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■過去の労働の記憶は甘美なり■

水月小織
【6118】【陸玖・翠】【面倒くさがり屋の陰陽師】
東京では仕事を選ばなければ稼ぐ手段に困らない。
かと言って、紹介する者を選ばなければどんな目に遭うか分からない。
いつものように『蒼月亭』のドアを開けると、こんな文句が目に入ってきた。

『アルバイト求む』

さて、ちょっと首を突っ込んでみようか…。
過去の労働の記憶は甘美なり

 月のない夜だった。
 夏独特の肌に張り付くような暑さが不快感を煽る。
 風も人気もなく、音すら闇の中に吸い込まれそうな中、陸玖 翠(りく・みどり)は式神の七夜と共にある「物」を探して街中を歩いていた。七夜は闇に紛れながらも二つに分かれた尻尾を揺らしながら、時折翠を振り返る。
「全く、厄介なことを引き受けてしまいましたね…」
 そう呟いた翠の手には、木で出来た人型が三つ握られていた。

「翠にやって欲しい仕事があるんだけど」
 蒼月亭のマスターであるナイトホークにそんな事を言われたのは、丁度翠がカクテルを飲みに店に来ていた時のことだった。普段から夜をここで過ごすことはあったのだが、仕事を斡旋されたことはなかったので、翠は『コープス・リバイバー』のグラスを見ながら溜息をつく。
「私に仕事を頼むなんて珍しいですね」
 するとナイトホークは、不敵に笑いながらマッチで煙草に火を付けた。火のついたマッチの端をピンと指で弾くとついていた火が消え、燐が燃えた後の香りが鼻をつく。
「ああ。元々こういう仕事の斡旋みたいのしてたんだけど、飽きたからしばらく休んでたんだ。で、最近再開した」
 確かに何年かおきに都内を転々としながら『蒼月亭』という名の店をやっているナイトホークの元に集まる情報は多いだろう。しかもここには、自分を含め少し癖のある者達が常連に多い。信用できる者に仕事を斡旋するのは、成功率も高く確実かも知れない。
 翠はグラスを飲み干してから、ブッカーズのロックを注文する。
「かしこまりました。少々お待ち下さい」
 しかし、ナイトホークが自分に仕事とは。その内容にも興味があるが、自分を指名したということはそれなりに厄介な仕事なのだろう。それを考えると、持病の面倒くさがり病が先に立つ。
「お待たせいたしました。ブッカーズのロックです」
 ブッカーズの中に大きな氷が一つだけ入れられたロックグラスが差し出されるのを見て、翠は膝に乗せた七夜を撫でつつふぅと息をついた。やるやらないは別として、話だけ聞いても罰は当たらない。
「取りあえず、どんな仕事ぐらいかは聞いておきましょう」
「翠ならそう言うと思ってた。ちょっと待ってて」
 するとナイトホークはカウンターの引き出しを開け、薄い木で出来た人型を取り出した。その表面には墨のようなもので呪が書かれている。それを見て翠は眉間に皺を寄せた。
 …これは呪殺用の人型だ。
 その表情の変化に気付いたのか、ナイトホークは吸っていた煙草を灰皿に押しつける。
「その様子だと、これが何だか分かったみたいだな」
「それが本職ですからね…面倒な説明はいりません。私にどうして欲しいんですか?」
 グラスの中の氷がカランと鳴った。
「この呪を解いて、相手に返してくれればいい」
 翠はその人型を手に取った。おそらくこれをかけた者はさほど力の強い術者ではないだろう。だが、強く願う思いは時として人を傷つける刃となる。その思いが強いほど面倒なのだ。
「…術者を探さなくてもいいんですか?」
「依頼は『呪を解いて相手に返せ』だけだからな。翠が探したいって言うならそれは構わないけど、特別手当は出ないよ。危険手当はこっちで交渉するけど」
 特別手当は出ない…と言ってないホークは鼻で笑った。それは呪を相手に返せば、術者の身に何が起こるかを知っているからなのだろう。人を呪ろわば穴二つ…自分が地獄に堕ちる覚悟がなければ人を呪うことは出来ない。
「あと、この依頼をよこしたのが誰かって質問には答えられない。翠が断るって言うなら、その術が誰かに及ぶ前に他に回すけど」
 それはナイトホークが初めて見せた表情だった。
 自分の能力を知り、力を見極めた上で交渉をする商売人の顔。ここで断ったとしても、次の誰かに依頼が回っていくだけなのだろうが…翠はブッカーズを一口飲んでカウンターを見つめながら呟く。
「どうして私にこの仕事を?」
「俺が知ってる中で、一番この仕事を完璧にこなしそうだから。翠が出来ないって言うなら、別の誰かに回すだけ」
「商売上手ですね…」
 『やらない』ではなく『出来ない』とは。
 そこまで言われては引き下がれない。それに友人であるナイトホークの頼みを断るつもりもそもそもない。
「分かりました。ターゲットにも依頼人にも触れず、術を解き相手に返してやればいいんですね…面倒ですが引き受けましょう」
 溜息をつきながらそう言うと、ナイトホークはいつもの表情に戻ってベストの胸ポケットからシガレットケースを出して煙草をくわえこう言った。
「サンキュー。翠ならそう言ってくれると思ってた」

