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■過去の労働の記憶は甘美なり■

水月小織
【2778】【黒・冥月】【元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
東京では仕事を選ばなければ稼ぐ手段に困らない。
かと言って、紹介する者を選ばなければどんな目に遭うか分からない。
いつものように『蒼月亭』のドアを開けると、こんな文句が目に入ってきた。

『アルバイト求む』

さて、ちょっと首を突っ込んでみようか…。
過去の労働の記憶は甘美なり

 煙草とコーヒーの香りに、ゆったりとした空気。
「指のこのツボを軽くこうやって押すと大男でも…」
「痛い痛い、冥月さん痛いですっ!」
 チーズケーキとブレンドを味わいながら、黒 冥月(へい・みんゆぇ)は休憩中の立花 香里亜(たちばな・かりあ)に、護身術代わりに軽く大男でも痛がるツボを教えていた。指先はほんの少しの違和感を敏感に感じ取れるほど神経が集まっているので、そこには軽く力を入れて押すだけで痛がるツボも多い。香里亜相手には手加減したのだが、それでもやはり痛いようだ。
「手とか握られたときに不意を打つと相手が怯むからな、覚えておくといい」
「はい」
 少し涙目になりながら、手を握ったり開いたりしている香里亜を見てコーヒーを一口。
 今日の蒼月亭は店員の香里亜やナイトホークの他に、新聞を読みながら煙草を吸っている草間 武彦(くさま・たけひこ)と、その他にもう一人革ジャンを着て長い髪を後ろで結んでいる青年がいる。この店で行われたイベントなどで見たような気もするのだが、直接話したことがないので冥月的にはあまり印象がない。だが、ナイトホークと親しげに話している所を見ると、来店時間の違う常連なのだろう。
 そうしていると、その青年と話していたナイトホークが冥月の方を見た。
「冥月、今暇か?」
「香里亜が放してくれれば暇だが」
 ふっと意地悪そうに笑って冥月がそう言ってみせると、香里亜は少し赤くなりながらぺこぺことお辞儀をする。自分一人が冥月を独占しているのが申し訳ないらしい。
「あ、私はいいですよ。それにあんまり休憩してばかりだと、お仕事してないみたいですし」
「耳の痛い話だな…」
 そう言いながらも武彦は新聞から目を離さない。本当なら何か一言言いたいところなのだが、溜息混じりにコーヒーを一口。
「ナイトホーク、私に何か用か?」
「ああ、冥月に仕事頼みたいんだ。依頼人はここにいる奴なんだけど」
 すっとナイトホークが手で座っていた青年を指し示した。その青年は一見きつい目つきの割には、結構人懐っこそうに笑いながら頭を下げ冥月の隣に座った。だが、それを冥月は言葉で一刀両断する。
「誰だ、この冴えない男は」
「うわ、ひでぇ」
 いきなり暴言を吐かれた割には、苦笑しながら名刺を出すあたりは好感が持てる。自分にどんな仕事を頼みたいのかまだ分からないが、ここで小さな事に突っかかられると後々面倒だ。少しぐらい愛嬌があった方がいい。
 差し出された名刺には『フリーライター 松田 麗虎(まつだ・れいこ)』と書かれている。冥月は名刺を持っていないので、軽く自分の名を教え挨拶する。
「私のことは呼び捨てでいい。これはペンネームか?」
「いや。音がちょっとアレだけど本名なんだわ、それ。俺のことも名前の呼び捨てで。仕事の話はマスターと前からしてたんだけど、誰か頼めそうな人いないかなって言ってた所だったんで、仕事請けてくれるとすごい助かる」
 麗虎の依頼は、冥月向きの話だった。
