■過去の労働の記憶は甘美なり■
水月小織 |
【2778】【黒・冥月】【元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】 |
東京では仕事を選ばなければ稼ぐ手段に困らない。
かと言って、紹介する者を選ばなければどんな目に遭うか分からない。
いつものように『蒼月亭』のドアを開けると、こんな文句が目に入ってきた。
『アルバイト求む』
さて、ちょっと首を突っ込んでみようか…。
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過去の労働の記憶は甘美なり
それは季節の変わり目の午後のこと。
さっきまで日が出ていたのに、なんだか空が暗くなり小雨がぱらついている。
街を歩く人たちの足も雨を避けるように慌ただしくなり、そんな中を黒 冥月(へい・みんゆぇ)がいつものように蒼月亭へ入ろうとした時だった。
「………!」
ドアが乱暴に開き、ドアベルがガラン…と激しい音を立てる。そこから飛び出してきた不良少女は、冥月にぶつかりそうになったのに詫びも言わず無言で走り去っていった。何というか、蒼月亭に来る客にしては珍しいタイプかも知れない。
「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ」
冥月が中に入ると、従業員の立花 香里亜(たちばな・かりあ)がいつものように挨拶をしてきた。だが一緒に声をかけてくるはずのナイトホークは、疲れたように溜息をつきながら軽く手を挙げただけだ。
「どうしたナイトホーク。さっき出て行った客に何かクレームでも付けられたか?」
カウンターに座りながらそう言うと、香里亜は困ったように笑いながら水を差しだした。
「クレームじゃないんです。その逆なんですよ…」
クレームの逆…そんな事を考えながら冥月はカプチーノを頼む。いつもはブレンドなのだが、最近香里亜がデザインカプチーノの練習をしていると聞いたのでたまには違う物を頼むのもいいだろう。
「なんだか普段より疲れた顔をしてるな、ナイトホーク」
「疲れてる。めっちゃ疲れてる」
香里亜がエスプレッソマシンをセットしている様子を見ながら、ナイトホークがシガレットケースを出した。そして煙草をくわえながら呟いた言葉はとんでもないものだった。
「なんかさ、惚れられてるらしいよ。俺」
どこをどうしてそんな事になったのか。
そんなナイトホークの様子を見ながら、冥月と香里亜が苦笑する。
「さっきの小娘か?それはまた物好きな…折角だから付き合ってやればいいだろう」
「無理、無茶、無謀。色んな意味で絶対無理」
客を選り好みしたりしないナイトホークがそこまで言うとは珍しい。そんなナイトホークをフォローするように、香里亜は小皿にクッキーを差し出しながら小さな声でこう言った。
「あのですね、さっきの子…レディース暴走族の『狂乱天使』の特攻隊長さんなんです」
話の馴れ初めはこうだった。
蒼月亭が定休日の日曜の夜、ナイトホークが煙草を買いにちょっと出かけたときに、コンビニの前でその少女達と近所のヤクザがもめ事を起こしていた所に出くわし、間に入って仲裁したのがきっかけらしい。少し前からそのコンビニの前で『狂乱天使』の少女達がたむろしたりしているので、一方的にナイトホークの顔は知られていたという。確かに長身で色黒なので、普通にしていても目立つところはあるのだが。
「…もてる男は辛いな」
クッキーをつまみながら冥月が茶化すと、ナイトホークは煙と共に深く溜息をついた。いつもなら余裕な表情であしらってみせるのに、今回はかなり苦労しているらしい。
「勘弁して。あの年頃って変に一途だから、毎日来て見つめられたり、閉店まで店の前にいられるのも結構やりづらいよ。香里亜なんて彼女と間違えられて、すっげぇ睨まれてたし」
それを聞き香里亜も困ったように肩をすくめる。
「そうなんですよ。『ナイトホークさんとは親戚みたいなものなんです』って何度も言って、やっと信用してもらったぐらいですから…それまですごく怖かったんですよ」
