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■過去の労働の記憶は甘美なり■

水月小織
【2778】【黒・冥月】【元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
東京では仕事を選ばなければ稼ぐ手段に困らない。
かと言って、紹介する者を選ばなければどんな目に遭うか分からない。
いつものように『蒼月亭』のドアを開けると、こんな文句が目に入ってきた。

『アルバイト求む』

さて、ちょっと首を突っ込んでみようか…。
過去の労働の記憶は甘美なり

「アルバイト求む」
 そんな文句を目にしたのは、黒 冥月(へい・みんゆぇ)がいつものように蒼月亭にコーヒーを飲みに来た時のことだった。だがその張り紙には条件も何も書いていなかった。
 特にこの店にアルバイトが必要というわけではないだろう。さほど大きな店でもないし、昼にも夜にもちゃんと従業員がいて人を増やさねばならないようには見えない。
 冥月はコーヒーを飲みながらマスターのナイトホークに向かって話す。
「いつから斡旋業なんて始めたんだ?」
 この店は東京を転々としながらずっと続いているらしい。だとしたら、おそらくあの文句は何らかの仕事の斡旋なのだろう。この店に集まる癖のある者達なら、情報を持ってきたり仕事を請け負ったりするのもいる。
 ナイトホークはいつものように煙草をくわえながら、冥月に向かって笑う。
「ああ、分かった?」
「この店にアルバイトが必要には見えないからな」
 冥月はコーヒーカップを置いてふっと微笑んだ。キッチンの奥では昼間の従業員である立花 香里亜(たちばな・かりあ)がなにやら菓子を焼いているようで、バニラとバターのいい香りが漂ってきている。それをチラリと振り返ってから、ナイトホークはくわえていた煙草を灰皿に置きながら声のトーンを落とした。
「昔からこういう仕事の斡旋みたいのしてたんだけど、しばらく休んでたんだ。で、最近思うところあって再開した」
「なるほど」
 それを聞き冥月はカウンターに肘をつき考える。
 金なら暗殺者時代の報酬が腐る程あるので特に必要はないが、腕が鈍るのは困る。それに丁度暇を持て余していたところで、何か自分が出来るような仕事なら受けてみるのもいいかもしれない。
「冥月、よかったら一つ仕事してみない?」
 ナイトホークのその言葉を待っていたかのように、冥月は顔を上げた。仕事を斡旋してもらう事に関して異存はないが、望まぬ仕事を押しつけられても困る。
「仕事を受けるのはいいが二つ条件がある。私に霊力はない。能力も完全に物理的だからな。幽霊関係は却下だ」
「ん、その辺は別の奴に回す。もう一つの条件は?」
 余計なことを聞かず、淡々とビジネスライクに物事が進むのは悪くない。この様子を見ると、仕事の斡旋に関してはかなり経験があるのだろう。冥月はそれに安心し、二つめの条件を言うことにした。
「殺しでなければいい…私は暗殺者を引退した身だ。『手段』として殺人が必要なら仕方ないが、それが『目的』だったら却下だ」
 元々冥月はある組織に所属していた暗殺者だった。だが、その仕事を引退した今、それを生業にはしたくない。相手が自分を殺す気でかかってくるなら本気で応戦するが、その気がない者の命を奪うことなら、どれだけ報酬を積まれようと受ける気はない。
 ミルに入れたコーヒー豆を挽きながら、ナイトホークが息をつく。
「それは大丈夫だ。人がやりたくない仕事を斡旋するほど、余裕がないわけじゃない。話を聞いて仕事をやるもやらないも冥月の自由だ」
 選択肢が自分にあるなら大丈夫だろう。冥月はカップに入っていたコーヒーを飲み干し、二杯目を要求するようにカップを奥に差し出した。
「じゃあ話を聞かせてもらおうか…だが、その前にコーヒーのおかわりを頼む」

