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■過去の労働の記憶は甘美なり■

水月小織
【6678】【書目・皆】【古書店手伝い】
東京では仕事を選ばなければ稼ぐ手段に困らない。
かと言って、紹介する者を選ばなければどんな目に遭うか分からない。
いつものように『蒼月亭』のドアを開けると、こんな文句が目に入ってきた。

『アルバイト求む』

さて、ちょっと首を突っ込んでみようか…。
過去の労働の記憶は甘美なり

 書目 皆(しょもく・かい)には、最近読書以外の楽しみが増えた。
 それは蒼月亭というカフェに行き、そこでゆっくり紅茶などを飲みながら色々と話をすることだ。初めて来たときはまだ残暑が厳しい季節だったが、もう東京にも秋の気配が近づいていて、見上げる空はすっかり高くなっている。
「『梅のカクテルティー』は、ホットでも美味しいですね」
 紅茶に梅酒を少し入れた『梅のカクテルティー』を飲みながら、皆は従業員の立花 香里亜(たちばな・かりあ)と話をしていた。店主のナイトホークはカウンターの少し離れた場所で、常連らしき男性と話をしている。
「ありがとうございます。実家から送ってもらった梅酒なんですけど、そう言ってくださると嬉しいです。今日は梅酒の梅で作った『梅ジャム』もあるので、よろしかったら味見していってください」
 そう言って香里亜は暖かいスコーンと共に、小さな容器に入れられたクロテッドクリームとジャムを差し出した。蒼月亭では飲み物を頼むとこうやって美味しいお菓子が付いてくる。それがちょっとしたお得気分でもあり、楽しみでもある。
「良い梅酒を使って、丁寧なお茶の入れ方をしないとこの味は出ませんね…うん、ジャムもさっぱりしていて美味しいです」
 本を読んで手に入る知識も楽しいが、こうやって実際に人と触れ合って得る知識はまた格別だ。そんな事を思いながら皆が紅茶を一口飲んだときだった。
「書目さん、ちょっと話いい?」
 先ほどまで他の客と話をしていたナイトホークが、吸いかけの煙草を消して皆の方に近づいてきた。それと同時に、話をしていた男性も灰皿とコーヒーカップを持って皆の隣まで移動してくる。
「何でしょう。僕で対応できるお話なら聞かせていただきます」
 もう一つの楽しみ。
 それはここで紹介されるちょっとした仕事や情報。どうやら今日もまた、何か面白そうな事が飛び込んできそうだ…皆は少し微笑みながら、足下の籠に置いてある自分の鞄に目を向けた。

「取材のお手伝いですか?」
 皆の隣に座ったのは、この店の常連である松田 麗虎(まつだ・れいこ)というフリーライターだった。その名刺を見ながら、皆も店と自分の名が書かれた名刺を手渡す。
「資料集めですとか、足を使って調査してくるとかそういうことなら、お手伝いしますよ。記者の仕事って憧れが…っと、実際の苦労を知らない人間が勝手言ってすみません」
「いやいや、俺は節操のないフリーライターだから、記者って程大したことしてないよ。実は、あるカルト教団の取材をやってるんだけど、なかなかそのあたりの知識がある人がいなくてマスターに紹介してもらおうと思ってたんだよね」
 気さくに笑いながら、麗虎はそのカルト教団に関して説明をし始めた。
 その教団は『星の生命』という名の最近出来たばかりの小さな宗教団体で、表向きは他の星に棲む知性のある者とチャネリングをすることで肉体に囚われず、精神体で永遠の命を求めるという目的があるという。世紀末は何年も前に過ぎたとはいえ、世界的にテロや戦争が多いとやはりこういうものは流行るだろう。
 だがその教団から脱会した者や、調べようとした者達が奇妙な死に方をするという。それを聞き、皆はスッと目を細めた。
「『奇妙な死に方』とは、一体どのようなものでしょう?」
「書目さん、グロい映像とかに耐性ある?あるなら、今から写真を裏返して出すから、自分だけでそっと見てみて」
 そう言いながら麗虎はカウンターに写真を裏返して出した。そこまで警告があるということは、そこに写っているのはそれほどの覚悟がいるのだろう…それを皆はそっと手で隠しながら見た。
「………」
 写真に写っていたのは、何かのかぎ爪で引き裂かれたような人の死体だった。写真を見ても顔色を変えない皆を見て、麗虎は写真をしまい込みながらふっと笑う。
 しかし写っていた死体には何か違和感があった。そっと写真を元に戻し、皆は梅のカクテルティーが入ったカップを口にして考える。
 ただの猟奇写真ではない。緋色の傷口に苦悶の表情、そして乾いたアスファルト…。
「血が流れていませんね」
「そう。遺体には血がほとんど残ってない…それが『奇妙な死に方』なんだ。遺体が何処かから動かされたとかそういうわけでもないのに、一体誰が血を抜いていったのか」
「おそらく僕たちが知るところの『普通の生き物』でないことは確かでしょう」
 カチッとライターを鳴らして麗虎が煙草に火を付ける。
 これはただの吸血事件などではない。
 無論映画や小説で有名な「吸血鬼」などの仕業でもない。
 もっと禍々しく、自分達の想像を超えた存在がおそらくその後ろにいる…皆の勘がそう告げる。
「その仕事、お受けします。一体何が後ろにいるか興味がありますから」
 情報は少ないが、そのぶん調べるだけの価値はある。
 皆がそう言うと、麗虎はコーヒーの入ったカップを飲み干したあとで大きく息をついた。

