■戯れの精霊たち〜水〜■
笠城夢斗
【3255】【トゥルース・トゥース】【異界職】
 『精霊の森』と呼ばれるその場所が、いったい何なのかは誰も知らない。
 ただ、たしかに分かっていることは、普通に入ればただの森にしか見えないということだ。
 そして、まことしやかに囁かれるもうひとつのウワサ……
「僕がこの森に住んでること、噂になってるんだ? へええ」
 森の奥の小屋にて、のんきにそんなことをのたまったのは、二十代ぐらいの眼鏡の青年。どう見てもただの人間なのだが……。
「ところでキミ、いいとこ来たね」
 青年は銀縁眼鏡の奥の瞳を、にっこりと微笑ませた。
「今、人手が欲しかったんだ。手伝ってくれるよね」
 言うなり立ち上がり、すたすたと小屋の出入り口へ向かう。そこで振り向き、「ついてきて」と促してくる。
 言われるままに小屋を出ると、一面は当たり前だが森だった。常緑樹のこの森は、とにかく緑にあふれている。
 青年が歩くせいなのだろうか、細いながらも道がある。そこを青年はずんずんと進んでいく。
 慌てて追うと――やがて、視界が開けた。
 泉があった。
 そして、その泉に水をもたらす、川があった。
「ここにね――」
 泉のほとりに立ち、青年は片手を腰に当てて眼鏡を押し上げる。
「泉の精霊とね、川の精霊がいるわけなんだよ」
 ――何のこっちゃ?
 言われたところで、泉にも川にも、水の流れ以外何も見えない。
 しかし青年は、こちらの様子などまったくお構いなしに続けた。
「彼らは森の外には通常出られないんだ。でもそれじゃ退屈らしくてね――ちょっと、外の世界を見せてやりたくて」
 手伝ってくれるかい? と青年は再び訊いてくる。
 どうやって、と尋ね返すと、青年はあっさりと即答した。
「キミの体に、精霊を宿らせる」
 そうすれば、キミと一緒に彼らも森の外に出られるんだ――と。
 難色を示したことが分かったらしい、青年は困ったように腕を組み、小首をかしげて、
「どうしても無理なら、精霊たちと話したり遊んだりしてくれるんでも助かるんだけど……」
 外のことを教えてやってよ。謎の青年は、にっこり笑ってそう言った。
戯れの精霊たち〜正しい気持ちの表し方〜

 精霊の森と呼ばれる場所に、ひとり足を踏み入れた男がいた。
 がっしりとした体躯、伸び放題の無精ひげに金髪、常にくわえている葉巻。鋭い赤い眼光が、今日はのんきに森を見上げている。
 トゥルース・トゥース。
 ――彼がこの森に来たのは、精霊に会うためではなかった。

 森の中をしばらく進んでいくと、やがて小屋が見つかった。
 トゥルースは目を細める。
 ちょうど、小屋の主が小屋から出てくるところだった。
「ようクルス」
 トゥルースはその青年の名を呼ぶ。
 クルス・クロスエアが振り向いた。――青と緑の入り混じった髪、森のように深い緑の瞳。銀縁眼鏡をかけた長身の青年である
 彼は、この精霊の森の『守護者』という立場にいる。常に森の中にいて、街に出てくることはほとんどない。
 トゥルースはクルスが街に出て作った、数少ない友人のうちのひとりだった。
「やあトゥルース、来てたのか」
 クルスは友人の姿を見て微笑んだ。「すまない、研究に没頭してて気配に気づかなかったよ」
 トゥルースは片眉をあげた。
「普段だったら、精霊以外の存在が森に入ったらすぐに分かるんだけどね――」
 言いながらクルスはあたりから枯れ枝を拾うと、小屋の裏に回った。
 トゥルースは首をかしげた。――たしかこの森は常緑樹の森ではなかったか?
 なぜ枯れ枝があるのだろうと、そう思いながらひょこっと小屋の裏をのぞくと、そこには焚き火があった。
 クルスはその焚き火に、ぽいぽいと拾ったばかりの枯れ枝を放り込む。
 炎が嬉しそうに、ぼうと揺れた。
「その炎にも精霊とやらがいるのかい?」
 トゥルースはクルスと並んで立ちながら、くわえ葉巻で焚き火を見つめる。
「ああ、いるよ」
「さっき思ったんだが、なんでこの森に枯れ枝があるんだ?」
「森をつかさどってる精霊がわざと落としてくれるんだよ。炎のために――」
 答えたクルスはふとトゥルースを見て、
「――もしかして、精霊に体を貸してくれるのかい?」
「ああいや、精霊と会うのはまた今度な」
 トゥルースは手を振った。緑の瞳の青年をまっすぐ見つめ、
「俺はクルス、お前さんに会いにきたんだ」
「僕に……?」
 クルスは首をかしげる。
「ちょいとばかり気になることがあってな」
 トゥルースは葉巻の煙をふうとふきだす。
 ぱちっと焚き火の炎がはじけた。
 トゥルースのズボンの裾に当たって、「あちっ」とトゥルースは声をあげた。
「ああ、すまない小屋に入ろうか――」
 ――トゥルースは再び片眉をあげる。そんな彼の表情の変化に気づかないまま、クルスは「どうぞこちらへ」と笑顔で小屋の入口までトゥルースを案内した。

