■緋に染まりし人魚の涙(調査編)■
緒方 智
【1926】【レピア・浮桜】【傾国の踊り子】
「レム?!!いるんでしょ!!ここを開けなさい!!」
珍しく切羽詰った腐れ縁の彫金師・リーディスの声とともに荒々しく叩かれる扉。
いつもの事とそ知らぬ顔をするレムに使用人は小さくため息をこぼし、しばしお待ちを告げながら扉を開け―その光景に絶句した。
左肩が異様に大きく腫れ上がり、鮮血に染まるわき腹を押さえる弟子。その弟子に肩を貸して支えて蒼白となったリーディス。
ただならぬ二人の姿にさすがのレムも声を荒げた。
「すぐに奥へ運べ!ミーミルの賢者殿から頂いた薬草を。」
「それよりも応急で回復魔法を!!」
「分かった……湯を大量に沸かして置いて。意識はあるね?薬湯も支度しよう。」
うららかな昼下がりはこうしてあっけなく崩れ去った。
奥にあるベットに運ばれた少年は呼吸を荒げ、全身を襲う苦痛に耐える。
湯と薬草の準備に台所へ駆け込む使用人を横目にレムとリーディスは二人がかりで回復魔法をかける。
柔らかな白い光が傷口を包みこむと徐々に少年の表情が和らぎ、やがて小さな寝息を立て始める。
それを見届けてレムはようやく人心地つくと、ベット横の椅子に座り込み、リーディスを睨みつけた。
「一体何があった?」
「……まさかこんなことになるとは思わなかったわよ。この子、『アンタ』の弟子の割りに素直だししっかりしてるから厄介ごとに巻き込みたくなんかなかったわよ。」
ところどころに棘を出しながらリーディスは大きく肩を落とした。
海辺の街・マリードの大商人から宝石を彫金して欲しいと依頼があり、たまたまエルザードにいた少年も誘って訪ねた。
だが宝石を一目見たリーディスはその依頼を断った。
ところが、それを不服とした商人が領主の兵まで動かして襲ってきたという。
「どういうことだ?それは。」
「元々は領主の長男坊が商人に加工するように依頼したらしいんだけど、その宝石……相当ないわくつきよ。」
「いまいち分からないんだけど?」
宝石で右に出るものはいないリーディスが『いわくつき』というからにはそれなりのものがあるだろうが、それでなぜ弟子がここまで重傷を負わなきゃならないか理解できなかった。
「人魚の呪いよ。あいつら、何かしでかしたのよ。それで私を利用しようとしたんだろうけど、この子に阻まれたから……」
悪かったわと謝罪するリーディスにレムは小さく首を振った。
「だけど、それだけじゃすまないね……マリードの話は私も耳にしている。ここ最近、原因不明の病が急速に広まっているって。」
一度調べた方がいいかもしれない、とレムは呟いた。

緋に染まりし人魚の涙(調査編)


「その調査、引き受けるわ。」
艶やかに笑うレピア・浮桜は一瞬呆気に取られて固まるレムとリーディスにずずいっと前に出る。
なんだか、いや、間違いなく熱い視線で見つめてくるレピアにレムは半歩間を置いてようやく言葉を紡ぐ。
「え…っと、貴女は?」
「あたし?あたしはレピア・浮桜。踊り子よ。」
「それで……一体どういうご用件で?」
未だに硬直しているリーディスを尻目にレムはついっと目を細めた。
奥には重傷の弟子がいる。
普段なら笑って事態を受け流すが、状況が状況だけに警戒が先に立つ。
が、返ってきた答えは至極当然のものだった。
「実はね〜あたしの金細工の調子が悪くて。で、ここに腕のいい彫金師がいるって紹介されて訪ねてきたの。」
「あ、そうなの。」
「でも、なんだか大変なようだし、あたしでよかったら手伝わせて。」
満面の笑顔でレピアに迫られ、返答に窮するレム。
確かにマリードの件を調べたいが、いきなり関係のない客を巻き込むのはどうかと迷う。
「なぁ〜に迷ってるのよ!!レム。貴女にしては『出来過ぎた』弟子が大怪我したのよ?天の采配と思って引き受けてもらいなさい!!」
「いや……分かったわ。危険があるかもしれないがお願いできますか?」
『腕のいい』の一言に殺気立つリーディスにレムは反論を止め、交渉へと勧める。
「もちろんよ。けど……あたし、昼は石化しちゃうの。マリードまで荷物で送ってもらえる?」
レピアの言葉にレムは一瞬、瞳を細め―大きくため息をこぼす。
隣で茶を飲んでいたリーディスも気付いたらしく、苦笑を浮かべる。
「ギアス(制約)とはまた……大丈夫なの?レム。」
「言われたくないわね〜リーディス。」
一体誰のせいだと目で言われ、あらぬ方向に視線をそらすリーディスを無視して、レムは改めてレピアを見た。
「目撃されたようだけど、危険だと分かってるね?」
「分かってるつもり。大丈夫よ。」
にっこりと笑い返されてレムは覚悟を決めたように微笑すると、右手を前に出すと、その手のひらに柔らかな光が収束し、薄い翠の輝石が嵌めこまれた腕輪が現れる。
「石化している間、災いから身を守ってくれる護符。前金代わりにあげるわ。条件は無事に戻ってくること。報酬として金細工部分の修理は無料で行いましょう。」



