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■夏送り■

エム・リー
【0086】【シュライン・エマ】【翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
 夜の薄闇が埋め尽くす四つ辻の真ん中、すなわち茶屋からさほど離れていない場所に、ある日突然古寺が姿を現しました。
 とはいえ、それほど広い面積を有しているわけではない古寺です。周りは古びた墓石と卒塔婆で囲まれ、本堂は十畳ほど。
 妖怪達が興味津々といった眼差しで取り囲むこの古寺で、このたび、肝試しや花火を催す事となりました。

 肝試しのコースは、墓地の間を進み、本堂の前まで到着した後、そこにリボンを結びつけてくるというものです。また、肝試しの後には皆さんで花火など楽しみましょう。

 ああ、それと、ひとつ。
 せっかくですから、皆さん、服装は浴衣や甚平などで洒落こみましょう。



 侘助
夏送り


 シュライン・エマは、興信所の近くのスーパーから買い求めて来た麦茶のパックやその他もろもろが入った紙袋を抱え、草間興信所のドアを押し開けた。
 中にはいつもと変わらず(もちろん、これは喜ばしい事態ではないのだが)退屈を全面に出した武彦がおり、戻ったシュラインを目にとめて一通の封書を差し出した。
「シュライン、おまえにだ」
「私に?」
 シュラインは小さく首を傾げて眉を寄せ、紙袋をテーブルの上に置くと、差し伸べられた封書の裏を確かめる。
「侘助さんからだわ」
 呟きながら、ペーパーナイフに手を伸べた。
 一方、ソファでくつろぎながら大きなあくびなどしている武彦の足元には、体長10cmの(自称)大奥様――露樹八重の姿があった。
 胸元で揺れる大きな金色の懐中時計が、八重の動きに併せて大きく揺れる。その揺れと同時に、武彦の眉がじわじわとしわを寄せていく。
「おい、こら。いい加減にしてくれねえか。さっきから俺の脛にガツガツガツガツぶつかって、痛ぇんだけど」
 ごちながら視線を落とす武彦の目に映る八重は、断崖を這い登る登山家よろしく、武彦の足をよじ登っていたのだった。
 八重は四肢全てをもって断崖にしがみつき、上目に武彦を睨みあげて口を尖らせる。
「あたしは今、新しい地を目指してがんばってるんでぇすよ。ここをのぼれば、新しい世界が広がっているにちがいないのでぇす!」
「広がってるか、ンなもん」
 しかし、武彦は、八重の決起などお構いなしといった調子で、あっさりと八重を摘み上げた。
「ほら、おまえにも来てるぞ」
 言いながら差し伸べたそれはシュライン宛てに届いたものと同じ――否、サイズを八重用にあつらえた、一通の白い封書だった。

 書道教室の生徒達を送り出し、次いで覗き見たポストの中に、一通の白い封書のあるのを見つけた。
 藤宮永はその封書を手にとって裏返し、差出人の名前を確かめ――そうしてやんわりと目を細ませる。
「……侘助……? 知らん名前やな」
 ごちながら改めて宛て名を確かめる。そこには確かに藤宮永様と記されていた。
「……住所もなんも書いてない手紙や。……郵便屋もまたけったいなモンを運んできよったもんやなあ」
 くつりと笑い、部屋へと戻る。
 文字には息吹が宿るものだ。それは認めた者の心をも象るものでもある。
 故に、永は”侘助”を見てとったのだ。
「ま、怪しいモンじゃなし。なにしろ、開けんことには、中身が気になってしょうがないやろしな」

 ここしばらくは、アコーディオンにせよ三味線にせよ、音を調整する際には田辺聖人の別邸を使うようにしている。
 この日も、威伏神羅は、広い邸宅内に自分ひとりきりで、のんびりと鍵盤を弾いていた。
「何分にも、昨今の夏の暑さは異常じゃて。夜分であってもあの暑さ。あれでは流石に街中で爪弾くには参ってしまうゆえにのう」
 そうぼやきつつ、今ではすっかりと神羅の自室と化してしまった客間のひとつでため息を吐く。
 暮れていく空の色彩が、窓の向こうに広がっている森の上空をゆっくりと塗り始めている。
 窓の外へと向けていた視線をゆっくりと移動させ、眼前のテーブルへと目を落とす。
 そこには、存外と馴染みにしている侘助から届いた一通の封書が置かれてあった。
「……そういえば、まだ中を確かめておらなんだの」
 そう呟いて、飾り気のない白い封書へと手を伸べた。


