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■Night Bird -蒼月亭奇譚-■

水月小織
【2778】【黒・冥月】【元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
街を歩いていて、ふと見上げて見えた看板。
相当年季の入った看板に蒼い月が書かれている。
『蒼月亭』
いつものように、または名前に惹かれたようにそのドアを開けると、ジャズの音楽と共に声が掛けられた。

「いらっしゃい、蒼月亭へようこそ」
Night Bird -蒼月亭奇譚-

「そういえば、今度中国式のお茶会もやってみたいんですよ」
 そんな言葉を聞いたのは、黒 冥月(へい・みんゆぇ)が、蒼月亭のカウンターで中国紅茶の『正山小種(ラプサンスーチョン)』を飲んでいたときだった。それを言った従業員の立花 香里亜(たちばな・かりあ)は、いつものように機嫌良く微笑みながら、コーヒーカップを拭いている。
「中国茶か…なんか俺の店なのに、昼は香里亜に支配されてきたな」
 マスターのナイトホークはカウンターの奥で、草間 武彦(くさま・たけひこ)と話ながら煙草を吸っている。
「専門店ほどたくさん置けなくても、中国茶はゆっくり出来るからちょっといいかなって思うんですよね」
「ハハハ、マスターもしっかりしないと乗っ取られるぞ」
 そういえば以前ここで『英国式ティーパーティー』をやったときにも、香里亜は中国式のお茶会をやってみたいと言っていた。日本の茶道など堅苦しくやると大変だが、気軽にお茶を楽しむのはなかなかいいだろう。
 ふと何かを思い出したように、冥月は香里亜を呼び寄せる。
「そういえばこんな物が出てきてな…どうだ、香里亜が休憩に入るのなら、私の手前で良かったら中国茶を飲んでみるか?」
 カウンターの上に出されたのは、包壷巾(バオフウジン)と呼ばれる茶器専用の布に包まれた中国茶器の数々だった。中国茶用の急須である茶壷(チャフー)や蓋を置くために使う蓋置(ガイジ)や、青茶用の茶船(チャーチュアン)、一口大の湯飲みである茶杯(チャペイ)など、本格的な道具が出され、それにナイトホークや武彦も珍しそうに近づいてくる。
「何かずいぶん古くさいな」
 すーっと手を出そうとする武彦の手を、冥月はぺしっと叩く。
「壊すなよ。お前らの年収並の価値ある名品だ」
「草間さん、景徳鎮(けいとくちん)の磁器とかだと、小さくてもすごい値段するから気をつけな。にしても、かなり本格的だな」
 流石にこれだけの道具を揃えて本格的にやろうとすると、店を全面的に中国茶屋にしなければならないのだが、元々アンティーク食器は好きなので茶器を見たりするのはナイトホーク的には楽しい。香里亜も目を輝かせながら見入っている。
「やっぱり冥月さんは、中国茶の淹れ方に詳しいんですか?」
「淹れてみるか?」
 冥月にそう言われ、香里亜がナイトホークの顔をじっと見た。せっかくの機会なので味わいたいのは山々なのだが、休憩をくれなければゆっくりとそれが見られない。その無言の迫力にナイトホークが困ったように目を反らす。
「香里亜、無言で『休憩くれ』の圧力はやめろ。客少ないから今のうちな…あと、俺もご相伴させてくれると嬉しいんだけど」
 色々言いつつも、こうやってけっこう自由があるのがこの店のいい所だ。普通であれば客が外から持ち込んだお茶を入れるなど嫌がられそうなのだが、ナイトホークはその辺が寛容でありがたい。
 冥月はふっと笑いながら顔を上げる。
「じゃあ青茶を入れてみるか。香里亜、入れ立ての水を湧かしてくれ」
「はい、少々お待ち下さい」

