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■CallingV 【白粉花】■

ともやいずみ
【6073】【観凪・皇】【一般人(もどき)】
 闇夜に響く鈴の音……。
 その音を、遠逆の退魔士自身は……聞くことはできない。
 ふと空を見上げる。月が見えた。
「…………」
 この日本に来てもう五ヶ月。あっという間に半年経ってしまう。
 月日というのは早く……早く……。
「憑物封印……か」
 その独白は、とても寂しそうで……。
「……あと少し……か」
 もうすぐこの国ともお別れだ。
 憂いを断ち切るように顔をあげ、夜の道を歩き出す。巻物に、妖魔を封じるために――。

CallingV 【白粉花】



 生臭いような気がする。
 足早く帰路を急ぐ彼女は背後から迫るナニかに怯えていた。
 自分の足音が大きく響き、彼女は余計に焦る。
 いつもと同じ夜のはずだ。いつもと同じように残業で遅くなっただけだ。
 それなのに。
(な、なに……?)
 鼻につく生臭さに彼女は顔をしかめた。
 これは生ゴミの臭さとは違う。生魚の嫌な臭いとも。
 足を止めて振り向いてはいけない。そう感じる。
 ただ早く家に。早く家に。家に。
 ちかちかと点滅する街灯の下を抜ける。この通りを抜ければもう自分の住むマンションだ。もうすぐだ。
 だが――彼女は突き飛ばされた。



 突き飛ばしたOLらしき女性は地面に転倒するが、彼女を庇った形になった観凪皇の背中はざっくりと抉られた。
 痛みを認識する前に皇は行動する。敵の第二撃を避けるためにそこから離れようと動いたのだ。
 OLの腕を掴んで引っ張りあげる。
「早く!」
 皇の叫びに彼女は戸惑っていたが、慌てて立ち上がる。
 彼女を狙っていたモノは息を吐き出す。
 街灯の光が照らしている箇所はそいつの胸から下の部分だけ。それだけそいつは大きい。
 皇の身長の三倍はありそうな大きさのソレは、紛れもない『鬼』と呼ばれる存在だった。鬼と言えど種類はたくさんある。
 闇の中で爛々と光る鬼の眼はOLしか見えていないようだ。皇はゾッとする。
 こんな都会にもこんな異形が現れるのか。
 まるで人間の作り上げた怨念、憎悪、その他諸々のおぞましいものが形になったような……。
「早く逃げて!」
 皇は女にそう言う。彼女は悲鳴を堪えて走り出した。
 背中がじくじくと痛む。鬼の爪で抉られた傷は深く、皇の呼吸を乱した。
(血が……)
 流れ出ていく。
(まず……。思ったより傷が深いみたい……)
 怒られる、だろうか。
 皇は目を見開く。
 誰に、怒られる?
 皇は小さく笑った。
 ああそうか。
(俺……深陰さんのこと……)
 最近彼女のことばかり考えている。これはやはり。
(好きなんだ)
 好きなんだ、彼女のことが。
 皇は腰を少し落として構える。女が逃げ切るまで時間を稼がねばならない。いいや、できれば倒したい。
 鬼は『目』で見てはいない。鼻で、匂いで女を追いかけている。それは獣としての本能だ。美味いものは、匂いでわかる。
 都合よく深陰が助けに来てくれるなんて、考えない。
 彼女に頼っていては、いけないと思う。だって。
(だって――?)
 一歩踏み出してくる鬼の肌は赤黒い。剥き出しの腕は丸太のようだ。あれで殴られれば痛いどころでは済まされないだろう。頭を殴られれば頭蓋骨陥没か……脳も一緒に潰されるか。
 皇の体術が効き目があるかどうかが問題だ。この巨体に果たして効くだろうか?
(来る!)
 鬼の腕が振り上げられる。邪魔な蝿を叩き潰そうとするように。
 体重差は歴然。
 受け止めきれる拳ではない。受け流せるとは思えない。だから方法は一つだ。
 紙一重で避けるなんてことをしてはならない。風圧で肌が切り裂かれる!



