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■Night Bird -蒼月亭奇譚-■

水月小織
【2778】【黒・冥月】【元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
街を歩いていて、ふと見上げて見えた看板。
相当年季の入った看板に蒼い月が書かれている。
『蒼月亭』
いつものように、または名前に惹かれたようにそのドアを開けると、ジャズの音楽と共に声が掛けられた。

「いらっしゃい、蒼月亭へようこそ」
Night Bird -蒼月亭奇譚-

 東京には空がない…。
 そんなことが書いてあったのは智恵子抄だっただろうか。だが空がないと感じるのはビル街ぐらいで、普通に街中を走っていたりすると、ちゃんと秋が来ているのも分かるし、東京という街もまんざらではないと黒 冥月(へい・みんゆぇ)は思う。
「はう〜、へろへろです…」
 蒼月亭の駐車場に走り着くと、その後ろから汗だくになった立花 香里亜(たちばな・かりあ)が一生懸命ついてきていた。冥月は息一つ乱れていないが、香里亜はかなり汗だくで座らないように何とか足を押さえて息を整えようとしている。
「無理に私に合わせようとするからだ」
「だって…」
 今日は香里亜の仕事が休みということで、一緒に走り込みの練習をしていたのだが、香里亜が「一緒に走ります」と頑張って冥月に着いてきたのだ。なのでペースはかなり落としたが、鍛えている自分に食らいついてくる辺りは根性はあるようだ。ただそれに持久力が付いていかないだけで。
 少しずつ息を整えよろよろとしゃがみ込もうとしている香里亜に、冥月は影からシートを出しながら檄を飛ばす。
「座るな、腕立て腹筋百回!それと修行中は老師と呼べ」
「が、頑張ります…。み…じゃなかった、老師!」
 かなり無茶な要求をしているのは分かっているが、それでも香里亜は十回ずつゆっくりと数をこなそうとしている。ただ、まだ筋トレを始めたばかりなので、腕立て伏せは膝をついた形でやらせているし、腹筋も完全に体を起こすのではなくある程度体を起こしたら五秒キープという感じだ。いきなり高みを目指してケガをされるのは、冥月としても本意ではない。
「いーち、にー…さーん…」
 自分から「鍛えて欲しい」と言っただけあって、香里亜の意志は固いようだ。
「数をこなすんじゃなくて、筋肉を意識しろよ」
「しーち…はい、老師…えっと、しーち?…はーち…」
 この辺は愛嬌と言うことにしておくか。
 つっかえながらも言われた何とか数をこなし、香里亜はシートに突っ伏した。その横に冥月がしゃがむと、香里亜は何とか起きあがってシートの上に正座しようとする。
「次は何をしたらいいでしょう、老師」
 流石にこれ以上は体が持たないだろう。香里亜に必要なのは基礎体力の向上と、低めの筋力を上げる運動だ。だが筋力を無理に上げすぎると、今度は持ち前の柔軟性を失いかねない。何事にも段階というものがある。
「今日はこれぐらいだな。後は風呂に入ってマッサージだ」
「お風呂!み…老師の所のお風呂ですよね。私の家だと二人で入ると狭いんで…」
 冥月は影の中にある亜空間に、自分専用のジムを持っている。別に香里亜の家にある風呂でもいいのだが、二人で入るには確かに狭いし、影内にある少し広めの風呂が香里亜はどうやら気に入ったらしい。
「もう老師じゃなくていい。行くぞ」
「はい、冥月さん」

 今日の入浴剤はイランイランのバスオイルだ。乳白色の湯に浸かりながら香里亜が満足そうにふぅと息を吐く。
「はう〜極楽…」
 十八歳のはずなのに、香里亜は時々妙に年寄り臭いことを言う。それにくすっと笑い、冥月も少し背中を伸ばす。
「そう言えば、握力もちゃんと鍛えてるか?」
「百円ショップで買った、かしゃかしゃ握るやつを時間があるときにやってますよ。本とか読みながらですけど。あと、ペットボトルのダンベル体操も言われたとおりにやってます」
 こうやって話していると、香里亜が言われたことを素直に守るということが分かる。急に成長するタイプではないが、こうやってじっくりやっていけば、いつかそれが実になるだろう。
「でも最初ここで体力測定した次の日は、全身筋肉痛でちょっと動きがロボでした。やっぱり運動してないとダメですね」
「筋肉痛の時にちゃんとマッサージで疲労を流すと共に、新たな刺激を加えないと鍛えられないからな。少し痛くても動かした方がいいぞ」
 そう言って冥月は香里亜に近づき、掌をマッサージする。
「あー、気持ちいいです。こうやって運動してたら成長して欲しいところが成長するといいなぁ…」
「それはどうかな」
 まだこだわっているのか。
 香里亜は自分と冥月を見比べ、少しだけ考え込む。
「あー、私も胸が大きくて肩がこるとか、Tシャツが伸びるとか経験したいです…」
「経験せんでいい!」
 ぱちゃ…とお湯が香里亜の顔に飛んだ。

