コミュニティトップへ



■『蒼藍のエリィ』■

ケエ
【5251】【赤羽根・灯】【女子高生&朱雀の巫女】
「こんにちは、草間さん」
 藍色のスーツを着込んだ青年――エリィ――はそういって会釈すると、入ってよいか尋ねるように真っ直ぐに目を向けてきた。
「ああ、どうぞ。で、さっきの話か?」
 つかつかと革靴の足音を響かせてソファに座ったエリィは、生真面目な顔を持ち上げた。
「はい。電話でお話したとおりです」
 それ以外の用事で来るわけがないだろう、という言外の意味が込められているように感じたのは自分の勘繰りすぎか、それともこの小僧の不敵さが実際に伝わってきただけなのか。とにかく草間は零に命じて彼の前にお茶を出させた。
「ありがとう、零ちゃん。それで仕事の話ですが…――」
 彼は礼儀を重んじているつもりか、一口だけお茶に手をつけると、すぐさま目をこちらに戻す。
「…開発地区指定をされている郊外の森に怨霊が出没しています。大した相手ではないようですが、自縛霊の一種で縄張りの範囲が広い。霊質の高い森に巣食ったのが原因でしょうね。夜にはいわゆる『迷いの森』状態になります。幻惑が人の感覚を狂わせて道に迷わせる…」
「被害はどんなもんなんだ?」
「本体は森の奥に引っ込んで、人魂を徘徊させているらしいんです。人魂は近づいてきた人間に体当たりして火傷を負わせています。死人こそ出ていませんが、作業員に怪我人が出ています。加えて開発計画が遅れ始めています」
「…ふむ、まあ迷惑だな。それで?」
「害虫は始末しなくては。それが仕事ですからね。しかし昼間に行っても奴は現れない…夜に出動するしかないのですが、如何せん僕は幽霊との戦闘経験がないんです。ジュディの奴は別件を担当しているし、ここで協力者を求めるしかないんですよ」
「まあ、わかった。話は回してやるよ。どれだけの奴が受けるかはわからないけどな」
「助かります。人手がありませんので、一般人の方でも全く構いません。では、僕はこれで…」

 礼を言って出て行ったエリィ。彼が通った扉をぼうっと眺めながら、零が呟いた。
「森の奥の亡霊…――」
「ん?どうした?」
「哀しげな自縛霊の気配を感じたんです…昼間、あの側を通りがかったとき。あれはただ暴れまわる怨霊じゃない…と、思うんです」
 話が見えてこない草間は眉を寄せながら次の説明を待った。
「でも、エリィさん…始末って言いました。『害虫』って…あの人、霊を救うことは考えてない…」
 その呟きを、草間は無言で聴いていた。
 生真面目で優しげ…同時に冷徹なものを感じさせる青年。演技をしているというわけではあるまい。生きている者を護る、という仕事に義務を感じる彼にはいたわりと責任感がある。その分、理由の如何に関わらず、得体の知れぬ亡霊は駆除の対象にしかなりえない…――そういうことか?
「まあ…俺も幽霊のことはよくわからないが、仲間たちにはお前の危惧を伝えておくよ」
「お願いします、お兄さん…」
 零は不安そうな顔で言った。エリィという青年を好むべきか、好まざるべきか。彼女にはわからないらしかった。



募集人数:一名様〜
『蒼藍のエリィ』



 ライブからの帰り道、通り掛かった森のわき道。赤羽根・灯(あかばね・あかり)がのんびりと帰宅の途についていると、携帯電話のメール着信音が鳴り響いた。
 朱雀の巫女として裏の顔を持つ自分には、時に妙な依頼を持ち込んでくる仲間たちがいる。そういう連中の着信音は、似合うように若干、おどろおどろしいものにしてあるが、今回鳴ったのはそのメロディだった。
 慌てて取った携帯。開いたメール。送信者は草間・武彦。怪奇と荒事の神に愛された男からだ。
「……幽霊退治? 郊外の森の自縛霊って……ここじゃん」
 全く、あの男の側にいれば、怪奇事件には困らないのではないか。他の面子の多くが自分から怪奇事件に関わろうとしたり、曰くのある土地にいるから遭遇率が高い、というのに対してあの男だけは自分の能力――だと思う――で怪奇事件の方を自分に引き寄せる。
「このまま行ってやっつけちゃおうか……?」
 一瞬、そんなことも考えたが、良く思い出せば今日は宿題がある。それに今回の依頼は単なるお願いではなく、仕事であるらしい。となればその規則に従って臨めば、給与が入るということだ。
 東京特務課? 知らない……IO2だってこの間、聞いたばっかりなのに。でも、バイトなら悪くないかな。まあ、草間さんからの話だし、一つやってみますか……!
 意気込んで、了承の返事を送り返す。だが、気になったのは、零からの伝言だった。
『自縛霊が起こす行動には何かの事情があるらしい。出来れば話を聞いてあげて、未練なく成仏させてあげてほしい』
 依頼主のエリィさんって人は、あんまりそういうの考えない人みたいだなぁ。ちょっと、苦手かも……
 そんなことを考えていた矢先、灯はふと妙な気配を感じた。自分の後方から、何らかの気配が凄い勢いで近づいてくる。ハッとして振り返ると、ちょうど黄色と緑の混じった影が、自分の後ろにあった電信柱の上を飛び跳ねて、森の中へと消えるところだった。
 今のは?
 すぐに振り返ったが、すでにそこには何もいない。気配も森に立ち込める霊気に混じってわからなくなった。
 ……妖怪か何かでも迷い込んだのかな? まあ、今回の仕事には関係ないか。とにかく、今日は帰って宿題やらなくちゃ。
 そう思い立って、灯は帰路を急いだ。



