家族、と呼ぶに相応しいであろう妖精達が沢山いるのだ。
「えーと、アンネリーゼさんも大胆だな……それは、確かに私はそうなればいいなぁ、とか思っているわけで、」
いやあ、と弁解じみたものをはじめた裕介の表情が、どこか幸せそうに見える。愛しくて、絶対に護らなくてはならない存在を得た者のそれであるように思われてならなかった。
「麗花さんもそうなんですか?」
「麗花さんは……どうなんだろうな。でも、彼女はほら、見ての通り、あんなに子供好きですか、」
「むぅうううわあ!」
「あぁこら煌君っ! 暴れないっ! 暴れちゃめーでしょっ! おーよしよしっ」
煌をあやすその手つきは、アンネリーゼから見ても明らかにわかるほどに手馴れたものであった。
時折波に底を撫でられて揺れる、この穏やかな船。ゆらりゆらゆらと裕介の腕に揺られ、煌は心地よさそうに目を閉じてしまっていた。
――しかし。
「猊下! だからそんな所で星を見ている場合じゃないと言ったじゃないですか……!」
「やぁですねぇ、双葉神父。決まってるじゃあないですか。私が何もしなくたって、皆さんがどうにかしてくださります。ですから私は、ここで静かな夜を堪能するんです。うーみーはーひろいーなー♪」
「歌わないっ!! 歌だけは禁止っ! こんの音痴っ!! 死人が出るっ!! っていうかちょっとっ! そのパフェグラスの中にチョコレートリキュールが入ってるのは知ってるんですよ! っていうか仕事中に飲むな! 猊下ぁあああああっ!!」
船のデッキから聞こえてきた双葉とユリウスとの叫びとのどかな声音との共演に、煌は再び泣き出し、その他の一同は慌てて二人の方を振り返らざるを得なかった。
平和な時間は、唐突に打ち壊された。
「――来ます!」
素早く切り替えたアンネリーゼが、鋭く敵の奇襲を告げる。
船の進行方向前方には、先ほどまで無かったはずの大勢の霊達の急接近する怒涛があった。
足を止めた船が波の坂を急降下する。
数歩たたらを踏んだみあおが、デッキの手すりに掴まってすっと背伸びをした。
「ねえ! でも、ただ除霊しちゃうのはかわいそうだよっ」
「ええ……まあ、それも確かにそうなんだけど……」
いつの間にか、音で霊を操る彼女の武器でもあるフルートを手にしていた麗花が、みあおと同じように目を上げる。
のんびりとしている時間は無い。水上を滑り来る霊達は、もう一分の半分を待たない内にこの船に到達するであろう。
「きっと善い霊だっているはずだよ! 花火を楽しみたいってさ!」
幽霊にだってそーいう権利、あると思うっ!
戦闘体勢を整えつつあった一同全員に聞こえるほどの声を張り上げ、みあおは船を振り返り、両手を広げた。
「だからまずは説得してみよっ? ね? 川掃除じゃないんだからゴミ扱いは禁止! だからみあお、おっちゃんにマイク借りてくるっ!」
「あ、ちょっと、みあおちゃんっ?!」
「麗花さんっ! もう時間がありませんっ! とりあえずいずれにしても、まずここを守らなければっ!」
長い袖を翻したみあおの背を捕らえようとした麗花の腕を、ぐずる煌を片手にした裕介がしっかりと捕らえて離さない。
麗花も再び波の向こうの状況を確認し、仕方無しにフルートを構えた。
「まずは動きを止めるだけ、ですね?」
麗花さん、海原さんの意見にまずは従うつもりなんでしょう?
確認した裕介に、麗花がこくりと頷く。
「猊下、」
「いいんじゃないですか? それでも。まあ何かあったら、双葉神父がどうにかしてくださりますでしょう?」
チョコレートを一口、確認してきた双葉のわき腹を、ユリウスがくりくりとつついた。
「ということで先生、仕事しないならせめて煌君の面倒、見ていてくださいね。子供は気まぐれなんです」
「――えっ」
無理やり押し付けられ、反射的に受け取った煌が、自分の腕の中で再び大声で泣き出してしまう。
まぁまぁ……!
「あ、いや、ちょっと、あのですね、お母様はここにはいらっしゃりませんって……! っていうか大体、あなたはいつもいつも突然どこから出ていらっしゃって、どこにお帰りに……!」
「まぁまああああああああ!!」
「泣かないでくださいよっ! ちょ、この子何で急に泣き止まな……あ、アンネリーゼさんっ! 私の代わりに、」
「私は麗花さんのサポートをします。ユリウスさんはユリウスさんの仕事をがんばってください」
「私の仕事って……!」
冷たくあしらわれて項垂れ、おー、よしよし、と裕介がやっていたようにゆすってみたところで、煌はちっとも泣き止もうとはしなかった。
アンネリーゼはそんなユリウスの困り顔を一瞥した後、軽く両手を開き、波の音に耳を澄ませた。
凛、と薄い羽が、船の明かりに輝きを増す。
「麗花さん、気をつけて。何かあったら俺が、」
「別に大丈夫です。いつもいつもそうやって心配してくれなくたってっ!」
「私も霊を説得してみます」
「では、何かあったら私達が」
裕介を突き放した麗花。ぽつり、と深呼吸を吐き出したアンネリーゼ。そうして最後に、双葉と裕介とが視線を合わせ、頷きあった。
波と風とが船を揺する。
霊団の先頭の恨めしそうな顔が、船のデッキを睨み付けた。
〈ちょっとっ! 幽霊の皆ぁーっ!〉
みあおの声がスピーカーから拡張されるが、霊達の動きは止まらない。
〈ねーえ、少し話し合おうよ! みあお達も単に皆を祓いに来たわけじゃないんだよ! ねえ、一緒に花火見ようよ!〉
(みあおさんの言う通りです。私達は、あなたがたをただ浄化しに来たわけじゃあありません)
ぴぃ……と、麗花のフルートの音色が広く滑り渡る。その音色に制されて、霊達はデッキで煌のことをがむしゃらにあやしていたユリウスの目の前で動きを止めた。
光ではない光が、結界と霊との間で弾け飛ぶ。
双葉が両手を伸ばし、結界の力を強くする――神の力を借りた、神聖なる結界。
