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■夢幻迷宮■

青木ゆず
【6684】【水谷・美咲】【小学生】
差し込む光が淡く、空が高くなっている。

吹いてくる風の中にもいくらか優しさが混ざり、どこからか金木犀の香りが漂ってきて、ハヅキは全身で秋の気配を感じていた。

ハヅキは地上からぼんやりと空を眺めていたが、すっとその場から姿を消した。

再び姿を現したとき、ハヅキは樹木の一番高い枝に腰をかけていた。

扇子を広げ、髪を風になびかせながら、瞼を閉じる。

頬に当たる張りつめた空気が心地よい。

「秋は堪能したいものよね」

葉擦れの音を聴きながら、木の幹にもたれかかり、ハヅキはゆっくりと扇子を仰いだ。



夢幻迷宮


―迷―

 ここ、どこ?
 カップのアイスを片手に、店からつけてもらったプラスティックのスプーンをくわえたまま、水谷・美咲はしばらくの間立ち止まり、惚けていた。
 学校では夏休み。アイスを毎日のように食べていたら、いつの間にか近所の店で売っている全ての種類のアイスを制覇してしまい、飽きが来ていたところへ、新作アイスのCMがテレビで流れた。
 美咲は胸をときめかせ、早速買いにいこうと思い立って、コンビニ、スーパーと色々回ってみたものの、自宅の近くにその新作アイスは売っておらず、美咲は日差しの強い中を、執念のようにあちこち探し回った。ようやく一件の店で目指したアイスを見つけ、近所のお姉さんにも食べさせたいと二つ買い、ご満悦な表情でアイスを一口食べたとたん、美咲は我に返ったのだった。
 
 随分遠くまで来てしまったらしい。アイス一筋で脇目もふらず突っ走ってきたが、周りを見れば巨大なビルが整然と立ち並び、夏休みなんか関係ないといわんばかりに、スーツ姿の女性や男性が忙しく行き交っている。子供は、美咲ただ一人。しばらくうろうろしてみるが、自分の居場所がわからず、完全に迷子になっていると気がついた。
 誰かに道を訊こうかと思ったが、道行く人々が、子供なんか相手にできるかよ、という形相で歩いている。とても訊ける状態ではなさそうだ。
 子供が好き、っていうのは学生さんくらいなものだね。こんなご時世だし、みんな働くことに一生懸命だよ。
 美咲は思いながら、アイスをもう一口食べた。体が少し火照っている。これは、暑さからくる熱ではない、と直感する。人の多いところに来ると、見えなくていいものが人に混じってゆらり、ゆらりと歩いているのが見える。それを美咲の身体が感じ取っている。
 
 たくさんいるね……ここ……。
 
 美咲は溜息をつき、見なくていいものから視線を逸らした。空を見上げる。
 日はまだ高く、ビルばかりの土地のどこにいるのか、蝉の鳴き声が鬱陶しいほどに降り注いでくる。
「……暑い」
 呟き、歩き出そうとして、美咲は踏み出した足を引っ込めた。あれ、と思う。
 一瞬、一筋の冷たい空気が美咲の身体を通り抜けていった。周囲を見渡す。人外のものはたくさん見える。なのに、今の空気で身体の火照りが完全に消えてしまった。
 次第に、いつも美咲の頭の中で眠っているなにかが目を覚まし始めた。これは、美咲の身に危険が起きる時や大きな事件に巻き込まれそうになるときに働く糸だ。多分、美咲は今、他の人には感じない空気を感じ取った。
 やばいかな、と思うが、心は至極穏やかで、身の危険を感じない。むしろ、美咲を襲った冷たい空気は、身体の火照りを消してしまうほどの強さと優しさが含まれていたように思える。
 
 美咲は自然に歩き出した。働き始めた霊感は、磁石の吸引力のように暑さの中にある一筋の空気を追い求める。
 悪い気配はしないし、いいか、と気楽に考え、アイスをパクパク食べながら自分の霊感に従っていると、美咲を待ち構えていたものは、二本の大きな常緑樹だった。二本の木の間からは、道なき道が見える。
「ここから」
 あの空気はここから流れて出ている。美咲は来た道を振り返った。都会の中に聳えたつ常緑樹。みんなには見えていないようだ。いや、気づかないだけかもしれない。
 なにがあるんだろう。
「別に変な人とかいないよね」
 好奇心から、美咲は自分を迎え出た二本の木の向こう側に足を踏み入れた。


