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■過去の労働の記憶は甘美なり■

水月小織
【2778】【黒・冥月】【元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
東京では仕事を選ばなければ稼ぐ手段に困らない。
かと言って、紹介する者を選ばなければどんな目に遭うか分からない。
いつものように『蒼月亭』のドアを開けると、こんな文句が目に入ってきた。

『アルバイト求む』

さて、ちょっと首を突っ込んでみようか…。
過去の労働の記憶は甘美なり

「そういえば、アジアシリーズは日本が優勝しましたよねー」
 静かな昼下がりの蒼月亭で、黒 冥月(へい・みんゆぇ)の前にコーヒーを差し出しながらそう言ったのは、ここの従業員である立花 香里亜(たちばな・かりあ)だった。
 既に日本シリーズの余韻も冷め、プロ野球は来シーズンの話題へと移っているが、香里亜はまだ熱気が残っているらしい。
 冥月はカップを自分の方に寄せながら、ふっと一つ溜息をつく。
 季節の移り変わりは早い。つい最近まであの熱気が自分達の近くにあったことすら忘れていたが、あの事件は色々と大変だった。
 日本シリーズ最終戦の裏で、人知れず行われていたもう一つの戦い……。

 それはまだ十月のことだった。
 いつものように蒼月亭にやってきて、冥月は休憩中の香里亜に軽い護身術を教えていた。
「羽交い締めにされて、両手が使えないときはだな…」
「なるほど…まずはとにかく落ち着くことが先決なんですね」
 本格的な技を教えるのはまだまだ先になるだろうが、咄嗟に痴漢などにあったときの撃退法はそのまま武術に応用出来る。それにまず『パニックにならない』というのは、全てにおいての鉄則だ。
 冥月の隣で香里亜が一生懸命言われたとおりにそっと体を動かしている。そんな時だった。
 何処かからかかってきた電話に、ナイトホークが素っ頓狂な声を上げる。
「はい?爆弾探せる奴?」
 何だかいきなり不穏な話だ。それに冥月と香里亜が話をやめ、電話にそっと聞き耳を立てると、ナイトホークが受話器の口を手で塞ぎながら困ったように二人に向かってこう言った。
「何か日本シリーズ第七戦の球場に爆弾仕掛けたって電話があったって…ちょっと待って」
 時はまさに日本シリーズまっただ中だった。
 「名古屋ドラゴーネス」と「北海道帝国ハムウォリアーズ」が今年の覇者で、確か今日が三勝三敗の最終戦で、札幌にある「ホワイトドーム」で行われるはずだ。冥月自体野球にものすごく興味があるわけではないのだが、それぐらいはニュースで知っている。
「爆弾って…大丈夫なんでしょうか」
 心配そうに問う香里亜の頭を撫で、冥月はそっとナイトホークと電話の相手の会話に耳を傾ける。
「相手チームのファンって…アホか、その爆弾犯は」
 犯人は国際指名手配の爆弾魔『岡村 真司(おかむら・しんじ)』で、今夜帝国ハムが勝ったら球場を爆破すると予告しているらしい。ふと時計を見ると、時間は既に午後二時を回っている…試合開始は午後六時半。既に球場には、早い入場者が集まり始めている頃だろう。
「理由はどうでもいいんだ。奴は破壊規模と残虐さで有名な無差別快楽殺人者で、多分この犯行声明も悪戯じゃない」
 電話の相手はどうやら香里亜の父である立花 和臣(たちばな・かずおみ)からのようだった。和臣の話では既に球場では選手が練習を始めている状態で、試合中止でも球場を爆破すると宣言していると言う。警察も八方に協力要請している状態で、和臣もその手伝いをしているらしい。
「んなこと急に言われても…」
 ぼやくナイトホークが持っている受話器を、冥月はそっと横から奪う。
「もしもし、黒 冥月だ。何だか大変そうだな。詳しい話を聞かせてくれ」
「ああ、冥月さん…実は…」
 事件の詳細はある意味非常に難しく、ある意味非常に簡単だった。
 仕掛けられた爆弾は百個。それを四万三千人が入るドーム球場の中から探し出さなければならない。無論探すのは和臣だけではなく他の者もいるのだが、とにかく人が多く移動などが激しいということで一人でも多く協力者が欲しいらしい。
 細い指で受話器をトントンと叩きながら、冥月がふっと笑った。
「…私がやろう。探し物は得意だ」
 詳しい能力はナイトホークなどには話していないが、自分の影の能力は関知や識別に関しても長けている。それにこの辺りでナイトホークからの『危険な依頼』を受けておくのもいいだろう。
「なるべく早く行った方がいいな…試合開始までには着くから、それまで少しでも爆弾を探しておいてくれ。到着したら連絡する」
 受話器を置くと、ナイトホークが煙草をくわえたまま冥月を見ていた。
「受けてくれるのありがたいんだけど、今から札幌?」
「飛行機に乗れば、試合開始までには何とか行けるだろう。香里亜、お前も行くぞ」
「ほえ?」
 自分が行くことになると思っていなかった香里亜は、急に呼ばれたことに驚いたような顔をする。
「久しぶりに帰郷はいいだろう?それに修行の一環だ」
 雑多な感情溢れる中から爆弾についた殺意見分ける…害意に鋭敏になる為の訓練としては丁度いいだろう。それに香里亜には「人には見えないものが見える」とか「異質な存在に敏感」という能力がある。それがどれぐらいのものかも知っておきたい。
「はい、頑張ります。それに今日は新城さんの引退試合になるのに、こんな事で台無しになったら悲しいですし」
 選手の名前は冥月にはよく分からないが、横からナイトホークが「ファンなんだよ、帝ハムの」と言ったので、何となく察しは付いた。
「なら今すぐ着替えてこい。ナイトホーク、チケットの準備だけしておいてくれ」

