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■真白の書■ |
珠洲 |
【3087】【千獣】【異界職】 |
誰の手によっても記されぬ白。
誰の手によっても記される白。
それは硝子森の書棚。
溢れる書物の中の一冊。
けれど手に取る形などどうだっていいのです。
その白い世界に言葉を与えて下されば。
貴方の名前。それから言葉。
書はその頁に貴方の世界をいっとき示します。
ただそれだけのこと。
綴られる言葉と物語。
それが全て。
それは貴方が望む物語でしょうか。
それは貴方が望まぬ物語でしょうか。
――ひとかけらの言葉から世界が芽吹くそれは真白の書。
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■真白の書−ひのこのこ−■
通る風が艶やかな黒髪を躍らせては逃げて行きます。
髪の持主である千獣様は気にされるでもなく、ときおり不思議そうにまばたきされる程度のまま書を前に佇んでおられるのですけれど、書の傍らに置かれた枯葉が揺れるのにだけは随分を気を向けていらっしゃいますね。
この書棚においでになる道中で見かけて拾われたというお話ですけれど。
「……この、落ち葉……」
ペンを取ったところでふと腕を止め、インクに浸す前にぽつりとお話になった短い言葉。
言葉を返す者はおりませんが――いえ、もとより書棚にはマスタしかおりませんけれど。
そのマスタは生憎とその辺りきちんとした態度を示されません。
聞いてはいるんです聞いては。ただ傍目には解ろうがどうだろうが構わないという考えな方なだけで。
「街の、通り、も……近くの、森の、中も……落ち葉、が、いっぱい」
そんなどうにも愛想に欠けるマスタの前で千獣様は訥々と語られます。
もしやその落ち葉は街の通りか何処かの森で拾われましたか?
この季節、葉は色付いて鮮やかに舞い落ちますものね。
「……赤い、葉……黄色い、葉……てのひら、より、小さい、葉……顔、ぐらいの、葉」
ゆったりと、ペンを握っていない側の指で落ち葉を動かされる千獣様のお顔はとても柔らかい様子。何を思われているのでしょう。
拙く、どこか話し慣れない唇の動き。
それでも緩やかに千獣様が話されるのを私とマスタは聞くのです。
「……みんな……どこか、違う……同じ、もの、なんて……ない……」
同じ木から落ちても確かにそれは異なる面差しを葉に添えています。
ですが千獣様は惜しむ色は含まれず、しばし沈黙する間にインク壷にペンを向けられました。綴られる文字も、言葉同様にどこかしら慣れない風ではあるのですがきりと少しばかり指の先に力を込めて書に添えられる千獣様。
「でも……それが」
お名前の他に綴られたのはたった一つ。
それが滲んで溶けてゆく様を見、ついで窓の向こうで揺れる硝子森を見、秋でも変わらない森の瞬きにいっとき瞳を眇めて遠くを見遣った千獣様の小さな、小さな、言葉。
「たのしい」
――さあ。
ではその柔らかなお心が記した書の一頁。
織り上がるいっときの物語。
風に歌う葉を耳に伴いご覧下さい。
お持ちになった葉は、テーブルの上で私共と一緒にお戻りを待ちますから。
** *** *
ほろほろと地面を滑る葉に鼻先を寄せる犬。
木の根にかかりはためく葉に手を伸ばし遊ぶ猫。
風が吹けばざわざわといまだ枝先に残る葉と地に降りた葉とが揃って踊り、かさりかさりと控えめな音でときに歌う。ひやりと冷たく硬い風の手は、思い出したように枝から葉を誘い出しては大地に下ろす。
陽が中天を過ぎ、影がじわりと長く伸びるのが眸に残る頃。
この季節にはそこかしこで見られるそういった街路を千獣は何を目当てとするでもなく歩いていた。
「……?」
その足が止まった理由は千獣自身にも一瞬解らなかった。
きょとりと首を傾げてそこで気付く。
「……何か……小さいのが」
居たような、居ないような。
獣の中で生きた勘、ともいうべきものが拾い上げただけの感覚では見回しても何も見出せない。足元近くの高さで何かが、とは思いはしても見当たらぬ。
「……気のせい……?」
ことりと音がしそうなあどけない動きで首を逆方向にまた傾ける。
と、その途端に一本の木の根元から小さく音がした。
ちりりと聞き止めたのが奇跡と思える程に控えめにそれはまた音を立て、ついで風に持ち上げられた落ち葉をかすめたかと思えば内の一枚の先に触れ――閃いた。
「――!」
咄嗟に駆け寄り腕を伸ばす。
両の手で捕らえた葉は閃いた直後には燃え上がり、幸いなことに他の葉は千獣が己の身でもって押し消したので燻るだけで済んだ。じりと手の中の熱に眉をしかめる。