確かにナイトホークの周りにいる女性といえば香里亜ぐらいだが、それを彼女と間違えるとは相当本気のようだ。冥月はその話を聞きながら、リーフ模様の浮かんだカプチーノを口にした。
「で、その割にはずいぶんな剣幕で出て行ったが、何か言ったのか?」
「うん。それでさ…冥月に仕事の依頼をしたいんだけど」
なんだか雲行きが怪しくなってきた。まさかとは思うが、いくら興味のない相手だとはいえ暴力に訴えるようなことをするような男だとは思っていなかったのだが…。
微かに眉間に皺を寄せた冥月に向かい、ナイトホークは真剣な表情できっぱとりこう言った。
「冥月、俺の恋人のふりしてくれ」
「はぁ?」
何をどうしてそんな話になるのか。あまりの驚きにカップを持ったまま固まっていると、ナイトホークは必死に手を合わせながら冥月に話をし続ける。
「何度も告白されて『付き合えない』って言ってるのにあんまりにもしつこいから、『俺には清楚でおとなしめの、黒髪が似合う可愛い恋人がいるから明日会わせてやる』って言っちまったんだって。何も本当に付き合えって言ってる訳じゃないんだし」
「無茶を言うな、そんなの自分で何とかしろ。大体可愛いと言うところでその条件に当てはまらん」
その少女の外見と真逆の事を言ったのだろうが、よくもまぁすらすらとそんな嘘がつけたものだ。溜息をつきつつ冥月が断ろうとすると、香里亜がサービスのつもりなのかそっとチーズケーキを出しながら二人に向かって微笑む。
「えー、冥月さんは可愛い服も似合いますよ」
「なっ…」
この前一緒にケーキ屋でアルバイトをしたときのことを言っているらしい。それに合わせるようにナイトホークもくすっと笑いながら冥月の顔を見る。
「この前俺が誘拐されたとき、『許嫁』になってくれたんだろ?」
「ちょっ…」
……それは激しく忘れたい話だ。
思わず香里亜の顔を見ると、香里亜は小さく「ごめんなさい、言っちゃいました」とトレーで顔を隠しながら頭を下げた。これは依頼を受けないとしばらくネタにしてからかわれ続ける恐れがある。冥月は大きく溜息をつき、チーズケーキを口にした。
全く、頼み上手というか何というか。
「仕方ない…その代わり、その話には今後一切触れるな。それが条件だ。あと、しばらくコーヒー代は払わんぞ」
「サンキュー。すげぇありがたい」
「ありがとうございます、冥月さん。私からもお礼に桃のタルトサービスしちゃいますね」
本当に安心したように笑うナイトホークを横目に、冥月は頬杖を付いてそっぽを向いた。
その翌日、冥月は首元にリボンが付いた薄い水色のオーバーブラウスに、黒いフレアスカートで蒼月亭にやってきた。昔仕事などではこのような格好をしたりしていたこともあるが、なんだか普通にここにいると落ち着かない。
香里亜がそれを見てニコニコと微笑む。
「冥月さん素敵です。お似合いの恋人に見えますよ」
「喜んでいいのか複雑な言葉だな…そういえば昨日聞くのを忘れたが、その少女の名前は知っているのか?」
他人事のように煙草を吸っていたナイトホークが顔を上げ、ポケットから名刺サイズの紙を出した。そこには『狂乱天使特攻隊長 伊藤 麗(いとう・うらら)』と丁寧に書かれているあげく、隅にはプリクラで撮った写真が貼ってある。濃い化粧と特攻服がなんだか微妙だ。
「俺も香里亜もこういうのよく分からねぇんだけど、これって格好いいのか?」
「私に聞くな」
昨日は小雨模様だったがそれも夜のうちにやみ、今日は綺麗な秋空だ。赤とんぼが店先に植えてある木に留まっていたりするのが見える。
麗がやってくるのは大体午後二時ぐらいが多いらしい。多分その頃が丁度客も引け、ゆっくり話せるからなのだろう。おかげでナイトホークは休む間がなくて、困っているのだが。
「来るんでしょうか…なんか私の方が緊張してきました」
ナイトホークと冥月がカウンターの中に入り、香里亜は外の方に出ている。当事者の二人より、何故か香里亜の方が時計を見たり、椅子に座ってみたりと落ち着かない。
「あ、私キッチンの方に行ってます。私がいると、お芝居がばれちゃいそうなので」
その方がいいかも知れない。