〈前の年はどうだったのか知らないけど、みあお達は、花火の邪魔さえされなければ皆を無理やり祓ったりなんてしないよ!〉
(もし私達を襲わざるを得ない状況があるのであれば、私達もそれを解消すべく、最大限努力することはできます――ですから、一度話し合いませんか? あなた方が、ただの『穢れ』になってしまう前に……)
瞳を閉ざし、霊と思念で通じ合うアンネリーゼ。彼女には、何となく、霊達が動揺しているのであろうことがわかっていた。
〈だから話し合おうよ! 皆で喧嘩するよりも、皆で楽しんだほうが絶対いい思い出になるって!〉
みあおの声音も、彼等には届いているに違いない。子供ながらの純粋な言葉が届いているからこそ、彼等はこんなにも戸惑っているのだ。
「……だぁ?」
不意に。
あれほどぐずっていた煌が、けろり、と笑顔を空に向けた。
「じぃじ、じぃじっ」
いつの間にか、手の中でからんころんと花咲爺さんの形をしたベビーラトルを遊ばせていた。
「煌君?」
「ぱぁぱ、じぃじ」
からからからんっ、と、空に向けてラトルを振る。
ユリウスから差し出された煌を受け取った裕介が、煌と同じ方を見た――その時であった。
「とりあえず、話を聞いてくださるそうです」
一歩を踏み出したアンネリーゼが、薄く消え始めていた霊団を見据えて穏やかに言い放つ。
先ほどまで結界と衝突していた部分の真ん中には、確かに煌の言う通り、随分と人のよさそうな浴衣姿の老人の姿があった。
II
(前の年の教訓じゃったんじゃて。毎年こうなることはわかっておりますけれども、前の年はずいぶんと無理やり仲間達が殺されましてのお……)
「幽霊なのに殺されたっていうのもまた面白い表現だとは思いますが……」
(なら来年は先手必勝でやっちまおう! ということになりましてのお。ということで、昨年から人工悪霊壱号と題して、『夢に出ちゃあいやん☆悪霊顔対人間かかし』を製作したわけじゃ)
「そのネーミングセンスはどなたのセンスなんですか……?」
(ところがみーんな、そこの嬢ちゃん二人のかわいさにもえもえなんじゃて。じゃて、とりあえず話を聞いてみようと思っての)
「もえもえって……」
老人の霊に、幽霊でも触れられる・飲めるようにしておいた特殊な緑茶を出しながら、話を聞いて戸惑う双葉。
デッキには、先ほどの老人幽霊が礼儀正しく正座していた。更に彼を中心に、数名の霊達が船上に姿を現している。
スーツ姿であったり、渋谷ギャル風であったり、学校制服姿であったりと、装いも様々な幽霊達は動きこそすれど、一言も口を開こうとはしなかった。ただ彼等を従えているかのような老人幽霊だけが、湯飲みを両手に笑い声をあげる。
(でぇもこの先はそうそう上手くはいきませんぞぉ。何せ奴等はわし等とは違うんじゃて)
「それって、ちょーない会の対立みたいなもんなの?」
手を挙げたみあおへと、老人幽霊が微笑みかける。
(対立というか何と言うか、やつ等はもう話も通じないからかなわんじゃて。わし等もやつ等のいる場所には行かん)
「話、通じないの?」
(もう正常な意志を失っておる。所謂悪霊、とか、地縛霊、とかいうものが集まる場所なんじゃて、ここから向こうはの。東京では毎年沢山の人が死ぬからの)
そういうのが集まる場所があっても、なんらおかしくなかろうて。
みあおはその言葉に視線を俯けると、
「そっか。それじゃあ、説得してもどけてくれないの?」
(おそらく駄目じゃろうなぁ。ん、花火の邪魔をされたくないんじゃろ? やつ等はぜったいにやらかすぞい。悪霊の悪は、わるい、の悪じゃ。悪さをしなければ、悪霊とは呼ばれんて)
「悪霊とかなら、仕方ないもんねっ」
このまま放っておいても、世のためにも人のためにもならないもんね。
そういう霊は、むしろきっと浄化してあげる方がよいに違いない。
自分に言い聞かせるかのように呟いた後、みあおは大きく頷いた。
「よーっし、じゃあこの先は、気を入れ替えてやらないといけないってことだね!」
「そうですね。これから先は、特に油断禁物です」
みあおと同じようにして、すっと川の向うを見やって双葉が言う。
細めた瞳の厳しい光は、しかしある一点に視線が留まった瞬間、悪い意味でやわらかくされざるを得なかった。
「猊下……」
双葉に溜息を吐かれ、そこでようやく、ユリウスは意識を船の上の一同へと戻した。――船の細い柱に長くロープを作るかのようにいくつも結び付けていた、チョコレートの包み紙から。
異様な光景に、双葉はそのまま言葉を失って立ち尽くしてしまう。
「何をやってるんですか何をっ!」
そんな双葉の代わりに、づかづかと怒りを引き連れてユリウスへと歩み寄って行ったのは、麗花であった。
「ねえユリウス、何それ、新手の遊び?」
「ダメよみあおちゃん甘やかしたら! こういう時は厳しく叱らないと……というわけで猊下! 人が皆して大変な思いしてた時に、一人でチョコ食べて挙げ句その包み紙で紐作ってご満悦なんですかっ?! っていうかやることが稚拙よ、稚拙! こういうことは、煌君かみあおちゃんがやって初めて可愛いことになるのよ!」
「麗花、みあおもこんなことしないって」
「ほらみなさいっ!」
「だってごみを捨てる場所もないんですもの。だったら一箇所に集めるついでに結んでみたって同じじゃないですか」
ちょっとした暇つぶしですよ、と言わんばかりの表情で、ユリウスはまたも、ポケットからチョコレートを取り出して口に放り込み、その包み紙をかさかさっとロープの先端に結び付ける。
「まあ麗花さん、言うだけ無駄――ほら、先生、煌君が興味惹かれて落ちちゃったらまずいのでもうやめてくださいよ……麗花さんも怒りますし……」
ユリウスの足元にあんよしてきた拙い煌を追い掛けてきた裕介が、事のついでに場を沈めようとする。