前略

此の度、四つ辻に、見慣れぬ古寺が現出しました。
無論の事ながら、其処には何ら悪しき物など在りもせず、又、墓碑は名を刻まれたものでは無く、どうやら無縁の――若しくは何某かの墓所であるようです。
折しも、時節は霜月を迎える頃と相成りました。直、秋風が巡る頃となりましょう。
さて、そこで、皆様に提案したく思いますのは、この古寺に眠る霊魂達の鎮魂を兼ねた、ささやかなる夏送りの宴に御座います。
場所は四つ辻、この封書が皆様のお手元に着きし日の夜分。
何方様も御時間に余裕が御座いましたら、どうぞ四つ辻へとお出でください。
古寺を巡る肝試しに、雅やかなる花火。そして簡単な酒席、無論の事ながら茶菓子の用意をしております。

但し、お出でいただける際には、どうぞ、皆様、夏に因んだ服装でお願い申し上げます。

それでは、後程。
四つ辻茶屋店主 侘助



 かくして四人はそれぞれの場所から彼岸と此岸の境に存在する世界――四つ辻へと招かれたのだった。
 四つ辻は現世からは隔絶された場所であり、故に文明の軌跡などわずかほどにも見る事のない場所だ。
 現世と四つ辻とを繋ぐ橋を背に、四人はそれぞれに顔を合わせ、まずはと挨拶などを交し合う。それから、路に慣れた神羅の案内の下、程なくして四つ辻茶屋へと足を向けたのだった。

「いよッ! なんだよ、遅かったじゃんよ〜!」「きゅ、きゅう〜!」

 建て付けの悪い引き戸に奮戦していた神羅を助けたのは、四つ辻には初めて足を踏み入れたはずの永だった。永は難なくすらりと引き戸を開き、それから茶屋の中を見遣って感嘆の息などひとつ吐く。
 そうして、茶屋の中で彼らを迎えたのは、もう既に四つ辻に溢れる妖怪達を仕切る立場に立ったとも言える、カマイタチ姿の鈴森鎮だった。
 鎮は木製のテーブルの上に仁王立ちになり、むんと胸を張って腕組みなどしてみせている。さらに、その横ではイヅナのくーちゃんが立っていた。
「待ちくたびれちまったぞ、俺。待ってる間に田辺の作ったケーキを三つと侘助の作ったぼた餅二つも食っちまったじゃねえか」
「ぼた餅は四つですよ、鎮クン」
 ふんぞり返っている鎮の横に立ったのは、グレー地に十字の柄が織り込まれた浴衣を着込んだ侘助だった。
 侘助はやんわりとした声音で鎮の言葉にツッコミを挟み、その後にすいと手を伸べて鎮とくーちゃんとを肩の上へと招き寄せた。
「な、なんですってぇ!? あたしが来る前にケーキとぼた餅を食べるのって、反則だと思うのでぇすよ!!」
 シュラインの腕にしがみついていた八重が、鎮の言葉に大いなる憤慨を表して飛び跳ねる。見事に着地したテーブルの上で、しかし、八重はふと視線を侘助の後ろへと向けた。
「ぬおぉぉ! たなべにたいきも来てたのでぇすね! それならあたくし今回もまた大奥様にぃぃ!」
 一変、目をきらきらと輝かせ始めた八重が身につけているのは、大型おもちゃ販売店などで目にする事の出来る、某有名着せ替え人形用に売られていた、黄色地に赤い花柄のついた浴衣だった。
「ん? この浴衣は」
 それに反応を示したのはテーラー『クロコス』の店主、糸永大騎。大騎は浴衣ではなく日常的に身につけている黒衣をまとっていた。
「これはその辺で売ってるアレだろう。あの人形が着たりする」
「むぅぅ、そうなんでぇす。お洋服は洒落たのが多いんでぇすけどねぇ……」
 端切れで作ったのが丸分かりとも言うべき浴衣の袖を握り締め、体長10cmの八重は小さな唸り声をあげながら頬を膨らませる。
「まぁ、さすがにこのサイズじゃ市販はされてないだろうからな。……で、どんなのがお好みなんだ?」
「む?」
「仕立ててやるって言ってんだよ。おまえのサイズだったら、まあ、それなりの時間で出来るだろう」
 吐き捨てるような口調でそう告げた大騎に、八重は目をきらきら輝かせながら飛び跳ねた。
「ほんとうでぇすか!? それじゃ、あたくし、おとなのレディにふさわしいものがいいのでぇす!」
 そう言いながら片腕を持ち上げて、シュラインの方にびしっと指を突き立てる。
「……え? 私?」
 不意に話題を振られ、シュラインは大きく目をしばたかせた。
 シュラインは黒地の染めに白く古典的な百合柄が織り込まれた浴衣をまとい、長い黒髪をアップにまとめるという、しっとりとした大人を絵に描いたような出で立ちをしていた。
「シュラインみたいなのがいいのでぇす!」
「黒地に花柄か。確か、ちょうどいい生地があったはずだな。……侘助、ちょっと俺の部屋まで繋げてもらえるか」
「いいですよ」
 侘助が頷くとすぐに大騎は茶屋を後にした。
 建て付けの悪い引き戸の向こうは、そのまま大騎の部屋へと通じている。
 引き戸が閉められると、同時に、それまで感心したように店内を見渡していた永が口を開けた。
「この場所には初めてお邪魔させていただきましたが、」
 聴く者に安堵を与える、穏やかな声音。
 眼鏡の奥の双眸をゆったりと細め、永は真っ直ぐに侘助の顔に目を向ける。
「ここは、随分と清浄たる場所のようです。――現世ではおよそ目にする機会に恵まれない妖怪さん方も多くいらっしゃるようですし」
 そう続けてにこりと微笑む。
 永は藍地に雪紋のこうばい織の浴衣を身につけていた。日頃から和装でいる事が多いためか、そのまとい方は決して厭味ではないほどにきちんとされたものになっていた。
 茶屋の中には、永の言葉通り、数人の妖怪達が姿を見せていた。
 石燕の画図を抜け出してきたかのような、見目にも”いかにも”といった風情のある妖達だ。
「四つ辻にいる妖怪さん方は、皆さん気の善い方ばかりなのよ」
 シュラインが首をかしげてやんわりと笑う。
「ありがとうございます」
 丁寧な礼を述べて腰を折り曲げた後に、侘助は安穏とした口調で客人達をテーブルへと手招いた。
「立ちっぱなしってのもなんですね。ここはひとまず、どうでしょう、お茶など。大騎クンが浴衣を仕立て終わるまで、肝試しのルールなんかをお話しますよ」

