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■ランチタイム・ティータイム■

神無月まりばな
【2269】【石神・月弥】【つくも神】
  異界「井の頭公園」の一角には、重厚な造りの和風店舗がある。
 ミヤコタナゴのみやこが店長を務める、その名も『井之頭本舗』。
 店を始めたばかりのころはてんてこまいだったが、仕事熱心でしっかり者のみやこは、最近は店長業務にも慣れてきたようだ。
 日々忙しくなる店を切り盛りするために、水棲生物のお嬢さんがたの他、他の異界にも、アルバイトスタッフの応援を頼んでいる。

 ゆえに、たとえボート乗り場が閑散としていても、『井之頭本舗』には、にぎやかな笑い声が絶えることはない。 

 +++ +++

 あ、こんにちは。いらっしゃいませ。
 徳さんのお蕎麦が、お目当てですか? どうもありがとうございます。
 よろしかったらこちらへ。窓辺の席の方が、眺めがいいですよ。
 すぐに、おしぼりとお冷やをお持ちしますね。
 おすすめはテーブルのメニューの……はい、赤い花丸がついているのがそうです。

 弁天さまがお留守だった……?
 いえ、いらっしゃいますよ。2階の「インターネットカフェ・イノガシラ」で油を売ってらっしゃいます。お呼びしましょうか? ……別にいい? ですよね、せっかくゆっくりしにいらしたのに、騒がしくなって落ち着きませんもんね。
 
 もし、お話相手がご希望でしたら……そうそう、他異界からアルバイトに来てくださってる方はいかがですか?
 廻さんとか、アンジェラさんとか、糸永さんとか、紫紺さんとか、道楽屋敷のメイドさんとか。
ランチタイム・ティータイム 〜一触即発? スカウトの行方〜

 時間が経つのは、早いものである。
 全世界全異世界全並行世界を問わず、いわゆる「時間」というものが流れている場で暮らしている人々にとって、それは揺ぎない実感であろう。
 蔵の中で100年を過ごした石神月弥にとってもそうであったし、また、遥かなる異世界、エル・ヴァイセで権勢を振るっている女宰相、マリーネブラウにとっても、それは同様であった。
 月弥のほうは、その魔性ともいえる魅力と、人好きのする朗らかな性格が相乗効果を醸しだし、向かうところ敵なしというかどんな凶暴モンスターも魅了で金縛りというか、まあつまり、100年の蓄積はそれなりに意味をもつ人生(つくも神生)を送っていると言えよう。
 かたや、マリーネブラウのほうはと言えば。
 かつて、「陽光の聖女」と呼ばれ、王国を二分した内乱の時には、当時の宰相であった闇のドラゴン、デューク・アイゼンを裏切ることによって、光のドラゴン、ゲオルク・ヴュッセルを勝利に導き――そして今は、デュークが去ったために空いた宰相室を占有している。
 現王も、側近のゲオルクも、もはやすっかりマリーネブラウの精神的支配下にあるし、彼女に反感を持っていた世継ぎの王子や、目障りだったデュークの妹も「聖獣界」へ亡命した結果、ますますエル・ヴァイセ王国は、マリーネブラウの独壇場になりつつある。
 外野から見れば、それはそれで輝かしい人生(サラマンダー生)であろう。
 だがそこに、落とし穴も存在するのである。
(……何て事かしら)
 取れたての蜂蜜のような黄金色の太陽が、蒼い空に照り映える午後。女宰相閣下は、事務官長からもたらされた本年度分の「幻獣人口白書」を見て、いつになく深い溜息をついた。
(最近の亡命者数の増加は、目に余るわ。片っ端から『東京』とか『聖獣界』とかに流れていって……。特に『東京』に行く若い女性が多すぎるわね。このままでは、男女比が崩れて少子化問題が発生するかも)
 ――少子化問題。
「東京」の政治家の頭をも悩ましている超難問に、マリーネブラウも直面しつつあった。
(どうしてこんな……。いえ、原因はわかっているのだけど)
 東京に亡命したデュークに続き、彼の指揮下にあったキマイラ騎士団(構成員数百名)も、団長ファイゼ・モーリスに率いられ、揃って後を追いかけた。デュークに心酔しているキマイラ騎士団の連中もまた、マリーネブラウにとっては扱い難い存在であったから、出て行ってもらうこと自体は構わないのである。構わないのだが。
 問題は、キマイラ騎士団所属の騎士たちは、王国中から選りすぐった、容姿端麗にして武芸に優れた者が揃っていた、ということである。早い話、美形幻獣人口がどんと流出したのだ。そして若い娘たちは、その流出に影響されたのだった。
(どうしたものかしらね)
 デュークだけなら呼び戻してもいいとは思っている。だが、騎士連中までくっついて戻ってくるのは、ちょっと鬱陶しい。
 さりとて、これ以上若い女性人口が減るのは、避けなければならず……。
 そこまで考えて、はたと思い至る。
(……そうだわ。逆に考えればいいんだわ。東京からエル・ヴァイセへの亡命者が、いればいいのよ)
 それも、吸引力の強い、魅力的な人材が望ましい。彼なり彼女なりを追いかけて我も我もとやってくるような、そして、「このひとがエル・ヴァイセにいるんだったら、わたし、どこにも行かなぁい」と言わしめるような。
 ……まったく、時間が経つのは早い。
 あの内乱が起きる前は、よもや、自分が少子化問題で悩む日が来るとは思いも寄らなかった。
 宰相室の壁に飾ってある、デュークの等身大肖像画を一瞥してから、マリーネブラウは異界通路を繋いだ。
 ――東京の、とある公園へ行くために。