 それは確かに一筋縄ではいかなそうな依頼だった。
 『GREEN MIND』という企業のことを調べて欲しい。しかも企業案内に載っていないような事を。
 その企業は主にバイオテクノロジーを扱っており、製薬や食品業でも有名だ。テレビでは毎日のようにCMも流れている、表向きは普通の企業だ
「で、私は何を調べたらいいんだ?」
 一体その企業の何を調べたらいいのやら…冥月が二杯目のコーヒーを飲みながらそう言うと、ナイトホークふっと笑ってこう言った。
「そのビルの立ち入り禁止区域にある資料室に忍び込んで、『Bloody Train』って名前のファイルを盗み出してここまで持ってきて欲しい…これは『危険な仕事』だから、腕利きの者に頼むって指定があった。やるやらないは冥月の自由だ」
 危険な仕事、とあらかじめ前置きがあるとは。冥月はカップを置き、前髪をかきあげる。
「ファイルの内容については不問というわけか?」
「どうかな。冥月が知りたいって言うのなら、多分あの依頼主は教えてくれそうだけど、中身に興味ある?」
「いや。聞いたところで私には縁がないだろう…その仕事請け負ってもいいぞ」
 ある程度の自由度は許されているらしい。
 その寛容さと冷酷さを兼ねあわせる依頼主は、ある意味ビジネスパートナーとしては好ましい。それにナイトホークには自分が「腕利き」として認識されているようだ。そう言われて気を悪くする理由は何もない。
「サンキュー、依頼相手にはこっちから連絡しておく。あと、俺から条件いいか?」
 ナイトホークからも条件があるとは。
 冥月が無言で頷くと、ナイトホークは真剣な顔でこう言った。
「金は余ってるかも知れないけど、ビジネスだから報酬はちゃんと受け取ってくれ。受けとった後どう使おうと自由だけど、そうしてもらわないと困る」
 仲介した仕事に関して馴れ合いはしないと言うことか。だが斡旋業としてそれは至極真っ当なことだ。こういう仕事に関しては緊張感を持って挑んだ方がいい。
「安心しろ、そのあたりは私もプロだからな…」