 夕闇では風を切る音と、空気の中を進む感触が心地良い。上り始めた月の灯を身にうけて、ウーズ・フォウ・レスターは、枝から枝へ見当をつけて軽快に跳躍する。
「ひゃーっほぅ!」
 カールした緑の髪が風に揺られて空を舞う。十五歳ほどの少女の外見からは想像できない身体能力……いや、人間には不可能な身軽な動きで、ウーズは日の落ちた森の上をぴょんぴょんと飛び跳ねた。
 気分良く遊び回っているところに、自分とは別に風を切る音が響いて、ウーズはもみ上げの辺りに衝撃を感じた。
「あいたっ!」
 間抜けな声と共に、軌道を逸れて地面に落ちる。と言っても、激突したわけではない。空中で回転して姿勢を戻すとすたりと着地する。自分に何が当たったのか、わけもわからずに辺りを見回すと、ふわふわと漂う青白い人魂が無数に自分を取り囲んでいるのが目に入った。
「……なにこれ?」
 頭を掻きながら落下の過程で服に付いた汚れを払っていると、一際大きな樹の前に、ぼうっと十二歳ほどの少年が姿を現した。
「誰? ユーがこの人魂をミーに当てたの?」
 少年は俯くように頷いた。
『ごめんなさい。僕が見てないと勝手に当たりに行っちゃうんだ……お姉ちゃんは偶然、通り掛かっただけだよね?』
「そりゃ、遊びまわる目的でもない限り、こんな森の中に入るわけないじゃん。まー、謝ってくれるならいいけどー」
『うん。ありがとう。そういう人には当てるつもりはないんだけど……ごめんなさい』
 暗い顔で俯く少年。白んだ姿をしていて、その足元は見えない。ウーズは特に気にしなかったが、受け答えの中で示された疑問は気になった。
「じゃあ、なんでこんなの引き連れてるの?」
『僕と、僕の場所を、消してしまおうとする人たちがいるから……』
「ふーん……ここはユーの場所だったんだねえ」
 なにやらこの少年を迫害しようとする相手がいるらしく、身を守るためにか弱い抵抗をしているらしい。単純に少年を被害者だと認識したウーズは、胸を張った。
「そーいうことなら、ミーにお任せっ! どーんとユーのこと、護ってあげるからね! だからミーが遊ぶ間、人魂たちを寄って来ないようにしてよっ!」
 出来る? と、胸を張って詰め寄った態度に怯えたのか、少年は一歩分さがった。
『お姉ちゃんを僕が覚えていれば……出来るよ』
「じゃあ、よろしく!」
『え? あの……――』
 ポーンと跳躍したウーズの耳には、それ以上の言葉は届かなかった。