―逅―
 

 樹木に覆われた世界なのに、蝉の声が全くしなくなった。
 奇妙なほど静かな空間に、遂に異次元の国まで来られるようになってしまったのかと、美咲は他人事のように感心していた。赤ちゃんの時からいろんな事象に巻き込まれてきた為、もう些細な事では驚かない図太さを美咲は持っている。
 だが。
 不意に獣道から投げ出されたかの如く目の前が開けた瞬間、美咲は声をあげた。
 緑の中に規則正しい間隔をあけて、どこまでも続いている無数の墓石に、美咲は思わず息を呑む。洋画でよく見かけるような、草の中に平らに埋め込まれた石たちには、なにか年号と名前が書いてあるようだったが、日本語ではなかったので美咲には読みとれなかった。英語でもなさそうだ。やっぱり、異次元の国の言葉だろうか。

「あらまあ、随分可愛らしいお客さんがいらしたわね」
 
 驚くような、それでも子供に語りかけるような優しい声に、美咲がふと見上げると、いつからそこにいたのか、真っ黒な着物をしとやかに着こなした女の人が立っていた。
 年の頃は、アイスをあげようと思った近所のお姉さんと同じくらいか。でも、気配が微妙におかしい。美咲は黙ったままじっとその女の人を見つめた。
「あなた、人間じゃないですね」
 クールに言い放つと、女の人は苦笑交じりの微笑を浮かべ、屈みこんで美咲と視線を合わせた。
「ええ、人間じゃないけれど、ハヅキって呼んでね」
 人間に悪さをもたらす幽霊ではなさそうだ。高級霊の類だろうか。
 この場所も、墓地であるにもかかわらず、普通の墓地ならば感じられるはずの嫌な気配はなにも感じない。それどころか空気は淀んだ都会よりもずっと澄んでいる。
「新作のアイスを探しにこの街へやってきて、迷子になっていたらついうっかり、ここへ来てしまいました」
 美咲は自分の名前を告げた後、大して困っている風でもなくそう言って、腕に掲げた袋の中身とハヅキを見比べた。
「食べます? 知り合いのお姉さんのために買ったアイスなんですけど、帰る前に溶けちゃいそうで」
 美咲の手にしていたアイスは、まだ半分残っているが溶けかけている。
 
 見ると、ハヅキはしばらく考えるように首を傾げ、美咲のカップの中を覗いていた。立ち上がり、すっと踵を返して、何歩か歩くと、ハヅキは切り株の上に半分腰を掛け、笑いながら美咲に向かってぽんぽんと残りの半分が開いた切り株の表面を叩いた。
「いただくわね。一緒に食べましょ」
 ハヅキの仕草に従い、美咲は切り株の上に腰を下ろした。アイスとプラスティックのスプーンを袋から出して、ハヅキに渡す。ハヅキは物珍しげにアイスカップを見つめていた。
「冷たい。アイスって初めて食べるわ。これって溶けちゃうものなのね」
「溶けかけたのがまた美味しいんですけど……」
 ちょっと考えて、美咲は言った。
「自分でアイスあげておいて言うのもなんですが、ハヅキさんはもの食べられるんですか」
 霊の種類によって異なってくるのだろうが、幽霊はものが食べられるのか、というのが美咲の素朴な疑問だった。ハヅキは美咲の問いかけに親切に答える。
「私は食べなくても平気なんだけどね、食べることもできるの。たまにここに来る人達が、お菓子も持ってきてくれるのよ。ええと、『ケーキ』とか、『クッキー』とか」
 こんなところに来る人間は自分だけではなかったのか、と思いながら、美咲はハヅキの動作を見つめていた。慣れない手つきで蓋を開け、アイスカップの中にスプーンを差し込む。
 一口食べて、ハヅキは美咲に無邪気な笑顔を見せた。
「うん、美味しい」
「そう言われると、探した甲斐があります」
 