 中国茶には主に六つの種類がある。
 烏龍茶を代表とする「青茶」に、中国茶で一番生産量の多い「緑茶」。そして摘んだ茶葉を発酵させずに乾燥させる「白茶」、プーアル茶などに代表される「黒茶」に、茶葉を完全発酵させた「紅茶」、黄色い水色の「黄茶」…他にも花の香りを付けた「花茶」や、それ以外の「茶外茶」などがあり、その説明を香里亜やナイトホークは興味深そうに聞いていた。
「『茶外茶』って初めて聞きました」
 メモを取っている香里亜に、冥月がどこからともなく細い針のように巻いた葉を取り出す。それは何だか細巻きのスティックチョコレートのようにも見える。
「ああ、薬用茶とか正式な茶葉を使ってない物をそう呼んだりするんだ。草間、良かったらそれをやろう。一口かじってみろ…なかなかいい茶葉だぞ」
 それを一本渡すと、武彦は匂いなどを嗅いで冥月に言われたとおり思い切りそれを口に入れた。
 青い葉の香りの後に何とも言いようがない苦みが口いっぱいに広がり、慌てて目の前の水に手を伸ばす。
「………苦っ!すごい苦!」
「今こいつが何も考えずに口に入れたのは『苦丁茶(クーディン茶)』と言ってな、かなり苦いが健康にいい」
 普通はマグカップに一本入れれば、お湯を足しながら一日中飲めるぐらいの物だ。まあ、毎度毎度自分のことを男だの何だの言う武彦には、これぐらいしても罰は当たらないだろう。
「さて、そこで口を押さえてるのは置いといて、今回は青茶の中から『東方美人(ドンファンメイレン)』を淹れてみるか。台湾烏龍の一つだな」
「何だか素敵な名前ですね。楽しみです」
 まず茶船に茶壷を置き、全体をお湯で暖める。茶壷が暖まったら、今度はそのお湯で茶杯などを暖める。青茶は香りを楽しむ聞茶も出来るので、それ用の聞香杯(ウェンシャンベイ)や、お茶を均一の濃さで飲むための茶海(チャハイ)も一緒だ。
 その様子を見ながら、香里亜がふぅと溜息をつく。
「色々茶器が必要なんですね…」
「いや、気軽に飲むなら茶壷さえあれば、あとは深い皿を茶船代わりにしたり、茶海はなくてもそのまま茶壷から注げばいいからな。今回は少し本格的だ」
 乱暴な話をするのであれば、茶葉が口に入っても気にならないのなら、カップに直接葉を入れて飲んでもいいのだ。ただ一度本格的な入れ方を見ておけば、後は工夫次第で楽しめるのでそうしているだけで。
 茶壷が暖まるとその中に茶葉を入れ、たっぷりと溢れるほど湯を注ぐ。
「一煎目は飲まずに茶海や茶杯を暖める方法で行くが、台湾式だと捨てないことも多いようだ。その辺は好みの問題だな」
 床が石で出来ているのなら湯をそのまま捨てられるのだが、流石にそうはいかないだろう。使った湯は影を使って外に捨て、そのまま二煎目を入れる。
「蓋をしたら茶壷にも熱湯を…これが青茶の香味を引き出すポイントだ。後は一分ほど待って茶壷から茶海に移し、まず聞香杯に入れるんだ。そして聞香杯から茶杯に移して…っと」
 聞香杯がなければそのまま茶杯に移して飲めばいいのだが、やはり最初にこれを教えなければ。空になった聞香杯を冥月は香里亜に渡す。
「聞香杯を鼻に持っていって『嗅ぐ』イメージで、香りを体の中に入れるんだ。その香りを楽しんでから茶を味わう…これは他の茶では出来ない楽しみ方だな」
 すうっと深呼吸するように、香里亜が東方美人の香りを嗅いだ。そしてふうっと息をつき、にっこりと冥月に笑う。
「うわぁ…今までペットボトルとかで飲んでた烏龍茶と違って、すごく香りが柔らかくて爽やかです。お茶も美味しい…」
 同じようにナイトホークも聞香杯を使い、香りを嗅ぎながら茶杯を傾けていた。武彦は聞茶の方はせずにお茶だけを楽しんでいる。
「やっぱりちゃんと淹れたのは味が違うな。水色も琥珀色で綺麗だ」
 それを聞き冥月も満足そうに茶杯から茶を飲んだ。久々に淹れたのだが、やはりしっかりと淹れたお茶は、まろやかさと甘みがあって美味しい。最初は香りを、そしてだんだんと移り変わっていく味を楽しむのが、中国茶の醍醐味だ。
「中国茶の茶請けは中国菓子もいいが、サンザシやマンゴーなどのドライフルーツや、カボチャやスイカの種をよく食べるな…これなら簡単に手に入る」
 そう言いながらドライフルーツなどを少し出すと、ナイトホークが茶杯を置きながら顔を上げた。
「そういえば二次大戦の終戦時に、中国人と日本人を見分けるのに炒ったスイカの種食わせたって話があるな。中国人は上手に食えるからすぐ分かるんだって」
「はー…勉強になります」
 ドライフルーツの酸味や、ナッツ類の香ばしさが東方美人とよく合った。ゆっくりとまた茶壷にお湯を入れ、甘みが増していくお茶を味わう。冥月が茶杯に茶を満たしていく様子を見て、香里亜はそっと聞香杯を大事そうに手で持った。
「茶器も素敵ですよね。やっぱり大事な物なんですか?」
「そうだな。これは私の恩師から譲られた物でな。その人が茶が大好きで、よく酔うまで飲まされたよ」
 これだけ茶器がある所からも分かるように、中国茶を極めようとするとそれだけで財産を潰すとまで言われている。冥月の師匠も茶道楽に通じた人物だった…そんな事を思っていると、香里亜が不思議そうに首をかしげた。
「お茶に酔うんですか?」
 いいお茶は香りを楽しみ、味を楽しむ。
 それは酒で酔うのとは少し違うが、感覚としては「酔う」としか言いようがない。きょとんとしている香里亜に冥月が笑う。
