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■Night Bird -蒼月亭奇譚-■

水月小織
【5686】【高野・クロ】【黒猫】
街を歩いていて、ふと見上げて見えた看板。
相当年季の入った看板に蒼い月が書かれている。
『蒼月亭』
いつものように、または名前に惹かれたようにそのドアを開けると、ジャズの音楽と共に声が掛けられた。

「いらっしゃい、蒼月亭へようこそ」
Night Bird -蒼月亭奇譚-

「雨止まないなぁ…」
 夜の雨は冷たく、辺りの空気をひんやりとさせる。
 蒼月亭の中には客がおらず、キッチンでは従業員の立花 香里亜(たちばな・かりあ)が次の日のためにオーブンを使って菓子を焼いていた。マスターのナイトホークはカウンターで煙草を吸いながら、暇そうにドアを眺めている。
「今日はなんだか寒いですね」
「それはいいとして、明日も仕事あるんだから0:00過ぎたらあがれよ」
 雨の日は客足がどうしても鈍くなる。そんな事を思っていると、ふとドアの前に小さな黒い影が見えた。
「あ…」
 その影に顔を上げ、ナイトホークは吸っていた煙草を急いで消し店のドアを開ける。
「クロ、やっぱ来たのか」
『なんや、待っとったんかい』
 ドアを開けた所で雨宿りをしていたのは、一匹の黒猫だった。
 高野 クロ(こうや・くろ)…だがその名をナイトホークは知らない。ナイトホークがクロに関して知っているとこは夜の蒼月亭に時々ふらりとやってきては、一晩過ごしてまたふらりと去っていく事と、ものすごく頭がいいことぐらいだ。現にこうして呟いた言葉も、ナイトホークからは「ニャー」という鳴き声にしか聞こえていないだろう。
「香里亜ーお客さん来たぞ」
 クロの濡れた体をひょいと抱き上げ、ナイトホークはカウンターへ戻っていった。クロは何度も蒼月亭に来ているし、カウンターの中に入れてもあちこちいじったり、いたずらをしたりしない。客がいるときも大人しく足下でナイトホークが仕事をしている様子を見たりしている。
「お客様…わぁ、可愛いー」
『おおきに』
 キッチンから顔を出した香里亜が、クロを見て満面の笑みを浮かべた。そしてそっと頭を撫でる。
「毛並みもつやつやで、美人さんですね」
「だろ?時々店に来るんだけど、頭もいいんだ。黒いから勝手にクロって呼んでるけどな」
『それで間違っとらんから、好きに呼んだらええ』
 ナイトホークの胸からするりとクロが飛び降りた。香里亜はそれを見てクロの目線に合わせるようにしゃがんだ。
「クロちゃーん。実家にも三毛さんがいたから、何か猫触れるの嬉しい」
「ニャー」
 それを聞き、クロが香里亜の膝元に擦り寄る。
 クロから見れば分かるが、この少女はどうやら人でないものを寄せたりする能力があるようだ。猫は魔よけになるので、その為に飼っていたのだろう。
「大人しいですね。何処かの飼い猫なのかな?」
「さあな。でも時々来たときは泊まってったりする…っと、クロ。ミルクだぞ」
 少し深めの皿に、ナイトホークが牛乳を入れて差し出した。だが、それを見てクロが固まる。
『何度も来てるのに、何でおまえさんはうちの嫌いな物を覚えんのや』
 実はクロは牛乳が大嫌いだ。
 そもそも「猫にミルク」という習慣自体は海外のもので、600年以上生きているクロにとってはまさに異文化だ。毎度来てはそれを拒否しているのに、どうしてもナイトホークは自分に牛乳を飲ませたいらしい。
「クロ、牛乳飲まないと大きくなれないぞ」
 ナイトホークがクロを抱え上げ、ミルクが入った皿に連れて行こうとする。クロはそれを拒否するように逃げようとした。
『うちはもう充分育ったっちゅーねん!』
 ナイトホークの腕の中で逃げようともがくクロを見て、香里亜はそっと声をかけた。
「クロちゃん嫌がってません?」
『その通りや、お前さんからももっと言ったって』
 どう見ても嫌がっているクロの鼻先にナイトホークが無理矢理皿を持って行こうとしているように見える。それを知ってか知らずか、ナイトホークはクロを抱き上げたままこう言った。
「クロがミルク飲んでるところが見たいだけなんだって」
 まるで風呂に入れられるのを拒否するように、全身を突っぱねてクロは拒否した。この様子では鼻先に牛乳を付けられかねない。
「クーロー」
『嫌や!嫌やっちゅうてるやろ!…やめんかいっ!!』
 パシッとクロの猫パンチがナイトホークの顔面に飛んだ。爪は出していないがそれで抱き留める力が緩んだ隙に、クロはひょいと床に飛び降りる。
「うーん、今日もダメか…でも、肉球パンチってのは気を使ってくれてんのかな。もう牛乳飲ませないからこっち来いよー」
 叩かれたところを撫でながらナイトホークがしゃがんだ。少し警戒しながら様子をうかがうクロと、手を伸ばして撫でようとするナイトホークを見ながら香里亜が笑う。
「サラダ用にボイルした鶏肉がありますから出してきますね。クロちゃんもそっちの方がいいかな?」
『牛乳じゃなかったらええんや』
 ニャーと返事をしたクロの喉元を、ナイトホークが笑いながら撫でていた。