 それから程なくして戻ってきた大騎の手によって、八重の浴衣は難なく仕立てられた。
 テーブルには田辺が焼いた数種の洋菓子と侘助が作った数種のぼた餅、それに、シュラインが手土産にと持参してきた蕎麦ゼリーとどら焼き二種(黒糖のクリーム餡と、普通の餡とをそれぞれ挟み込んでいる)が並べられていた。
 それらをてきぱきと片付けていくシュラインの横で、田辺が(大騎と同様に、やはり、いつもと変わらず黒衣を身につけていた)面倒くさげにあごひげを撫でた。
「じゃ、さっくりと進めていこうか」
「肝試しな!」「きゅうー!」
 輪柄の紺色甚平を身につけたイタチ姿の鎮と、同じく輪柄の紺色浴衣を身につけたイヅナのくーちゃんとが、意気揚々と腕を振り上げる。
「俺とくーちゃんはおどかす役に回るんだー。キシシ、俺とくーちゃんの最恐コンビでおまえらのドギモを抜いてやるぜぃ!」
「ほう、脅す側に回るのか。私もどちらかといえば脅す側に回りたいのじゃが……」
 鎮の言葉にふむと頷く神羅は、黒地の紬浴衣をさらりと着こなし、帯に団扇を差し込んでいた。
「脅す側に回るか?」
 神羅の顔を見遣り、田辺が静かに口を開く。
 が、神羅は田辺の顔を見つめ返してニヤリと笑い、ゆっくりとかぶりを振るのだった。
「せっかくじゃからのう。私も古寺とやらを巡ってみようぞ」
「楽しみなのでぇす!」
 片付けられたテーブルの上に立った八重は、大騎が仕立てたばかりの黒地の浴衣を身につけていた。
 黒地に藍で桔梗が織り込まれた浴衣は、シュラインのそれとお揃いというほどではないものの、自前で着てきたものよりは随分と大人びたデザインとなっていた。
「それでは、ペアごとに出発しましょうか」
 穏やかな笑みを浮かべつつ、永はシュラインを確かめる。
 ちょうど片付けを終えたシュラインが、永の招きに応じてにこりと頬を緩めた。
「ええ。行きましょう」