しかし、
「人の話を聞いてるんですかっ!」
「うわっ、麗花さんダメですよ、暴力反対……っていうか水に落ちますからっ!」
「じゃあサボるのはやめて、ちゃんと仕事してくださりますねっ?! でないとほんっとうにこのまま突き落としますよ!」
「ああこら煌君っ! 危ないからそれ以上そのひらひらに近づかないでっ!」
「――って!」
突然。
何の前触れも無く、麗花がユリウスの胸元を投げ捨てた。
麗花は、後ろで裕介が必死にユリウスを引き上げようと歯を食いしばっていることにも目をくれず、
「きゃああっ! 煌君あんよができるようになったのねっ!」
感動を腕の力に代えて、全力で煌を抱きしめる。
「麗花さん、煌さんが苦しがってます」
「あっ、いけないっ! やだぁ私ったら、ついつい……」
アンネリーゼの一言で、やっと正気を取り戻した。
麗花は煌の頬でぷにぷにと遊びながら、
「だって可愛いんだものっ! 嬉しいわぁ、他人の子とは言え、あんよができるようになったなんて! そうよ! 子育ては社会全体でやるべきだわ! だから全世界の子供は私の子なのよ!」
「なんか大げさなような気もしますが……」
「大げさでもなんでもっ! 子供が大きくなったら喜ぶのは当たり前よ、ねっ? ねえ、そう思いません? アンネリーゼさん?」
「確かにそういう考え方も悪くはないと思います」
「ほぉら、可愛いでしょ?」
くるり、と麗花によって向き合わされた煌が、きゃっきゃと笑いかけてくる。
混じりけの無い、純粋な笑い顔。
「――そうですね」
ふわり、と、猫耳フードの小さな頭に手を置く。
アンネリーゼが思わず口元を緩めた時、みあおの暢気な声が聞こえてきた。
「れーかー、ユリウスが裕介と一緒に海に落ちたよー」
「放っておけばいいのよ。猊下なんて、スクリューに巻き込まれたって死にやしないわ」
「裕介は?」
「あの人も死なないから大丈夫よ」
しかし、つーん、とデッキから視線を逸らした麗花は、頬を膨らませてぽつり、と付け加えた。
「……そんなに助けたいんだったら、助けに行ったらどうですか、双葉神父」
「えっ?」
唐突に話題を振られ、戸惑うも、双葉は穏やかな笑みを浮かべて言葉を置いた。
――本当は、ご自分が心配なさっているくせに。
こういう時に、本音を顕にしない麗花。わかってはいたが、言いたいことを飲み込み、双葉は小さく頷くだけにとどめた。
「そうですね、少し頭が冷えた頃にでも、引き上げてさし上げましょうか」
III
――そろそろやつ等の領域じゃて。いつ出てくるかわからん。気をつけるのがよろしかろうて。
そんな老人幽霊の言葉からしばらく。最初は戦々恐々としていた一同ではあったが、これほどまでに平和であっては、いつの間にか集中力も途切れてしまっていた。
「そろそろなんですね……っつくしゅんっ!」
(おっかしいのお。いつもだとこの辺から先に立ち入った霊達は帰ってこないんじゃがのお……)
老人幽霊の声音に合わせて、その辺りをふやふやと漂っていた霊達もこくり、と頷いた。
「ってことはもう立派な彼等の領域か……でも、」
「全然気配を感じないのよねぇ」
裕介の包まる毛布をぽんぽんと乱暴に叩きながら、裕介の言葉を引き継いだ麗花がはぁ、と溜息を吐いた。
「平和ねえ」
「もうそろそろ呼んでみたらどうですか?」
「うーん、それもいいかも知れないわよねえ……」
裕介と麗花としては、麗花がフルートの音色――つまりは、彼女のネクロマンシーの力で呼んだ霊達を浄化していく形をとるつもりであった。
麗花はデッキのテーブルの上に置いてあるフルートへとちらと視線を巡らせると、
「でもここまで平和じゃあ、やる気無くなるわよね」
「油断は禁物ですよ、麗花さん。先ほどの例もありますし」
いつの間にかまたうとうとしてしまった煌を抱いたまま、絶え間無く水の上を見渡していたアンネリーゼがぽつり、と呟く。
「何があるか、わかりませんから」
「確かに。アンネリーゼさんの言う通りですよね……っくしゅんっ!」
「――全く! さっきからくっしゅんくしゅん煩いわねっ! 田中さんこそ、日頃から有事に備えて体の一つや二つ鍛えておいたらどうですか! それで煌君を起こしたら私怒りますからね!」
「麗花さん……割と酷なことを言うんですね。というか麗花さんの大声の方が……」
流石のアンネリーゼも苦笑してしまう。
裕介が先ほどからこうなのも無理は無い。結局あの後、裕介とユリウスとは、双葉が水の上へと渡した氷の橋の上から救出されたのだから。
しかしそれは、彼等のいた水中の温度までもが急激に下がったことを意味しているのだ。
「いいのよ。田中さんだもの」
「それは理由になっているんですか?」
「なっていることにしておけばいいんです!」
「酷いなぁ、麗花さん……」
「落ちるあなたが悪いのよ! 猊下なんて助けないで、放っておいてもよかったのに!」
(威勢のいい嬢ちゃんじゃのぉ)
「麗花は裕介に対しては厳しいんだよ。ユリウスに手厳しいのとは別の意味でね」
この二人、仲がいいのかどうなのか――うっすらと考えるアンネリーゼの横で、みあおと老人幽霊とが明るく笑う。それにつられて、相変わらず黙ったままその辺りを漂っている霊達もこくりこくこくと頷いていた。
「愛だよ、愛」
(そうか、若いのぉ)
「そんなんじゃないわよみあおちゃん!」
「えー、違うのー? 本当は違わないんじゃないのー? ねえアンネリーゼ? そう思わない?」
「私がこんな駄目な男に愛ですって?! そんなわけないじゃない! ねぇアンネリーゼさん、そう思いません?!」
「……はあ」
余裕なみあおと必死な麗花とから回答を求められ、アンネリーゼは煌を抱えなおした。
「ねぇねぇ、麗花ってやっぱりつんでれなんでしょ? きっと本当は裕介の前ではデレデレなんだ♪」