調査を引き受けた海辺の街・マリード。
美しい湾岸と紺碧の海の織り成す絶景で知られる観光名所だった。
が、このところ突如流行りだした原因不明の病の波にゆっくりとだが確実に飲まれていった。
レムとリーディスの伝手を使って、信用における宿に送られてきたレピアは黄昏が空を覆い尽くす頃、自身を戒める呪縛が解かれるとともに女将のところに顔を出した。
「話は聞いてるよ。聖都で一・二を争う踊り子なんだって?ここにいる間は好きなように動きな。」
あの坊やに世話になったからね、と豪快に笑いながら女将は奥へ消えた。
「坊やって……誰?」
疑問に思いながらもレピアは身支度を整え、夜の賑わいに満ちた酒場へと繰り出した。
飛び交う歓声の中心にいる踊り子―レピアは愛想を振りまきながら踊る。
鬱屈した空気が街を覆っている反動か、聖都から来た美姫の華麗なる舞に海の男達の熱狂した。
陽気な音色が終わるに巻き起こる喝采を受けながら、レピアは優雅な足取りで店主の待つカウンターへ向う。
「いや〜やっぱり、聖都の踊り子は違うね〜今まで何人も流れの踊り子を見てきたが、あんたみたいな美人は初めてだ!」
思わぬ大盛況にご満悦の店主はレピアを褒めちぎり、特製のカクテルや料理を振舞う。
「おいおい、独り占めするなよ。」
「そうだそうだ!!なぁ〜踊り子のお嬢さん、俺達もお仲間に入れてくれよ!」
「聖都から来たんだって?ここには観光か?」
奇病のせいで鬱々とした日々を送っていただけに男達は滅多にお目にかかれない美人の登場が天の僥倖に思えた。
「どうもありがとう。楽しんでもらえた?」
無骨な海の男達の賛辞を受け流し、レピアはにっこりと笑いかける。
「綺麗な海が見えるって聞いて立ち寄ったんだけど、噂どおりの風景だったわ。」
「おうよ、俺達の自慢だものよ!!」
「なんせ海の精霊や人魚が住む海だしな。」
「けどよ〜最近はみょ〜な病がはやってるからな。客も減っちまったから」
けっこう寂れちまったよ、と笑う男に他の男達からもあちこちから声が上がる。
同じ頃から海の守護者であり眷属の人魚の姿が見えなくなったな、と額から頬にかけて大きな傷を負った壮年の男の言葉にレピアはほんの一瞬瞳を光らせる。
「そういえば、御領主様の御子息様がそれは見事な宝石を持ってるって聞いたけど……さぞ綺麗なんだろうね。」
気取られぬよう、レピアはうっとりとした表情を浮かべ、わざとらしく大きくため息をつく。
宝石に憧れを抱かぬ女性というものは少なくない。疑いを微塵にも感じさせず話を持っていったが、男達の反応はレピアの予想を裏切り、どこかよそよそしい。
まるで触れてはならない禁句を口にしたかのように押し黙ってしまう。


