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■過去の労働の記憶は甘美なり■

水月小織
【2778】【黒・冥月】【元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
東京では仕事を選ばなければ稼ぐ手段に困らない。
かと言って、紹介する者を選ばなければどんな目に遭うか分からない。
いつものように『蒼月亭』のドアを開けると、こんな文句が目に入ってきた。

『アルバイト求む』

さて、ちょっと首を突っ込んでみようか…。
過去の労働の記憶は甘美なり

「………!」
 大急ぎで走ってくる音と共に蒼月亭のドアが開き、ドアベルが大きな音を鳴らす。
 そして勢いよくドアが閉められ、黒 冥月(へい・みんゆぇ)はドアが開かないように後ろ手で鍵をかけながら、カウンターの中にいるナイトホークと立花 香里亜(たちばな・かりあ)の顔を見た。
「い、いらっしゃい…蒼月亭へようこそ」
「どうしたんですか、冥月さん」
 冥月が説明するよりも早く、今度は外からドンドンとドアを叩く音がした。ドアを叩いているのは制服姿の少女のようで、ガラス越しに紺色のセーラー服が見える。
「黒薔薇様〜開けて下さいませ!」
 ……一体何が起こっているのか。
 冥月と少女の間に何があったのか全く見当が付かないので、ナイトホークも香里亜も困ったようにその顛末を見守っていた。カウンターにはまだ片づけている途中のカップなどが置かれているが、今は丁度客の切れ目らしい。誰もいなかったことにほっとしながら、冥月は困ったように事の顛末を話そうとした。
 事は十分前ぐらいに遡る。
 たまたま近くを歩いていたら、制服姿の少女がチンピラに絡まれている所に出くわし、それを気まぐれに助けたところ何故か「素敵…私のお姉様になって下さい。黒薔薇様!」と、くっついてこられてしまった。
 相手が能力者であれば影に隠れてやり過ごす事も出来るのだが、一般人の前ではなるべく能力を使いたくない。
「私にそんな趣味はない!帰れ!」
 そう言って走って逃げてきたのはいいが、若さ故の暴走というか思いこみの力というか、捲いても捲いても何故か見つかり、結局ここに逃げ込むしかなかったのだ。
 これでは、いつぞやのナイトホークと全く同じ状態ではないか。
 そう思った瞬間、冥月の頭にある考えがひらめいた。意趣返しというわけではないが、思いこみの激しい少女に対抗するならこれが一番かも知れない。
「冥月…何が起こってるかさっぱり訳分からねぇんだけど」
 困惑しながら煙草を吸っているナイトホークをちょいちょいと呼ぶと、香里亜も一緒になって冥月の側にやってくる。
「ナイトホーク、香里亜。悪いが仕事を受けてくれないか?」
「は?」
 ドアを叩くのは流石にやめたようだが、外からは「お姉様ー」という呼びかけが続いている。これがあまり続くと流石に営業に支障が出そうだ。
「仕事はいいけど、報酬は何?」
「ビジネスの相談だ。私の仕事を受けてくれるなら、今度ナイトホークから来る仕事を一つただで引き受ける。香里亜への報酬は、私が指導してきちんと鍛えてやることだ…悪い条件じゃないと思うが」
 冥月の言葉に、二人が顔を見合わせた。
 確かにナイトホークが持っている仕事の中には危険なものもあり、それを冥月が無料で引き受けてくれるというのなら、報酬は全てナイトホークの懐に入る。言ってしまうと何だが、蒼月亭という店自体は割と儲けを度外視しているので、その提案は悪くない。
「私は冥月さんの頼みでしたら。何かすごく困ってるみたいですし…ナイトホークさんも困ってる冥月さんを見捨てたりしないですよね」
 よし、いい感じだ。
 香里亜の話にナイトホークも訝しみつつ頷く。
「何か話が見えないんだけど、危険な事じゃなきゃ」
「よし、言ったな。取り消しはなしだぞ…今からお前達は私の『彼氏』と『彼女』だ」
 きっぱりと言われたその言葉に、ナイトホークが眉間を押さえた。どうやら豪快に墓穴を掘ってしまったような気がする。