 翌日。
「今回は三人なんですね」
 零が嬉しそうに仕事を請けた面子を確認する。エリィが話し終えたその場で仕事を承諾した二人とメールで請け負った者が一人。まずは自分、シュライン・エマ……加えて黒・冥月(ヘイ・ミンユェ)と赤羽根・灯(あかばね・あかり)だ。
「えーっと、零ちゃん、伝言があるって言ってたよね?」
 灯が尋ねると零は少しだけ俯いて、自縛霊を穏やかに成仏させて欲しい旨を伝えた。
「安心して。この場にいる人は皆、あなたの考えに賛同しているわよ」
「ありがとうございます、シュラインさん。冥月さんに、灯ちゃんも」
「まあ、お前からの依頼だからな。請けた以上は、約束は守ってやる」
「あれ? 冥月さん、もしかして二重契約? 信用なくしちゃうよ」
 悪戯混じりの笑みを浮かべて灯が彼女をからかうと、冥月は少しだけ額に眉を寄せた。
「互いの依頼の目的が一致してるからだ。あの小僧の依頼も、零の依頼も、その幽霊がこれ以上の被害を出さずに成仏して欲しいという点で同じものだ」
「小僧って言っても、冥月さんより年上なんだけどね」
 四人でくすくす笑っているところに、草間がひょいと顔を出した。今日の彼は、零を連れての別な仕事がある。彼は自分たちを眺めたあと、少し皮肉の篭った笑みを浮かべた。
「二十六のやり手事務員、二十の男女、十六の女子高生……ハーレムな上に年齢層、選り取りみどりだなあの坊主」
「馬鹿言ってないで。ほら、武彦さんは今日の仕事でしょ?」
 シュラインはぎらりと目を光らせて殴りかかろうとする冥月を遮り、草間を追い払うと仲間に向き直った。零も彼についていったから、事務所には三人だけが残されている。
「さて……と、これからどうする?」
「私は特にすることはないがな」
「私、図書館が開いてるうちに、森のことを調べておきたいな。なんで、亡霊が開発から森を守ろうとしているのか知らないとね」
「そうね。それには賛成だわ。私もついていこうかしら」
「じゃ、冥月さんはお見送りお願い」
 明るく笑いかける灯。冥月は仕方なさげに溜息をついて、影の異空間を開いた。



 図書館で調べ物をしたことはほとんどない。高校の授業ではそういった専門的な知識はさほど必要ではないからだ。
「大丈夫? 調査とか慣れていないみたいだけど?」
 シュラインが尋ねてくる。冥月は面倒臭がって、図書館備え付けのちっぽけな喫茶でお茶を飲んでいるから、この場には二人だけである。
「あはは。普段は漫画と音楽雑誌しか読まないから……でも、頑張ろう!」
 呟いて、自分を勇気付ける。シュラインは微笑んで、新聞記事や地方の伝承などを収めたコーナーの場所を自分に教えると、自身はネットで情報を調べると告げた。
 新聞記事を漁り始めると、騒ぎが起き始めた当初から段々と遡って三ヶ月目に、気になる記事を見つけた。
「……十二歳の少年が事故で死亡? あの森の側だけど……」
 よくあの森に遊びに行っていた少年が一人、自動車事故に巻き込まれて死んでいる。これは気になった。いくつかのキーワードは一致している。シュラインのところに持っていくと、彼女も頷いた。
「気になる記事でしょ? 自分の遊び場を守ろうとしてるのかな?」
「かもね。エリィ君に貰った資料では少年霊だと書いてあったし、年齢的にも一致するわね。時期的に見ても、その自縛霊はこの子かしら」
 そう言うと、シュラインは立ち上がって、冥月のところへと歩み寄った。彼女に情報を伝えながら、自分が掴んだ事実も最後に付け加える。
「私も一つわかったわ。あそこの森は近くにある学校の子供たちの遊び場になってたみたいね。一際大きな樹がその奥に立ってて、子供たちからは目印にされてたみたいよ」
「今わかることってそのくらいかな。でも、これだけの情報があったら、説得に使えるかも知れないね」
「そうね」
 そこで会話が途切れた。一方的に話を聞いていた冥月が傾きつつある太陽を眺めながら、コーヒーの最後の一口を啜る。
「冥月さんはサボってばっかりで羨ましいよ」
「私だって何もしていなかったわけじゃない。ここから、その森の辺りを調べていた。何か影の変化があれば、私は掴めるからな。射程範囲の関係で、森の半分程度しか調べられなかったが」
「じゃあ、動けばいいじゃん」
「面倒臭い」
 灯は苦笑しつつ「やっぱりサボってたのね」という言葉を飲み込んだ。
「それで成果は?」
「少し気になることがあったな。森の中を時々、妙に身軽な影……人間の形をしている何かが何度か感じ取れた。射程範囲の中と外をうろうろしているがアレはなんだろうな」
「あ……私、昨日ちょうどその森の側を通り掛かったんだけど、多分、それと同じ影見た。何だろう?」
 三人でしばし頭を捻った。エリィの情報にはそんなものは無かったし、調べ物にも全く出てこなかった。どこかの人外でも迷い込んだのだろうか?
「まあ、考えても仕方ないわ。多分、今回の事件には関係ないだろうし、そろそろ行きましょう」