基本的に香里亜は嘘がつけない方だし、こういう緊張する場面ではそっと後ろにいた方が冥月としても安心だ。芝居の方向によっては相手が逆上する可能性もある。
「キッチンに行っててもいいけど、吹き出すなよ」
ナイトホークが吸っていた煙草を灰皿でもみ消す。
それと同時にドアの前に人影が見えた。白っぽいのは特攻服なのだろうか…その格好で歩き回れるというのが冥月からすると不思議で仕方がない。
「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ」
店内に入ってきたのは、まだ成人前の少女だった。金に染めた長い髪と、赤いマニキュア。白い特攻服には色々と刺繍がされている。
「………」
麗はカウンターにつかつかとやってくると、冥月をキッと睨み付けた。それを余裕の笑みでかわし、そっと水を出す。
「いらっしゃいませ」
「ねえ、その人が婚約者なの?」
それを聞き、ナイトホークは苦笑しながらカフェエプロンからシガレットケースを出した。冥月は近くに置いてあったマッチ箱を取り、火を付ける準備をする。
「昨日会わせてやるって言っただろ?」
そう言うとナイトホークが煙草をくわえ、慣れた手つきで火を付ける。知らない人が見ればそれはかなり親密な間柄に見えるだろう。
「こんにちは。はじめまして」
マッチの火を消しながら、冥月は清楚に微笑んでみせた。だが麗はまだ信じられないというように二人を睨み付けている。だがそこから目を反らさず、冥月は余裕の笑みだ。
「本当にあんたがナイトホークの婚約者?」
「そうよ。ごめんなさいね」
煙草をくわえているナイトホークの腕に、冥月は見せつけるように自分の腕を絡ませた。その様子に麗はカウンターを叩いて立ち上がる。
「アタシは諦めないからね!その辺歩けないようにしてやるからな!」
最後に冥月を一睨みし、麗は他にもなんだか罵詈雑言を並び立て店を飛び出していった。それと入れ替わりに、草間 武彦(くさま・たけひこ)がそれを避けながら入ってきて、カウンターの中で腕を組んでいる冥月達をまじまじと見る。
「……すまん、邪魔した」
「違っ…!」
すかさずお互い腕を放すと、キッチンの方から香里亜が顔を出した。これ以上ややこしいことになるのはごめんだ。簡単にナイトホークが説明をすると、武彦は頬杖を付きながらふーんと話を聞いている。
「マスターもモテモテで羨ましいな…コーヒーブレンドね」
「コーヒーの代わりに煙草煮出して飲ますぞ」
ナイトホークは溜息をつきながらコーヒーミルを出す。だが、事態はそれで終わりそうになかった。
…外に待ち伏せの影がある。それも大勢の。
おそらく麗が前もって呼んでいたのだろう。そうやって脅してまで欲しい物を手に入れようとする貪欲さはある意味羨ましいが、それを甘んじて受ける気はさらさらない。
「冥月もコーヒー飲むか?」
「いや、私は少し遊んでくる。しばらく外に出るなよ、特に香里亜は」
それで何が起こっているのかを察したらしい。ナイトホークは溜息をつきながら頷き、香里亜は「気をつけてくださいね」と心配そうに見送る。
「もういっそマスターとくっつけばいいだろ。あ、でも男同士じゃ無理…」
「貴様はいつも一言多い!」
準備体操代わりに武彦を蹴り飛ばし、冥月は蒼月亭のドアを開けた。
「…一応隠れているつもりなんだな」
角などに人の気配が見えたが、それに気付かないふりをして冥月は少し離れることにした。一つ角を曲がると、麗が出てきて冥月の前に立ちはだかる。
「あら、何の御用かしら」
「あんた、ナイトホークと別れないとその辺歩けなくなるよ…」
少女達が冥月を取り囲んだ。どこから呼んだのか、どう見ても堅気には見えない男の姿まであるのを見ると、かなり本気らしい。
「別れるって言えば悪いようにしないよ」
「あら怖い、なんだか一昔前のドラマみたいね…」
そう言って怯えるように俯いた後、冥月はいつものように不敵な笑みを浮かべながら顔を上げた。これは逆に痛い目に遭わせなければ、また同じ事を繰り返しかねない。
世の中には力だけでは解決できない事がたくさんある。そして自分が一番強いと思っているのはおこがましい。