「いらっしゃいませ、蒼月亭にようこそ…って、銭湯でも行ってきたの?」
 風呂にゆっくり入った後、冥月は一服しようと香里亜を蒼月亭に誘った。他の店などでもいいのだが、何となく話をしたいときはここを選んでしまう。
「冥月さんに鍛えてもらってたんですよ」
「なるほど。じゃ、体冷やさないものの方がいいか…冥月はブレンド?」
「そうしてくれ」
 いつものようにレモンの香りがする水が出され、それと一緒に小皿にクッキーが出された。ナイトホークがコーヒーの用意をしているのを見ながら、冥月は香里亜を見る。
「どうしました?」
 香里亜の能力について、冥月はずっと考えていた。
 香里亜の父が一度東京に来たときに、その力の方向性については聞いていた。それは『見える世界が違うだけでなく、その身に持つ力を暴走させれば別の世界を作り出してしまうほどの大きなもの』らしい。詳しいことを語ってはいかなかったが、要するにそれほど大きいものだということだ。
 それだけではない。
 似た力を感じた…と言って、阿部 ヒミコ(あべ・ひみこ)が『誰もいない街』に香里亜を引き込んだこともある。目覚めた力を暴走させて両親を殺してしまい、自分だけの世界を作り出してしまったヒミコと似た力…その力の本質はどこにあるのか。
「ヒミコが惹かれたのは同種の力故か…香里亜は能力を使い熟したいか?私は、その力は封印した方が幸せな人生を送れると思うがな」
 クッキーをつまんでいた香里亜が顔を上げ、少し上を見ながら考える。
「私は…出来れば自分の能力がどんなものか理解して、上手く使えるようになりたいと思ってます。封印してしまえば普通に生きていけるって分かっているんですけど、でも、やっぱりお父さんやお母さんから引き継いだ大事なものだと思ってますから…やっぱり冥月さんは心配ですか?」
 レコードが終わり、ノイズがプツプツ…という音を立て、また最初へと針がそっと戻っていく。何かを考えるように沈黙していると、冥月の目の前に湯気の立つコーヒーが出され、香里亜の方には透明のタンブラーに湯気と共にレモンの香りが立つものと、ハチミツの入った小さなポットが出された。
「お待たせしました、こちらブレンドになります。香里亜は運動後だって言うからホットレモネードな。…ごゆっくりどうぞ」
 それを出すとナイトホークはまたカウンター奥の定位置に戻っていった。そこでゆっくり煙草を吸いながらグラスなどの手入れをしている。香里亜はそっとハチミツを混ぜながらもう一度こう言った。
「やっぱり心配ですか?」
「当たり前だ。世界の創造が別の次元を創り出す意味ならいいが、世界を消滅させて自分の望む世界を創る力だったらと考えるとな…」
「世界の破滅…?」
 ヒミコの力は前者だ。自分の能力で、ヒミコは別次元に自分が望む世界を作り出してしまった。冥月が影にもつ亜空間もその類だろう。それであるのなら納得は出来る。ただ…その世界はいくら望んでも、誰かを招かない限り自分一人の王国に過ぎないが。
 もし、香里亜の力が後者だったら…そう考えると時々空恐ろしくなるのだ。
 香里亜の父は東京に来たとき『一人なら無理矢理にでも連れて帰ろうと思ってた』と言った。香里亜が絶望することで力を暴走させ、世界を消すようなことが出来るというのならその言葉の意味も分かる。
 ふーふーと両手でタンブラーを持ち、香里亜がレモネードに息を吹きかけた。
「私はこの世界が好きですから、出来れば壊したくないです。この前冥月さんが『どんな状況でも諦めず耐えて逃げ延び生き抜く覚悟を持て』って言ったのも、そういうことなんですよね…」
 コーヒーを飲みながら一つだけ冥月は頷く。
 その通りだ。
 生き抜く覚悟を以前説いたのも、絶望で身に持つ能力を暴走させぬ為のことだ。絶望で世界を破滅させたとしたら、おそらく香里亜はさらなる絶望に陥るだろう。自分が好きだった世界を壊したこと、自分が好きだった人を殺したこと…そうなる前に、強い心を持って欲しかったのだ。
 自分を失わず、己を保つ強い心を…。
「香里亜、一つ脅しておくぞ。何があろうと別の世界を望むな。常に自分を強く保て。たとえ誰かが死んでもだ」
 シン…とその言葉が静かに凛と響く。
 香里亜はタンブラーを持ったまま、一言だけこう呟く。
「それは、冥月さんでもですか?」
「私でもだ…」