熱いと感じ肌を焼く小さな痛みもあったはずだけれども、豊かに過ぎる千獣の生命力は感じ取る端から原因を癒してしまう。枯葉一枚の炎はそう長くは保たない。
緩やかに熱が勢いを失うのを手の中で感じ取りながら、そのままの状態で周囲をぐるりと千獣は見回した。焚き火なりの火の粉かと思ったのである。
「ない、ね……」
むろんそれにも理由はあって、燃え上がる寸前に見た小さなそれが明らかに赤く小さくけれど熱い、まさしく火の粉ひとつだったからだ。
それにしても一瞬で燃え上がる不思議はあるのだけれど、千獣はその辺りについたは気に留めない。ただ放っておけば容易く炎を育てただろう周囲を守ったことについて良しとするばかり。
見回して、目に映る範囲に火に当たる姿がないことを確かめて怪訝だといわんばかりに千獣はまばたきを数度繰り返す。
それからようやく合わせた両の手を解いた。
出て来たのは燃え尽きて崩れる小さな枯葉、それから。
ぱち、と小さく爆ぜる音。
千獣の紅玉の眸に映ったのはとてもとても小さな火種だった。
火種というにも足りない程に小さな、まさしく火の粉としか言い様のない頼りなく手の中で揺れるぬくもりだ。
けれどそれは確かに枯葉に触れて燃やしてしまい、そしていまだ消える様子もない。
「……」
ぱちりとまばたきをひとつ。
ええと、と瞳に映る微かな色を見詰めて千獣は考える。
火傷はする端から失せていくので彼女の手は今も瑞々しい。そこでほとほとと右に左に動く砂粒程の火の粉。思い出したようにぱちりと鳴る音の大きさもよくよく考えれば奇妙に大きい。
であるので両の手を開きはしたものの並べて器のようにしたまま千獣はそこに顔を寄せた。長く遊ばせているままの黒髪が覆いのように下り、その中で更に火の粉を見る。
「……」
じぃと街路の半ばで立ち止まり、さながら顔を洗う寸前のような体勢で佇む千獣はぽつぽつと行き交う人からすれば――数としては多くはなくともそれなりに人の往来はある。だからこその街路と並木だ――訝しいばかりの妙な通行人だけれども、千獣自身はその辺りに頓着しないので充分に火の粉を観察出来た。
その美しく流れ落ちる黒髪の幕に隠れるようにして千獣と火の粉はただ静かに、時折ぱちぱちと片やまばたち片や爆ぜてと小さく動くばかりで熱を寄せる。
「……迷子、かな……?」
ぱちり。
しばしの静かな交流の後、ぽつりとたどたどしく落ちた千獣の確かめに応じて火の粉はまた大きく音を立てた。
「焚き火、で……消してる、間に、とか……風で飛んだ……とか」
ぱちぱち。
そうだよそんな感じだよ。
そう言いたげに火の粉が爆ぜる。小さい一粒のくせに大層な音量だ。
なんとなし感じ取ったそれが正解のようで、千獣は手の中に相変わらず火の粉を乗せたまま頭を起こしてぐるりと周囲を見る。自分の歩いている街路には焚き火の痕跡はなかったので、並木を挟んだ道だろうか。
さくと硬い感触から柔らかい感触へ移動する。
木の間を抜けて形ばかりの低い柵を乗り越えて別の道へ。
くん、と鼻を揺らして視線を動かしてみればくすんだ何某かの跡が見受けられるようだ。
「……あそこ?」
ぱちり。
手の中で爆ぜる度に熱が肌を焼くけれど、小さなもので千獣は気に止めなかった。
あるいは親しくなった人であれば何事か言うかもしれないけれど、彼女自身はさした痛みを覚えるでもないからと丁寧に両の手で火の粉を守るようにして運んでいる。
よくも風に乗る間に他を燃やさなかったものだ。
今更に通り抜けた木々を振り返り思う。
けれどそもそもが奇妙な火の粉であるので、あるいは自らの意志だとか根性でもって風に乗って燃え草に移るのを堪えでもしたのかもしれない。
それも千獣には気に掛かることではなかったので、変わらず手の中の砂のような火の粉を見て「どうしよう」と問いかける。
ぱちり。
「どこか……火の中?」
ぱちり。
「……火の子?……そう」
ぱちり。
そろそろ人の言葉とは違った交流にも慣れて来た。
そうか火の粉は火の子なのだとほろりと納得し、迷子のようなものなのだろうかと千獣は胸の中でそっと考える。
迷子。
迷子ならば送った方がいいとは思う。
けれど見る限り今周囲で焚き火なりをしている人はいない。
「……」
ざあと強く枝葉が揺れる。
風が少し強くなっていて自分の髪も一度舞い上がれば、これはそうそう見つけられなくなりそうだった。
「……どう、する?」
ぱちり。
首を傾げて問うても返るのは強く爆ぜる音ばかり。
とはいえ、いつまでもそうしている訳にもいかないのであって。
じりじりと控えめに肌を焼く熱を相変わらず手の中に抱き、そのくせ平然とした顔のまま千獣は並木を挟んで越えた道をそのまま歩く。