 麗虎に頼まれたのは、その事件が起こった現場の聞き込みなどから後ろにいる『怪物』が何者であるかを予想し調べることだった。実際に教団のことを調べたりするのは麗虎自身がやるということだが、あまりのんびりしているとその怪物に目を付けられる恐れがある。
 皆は麗虎にもらった資料などを見ながら自宅の机で頬杖を付いた。あまり大きく報じられていないがこれは猟奇事件であり、怪奇事件でもある。
「白昼堂々と現れるあたり、西洋の吸血鬼などではないですね…」
 一般的に吸血鬼と呼ばれるようなものにしては、犯行がずいぶんおおざっぱなような気がする。手にしているコピー紙には、街中で殺された男性の話が書かれていた。彼は教団を脱会するために出向いた後でいきなり倒れたらしい。切り裂かれたような傷跡があるにもかかわらず血も飛び散らず、その場にいた誰も犯人を見ていない。
 だが皆には気になる事があった。
 犯人を見た者はいない。
 なのにその場にいた者達は一様に「クスクスという気味の悪い笑い声」を聞き「三十秒ほど宙に血溜まりのような物が浮いている」のを見たというのだ。おそらくそれが『怪物』そのものなのだろうが、何故一瞬だけでも姿を見せるようなことをしたのか…そこからその正体が伺えるかも知れない。
「不可視の吸血鬼…」
 その瞬間、皆の脳裏に地下の書庫にある魔導書の題名と、著者名が思い浮かんだ。
 ルドヴィリック・プリン著、「DE VERMIIS MISTERIIS」日本語のタイトルは『妖蛆の秘密』…1542年にドイツのケルンで出版されたが、教会の絶版禁止処分にあった魔導書。そこにはある怪物を召喚し、従属させる呪文が書かれてあったはずだ。
 それは「星の精」と呼ばれる、宇宙から来た頭も顔も目もない大きな塊で、胃袋と爪と無数の触手がある怪物だ。だが、それは自分達が考えているような知性を持つものではない。人間の想像を超えたおぞましさと理解できない思考を持ち、その欲望のためだけに生きているようなものだ。
 しかしその教団があがめているのが「星の精」だとしたら、人に見られることなく犠牲者を殺せるのには納得がいく。血を吸い消化するまでの一瞬だけ姿を現し、気味の悪いクスクス笑いと共に現れる怪物…。
「これは厄介かも知れません」
 半端な知識と装備で行けば、次の犠牲者は自分達だろう。麗虎は「怪物を予想し、調べる事」だけを皆に頼んだが、こればかりは知っただけで何とかなる相手ではない。ならばそれに対抗する手段を身につけなければ…。
 そう思い立ち上がろうとすると、皆の携帯が鳴る。
「もしもし、書目ですが」
「ああ、書目さん?どうも、松田です」
 麗虎から来た電話は、明日の夜に『星の生命』の教祖に直接取材をするというアポが取れたという話だった。後ろ暗いことをやっている相手は、事をとにかく早く進めようとする傾向がある。その教祖とやらもその類なのだろう。
「松田さん…その取材ですが、僕も一緒に行ってよろしいでしょうか?」
「何か掴めたのか?」
「…ええ、おそらく僕の予想が正しければ、その怪物は普通に対処できない相手でしょう。取材をやめるならまだ間に合いますが、どうします?」
 慎重に言葉を選びながらそう言うと、電話の向こうでしばらく沈黙が続いた。
 電話は外からかけられているようで、沈黙の後ろに自動車の走る音や人の声などが聞こえる。
「記事になってもならなくてもここで引き返すのは癪だし、その様子だと俺がやめても書目さんは行くつもりだろ?」
 今度は皆が黙り込んだ。
 何も見ず、何も語らず、忘れてしまえば自分達には関係なく事は過ぎ去っていくだろう。だが『知ってしまった者』として、黙って見過ごす訳にはいかない。それが限りなく破滅に近い道だとしても。
 返事はもう決まっている。皆は顔を上げ、電話の向こうにいる麗虎にはっきり一言こう言った。
「行きます」