「なっ、何よそれ! そんなわけないじゃない!」
「そーなんでしょ? 裕介?」
「――それを言うと麗花さんに叱られるからなぁ」
「現にそれじゃあ私がツンデレだって認めてるようなもんじゃないの! この大バカっ!!」
「放っておいてもいいと思いますよ、アンネリーゼさん」
流石に立ち尽くしていたアンネリーゼに声をかけてきたのは、裕介と同じく毛布を羽織ったユリウスであった。
しかし彼は裕介とは違い、自分が先ほどまで水に落ちていたことなど感じさせない様子で微笑むと、
「あれでもあの二人、仲がよくていらっしゃりますから。喧嘩してるわけじゃないですし」
「そうですか……」
ふわり、と船が揺れる。
「大分東京湾に近づいてきたと思うのですが」
遠巻きに二人を見守っていた双葉が言う。
「東京湾、ですか?」
「ああ、大体水上バスの終点は東京湾の辺りなんですよ。今日はお台場海浜公園を横切るルートを取ります。ですから、残念ながら所謂『メッカ』には行かないんですけれどもねぇ」
「猊下、変なことを言わないで下さいよ……」
「メッカ……?」
小首を傾げるアンネリーゼへと、双葉の静止に従わないユリウスが説明を加える。
「ビッグサイトっていう逆三角形の形をした建物のある大きな施設がありましてね。所謂オタクと言われる人達のメッカですよ。そこで年に二度あるコミックマー……」
「猊下」
「……という全国全世界からオタクの皆さんがお集まりになるイベントがありまして、ですね。今年からは冬も夏と同じ三日間開催になって、皆心も暖かでいらっしゃるそうですよ」
「それって、何なんですか?」
「いいんですよ、アンネリーゼさん。そんなこと聞かなくても……全く、秋葉原が近いからって、そういう話題ばっかりで盛り上がらないでくださいよ、猊下」
「おや? 双葉神父はこんなこと、ご存知だったんですか? 意外ですねえ? もしかして……」
「残念ながら違いますよ。教会にそういう方々がたまにいらっしゃるから、話を聞かされて知っているだけです」
「……?」
瞬きを一つ、アンネリーゼは双葉とユリウスとを交互に見つめる。
一体、何の話なんですか?
そう問おうと、口を開きかけた時のことであった。
「あっ!」
「何? みあおちゃん」
「ほら、麗花、見てよ! 違うのがいる!――そうだよね、あれ、おじいちゃんのちょーない会の幽霊じゃないよねっ?!」
先ほどから船の上をゆわりふわふわと漂っている霊の一人を指差し、みあおが身を乗り出した。
(んんっ? わしももう年じゃからのう……よく見えんのじゃて)
「ほおら、あれだよあれ! 一人増えてる、あの幽霊!」
(……おおうっ! ホントじゃっ! あれは……!)
言いかけた所で、その幽霊がゆぅるり、と全員の方を振り返った。
――刹那、
鋭い光が、切られる風の悲鳴を共に突き刺さった。
「アンネリーゼ!」
叫んだのは、みあお。
その視線の先では、凛とした輝きが舞う。
「気をつけてください。これからおそらく、もっと来ます!」
彼女の片手には、星の光を輝かせる、銀細工の長い弓があった。
光によって射られた霊は、夜の中に溶けてゆく。
皆が一斉に構えをとった。
「……呼ぶわ!」
フルートを構えた麗花の合図に、皆が一斉に頷いた。
糸を握る裕介。
繊細な聖水瓶から伸びる氷の剣を手にした双葉。
弓を抱くアンネリーゼ。
老人幽霊の肩を抱くみあお。
煌がすや、と、ユリウスの腕の中で目を開ける。
川の上には、薄くフルートの音色が広がっていた。
波が高鳴る。
「麗花さん、下がって!」
言われるまでもなく退いた麗花の居た場所を切り裂き、裕介の指先から、輝く闘志が波間に向かう。水飛沫に溶ける、霊の煙が一つ。
「少し手段が乱暴過ぎたかも知れませんね。一度に呼び過ぎかも知れませんよ?」
デッキに現れた霊を一列切り裂き、双葉が剣を構えなおす。
「住んでいる霊の数が多すぎるのか、或いは星月さんの力が強すぎるのか……」
光景は、先ほどとは打って変わっていた。
波から次々と、船に向かって霊が体当たりを仕掛けてくる。或いは、波間の霊は船を沈めようとしているのか、その波を高く激しく揺らし続けてくる。
「面倒なことになりましたねえ」
それでもデッキの手すりに頬杖をついたまま、ユリウスはぼーっとお台場の観覧車を眺めていた。大欠伸を一つ、ふと思いついたように煌を床に下ろすと、ポケットから取り出した携帯電話の時計に目をやった。
「もうとっくに寝る時間ではありませんか……これでは明日の聖務支障が――ということでアンネリーゼさん、私、ちょっと中で寝てくることにします。麗花さんには、起こさないでくださって結構です、とお伝えくださりますと……、」
言いかけて。ユリウスがびくり、と肩を震わせる。
アンネリーゼが、手にしていた弓を床にとんっ、と付いていた。
真剣な眼差しが、ユリウスを見やる。ユリウスを見やり、彼女は深呼吸を一つ。弓の弦に、白い指先をかけた。
甘い音色が、フルートの響きに調和を重ねて行く。
――レト・ミューズ。
アンネリーゼの持つ弓は、ただの弓ではない。その弦は一本ではなく、さながらハープのように、二二本張られていた。しかもその全てが、シャーピングレバーを備えている。
楽器、だったんですねえ……。
ユリウスが関心している内に、船を襲っていた霊達の動きが鈍くなる。
「♪Requiescant in pace...Fidelium animae per misericordiam Dei requiescant in pace.〈彼らの安らかに憩わんことを……願わくは死せる信者の霊魂、天主の御憐れみに依りて安らかに憩わん事を〉♪」
我が子を腕に抱く母のような歌声が、調和の上を流れ出す。
フルートを吹くのを止め、思わず麗花が振り返った。
「アンネリーゼさん……?」