 四つ辻に現出したという古寺は、四つ辻の、まさに真ん中を陣取った状態で広がっていた。
 とはいえ、広さはさほどのものではない。小さな本堂を真ん中に、墓碑や卒塔婆が四方数メートルほどづつに伸びているだけのものだ。
 肝試しのルールは簡単。
「では、本堂の柱に、リボンとか紐とか――まぁなんでもいいんですが、印になるようなものを結びつけてきてください」
 そう言ってにこにこと笑う侘助に頷きを返し、一組目、シュラインと永とが墓地の中へと踏み入れた。

 墓地内は外観からの印象に違わず、手狭な印象の拭えない場所となっていた。
 が、それでも、足元を照らすものがあるわけでもない。夜目に馴染んだ視界のみを頼りに歩く細道は、やはり幾分かの不気味さは漂っている。
「しかし、この四つ辻という場所は、なんだか不思議な場所なのですね」
 シュラインの半歩ほど前を行きながら、シュラインの足が思わぬ窪みなどに取られないようにと気を配り、永はゆっくりとした歩みで薄闇の中を歩き進む。
「そういえば永さんは初めていらしたんでしたっけ?」
 下駄が土を鳴らす音に耳を寄せながら、シュラインはふと首をかしげた。
 永は「はい」と応えて頷き、それから静かに手を伸べた。
「そこから少し傾斜になってます。お気をつけて」
「ありがとう」
 永が見せる気配りに頬を緩めつつ、シュラインはさらに問いを続ける。
「驚かなかった?」
「何がですか?」
「ここって、妖怪とかがいるじゃない? それに、まあ、見ての通りの異界だし」
「ああ」
 なるほどと頷いて、永はくるりと踵を返す。
「現実は小説より奇なりと申しますでしょう。これも必然の出会いなのだろうと、むしろ喜ばしく思います。――シュラインさんは、こちらへは何度かいらしているんですか?」
「ええ」
 今度は永が問い掛ける。シュラインはふわりと笑って頷き、後ろ髪に手を回して簪の位置を正した。
「私の場合、日頃から怪異に慣れているからかしら。妖怪とか幽霊とか、そういうのを目にしても、怖いとか感じられなくなっちゃって」
 そう続けてくすりと笑う。
「なるほど」
 永はシュラインの言葉につられて笑みを浮かべ、それからゆるりと周りの墓碑に目を向けた。
 墓地の中では、待ち構えていたのだろうと思われる妖怪の姿がそこかしこで目にする事が出来た。
 火車、がしゃ髑髏。小さな井戸の中からは狂骨が現れてケタケタと笑い、野火がそこかしこを飛ぶ。
「だからね、」
 シュラインはさらに言葉を続けて肩をすくめ、やがて見えてきた本堂の障子に一杯張り付いた目玉を、逆にまじまじと確かめてから振り向いた。
「こういうのも、逆に細かい部分とかチェックしたりしちゃうのよね。ほら、この目は女性のものかなとかね」
 言いつつ、目玉のひとつを指で示す。
 目玉はぱちぱちと瞬きを繰り返し、やがてついと永を見た。
 永は障子の目玉と視線を交わしてにこりと笑い、
「お約束な展開になっていますよ。ええと、目目連さん、でよろしいんでしたよね」
 目目連がぱちりと瞬きすると、永はやわらかく微笑んだままで言葉を継げた。
「もっと演出をこだわらないと、――こうもお約束な出方をされるのでは、さすがに展開も読めてしまうというものですよ?」
 そう述べた後にシュラインを振り向いて、「ねえ?」と同意を求める。
 シュラインは首をすくめて同意を示し、本堂の柱に手持ちのリボンをくくりつけながら、ふと本堂の中に目を向けた。
 無人であるはずの本堂の中に、小さな灯がいくつか揺れているのが見える。
「……ふぅん。……こういうのは、まあ、悪くないわね」
 頷きつつそうごちて、帰路に着こうかと振り向いた、矢先。
「きゃ!」
 首下になにかがさわりと触れたのだ。驚き、思わず目を瞑ったシュラインの耳に、
「うはーい! 見たか、この俺の技!」「きゅ・きゅー!」
 飛び込んできたのは、シュラインの肩の上で踊り跳ねる鎮とくーちゃんの声だった。
「びっくりしただろ? びっくりしたよな? キシシ、大成功〜!」
 ガッツポーズをとりながら、鎮は喜び勇んだ声を放つ。
 してやられた側のシュラインは、しかし、拍手などしてみせながら、鎮とくーちゃんが見せた技を誉めそやした。
「すごいわ、鎮くん。今のはちょっとびっくりしちゃった」
「むーふー。だろ? だろ? やっぱり俺ありきって感じだよなあ〜!」
 テヘヘと笑いながら再び薄闇の中へと戻っていった鎮を送り、シュラインと永は帰路へと着いた。
 ふわりと流れた夜風が、残されたリボンを静かに揺らす。