 顛末を聞くと、以前ナイトホークが同じように不良少女に惚れられたことがあり、その時冥月に『彼女の振り』をして諦めてもらったことがあったが、それの逆パターンということらしい。
「わーい、冥月さんが私の『お姉様』ですね。分かりました」
 無邪気に喜んでいる香里亜に、冥月はふっと微笑む。香里亜ならきっと断ることはないと思うが、後はナイトホークだけだ。流石に思いこみが激しい少女でも、女の恋人がいるうえに更に男がいると知れば諦めるだろう。多分。
 少女が着ていた制服は、カトリック系お嬢様系女子校の『聖・バルバラ女学院』のものだった。女子校という性質上、どうしても年上の女性に憧れるのは分からぬでもないが、きっとこういう色恋沙汰にも免疫がないだろう。多分。
「そんなに上手く行くか?」
「この前彼女の振りをしたんだから、異論は聞かん。開けるぞ」
 ぼやきながら溜息をつくナイトホークを無視し、冥月はドアを開けた。その傍らでは香里亜がやたら楽しそうに腕を組んでいる。
「ごきげんよう」
 挨拶をしながら少女が蒼月亭に入ってきた。ショートにした黒髪に、少しクラシックなデザインのセーラー服。黒い革靴をコツコツと鳴らしながら、少女は真っ直ぐ前を向いている。
「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ」
「いえ、お構いなく。私、黒薔薇様にお話をしに来たんです」
 水を出そうとしたナイトホークに会釈をする少女を見て、冥月はくすりと笑って香里亜の肩を抱いた。それを見た少女がキッと香里亜を睨む。
「自己紹介が遅れました。私、聖・バルバラ女学院一年の『伊藤 若菜(いとう・わかな)』と申します。お願いです、私のお姉様になって下さい!」
「それは無理だ。私には可愛い彼女も、彼氏もいるからな」
 その言葉に合わせて香里亜が相手をじっと見返し、冥月の顔を見てにっこりと微笑む。
「ごめんなさい、私の大事なお姉様なんです。ねー♪」
 果たして香里亜は楽しんでいるのか本気なのか。
 だが合わせてくれるのはやりやすいので、冥月は指を組むように手を繋いで見せたりした。ナイトホークも煙草をくわえながら、コーヒーだけではなくケーキなどを出してみせている。
「冥月はモテるから、一番にしてもらうの大変だったんだぜ。でもこの位置は渡さないけどな」
 よし、もっと言え。
 そんなナイトホークにくす…と微笑み、冥月は如何に自分がモテていて妹を増やす隙もないかを説明し始める。その間香里亜は運ばれたケーキを一口大に切り、話の合間に冥月にそっと食べさせたりしていた。
「お姉様、あーん」
 流石にこれだけくっついていれば、いくら察しが悪くても諦めがつくだろう。後は立てかけるように話をすれば…そう冥月が思った時だった。
「何だ、これ」
 入り口のドアベルが鳴り、草間 武彦(くさま・たけひこ)が入ってきた。その音に若菜は振り返り、冥月と顔を合わせた武彦が唖然とした顔をする。
「………」
 なんて間の悪い奴だ。だが、ここに来たからには巻き込んでいくしかない。カウンターのどこに座ろうか困っている武彦に、冥月はびしっと人差し指を突き刺した。
「今入ってきたそいつは私のヒモだ」
「待っ…!」
 多少ややこしいことになったがまあ仕方がないだろう、これも全部間の悪い武彦が招いたことだ。武彦はそれを聞き、つかつかと冥月の隣に座り、小声でこう言った。
『どういう事か説明してもらおうか』
 流石にいきなり大声で言わない辺り、何かを察したのだろう。いつもなら「とうとう彼女が」とか言う武彦も、コソコソと香里亜や若菜の方を見ている。
『後で煙草百箱買ってやるから、今はとにかく話を合わせろ!』
 多分自分の後ろには「話を合わせなければ殺す」というオーラが出ているかも知れない。そんな雰囲気を壊すように、香里亜がぺたっと冥月に寄りかかる。
「あー、二人で内緒話しないで下さい。せっかく私が隣にいるのにー」
「ああ、すまない。いつもの金の無心だ」