 呼吸が、辛い。耳鳴りが、する。
 肌寒い。誰かあたためて、欲しい。
 喉が、痛い。苛立つほどに。
 咳をすると、血が出た。あれ? おかしいな。俺……。
「……?」
 手を伸ばすと、冷たい何かに当たった。顔をあげる。
 電柱だ。
 電柱に手をついて皇は怪訝そうにする。血溜まりができている。衣服が真っ赤だ。いや、血が黒くなってて、完全な染みに……。
(買ったばっかのシャツが……)
 というか、ぼろっちくなってるじゃん……。
(あー……えっと、電柱に思いっきりぶつかっちゃって、気を失って……?)
 意識がはっきりしない。考える力がまだ戻って……。
 ずどん、と衝撃が走った。
 皇はそちらを見遣る。
 鬼の拳を、細い刀一本で受け止める少女の足が地面にめり込んでいる。衝撃の大きさに彼女の右脚がべき、と折れた。妙な「く」の字だ。
「あぐっ」
 彼女のうめきは小さく短く。
(深陰さん?)
 長いツインテール。青いセーラー。間違えることなどできない。
 鬼は子供のように、駄々をこねるように、深陰の刀目掛けて何度も拳を振り下ろす。どすんどすんと地面が揺れた。
 周囲の家屋はこの騒ぎに気づきもしない。
(……そっか。結界……かな)
 だってここは、空気が『におわない』。
 深陰の足がさらに深く道路に食い込む。アルファルトが砕け、深陰の腕が耐え切れずに曲がった。
 ――ずどん。
 深陰がとうとう屈服させられてしまう。地面に崩れ落ちた彼女はひざまずくような姿勢で鬼を見上げた。
 だが。
 彼女の手の中にあった刀が瞬時に溶け、別の形になった。
 今まさに深陰の頭を掴もうとして近づいた鬼の顎を、真下から貫いたのは槍だ。動きが停止した鬼の頭を貫いている槍が細かく振動した。
 そして――頭が破裂した。内側からの爆発で。
 頭がなくなったことで鬼の肉体がざらざらと砕け、そして空気にとけた。
(……今の、どうやったんだろ……。教えてくださいって言ったら、教えてくれるかな……)
 ぼんやりそう思う皇は、彼女の姿の痛々しさに苦さを感じる。曲がった腕がすぐさま元に戻り、折れた足が音をたてて真っ直ぐになる。痛くないはずはないのに、彼女は悲鳴一つあげない。
 寝転がったままの皇は、振り向いた深陰と目が合う。あ、心配するかな。どうしよう。俺は大丈夫ですって言ったほうが……。
 深陰が硬直したことに、皇は気づく。
 彼女は大きく目を見開き……それから顔を歪ませた。それは恐怖だった。怯えだった。
 口を手で覆うと、彼女は顔を逸らす。それからもう一度皇のほうを見た。だが耐えられなかったようで背中を向けて塀に近づき、うずくまった。
 嗚咽のようなものを洩らして、彼女は吐いていた。
 辛そうだった。怯えの走った目を見て、皇は立ち上がる。痛い。すごく痛い。眩暈もする。
「み、深陰さ……だいじょ……ぶ?」
 背中にそっと触れると、彼女がびくっと大仰に反応する。
 胃の中には何もなかったのか、深陰は胃液を吐いていた。背中をゆっくりと擦る。
「あんたのほうが、大丈夫かってのよ! 休んでなさいよ! 後で、治して……っ」
 塀に手をついて怒鳴る深陰は、荒い息を出す。
 背中を優しく撫でていた皇は呟く。
「俺より、深陰さんのほうが……大変そう、です」
「……ちょっと思い出しただけっ!」
 塀を拳で叩き、深陰は衣服の袖で口元を拭う。そして皇のほうを見た。
「座ってなさい。口を濯いでくるから。…………ごめん」
 勢いよく立ち上がって走り去る深陰の背中を眺め、皇は塀に肩をあずける。
 擦った背中は頼りなくて、小さかった。
 後ろから抱きしめれば、きっと腕の中に収まってしまうだろう。
「あ、眼鏡……」
 そういえば、ない。なくなっている。
 鬼に殴り飛ばされた時にどうやら吹き飛んでしまったようだ。
 背中だけではなく腕や足も傷が走り、血が凝固していた。シャツが黒くなり、ジーンズのズボンも完全に染みがついていた。
 皇の技は人間相手では致命傷を確実に与えることができる。今回は相手が悪かった。自分より大きさがあり過ぎたからだ。
 それに、人間とは違う生物だ。あれは生物とは違うモノ――存在である。
「『ごめん』って…………なんに対して?」
 問い掛ける皇の言葉に、誰も応えてはくれない。

