■戯れの精霊たち〜地〜■
笠城夢斗
【2919】【アレスディア・ヴォルフリート】【ルーンアームナイト】
「森とは命の集大成だ。そうは思わないかい?」
 ――『精霊の森』にたったひとり住む青年は、会うなりそんなことを言い出した。
「といってもここには、動物がいないんだけれどね。僕と、精霊たちがいるだけ」
 どことなく遠くを見るような目。
 銀縁眼鏡の縁が冷たく光る。
「だけど、その代わりに精霊たちが暖かいんだよ。そう、暖かい――大地の精霊なんかは特に。まるで人間を見ているような気がしてくるね、彼らを見ていると」
 大地の精霊……?
 自分が足をつける地面を見下ろす。その柔らかい土……
「あ、土にはあいにく精霊はいないんだ。この森の場合」
 そう言って、青年は視線をある方向へ飛ばした。
 そこに、ひとつの大きな岩と――一本の太い木があった。
「あれ。あの岩と、木に宿っているのが大地の精霊だね」
 岩と木。
 どちらもとても年季が入っていそうな、古くて、強くて、どっしりとかまえて――暖かい。
 ずっとこの森を見守っていてくれたふたりだ――と、青年は言った。
「彼らはかけらも動くことができない。あの場所にいるのが当たり前のまま何十年――何百年だ。外のことを知りたい。でも知ることができない」
 願いを、叶えてやりたくてね――と、眼鏡の青年は優しい声でそう言った。
「だから、彼らにキミの体を貸してやってくれないかな」
 木と岩は、どこかほんのり輝いて見える。森の外からの来訪者を、歓迎してくれているのだろうか。
「なんだったら、遊んでくれるだけでもいいよ――僕の力で、擬人化させることはできるしね」
 お願いしてもいいかな。そう言って、青年は微笑んだ。
過去と呼ばれた時間の在り処

 『過去』と呼ばれた時間があった。
 消えてしまえばいいと思ったことがある。あれが夢だったならどんなにかと思うこともある。
 けれど。
 けれど――

     **********

 精霊の森と呼ばれる森がある。
 先だって、そこの守護者をめぐって森は争いのさなかへと放り込まれた。
 たくさんの冒険者が、森を護るために戦った。そう、たくさんの冒険者がそれぞれにそれぞれの思いを抱いて。
 アレスディア・ヴォルフリートも、そんな冒険者のひとりだった。

 長い流れるような灰銀色の髪に、時に優しく、時に鋭く光る青い瞳。
 刃を幾重にも重ねたような形をした得物『ルーンアーム』を手に、日々あらゆる依頼に応じている。隠している過去も熾烈――それゆえに十八歳という若さでも、どこか大人びたような雰囲気を見せる。それがアレスディアという娘だ。

 今日のアレスディアは、珍しくひとりで精霊の森にやってきた。
「やあ」
 森の中に唯一ある小屋から、森の守護者クルス・クロスエアが顔を出す。
「久しぶりだね、アレスディア」
「うむ……ご無沙汰してしまった」
 アレスディアは律儀にクルスに礼をし、
「あれから一ヶ月……その後いかがお過ごしだろう?」
 とクルスの森の色の目を見つめた。
 クルスは苦笑する。
「ああ、一ヶ月前には……本当に世話をかけちゃったね。ありがとう。おかげさまでその後は息災だよ」
 今日は僕に用じゃないようだね、と勘のいいクルスはアレスディアの顔を見て微笑む。
「うむ…………今回は、ザボン殿と会わせていただけぬかな?」
 アレスディアは岩の精霊の名を出した。「復興が進んだとはいえ、先の戦いで負傷されていた故、その見舞いに」
「分かった」
 クルスはうなずいて、彼女を岩の精霊の元へと案内した。