 シュラインと永とが戻り、今度は神羅と侘助とが出立する事となった。
 二組目だ。
 からころと下駄を鳴らしつつ、二人は静まり返っている墓地の中をゆったりと歩き進める。
「――しかし、なんじゃのう」
 永から受けたアドバイスを気にかけてか、妖怪の現れ方は、先ほどのものよりは少しばかり雰囲気のあるものとなっていた。
 どこからともなく聴こえ始めるすすり泣き。やがて柳の下に現れる少女。振り向けば、そこにあるのはぎらついた牙をもった巨大な口――。であるはずなのだが、神羅はそれを横目にちろりと見遣っただけで、ふむと小さく頷くだけだった。
「この墓所は、これまでは四つ辻には無かったものであろう? 果たして何ゆえに姿を見せたものか」
「さぁて? 俺にも分からずじまいでしてねえ。……まあ、しかし、この時期に現れたものなら、恐らくは皆に送ってほしいんだろうと思いましてね」
「成る程、それで今回のような趣向を考え出したというわけか」
 笑みながら頷き、細道を進める。
 見れば、墓碑の中には名の刻まれたものはひとつとして存在せず、恐らくは無縁仏か何かが眠る場なのだろうというのが知れた。
「にしても、何れも汚れのない墓石のようじゃ。そなたが磨いたものかえ?」
「ええ」
「ふむ。――祖先や年長者、或いは神仏などは敬うが基本じゃからのう」
 侘助の応えに感心してか、神羅は満足げに目を細めて頷いた。
「にしても、此処の妖共は、つくづくと邪気の無い輩ばかりじゃの」
 そう続け、どこからともなく現れた鉄鼠の姿を横目に見遣る。
 鉄鼠は、足元に数知れぬ鼠の群れを連れ立っており、それらがうぞうぞと墓地内を蠢く様は、なかなかにして気味の悪い光景だった。
「そうですねぇ。まぁ、四つ辻に居る連中ってのは、どれも気の善い連中ですからねぇ」
 侘助は神羅の言葉に頷きを返しつつ、鼠の群れに合わせて現れたカマイタチとイヅナ――すなわち鎮とくーちゃんの姿を目にとめ、ふわりと微笑みを浮べた。
 鎮とくーちゃんは侘助の首まわりでごろごろと転がり「うにゃー!」「うきゅー!」などと声をあげている。そのたびに、鎮とくーちゃんのふわふわとした毛並が侘助の首を撫で回し、侘助はその感触を楽しむやらくすぐったがるやらで忙しなくしていた。
「……さて、と。これで良かろう。リボンなぞ持ち合わせておらぬでな。この帯紐でも問題はなかろうて?」
 侘助と鎮とがじゃれ合っている傍らで、本堂に辿り着いた神羅は、帯紐を一本、柱にくくりつけていた。
「あ、ええ、それで大丈夫ですよ。……ちょ、鎮クン、くすぐった……!」
「うりゃ――――!」
 ごろごろごろごろと転がる鎮に、侘助の表情が日頃はあまり見せないような笑みへと変わっていく。
 三人を傍目にしながら、神羅はひとり、本堂を後にする。
「ほんに、邪気のない輩ばかりじゃの」
 くつりと笑い、墓地内の細道を歩き進める。
 先ほどの鉄鼠は、神羅が作り出した鬼火によって追い回されて、あちらこちらと駆け回っていた。
 再び静けさを得た本堂の中、ぽつりぽつりと揺れていたぼうやりとした灯が、さっきよりも数を増していた。