「ああ、良い茶は飲んでも香りでも酔うぞ。草間の様に出涸らしばかりの奴には判らん高尚な嗜好だ」
 一杯だけ茶を飲み後は煙草を吸っている武彦が、それを聞き灰皿に煙草を置いた。その表情を見て、ナイトホークが何か言おうとする。
「その恩師ってのは女の口説き方のか」
 ……だからどうして、武彦は冥月に対してこう一言多いのか。
 ナイトホークが天を仰いで苦笑し、香里亜が困ったように茶杯を持っている。そんな中冥月はすっと立ち上がり、武彦の後ろにそっと近づいた。
「一辺死んでこい…!」
 気合いと共に手刀が首元に飛んだ。これ以上ここで起きていられても武彦は全く中国茶に興味はないようだし、寝ていてもいいだろう。パタリ…と武彦がカウンターに突っ伏すのを見て、冥月が灰皿に置いてある煙草の火を消す。
「本来であれば、聞茶中に煙草は厳禁だ。茶の繊細な香りが分からなくなるからな」
「草間さんは一言多いんだよな…」
 サンザシをくわえながらナイトホークが溜息をつく。一連の流れと言えばそうなのだが、毎度毎度殴られているのを見るとそろそろ学習してもいい頃なのに、どうしても言わずにいられないらしい。
 つかつかと席に戻る冥月に、香里亜が肩をすくめて笑う。
「ふふふっ…さっき冥月さんが『お茶に酔う』って言いましたけど、こうやって香りを楽しんだりしてると、何となく分かる気がします。他のお茶でもこうやってするんですか?」
 基本的に聞香杯を使って香りを楽しむのは青茶だけだ。白茶や緑茶も爽やかな香りがするが、聞香杯を使ったりはしない。
 その説明を聞き、香里亜はもう一度聞香杯を持って深呼吸をする。それは森の中にいるような、複雑だが爽やかで甘い香りだ。
「んー、何か本当に香りだけでも爽やかです。烏龍茶って本当はこんなにいい香りなんですね」
「緑茶や白茶も繊細でいいし、花茶はまた複雑になるからな。本当はもっと色々飲ませてやりたいが、まだ東方美人も味が出きってないからな。こうやって一つの茶を何煎も味わえるのがいい所だ」
 最初は香りが際だっていたが、淹れていく事に甘みが増しまろやかになっていく。その話を聞きながら、香里亜は茶壷を嬉しそうに見た。
「大事にされてるんですね。何かそういうの素敵ですね…代々伝わっていく茶器とか。私も茶壷買ってみようかな」
 新しい茶壷を買って一から育てていくのもいいが、人から人へと預けられていくのはまた別のものがあるだろう。もしかしたら香里亜は、そうやって渡された茶器が羨ましいのかも知れない。
「これは思い出の品だからやれないが、代りにこれをやろう」
 冥月は少し悪戯っぽく笑うと、影の中から包壷巾に包まれた茶器をもう一式出した。今使って見せた物よりは一回り小さめだが、茶壷も茶杯も必要な物は全て揃っている。
「私が昔練習させられた茶器だ。種類も少ないし安物だが練習には丁度いい。それにもう使わないから、誰かに使ってもらった方が茶器も喜ぶ」
 昔使っていた茶器。
 今は使っていないので香里亜に使ってもらえればいいだろう。きっと大事に茶壷を育ててくれるだろうし、これをきっかけに中国茶が飲めるようになれば自分も嬉しい。
「香里亜、中国では急須の手入れを『茶壷を育てる』って言うんだ。ちゃんと手入れすると、つやが出て味が出てくる…責任重大だな」
 ナイトホークにそう言われ、香里亜がそっと包壷巾を開けた。中に入ってる茶壷は久々の光が嬉しいのか、店の照明に優しく反射している。
「いいんですか、こんな大事な物いただいて…」
「ああ、解らない事があったらいつでも聞くといい。茶葉のいい店も紹介しよう」
 また包壷巾を包み直し、香里亜も嬉しそうに笑った。そしてメモを手元に寄せ、冥月に質問をし始める。
「じゃあ、頑張って中国茶も勉強しますね。あと何か注意することとかありますか?あったら今のうちに聞いて、しっかりメモしておかないと…」
「そうだな…茶壷は洗剤で絶対洗うなよ。茶殻を取り出したら湯を注ぎ、茶殻を完全に洗い流した後、外からも湯を掛けてから蓋を外して自然乾燥だ」
「ふむふむ、洗剤は使わないんですね…覚えておかなくちゃ」
 午後の柔らかな時間の中真剣にメモを取る香里亜に、冥月は自分茶杯に入っているお茶を飲み干しながらふと思う。
 これは中国茶に関しても、いい弟子が出来たかも知れない…と。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
2778/黒・冥月/女性/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒

◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
冥月さんの中国茶講座のような感じで、中国茶にも興味津々な香里亜にいろいろとレクチャーしていただきました。
中国茶は奥が深いですね。自分が持っているのは茶壷ぐらいなのですが、本格的に色々と楽しみたいなと思っています。出したお茶は自分が飲んだことがあったり、好きなもので…草間さんがかじっていた『苦丁茶(クーディン茶)』は、苦いですが水色が綺麗で飲み慣れると美味しいです。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってください。
まだお預かりしている話がありますが、お早めにお届けしたいと思います。