 日の傾いた森の入り口。すでに空は藍色と紫に染まりつつある。そこに集った女性三人の前でエリィは気まずい想いを感じながら首を捻った。この三人を連れて中に入るのか。まるで――
「草間さんが言ってたことだけど、エリィさんハーレムだね」
 艶やかな黒髪の少女に考えを先取りされて――しかも、草間にはさらに先取りされていたらしい――エリィは戸惑い気味に笑った。
「からかわないでください。仕事ですからね。……それはともかく、君が灯ちゃんだね?」
 京都は退魔師の一族の直系。四神、朱雀の守護を受けて炎の力を操る能力者……。きらきらしたかぐや姫カットの髪の毛と、ぱっちりした可愛らしい目鼻立ちの娘は、とても強大な力を持つ人間には思えないが、見た目で判断すると痛い目を見るのがこの世界だ。
 彼女は力強く頷き「宜しくお願いします」と礼儀正しく頭を下げた。
「よろしく……で、そちらのお二方は会ったことがありますね。エマさんと黒さん。ジュディから、話は聞いていますよ」
「どんな話やら」
 くすりと微笑んで、自分の手を取ったのがシュライン・エマ。草間興信所の事務員。背の高いハーフの女性で、切れ長の目と大らかな態度が印象的な女性だ。「気立てのいい姉さんだよ」と、ジュディは柔らかく評価していた。
 一方で「姉御はなァ……まあ、面倒見はいいんだろうケドなァ……」とお茶を濁されていたのがこっちの女性、黒・冥月。身に纏ったモノトーンの黒服が、夜に溶け合いそうに見える。影を操り、支配する能力者。
「あの小僧から何を聞いたのか知らないが、宜しくな」
 若干、緊張しながらエリィは手を取った。
「それでは、今回の仕事は僕を含めて四名ということで。扱いは臨時捜査員。権限等は一応、僕と同じです」
 簡単に事務的な説明を終えて日が沈んだのを確認すると、エリィは持って来ていた聖水噴霧銃を手にした。
「そろそろ時間ですね。行きましょうか」
 三人が頷くのを確認してエリィは彼らに懐中電灯を渡すと、森の中に足を踏み入れた。