 神羅と、それに遅れて戻ってきた侘助とのペアに入れ替わり、最後に出立したのは、大奥様こと八重と、八重の指名に従って大騎と田辺、計三名によるメンバーだった。
 とはいえ、一見すれば、墓地内を行くのは黒衣を身につけた二人の男だけである。しかし、耳をすませば、確かにそこには八重の声が響いているのが知れた。
「こら、そっちのヒゲ! こういう場でタバコを吸うなんてけしからんのでぇすよ!」
 大騎の頭の上で器用に仁王立ちしたまま、八重はびしりと田辺を指差した。田辺はうっそりとした眼差しで八重を見上げ、薄闇の中に一筋の煙を吐き出す。
「ちゃんと灰皿持ち歩いてんじゃねえか」
「そういう問題じゃあないのでぇす!」
 じたばたと両手を大きく上下させる八重を、大騎は大仰なため息と共につまみあげる。
「そこらになんか色々と隠れてんだろう? 騒いでると余計に呼び込むんじゃないのか」
 それに、人の頭の上でじたばたするな。そう続ける大騎に、八重はぶうと頬を膨らませながら周りを見遣った。
 確かに。墓碑の中、そこかしこで、茶屋で見かけた事のある妖怪達がひっそりと息をひそめてこちらを窺い見ている。
 八重は大騎につまみあげられたままで周りを見渡し、それからニマリと頬を緩め、
「ふたりとも、あたくしの話を聞くのでぇす」
 そう告げて大騎と田辺を呼び寄せると、何事かをひそひそと耳打ちして「いひひ」と笑った。
 それからは、先の二組を脅して(脅したつもりで)気を良くしていた妖達による歓迎がひとしきり続いた。
 転がり現れる火車に、ひっそりとした泣き声と共に現れる女。薄闇の中をゆらゆらと飛ぶ一反木綿。そのいずれもが、妖ならではの風情をもった演出を伴っていた。
 だがしかし。それは残念ながら、今回の肝試しに参加したメンバーの誰をも驚かすには至らないのだ。むろん、それは八重にとっても。
 八重は、今度は田辺の頭の上で仁王立ちになり、現われ来る妖達に向けてびしりとツッコミなどをいれ、時にはこっそりと妖達の足元へと潜み、ペンライトで自分の顔を照らして妖を逆に脅かしてみたりしつつ、程なく見えた本堂の柱にリボンをくくりつけた。
「……あれ? この中に、誰かがいるみたいなのでぇすよ」
 リボンをくくりつけながら、八重は、ふと、田辺の頭から本堂の格子戸へと飛び移る。
「え? なになに? どうしたん?」
 八重が見せた行動に興味を覚え、古寺の床下から姿を見せた鎮とくーちゃんが、八重の隣にちょこんと並ぶ。
「あ、ホントだ。なんだこれ」
「? 何がどうしたって?」
 鎮の後ろから顔を覗かせた大騎の目に、本堂の中に並ぶ灯の姿が映りこんだ。
 それは本堂の中にところ狭しと並ぶ動物達の姿であり、それらはどれもこちらに背を向けた状態で軽く頭を垂れて俯いているのだ。