「残り二つ…」
 人型のありかを七夜に探させながら、翠は符を構えた。
 先ほどからどうもあたりの様子がおかしい。もしかしたら術者が自分の存在に気付いたのかも知れない…張りつめた緊張感の中に殺気が漏れているのが分かる。
「………!」
 張りつめていた糸が弾かれた瞬間を翠は見逃さなかった。自分に放たれた気を避けながら、翠は相手を見極めようとする。だが、相手の姿は見えずその代わりに多数の亡者が翠の周りに現れた。
「厄介ですね…」
 半端に術を知っている者ほど面倒なことはない。素人であれば過ぎた力は使わないし、腕のあるものなら加減を知っている。
 だが翠が術を返そうとしている相手は、半端に力のある者のようだった。
「誰だか知らないが、俺の邪魔をするな…!」
 亡者の群れの中に、鼓を持った青年が立っている。あの鼓が何らかの力を与えているのだろう…翠も札を飛ばし亡者達を牽制する。
「それ以上過ぎた力を使えば、己の寿命を削りますよ」
「うるさい…お前に俺の気持ちは分かるまい」
 分からないし、分かるつもりもない。
 自分はカウンセラーではないし、相手の気持ちを聞いて気を静めることは仕事のうちに入っていない。それに何故呪殺などしようとしたのかとかには、翠は全く興味がないのだ。
 ポーンと高い音で鼓が鳴った。それと同時に亡者達が翠に襲いかかってくる。
「お前もこいつらの仲間に入れ!」
 身を切るような風が翠の頬をかすった。亡者達の群れに囲まれ、翠は自分の身を守っている。鼓の音が高く響き渡る。
「どうした?その符はただの飾りか?」
 翠は亡者達が発するプレッシャーに黙って耐えていた。まだだ…ここで全ての亡者を浄化することは簡単だ。だが、自分が頼まれた仕事は『呪を解いて相手に返せ』だ。七夜が札を探し出すまでは、相手のペースに乗っていた方がいい。
「あと一つ…」
 七夜が一つ人型を探したことが伝わってくる。最後の人型を見つけたら相手は術が解かれたことが分かるだろう。それに気付かれると厄介なので、翠は相手を挑発することにした。おそらく呪殺の方と、こっちで亡者を操っている方をこの術者は両立できない。七夜が単独で動けているのがその証拠だ。
「『人を呪わば穴二つ』…貴方が誰を殺そうとしているのかは知りませんが、その術は貴方にも返ってきますよ…」
 カリカリ…と亡者が爪で何かをひっかく音がする。先ほど風がかすったところを指で拭うと、そこから血が出ているのが分かる。
 すると打っていた鼓の手を止め、青年がハハハハ…と高笑いをした。
「呪いの逆凪のことか?それぐらい対処している…俺はそんな半端術師じゃない」
 くす…と翠が氷のように冷たく笑う。
 大層自分に自信があるようだが、本当に力があれば術を見つかることがないのを相手は全く気付いていない。術を見つかっているその時点で充分半端者なのだ。
 翠の微笑みを見て、相手は翠の方に近づいてきた。
「命乞いをしたら助けてやらないでもない。このまま亡者の群れに入れるのも惜しいしな」
「そうですね…でも私と貴方じゃ釣り合いが取れませんよ。こんな風に」
 七夜が最後の人型を見つけ、それを二つくわえ翠の元に戻ってきた。それと共に翠は片手に持っていた符を一気に飛ばす。
「何っ?」
 符が地面に張り付くと同時に結界が張られ、周りにいた亡者達が次々と浄化された。相手は慌てて鼓を叩き亡者達を呼ぶが、結界が邪魔して翠に触れることすら出来ない。
 翠は七夜がくわえてきた人型を手に取り、ふふっと笑う。
「貴方のように、一つの術に気を取られすぎて本命の術が破られたことにも気付かない半端な人は、私の近くにいても邪魔なだけです…さて、少し痛い目にでも遭ってもらいましょうか」
 翠が右手を伸ばした瞬間、七夜が勢いよく飛び出し相手の持っていた鼓を奪った。
 その鼓を受け取り、翠はそれをじっと見る。
 どこで手に入れたのかは分からないが、確かにこの鼓には亡者を呼び寄せる力があるようだ。それを構えながら翠が冷たくこう言い放つ。
「今まで使っていた亡者の仲間入りというのも乙かも知れませんねぇ。貴方のような術者なら、浄化ぐらい出来るでしょう?」
「貴様…!」
 術では敵わないと見たのか、相手が真っ直ぐに飛び込んでくる。だが翠はふっと笑ったままこう言った。
「でも私の仕事は終わりましたので、失礼させていただきます」
 頼まれた仕事である『呪を解く』は既に終わった。これ以上わざわざ付き合ってやる必要はない。
「せいぜい自分がかけた術の逆凪対策でもすることですね。まあ、その力があればの話ですが…」
「待て!逃げるのか?」
 結界が解けると翠の姿はかき消え、後はただ夜の闇が広がっているだけだった。