 風を切る音。先頭を進むエリィがそれに気付き遅れて、ハッと銃を向けようとする。冥月はその襟首を引っ張って、後ろに引き倒し、顔面に直撃する軌道から彼を逸らした。
 人魂たちには影がないらしく、能力における探知は出来なかったが、暗闇の中でぼんやりと輝く人魂を視認するのは難しくない。
「出すぎだ」
 喉が詰まるような音を出して、彼が倒れ込む。地面から伸びた影の刃が、その人魂を蹴散らした。
「げほっ……首、引っ張らなくてもいいじゃないですか」
「お前が突出して当たりそうになるからだろう」
「冥月さんの言うとおり、自重した方がいいと思うわ。あまり、焦らずに」
 そういうシュラインの隣で、灯が飛んできた人魂を防ぐ。ぼっと燃え広がるような音を立てて、薄い炎の膜が二人を覆い、衝突した人魂が弾けて消える。
「そうは言ってもですね……黒さんは影の探知のおかげで視覚情報に騙されませんから、幻惑の結界を破れます。せめて僕が道しるべの露払いをしなければ」
「でしゃばるお前のせいで、こっちはもっと迷惑してるんだ。大人しく、援護に回れ」
 エリィは渋々ながらという表情で距離を狭め、自分の右に寄った。
「けれど、人魂に話しかけられないかしら……あまり、衝突はしたくないんだけど」
「人魂は奥にいる本体の道具のようなものですから。言うなれば異物を排除するための抗体です。説得するだけの知性はありませんよ。まあ、本体を倒せば済む話です」
 軽く切って捨てるように、エリィが答えた。ここで口論するわけにも行かずにシュラインは苦笑したが、危うげな匂いが微かに漂う。この小僧は――
「冥月さん!」
 ハッと叫んだ灯の声。先ほどから、目の前の道に集中していて気付いていなかったが、それを聞くと同時に、冥月も気がついた。シュパっと、人魂よりもずっと巨大なものが枝葉と風を切り開く音。大きな人影の存在。先ほど、影の探知に引っかかった奴だ。
「な、なんだ?」
 エリィが気配に気がついて、足を止めた。シュラインも怪訝そうな顔をして、周りを眺める。冥月はそいつを容易く探知は出来たが、しかし攻撃していいものなのか。
「あれ、昨日、私が見た人影だよ」
 少し慌てるように、灯が言う。言い終わると同時に、自分たちの目の前に一人の少女が舞い降りた。くるくるとカールした緑色の髪の毛、黄色の服、小悪魔のような悪戯っぽい瞳……年齢のほどは十五歳ほどに見えるが、全員が即座に感じ取った。少なくとも、人ではない、と。
「あの子を苛める侵入者ってユー達?」
「……はあ?」
 誰ともなくそう返す。彼女はしばらく自分たちを眺め回すと、にんまりと顔に笑みを浮かべた。
「ふーん、なんか貧相なのもいるけど、それで戦えるの?」
「戦う? エリィ君、あの、この子は一体……」
「まあ、いいや! ミーの名前はウーズ! あの子を苛める奴らは、このミーがお仕置きしてやるからねッ!」
 困惑する自分たちを置き去りに、一人で納得したらしい少女が森の中へ跳躍した。しぱしぱと跳ね回りながらこちらを撹乱しつつ、子供染みた殺気を向けてくる。
「何やら、敵らしいが」
 エリィを見る。彼もわけがわからぬ様子で首を振った。
「い、いや……あんなのがいるのは予定外です!」
「何か偶然、敵の仲間が増えたって感じだけど。えっと……色々勘違いされてるだけみたいだし、やっつけちゃまずいよね?」
「いえ……いいえ、邪魔をするようならば障害。とっとと始末をつけましょう」
「え? ちょっと――」
 エリィは制止も聞かずに、樹の間を飛び跳ねた影――ウーズとか名乗ったか――を見付けて、即座に胸のリボルバーを引き抜いて発砲した。射撃の腕は悪くないようだが、相手が速い。銃声虚しく、銀弾は空を切った。
「あはは、当たらないよー! どこ狙ってるのー?」
 ウーズが身軽に枝と枝の間を飛び跳ねながら言う。
「くっ……コイツ――!」
「落ち着け、小僧。みだりに撃つんじゃない。かき回されるな」
「そ、そうだよ、いきなり撃ったらまずいよ。誰かもわからないのに」
「捕まえて話を聞いてもらいましょう。向こうからも話を聞きたいわ」
「そうだな。灯、人魂の方が来たら任せる」
 灯が頷く。エリィは困惑気味に、狙いだけはウーズに定めようとしているが、森の中を縦横無尽に跳びまわる彼女を捉えきれずにいた。
「アハハ! 遅い、おそ〜い!」
 馬鹿にするかのように響く笑い声。冥月は、彼女の影をしっかり掴んでいる。それは悟らせない方がいいだろう。一撃で捕らえられるように、意識を集中させる。その横を飛び交う灯の炎の矢が、遠くに燃える人魂を蹴散らした。
「ドコ撃ってるの? さあ、いっくぞーっ!」
 それっという掛け声と共に、ぴょんと四人の真っ只中にウーズが飛び込んできた。慌ててエリィがその方向に銃を構える。その引き金が押し込まれるより早く、彼女の軌道とエリィの間に影を展開させる。突然のことに、ウーズだけでなく、エリィまで目を丸くした。
「……っ!」
「ほえ?」
 素っ頓狂な声を上げたウーズが、ひょいっとその中へ吸い込まれるように消えると、冥月は指を鳴らして影の中に創った亜空間の出口を閉じた。やかましかった現場が一気に静かになり、腰を落としたエリィとぽかんとする二人の前で、するりと影が元に戻る。
「……何だか良くわからなかったが、捕まえたぞ」
 冥月は、気だるげにそう言った。