「麗花さんが呼んだ霊は、私が力を弱めます。――ですから、この調子でいきましょう」
歌の主に微笑まれ、麗花も笑顔を返す。
除霊の目的終着地でもある東京湾までは、もう少しの時間しか残されてはいなかった。
IV
確かにデッキでは、大変、と言っても概ね間違ってはいないような状況が続いていた。ただし、余裕といえば余裕なのであろうが――この船に乗っている人々は、並大抵の者達ではないのだから。
悪霊、地縛霊、浮遊霊。そのようなものが少しばかりまとめてやってきたところで、この場にいる者達を動じさせることなどできるはずもない。
船をしばらく進める度に麗花がフルートで霊を呼び、それをアンネリーゼの歌声が弱体化させ、皆で除霊する。効率的なやり方がわかってしまえば、気も抜ける。もはや除霊の現場はぐだぐだであった。
「裕介ー。見てよー」
三度目のフルートの音色が止み、この周辺の霊の大半が除霊され終えた頃。ちょこちょことよってくる残りの霊を片付けていた裕介へと話しかけてきたのは、割と大げさに混乱していた老人幽霊やその他の取り巻きの霊達を元気付けていたみあおであった。
裕介が振り返ると、みあおはただ一点を指差し、ほおら、と老人幽霊達と共にデッキの床を見やっていた。
その視点の先には、
「やんや、やぁっ」
ぺちぺちぱちんっ、と白いもやを叩きながら、ぱぁぱに向けてにっこりと笑いかける煌の姿があった。
……って、
「ぱぁぱ、ばけばけっ」
「こらっ! それって悪霊――そんなもの触ったら危ないでしょうが……」
言うものの、裕介の語調は弱くなる。
やたらとおとなしい悪霊。煌が叩けば叩く度、その力はぱちぱちと弱められているのよくわかる。そもそも霊に触れること自体が、煌に宿る何かしらの能力を示しているのだが。
「ばけばけっ。ばいばいっ、ばいばいっ」
きゃたり、と笑顔を咲かせる煌の小さな手の下で、白いもやがついに空気に溶けて消える。
煌はおぼつかない様子で何とか立ち上がると、一歩、また一歩と今度は違う霊を見つけて歩み寄って行った。
ばけばけぇ。
「あっ、こら、煌君っ」
ふわり、と船が揺れ、その揺れに耐え切れず転びそうになった煌が、近くの霊に手をついた。
まるでその輪郭を確認するかのようにして、煌はまた霊を叩き始める。
「ぱぁぱぁ、ばけばけぇ」
「……あ、そうか」
そういえば、と、ふと裕介には思い当たることがあった。
そっか、煌君の母親≠ヘ、確かかなり血筋の良い所の――。
ということは、煌君だって当然……。
そもそも、どこからともなく望むものを作り出すことができる、という能力も、母親譲りのものなのだ。彼にちょっとした除霊の力が備わっていても、なんら不思議は無い。
「でもなあ、このままほっといていいものかどうか……」
悪霊がおもちゃ代わりって……。
腕を組み、煌を見つめる裕介。やっている本人は楽しそうであったが、端から見ると危なっかしいことこの上無い。
しかし、裕介の心配も他所に、自由に動き回る子供は次の遊び相手を見つけて微笑んだ。
「……じぃじぃ」
(えっ、わしっ?! わしはまだあの世には行けんぞ! わしには秋葉原の嬢ちゃんのもえ可愛いメイド喫茶に入り浸っている孫を見守るっちゅー大事な使命が……!)
「じぃじぃ、まんまっ!」
老人幽霊の前にちょこん、と座った煌が両腕を広げたその瞬間、何も無かったはずのそこには小さなおままごとセットが並んでいた。
プラスチック製のトマトが、船の揺れに攫われ、デッキを転げ落ちて行く。
しかし、煌はそれを気にする様子もなく、大人の手の平ほどもないまな板を引き寄せ、まるっこい包丁を手に握った。
「あっ、みあおもやるっ! ほら、皆もやろーよ! 面倒なことは大人に任せてさっ、みあお達は遊ぼうよ!」
子供の相手だって、不安な皆を元気付けることだって、立派な仕事、だもんねっ。
これはみあおにしかできない仕事だもんっ、と、おままごとセットに向き直る。
「わあわっ、やあっ」
「ええっとね、そこの人が唐突にリストラされたんだけど退職金が貰えなくて裁判中の長男役で、その隣の人が夫と喧嘩して実家に戻ってきている長女、それから、その隣の人が素行不良で停学中の次男で、その隣の人が同級生の女の子にバイト代を全部貢いでる三男、だって。おじいさんは、おじいさんだってさ!」
「リアルおままごとじゃあるまいし……第一本当に煌君、そんなこと言ったんですか……?」
「煩いよ裕介。裕介は麗花と仲良くしてればいいの!」
ぷい、とそっぽを向かれ、裕介は頬を掻く。
そんなにヤキモチ焼かなくてもいいと思うんだけどなあ……。
「ほおら、麗花ほっとかないで早く行ってあげなよ! みあおは後で遊んでもらうからいいんだもん」
「はいはい。麗花さんには、海原さんが遊びたがっていたってちゃんと言っておきますよ」
苦笑を残し、踵を返す。
その先では、双葉とユリウスとが相変わらずの掛け合いを続けていた。
ユリウスの手が、双葉の肩に伸びる。
「こうですね、ちくちくっ、とやられるのがイヤなんですよねえ。――ねえ双葉神父? そろそろ除霊にも飽きてきましたでしょう? 一緒にお茶にでもしませんか?」
「猊下。そんなにべたべたくっつかないでください。暑苦しいです」
「そんな冷たいことは仰らずに」
「私は猊下と違って暑いのよりも冷たいのの方が好きなんですよ」
「相変わらずつれなくていらっしゃるんですから……。ほら、裕介君だって戻っていらっしゃったんです。ここは裕介君に任せて、私達はお茶に致しましょう?」
「自分が暇だからって他人を巻き込まないでください。全く、それ以上近づくと投げ飛ばしますよ? ほら、田中さんも何か言って差し上げて」
「――紅月さん、相手は先生ですよ、ユリウス枢機卿。言うだけ無駄です。諦めるしかないですよ」