「そうですね、お姉様お金持ちですから♪」
「××!×××!」
「………!」
 何だか武彦とナイトホークが、声を出さずに自分を非難しているような気がするが、大事の前の小事ということで無視することにした。今はとにかく目の前にいる若菜に、自分のことを諦めてもらうことが先決だ。
「そんなわけで、彼女に彼氏にヒモまでいるから、お前のお姉様になるのは無理だ。すまないな」
 流石にこれは堪えるだろう。そう思った時だった。
 武彦が来てから俯いていた若菜が、指を組みがばっと顔を上げ冥月の側までやってくる。そのきらきらとした瞳に、冥月は嫌な予感がした。
「私、四番目でもかまいません!」
 隣にいた香里亜を押しのけ、若菜が冥月に抱きつく。
「助けてもらった時に感じたんです。きっとこれは運命だって…占いでも今月に運命の出会いがあるって書いてあったし、お姉様の妹になれるなら四番目…いえ、百番目でもいいんですっ!」
 ……うわぁ。
 思いこみが強い少女のパワーとは、こんな間違った方向に強いものか。しっかりと抱きつかれた冥月は思わず脱力していた。近くにいたナイトホークや武彦も、苦笑を通り越してすっかり目を丸くしている。
 この様子では簡単に諦めてくれそうになさそうだ…次は何を言うべきか、そう冥月が思っていると、抱きついていた若菜の手を香里亜がぺしっと払いのけた。
「ダメです。お姉様に抱きついていいのは私だけなんですー若菜さんは一番遠くの席に行ってください。今、お白湯でもお出しますから」
「ちょっと、何よそれ。一番だからっていい気にならないでよ」
「ここはお店ですので、注文しない方は冷やかしになりますからお引き取りください。草間さんはコーヒーですよね?」
 突然そう言われた武彦が、無言で何度も頷く。それぐらい今の香里亜の迫力はすごかった。
 普段は笑顔を絶やさず穏やかなのだが、どうやらあまりのしつこさと強引さに対抗意識を燃やしたらしい。香里亜は若菜を一番遠くのカウンターに座らせ、笑顔で注文を取る。
「ご注文がお決まりになりましたら…」
 その隙に若菜が冥月の元に近づこうとした。それを香里亜が素早い動きで阻止し、笑顔で一言こう言う。
「ご注文は?」
「お姉様よ!」
「当店ではそのようなメニューはありませんので」
「ちょっと、そこのヒモの人私に席譲って!」
 女同士の戦いとはこんなに恐ろしいものだっただろうか。本当はその場でゆっくり顛末を見物していたかったのだが、ここで席をどかないと若菜に噛みつかれそうな気がする。
「冥月、すまん…」
 そっと隣の席に移る武彦に、冥月は心の中で「この役立たずめ!」と罵倒した。若菜が勝ち誇ったように冥月の隣に座る。
「ふふーん。お姉様と同じものを」
「かしこまりました」
 本当は冥月の手助けに入ってやりたいのだが、注文が入ってしまえば設定が彼氏だろうが何だろうがそっちを優先するしかない。コーヒーミルを用意しながら、ナイトホークが溜息をつく。こんなに自分の店で居心地が悪いのは、何というかかなり辛い。
「お姉様、これでゆっくりお話…」
その時だった。
 若菜を遮るように背にして、香里亜がちょこんと冥月の膝に座る。普段仲良くしていることと、ある意味小柄な香里亜だから出来る大胆な行動だ。
「お姉様。私とお話ししましょう♪」
 お姫様抱っこのように冥月の肩に手を回している姿を見て、冥月は思わず苦笑する。
 元暗殺者とはいえ、ここまで自分に近づいてくるとは。
 もしかしたらそれは自分を助けるための無邪気な行動なのかも知れないが、それが何だか可愛らしい。しかも相手の隙をつき、堂々としている辺りはかなりの度胸持ちだ。鍛えればかなりいい感じになるかも知れない。
「ここが私の指定席なので、お譲りできません」
「ああーっ!ずるい、どきなさいよー。重そうじゃない」
「私、小さくて軽いから大丈夫です。ねー♪」
 小動物のようにくりくりとした目が冥月に向かって笑う。そんな香里亜の頭を冥月はくしゃくしゃと撫でる。
「全く…」
「ふふー♪」