「あら。これって妖怪さん達の演出じゃなかったの?」
 一旦皆の元に戻り、本堂の中に広がっている光景についてを説明した八重と鎮に率いられ、一同は再び古寺の前へと集まった。
「さっき、私たちがここに来た時、もう明るくなってたわよね」
 続けて告げたシュラインに、永が首を縦に振る。
「先ほどは、灯の数がもう少し少なかったような気がしますが」
「そういえばそうね。私、きっとこれも演出なんだろうなって思って、あんまり気にしなかったのよ」
 永と目を合わせて首をすくめるシュラインの横で、神羅がふむと小さな唸りをあげた。
「こやつら、妖の類ではないようじゃのう」
「かといって人魂ってわけでもなさそうだ」
 続けて田辺がそう告げる。
「犬、猫、鼠、……馬もいるぞ」
「牛も見えるでぇす」
 格子戸にしがみつき、八重と鎮とが声を揃える。
「動物霊?」
「なるほど。もしかしたら、この墓地は動物霊が眠る場所なのでしょうか」
 再びシュラインと永とが視線を重ねる。
「上げてもらうのを待っておるのやもしれぬのう」
 しみじみとうなずきながら、神羅はひっそりと目を細ませた。
「でも、坊主とかいねえだろ、ここに」
 鎮はそう返しながら、格子にしがみついたままの姿勢で、器用な恰好で振り向いた。
「そうでぇす。どうするんでぇすか?」
 同じく、器用な恰好で振り向いた八重がそう訊ねると、
「ふぅむ……そうですね」
 それまで黙したままだった侘助が、ふむと小さな唸り声をあげて腕組みをする。
「盆も過ぎ、人の御霊はあちらへと送られたのでしょうが、彼らの御霊は未だこうしてあちらに渡りきれずにいる……そういう事ですよね」
 思案顔で唸ったままの侘助を見遣り、永が、ふとそう告げた。
「四つ辻は現世とあの世とを結ぶ境目だって伺ってるけど、渡りきれずに溜まってしまう方々もいらっしゃるのね。――それとも、ここは妖さん方が多くいらっしゃるから、その気に惹かれて留まってしまっているのもあるのかしら」
 シュラインが永の言葉を継げ、そう述べる。
「古来より、炎は御霊を送るものであると言われておる。この後、花火なぞするのであろう? ならば、その花火でこやつらを送り出してやればよかろう」
 帯に差し込んでいたままの団扇を抜き取り、神羅がゆるりと頬を緩める。
「それがいいと思うのでぇす!」
 格子からぴょんと跳ねた八重が、大騎の腕にしがみつく。
「……いいんだが、花火とか持てるのか?」
 しがみついてきた八重をつまみあげ、大騎が頬の片側を吊り上げた。
「バッカ! おま、手持ちばかりが花火ってわけじゃねえだろ!?」
 八重に次いで格子を跳ねた鎮とくーちゃんが、侘助の肩の上へと見事な着陸を遂げる。
「花火にはいろんなのがあるんだぜ。キシシシ」

 かくして、墓地を出た一同は、墓地の傍らで揺れる柳の下に陣取って、数本のロウソクに火を点けた。
「そうそう。私、花火の時にでも皆でどうかなって思って、お菓子を作って来てみたんだけど」
 特設の竹製ベンチの上に重箱を広げながらシュラインがにこりと微笑みを浮べる。
「どら焼き――! 俺このどら焼きもーらい!」「きゅー!」
 開かれた重箱に真っ先に飛びついた鎮とくーちゃんが、それぞれ両手に一つづつのどら焼きを掲げ持つ。
「餡は二種類作ってきてみたの。こっち側のが黒糖餡クリームで、こっち側が普通の餡。普通の餡の方は甘みも少し抑え目にしてみたから、甘味が苦手っていう人でもいけるはずだけど」
「こっちのこのゼリーは、なんのゼリーだ?」
「それは蕎麦で作ったゼリーよ。私、このゼリーの舌触りが好きなのよね」
 大騎の問いに、顔を向けて、シュラインはにこりと首をかしげた。
「ふむ、なるほど。このゼリーの作り方を教えてもらっても?」
「簡単よ。そば粉を溶いて黒糖を入れるの。後はゼラチンとか寒天とかで、普通にゼリーを作るのと同じ要領」
「なるほど。おや、これは小豆が入ってるんですね」
「いろいろアレンジしてみるのも面白いもんでしょ?」
「確かに」
 そう返し、シュラインと顔を合わせて微笑みあっている侘助の肩の上、鎮とくーちゃんが満足そうにどら焼きを頬張っている。
 別のベンチでは、神羅と永とが、二人並んで静かに線香花火を楽しんでいた。
「線香花火のいじらしさが好きなのですよ」
 爆ぜる花火が、ぼうやりとした火影を作り出している。
「確かにの。これも、地味な割りにはなかなかに奥が深い」
 うなずきを返す神羅は、火が点いたばかりの線香花火をじっと見守っている。
 と、後ろから顔を突き出して現れた田辺が、不意に神羅の名を呼んだ。
「生菓子がいくつかあるが、おまえは食わないのか?」
「おや、田辺さん。――私は後ほどいただきます」
「食わんとは言っておらぬだろう。というか、ちょ、今私に話しかけるでない!」
「? もしかして、最後まで火種を落とさないようにやってみるとかいうアレか?」
「ちょ、だから、今私に話しかけるでないと……!」
「あ」
「落ちましたね」
 にこりと微笑む永の横で、神羅がショックを隠しきれない面持ちを浮かべている。
 永が手にしている線香花火は、どうやら無事に爆ぜり終えるようだった。
「なになになに? なに話し込んじゃってるんだー!?」
 またもや唐突に現れた鎮は、何かを隠し持っているかのように、両手を背中に回している。
「鎮、おまえ、何を持ってんだ?」
 ひょいと顔を覗かせた大騎が次に目にしたのは、地を這うようにうごめく蛇花火だった。
 途端、周りを囲んでいた妖怪達が仰天して逃げ回る。光る蛇(しかも火花を散らしている)というものに恐れを感じたらしいのだ。
「キシシシ、すげえだろ、これ! まだまだ持ってきてるぜ、ほらほらほらー!」
 ばらばらばらと蛇花火が散らされる。蛇花火はうねうねうねと薄闇を這い回り、逃げ惑う妖たちを、狙いすましたかのように、オートで追い掛け回していく。