「ほぉら、裕介君はよーくわかっていらっしゃる」
「猊下、見捨てられてるからそういうこと言われるんだって、ちゃんとわかってらっしゃるんですか……?」
片手間にデッキにぶつかってきた霊を片付けつつ、男二人が溜息を吐く。
「ところで、そろそろ第四陣行きますー?」
早くも、そろそろ東京湾に到達、といった所で、麗花が皆に向けて手を振った。
「多分これで最後になると思いますけれども」
「そうですね。早いところ終わらせてしまいましょう」
その声にいち早く応じたのは、ハープに指先を絡めたアンネリーゼであった。
ぐるりと周囲を見回したアンネリーゼの唇から、溜息と共に呟きが零れ落ちる。
「なんだかこちらまで気が抜けてしまいます……」
人間というものは、やっぱりよくわかりませんね……。
おそらく戦々恐々としているのが常であろうこのような現場が、どうしてこんなにもぐだぐだと和んでしまっているのか、アンネリーゼには理解に苦しむ部分があった。
タフ、というか、何というか……。
普段であればそれにちょっとした軽蔑の一つでも覚えていたのかも知れないが、ユリウスの方はともあれとして、みあお達の様子を見ているとそのような気も起きてこなかった。
「なんだか色々と拍子抜けでしたね。私も帰って早く寝ようっと……アンネリーゼさんもそうした方がいいですよ。夜更かしは美容の天敵って言いますし」
裕介や双葉、そうしてアンネリーゼがそれとなく準備を整えた頃を見計らって、麗花はフルートの銀に息を吹き込んだ。
眠らない大都会。その輝きを遠くに控えながら、水がゆっくりと波を高くする。
――だが。
「……え?」
プラスチックのハンバーグをお皿に盛り付けていたみあおが、顔を上げる。
「ねえ待って、今、何か聞こえなかった?」
(……まずいですぞ!)
「まずい?」
老人幽霊の瞳を覗き込む。
その周りでは、無口な霊達が悲惨な様相で、お互いに透き通った体を寄せ合っていた。
(嬢ちゃん、町内会というからには、町内会長がいるんじゃ!)
「おじいさん、そんな話してたっけ?」
(しておらん! そういえば忘れていたのぉ。そろそろわしも痴呆かのぉ)
「わしぃわしっちほー! ちほー!」
その意味も知らぬまま、老人の言葉を真似する煌が、両腕を挙げてわぁ、と笑い声を上げた。
一方で、手をつき、立ち上がろうとしたみあおの浴衣の袖が、積み上げられていた野菜の山を崩す。
「さすがに言いに行かないとまずいかなぁ……」
――と思うな……。
声がより鮮明に響き渡ったのは、その瞬間のことであった。
みあおに言われるよりも早く、裕介や双葉、アンネリーゼや麗花がその異変に気がつく。
フルートとハープ、そうして甘い歌声とが、ふっつりと途絶えた。
「……麗花! なんかこの先には、ボスがいるらしいよ!」
(それ以上上手くいくと思うなぁああああああっ!)
大波がたち、塩気のある豪雨がデッキを濡らすのよりも先に、船はそのエンジンを止めていた。船の行く手を遮るように現れたのは、
「だから油断は禁物だって言ったんです……!」
窪んだ瞳の奥に黄泉の色をたゆとわせた、船よりも大きな白い顔の形をした靄であった。
双葉が氷の剣を構えなおす。
「そんなこと仰る双葉神父こそ、割とリラックスしていらっしゃったじゃないですか」
双葉の耳元で囁くユリウスを引き離しながら、裕介が警告を飛ばす。
「先生、冗談を言っている暇はありません! こいつは今までのとは違います!」
(お前等も道連れにしてやる!)
(あぁなんまいだなむあみだぶつなんみょんほうれんげーきょうあべまりあべにえまぬえる!)
「おじいさん、ほんっとうに適当な神頼みなんだねー」
手を合わせて頭を下げ、必死に呟く老人幽霊の肩を叩き、大丈夫だよ、とみあおが笑った。
「でもま、これが終わったら一緒に花火見ようね? スケジュールは後であわせよ! だからほら、元気出して!……あ」
そういえば、赤ちゃんは?
老人幽霊の肩に手を置いたまま、先ほどまでおままごとセットがあった方を振り返る。
みあおの足元には、ナスビのおもちゃが転がってきていた。しかし煌の姿は、どこにも無い。
「ねえー、煌ぁー?」
その声音を最後に、船上を支配したのは沈黙であった。
しゅんっ、と。
音も無く、鋭利な何かが宙を過ぎって行った。
一瞬にして、その場が静まり返る。何が起こったのかは、誰にもわからなかった。
ただ、尋常でない出来事が起こっていることは、皆よくわかっていた。
だぁだぁ! と。無邪気な笑い声が、悪霊を含めたその場全ての存在の意識を惹いた。
「ききききき煌君っ?!」
「びぃーっ! びぃびぃっ!」
花火大会当日を思わせるような轟音が、東京湾の向こうに木霊する。裕介が顔を引きつらせた瞬間、彼の鼻先をとんでもない速度で切り裂いていったのは、黄色の閃光であった。
煌の両手には、小さな体では抱えきれんばかりの光線銃があった。
「ぱぁぱぁ、びぃびぃー!」
「煌さんっ! 危ないですっ!」
唐突な出来事に口を開いたまま動けなくなっていたアンネリーゼが、はっと我に戻って駆け出した。
しかし、彼女の手が届く目前で、煌はかまわず引き金を引く。
どおん……と、遠くで光が爆発する。その波に揺られ、船が軋んだ音をたてた。
「なんていう威力なんですかっ……!」
だぁ? と振り返ったついでに銃口を向けられ、アンネリーゼが足を止める。十割以上の確率で煌にその気は無いのだろうが、流石にこれだけの威力の光線銃の銃口には恐怖を覚えざるを得なかった。
だぁだぁ、と煌が笑う。ネコミミフードの小さな少年は、特撮ヒーローのような気分で銃を抱えなおして見せる。
その瞬間、
「もう駄目っ、煌君っ!」
麗花が飛び掛り、その拍子に煌の小さな手が引き金にかかる。
(もぉいい! 何がなんだかわからんが、この船は俺が沈めてやるっ!)