「どうかしたの?」
「一の坊ちゃまの……だろ?」
「悪いことは言わねーよ。関わるのは止めな、ろくな目に遭わねーよ。」
不信に思ってレピアが問うと、先ほどの傷の男がやや気まずそうに視線を泳がせ、ジョッキを煽っていた男が低い声で呟く。
見ると他の男達もあらぬ方向に視線を泳がせたり、黙り込んだまま酒を口に運ぶ。
思わぬ事態にさすがのレピアも困惑の色を隠せなかった。
しばし沈黙が流れた後、それまで黙ってカウンターの隅で酒を飲んでいた老人が口を開いた。
「前にもね……そのことを聞いて回っていた子がいたんだ。俺達も酔いに任せていろいろと話しちまったんだ。」
思い出したくもない光景を思い出したのか、老人は一気に酒を煽る。
憂さ晴らしとばかりに面白がって話した事柄が今にして思うと奇妙に一致する。
おそらく、自分達の知らないところで何か恐ろしい事が起こっているのではないか?
それに気付いたがためにあんな事が起こったのではないかと思うと、自然と口が重くなる。
「あんなこと?」
「呪われてるんだよ、一の坊ちゃまの宝石は。」
「御用達の商人とこに呼ばれた聖都の彫金師が断っちまったくらいだ…よっぽどのことだ。」
「あの坊主、その彫金師の連れだったんだろ?何かあったんだ。」
何かに怯えるように口々に言い募る男達にレピアは気付かれるよう小さく息をつく。
これは予想以上に手ごわい。
断片的なことから、彼らの言う坊主がレムの館に担ぎ込まれたあの少年で、何かを掴んでいたということ。
その為に襲われ、大怪我を負ったということだろう。
けれど、彼が掴んだことがなんなのかを知らないと話にならない。
「けどよ、坊主に話したのは坊ちゃんが宝石を手に入れってから人魚が姿消しちまったことだけだぜ?」
「そうだよな。あのことは誰も言ってねーしよ。」
頷きあう一同にレピアは小首をかしげる。
「岬の祠でおかしな声が聞こえたって話だろ。」
「おう、すげ〜おっかね〜声で『我が怨み、覚えておくがいい。呪われよ。呪われよ。』って」
「それなら俺も聞いたぜ。なんでも海から血まみれの人魚が現れるって話だ。」
風光明媚な観光地には似合わぬ生々しい話にレピアの背筋に冷たいものが走る。
思わず身震いするレピアに気付き、口火を切った老人が苦笑して男達を睨めつけた。
「いい加減にせんか。確かに坊主の知らん話だが、この踊り子のお嬢さんには関係ないじゃろ?」
「ご隠居の言うとおりだ。大体、宝石の話からそうなるんだ?」
「そーいや、そうだったな!」
やれやれと店主が呆れ混じりに言うと、生来陽気な性質の男達ははじけたように大笑いを始める。
あっという間に場の空気が変わり、別の話題へと転じていく。
その展開の速さにレピアはややついていけないものを感じながら、必要な情報が入ったことに安堵の笑みをこぼした。

「血……血まみれの人魚って。」
「完璧な呪いじゃないの?レム。」
荷物として戻ってきたレピアからの報告に彫金の手を思わず止めるレムにリーディスは顔面を蒼白にする。
冗談ではない。
曰くがあると思っていたが、まさか血まみれの人魚まで出てくるとは思っても見なかった。
こういうことに意外と弱いリーディスは軽い貧血を起こし、ソファーに倒れこむ。
「あの馬鹿弟子、何調べてたのよ……」
「ホントにびっくりしたわね。あの後もさりげなく聞いてみたら、人魚達が消えた時期とか宝石の出所とかを聞いて回ってみたいね。」
調査の必要がないくらいに、と付け加えるレピアにレムは本気で眩暈を覚え、ソファーに倒れこんでいるリーディスを睨みつけた。
「元を正せば、アンタがよけーなことに巻き込むからだ。どうしてくれる?」
「悪かったわよ!でもね、あの子は私が危険な目に遭わないように動いてくれたんじゃない。むしろ褒めてあげるべきよ!」
気持ちよく笑い声を始めるリーディスを無視して、レムは呆気に取られているレピアを見る。
「修理は終わったわ。危険な目に遭わなくて何よりだったわね。」
「気にしなくていいわ。でも…これって、やっぱり。」
何かを感じ取ったかのように怯えるレピアにレムは認めたくはないが認めざるを得ないとばかりの表情でうなづいた。
「完全に人魚の呪いね。関わりたくはないけど。」
これで終わるはずがないと思うが、できればこれ以上関わらずに済めばいいと願わずに入られないレピアにレムは返す言葉もなく苦笑するしかなかった。

FIN

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1926:レピア・浮桜:女性:23歳:傾国の踊り子】

【NPC:レディ・レム】
【NPC:リーディス】

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■         ライター通信          ■
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こんにちは、緒方智です。
ご依頼いただきましてありがとうございます。
お待たせして申し訳ありませんでした。
今回のお話いかがでしたでしょうか?
何かとんでもない事態があるようで、大変だったかもしれません。
無事戻ってこられて何よりです。
また機会がありましたら、よろしくお願いします。

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