 小屋の中には、暖炉があった。秋のこの時期には早すぎる気がしたが、不思議と暑いと感じない。
「その暖炉にも精霊がいやがるのかい?」
「ああ。だからこの小屋は一年中暖炉に火が入ってるよ」
「夏は暑かったりしないのかね」
「精霊は温度調節ができるからね。まあ僕の力で」
 手をつっこんでも火傷しないようにすることもできるよ――そんなことを言って、クルスは笑った。
「飲み物は熱いのがいいかい、冷たいのがいいかい」
「冷たくていい」
「OK」
 トゥルースの返事を受けて、クルスは水桶から水を汲み茶葉を入れた。ほどなくして、冷たくても香り高いお茶が完成する。
「アルコールじゃなくて申し訳ないね」
 そんなことを笑って言いながら、クルスはグラスをトゥルースに渡した。
 受け取ったトゥルースは葉巻を口から離し、一口飲んで、
「意外と甘いじゃねえか。渋いのを予想していたんだが」
「うちの樹の精霊の葉からできてる。健康にもいいよ」
 ひとつしかない椅子をトゥルースにすすめたクルスは、机にもたれながら自分の分のお茶を淹れる。
「それで――」
 こくんと一口お茶を飲んでから、クルスは口を開いた。
「僕に何の用だい?」
「………」
 トゥルースは葉巻をくわえなおして、
「なあ、クルス――」
 とくわえ葉巻で話し始めた。
「……お前さん、よく謝るよな」
「え?」
 きょとんと青年が目を丸くする。
「さっきもすまないとか申し訳ないとか――」
 トゥルースはぼりぼりと後ろ首をかきながら続けた。
「なぜ謝る?」
「なぜって……」
 クルスはつまる。困ったように眉根を寄せた。
「特にこの前の騒動のときだな」
 トゥルースは煙を吐き出しながら続けた。「たしかにあの騒動の原因はお前さんの過去がらみのことだったかもしれんがよ、嬢ちゃんらにしろ兄ちゃんらにしろ、手前の好きで手前の好きな奴らのために戦ったんだ」
「………」
「そこでお前さん、そんな奴らになんて言う?」
 トゥルースはまっすぐクルスを見た。
 クルスの視線は赤い視線を受け止めずに、虚空をさまよった。
「……あいつらが欲しいのは謝罪かい?」
 低い声で、問う。
「………」
「YESなんて言いやがったらゲンコ一発」
 拳を作ってみせて、トゥルースは険しい声を出した。
「僕は――」
 クルスは目を伏せた。
 トゥルースは口調をやわらげた。
「……あんま、あいつらを見くびんなよ。お前さんがどう思ってるか知らねぇが、あいつらはお前さんやこの森が好きなんだ。頭垂れてばっかのお前さんなんて見たかねぇさ」
「―――」
 クルスの口が、何か言いたげに開き――言葉が出ないまま閉じる。
 トゥルースは葉巻を口から離し、お茶を一口飲んだ。そして苦い顔をした。
「甘すぎる。あんまり俺らアルコール症候群に飲ませる茶じゃねえな」
「あ……すまな――」
「ほれまた一回」
 トゥルースはびしっと葉巻の先を向けた。
 クルスが少し背をそらす。
「話を戻すがよ」
 トゥルースは再び葉巻を唇の端にくわえ、「要するに……そういうわけだ」
 さぁて、とじっくりとクルスの緑の瞳を見つめ、
「ここまで言やあ、もうわかるな? お前さんはあいつらになんて言う?」
「………」
 クルスは――
 困ったように苦笑した。
「癖になっていたんだな……」
 青年は自分の分の茶を口に運んで一息ついてから、ぽつぽつと話し始めた。
「俺は……この森に来たとき、どうしようもなく荒れていた」
 トゥルースが眉を寄せる。
「先代のクロスエアが何度も何度も俺に言ったよ。『お前は自分のしたことがどういうことか分かっているのか。謝れ。心から誠意をもって謝れ』ってね」
 過去を思い出すように。遠くを見るような目でクルスは続ける。
「精霊にも何度も謝ったな――特に、樹の精霊に。彼女の樹液を採るために……泣きながら謝っていたっけ」
「それが今でもしみついてるってか?」
「………」
 クルスの視線が虚空を泳ぐ。
 トゥルースは待った。彼の返事を。
 いや――と、クルスはつぶやいた。
「うぬぼれて、いるのかもしれない」
「………」
「この森は僕のものだと。うぬぼれてしまっているのかもしれない」
 ――この森を開放したのはクルスだ。
 そしてもう、この森はクルスだけのものではない。
 クルス以外に、この森を護りたいと言ってくれる存在が現れた今では。
「気づいたなら直しゃいいさ」
 トゥルースは葉巻の灰を落とそうとして、落とす場所がないことに気づいた。
 仕方なく暖炉の火に落とす。
 暖炉の火が、反抗するように弾けた。
 トゥルースは思う。この暖炉にも精霊がいる。
 精霊たちが心を開くのはクルスだけだった時期があるはずだ。
 その時期が長ければ長いほど、クルスは精霊を護れるのは自分だけだと思い込んだろう。
 いや、実際に――
 今でも、本当の意味で護れるのは、クルスだけなのかもしれない。
 それでも……
「言えよ」
 トゥルースは口角を吊り上げた。
「何よりお前さんが言いたいはずだ。聞いてやる――言えよ」
 クルスは泣きそうに微笑んだ。唇が、たったひとつの言葉を口にする。