 『少し危ない組織』に直接インタビューすべく何ヶ月か取材を続けていたのだが、その約束がやっと取れ、インタビューの際冥月に護衛を頼みたいと言うことらしい。それがどの程度危険なのかは分からないが、冥月は麗虎を見てぼそっと一言呟く。
「助けが必要とも思えんが」
 革ジャンやジーパンに隠れてはいるが、麗虎は手足が長く喧嘩慣れしている体つきをしている。普通にしていると分からないかも知れないが、冥月にはごまかせない。素手対素手であれば、リーチがあるぶん麗虎の方が有利だろう…まあ、相手が飛び道具や異能だった場合はその限りではないが。
 麗虎は煙草に火をつけながら人懐っこく笑う。
「何か言った?」
「いや、何でもない。私で良ければその仕事請けてやろう」
 これぐらいなら簡単な仕事だ。暇つぶしには丁度いい。
 冥月がそう思っていると、ちょいちょいと肩をつつかれる感触がする。それに振り返ると、何故か香里亜は片づけ中の食器を持ったまま心配そうな表情をしていた。
「あの、そのお仕事やめた方が…」
 自分を心配してるのだろうか。
 そう思ってくれるのはとても嬉しいが、大抵の場合冥月が力で劣るようなことはない。相手が異能なのかどうなのかは分からないが、麗虎一人ぐらいは軽く守れるし、取材のアポが取れたというのであれば、少なくとも人間の言葉は通じるだろう。
 香里亜を安心させるように、冥月はぽんと頭を撫でた。
「大丈夫、心配するな」
「えと、違…」
 なにやら口ごもっている香里亜をよそに、ナイトホークは冥月に早口で話しかける。
「プロに二言はないな」
「ないに決まってるだろう」
「男に二言は…」
「誰が男だ!」
 これを言ったのは武彦だ。冥月はスッと席から立ち上がり、裏拳で武彦をしばき倒した。何の因果か、これを言わないとどうしても気が済まないらしい。
 しかし。
 普段であれば仕事を斡旋しても「じゃ、あとはよろしく」ぐらいしか言わないナイトホークがこんなに念を押すとは珍しい。覚悟がいる程危険な所なのだろうか…冥月がそれを問うと、ナイトホークが無言でニヤッと笑い麗虎がそれに答える。
「それ程念を押すとは、いったいどんな組織なんだ?」
「ああ。レディース暴走族の『狂乱天使』って言ってね、冥月が引き受けてくれなかったら、マスターに護衛頼もうと思ってたんだ」
「俺は仕事が忙しいから無理だ」
 …………。
 ナイトホークがニヤッと笑ったのはこのせいか。
 『狂乱天使』と冥月は、ちょっとした因縁がある。
 それはそこの特攻隊長である伊藤 麗(いとう・うらら)がナイトホークに惚れ、それを諦めてさせるために婚約者の振りをしたところから始まり、ちょっと懲らしめてやったら『影の総長』になっていたり、そこからまた繋がりがあったり……冥月にとっては色々と忘れたい話だ。そうであれば香里亜が口ごもっていたのも分かる。
「断る!」
 麗虎は事の顛末を全く知らないのだろう。だが出来るだけとっとと忘れたいのに、更に思い出深くしてどうする。
 思わずきっぱりそう言うと、ナイトホークがカウンターの中で笑いと共に煙草の煙を吐く。
「二言はないんだろ」
「くっ…」
 最初から分かっていれば断ってやったのだが、こう言われては仕方がない。自分にもプロの意地があるし、因縁があるとはいえ子供の集まりに背を向けるのはプライドが許さない。
「い、いいだろう。だが助けるのは実際にお前が危なくなったらだ。必要なければ出ないからな」
「それでいいよ。俺も何とかするつもりだし、何もなくても仕事料はちゃんと出すから」
 麗虎もプロだし、きっと自分が出ることはないだろう。
 つつがなく取材が終わってしまえばそれでいい。そのはずだったのだが……。