「相変わらず遠近感の狂う建物です…」
 何とか飛行機の空席を取り、球場に着いたのは試合開始ギリギリだった。香里亜はそびえ立つドーム球場を見上げながらそんな事を呟いている。
「やあ、冥月さん。香里亜も今日は足手まといにならないようにね」
 人がたくさんいる中から何とか和臣と合流すると、挨拶もそこそこに無線と首から下げられるフリーパス、そしてスタッフ用の帽子とジャンパーを渡された。爆弾自体は処理班や能力者が何とかしているのだが、とにかくこの人混みの中から爆弾を探さなければならない。まだ爆弾はほとんど見つけ出せていない状態だという。
 インカム式の無線を身につけながら、冥月が厳しい表情で辺りを見る。
「…注意しなければならないことは?」
 すると香里亜と和臣が顔を見合わせた後、こう言った。
「因幡のチャンスで球場が揺れます」
「は?」
「五回の開始前と、七回の帝ハム攻撃前にダンスタイムがあるから、その時も下手すると揺れるかもなぁ…」
 二人の話では因幡という選手が得点チャンスの時、ファンがジャンプで応援するので球場全体に揺れがあるという。ダンスタイムの時も同様らしい。これが甲子園だと老朽化の為にジャンプ禁止になっているのだが、流石にそれを客に伝えると爆弾犯を刺激すると言うことで出来なかったようだ。
 これはなかなか厄介だ…冥月がそう思っていると球場の方から歓声がする。ドラゴーネスが初回から早速点を入れたらしい。
「あとは何とかしよう…行くぞ香里亜」
 早速動こうとした冥月の服の裾を、香里亜がぎゅっと掴んで呼び止めた。
「あ、待ってください。多分、ビジター外野席に爆弾はほとんどないと思うんです」
「何故だ?」
「犯人がドラゴーネスのファンなら、名古屋から応援に来ている人を傷つけないと思うんです。だから、多分一塁側のチーム席近くにも爆弾はないはずです…選手の人や、星合監督が死んじゃいますから」
 なるほど、それも道理かも知れない。野球には詳しくない…というかあまり興味がなかったので考えていなかったが、それを頭に入れておけば無駄に広い球場を歩き回らなくて済むだろう。
「じゃあ、まずその少なそうな所から行こう」
 走って階段を上り、人混みを抜け一塁側の外野席に入っていく。
 そこに広がっていたのは人の海と、メガホンをぶつけ合う声援、そして昼間のように明るい照明だった。ドラゴーネスの攻撃が終わったせいでやや外野席は静かだが、逆側の外野席では応援歌と太鼓の音が響き渡っている。
 そんな中、香里亜は目を閉じそっと右手を前に出した。この声援の中で集中して爆弾を探そうとしているのだろう。それを見ながら冥月も影を使ってそっと爆弾の位置を探る…いくつかは既に見つけているようだが、犯人は一カ所に留まってはいないだろう。移動しながらゴミ箱や座席の隅、立ち見席などに仕掛けているのが分かる。
「冥月さん、あそこにあります!」
 香里亜がそう言った瞬間、わあっ…と球場が歓声に包まれた。初回に入れたドラゴーネスの得点に、帝ハムがあっという間に追いつく。どうやら両者とも投手の立ち上がりがいまいちのようで、今日は乱打戦になりそうだ。
 香里亜が指を差したのは丁度通路になっている場所で、荷物の隅にビニール袋が置かれていた。無線の電源を入れ、冥月はそれを伝える。
「こちら一塁外野席、冥月。爆弾を発見した。処理は私がやっておく…どうぞ」
 スッと近づき、そのビニール袋を冥月はそっと自分の持っている亜空間に入れた。そこに入れておけば、たとえ犯人がスイッチを入れたとしても衝撃は全て吸収される。誰かに託すのを待つよりはよほどいい。
 試合が進んでいくと同時に、冥月達も球場を走り回っていた。爆弾は冥月も香里亜も順調に探し出せており、客席の合間にある爆弾をスタッフジャンパーを着た小柄な香里亜が「失礼します」頭を下げながら取りにいっている。
「だ、段差がけっこうきついです…」
 球場の上の席になると階段がかなり急になる。だが冥月はそんな事を気にせずひょいひょい登っていく。
「これぐらいでへばっていたら、修行に着いていけないぞ」
 そう言いながら冥月は気軽に爆弾を手に取ろうとする。その時だった。
「………?」