 次の日は自分達の心境を表したかのように、一日中はっきりしない天気だった。低い雲が天にかかり、少しずつ冷たくなってきた風が吹いている。
 『星の生命』の教団本部は普通の商店街にあるビルの一室だった。
「あんまり大事にならないといいけどな…」
 ビルを見上げながら呟く麗虎の横で、皆は鞄の中から薬包紙のような物に包まれた灰緑色の粉を見せた。それは少しだけ硫黄の香りがする。
「松田さん、これを持っていてください。そして、僕が合図をしたらその方向にこの中の粉を振りかけてもらえませんか?」
 その薬包紙は三つあり、それを皆は全部麗虎に渡した。麗虎はなんだか分からないというような表情をしたが、それを素直にジャケットの胸ポケットに入れる。
「書目さん、怪物の正体分かってるんだな」
「ええ…大体の目安は。でも、この粉で対処できなかった場合は、ちょっと大変なことになるかも知れません」
「…それは困る。俺、蒼月亭にツケ残ってるし」
「じゃあ、絶対帰らないとマスターに怒られちゃいますね」
 そんな事を言いながら二人は一階のフロアでエレベーターを待った。麗虎は危険慣れしているのか、緊張する空気にもあまり動じた様子はない。
「松田さんは怖くないんですか?」
「何が?」
「こういう取材です…明らかに危険なのに、そこに飛び込んでいけるのがすごいなと思ったんです」
 すると麗虎はエレベーターの階数表示を見上げながら腰に手を当て溜息をつき、ニヤッと笑う。
「怖いよ。今でもいつ後ろから襲われるんじゃないかって気が…」
 その刹那…二人しかいないはずのフロアに、何故かクスクスという笑い声のようなものが響き渡った。
「松田さん、伏せて下さい!」
 ヒュンと風を切る音が鳴り、麗虎の着ていたジャケットの肩が少しだけ切れる。
「これが、星の精……?」
 それは皆が知っている地球上のどの生物にも当てはまらない形状をしていた。管のようにたくさん伸びたものの先には口が付いており、その下にはかぎ爪のような物が付いている。そしてそれがおぞましく蠢き、自分達に狙いを定めている。
「書目さん、あんた何か見えてるのか?」
 その声で皆は我に返った。そうだ、自分の目では見えるが麗虎には「不可視の吸血鬼」なのだ。そう思った瞬間、星の精のかぎ爪が自分に向かって飛ぶ。
「しまっ…!」
 人は自分が理解できない物を見ると一瞬思考が止まる。あまりにもおぞましいその姿に皆は目を奪われたのだ。慌てて手でカバーするが、左腕に鋭い痛みが腕に走る。
「書目さん!」
 皆の血が辺りに飛び散るが、その中にいつまでも床に落ちない物があった。それが消化される前に全てを済ませなければならない…皆は流れる血と痛みに耐えながら、麗虎の方を見る。
「松田さん!さっきの粉をあの宙に浮いている血溜まりにかけてください。僕のことに構わないで」
 そう言いながら皆は無事だった右手で自分の鞄を開けた。麗虎が素早くポケットから包みを取り出し、クスクス笑いと血溜まりに見当を付け粉を振りかけているのを確認し、皆は短い呪文を唱える。
「『スレイマンの塵』よ!異界から来た物に裁きを!」
 その粉が風に舞い、星の精に降りかかった。それに悶えるように皆に絡もうとしていた触手が離れていく。薬包紙を無造作に床に捨て、麗虎は続けざま『スレイマンの塵』を追い込むように振りかけた。
「ちっ…とっととくたばれ!」
 さっきまで聞こえてきたクスクスという笑い声が、だんだんサラサラと砂が落ちるような音に変わってきた。『スレイマンの塵』は、この世界の物には全く効果を及ぼさないが、異世界から来た物に対してのみ傷を与えられる。奥へと追いつめられている所を見ると、かなりダメージを喰らっているのだろう。
 しかし、そうやって星の精を追い払うだけでは終わらない。おそらく上にいる相手は、星の精を召喚して従属する力があるのだ。それに対抗するためには…皆は鞄から一冊の本を取り出した。
「星の精よ!書目 皆の名において、我に従属しこの世界から永遠に去りなさい!」
 それは地下の書庫から借りてきたた『妖蛆の秘密』のラテン語版だった。
 上にいるであろう何者かが自分より魔導書を扱う力が上かどうかは分からないが、星の精を従属させこの世界から去らせなければこの事件は終わらない。
「………」
 左腕の痛みで、魔導書を扱う力も限界だ。読むだけなら普通の書籍と変わらないが、従属の対抗戦となると流石に自分の精神力を使わなければならない。
 最後の『スレイマンの塵』が麗虎の手から離れた。それと同時にロビーの玄関から一陣の風が吹き込み、塵が星の精を包み込むように舞う。
「去りなさい!」
 その声が風に乗ると星の精の姿が消えた。ロビーに満ちていた禍々しい雰囲気が消え、辺りにはほんのりと硫黄の香りが漂っている。
「書目さん、大丈夫か!」
「大丈夫です…星の精は、帰りました…」
 小さな声でそれを告げると、皆の視点は暗転した。