「麗虎…どうしてこんな事になってるんだ」
「ごめん。俺、挑発型の取材が得意なんだわ」
 ……最初からそれを言え。
 冥月は不良少女達の真ん中でちやほやされながら、軽く目眩を覚えていた。
 外での取材と言うことで、少女達との待ち合わせ場所の側まで麗虎のバイクで一緒に来て、冥月は影の中に隠れて様子をうかがっていたのだが、麗虎自身『挑発型の取材』と言っていたように、軽く話しているうちに機嫌を損ねてしまったらしい。鉄パイプや有刺鉄線付きの角材などを持っている少女達が憤り、それを構えたのを見て、つい飛び出したら…案の定少女達が冥月に頭を下げ「姉御」と呼び始め、集団の真ん中で特別待遇というわけだ。
「婚約者のナイトホークさんはお元気ですか?」
 金髪の麗がそう言い、その言葉に麗虎がまじまじと冥月の顔を見る。
「え?そういう仲…」
「違…ちょっと待ってろ。今この男に話をしてくる」
 冥月はバイクが停めてあるあたりまで麗虎を引っ張って連れてきた。本当ならこのままバイクに飛び乗り「帰るぞ!」と言ってしまいたいが、ここで本当に勘違いされたままだと困る。『ナイトホーク婚約者偽装事件』について簡単に話すと、麗虎は頷きながら溜息をつく。
「なるほど、マスターが押しつけるわけだ」
「そういうわけだから、他の奴に言ったらマジで殺す」
「死にたくないので誰にも言いません」
 物わかりがいいのは長生きの秘訣だ。冥月はまた少女達の真ん中に麗虎を連れて行き、椅子代わりに差し出されたビールケースに座った。少女達は麗虎と冥月の顔を交互に見る。
「姉御、この男が何か失礼なことでも?」
「直々に手を出さなくても、こっちでヤキ入れますよ。姉御!」
「違う、何でもない。いいからこいつの質問にちゃんと答えてやれ」
 冥月は椅子ありだが、麗虎は突っ立ったままだ。その待遇の違いは仕方ないとはいえ、何だか妙に疲れる。小さなレコーダーやデジカメなどを取り出し、話を録音したりしようとする度に、何が気に入らないのか少女達がいちいち突っかかる。
「その特攻服って、自分で刺繍の文句考えるの?それともテンプレとかあるの?」
「テンプレって何だ、コルァ!」
「いや、そういうのどっかにあるのかなーって。まあいいや、その刺繍の写真撮らせてよ」
「…撮らせてやれ」
 思春期には、どうしても大人と相容れない時期があるのは仕方がない。
 自分の中にある情熱や憤りを持て余して反抗的になってしまったり、それを間違った方向に向けてしまうこともあるだろう。
 それでも冥月が言うと素直に写真を撮らせたり、取材に答えているのはまだ可愛い方かも知れない。挑発型の取材と言ってはいたが、そうやって相手に隙を作らせて話をするのも話術の一部だ。
 出来ればここでやって欲しくはなかったのだが。
「姉御、これ飲んで暖まってください」
「どうも」
 麗がそっとコーヒーの缶を冥月に渡した。最初は反抗的だった少女達も、少しずつ麗虎の話に答えてきて時折笑いなども見せている。
 缶コーヒーを開けると、白い息を吐きながら麗が手をこすっている。
「寒いなら、わざわざ外で集まる必要ないだろう」
「たまり場とかもあるけれど、うちらもそんな金持ってたりする訳じゃないから。それに今日はバイク見せたりってのもあったし…」
 きっと髪を黒に戻して化粧を落とし、特攻服を脱げば年相応の少女なのだろう。それをとやかく言う気はないが、何となく苦笑しながら冥月が呟く。
「ナイトホークのことは諦めたのか?」
「………」
 ナイトホークの彼女などではないが、もう少し大人になれば麗にも色々分かるに違いない。ここにいる少女達はこうやって反社会的などと呼ばれることをしているが、だからといって社会の裏に行くような者達ではない。
「どうした、麗」
 何だか先ほどから、麗がそわそわと道の端を見ているのが気になった。麗虎の取材はまだ終わっていないのか、バイクの写真を撮ったりしている。
 何だか…すごく嫌な予感がする。
 冥月がそう思ったときだった。
「黒薔薇様、やっとお会いになれましたわ!」
 この声は!
 座っていたビールケースから立ち上がり思わず麗をキッと睨むと、麗も挑発的にじっと冥月を見つめ返す。
「麗、お前…」
「若菜からあんたのこと『黒薔薇様』って聞いてたからね。可愛い妹のためにわざわざ電話かけて呼んでやったたんだ」
 年相応などと思っていたが、やはり女は女だ。やり方がどうもいやらしい。
 麗の妹の若菜(わかな)が冥月に抱きつかんばかりに走ってくる。
「麗姉様、いつも帰りが遅くて心配だったけど、今日はグッジョブよ」
「あんたが若菜のお姉様になって、私とナイトホークが付き合えば綺麗にまとまるよ」
 冗談じゃない。この猪突猛進姉妹に付き合って、これ以上ややこしいことになってたまるか。冥月は慌てて麗虎の方を見る。
「おい、取材は終わったのか?」
「うん。今日は協力してくれてありがとう、雑誌発売決まったら連絡するから…」
 人が危機だというのに、こいつは何をのうのうと挨拶などしているのか。冥月は麗虎の手を引っ張り、停めてあるバイクに向かって走る。
「麗虎、あの娘に追いつかれないように私を乗せて走れ」
「何で?」
「理由はいいからとっととしろ!」
 おそらく妙な迫力があったのだろう。ジーパンのポケットからキーを出し、麗虎がバイクに飛び乗ると同時に、冥月もその後ろに座る。
「あの二人と何か訳あり?」
「ノーコメントだ」
 もう詳しく話したくもない。こんな事なら、暴力団とかマフィアの取材の方がよっぽど精神的に安全だ。狂乱天使相手も疲れるが『黒薔薇様』呼ばわりは、流石に耐えられそうもない。
「黒薔薇様ー、私諦めてませんから。一目お会いできただけでも光栄です…!」
 若菜の声がエンジン音にかき消され、二人を乗せたバイクはそのまま車通りの多い道に消えていった。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
2778/黒・冥月/女性/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒

◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
麗虎から請けた仕事が、前のゲームノベルから繋がる伊藤姉妹絡みで…ということで、コメディタッチに書かせて頂きました。冥月さんだけが一方的に疲れる仕事です。
ラストをどうしようか悩んだのですが、これ以上疲れることはしたくないだろうなと思い逃げる選択を…狂乱天使の皆さんから「姉御」と呼ばれて倒れそうなのに、「黒薔薇様」のコンボはキツそうです。麗は少し策士ですね…。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってください。
お預かりしているノベルがまだありますので、お早めにお届けできるよう頑張りますね