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■Night Bird -蒼月亭奇譚-■

水月小織
【2512】【真行寺・恭介】【会社員】
街を歩いていて、ふと見上げて見えた看板。
相当年季の入った看板に蒼い月が書かれている。
『蒼月亭』
いつものように、または名前に惹かれたようにそのドアを開けると、ジャズの音楽と共に声が掛けられた。

「いらっしゃい、蒼月亭へようこそ」
Night Bird -蒼月亭奇譚-

 「仕事」の後は街を歩いていても気が重くなる。それが自分が参加している研究プロジェクトなどではなく、会社からやって来る裏の仕事…ダーティーワークならなおさらだ。
 真行寺 恭介(しんぎょうじ・きょうすけ)は、先ほど片づけたばかりの仕事のことを思い出しながら街を歩いていた。
 太陽が天に昇り、自分の足事に映る影はずいぶんと短い。
 最近は、この手の仕事がよく恭介の元に舞い込むようになっていた。それは会社の上層部に何か思惑があって自分に厄介な仕事を回しているのか、それとも単に異能者が増えたからなのかは分からない。ただ自分がやるべき事は、その仕事を完璧にこなすだけだと思っている。
「………」
 歩いていると色々と考えが巡ってしまう。そんな時だった。
 太陽の日差しに目を細めながら顔を上げると、古めかしい木で出来た看板に、蒼い月の絵と共に『蒼月亭』と書かれているのが見えた。蔦の絡んだ三階建てのビル…どうやらカフェらしい。店の中からは美味しそうな匂いが漂ってきている。
「そう言えば、ここ最近まともな食事を取ってないな…」
 仕事が忙しくて食事に気を使っていなかった。元来食に執着がないことと、ダーティーワークの連続で耐性が出来ているのか空腹はあまり感じていないが、こうやって時間のあるときに何か口にしておいた方がいいだろう。それに今回の「仕事」は生気を吸う能力者が相手だったので、かなり生気を吸われたような気がする。食事を取ることで、その回復も早くなるかも知れない。
「行ってみるか」
 別の店でも良かったのだが、雰囲気も悪くなさそうだ。恭介はそう呟きながら、そのドアに手をかけた。
「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ」
 店に入ると大きな十人がけのカウンターが目に入った。そのカウンターの中には長身で色黒の男と、大きな瞳でニコニコと微笑む少女がいる。まだランチの時間には少し早いのか、客の姿は見えない。
 恭介は真っ直ぐカウンターの一席に座った。すると少女がレモンの香りがする冷たい水と共に声をかける。
「いらっしゃいませ。そちらにハンガーもありますのでよろしかったらお使い下さい」
「ありがとう」
 店の中は恭介が思った通り、悪くない雰囲気だった。
 スピーカーから聞こえてくるうるさくない程度のジャズ、磨かれたカウンターにアンティークの内装。メニューを手に取ると、ランチメニューの所に『マスターの気まぐれランチ』と書かれている。それを見た男…多分マスターなのだろう…が、気さくに声をかけてきた。
「お客さん運がいいな。いつもは俺が一人一人メニューの違うランチを出すんだけど、今日は香里亜(かりあ)が作った和食があるから」
 そう言われ恭介が横を見ると、香里亜と呼ばれた少女が微笑んでいる。
「今日のランチメニューは和食なんです。洋食の方がよろしければ、マスターのナイトホークさんがお作りします。どっちも美味しいですよ」
「和食か…」
 たまにはちゃんとした物を食べた方がいいかも知れない。恭介はメニューを置きながら、香里亜に向かって注文をした。
「じゃあ、その和食のランチを」
「かしこまりました。何か苦手で食べられない物はございますか?」
「えっ?」
 レストランならともかく、カフェでこんな事を聞かれるとは思っていなかった。驚きを隠せないでいると、ナイトホークがカフェエプロンのポケットからシガレットケースを出しながら少し笑う。
「折角金出して飯喰うのに嫌いな物が出たら勿体ないし、残されるよりもこの方がいいから。ちょっと変わってるけどな」
 ちょっとどころではなくかなり変わっている。だが、それは知り合いの家で食事をするような、暖かみがある言葉だった。出された水を一口飲み、恭介は首を横に振る。
「好き嫌いはないが、どちらかというと薄味の方が好みかな」
「かしこまりました。少々お待ち下さいませ」
 香里亜がぺこりとお辞儀をし、キッチンの方に入っていく。一体どのような物が出てくるのかと思うと、それがなんだか楽しみでもある。自分でも思ってもみなかった意外な感情に、恭介は少し戸惑った。
「お客さん、サラリーマン?」
 ナイトホークの言葉に恭介は顔を上げた。煙草の煙が流れないように気遣っているのか、ナイトホークは奥の空調に近いところで煙草を吸っている。
「そうですね…会社に勤めているという点ではサラリーマンなのかも知れません」
 会社に勤めてはいるが、普通のサラリーマンとはちょっと違うかも知れない。研究だけではなく、ダーティーワークをこなしてその危険に応じて出る報酬は給料とは少し違う。
「大変だね。まあゆっくり飯喰ってくつろいでくといいよ」
 それと同じタイミングで恭介の目の前に小さな器が二つ出された。
「お待たせいたしました。サラダ代わりの『小松菜のごま和え』と『卯の花の炒り煮』です。メインの方は少々お待ち下さいね」
