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■Night Bird -蒼月亭奇譚-■

水月小織
【5566】【菊坂・静】【高校生、「気狂い屋」】
街を歩いていて、ふと見上げて見えた看板。
相当年季の入った看板に蒼い月が書かれている。
『蒼月亭』
いつものように、または名前に惹かれたようにそのドアを開けると、ジャズの音楽と共に声が掛けられた。

「いらっしゃい、蒼月亭へようこそ」
Night Bird -蒼月亭奇譚-

 雨の降る日は気分が沈む。
 別に天気のせいではないのだが、いつものように蒼月亭にやってきた菊坂 静(きっさか・しずか)は、何だか周りにどんよりとした空気を纏っていた。見た目にもやつれ疲れているのが分かり、カウンターの中にいたナイトホークや立花 香里亜(たちばな・かりあ)は注文されたコーヒーを用意しながら様子をうかがっている。
 雨のせいか、それとも時間のせいか店の中には袖に羽毛の着いた細身スーツに黒のドレスハットを被った青年しかいない。
「静君、どうかしたんですか?元気ないですけど…」
 いつもなら明るく挨拶してくるのに、今日はカウンターに座ってから始終溜息ばかりだ。サービス用のパウンドケーキを出しながら、香里亜がそっと話しかける。
 すると静は困ったように笑いながら、また溜息をついた。
「しばらくずーっと中間テストに学力テスト、小テストに模擬テスト…来月に入れば期末テストに診断テスト…最近テスト詰めで、実はあんまり眠れてないんです」
「学生は大変だな」
 コーヒー豆をゆっくりと挽いているナイトホークが呟く。最近は週休二日制で学校へ行く時間は減ったのに、必修科目が減ったりしたわけではないので何かと大変なのだろう。テスト用の勉強をし、またその点数などを考えたりすると眠れなくなるのも仕方がない。
「なんだか顔色悪いですよ、大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ。テストが終わったら後は休めますし」
 そう静は言っているが、端から見て顔色が悪いのがすぐ分かる。いつもより大人しいだけでなく、元気や生気というものが抜けてしまっているかのようだ。
 心に元気や生気がなくなると、それはいつか体に還ってくる。このまま放っておけば眠れないだけではなく、食欲もなくなって来るだろうし、そうしているうちに体を壊しかねない。
「それは、何かストレス解消とか発散した方がいいかもねぇ」
 そう言って自分のカップを持ちながら、青年がそっと静に近づいてきた。それを見たナイトホークがあからさまに嫌そうな顔をする。
「静、そいつは浮かれポンチだから、あんまり本気で話聞くなよ」
「天才科学者様に向かってなんて事をー!」
 どこからどう見ても科学者には全く見えないその青年は、篁 雅隆(たかむら・まさたか)と名乗った。名刺は持たない主義ということなので、本人が本当に科学者なのかは全く分からないのだが。
「でも、ドクターの言うとおり、ストレス解消になることをした方がいいかも知れませんね。静君は何かそういうのないんですか?」
「うーん、特に意識したことがないです」
 これはストレスなのだろうか。
 具体的にそう言われてもあまりピンと来ない。ただ、学校には毎日行かなくちゃと思っているし、友人達と普通に昨日見たテレビの話などは出来るのだが、一人になるとふっと自分が何をしたらいいのかが分からなくなる。さっきまで友人と話していた話題も自分の感情を上滑りしていき、全く心に残らない。
「皆さんはストレス解消法とかあるんですか?」
 そう質問すると、まず香里亜が自分がしている赤いバラのブローチを指さしながら話し始めた。
「私ですか?少しぐらいのストレスだったら、大好きなアクセサリーを一個ずつ手入れしたりして一人で笑ってますよ。綺麗なものとか見てると、何かいいなぁーって思うんで」
 少しぐらい…ということは、別に何かあるのだろうか。そういえば、いつもニコニコしている香里亜が不機嫌なところを見たことがない。
「香里亜さんは、すごいストレスの時他に何かすることがあるんですか?」
「それは後でお話しするので、ナイトホークさんからどうぞ」
「えっ、俺?」
 いきなり自分にやって来ると思っていなかったナイトホークが、煙草を指に挟んだまま天を仰ぐ。いつもこの店にいるところしか静は見たことがないが、ナイトホークは一体どんなストレス解消法を持っているのだろう。
「それは僕も興味あります。ナイトホークさんはこういう時は何してるんですか?」
「ああ…俺、この店自体がストレス解消みたいなものだからな。好きな酒と煙草があって、好き勝手に出来る自分の城だし」
 それを聞いた雅隆が、静にそっと小声でこう言う。
「つまらないねー。もっと大人なストレス解消法とか知ってるのに言わないんだよ。きっとナイトホークのことだから、ものすごいエロ…」
「するか!この浮かれポンチ!!」
 パシッと軽い音が鳴り、ナイトホークの手が雅隆の頭を叩く。
「いたた…本気でぶったよ、この人。僕の脳細胞が死んだら世界規模の損失だよ」
「知るか、タコ!帰れ、去れ」
 ナイトホークと雅隆はお互い知り合いなのか、その掛け合いが何だかおかしい。まるで漫才のようにぽんぽんと会話が飛んでいる。
「ナイトホークさんとドクターは仲がいいんですね」
 クスクスと笑いながら言った静の言葉に、ナイトホークは一生懸命首を横に振り、雅隆は首を縦に振る。
「こんなアホと仲いいとか言うな、静」
「えー、仲良しだよぅ。仲良くしようよ、らぶあんどぴーす!」
 自分もこういう会話が出来るような出来るような誰かがいたら、この天気のような気持ちも晴れるのだろうか。そう思っているのに気付いたのか、ナイトホークが困ったようにふっと笑う。
「重症だな…俺じゃあんまり参考にならなくてごめん」
「いえ、ナイトホークさんがここを好きなことは分かってますから。だからつい安らぎに来るんですよね…」
 少しでもこの気持ちが晴れるように。
 少しでも傷ついた翼を休められるように。
 でもどうやったら自分のストレスがなくなるのかは分からない。何か趣味のようなものがあるわけでもないし、夢中になれるものがあるわけでもない。
 コーヒーを飲みながら考え込む静の顔を、雅隆が肘を突きながらじっと見る。
「うーん…『眠れない』ってだけなら薬で何とか出来るかも知れないけど、それじゃ根本的にはどうしようもないんだよねぇ。何なら、処方箋がないと絶対出せないようなすっごいハッピーになれる薬…」
「だからそういう危ないことを言うな!天然浮かれポンチめ」
 ゴッ…という鈍い音と共に雅隆が頭を抱え、ナイトホークが拳を握りしめる。
 いくら何でも、流石に薬の力で幸せになったらダメな気がする。それに雅隆の喋り方だと本当なのか冗談なのかあまり分からない。
「流石に遠慮します…ドクターのストレス解消法は何ですか?」
 静の言葉に雅隆がにこっと笑い、スーツのポケットから何かを差し出す。それは蒲焼きの味がする駄菓子や小さなガムの箱だだ。
「僕はねー駄菓子のやけ食いと超大人買い。普通に駄菓子屋に行って、大人買いするとすごい自分がお金持ちになったような気になれるよー」
「………」
 何というか無邪気な人だ。
 だが雅隆はニコニコと笑いながら、更に言葉を続ける。
「静君さぁ、この後何も予定がないなら、この後僕や香里亜ちゃんと一緒に付き合わない?実は人と待ち合わせしてるんだけど、多分楽しいと思うんだよねー。一日ぐらい勉強しなくても大丈夫だし、何なら僕が教えてもいいし」
「はい?」
 別に予定があるわけではないが、そのいきなりの提案に静が目をぱちくりとさせた。一緒に…はいいが、一体何をするのだろう。その先だった。
「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ」
 入り口のドアベルが鳴り、短めの黒い髪に長いチャイナ服を着た長身の男が入ってきた。手にはダンボールを持ち、そこから微かに何かの鳴き声がしている。
「あ、太蘭(たいらん)。待ってたよーぅ」
 雅隆の挨拶に無言で頷くと、太蘭は持っていたダンボールをそっとカウンターの上に乗せた。
「博士達を迎えに来るついでに、ナイトホークに子猫を見せびらかしに来た」
 その瞬間、ナイトホークがものすごい勢いでダンボールを覗き込む。
「うわっ、子猫だ。ヤバイ…まだ耳が横の方についてる。触っていい?つーか触る」
「うちの猫はしつけがいいから大丈夫だ。…そこの少年も抱いてみるか?」
 静の手に白黒の子猫が手渡された。それはほのかに暖かく、静の顔を見て高い声で鳴いている。
「可愛い…」
 そう呟きながら、思わず顔が緩んでしまう。ナイトホークも子猫を抱きながら、やっぱり同じように笑っている。
「ああーうちの店に足りないの猫だけだ。猫がいたら完璧なんだけど、店だと可愛がってやれないからなぁ…癒やされるー」
 ナイトホークは猫で癒やされるのか。これは初めて知った。
 横で見ていた雅隆や香里亜は、立ち上がり店を出る準備をしている。
「ナイトホークさん、じゃあ私あがりますね。太蘭さんのお家で猫堪能してきます」
「店ぶん投げて猫堪能しに行きてぇ…あ、太蘭。静も一緒に連れてってやって」