 美咲のカップの中に、ひらひらと一枚の木の葉が落ちてきた。見上げると穏やかな風が木々たちを左右に揺らしている。まるで、美咲を温かく迎えてくれているかのように。
 
 美咲は目を閉じ、しばらく全身で風を感じていた。先ほど、美咲の身体の熱を消してくれたあの一筋の風の正体に出会えた気がする。鳥のさえずる声も、蝉の鳴き声も一切聞こえない、ただ葉擦れの音だけが木霊する静かな世界に、美咲の鋭敏な霊感が徐々に熱を冷ましていく。
「ここは、お墓なのになぜか落ち着きます。死人が眠っているわけではないのですね」
「美咲ちゃんは、鋭い女の子ね」
 ハヅキは微笑んだ。
「ここはね、別名『失せものの地』というの。人間が失った、様々な想いが眠っている。亡くした人の記憶や、失った感情や、物への愛着心……それを取りに来るか来ないかは、その人自身ね。でも、そうした人達に目覚めて貰うのを、この墓地はずっと待ってる。時々迷いこんでくる人は、自覚しないままにそれを求めに来るのね」
「なんだかよくわからないけど……わかったような気もします」
 美咲は淡々と言って、最後のアイスの一口を食べた。ハヅキさんと出会えたのも、なにかの縁なのだろう、と思いながら。
「じゃあ、美味しいアイスも頂いたことだし、美咲ちゃんが失くしたもの、取り戻しましょうか。実践、実践。百聞は一見にしかず、よ」
「え?」
 美咲は不思議そうな顔をした。
「私、別になんにも失くしてないですよ」
 ハヅキは立ち上がり、自分のこめかみの辺りを指差した。
「こ・こ。美咲ちゃんがこの外世界の街に来るまでの記憶。迷って帰れなくなっちゃったんでしょ」
 あっ、と美咲は叫んだ。そうだった。アイスを買いにやってくるまでの道中の記憶がすっぽりと抜け落ちている。そんなことも「失せもの」になってしまうのかと、美咲は呆然とハヅキを見つめていた。
「こちらへいらっしゃい」
 ハヅキはゆっくりと美咲に手を差し伸べた。美咲は導かれるようにハヅキの手の上に、自分の手を乗せる。ハヅキの氷のような手の冷たさに、美咲はやはり、人間と幽霊の境界というものを感じた。
 どこへ行くのだろう。
 ハヅキに案内されるままに、美咲は墓地の敷地内をついて行った。


―幻―
 

 一つの墓石に、太陽の光が照らしだされていた。墓石には、なにも文字が刻まれていない。
「これが美咲ちゃんの墓石。人が迷い込んでくるとね、太陽光がこの人の墓石はここですよ、ってちゃんと教えてくれるの。不思議なものよね」
「ここの世界自体が不思議です」
 別段皮肉でもなく美咲が素直にきっぱり言うと、ハヅキは肩をすくめた。
 静かにね、と美咲に言うとハヅキは目を閉じ、墓石に手を振りかざした。白石だった墓標に、突然文字が浮かび上がってくる。多分美咲の墓標が記されたのだろう。
 美咲はハヅキのから、凄まじい霊気を感じ取った。
 
 なにが始まろうとしているのか。
 そっと見守っていると、ハヅキの手から仄白い光が放出されていた。白い光はだんだん大きく、眩しくなっていき、やがて美咲の全身を呑みこんだ。



 気がつくと、周囲には墓石もむせ返るような青々とした木々も一切なくなり、三本の白い道が美咲の目の前に広がっていた。辺りは白一色の世界に覆いつくされている。
「ここは?」
 呟いた美咲の前に、ハヅキが足音もなく現れた。ハヅキは落ち着いた口調で訊ねる。
「どの道が美咲ちゃんのお気に入り?」
 訊かれるまま、美咲はしばらく悩み、無言で真ん中の道を指差した。
「ここね」
 ハヅキが両手を広げると残りの二本の道は瞬く間に消え去り、美咲の選んだ一本の道だけが遥か彼方まで続いていた。
「ここを歩いていけば帰れるんですか」
「ええ」
 ハヅキは美咲の前を歩き出した。美咲は黙ってついていく。
 行く手を阻むものも視界を遮るものもなく、あの墓地にいたときのような穏やかな静寂と、安心感に包まれながら、美咲はしばらく、ずっと一本の道を歩いていた。自分の霊感に反応するものは、なにもない。ハヅキとの間に流れる沈黙は心地よく、この背中を追えばいいのだという信頼さえ、美咲の中には芽生えいていた。
 