 魚が焼ける匂いが漂ってくるのをみると、メインは焼き魚なのだろう。そんな事を思いながら恭介はごま和えに箸を伸ばす。小松菜の緑に白ごまが目に鮮やかだ。
「…美味しい」
 それを聞いた香里亜が微笑みながら息をつく。
「お口にあって良かったです」
「白ごまのごま和えも美味しいですね。普段俺が食べるのは、黒ごまが多いんで」
「あ、それはですね…」
 ナイトホークと香里亜がふふっと笑う。
「香里亜、魚見てこい。俺が話しとくから」
「あ、そうでした。お魚は殿様に焼かせろって言うけど、あんまりのんびりしてたらダメですね。少々お待ちくださいませ」
 音も立てずにキッチンの方に戻る香里亜を尻目に、恭介は不思議そうにナイトホークの方を見る。
「白ごまに何か秘密でも?」
「ああ。それね、ここで飯喰って午後からまた仕事する人も多いから、黒ごまだと歯についたら目立つと思って…結構単純な理由」
 一瞬の沈黙。
 ニヤッと笑うナイトホークに、恭介は思わず吹き出した。あまり考えていなかったが、確かに午後からの仕事で歯に黒ごまのかけらがついてたらおかしい。
「確かに…それは困りますね」
「だろ?お客さんみたいにかっちりスーツ着てる人が、歯に黒ごま付けてきたらヤバイ」
 単純だが納得できる理由だ。恭介は卯の花の炒り煮の方も口にしながら、その話を微笑ましく聞いていた。こっちの方も人参やひじきが入っており懐かしさを感じさせる味で、食べているうちに今まで忘れていた味覚が蘇ってくるようだった。
「お待たせいたしました。『サンマの塩焼き』と『根菜のおみそ汁』です。ご飯はおかわりできますので、足りなかったら遠慮なく言ってくださいね」
 目の前に美味しそうに湯気を立てる茶碗が置かれた。サンマには大根おろしとレモンが添えてある。それを見て、今が秋だということに恭介は気付く。
「いただきます」
 両手を合わせ、改めて恭介はランチに手を伸ばした。ご飯も炊きたてだし、サンマもいい塩加減だ。ごまの香りや卯の花の甘み、サンマの内臓のほろ苦さや身のうまみなど、食事をゆっくりと味わっているうちに自分の身に力が蘇ってくるような気がする。
「食べるという行為は、何だか不思議ですね…」
 少し箸を置き、恭介は思わず呟いていた。笑われるのではないだろうかと思っていたが、ナイトホークも香里亜も普通に頷いている。
「そうですね。食べるって事は、命を頂くことって聞いたことがあります」
「香里亜って、たまに婆ちゃんみたいな事言うよな」
「私、お婆ちゃんっ子だったから仕方ないんですよ」
 香里亜の言う通りだ。
 野菜も肉も魚も、全て生き物だ。食べるというのはそれを自分の身にして、生きる力を得ることなのかも知れない。だからこそ、こうやって味わう事で生気が蘇るのだろう。いままであまり食に執着とかを持っていなかったが、胃に食べ物が落ちていくと自分が本当はとても空腹だったことが分かる。
 いや、もしかしたら空腹とは違うのかも知れない。
 こうやってゆっくりと何かを味わい、食事を楽しむという事に餓えていたのだ。
「何かの命を自分の身にして生きる…そう思うと、今まで食べるという事に無関心だった自分に気付きます」
 恭介の言葉に、ナイトホークがふうっと溜息をつく。
「そういう大事なことは大抵普段忘れてるもんだよ。毎度毎度飯喰う度に命がどうのとか考えてたら、疲れちまうだろ。たまに思い出すぐらいが丁度いい…お客さん、今喰ってる飯美味い?」
「どれも美味しいです」
「だったらそれでいいんだよ。まあ、不味かったら作り直しさせるけど」
 ナイトホークはそう言って笑いながら、またシガレットケースを出した。それを聞いた香里亜がニコニコと笑う。
「『このあらいを作ったのは誰だ!』みたいにキッチンに入られたら困っちゃいますね。でも、自分が作ったご飯を食べて美味しいって言ってくれると嬉しいです。和食と、お菓子作りには自信があるんですよ」
「和食で得意なのは何ですか?」
 ダーティーワークが多くて、こういう日常的な会話も久しぶりだ。恭介の質問に、香里亜は一生懸命何かを思い出すように考えながら話をする。
「えーと、煮物は自信があります。肉じゃがとか自分で言うのもなんですけど、美味しいですよ。あと、炊き込みご飯とか…えーとお客様のお名前を聞いてもよろしいですか?」
「真行寺恭介です」
「真行寺さんは、お家で煮物とか作ります?」
 料理が作れない訳ではないが、仕事が忙しいので自炊をすることはほぼない。その事を恭介が言うと、香里亜は残念そうな表情をする。それが何だか小動物のようで、可愛らしい。
「お肉の入った煮物を作った後の煮汁でご飯を炊くと、美味しい色ご飯になるんです…って誰かに教えたかったんですけど、そうですよねーあんまり作りませんよね」
「んな事を人に教えたくて仕方なかったのか、お前は」
 その会話につられて恭介も思わず微笑んだ。
「今度自分で料理するときに参考にします。最近忙しかったので、自炊する暇がなかったので」
 そう言いながらも、恭介は多分その機会があるかどうかは微妙かも知れないと思っていた。自炊をする暇があったとしても、そんな時間があったらこの店にまた来てしまうかも知れない。一人で食事をするよりも、ここで話をしながら食べた方が楽しいし、美味しい。
「………」
 それは口に出さずに、恭介はみそ汁を一口飲んで息をついた。