「だが、あまりにおてんばなのは躾がいるな」
その瞬間、冥月は自分の左側にいた少女に肘打ちを入れた。円陣で囲まれている場合、まず自分の左側から突破していく。それが訓練されている者であれば一人ずつ順序よく倒していくのだが、これぐらいの相手ならまずその一撃で怯む。その隙を冥月は見逃さなかった。
「これぐらいじゃ、私を怯えさせることは出来ないぞ」
集団戦闘はダンスに似ている。リズムを崩さず、とにかく相手を無力化させればいい。本気で無力化させるなら目や喉を狙うが、流石にそこまでする必要はないだろう。飛びかかってきた男達を姿勢を低くしてかわし、スカートを翻して足払いをかけ、鼻先に一発…それで大抵の相手は戦意を失う。
「………!」
あまりにキビキビとしたその動きに、麗達が思わず見とれた。これぐらいやればもういいだろう…冥月は最後に麗の目の前まで真っ直ぐ飛び込み、裏拳を鼻先でぴたりと止めた。
寸止めも相当のテクニックがないと、反動で腕を痛めたり相手に当ててしまったりするのだが、無論そんなヘマをするような事はしない。
ぎゅっと目を瞑っている麗に、冥月は笑いながらこう言う。
「…ナイトホークと本気で付き合う気なら、これぐらい出来ないとな」
「も、申し訳ありませんでした!」
「これに懲りたら、自分の魅力で勝負しろ。そっちの方が粋ってものだ」
頭を下げる全員を見ずに、冥月は颯爽とその場を後にした。
「おかえりなさい、冥月さん。大丈夫でしたか?」
心配そうにカウンターの中で待っていた香里亜を見て、冥月は笑って手を挙げた。まとめていた髪も乱れていないし、汗をかいた様子もなく冥月はカウンターに座る。
「とりあえずもう追いかけられるようなことはないはずだ。ちょっと躾けてやったからな」
「サンキュー、冥月。すげぇ助かった…あれぐらいの年頃の、駆け引きが通用しない相手は苦手だ。コーヒーでいいか?」
「ああ」
コーヒーミルに豆を入れ、ナイトホークがそっと挽き始める。武彦はそれを見ながら、煙草に火を付けた。
「しかしまだレディースなんているんだな。ああいうのは俺が若いぐらいの話だと思ってたが」
「全くだ。十年後ぐらいに恥ずかしくて悶えたりしないのかね」
そう言いながらナイトホークと武彦が笑う。香里亜はいつものようにクッキーを出しながら、冥月の隣にちょこんと座った。
「今日は本当にお疲れ様でした」
「全く、恋人のふりがこんなに疲れるとは思っていなかった」
溜息をつきながら香里亜が出したクッキーを口に入れると、武彦が苦笑しながらこんな事を言った。
「躾けたとか言ってたけど、冥月のことだから、知らないところで『姉御』とか『影の総長』とか呼ばれてたりしてな…男前だし」
「まさか。お礼参りをされることはあってもそれはないだろう…って、だから貴様は一言多い!」
その言葉が響いた瞬間、何かを蹴飛ばすような鈍い音が店の中に響き渡った。
…でも武彦が言った通り、冥月が知らない間に『狂乱天使』の『影の総長』になっているのは後日の話。
fin
◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
2778/黒・冥月/女性/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒
◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
レディースの特攻隊長に好かれたナイトホークの恋人のふりをする仕事…という、変わったアプローチできていただきまして、かなり楽しく書かせていただきました。
「NOT DEAD LUNA」で婚約者のふりをしたという前振りも使い、清楚な姿と容赦のない戦闘シーンが魅力だと思います。あと、いつものお約束も入れさせていただきました。
リテイク、ご意見などはご遠慮なくお願いします。
またのご来店をお待ちしています。
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