 静が連れてこられたのは、大きな蜜柑の木がある日本家屋だった。玄関を開けると猫が六匹皆を迎えるように待っている。
「よしよし、子猫たちを借りてて悪かったな」
 家に上がりながら静は辺りを見回す。
 歩いてくる間はずっと雅隆が「子猫より僕の方が可愛い」という事について延々と話していたのを皆で聞き流していたので、何をするのか全く聞けなかった。はたしてここに来て何をするのだろう。
「あの…これから何をするんですか?」
 その質問に、香里亜がふふっと笑う。
「静君、さっき私がストレス解消法の話をした時『すごいストレス』の時の解消法言ってませんでしたよね。これからそれをやるんです」
「えっと…武術とかですか?」
 和室が続くその広い家には、道場のような部屋があった。だが、そうすると雅隆と繋がらないし、道場も使ってないようで猫が走り回ったりしている。
「美味しいしきっと楽しいよぅ。僕は美味しい部分だけご相伴に来たんだけどね」
「美味しい?」
 ますます訳が分からない。
 ストレス解消になって、美味しいもの…それはいったい何だろう。
「香里亜さんのストレス解消法って、何なんですか?」
「ふふー恥ずかしいからあまり言いたくないんですけど…うどん打ちです」
 うどん打ち。
 その意外な言葉に唖然としていると、静の目の前にたたんだ作務衣が差し出された。
「学生服が粉で汚れると困るから、これに着替えるといい。博士は食べるだけだな」
「うん、僕は見て食べるだけー。あと猫に僕の方が可愛いって事を思い知らせるっ!」
 どこまでもマイペースな人だ。
 だが自分でうどんを打ったりするのは初めてだ。今日は香里亜が太蘭の家でうどん打ちを教えるという話だったらしい。雅隆は丁度その話をしたとき時一緒にいて、試食要員としてやって来ただけだった。
「今日は六人前ぐらいの分量で作りますね。余ったら茹でて冷凍できますから」
 水と塩を計り全部溶けるまでかき混ぜ、それを粉と混ぜてこねていく。最初はぼそぼそして混ぜにくかった物が、だんだん塊になっていくのが何だか楽しい。
「なんかだんだんまとまってきましたね…このままこねればいいんですか?」
「いえ、ひとかたまりになったら丸めてビニール袋に入れて一時間お茶でも飲みながら待ちます」
 うどんの手順は、こねて寝かせた後ビニールに入れて踏み、また寝かせて踏んでから伸ばして…ということで、結構ゆっくりとしている時間の方が長いぐらいだった。生地を踏むのも初めてだが、足に伝わる感触が楽しく、つい夢中になってしまう。
「なんか…自分で何か作るのって楽しいですね」
 すると太蘭が炭火で湯を沸かしながら、ふっと頷く。
「そうだな。自分が食う物を作るのはいい…みそや漬け物だったら待つ時間もあるが、それもなかなかいいものだ。少しは生気が戻ってきたようだな」
 そんなに自分は、初めて会った太蘭から見ても生気がなさそうだっただろうか。思わず生地を踏む足を止めると、香里亜が声を上げる。
「静君、足止まってます。とにかく踏んで踏んで踏みまくるんですよ。結構体力使いますけど、それが美味しいうどんになるんです」
「踏めー踏むんだー。僕が美味しいうどんを食べられるように、踏めーぇ」
「こうか?」
 しゃがみ込みながらそう言った雅隆の頭に、太蘭の足が乗った。