 ややしばらく、沈黙が辺りを支配する。おそらく香里亜は色々なことを考えているのだろう。だがそれをどう口にしていいのか分からないようだ。普通に戦えば冥月が死ぬようなことはないだろうが、敵が見えない以上油断は禁物だ。ナイトホークも二人の話が聞こえているはずなのに、口を出さずに黙ってカウンターの中で煙草を吸っている。
「もし暴走した力が世界を壊すのなら、私はお前を殺してでも止めるぞ」
「…大丈夫です」
 香里亜がきっぱりとそう言った。タンブラーを両手で持ち、静かにゆっくり考えながら言葉を吐く。
「そうならないように、強くなりたいんです。まだ手探りで、多分冥月さんやナイトホークさんから見たらすごく心配なんだってのも分かるんです。でも私、好きなものを守りたいんです…」
「そうか、ちゃんと覚悟は伝わっているようだな」
 じっとカウンターの上を見ている香里亜の頭を、冥月はそっと撫でた。
 何があっても、こうやって歯を食いしばって耐える事が出来れば大丈夫だろう。絶望に陥っても、逃げずに立ち向かえるようなら世界を壊すようなことはないはずだ。
 どうやっても現実は変えられない。
 それがが世の摂理だ。冥月が今でも想っている恋人も絶対に生き返らない。たとえもし生き返ったとしても…冥月はそれを受け入れることは出来ないだろう。一つのわがままを通すということは、それだけ世界に歪みを作り出す事なのだから…。
 コト…と目の前にアップルパイが差し出され、二人を見てナイトホークがふっと笑う。
「ま、覚悟が出来てりゃ大丈夫だ。これでいて香里亜は結構頑固でねばり強いよ、見た目はちっこいけどな」
 今まで俯いて泣きそうだった香里亜が、その声にがばっと顔を上げ反論する。目の端が赤かったのに、既にそんな事を忘れてしまっているかのようだ。
「ひどい、ナイトホークさん私のことちっこいって言ったー!ナイトホークさんだって背は高いけど、本当はめちゃくちゃ日本人なのに!」
 めちゃくちゃ日本人…それを聞き冥月は思わず吹き出した。見た目国籍不明なのに、香里亜にかかればその一言で済んでしまうのか。
 持っていたタンブラーを置くと、香里亜はすっかり温まった手で冥月の手を取る。
「冥月さん、取りあえずの目標が出来ました。打倒ナイトホークさんです。いつかぎゃふんと言わせますからね!」
「はいはい、ぎゃふんぎゃふん」
 苦笑しながら、ナイトホークはシガレットケースから煙草を出してくわえている。本人は慰めたつもりなのだろうが、すっかり逆効果だ。
「香里亜、背の高い奴は下から見ると喉元ががら空きになるから、そこに一撃だな。それと男の急所は全員効くから、丁度よく届くぞ」
 ふっと意地悪そうに笑う冥月を見て、ナイトホークが困ったような顔をする。
「ちょ…お前等娘さん達は気軽に言うけど、アレは死ぬほど痛いから勘弁してくれ」
 そうだ、香里亜は一人じゃない。
 自分だけではなく、他にも香里亜を守ろうと思っている者はたくさんいるだろう。今はまだ心配することの方が多いが、それを止めるのではなく上手く飛んでいけるように手助けしていけば、自分の心配も杞憂に変わる…。
「よし、頑張って身も心も強くなりますね」
「そうだな、期待してるぞ」
 にっこりと微笑む香里亜の頭を、冥月はもう一度撫でた。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
2778/黒・冥月/女性/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒

◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
前回のゲームノベルが「前編」だとしたら、こちらは「後編」というところでしょうか…色々と香里亜に覚悟や決意、冥月さんの思いなど語ったり教えたりという話になりました。
香里亜の力に関してはまだ秘密なところが多いですが、これから鍛えられたりしていくうちに少しずつ明かしていこうと思っています。
すっかり「面倒見のいいお姉さんと、甘えっ子な妹」という感じです。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってくださいませ。
またよろしくお願いいたします。