 用意された花火は、気付けばその数を見る間に減らしていった。
 流れる夜風が、火薬の匂いや煙を連れ立って闇の中へと消えていく。
「あら」
 ふと顔をあげたシュラインは、先ほどまで広がっていた古寺が消えていたのを知る。
「無事に向こう側に渡ったのでしょうか」
 シュラインと同様に、古寺の消えたのを知った永が、静かな声音でそう告げた。

 彼らを送り出すように、神羅が爪弾く三味線の音色が薄闇を揺らしている。
 鎮は、今度は青い火花を散らす花火に火を点けて、脅かすでなく、妖たちと共に戯れていた。
 八重は侘助が持ってきたスイカを頬張りつつ、ベンチの上で、足をバタバタと揺らしながら鎮の花火を見遣っている。

「行けたのだろうと思いますよ」
 シュラインと永の横に並んだ侘助が、にこにこと頬を緩めながらそう返す。
 
 古寺は、現れた時と同じように、何ら前触れもなく、その姿を闇の向こうへと消していったのだった。
 
 

 



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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1009 / 露樹・八重 / 女性 / 910歳 / 時計屋主人兼マスコット】
【2320 / 鈴森・鎮 / 男性 / 497歳 / 鎌鼬参番手】
【4790 / 威伏・神羅 / 女性 / 623歳 / 流しの演奏家】
【6638 / 藤宮・永 / 男性 / 25歳 / 書家】



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          ライター通信          
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お待たせいたしました。
このたびはゲームノベル「夏送り」へのご参加、まことにありがとうございます。
予定ではもう少しはやめにお届けできるはずだったのですが……うぬぬ。

今日は、半そででは少しばかり肌寒い一日となりました。
もしかしたら夏というタイトルを冠するには、いささか時期を外してしまっているかもしれませんが……まあ、そこはそれということで。
皆様に、少しでもお楽しみいただけていましたら幸いです。

シュライン様>
そういえば、確かに。肝試しといっても、シュラインさんには恐怖を感じるものではなくなっているのですよね(笑)
いつかシュラインさんの驚く様子を拝見してみたいなと思ってみたりして。

八重様>
不条理妖精としての食べっぷりは、たぶん、今回も容赦なく展開されていたのだろうと思われます。
テーラーさんに浴衣を新調してもらったりしてみましたので、よろしければお部屋の洋服ダンスの中にでもお収めくださいませ。

鎮様>
今回は甚平&浴衣ですね! 毎回、鎮さん方がどんな衣装でいらっしゃるのか、プレイングを拝見するのが楽しみであったりします。
いつかは学生服&セーラーで……!

神羅様>
神羅さんのツンデレっぷり(?)は、今回はあまり描写できなかったような気がします。次こそは。
侘助との会話場面も、ヒゲとのそれとは異なる雰囲気があってイイ感じですね。ふふ。

永様>
シチュノベではいつもありがとうございます。
標準語での永さんを書かせていただくのは初めてでしたが、……その、標準語ですと、永さんの性格の良さが染み出てくるような気がしました。
よろしければまた四つ辻に遊びにいらしてくださいませ。


皆様、今回はありがとうございました。
また、このノベル納品の後、meg絵師の方で異界ピンが募集されるはこびとなっております。
よろしければ併せてご検討くださいませ(礼)。
それでは、また皆様とご縁をいただけますようにと祈りつつ。