 小屋からほんの少し離れた場所に、巨大な岩がある。
 そこに、岩の精霊ザボンが宿っているはずだった。
 クルスは岩に指をつきつける。
 青年の指先に、光の粒子が生まれて輝く。
 ――行け
 彼の命ずるままに、光の粒たちは岩に向かって走った。
 何かの輪郭を飾るように、光が集っていく。輪郭は、どうやら背の低く、しかしがっしりとした体の存在のものだった。
 そして、何秒か後に光の粒子が弾けた。
 その瞬間に、目の前にどっしりと構えたひとりの壮年の男が現れた。
 擬人化【インパスネイト】。クルスが得意とするわざだ。普段は姿も見えず声も聞こえない精霊たちを、普通の人間でも見えるように、会話できるようにするわざ。
『おお、アレスディア殿ではないか』
 ザボンは開口一番、アレスディアの姿を見て微笑んだ。『元気であったかな』
 アレスディアはクルスを見る。
 クルスは少し笑って、
「じゃあ僕は退散するから。あとはふたりで話しておいで」
 と小屋に帰っていった。
 アレスディアは背の低いザボンに合わせて片膝を地についた体勢になる。
「ザボン殿、体のほうは如何だろうか?」
『む。心配なされるな、岩は頑丈ゆえ』
「……あのときは助けが遅くなり、魔物から護りきれなかった。まことに、申し訳ない」
『気になさることではないぞ、アレスディア殿』
 ザボンは硬い硬い動きでのろのろと腕を動かし、ものすごい時間をかけて手をアレスディアの頭に乗せた。
 どしん、と重い手が乗ったが、アレスディアは平気な顔で、もう一度「すまなかった」と言った。
 ザボンはゆっくりと、硬い動きでアレスディアの頭をなでる。
 アレスディアは微笑んだ。
「ザボン殿。体を動かすのがおつらければ無理なさることはない」
『いやいや。わしは元からこのように硬くしか動けぬゆえ』
 岩の精霊は苦笑する。
 ――表情は柔らかいというのにな。アレスディアがそんなことを思って不思議な気分になった。
『さて』
 ザボンはまたのろのろとした動きで手をアレスディアの頭から下ろした後、
『アレスディア殿も、先だっての騒ぎについて、思うところがおありなのであろう?』
 心を見透かされたようで、アレスディアは驚いた。
「なぜお分かりに?」
『アレスディア殿ほどに心根が優しく真面目でおられれば、色々と考えるところがあったのではないだろうかと思えてな』
「私が優しいか真面目かは知らぬが……その通りだ、ザボン殿」
 アレスディアは生真面目にうなずいた。
「ザボン殿を傷つけたあの魔物……あの魔物とて、差し向けられただけ」
 思い出し、目を閉じる。
「そして差し向けた少年もまた、クルス殿に忘れられたことが辛かっただけ……」
 あの少年の、泣きそうだった顔がまぶたの裏に浮かんだ。
「ただ、『だけ』の行い。他にやりようがあったろうにと思えるだけに、口惜しくもあり、また……悲しくもあり」
 アレスディアはまぶたをあげ、視線を落としたまま言葉を続けた。
「しかし……クルス殿との大切な思い出があるからこそとは言え、抵抗できぬものに矛先を向けるなどと、お門違いもよいところ。近頃の男子とはあのようなものなのだろうか。性根がなっておらぬ」
 ぶつぶつ、ぶつぶつ。
 聞いていたザボンがわっはっはと笑った。
「……あ、いや、すまぬ。ザボン殿に言うことではないな」
 アレスディアは慌ててザボンの顔を見て謝った。
『いや、なに』
 ザボンは楽しそうな顔をしながら、『今の言葉を今の男子に聞かせたらどうなるだろうと思うてな』
「……ザボン殿は、人間をよくお知りか?」
 アレスディアは問うてみた。
 精霊は、クルスの力を借りなければ擬人化できず。
 また、クルスの力がなければ人の体に宿って外に出ることもかなわず。
 擬人化も人に宿らせることも、クルス自身が生み出したわざだと友人から聞いていた。だから、クルスがこの森に来るまでは、精霊たちは完全に『森の外』とは隔離されていたはずなのだ。
 そう思ったアレスディアだったが、
『わしは……そうじゃな、この森の精霊の中ではまだ人間を少し知っておるほうじゃろうな』
 予想外の答えに、アレスディアは首をかしげた。
 彼女の疑問がすぐに分かったのだろう、ザボンは丁寧に答えてくれる。
『この森には、樹の精霊ファードの樹液を求めて人は頻繁に訪れておるのだよ、アレスディア殿』
「………」
 アレスディアはぽんと手を打った。――そう言えばそうだった。
 樹の精霊はたしか、その樹液から葉から、何から何まで薬となる素晴らしい存在のために、しばしばそれを求めて人がやってくるのだと――樹の精霊を愛してやまない友人が言っていた。
『わしは、のろいが歩けるのでな。ファードの元までならなんとか動ける。ファードの樹液を採りに来た人間を見たこともあるし……歴代のクロスエアがファードの薬をくれと頼みに来ているのも見たことがあるし……』
 うむ、とザボンはうなずき、
『――クルスが、ファードの薬を採りに来た人間ともめているのもよく見ておる』
「クルス殿と争う……」
 アレスディアは、いつも微笑みを浮かべて柔らかい物腰で対応してくれる森の守護者を思い浮かべる。
 わはは、とザボンはまた笑った。
『この森に来たばかりの頃のクルスは、まだまだ凶暴だったゆえ』
「きょ、凶暴……」
『今でもよく争っておるよ。昔よりはおとなしくなったがのう』
「………」
 この世で一番この精霊たちを愛しているのは、間違いなくクルスなのだろう。
 しかしそれが悔しくて、先だっての騒ぎを起こした九尾の狐たる少年はこの森の精霊たちを敵とみなした。