 夜のオフィス街は、街全体が大きな廃墟のようだ。
 そう思いながら冥月は『GREEN MIND』社の駐車場で様子をうかがっていた。今のところ辺りに人はいないが、前もって調べた情報によると、中にはかなりの警備がいるらしい。しかも立ち入り禁止地区にはご丁寧に赤外線なども張ってあるようだ。
「ただの企業じゃないらしいな」
 冥月は影に潜みながら駐車場を走って突っ切り、通用門の前までやって来る。
「立ち入り禁止地区は三十階か」
 ピンと張り詰まった緊張感の中、冥月はビル内の影の存在に気を巡らせた。警備員室には十人前後の人間が詰めている…立ち入り禁止地区の三十階にも別の警備員達がいるようだ。しかも防弾チョッキに銃を持っているとは、日本だというのにかなり物騒だ。それだけそこにある物が人に見られては困る物なのだろう。
「赤外線に警備員…少しは楽しめそうか?」
 冥月は影に潜み内部に侵入した。これほどの大人数を一人で相手をすのは、かなり久しぶりだ。それを思うと妙な高揚感が沸き上がる。
「さて、まずこっちに人を引きつけるか」
 立ち入り禁止地区にいる者達と、普通の警備を引き離した方がいいだろう。ならばわざと堂々と侵入し、相手を引っかき回すだけだ。顔が見えないようにカメラに写りこみ、通用口のドアを堂々と開ける。
 警備システムがそれに反応し警告音が鳴った。それを聞き、冥月は長い廊下を走りわざと監視カメラの目に入るようにエレベーターの前まで行き、一階にあったエレベーターに乗り込む。
「下の警備員達には悪いが、少し運動してもらおう」
 乗り込んだエレベーターのボタンを全て押す。そうすれば各階止まりになり、少しは時間が稼げる。全部のボタンを押したのを確認すると、冥月は影を通し他の二基のエレベーターにも乗り、同じようにボタンを全部押した。
 侵入者があったという音に反応してか、あちこちで防犯用のシャッターが閉まる音がする。
「ずいぶん警備がしっかりしているな。警備しすぎなほどだ」
 果たして製薬や食品業の会社にこれだけの防犯設備が必要なのか。
 自分が盗もうとしている『Bloody Train』と言う名のファイルは、かなり危険な物なのかも知れない。
 Bloody Trainw…血まみれ列車。一体そのファイルに何が入っているのか。下の方で警備員が騒いでいる間に、冥月は一気に三十階の立ち入り禁止地区まで影を伝って駆け上った。目的の資料室に一気に入り、冥月は心の中で思わず呟く。
「これは厄介そうだな」
 部屋の中にはたくさんの小さな引き出しがあった。この中から目指すファイルを探さなくてはならない。気配を消し、冥月は引き出しに近づいていく。
 侵入する事は冥月にとっては容易いのだ。今は夜だし、影を使えば移動や戦闘にほとんど苦労はない。だが、中身を探し出すとなると結局は自分の手で確かめるしかない。だからこそ時間を稼ぐために攪乱が必要なのだ。
「大人しく『B』の欄に置くとは思えないが…」
 自分なら人に見られたら困るような物をどこにしまうか。
 しかも立ち入り禁止にしてまで守るほどの大事な物を。
 一番いいのは身につけておくことだろうが、そういうわけにはいかない。必要な時にすぐに取り出せなければファイルにしておく意味がない。冥月はそっと影から鍵付きの引き出しを調べる。
「あそこか」
 一つだけ鍵の種類が違う。表向き普通の鍵に見えるが、特別な手順で開けなければ開かないのがある。その引き出しから冥月は全てのファイルを取り出した。そして『Bloody Train』のファイルを探す。
「これだな」
 ファイルと言ってもそれは小さなチップが四枚ほどの物だ。うっかりすると落としてしまいそうだ。
 それを手に取り、影の中に隠そうとした時だった。
「ここにいたぞ!」
 資料室の扉が大きく開き、そこには何人かの者達が自分を見ていた。ご丁寧に銃口も向けられている。引き出しに重量センサーでもついていたのだろう…何にせよ自分が持っているファイルは相当重要な物らしい。
 冥月はそれを見て一瞬たじろいで見せた後、不敵に笑う。
「怪我をしたくなければそこをどけ。私を敵に回すと後悔するぞ」
 その刹那、サイレンサーを通した銃声が鳴った。だが、冥月の前に現れた影がその弾を全て防ぎ、それと同時に前へと走り出す。
「大事な物を守る割にはずいぶん甘すぎるな」
 列をなして前を防げば逃げることを止められる思っているのだろう。確かにその通りかも知れないが、自分のように戦闘訓練を受けている者に対してそれは間違いだ。円陣で囲まれているならともかく、列をなしていては側面から攻められる事がない。しかも狭い場所で迂闊に動けば団子状態になる。そうなったらこっちの物だ。
「たあっ!」
 目を突き相手を怯ませる。のけぞった瞬間喉元に手刀を入れる。
 そこに飛び込んでしまえば相手は同士討ちを避けるために銃を使えない。冥月は冷静に影の能力と自分の体術で敵を一人ずつ減らしていった。
「防弾チョッキもこれでは全く役に立たないだろう?」
 近接戦闘での防弾チョッキは動きの妨げになる。実戦格闘において一番気をつけなければならないのは目や喉などで、銃弾戦でもなければ身は軽い方がいい。近くに倒れている男の首根っこを掴み、冥月はそれを盾代わりにしてニヤリと笑う。
「いいことを教えてやる。銃撃戦に置いていちばん役に立つ盾は人間だ…防弾チョッキよりもよほど弾を防いでくれるぞ」
 その言葉に相手が怯む。冥月はそれを見逃さなかった。
 影から剣を出し、相手の背後から襲いかからせる。人質を取ると相手はそこにばかり目が行く…たとえ冥月が影の能力を使わなかったとしても、イニシアチブを取られたら人数が多くても烏合の衆なのだ。それに対抗するためには、仲間を人質にされても怯まない精神力と、訓練が必要だ。
「言っただろう、私を敵に回すと後悔すると」
 単なる侵入者であれば良かったのだろうが、生と死の間をくぐり抜けてきた自分にとっては遊び程度だ。わざわざ殺す必要もない。
 倒れている男達を後に、冥月はファイルを持って悠々と脱出した。