 時間にして、二十分くらい歩いただろうか。
「そろそろね。周りを見て」
 ハヅキが立ち止まり、美咲を振り返って言った。道の両脇の白い空間が、次第に深い青に染まっていくことに、美咲は気がついた。どこからか、心地のよい音が聞こえてくる。
「……この音は、さざ波?」
 言った瞬間、青に染められた道の両脇から不意になにかが跳ね上がってきた。
 それらは高く水飛沫をあげ、美咲の遥か頭上を通り越して交差し、また青の中へと入っていく。
「イルカだ!」
 美咲は思わず叫んでいた。不意にできた青い空間は海だったのだと美咲は理解した。数秒後に、両脇からまた二匹のイルカが飛び出し、交差して海へと潜りこむ。イルカの残した飛沫はシャワーのように美咲に降り注ぎ、水滴はなにかの光に反射してきらきらと輝いていた。
「綺麗」
 美咲の歩く場所にはいつしか虹のドームができ、二匹のイルカは美咲の一歩先を行っては交差を繰り返す。
「ふふ。ちょっとしたパフォーマンス。幻覚だけどね」
 幻覚。そういえば、と、服に手を当ててみる。これだけ飛沫を浴びながら、服は全然濡れてはいない。
 潮風が、気持ちよかった。なんだか楽しい気分になって、美咲は鼻歌を唄いだした。イルカは美咲の鼻歌に呼応するように、今度は一回転して海へ潜る。
 虹のドームの中を、二匹のイルカとハヅキと一緒に、美咲は歩き続けた。
 

―想―


「あれ」
 いつの間にか、美咲は見慣れた地元の街に戻っていた。
 日は傾き、雲が夕焼けに染まって赤くなっている。周囲には鬱陶しいほどの蝉の鳴き声が聞こえ、熱を帯びた空気が美咲の身体にまとわりついていた。
 夢? 
 幾分拍子抜けした顔で、美咲は手に持っていたアイスのカップを見つめた。
 あの墓地にいたときに舞い落ちてきた木の葉が一枚、その中に入っている。 
 もう一つ買ったはずのアイスは、手元にない。  
「夢じゃない……多分」
 記憶は鮮明に頭に焼きついている。これまでのことを思い出しながら、美咲は我に返り、驚いた。一本道を通ってきただけなのに、あの新作アイスを売っていた場所が、絵に描いたように分かるのだ。どこをどう通ってきたのかも、はっきりと思い出せる。
 
 失せものの記憶――幻覚を通して人間に忘れたものを取り戻させる。

「それがハヅキさんの仕事なんだね」
 呟いて、美咲はカップから木の葉を取り出し、吹き抜ける風に飛ばした。
 この木の葉を持っていてはいけないと美咲は思った。人間が不用意に霊の世界に首を突っ込むべきではないことを、美咲は充分に承知していたからだ。
 でも。
「会えてよかった。ありがとう」
 木の葉が風に吹かれてどこかへ消えてしまうのを見送った後、美咲はカップを近くのくずかごに捨てた。夕げの匂いがどこからともなく漂ってくる。
 帰ろうっと。
 美咲は今日の想い出を胸に閉じ込め、地面を蹴って駆け出した。
――またね。
 ハヅキの透き通る声が、微かに耳の奥で聞こえたような気がした。
                              <了>


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

【6684/水谷・美咲/女/7歳/小学生】

NPC【ハヅキ/女/17歳/墓地の番人】


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■         ライター通信          ■
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水谷・美咲さま

初めまして、青木ゆずです。

この度はご参加頂きありがとうございました。
パフォーマンスはあのような形になりましたが、楽しんで頂けましたでしょうか。
今後ともご縁がございましたら、どうぞよろしくお願い致します♪