 ぐら…と地面が揺れる。それは確かな振動となって、球場全体を歓声と共に揺らしていた。爆弾の構造にもよるがここまで揺れると思っていなかったので、冥月は慌てて自分が捕捉していた爆弾何個かを一気に影の中から亜空間に入れた。
 おそらく…これは爆弾犯も予想していなかっただろうが、揺れるなんてものじゃない。全く知らなければ地震と勘違いしそうだ。
「冥月さん!因幡の打席です!」
 追いついた香里亜が球場側を一緒にジャンプしながら見ている。それと同時になにやらさっきから香里亜は、放送席の方をチラチラと見ていた。
「こんなに揺れると思っていなかった…こちら冥月。爆弾を五個処理した。揺れによるダメージはないか?どうぞ」
「こちら立花。ちょっと冷や冷やした…犯人がどこにいるのか気になるね。あと、せっかくのいい試合なのにゆっくり見られないのが残念だ…どうぞ」
 全く和臣の言う通りだ。
 本当ならゆっくりと最終戦を楽しみたいのだが、球場の広さと人の多さで所々しか見られないのが残念だ。だがそれでも地元チームの攻撃開始時に、入場口で配っていた赤と黄色のボードが観客席を埋め尽くしたり、帝ハムのピッチャー交代時に外野の三人が集まって立て膝をついたりというファンサービスはなかなか面白い。
 ここにいる皆は、それぞれチームや選手を愛しているのだろう。
 それは無論相手チームのファンも同じだ。最終戦…お互い全力で戦ったからこそ、最後までいい試合を見たい。胸を躍らせその一瞬を目に焼き付けるために、大人も子供もメガホンを叩き、声援を送る…だからこそ余計に、犯人の蛮行を許すわけにはいかない。
 試合は終盤…八回。五対五のまま、選手が塁に出ているのに点が入らない状態が続いている。
「香里亜、どうした?」
 観客席を出て、球場関係者ルームの方に冥月が向かおうとしたときだった。香里亜がさっきからずっと放送席の方を気にしている…すると香里亜は何だか不安そうに呟いた。
「何だかさっきからこっち側に嫌な気配が…きゃっ!」
 ふっと黒い影が現れ、香里亜を背後から羽交い締めにする。
「さっきからちょろちょろしてたのはお前達か…」
「はうー…」
 そこにいたのは爆弾犯の岡村だった。香里亜を羽交い締めにしたまま、岡村はじりじりと冥月から間を取る。
「どうしようもなくなれば人質か。全く、どんな奴かと思っていたが程度が知れるな」
「貴様…この女がどうなってもいいのか?」
 すうっと冥月の黒い瞳が細くなった。それに気付いたように香里亜の大きな瞳が下に向く。今日教えていた護身術を早速実地で試せるのだ。実践に勝る修行はない。
「その言葉お前に返してやろう」
 岡村の意識は冥月に向いている。その刹那…。
「とうっ!」
 香里亜の足がゆっくり動き、かかとで岡村の足先を思い切り踏みつける。そしてその反動で前に屈み姿勢を戻すと、後頭部が岡村の顎に当たった。
 先ほど冥月が教えていた護身術。それは「後ろから羽交い締めにされたときは、足を踏みつけその反動で頭突きをし、その後両手を上げ羽交い締めを外し、利き手で肘打ちを入れたあと、振り返らず思い切り逃げる」というものだった。後頭部で頭突きをするときに身長によっては相手の歯に当たり痛いこともあるが、それでも相手の方がダメージは大きい。香里亜はそれをきちんとやり、冥月に向かって真っ直ぐ走る。
「このアマ…っ!」
 手榴弾を取り出した岡村の前に冥月が立ちはだかった。そして残酷な笑みを浮かべると、辺りの影がざわざわとざわめき始める。観客席からは「打て!打て!…」と、熱気の入った応援が聞こえてくる。
「爆破出来るものならやってみろ」
 影から現れたのは、冥月達が探し当てた全ての爆弾だった。それを見た岡村が青い顔をしながら一気にピンを抜く。
「貴様らも道連れだあっ!」
 冥月の後ろで香里亜が耳を押さえる。
 ピン…と金属が落ちる音がする。
 だがいつまで経っても爆発の衝撃も、何も聞こえなかった。手榴弾の爆発を影であっさりと吸収し、動きが止まったままの岡村に冥月がにいっと笑う。
「…誰が道連れだって?」
「う、嘘…だ…」
 パシッ!と裏拳と共に膝蹴りが飛び、岡村の体が吹っ飛んでいく。
「こちら香里亜です。冥月さんが犯人確保しました…早く来ないと犯人が大変です。どうぞ」