「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ」
 閉店間近の蒼月亭に入り、冥月は真っ直ぐカウンターに座る。店にはコーヒーを飲んでいるスーツの男しか客がおらず、ナイトホークは彼と話をしていた。
「コーヒーをもらおうか。仕事明けの一杯だから、お前の奢りで」
 そう言って冥月は四枚のチップをカウンターの上に置いた。ナイトホークはそれを受け取り、口元だけで笑う。
「かしこまりました」
 そう言うとナイトホークはパウンドケーキを冥月の前に出し、コーヒーの準備をし始めた。ここでこの仕事の話をしていた時に、店の中に香っていたのはこれだったのかも知れない。ゆっくりとコーヒー豆を挽く音が店内に響く。
「仕事どうだった?」
「日本の企業らしからぬ物騒さだったな。おそらく私が持ってきた『Bloody Train』というファイルとやらも、ろくな物じゃないんだろう」
「流石、勘が鋭いな」
 ケトルに火をかけ、ナイトホークはシガレットケースを出して煙草に火を付けた。
「昔からのお得意様からの依頼でね。中身は俺も知らないけど、立ち入り禁止地区に入れなきゃならないほど危険な物らしい…そっちの人が依頼主」
 そう言われたスーツの男が頭を下げる。まだ若く二十代後半ぐらいにしか見えないが、凛とした雰囲気を感じさせる。
 ナイトホークがチップを受け渡すと彼は満足そうに頷いた。
「貴女が仕事を請け負ってくださった方ですか?」
「ああ、そうだが」
「仕事を引き受けてくれてありがとうございます。これは僕の会社から盗まれた研究内容だったのですが、手元に戻って良かった…報酬は後ほど」
「どういたしまして」
 冥月はそう言いチラリと相手を見た。ライバル社同士で企業スパイでもあったらしい。彼はカウンターに肘をつき深い溜息をつく。
「…この中には研究中に偶然見つけた『時限式細菌』のDNA式が入っていたんです。これを使えば、ある一定時間後に細菌を繁殖させることが出来る…悪用される前に戻ってきて良かった」
 コーヒーの香りが漂う中、冥月は考えていた。そんな物騒な物を取り戻して、何かに利用する気なのか。だが、それに気付いたように彼は笑って冥月を見る。
「もう一つ仕事を頼まれていただけますか?」
「私に出来ることなら」
「このチップを破壊してください。これはまだ見つかるべきではないものですから」
「分かった。それを渡してくれ」
 彼は四枚のチップを全て冥月に渡した。何も疑わずにそれが渡されたことに、冥月は皮肉っぽく笑う。
「私がこれを持って相手に売りつけに行く可能性とかは考えなかったのか?」
「ナイトホークがそんな人に仕事を頼むとは思ってませんから」
 それを聞き、冥月は手の中でそれを握りつぶした。お得意様というのはどうやら本当のことらしい。
「ありがとう」
「ナイトホークと私を信用してくれたからな。それを裏切るようなことはしない」
 コーヒーの香りが辺りに漂い始めた。冥月はカウンターに置かれたコーヒーカップを指さし、ふっと微笑む。
「コーヒーが冷めないうちに飲むといい。ここのコーヒーは美味しいからな」
「そうしましょう」
 彼が席に戻るのと同時に、冥月の前にナイトホークの手が差し出された。そこに冥月はかけらになったチップを置く。
「処分しておいてくれ」
「かしこまりました」
 入れ立てのコーヒーの香りが漂う中、後は沈黙だけが辺りを支配していた。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
2778/黒・冥月/女性/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒

◆ライター通信◆
ご参加ありがとうございます、水月小織です。
ナイトホークからの紹介で、経験と能力を生かせる仕事ということで、潜入と戦闘を兼ねた話にさせていただきました。ただ侵入するのではなく、相手を煽動しつつ冷静に対処…と、スタイリッシュな感じになってます。
戦闘時の対処の参考に、久々に実戦格闘術の本を読みました。冥月さんは確実に目と喉元を狙ってきそうです。
リテイクやご意見は遠慮なく言ってくださいませ。
またよろしくお願いいたします