「名前は?」
 シュラインが優しく問い詰めると、影の縄に巻かれた少女はぷいっと横を向いて呟いた。
「ウーズ・フォウ・レスター」
 聞けば先日、この森の中で偶然に少年の霊に遭遇して、遊び場としてこの森を使っていいという条件で、人魂を寄せ付けなくしてもらったのだという。あの運動能力といい、彼女は明らかに人外であろうが、しかしそれを問い詰めるのは無意味だろう。
「つまりは幽霊君と出会って、仲良くなっただけね」
「はた迷惑な子だなぁ」
 苦笑しながら、灯が言う。シュラインは冥月とエリィが若干、離れたところにいるのを見て、少し小声で言った。
「私たちは、彼を苛めに来たんじゃないわ。彼を説得したいのよ。成仏できない未練があるなら、それを解決できるように、対処してあげたいの」
「うんうん。出来れば未練残さず成仏させてあげたい。そういう目的で話し合いに来たんだよ」
 ウーズは顔を横に向けながら、冥月と話すエリィを見た。
「そうは見えないのもいたけどぉ?」
「エリィさんはね……なんていうか、ちょっと頑固な人で。大丈夫。いざとなっても、私たちが護るから」
 唇を尖がらせて迷うウーズ。シュラインは、優しく言った。
「あなたの友達を傷つけたりはしないわ。約束する。協力しろとも言わない。乱暴しちゃったし。邪魔をしないでくれれば、それで大丈夫だから」
「……まあ、そういうことならいいけどぉ。でも、説得に行くなら、ミーも付いていくよ! 案内してあげる」
「あらそう? 助かるわ」
「ミーの友達だからねー」
 寄って来た、冥月が影の拘束を解く。コイツはどうすることになったんだ、という目に答えを返すよりも先に、ウーズがひょいとその手をとった。
「ミーはウーズ。よろしく♪」
「連れて行くのか?」
 怪訝な顔をして冥月が聞く。後からやってきたエリィが驚いた顔つきをした。
「幽霊君の居場所も知ってるみたいだし、手伝ってくれるって言うから」
「し、しかし、コイツは僕らの邪魔を……」
「まあ、悪い子じゃないみたいだし、いいんじゃないかな」
 冥月もどちらでも良いという態度を示したためか、エリィはそこで渋々と頷いた。
「あはは、ハーレム増えたね、エリィさん」
「うるさいな……からかうのもいい加減にしてください」
 彼はふてくされるように横を向き、そのまま歩き出した。



 ウーズと一緒だと一応、人魂は襲ってこないらしい。灯たちは群れてたゆたう人魂の群れを掻い潜るようにして、森の奥へと入っていった。
 元気良く喋り続けるウーズ以外の面々にどことなく緊張が走るのにはわけがある。
 先ほどから押し黙ったように辺りを睨みつける青年のためだ。本人にはそんなつもりは無いのかも知れないが、側を歩くこちらにはむき出しの殺気がありありと感じられる。彼を説得など出来るのだろうか?
「ここだよ〜、あの男の子のいる場所ー!」
 無言の行列が辿り着いた先で、ウーズが元気良く指差したのは一際巨大な木。
「そうか。ここか」
 冷たい声が響く。冥月のものではない。殺気を増したエリィの声だった。近づくよりも先に、灯は彼を止めた。
「エリィさん、まず最初に説得から始めたいから、攻撃とかはしないで欲し――」
 エリィは冷やかな目付きで灯を見ると、ホルスターのロックを外した。
「機先を制すれば、話し合って隙を探らなくても問題ありませんよ。君なら、後手に回っても対処可能かもしれないけど、僕は確実に先手を取りたい」
「そ、そうじゃなくて」
 ウーズが、じろりとした瞳で彼を振り返る。
「エリィ君。私たちは仕事の前に少し調査をして、説得の材料はいくつか手に入れたわ。無理強いせずに、話し合いで解決できるなら、私もそうしたい。ウーズちゃんにも約束したし――」
「何を言いますか。実害を未然に防ぐ最良の手段は対象の抹殺。成功するかどうかもわからない話し合いなんて馬鹿のすることです……まさか、本気で約束してたんですか? 僕はてっきり、ここに案内させるための方便かと思ってましたよ」
 彼はそういって、銀色のリボルバーの撃鉄を起こした。シュラインがさすがに心外だと言う顔をする。冥月が冷たい目で状況を見ている。夏だというのに、微かに肌を刺す緊張感が漂い始める。
「エリィ君。私をそういう人間だと見ていたのなら、それは心外よ。あなたの考えも間違ってるとは言わない。確かにその方法なら、この場は収まるかもしれない。でも、性急に過ぎるのは確かでしょう?」
「僕はもう少し冷静な人だと思ってましたけどね……性急? むしろ遅すぎるくらいですよ。本当なら、蜂に刺される人が出る前に巣を駆除しておかないといけなかった」
 まずい。取り付くしまもない。彼自身、緊張で神経が昂ぶっているのか、仲間にまで喧嘩腰になる。
「……お兄さんにはゴメンだけど、ミーは友達を傷つけさせる気はないからねー?」
「ふん。多少イレギュラーな要素が絡まったところで、やるべきことは変わりません。邪魔をするなら……」
 エリィはそこまで言うと、威圧するかのように身構えた。銃口こそ下を向いているが、いつでも持ち上げて撃つぞと言わんばかりの態度だ。
「へーえ、さっきのへたっぴな鉄砲でミーに当てられるのぉ?」
 ウーズとエリィがにらみ合う。緊張が頂点に達しようかと言うとき、ウーズの後ろから音もなく白んだ少年が姿を現した。
 ……本体の少年霊! 出てくるタイミングが悪すぎる!
『お姉ちゃん? あの、その人たちは……』
 彼の目が少年に注がれて、ぎっと表情にしわが寄った。銃口が持ち上がった瞬間、緊張が弾け跳び、一瞬のうちに全員が動き出す。
「出たな、本体!」
「エリィさん、駄目ッ!」
 躊躇なく引かれた引き金。鳴り響いた銃声。パッと跳躍したウーズが、少年の前で身を呈する。だが銃弾はその手前、灯が伸ばした炎の結界に遮られて、虚空へと兆弾していた。
「……ッ! 邪魔をす――」
 ヒステリックな声と共にこちらに向きかけた銃口は、そこまで言った段階で濁った呻きと共に地面に落ちた。冥月の一撃が彼の腹部に入り、彼ががくっと膝を折ったから。
「この小僧は、本当に始末に終えないな」
「ぐ、ぇ……き、さま……」
 辛うじて意識を失わなかったエリィが、鈍く震えながら銃を持ち上げようとするのを、しゅるりと影が縛る。灯は、あまりにも長い一瞬の後、ようやく溜息をついた。
「シュライン、今のうちに説得を。私は向こうでこの小僧に言って聞かせる」
「え、ええ……。ありがとう」
 身の危険を感じて、一歩身を引いていたシュラインが溜息を漏らす。
「あ、わ、私も行く」
 後ろを振り返れば、ウーズはほっとした様子で溜息を漏らし、少年霊は何が起こったのかわけがわからない顔つきで怯えている。
「あ、あの、騒がせちゃってゴメンね。それじゃあ二人ともその子をお願いします」
 そう言って灯は冥月の後を追った。