途中で小さな橋を越える際に子供と行き交い、うっかりと手が開いて水面に火の粉がダイブしかけたりもしたけれど千獣の俊敏な腕が再度掬い上げてことなきを得た。
火の粉が水中で終幕なんて報われない話に過ぎる。
右に左に落ち着き無く手の中で動く火の粉の熱は、肌を焼く前に動けばまるで犬猫の赤ん坊のようでもあって、どこかしらほこりと冬に移ろう時期には有り難い。
「……」
くいと落ち着かなげに肩を解す千獣。
身の内の獣達の幾つかは小さなものでも火の気配に普段と違う様子。
お陰で燃え上がった枯葉ごと捕らえてそれなりに過ぎた今は、なんとなし身体の感覚がぎこちない。不自由というほどでもなく、少しだけ。
ぱちぱちと鳴る火の粉と一緒にまだまだ歩く。
「……あれ……」
喧騒が耳を刺すようになってからも千獣は黙々と歩き、屋台の食べ物に目を向けて進む。
そうして見慣れた通りに踏み込んでしばらく経ってから彼女は現在位置と、確実に火の気のある場所を見つけ出した。
「ここから、なら……すぐ……だから」
見つけ出したというか、思い出したのだけれども。
「……白山羊亭……」
そう。
だってそこはアルマ通り。
となれば千獣もしばしば訪れる店の奥にそろそろ使われだした暖炉があった筈。
まだ確実な季節でもないけれど、そうなれば調理場の火でも良いだろう。
千獣の考えはそうだったのだけれど、近付けば近付く程にとある匂いが漂うようになってきた。
ふんふんと無意識に源を辿り、手の中で合わせて火の粉が揺れる。
ぱちりぱちり。
「……こんにちは」
「――あ、千獣さん!こんにちは」
そうして覗いた店内でルディア・カナーズが普段通りに出迎える。
しかし手に抱えているのはトレイではなく籠。そして中に芋。
「ちょうど裏で焚き火で焼き芋中なんですよ」
「この、匂い……?」
「はい!流石に鼻が良いですね!」
うきうきと笑顔で言う彼女の様子からすればきっとルディアも食べる。
「千獣さんもどうですか?たくさんお芋ありますから」
これは第二弾の山で作りまぁす。
おどけるルディア。
こくりと頷いてそして千獣も混ぜて頂けることとなった。
促されて裏に回ると匂いの源の焚き火が一つ、突付く数人の冒険者や客。向こうに別の枯葉の山を築きつつある従業員。成程確かにたくさんだ。
そそと足音を控えめに近付く千獣。
気付いた顔見知りが挨拶するのに頷いて返し、同じように焚き火の前にしゃがみこむ。
ぱちり。
ずっと合わせた手の中から催促するような音。
「……うん。よかった、ね」
忘れていないよ、と両手を広げてやると右に左に踊る砂粒程の熱。
そのくせ燃え盛る、芋の匂いも芳しい炎には中々入らず――無言で見詰めてしばし。
ああ、と気付いた。
煽られて入れないのだ。
ならばと千獣は手をそろりと持ち上げて唇を寄せる。
火の粉。火の子。
ぱちり。
最後だけ小さく爆ぜて響いて、そしてそこに息を送って飛ばしてやれば熱は容易に炎の中に飛び込んだ。
「うぉ!」
瞬間に一際強く踊った炎に誰かが驚く声を聞きながら、千獣は炎の中で小さな小さな砂粒の熱が主張するように駆け巡るのを見た気がした。同じ炎の熱の中で少しだけ、千獣にだけ、解る、そんな存在。
よかったね、と。
偶然に見かけただけの奇妙な火の粉を想い、身体の前面を熱に晒しながら千獣はふわりと微笑んだ。
ぱちり。
返事のように爆ぜる音。
「はい、千獣さん!出来立て」
「……ありがとう」
そして広げたままの両手にそして乗る焼き芋。
むぐ、と頬張ったそれは大層甘く大層温かく大層美味かったそうな。
ぱちり、ぱち。
落ち葉と一緒に火の子が見ていたそんな、柔らかないっとき。
** *** *
それは、真白の書が映した物語。
望むものか、望まぬものか。
有り得るものか、有り得たものか、あるいはけして有り得ぬものか。
――小さな世界が書の中にひとつ。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】
【3087/千獣/女性/17歳(実年齢999歳)/異界職】
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■ ライター通信 ■
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書棚のご訪問ありがとうございます。ライター珠洲です。
ライターが食欲塗れらしく焼き芋オチな書の内容と相成りました。
小さな存在を拾い上げるのが上手そうだなぁとふと思いまして火の粉の子がオプションなメルヘン風味は如何でしたでしょうか。ご縁が有りましたらまたご訪問下さいませ。
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