状況を呆然と眺めていた霊が腕を広げ、船を囲おうとしたのもその時のことであった。
閃光。その手に偶然、煌の打ち込んだ閃光が穴を開ける。
鈍い悲鳴が空気を振るわせた。
「一気にカタをつける……!」
その隙に船のデッキから川へと飛び降りたのは、氷のような鋭い光を瞳に潜めた双葉であった。
「おっ、双葉神父、どうやらぷっつんなさってしまったみたいですねえ」
のんびりと双葉を追うユリウスの視線の先では、水が双葉を導くかのように氷の道を作り出してゆく。
その手には、氷の剣。感情のほとんどを凍らせてしまった双葉の目には、もはや巨大な悪霊の姿しか映っていなかった。
川の上に伸び行く氷の道の一番端を、おもいきり蹴り上げる。
波の上を、双葉が舞った。
「紅月さん、気をつけて!」
がむしゃらに片手で双葉を払おうとする霊の手を、裕介の糸が切り裂いた。
ユリウスがデッキの手すりに手を乗せ、指を掲げた。
「双葉神父、霊核はあの辺りみたいですよ」
過去将来を有望視されていたかつてのエクソシストは、剣の切っ先を霊の頭の真ん中へと向ける。
そうして。
短い断末魔が響き渡り、あっという間に波は静けさを取り戻した。
視界が開ける。
東京湾から流れ来る風は、今までの出来事を穏やかに均し、過ぎ去って行った。
V
紅色の世界に、黒い影が長くなった頃。今日隅田川を囲むのは、彩り豊かな浴衣に身を包んだ数多くの笑顔であった。
花火大会当日、あの日の夜の出来事など何も知らない人達は、空に咲く花をよく見ようと、一番いい場所を探して歩き回っている。
そんな中、からん、ころんと慣れない様子で下駄を引きずりながら、物珍しそうに辺りを見回している小柄で控えめな印象の少女――清水 色羽(しみず いろは)は瞬きを一つ、
「すっごい人……ねぇ先生?」
目の前の影に、戸惑いを向けた。
「まあ確かになぁ。こんな所じゃあゆっくり見てられないだろうに……」
そんな彼女に浴衣の袖を握られているのは、ユリウスの親友であり高校教師でもある大竹 誠司(おおたけ せいじ)であった。
ユリウスの気遣いによって招待された二人は、先ほどから穏やかな雰囲気で一同の先頭を歩いている。
誠司も色羽も含め、あの日船に乗っていた人々は皆、今日は浴衣に身を包んでいた。服飾関係を得意とする裕介の計らいによって、夏の終わりがいっそ豊かな色合いになる。
「随分といい雰囲気のお二人なんですね、麗花さん」
「いい加減さっさとくっついてしまえばいいんです。全く、相変わらずじれったい二人でかなわないわよ」
青い浴衣を口元にあて、アンネリーゼが穏やかな笑みを浮かべる。
麗花は誠司と色羽に視線をやると、はぁ、と一つ大きな溜息を吐いた。
……やれやれ。
「今日こそくっついてくれればいいのだけれど」
「あら、あの二人、恋人同士ではないんですか?」
「両想いなんだと思いますよ。でも、大竹さんに根性が無いせいで、いつまでも友達以上恋人未満みたいです」
「そうなんですか……」
「あ、そうそう、本当に先ほどはキルシュトルテ、ありがとうございました。おいしかったなぁ、アンネリーゼさんって、本当に料理がお上手なんですねっ!」
歩道から漂ってきた甘い香りに、ふと先ほど教会で食べてきた桜桃とココアの生クリームケーキを思い出し、麗花がぺこりと頭を下げた。
「いえいえ、そんな。喜んでいただけたのでしたら何よりです。いつも麗花さんには、教会でおいしいケーキをいただいていますから……」
「私なんて趣味で焼いている程度ですから。でも、良かったらまたご馳走になりたいです」
「ぜひとも。今度のお茶会の時に、今度は違うケーキを焼いてきますね」
「わぁ、ありがとうございます! 今度作り方教えてもらおーっと♪」
「あっ!」
歌うように喜んでいた麗花の足元で、声を上げる小さな影が一つあった。
みあおは歩道に見つけた一軒の出店を指差すと、ユリウスの浴衣の裾をぐいと掴み、彼を無理やりそちらへと連行する。
「……猊下? みあおさん?」
その二人を、慌てて双葉が追いかける。
みあおは出店の前でぴょんぴょんっと飛び跳ねながら、
「約束したじゃんユリウスぅー! カキ氷! カキ氷!」
「へ? 約束、ですか?」
「いいから買ってよ! 楽しみにしてたんだからさぁ!」
「どうして私……」
「ユリウスがいいの! いいじゃん、ねぇ〜イチゴがいいなぁ」
「はいはい……全く、しようがないですねぇ」
「わーい、ありがとう!」
カキ氷を二つ。注文しかけて、ユリウスは言葉を止める。
「あ、やっぱり三つお願いします。ええっとですね、イチゴとブルーハワイとレモンで。……随分とお疲れのようですね、双葉神父?」
人が悪く笑うユリウスへと、息を切らせた双葉が答える。
「やっぱり女の方の方が多いみたいですね……」
「おやおや、また声をかけられたんですか? 双葉神父、ほんっとうに美形さんでいらっしゃりますもんねぇ」
レモンのカキ氷を手渡し、その肩を叩く。
人ごみも女性も苦手な双葉にとっては、会場につくまでの道のりが苦痛に感じられるに違いない。
まあ尤も、ちょっとてんぱってる双葉神父もお可愛らしいんですけれどもね。
「猊下、私は別に、」
「折角なんですから、ぜひお召し上がりください。ねえ、みあおさん? こんな機会でもないと、カキ氷なんて食べられませんものねぇ?」
「そーだよ双葉っ! 折角ケチなユリウスがおごってくれたんだし、食べなきゃソンだって!」