 あの後少し客が来て、蒼月亭はいつものように2:30に営業を終えた。
 香里亜は0:00を過ぎた頃に「もっとクロちゃんと遊びたいけど、お仕事なので帰ります」と、先に上がっていた。
 床にモップをかけテーブルを拭いたりするナイトホークの後ろをクロがついて回る。
「クロ、今日も泊まってくか?」
「ニャー」
 元よりそのつもりだ。お互い飼ったり飼われたりというのは性に合わないが、たまにこうやってふらりとやってきて、一晩だけ泊まって帰る…それが一番いい距離のように思える。返事の代わりに足下に擦り寄ると、ナイトホークが嬉しそうに笑う。
「じゃ、とっとと部屋行くか」
 店内の電気を全て消し、キッチンと逆側にある階段を下りていく。
 突き当たりにあるドアを開けると、そこがナイトホークの居住スペースだ。クロはひょいと軽やかにソファーを越え、ベッドに行き大きくあくびをする。
 薄暗い部屋の中は煙草の香りがし、生活感はあまりない。
「シャワー浴びてくるかな…クロも一緒に入る?」
『よう入らんわ』
 自分の部屋に戻ったせいもあるのだろうが、ナイトホークの表情は店にいるときよりかなり柔らかかった。ベストのポケットから出したシガレットケースをガラステーブルに置き、蝶ネクタイを外したりシャツを脱いだりする。
 それがいつものナイトホークの生活パターンのようだった。シャワーを浴びて、少しだけ酒を飲んで、一服した後でベッドに入る。それはクロがいつ来ても変わらない。クロもナイトホークがシャワーを浴びてる間はベッドで待っていて、酒を飲んでたり一服しているときはちょこんと隣に座る。
「クロも飲むか?」
 頭にタオルを被り、バスローブを無造作に引っかけたままで、ナイトホークがシャワーから出てきた。冷蔵庫の中に入っていた『高清水・上撰辛口』を少しグラスに注ぐ。
『牛乳よりこっちの方が嬉しいわ』
 ベッドの上からソファーに移動し、クロはナイトホークが指先に付けた日本酒をぺろぺろと舐めた。
「くすぐってーぇ。なかなかいける口だな、クロ」
『おまえさんも酒のセンスはええよ』
 そんな事をクロに話しかけながら、ナイトホークは妙に嬉しそうだ。店にいるときは色々な人が来るが、ここにいるとどうしても一人だということを思ってしまうのかも知れない。それがなんだか妙に気になるので、クロはここに来たときはいつも一晩泊まるようにしている。
「猫飼いたいんだけど、ずっと店にいて可愛がってやれないからなぁ…」
 グラスに口を付けた後でナイトホークがぽつりと呟いた。そしてクロの頭をそっと撫でる。
「でも、クロがたまに来るからいいか。嫌がらないで触らせてくれるし…さて、あんまり遅くならないうちに寝ようぜ」