 冥月が離れた木の脇まで彼を引きずっていったときには、幾分か気力を取り戻したのか、エリィはじたばたともがくようになっていた。目には霰もない憎悪が宿っていて、紳士的で大人しやかな印象はもう欠片もない。
「少しは落ち着け。無粋な真似をするな。お前が口を出すことじゃない」
 そういうと、引きずられながらも彼は卑屈な犬のような目付きで、ぎろりと冥月を睨んだ。
「何を……畜生、この現場は僕の仕事だ! 雇われ者が偉そうに――」
 ヒステリックに喚き散らす言葉。その一言が、冥月の神経を逆撫でした。頭の後ろを荒々しく引っかかれたような感覚に、思わず影の拘束が強まる。みしっと骨のなる音がして、不意に彼の言葉が詰まって消えた。
「『雇われ者が』だと? お前は最初に『同じ立場』だと言わなかったか? 人にものを頼み込みに来ておいて、何か偉い立場にでも就いているつもりだったのか?」
「み、冥月さん! やりすぎ、やりすぎ!」
 灯が、慌てて制止する。息が出来なくなってぱくぱくと喘ぐエリィを見て、冥月はきつく締め上げすぎていることに気付いた。拘束を弱めると彼は咽込んだ後、激しく肩を上下させた。
「お前が私たちに依頼を出した。つまり、お前は私たちに対処を任せたということだ。少なくとも、選択肢に対して同じ一票を投じる権利を、与えた」
 うな垂れ、咽込みながら、エリィの目は一瞬ぼやけたが、彼はどうにか焦点を結びなおすと、ぎらついた瞳を冥月に向けた。冥月はそれを待って、冷やかな声で尋ねる。
「……一つ聞くが、お前の目的は何だ?」
 彼は忌々しげに身をよじって肩に顔を擦り付けると、スーツで唾を拭った。掠れた呼吸音を三度響かせた後、どうにか言う。
「……あの害虫の始末だよ。説明したはずだ。何を聞いて――」
「違う。それはお前の主観だろう。最優先はこの事件の解決だ。むやみに敵対して霊と争うことでもなければ、お前の信念を貫くことでもない」
「ほざくな……! 解決する上で最も確実なのは……奴の抹殺。犠牲者を、一人も出さない、うちにとっとと……」
「二度言うが、それはお前の意見だ。私たち三人は、説得から入るべきだと考えた」
 彼は苦しげに息を切らして喋る。その台詞を、冥月はばっさりと切った。灯が、おずおずとそれに付け加える。
「それに……そのやり方だと、あの幽霊君が犠牲になるよ。犠牲者を一人も出さないで解決できる可能性は、消えちゃうと思う……違うかな」
「それ、は……」
「それは?」
 エリィは掠れた吐息を何度か漏らすと、目の焦点をぐらつかせてかくっと首を落とした。急な衝撃ですでにぐらついていた意識を気力だけで無理やりこちらに繋ぎ止めていたのだろう。そこを締め上げられたりしたからか、論破されて議論を続ける気力が尽きたのか、ともかくぐったりしたままになった。
「気、失っちゃった?」
「全く、張ろうとする意地の内容の割に、虚弱な奴だ」
 ぱちんと指を鳴らして、彼の拘束を解く。ふっと消えた影縛りから開放されて、しなだれた体が土の上に倒れた。
「あの……私、治療するね」
「頼む。それは私では出来ないからな」
 ぐったりした青年の頭を膝に乗せて、灯が静かに両手をかざす。ふわりと優しげに彼女の手に広がった炎に照らされて、エリィが微かに呻いた。
 シュラインとウーズがこちらに戻り、仕事の成功を告げるまで、そこには静かな沈黙が訪れた。