「……あの後、冥月さんと一緒に、最終回に新城が逆転ホームラン打ったの見たんですよー。もう感動してちょっと泣いちゃいました」
 そう。あの後冥月と香里亜は、丁度最終回の逆転劇を観客席で見たのだった。その白球は奇跡のようにスタンドに吸い込まれ、それと共に球場がその日一番大きく揺れたのを冥月は確かに体験した。
 周りのファン達と握手をし、何故かビールを奢ってもらい、一緒に優勝の喜びを分かち合った…すっかり忘れていたが、あの時の不思議な一体感。それは言葉だけで伝えられるものではないだろう。
 ナイトホークが煙草に火をつけながらふっと笑う。
「それで帰りに帝ハムのTシャツとか帽子とか買ってきてたのか」
「だって優勝ですよ。ねー、冥月さん」
「そうだな。歴史に残る一戦の最後を見られたからな…さて、そろそろ行くか」
 冥月がそう言うと、香里亜がエプロンを外しカウンターの裏に置いてあったカバンをそっと持ち上げた。冥月の足下にもカバンが置いてある。
「…で、二人は今日から二泊で優勝パレード見に行くのか…いいねぇ」
 あの事件を解決した後…事件自体は大事にしなかったのだが、犯人逮捕に協力したということで、帝ハム直々に優勝パレードとファンフェスティバルの招待状が来たのだ。
 ぼやくナイトホークに、冥月と香里亜が顔を合わせて笑う。
 普段こういう招待は断るのだが、歴史的な瞬間をもう一度体験するのもいいだろう。それにあの時はゆっくり出来なかったが、今回は二泊出来る。
「香里亜、札幌をゆっくり案内してもらうからな」
 にっこり笑う香里亜と肩を並べ、冥月は蒼月亭のドアを開けた。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
2778/黒・冥月/女性/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒

◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
日本シリーズの最終戦で爆弾を探す『危険な仕事』ということで、影の能力で爆弾を探したり香里亜に教えた護身術が役に立ったりと、そんな話になっています。本当はもっと試合を細かく書きたかったのですが、そうすると延々野球になってしまいそうでしたので、観客席が主になってます。
ドーム球場は本当に揺れます…何事かと思います。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってください。
一緒に札幌は楽しそうですね…またよろしくお願いいたします。