 そして、森の精霊たちを傷つけられ憤るのはクルスで。
 そのことにますます憤るのは少年で。
 ――何という不毛な悪循環だったのだろう。
「あの少年は、人間ではなかったが……」
 アレスディアはぽつりとつぶやいた。「人間の子供だったなら、ああいうときにどうしたのだろうか」
 大好きだった人物に、自分のことを忘れ去られて、人はどうするのだろう。
 アレスディアは自分のことに置き換えて考えてみる。
 もし、自分が大切な誰かに忘れられたら?
 考えようとして、思わず表情が険しくなった。――想像することもできない。
「想像することもできないとは……私も未熟だ」
『それだけ、愛されているということじゃな』
 にっこりと、ザボンは笑った。
 アレスディアは視線を虚空にさまよわせ――
 やがて大真面目に、「そうなのかも、しれぬ」とうなずいた。
「私は幸せなのだろう。少なくとも今は」
『……過去は消えぬものじゃ、アレスディア殿』
 突然しんみりと言われて、アレスディアの胸の奥がずきりと痛む。
『じゃが……その過去がなければ、今のそなたはありえぬ。そうじゃろう、アレスディア殿』
「……その通りだ、ザボン殿」
 かつて故郷で起こったできごと。
 自分を殺そうとした者。
 自分を救ってくれた者。
 失ってしまった大切な者たち。
 代わりに手に入れたものは……
「――そうか、クルス殿はそういう『過去』を失っておられるのだったな」
 ふと思い出して、アレスディアはつぶやいた。
「『過去』がなければ……人はどう在ればよいのだろう」
 生まれたばかりの赤子にはなれない。中途半端な記憶の断片だけ残されて。
 しかしクルスは、精霊たちのためにその過去を取り戻すチャンスを捨てることさえ厭わなかった。
 ――それはつまり、過去を失った自分を救ってくれた精霊に、感謝していたからなのだろう。
 おそらくは、アレスディアには想像もつかないほどの感謝の気持ちで。
『クルスはクルスじゃ、アレスディア殿』
「………」
『あの少年はクルスをエンジュと呼んだのだったかな。ならば少年にとってはやはりエンジュなのだろう』
「………」
『アレスディア殿にとっては……クルスは誰なのかな?』
 問われて、答えにつまった。
 そう言われてしまえば答えはひとつきり――
「……クルス殿は、クルス殿だ……」
『となれば、アレスディア殿にはおそらく、クルスをエンジュと呼ぶ少年の心を知ることはできまい。きっと……永久に』
「……そう、か……」
 近頃の男子は、などと憤ることは、本当はできないのだろう。アレスディアには、あの少年の心を知ることができない。
「それでも、やはり何かが間違っていたと思うが」
『そうじゃの。やり方は間違ったのかもしれん……あの少年は』
「……ザボン殿は、怒っていらっしゃらぬのか?」
 問うと、ザボンはにっと笑った。
『どんなときにも動かぬもの。それが岩じゃよ、アレスディア殿』
「しかし……岩とて長い間水に打たれれば穴が穿たれるという」
『それだけの長い間、わしを打つものが現れれば変わるのかもしれぬ』
「………」
 結局――
 ザボンはひとりきりなのかもしれない、と、ふとそう思った。
 思ってしまってから、アレスディアは顔をしかめた。
「ひとりになど、させぬ」
『む? どうされたかな?』
「ザボン殿、傷が癒えたら、また街に遊びに来られるといい」
 アレスディアは胸に手を当て、
「体が必要なれば、この体でよければお貸しする故」
 穴を穿つほどに長くともに在れないとしても。
 ザボンの在り方を、変えることはできないとしても。
 それでも、今のザボンとともに在れることは嬉しいから。
 今のザボンと会話をすることが楽しいから。
 ――ザボンは大きく笑みを作った。
『ありがたいことじゃ、アレスディア殿』
「細かいことは気になさらず。私は――」
 アレスディアは微笑んだ。
「私は、ザボン殿が好きだからそうするだけなのだから」

 『過去』があった。
 消えてほしいと思ったこともある。あれが夢だったならどんなにかと思うこともある。
 それでも過去は通り過ぎ、そして自分は現在を生きる。
 現在を生き、現在に大切なものを見つけ、現在の大切なものを大切にする。
 それしか、できないのだから。だから――

 アレスディアは今もさまざまな依頼を受ける。
 現在を生きる者たちの、大切なものを壊さないように……


 ―FIN―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2919/アレスディア・ヴォルフリート/女/18歳/ルーンアームナイト】

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■         ライター通信          ■
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アレスディア・ヴォルフリート様
いつもありがとうございます、笠城夢斗です。
今回は初のゲームノベルへのご参加、ありがとうございました!
それなのに納品が遅れてしまい申し訳ありません;;
今回はザボンとの会話に、過去をからめて書いてみましたがいかがでしたでしょうか。楽しんでいただけたら光栄です。
よろしければまたお会いできますよう……

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