 □■  □■

「こんにちはー」
『井之頭本舗』のドアが開き、ひょっこりと月弥が顔を覗かせる。
 本日の外見年齢は9歳になったばかりという雰囲気である。それも春先あたりの初々しさ、まだ桜のつぼみは固く閉じ、爛漫の季節にはまだ早いけれど、それでも和らぎ始めた風を受けてふっと揺れる午後、という、魔性の宝石にしか現出不可能な技巧を凝らしている。耐性のないものなら、ひとめ見ただけで「参りました!」と降参しそうだ。
「まあまあまあ。月弥さんじゃありませんか。いらっしゃいませ!」
 店の制服である和服エプロンに身を包み、小走りに出迎えたのは、いったいどんな裏事情があるのかは不明だが、『井之頭本舗』で鋭意アルバイト中のアンジェラ・テラーである。
「あれ? アンジェラさんがいる。久しぶりー」
「本当、お久しぶりですわね。二人三脚以来でしょうか。はう……。相変わらず魅力全開ですわー」
 窓際の明るい席に月弥を案内し、メニューを渡してコップを置……こうとしたが、その手はがたがたと震えている。
「あまりの魅了に、わたくし、緊張してコップを取り落としそうです。というか、眩しくて固まってしまいそうですわ。弁天さまー。わたくしが月弥さんの魅了に封印されたあかつきには、解除してくださいねぇ?」
 後方に向かって叫んだアンジェラには、「東区三番倉庫街に、着払いゆうパックで送付してやるわい!」という、弁天の返答が返ってきた。
「……厭ですわね、世知辛い。せめて送料は、発送者持ちが基本じゃありませんこと。月弥さんは、あんな大人になってはいけませんよ?」
 やれやれと肩を竦めてから、アンジェラは、空中からふい、と、オーダー用紙を取りだした。
「それではご注文をお伺いいたしますわ。今日のお勧めは、秋の新作の『かぼちゃのムース』『やきいもプリン』『焼き栗入り大福』ですのよ」
「じゃあ、おすすめ全部、お願いしまーす」
 メニューをひととおり眺めたあとで、月弥はにこにこと言った。
「あと、アンジェラさんも、お願いしまーす」
「ま」
 書きかけのオーダー用紙に、びりっと穴があく。衝撃のあまり、アンジェラのボールペンを持つ手に力がこもりすぎたのだ。
「つ、月弥さん。そ、それはど、どういう」
「アンジェラさんとお茶のみながら、お話したい。おしごと中だから、だめかな?」
 うるっと潤んだ瞳の威力をまともにくらい、アンジェラは、銀の弾丸を撃ち込まれた吸血鬼のごとくにふら〜〜〜とよろめいた。
「だ、だめなんてそんな。あ、あまりにも光栄でわたくし」
「こらぁ! だらしないぞ、アンジェラ。ご指名とあらば、受けて立てい!」
 すたたたっ、と後方から走り出てきた弁天が、アンジェラの背を支え、月弥と向かい合わせの席に座らせる。
「あ、弁天さまー。こんにちは」
「うむうむ、よう参ったのう。アンジェラのことは、煮て食うなり焼いて食うなり都市伝説の考察について語り合うなり好きにせい。オーダーは、わらわが運ぼうぞ」

 □■  □■

「『大都市の下水道には、巨大なワニが生息している。それは逃げ出したペットのワニが、増殖したからだ』という、まことしやかな噂がありますわね」
「しゃくじい公園のさんぽうじ池には、ワニがいたよ」
「そうそう、三宝寺池にワニの死体が浮かんでいたことが、実際にありましたわね。石神井公園も、もしかしたら異界化しているのではないかと、わたくし怪しんでおりますのよ」
 月弥とアンジェラは、本当に、お茶を飲みながら都市伝説話に花を咲かせていた。
 今日のネタもとは、練馬区石神井町にある石神井公園内三宝寺池である。ちなみに、井の頭公園の井の頭池、杉並区の善福寺公園の善福寺池、石神井公園の三宝寺池は、合わせて武蔵野三名池と呼ばれているらしい。
 どうやら三宝寺池には(にも?)、いろんなものが棲まっているようで、明治8年の秋には巨大なうなぎが現れたとか、牛のような耳を垂らした龍を見かけたとか、額に鳥居の印のある謎の魚が存在するとか、なかなか人材豊富である。
 そんな妖しげな内容を、まったり楽しく語らっていたところ。