 出来上がったうどんは暖かいうちに生醤油をかけ卵と刻みネギを乗せたり、太蘭が作っておいた出汁で食べたりと、初めて作ったにしては美味しく出来上がった。
「美味しい」
 自分で作ったと思うとまた味も格別だ。踏んだり薄くのばしたりするのに多少手間取ったが、香里亜や太蘭が手伝ってくれたので、うどんの太さも均一でコシがある。
「やっぱり手打ちうどん美味しいねぇ。いつも一人でご飯のこと多いから、誰かと一緒だと箸が進むねー」
「そうだな。この家も広いが俺と猫しかいないから、誰かと一緒に食事をするのは久しぶりだ」
 雅隆や太蘭の言葉に、静は最近の自分を振り返った。
 ああ、そう言えば最近誰かと一緒に食事をしていなかった。それにテスト勉強に目がいきすぎて、こうやってゆっくりしたり体を動かしたりもしていなかった。眠れなかったのはもしかしたらそのせいなのかも知れない。
 たまには立ち止まって。
 周りを見て。
 そして自分の親しい誰かと一緒に時を過ごす…答えは簡単なところにあったのだ。
「静君、少しは元気になりましたか?」
 うどんを茹でながら、香里亜がそう聞いてくる。猫たちが静に擦り寄り、膝に乗ってくつろいでいる。
「はい…今日はゆっくり眠れそうな気がします」
 また眠れなくなったら…その時は蒼月亭に行こう。きっと誰かがそこにいて、自分の不安や色々なものを取り除いてくれるから。
 不思議な暖かさを感じながら、静はそっと箸を動かした。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
5566/菊坂・静/男性/15歳/高校生、「気狂い屋」

◆ライター通信◆
ご参加ありがとうございます、水月小織です。
皆のストレス解消法を知りたい…ということで、新NPCの二人も加わって何故かうどんを打つ話になりました。香里亜のストレス解消法が「うどん打ち」というのもちょっと可笑しいですが…どうしてパンじゃなくてうどんなのでしょう。
誰かと一緒に料理を作って、皆と食べるのはそれだけで何だか楽しいような気がします。
リテイク、ご意見は遠慮なくお願いします。
またのご来店をお待ちしてます。