 それから三日後、翠は六つの人型を持って蒼月亭に来ていた。
 もう人型自体に力はなく、術は相手に返っていっただろう。ナイトホークはそれを受けとり、代わりに茶封筒を手渡す。
「危険手当よりも、あの時破れた服を弁償してして欲しいですねぇ」
「いくらでもそれで買ったらいいだろ」
「買いに行くのが面倒なんですよ」
「…はいはい。何か飲む?」
 呆れたように溜息をつくナイトホークに、翠は封筒をポケットに入れながらメニューを見る。
「そうですね…今日は強いカクテルが飲みたいので『アースクエイク』でも」
「かしこまりました」
 あの後、翠は奪った鼓を自分の家の庭で焼いた。かなりの年代物だったが、それはそうやって送ってやるのが一番のように思えたからだ。きっと鼓の音で呼び出された亡者達も、煙に乗って天に昇って行けただろう。
 そして相手が使っていた術…。
 ただの呪いならおそらく逆凪を考慮していただろうが、あれは祟り神を使った呪だった。
 願いを叶える神にも色々と種類がある。だが、頼む相手を間違えると後々面倒なのは人間の世界と同じだ。呪を解いた時点で、自分が何もしなくても勝手に相手に返っていっただろう。
「一体誰に対して呪いを送っていたのやら…」
 思わずそう呟くと、『アースクエイク』の入ったカクテルグラスを差し出しながら、ナイトホークが溜息をついた。
「さあね…呪い殺すことに関しては犯罪にならないからな」
「そのような仕事を請け負うこともあるんですか?」
 翠の言葉にナイトホークが首を横に振る。
「そういう仕事専門にやってる情報屋もいるみたいだけど、受けない事にしてる。俺は仕事を回すだけで内容にまで干渉しないし」
 それがいいのだろう。
 仕事の内容に干渉し、依頼相手に感情移入しすぎるようでは仕事の斡旋などやってられない。内容が善か悪かはともかく、仕事をやるもやらないも自分次第なのだから。
「まあ、ナイトホークが選んだ仕事なら間違いはないでしょうし」
「そいつはどうかな」
 そんな事を話している時だった。
 店の前を救急車が走り、それが近くで止まる。
「事故でもあったか?」
 シガレットケースを出しながらナイトホークが入り口の方をチラ見て、煙草をくわえて火を付けた。赤いランプがぴかぴかと光り、ざわざわと人が話す声が聞こえる。
「ちょっと見てくるか。七夜、お前も行くか?」
 七夜を連れてナイトホークがドアベルを鳴らし外を見る。翠は七夜の目を通し、外で何が起こっているのかを知った。
「…二つ穴に落ちたようですね」
 翠が見たのは、あの夜誰かを呪い殺そうとしていた男だった。それが口から血を流して倒れている。顔色も土気色をしており、あの様子ではおそらく助からないだろう。『術を返す』という依頼もこれで達成されたらしい。
「………」
 だがそれを見ながら翠は思っていた。
 もしかしたら、呪われていたのはこの店に来る誰かで、それを知ったナイトホークが、個人的に自分に仕事を依頼したのではないのかと。それを聞いても『依頼をよこしたのが誰かって質問には答えられない』と言って教えてはくれないのだろうが…。
「まあ詮無きことですか」
 余計なことは聞かないに限る。
 それに己の力量をはかれずに自滅した者に対して同情はしない。あの様子では、もしナイトホークが自分に依頼しなかったとしても、早かれ遅かれこうなっていただろう。
「ニャー」
 七夜が翠の足下に戻ってきて、一つだけ高く鳴いた。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
6118/陸玖・翠/女性/23歳/(表)ゲームセンター店員(裏)陰陽師

◆ライター通信◆
ご参加ありがとうございます。水月小織です。
お任せの「危険な仕事」ということで、陰陽師という設定を生かした話にしてみました。翠さんの性格からすると、依頼人の事情などに関してはあまりこだわらず、友人のナイトホークから頼まれたから仕事をする…という感じに見えましたので、全体的にそのような雰囲気になってます。
リテイクなどはご遠慮なく言ってくださいませ。
また機会がありましたらよろしくお願いいたします。