「――おっ、誰がおごりなんて言いましたか? 双葉神父にはきっちりと御代をいただきますけれど?」
「そんなことだろうと思ってました」
苦く笑い、双葉が財布を取り出す。
と、その時、道の向こうから雑踏にまぎれて放送が聞こえてきた。
〈えー、迷子のお知らせを致します……やまなし きら君のお母様……やまなし きら君の……〉
顔を見合わせたアンネリーゼと麗花とが、青い顔をして駆け出して行く。
「あ、ちょっと、麗花さんっ?」
慌ててそれを追いかけようとした裕介であったが、人の波に阻まれ、裕介はそれ以上動くことができなかった。
いつの間にか裕介の傍に立っていたみあおが、カキ氷を片手に、にやりと笑う。
「あーあ、残念だったね、裕介」
早く二人きりになりたかったんでしょ? と、イチゴ色の氷をほおばった。
裕介は苦く笑うと、
「麗花さんも人気者ですからね」
携帯電話を取り出し、電話帳を開いた。
飛び跳ねつつ画面を覗き込んでこようとするみあおから電話を遠ざけながら、合流場所と、その後の予定とを打ち込んだメールを麗花へと送る。
ねぇ、何送ったのぉー?! と腕にぶら下がられながらも、元の場所へと携帯をしまった。
「裕介ぇ。また麗花のこと怒らせるようなこと送ったんでしょー?」
「さあ、それは秘密です」
まあでも、
……今頃麗花さん、携帯閉じてつんつんしてるんだろうな。
くすり、と笑い、みあおの背を押す。
「さあ、迷子になっちゃいますよ? 早いところ行きましょう。麗花さんとは、この先の桜橋前で待ち合わせしておきましたから。確か海原さん、そこで幽霊の皆さんと待ち合わせしていたんですよね?」
「まあそうだけどさー……まあいいや、きっと皆も楽しみに待ってるだろうし、早く合流しなきゃっ」
ぷう、と頬を膨らませた少女から視線を上げた時、その先で手を繋ぐ男女が二組、人々の中に消えていった。
幸せそうな人々。恋人達も、家族連れも、友人同士の人達も、まだかまだかと今日ばかりは日が落ちるのを楽しみにしているようであった。
風が浴衣の袖を流す。
秋の香りがほのかに溶け込んだ、甘い香りが過ぎ去っていった。
Finis
■□ I caratteri. 〜登場人物 □■ ゜。。°† ゜。。°★ ゜。。°† ゜。。°★ ゜。
======================================================================
<PC>
★ 海原 みあお 〈Miamo Unabara〉
整理番号:1415 性別:女 年齢:13歳
職業:小学生
★ 田中 裕介 〈Yusuke Tanaka〉
整理番号:1098 性別:男 年齢:18歳
職業:孤児院のお手伝い兼何でも屋
★ アンネリーゼ・ネーフェ
整理番号:5615 性別:女 年齢:19歳
職業:リヴァイア
★ 月見里 煌 〈Kira Yamanashi〉
整理番号:4528 性別:男 年齢:1歳
職業:赤ん坊
★ 紅月 双葉 〈Futaba Kozuki〉
整理番号:3747 性別:男 年齢:28歳
職業:神父(元エクソシスト)
<NPC>
☆ ユリウス・アレッサンドロ
性別:男 年齢:27歳
職業:枢機卿兼教皇庁公認エクソシスト
☆ 星月 麗花 〈Reika Hoshizuku〉
性別:女 年齢:19歳
職業:見習いシスター兼死霊使い(ネクロマンサー)
☆ 大竹 誠司 〈Seiji Ohtake〉
性別:男 年齢:26歳
職業:高校化学教師
☆ 清水 色羽 〈Iroha Shimizu〉
性別:女 年齢:22歳
職業:アマチュア画家
■□ Dalla scrivente. 〜ライター通信 □■ ゜。。°† ゜。。°★ ゜。。°† ゜。。
======================================================================
まずは長々と、本当にお疲れ様でございました。
今晩は、今宵はいかがお過ごしになっていますでしょうか。海月でございます。今回はご発注をくださりまして、本当にありがとうございました。
今回は大変納品が遅れてしまいまして、大変申し訳ございませんでした。理由に関しては私情という他ありませんでして、その分余計に申し訳なく感じております。
その上執筆に関しましても本調子ではありませんでして、お見苦しい点も多々あるとは思います。その点に関しましてもこの場を借りてお詫び申し上げたいと思います。
今更ではありますが、今年の花火も本当に綺麗でございました。ただ、あたしも割りと遠くから見ておりましたので、新東京タワー建設決定記念花火などは見えませんでした……。おそらく審査員席からはよく見えたのではないかなぁ、と思います。
人で人でたまらない花火大会です。あたしもぜひ一度、審査員席から花火を眺めてみたいなぁ、なんてそんなことを思ってみたりも致します。
それでは、短くなりましたがこの辺で失礼致します。
この度は本当に申し訳ございませんでした。それでも、また何かしらの機会をいただけるのでしたらば、その際は宜しくお願い申し上げます。
01settembre 2006
Grazie per la vostra lettura !
Lina Umizuki
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