 ――突如。
『井之頭本舗』のど真ん中に、異界通路がぽっかりと口を開けた。
 火蜥蜴をあしらったハイヒールをかつかつと鳴らし、闖入者は現れたのである。
 真紅のショールを、翻して。
 
「そこのあなた!」
 月弥を見るなり、挨拶もなく、マリーネブラウは傍に立つ。
「東京なんかにいるのは惜しい子だと、高峰温泉で会ったときから思っていたのよ。悪いようにはしないから、エル・ヴァイセにいらっしゃい」
 ……高峰温泉で月弥と顔を合わせた時は、サラマンダーの姿で戦闘状態だったはずだが、そんな非常時でも目をつけていたとは、恐るべしマリーネブラウ……いやむしろ、恐るべしは月弥の潜在的魅了能力であろうか。
 しかし月弥は、マリーネブラウを見ても「……このひと誰だっけ……?」と首を傾げただけで、すぐにアンジェラとの会話に戻る。
「さんぽうじ池にも、弁天さまはいるんだよね?」
「しーっ。月弥さん、それについて追求してはなりませんわ。確かに、石神井公園の厳島神社にも弁財天は祀られているようですが」
「そのこと、弁天さまに聞いたらだめ?」
「他所の弁天さまとは、縄張り争いとか大人の事情とか、いろいろあるようですの。スルーが吉でしてよ」
 アンジェラも、マリーネブラウの登場は無視することに決めたようだ。
 何事もなかったように、ティータイムは続行される。
「弁天さまー。紅茶のお代わりくださーい」
「わたくし、おせんべいがいただきたいですわー」
 月弥とアンジェラは、明るく声を揃え、後方に叫ぶ。
「あいわかった」
 すぐに追加オーダーを持ってきた弁天も、ちらっとマリーネブラウに視線を走らせただけで、
「……何やら大きなトカゲが迷い込んでおるのう。ま、気にせねば良いか」
 と、さっさと奧に引っ込むのだった。
 
「ちょっと! 聞こえてないの?」
「あのねアンジェラさん、さっき、ここに来る前、弁財天宮によったらね。カウンターで、蛇之助さんがお守りを売ってたの」
「あらぁ、お仕事大変ですわね。お守りってどんな?」
「あのねえ! 私は異界通路を開いてまで、わざわざここに来てるのよ!」
「『えんむすび』のお守りだって」
「愉快な冗談ですわね。……それ、売れますの?」
「エル・ヴァイセは異世界なのよ! 簡単に来れるわけじゃないのよ! なんなのその態度!」
「売れないみたい。在庫ばっかりふえて、どうしましょう、って言ってた」
「多角経営に走るより、『銭洗い弁天』の営業でもなされば宜しいのにね」
「あーなーたーたーちー!!!」
「あ、それ、来年やってみるんだって。弁天さまがみんなからお金あずかって『とうししんたく』するって」
「ぜんぜん『銭洗い』じゃないどころか、むしろ詐欺ですわね。騙されないようにしませんと」
「ghどsb〜Bづb! ふ分jk=dほhsbb@っ!!!!(幻獣語通訳機を用いても解読不能)」

 □■  □■

 やがて、マリーネブラウが声を涸らし息も絶え絶えになったあたりで、おもむろにアンジェラが立ち上がり、
「もうお気はすみまして? お客様のご迷惑になりますわ。お帰りはあちらでしてよ」
 と、えいっと背を蹴って、異界通路に強制送還した。
 そして、貴重なティータイムは守られたのである。

「あのひと、何しにここに来たのかな?」
 小首を傾げる月弥は、これが、エル・ヴァイセの人口減少を食い止めるための宰相直々のスカウトだったことに、未だ気づいていない。
 ――自分の『魅了』のすさまじさにも、である。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2269/石神・月弥(いしがみ・つきや)/無性/100/つくも神】

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■         ライター通信          ■
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こんにちは、神無月です。
この度は、アンジェラさんとマリーネブラウのご指名、まことにありがとうございます。魅了追求のため、外見年齢をえらいこと詳細に設定してみました(笑)。スカウトされても、エル・ヴァイセに亡命しちゃいやですよ? ずっと東京にいてくださいね。