 戻って来た深陰は眉を吊り上げた。
「座ってろって言ったでしょ! わたしの言ったこと、聞いてなかったの!?」
 非難するような彼女は皇の傷を診て、顔をしかめた。
「……あんた、よくこんな状態で立ってられるわね」
「褒めて、くれてます?」
「褒めてない!」
 怒鳴られて皇は苦笑する。
 深陰はぶつぶつと何か囁く。何かの呪文なのかもしれない。邪魔しないように黙っていた皇は、嫌だな、とちょっと思う。
 関わるなと言われたけれど、嫌だ。確かにこんなケガをしてしまうかもしれない。彼女のしていることは、危険なことなのだ。
「あの、深陰さ……」
 声をかけたが彼女は顔をしかめて皇を睨む。
「む……っ、い、いた……! ちょ、ちょっと……! は、早く口開けて! ほら!」
「えっ!? あ、はい」
 少し口を開くと深陰が唇を重ねてくる。柔らかい感触に皇はドキッとしてしまうが、次の瞬間身体中を走った激痛に悲鳴をあげる。
「動かないの! ちょっと強力だけど、断絶した神経も全部繋げてあげるから……っ」
「は、はぃっ」
 脳に抉り込むような痛み。
 皇は痛みを紛らわせるために深陰の両肩を強く掴んだ。駆け抜ける痛みのために唇が離れそうになるのを堪える。
 深陰の体内で作り上げられた術が皇の肉体を治癒していく。その過激な治癒に皇は意識を手放したくてたまらなかった。

 完全に肉体が修復された皇は自身を見下ろす。衣服はぼろぼろだが、傷があった箇所は見事に塞がっている。それに、意識もはっきりとしていた。
 反対に深陰はぐったりとしており、青白い顔で塀にもたれている。まるで生命力を皇に移したかのような衰弱ぶりだった。
「深陰さん、大丈夫ですか?」
「うるさいっ。もう用は済んだから、早く帰って。あんたに関係ない!」
 邪険にする深陰が弱々しく塀に手をつく。だが皇は引き下がらなかった。
「嫌です!」
 深陰は皇を睨むように見る。
「関わるなって言われたけど……やっぱりそんなの嫌ですよ! それに……俺、深陰さんのこと、もっと知りたいです」
 色んな表情を見てみたい。どんなものが好きだとか……もっと、もっと色んなことを……。
 それに皇は気づいてしまった。
 いつも怒ったような目をしている深陰。だがそれは……。
(隠してる)
 何かを隠してる。見せたくないものを覆うように、隠している。
 深陰は目を伏せた。
「……やめて」
「深陰さんは日本から出て行ってしまうってわかってますけど……でも俺!」
「やめて!」
 言葉を遮られ、皇は口を噤む。
「辛くなるのはわたしじゃなくてあんたなのよ! どうやったって、いい結末は……!」
 必死に言う深陰はハッとして顔を背けた。
「…………後悔するから、やめておきなさい。どうせ……あんたはわたしを軽蔑するわ」
 そう言い放つや深陰は皇に背を向けて歩き出した。追いかけようとした皇の手を振り切るように、彼女は鈴の音と共に姿を消した。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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PC
【6073/観凪・皇(かんなぎ・こう)/男/19/一般人(もどき)】

NPC
【遠逆・深陰(とおさか・みかげ)/女/17/退魔士】

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■         ライター通信          ■
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 ご参加ありがとうございます、観凪様。ライターのともやいずみです。
 少しずつ深陰との関係も変化……? いかがでしたでしょうか?
 少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。

 今回は本当にありがとうございました! 書かせていただき、大感謝です!