「私たちはこの小僧を連れて興信所に戻るが……灯、お前はどうする? ……それとそっちの小娘は?」
 冥月がそんなことを言って、気絶したエリィを抱えたシュラインと一緒にこちらを眺めたのが数分前のこと。ウーズと顔を見合わせて、それぞれ答えた。
「なんでミーがユー達と一緒に行かなきゃいけないわけ?」
「まあ、それはそうよね。一応、聞いてみただけよ」
 シュラインが苦笑して、こちらを見た。
「私は……歩いて帰ろうかな」
 何となく、そう言っていた。頷いたシュラインが冥月に目配せする。エリィも含め、三人はそれで影に飲み込まれるように消えた。
「ウーズちゃん、結局、あの男の子の霊ってどうなったの?」
 森の中をのんびりと樹のところに戻りながら、灯は尋ねた。
「んー、なんかー……あのお姉さんが説得してえ……あの樹を一旦移動させて、マンションが建った後にその場所に戻すとかで納得してたよー」
「結局、あの樹に宿ってたんだ」
「だねー。霊樹だとか御神木だとか言ってた。まあ、あの子の家だってことみたいだよ?」
 ウーズの適当な説明に苦笑したが、漠然と流れはわかった。遊び場になっていた樹、事故で死んだ少年、そこを護ろうとする人魂……恐らく、事故死した少年の霊を、樹がその身に宿して保護していたのだろう。そこを開発しようとしたものだから、身の危険を感じた少年霊が、人魂を使って防衛にでた。
 そんなところか。
「ウーズちゃん、友達がいなくなるのは寂しくないの?」
「んー? ちょっと寂しいけど、他に三人できたしぃー。あの大きなボーヤは別だけどぉ」
 彼女は自分たちのことも素直に『友達』と見てくれるらしい。十五歳ほどにしか見えない、彼女にさえボーヤ呼ばわりされたエリィがおかしくて、灯は笑った。
「これからどうするの?」
「ミーは帰るよ。えーっと、ユーは灯だっけ?」
 こくりと頷く。ウーズはにっこりと笑った顔で、ちゃっちゃと別れの言葉を口にした。
「アハハ! それじゃ、また会えるといいネ! バイバイ♪」
 悪びれることもなく、といってこちらに謝罪を求めるわけでもなく、ウーズはぽーんと一跳びすると、木々の間を跳び抜けて走り去った。
「うん。それじゃ、またね」
 灯はその背に言葉を重ねて別れを見送ると、静かに空を見上げた。
 魔と対峙すれば、生と死の縺れ合う戦いに身を沈めることも多い。それが、今日は相手も自分たちも、誰も殺さずに済んだし、殺されずに済んだ。それは誇ってよいことなのだろう。
 心地よい風が髪を揺らし、答えを語ってくれた気がした。





□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【2778/黒・冥月(ヘイ・ミンユェ)/女/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
【5251/赤羽根・灯(あかばね・あかり)/女/16歳/女子高生&朱雀の巫女】
【6379/ウーズ・フォウ・レスター(うーず・ふぉう・れすたー)/女/15歳/実体化データ】



□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
 灯様、三度目の依頼参加、まことにありがとうございました。特務課には初めての参加になりますね。

 今回、灯様はプレイングの中心が事前調査とエリィへの感情だったので、特に事前調査の方に重点を置き、エリィの感情を一番感受する役回りをお願いいたしました。また、ウーズ様のプレイングを反映した際、プレイングにない描写が必要になったため、序盤や後半で彼女との絡みをお願いいたしました。よろしかったでしょうか。
 エリィからは今回の件で、若干『罪悪感』を抱かれています(脅しだと思いますが、銃を向けようとしてしまったので)。次回以降、参加していただけることがあったら、エリィと話す際に何らかの手札になるかもしれません(苦笑)。

 気に入っていただけましたら幸いです。それでは、また別の依頼で会えますことを、心よりお待ち申し上げております。