 ――ありがとう――

「本当は」
 緑の瞳の青年は言う。
「精霊たちが一番に言いたかったみたいだ」
 その言葉を。たったひとつの言葉を。
「……詫びていたのは、僕だけだった」
 精霊たちの声が聞こえるがゆえの、すれ違い。
 心のすれ違い。
「僕を過去から解放してくれてありがとうと、精霊たちは言ったんだ」
「………」
 トゥルースは暖炉を見下ろす。
 ――なあ、そこにいるお前さんも。
 お前さんも、クルスのために礼を言いたいと思うのかい――?
「ありがとう」
 言ったのは青年。
「ありがとう……」
 トゥルースは何気なく、暖炉から青年へと視線を戻す。
 青年は――
 瞳を閉じていた。

 ありがとう ありがとう ありがとう――

 彼の口を借りて、その言葉を紡ぐのは――誰だ?

 俺たちを助けてくれてありがとう
 私たちの大切な彼を護ってくれてありがとう

「……受け取ってやるよ。その言葉全部」
 トゥルースはつぶやいた。
 クルスが緩慢なしぐさで瞼をあげる。
 そして顔をあげて、ぱちぱちとまばたきをした。
「……ん? 何か今したか……?」
 青年は不思議そうに小首をかしげる。
 トゥルースは笑った。どうやら精霊たちが勝手に彼の体を乗っ取ったらしい。
 ぐい、と甘すぎるお茶を飲み干して、グラスをクルスに差し出す。
「もう一杯」
「口に合わなかったんじゃなかったのかい?」
「お前さんとこの樹の精霊の茶なんだろ。もったいねえ、飲んでいくさ」
 クルスはふわりと微笑んで、差し出されたグラスを受け取った。
 もう一度グラスにお茶を注ぐ青年の後姿を見ながら、トゥルースは先日の騒動のときに、ともに戦った仲間を思い出す。
 銀髪の青年や、小人の青年……
 思い出して、トゥルースは小さくぼやいた。
「……しかしまぁ、なんだ。あの坊やたちじゃねぇが、なんだってお前さんばっかモテるんだろね」
「ん? 何か言ったかい?」
「何でもねえよ」
「……なあトゥルース」
 クルスはお茶を淹れたグラスを手にこちらを向きながら、少し目を伏せた。
「僕は……精霊をちゃんと護れているんだろうか。結局はいつも街のキミたちに任せているのに」
「そうさなあ……」
 トゥルースはつぶやいた。
 ――この青年は分かっていない。精霊を助けるために人間が集まるのは、少なからず彼自身の人徳のせいでもあるということを。
「お前さんが全力を出してるんなら、護れてるさ。人に助けを求める勇気も力――だ」
「そうかい?」
「そうさ」
 何だか知らないが、妙に人を惹きつける体質であるらしい緑の瞳の青年に苦笑いを返しながら、トゥルースはもう一杯のグラスを受け取った。
 ぐい、と一気に飲み干す。
 体にしみこむように入ってきた甘い水分の感触が、なぜかとても心地よかった。


 ―Fin―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3255/トゥルース・トゥース/男/38歳(実年齢999歳/伝道師兼闇狩人】

【NPC/クルス・クロスエア/男/25歳?/『精霊の森』守護者】

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■         ライター通信          ■
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トゥルース・トゥース様
いつもありがとうございます、笠城夢斗です。
今回はゲームノベルにて、以前のノベルの不足分をおぎなってくださるようなプレイングをありがとうございました!本当に感謝です。言えてよかったです。
いたらない森の守護者ですが、これからも仲良くしてやってください。
よろしければまたお会いできますよう……

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