 一緒に布団に入りナイトホークと寝ていると、クロは微かな声で目が覚めた。
 ナイトホークが夢にうなされている。一体どんな夢を見ているのかは分からないが、クロが泊まりに来ていると、よくそんな風にうなされていることがある。
「何か嫌な思い出でもあるんかも知れへんな」
 時々「やめ…」とか寝言を言う所をみると、何か思い出したくない夢でも見ているのかも知れない。そんな時、クロはナイトホークの顔の近くまで行って人の言葉で呼び掛ける。
「大丈夫なんか?目を覚まし…」
「…っ…嫌だ…」
 眉間に皺を寄せ、ずいぶん寝汗もかいているようだ。このままにしていたら、寝ているのに全く疲れが取れないだろう。誰だって悪夢の後の目覚めは最悪だ。それが思い出したくない記憶なら特に。
「………」
 クロは溜息をつくと、顔をパシパシと肉球で叩きながらナイトホークに呼び掛けた。
「目を覚ましっ!早よ起きや!」
 しばらくそうしていると、ナイトホークががばっと起きあがった。ひょいと少しだけ離れ、クロはナイトホークに向かって一声鳴く。
「ニャーァ」
 ナイトホークは無言のままクロを見ながら呼吸を整えた。ずいぶん寝汗をかいたのか、布団カバーが少し湿っぽい。
「クロ…起こしてくれたのか?」
「ニャア」
 布団の上に飛び乗り、伸びをするようにクロはナイトホークの顔に何度も擦り寄る。そうしているうちにだんだんと落ち着いてきたのか、ナイトホークは闇の中でくすっと笑った。
「…ありがとうな、クロ」
 ぎゅっとクロの体をナイトホークが抱きしめる。それに答えるようにクロはごろごろと喉を鳴らした。
『礼はええから、ゆっくり休んだらええ…今日はうちが側におるから』
 クロの言葉はナイトホークに伝わっていないはずだ。だが、ナイトホークはクロを抱きしめたまま大きく息を吐きこう言う。
「うん…ありがとう」
 ナイトホークはクロの体をそっとベッドの上に降ろした。
 半地下の部屋の中は外からの光が入ってこないせいで真っ暗だ。天を仰いでも見えるのはどこまでも続く暗闇。だが、それでもここにいるのはナイトホーク一人ではない。クロはそっとナイトホークの体に擦り寄る。
『安心して休み…』
「寝直すか。ほら、こっち入って来いよ」
 またベッドに横たわったナイトホークが布団の隅をそっと上げる。その隙間にクロがするりと入り込みナイトホークに寄り添うと、また部屋の中にはしんとした静寂が戻ってきた。

 その後はうなされることもなくゆっくりと眠れたらしい。
 一足先に起き出したクロは、伸びをした後でナイトホークの顔を覗き込む。
『子供みたいな寝顔やな』
 もう少し寝かせてやりたい気もするが、そろそろ起こさないと寝坊する。店の開店準備もあるので少し早めぐらいが丁度いいだろう。
『よっこいしょっと』
 クロは眠っているナイトホークの胸の上に乗った。夜にうなされていたこともあるので、今日は胸の上に乗ったが、たまに顔の上に乗って起こすこともある。尻尾も含めて50センチもあるクロが胸に乗っていると流石に苦しいのか、ナイトホークはそっと目を開けた。
「クロ…重いよ…金縛りになる…」
「ニャーニャー」
 顔を覗き込みながらいたずらっぽくクロが鳴く。それにくすっと笑いながらナイトホークはゆっくりと体を起こした。
「あーあ、よく寝た…着替えて上行って飯作るか…ふぁーあ」
 のろのろと起きあがり、ナイトホークがクローゼットの前で着替え始めた。その時にクロの目に入るのは、背筋に沿って真っ直ぐ入れられた大きな傷跡だ。手術の痕にしてはずいぶんと大きく、そこだけが妙に目立つ。
 シャツを着て黒いズボンにベルトを通し、手ぐしで髪をすく。
「さて、コーヒーでも飲むか。クロも腹減っただろ」
「ニャア…」
 部屋のドアが開くと、クロはナイトホークを導くように先に階段を上がった。

 トーストにスクランブルエッグ、トマトのサラダにコーヒーという朝食を食べているナイトホークの足下で、クロはパンを薄いコンソメで煮た物に鶏肉が入った物を食べていた。
「今度クロが来るときまでに、猫缶買っとくかな。缶詰なら来たときにすぐ出せるし」
『気使わなくてもええよ』
 バターとコーヒーの香りが、雨上がりの朝の空気に混じる。店がやっているときにかかっている音楽も今はかかっておらず、街が動き出す音だけが店の中に入って来ている。
『そろそろ行かんとな』
 出された朝食を食べ終わると、クロは店のドアの前にちょこんと座った。
 こうやって時々気まぐれにやって来て、一晩過ごして帰っていく関係がいい。ナイトホークもそれに気付いているのか、入り口まで出てくてしゃがみながらクロを撫でる。
「雨止んで良かったな。また泊まりに来いよ」
 鍵が開く音がして、外の冷たい空気が入ってくる。
「またのご来店をお待ちしてます」
『また来るからそんな顔しなさんな』
 少し離れた場所まで歩き、寂しそうに笑いながら手を振るナイトホークに向かって振り返りながら、クロの鳴く声が朝の街に溶け込んでいった。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
5686/高野・クロ/女性/681歳/黒猫

◆ライター通信◆
初めまして、水月小織です。
ふらりと蒼月亭にやってきて、またふらりと去っていく話でしたが、この少し前に「ナイトホークは猫が好き」というのを話で出してまして、それが盛り込まれた話になりました。
牛乳を嫌がったり、うなされているナイトホークを起こしたり、猫パンチが出たりと、猫好きにはたまりません。日本酒を舐めさせている様子などが絵に浮かびます。
帰った後に香里亜が「クロちゃんとお布団いいなー」とか言ってそうです。
リテイク・ご意見はご遠慮なくお願いいたします。
またご縁がありましたら、蒼月亭に遊びに来てくださいませ。