 皆が目覚めたのは、病院のベッドの上だった。
 半ばクラクラする頭で目を開けると、ベッドの横で麗虎が座っているのが見える。暇つぶしに見ていたのか、テレビが付けっぱなしになっていて飲料水のCMが流れている。
「良かった、気が付いた…」
 ホッとしている麗虎の顔を見て、皆はそっと体を起こした。切られた腕には包帯が巻かれ、逆の手には点滴が刺さっている。どうやら倒れてしまった自分を麗虎がここまで連れてきてくれたらしい。
「すみません…ご迷惑をおかけしました」
「それはこっちの台詞だよ。このまま目が覚めなかったらどうしようかと、マジで思ってた…」
 倒れてしまったのは星の精を従属させるために精神力を使ったからなのだが、どうやら麗虎は責任を感じているらしい。それを安心させるように、皆は横に置いてあった眼鏡をかけ麗虎に向かって笑う。
「それにしても、念のため鞄に保険証を入れてきて良かったです。全額負担だったら別の意味で血が出そうでした」
「書目さん…見かけによらず結構タフだな」
 苦笑する麗虎の横でテレビに映っているニュースは音量が小さくて、二人の耳には届いていなかった。

 …月…日の午後七時頃、『星の生命』教団本部で殺人事件がありました。
 亡くなったのは教祖である…。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
6678/書目・皆/男性/22歳/古書店手伝い

◆ライター通信◆
二度目のご参加ありがとうございます、水月小織です。
「取材手伝い&クトゥルー関係絡み」ということで、お約束っぽい「怪しい宗教団体」を出してみました。見えない何かに襲われるというのと、人間には理解できない何かというのは、原始的な恐怖感があると思います。
魔導書の知識なども出しましたが、この事件は記事になったのでしょうか…それはまた別の話ということで、クトゥルー関係のお約束である「生きてて良かった」を味わうのが先かも知れません。
リテイク、ご意見はご遠慮なくお願いします。
またご縁がありましたら、よろしくお願いいたします。