 食後はデザートかドリンクが選べるというので、恭介はドリンクを選ぶことにした。
「じゃ、今日は香里亜に任せた」
 ナイトホークが笑いながら恭介の側にやってきて、店の名刺を差し出す。それを見て、恭介も自分の名刺を出した。
「真行寺さんか…」
「はい。今日は楽しい時間を過ごせました」
 ふと目について入った店だが、料理も美味しかったし何より楽しかった。ナイトホークはそれを聞き、名刺をシャツの胸ポケットにしまう。
「なら良かった。なんか店に入ってきたとき、真行寺さん疲れた感じがしてたから、飯喰って少しでも疲れが取れたらいいって思ってたし」
 そんなに自分は疲れた感じだっただろうか。あまりそういうのは顔に出ないはずなのだが…そんな事を思っていると、それに気付いたのかナイトホークは香里亜の方を見ながらこう言った。
「多分他の人が見ても分からなかったと思うけど、客商売長いと雰囲気で何となく分かるんだ。ここに初めて来る人はそういう人も多いし」
 自分は疲れていたのだろう。最近多くなったダーティーワークや、企業間や研究所内などの派閥争いなどに。だがそれは自分の大事な仕事の一部だと思っているし、辛いという訳ではない。
 でもたまにはそういうのを忘れる時間があってもいいだろう…少なくともここにいる時ぐらいは。それぐらいは許されるはずだ。
「ここは夜もやっているんですか?」
「夜もやってるよ。夜の方が客多いから、ランチだけじゃなくて夜も来るといいよ。結構カクテルメインだけど、他の酒もあるしコーヒーもやってるから」
 そう言っているうちに、目の前にカップに入ったカプチーノが差し出された。ミルクの泡が綺麗なリーフ模様を描いている。
「お待たせいたしました、カプチーノになります。ごゆっくりどうぞ」
「ありがとう」
 またここに食事を取りに来よう。今度はナイトホークが得意だという洋食を食べに。
 そんな事を思いながら、恭介はリーフ模様の描かれたカップからカプチーノをゆっくりと味わっていた。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
2512/真行寺・恭介/男性/25歳/会社員

◆ライター通信◆
ご来店ありがとうございます、水月小織です。
蒼月亭でほのぼのとした食事風景を…ということで、珍しく和食のランチでおもてなしという話にしてみましたが如何だったでしょうか?和食にしたのは、何となく恭介さんは洋食より和食派っぽい…という感じがしたからです。イメージと違っていたら申し訳ありません。
食べるということは毎日何気なくやっているのに、結構奥深いなぁと思います。たまに思いでして感謝しないとなどと執筆中に思いました。
リテイク、ご意見はご遠慮なくお願いいたします。
また蒼月亭にご来店下さいませ。お待ちしています。