 一見ほのぼのとしているが、その様子にナイトホークと武彦は気が気じゃない。いきなりつかみ合いのケンカになることはないだろうが、何が起こるか…。
「黒薔薇様…私、諦めません。ここで諦めたら『狂乱天使』の特攻隊長伊藤 麗(いとう・うらら)の妹として示しがつきませんから」
 その名を聞いてナイトホークと冥月が固まった。
 伊藤 麗はナイトホークに惚れて、冥月が恋人の振りをした最初の原因だ。
 伊藤 若菜はその妹…レディース暴走族とお嬢様学校の生徒というのは全く違うが、恋するパターンが同じなのは流石姉妹と言うべきか…。
「今日はこれで失礼しますが、まだ諦めてませんから!次にお会いする時は、パワーアップしてきます!」
 しなくていい。そもそもどこのパワーを上げてくるつもりなのか。
 カウンターの席から立ち上がる若菜に香里亜が振り返り、小さく手を振る。
「マフラー編んでこようとしても、私の方が早く編み上げちゃいますよー」
「なんで分かるのよっ!」
「ライバルですから」
「うわーん!覚えてなさい…すっごい物編んでくるんだからー!!」
 来た時と同じような勢いで、若菜が店を飛び出していく。
「おーい…このコーヒーはどうしたらいいんだー?」
 入れ立てのコーヒーが入ったカップを持ちながら、ナイトホークと武彦は開けっ放しになったドアをぼーっと見つめている。冥月の膝に座っていた香里亜が膝から降り、そのコーヒーを手に取った。
「私がお金払っておきます。なんか悪乗りしちゃってごめんなさいでした…」
 カウンターにカップを置き、ぺこりと皆に向かって一礼をする。その様子に冥月や武彦がクスクスと笑った。ナイトホークもカフェエプロンのポケットからシガレットケースを出し、煙草をくわえながら溜息をつく。
「香里亜、お前一番楽しんでただろ」
「え、分かりました?何だか本当のお姉さんみたいで嬉しかったんです。でも、膝にまで乗っちゃって…」
 そっと振り返る香里亜に冥月が立ち上がり、また頭を撫でた。あの膝乗りがなければ、もう少し長いことになっていたかも知れない。その点では香里亜がやったことは間違ってはいない。
「香里亜、私にマフラーを編んでくれるんだよな」
「ほえ?」
「次に若菜が来た時に、マフラーをしていなかったらまたうるさそうだから、期待してるぞ」
「はい。編み物の早さには自信があるので、期待しててください」
 これでしばらくは向こうも大人しくしているだろう。もし本当に編み物をする気であればの話だが。
 そうしていると武彦が煙草の煙で輪っかを作ったあと、ふぅと溜息をつく。
「冥月はお姉様って慕われたり、マフラー編んでもらう約束してたりと、会うたびに男前度が…」
 ごすっ。
 鈍い音が店内に響き渡り、その様子を見たナイトホークがそっと手を合わせる。
「それ以上言ったら蹴り飛ばす!」
「け、蹴ってから言うな…」
 全く…今日は妙に疲れた。
 こんな事なら普通に危険な仕事をやる方が楽かも知れない。そんな事を思いながらカウンターに座り、冥月は入れ直された湯気の立つコーヒーを溜息混じりに口にした。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
2778/黒・冥月/女性/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒

◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
前のゲームノベルと立場が逆転して、ナイトホークや香里亜が冥月さんの依頼を受けるという話になってます。お姉様…なんというか微笑ましいです。
香里亜が妙にライバル意識を燃やし、ベタベタしたり膝に乗ったりの弾けっぷりが珍しいですね…そして最後はお約束です。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってください。
またよろしくお願いします。今度は香里亜を鍛えに来てくださいませ。